――――――――――――――――――――
気分はそうブレイバーレイディー〜リグレット〜
――――――――――――――――――――
1.
ずっと記憶領域から消えない、そんな風景が、わたしにはあります。
この星の言葉では、そのように記憶の底にいつまでも残り、その人が何らかの形でこだわり続ける事になる幼少期の風景を原体験、あるいは原風景と呼ぶようですね。
あ、はい、そうですね。確かにわたしはインターフェイスですので、幼少期というものはありませんよ。
ですがそれでも、消そうとしても消えずに残っているのですから、やはり『それ』がわたしの『原風景』なのだと思うんです。
―――わたしは、そう、思うんです。
///
それは、夕焼けが悲しいほど赤く感じられた、そんなある日の話になります。
夕飯の買い物を終え家路についていたわたし達の目の前に、『ヒカリ』がふわふわと漂いながら近づいてきました。
「あ、シャボン玉ね。ほら、喜緑さん、あそこ」
朝倉さんが指差す方向を見ますと、わたし達から近くと遠くのちょうど中間くらいの位置で、子供達が楽しそうにそれら『ヒカリ』を大量生産していました。
「楽しそうね」
そうですね。何でしたら、シャボン玉セットでも買って帰りますか?
「別にいいわよ。何か、あたし達が『作り出す』っていうのは、こう、………変な気分にさせられるのよね」
………そんなものなんですか?
「そうよ。だって、ほら………」
思い出される、いつかの風景。
ゆらゆら漂うシャボン玉、つついてパチンと割った彼女は、
『まるであたし達みたいじゃない』と、
そんな台詞を告げながら、綺麗に笑ったのでした。
///
『それ』が多分、わたしの『原風景』で、
そして、それを綺麗だと思ったわたしは、今、割れそうな、割られそうな、彼女を見て………、
///
気分はそうブレイバーレイディー、
―――熱い魂燃やすのよ。
2.
この世界に生み出されてから3年目の春、一緒に暮らしてきた同型のインターフェイス『朝倉涼子』が、壊れました。
表面上は普通に見えると思います。学校でも特に問題は起こさず、クラス内に溶け込んだ状態で過ごせているようですしね。
でも、それは応急処置としての全自動行動がそう見せているだけであり、彼女の思考ルーチンはもはや回復不能なレベルまで壊れているのです。………『表面が正常に見えるだけで、中身はもう』ってやつですね。
わたし達の上位存在(この世界の言葉で表すと上司にあたるのでしょうか?)である情報統合思念体はそんな彼女を処理しついでに、それを自分達の最優先課題である『彼女』の観測に利用する事を決定しました。
当然の選択、ですね。
だって、わたし達はそういう風に作られたんですから。
狂っていく、その過程は問題ではなく、
おかしくなった、その内容も必要ではなく、
ただ一つだけ、重要なのは、
―――『壊れた』という、その事実のみ。
でも、だったら、
今、わたしが感じている、
―――『これ』は、………何?
///
「眩しいわね」
深夜2時、明日消される事が思念体によって決定されている朝倉さんは、そう言いながらベランダへと通じる窓を開けました。
ここ最近、思考ルーチンの乱れが全自動行動にさえ、こうして影響を及ぼすようになってきました。………どうやらもう本当に、彼女は限界のようですね。
彼女の行動は普通の人間から見ると完璧に異常行動で、対応に困るものであるのでしょう。
ですがまあ、眠らなくても平気なインターフェイスであるわたしにとって、夜起こされるのは苦にはなりませんから。
だから、辛くなんてないですよ。
「うん、これで喜緑さんも報われるわね」
朝倉さんの視線はベランダの向こう、暗闇の中。
「………わたしは、ここにいますよ」
朝倉さんから答えは返ってきません。おそらく、彼女の視線がわたしを捉える事は、もうないのでしょう。
何故なら、彼女の中では、わたしはもう死んでいるのですから。
だから、仕方のない事だから、辛くなんて、ないんです。
「おのれチュッパー、喜緑さんの敵!」
敵討ちをしてくれるんですね、ありがとうございます。
でも、でもね、
辛くなんて、ないけどね、
―――わたしは、ここに、いる、よ。
///
気分はああブレイバーレイディー、
―――眠れぬ夜に決めた事。
3.
