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そんな彼女の『さようなら』  
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「情報連結解除、開始」  
「そんな……」  
 長門有希の、自らの体を貫いている触手の影響を全く感じさせない平坦な言葉とともに崩壊を始めた周囲の景色を見て、朝倉涼子は驚愕の声を上げた。  
「あなたはとても優秀」  
 有希の言葉を聞きながら、『彼女に褒められたのは初めてかな』などと詮無い事を思いつつ、涼子は自分の敗北を悟る。  
「だからこの空間にプログラムを割り込ませるのに今までかかった。でももう終わり」  
「……侵入する前に崩壊因子を仕込んでおいたのね。どうりで、あなたが弱すぎると思った。あらかじめ攻性情報を使い果たしていたわけね……」  
 彼女がそうやって今更な説明台詞を口にしている間も、彼女を含めたこの空間の崩壊はどんどん進んでいっている。  
 かくして『鍵』を壊そうとした『盗人』は巡回中だった『警備員』に見つかり、あえなく退治されてしまったのである。  
 
(出来ると思ったんだけどなあ)  
 涼子が『彼』を殺そうとした理由は『急進派の命令で仕方なく』などという情状酌量を含むものではない。  
 それは、紛れもなく彼女の意思に基づいた行動であり、歯車でしかなかった彼女が、初めて自分の意思で起こした行為であった。  
 ただし、いや、だからこそ、その代償は大きいものだった。  
 歯が欠け装置から外れた歯車は、その装置を必要とする存在にとっては既にもうゴミでしかない。  
 だから、彼女はここで、完膚なきまでに完全に、消え去る事になるのだ。  
(でも、出来なくてよかったなあ)  
 だというのに、涼子の胸に去来していたのは安堵に似たそんな感覚だった。  
 涼子が思い出しているのは、いつかの教室の隅、机にグタッと倒れこむようにしている『彼女』と、それを『しょうがないな』と言わんばかりの顔で見守る『彼』。  
(壊れなくて、よかったなあ)  
 そう思える事、そう思えてしまう事。  
 おそらく、その甘さこそが彼女の本質であり、