「長門さん、将棋は止めて、オセロにしましょう」
朝倉さんがいきなり自分の腕を真っ二つにしたせいで床一面が血の海になっている部屋の中、その処理方法を検討しているわたしに向けて、彼女はそんな意味不明の提案をしてきました。
ちなみに朝倉さんの中では、存在しているインターフェイスが長門さん、存在していないインターフェイスがわたし、という事になっているようです。
もう存在しない『わたし』に、彼女が振り向く事はありません。
「ええ、やりましょう。それで、どっちが先行ですか?」
それでも、『長門有希』として扱われたとしても、彼女とともに在れる、それだけで………、
「それは、世界と天秤にかけても、遜色ないほどブレイバー」
本当ですね。………本当、ですね。
沈みそうな気分を何とかしようと、もうありえない未来の話を、彼女に投げかけます。
「今度、もしわたし達に休みというものが許されたらですけど、どこか旅行にでもいきませんか?」
「ノストラダムスの大予言が的中したのよ」
「北海道なんていいですね。美味しいものがたくさんありますよ」
「長門さんは強いわね」
「そういえば、長門さんへのお土産は何にしますか? 彼女はどうも最近生意気盛りなので、木彫りの熊でもお土産にして置き場所に困らせてあげようと、わたしはそう思うのですけれど」
「相手をキョンくんに代えてもいいのだけれど、それで治るのはアフリカの神楽さん宅のガスコンロだけなのよね」
かみ合わない会話。互いの足を踏み抜くダンス、互いに贈る一方通行。
それでも、そんな一時は………、
「それは、宇宙と天秤にかけても、お釣りがくるほどブレイバー」
本当、その通り、………だからわたしは、決めたんです。
………いえ、ちょっと、違いますね。
わたしは『最初から決めていた事』を、初めて口に出して彼女に伝えたのです。
「決めました。わたしは、あなたを守りますよ」
「あら、だったら涼宮さんを刺激したらいいじゃない」
軸からしてずれている、このやり取り。
それでも、これは『誓い』なんです。
過去を振り返れない彼女へと、未来に振り向かないわたしが誓う言葉です。
わたしにとってはおそらく、後悔しか残らない、残酷な誓いなのでしょうけれど。
「喜緑さんも浮かばれないわね」
思わず笑みが出る。誰のせいだと思ってるんですか?
愛しのあなたの心には、届かぬわたしのブレイバー。
そんな変なフレーズを思いついた瞬間、
わたしは思念体によって特異的情報制御空間に閉じ込められました。
///
気分はついにブレイバーレイディー、
―――振り向く事はできないの。
4.
どうやら思念体にとって、わたしは修理する価値のある個体らしいですね。
彼等はリペアと称してわたしから、朝倉さんを狂わせたであろうエラーを、彼等が理解できないもの全てを、強制的に取り除くつもりでいるようです。
消えていきます。
あの時彼女の微笑を、綺麗と思った記憶が消え、彼女が笑みという表情を作ったという、そんな記録のみが残ります。
消えていきます。
消えていくのです。
記憶が記録に、変質していくのです。
「あ、あ、う、あー!」
意味のない叫びとともに、わたしはありたけの攻性情報を空間壁へと叩きつけました。
それでも情報空間には、何の変化も起こりません。当然ですね。一介の端末であるわたしと本体である思念体。スペックの差は歴然としているのですから。
だから、何をしても無駄なのですから、効率を何より重視するわたし達が本来とるべき行動は、『何もしない事』なのでしょう、けれど。
「やめて、ください」
それでも、わたしは、あがきます。
「やめて」
攻性情報が尽きたので、有機体部位を直接、空間壁にぶつけます。
「やめて、ってばあ」
有機体部位から血が吹き出しても、わたしは止まらない、………違いますね。
「あなた達は、どうして、許してくれないのですか?」
止まれない、………これも違います。
「どうして、わたしに、後悔する事すら、許そうとしてくれないのですか!」
後悔すると知って、誓った想いが、あります。
だからわたしは、
せめてわたしは、
後悔だけは、しないとダメなんです。
だから、止まるわけには、いかないんです。
それでも、わたしの力は無限に湧き出てくるわけではありません。
現実は欠片ほどの優しさすら見せず、残酷な限界は、非情な結論は、すぐに訪れました。
「………どう、………して」
力尽き、倒れこみ、そこでわたしは止まってしまいます。
それでもわたしの思い出が、消えていくのは止まりません。
意識が途切れる前に、わたしは彼女の笑顔を、それだけを自分の情報制御中枢に焼き付けました。
たとえ、それに意味が見出せなくなったとしても、
忘れる事がないように、
忘れる事が、出来ないように。
―――、
――――――、忘れたく、ないよう。
―――――――――、
――――――――――――、パチン。
///
気分はいつもブレイバーレイディー、
―――犬に咬まれても心は錦。
5.
「喜緑江美里、再起動して」
長門さんの声に従い、わたしは再起動します。
起動と同時に現在の状況を確認。本日夕刻に朝倉涼子は予定通り消滅。これにより長門さんは『鍵』の信頼を得るに至った、と。
なるほど、順風満帆、世は全て事もなしという感じでしょう。
「朝倉涼子は消滅した」
そうですね。当初の予定通りです。これでだいぶ『観測』も行いやすくなりますね。
「わたしが、消した」
いや、ですから、別にわざわざ聴覚情報で伝達しなくても、もう知ってますよ、わたし。
「………あなたも、消えた?」
??? 意味が、分からないのですけれど。
「そう」
ボソリ、と呟く長門さん。………予想はしていましたが、やっぱり説明なしですか。
まあ要するに、長門さんが伝えたいのは、大勢いるわたし達インターフェイスのうちの一体が消えたという事、それだけでしょう?
そんな事でしたら、わざわざわたしの部屋にまで来て情報伝達する必要はありませんよ、時間の無駄ですからね。
「………そう」
長門さんは不必要と思われる沈黙の後、結局前と同じ言葉を呟きながら、制服のポケットから何かを取り出しました。
「渡すものが、ある」
そう言って、長門さんはわたしに、何の変哲もないちっぽけなキーホルダーを渡してきます。
「………これ、は」
ちっぽけでみすぼらしい、ゴミと言っても許されるほどの、そんな物体。
「朝倉涼子から、あなたに」
その先端で、揺れているのは、
―――小さな小さな、木彫りの熊。
(ああ、伝わっていたんですね)
わたしの頬から床に、水滴が落ちる音がします。いえ、わたしの意志ではありませんよ。だってわたしにそんな理由はないんですから。
わたしに、泣く理由なんて、ないんですから。
「あなたには、明日からわたしのバックアップになってもらう。………明日からで、いい。それが、あなたの勝ち得た時間」
そう、最後まで意味のない事を告げながら、長門さんは自分の部屋に帰っていきました。
///
彼女が帰った瞬間、とすん、という音とともにわたしは膝をつきました。
そのまま蹲り、キーホルダーを握り締め、目から水を流し続けます。
わたしが今行っている事は意味も、理由も、必要もない、そんな行為です。
だから、あの日シャボン玉をつついて割った時浮かべた朝倉さんの笑顔が、どうしても記憶領域から消去できないのも、意味のない事に違いないのです。
きっと、再起動したてで上手く情報処理が行われていないせいでしょうね。
だから、明日には元に戻るから、今夜一晩だけ、そんなわたし自身を、許してあげる事にします。
たとえ、明日忘れてしまうものだとしても、
―――どうか、幸せな後悔を。
―――神様どうか、今夜だけでも。
わたしはそんな意味不明な願いを、それでも確かに祈りながら、キーホルダーを握り締めたまま、布団の中に潜り込みました。
目を閉じ、まぶたの裏側に映る、消えない笑顔の彼女に向けて、最後の言葉を。
それは、『サヨウナラ』でも『アリガトウ』でもなく………、
///
気分は結局ブレイバーレイディー、
―――それでは皆さんマタアイマショウ。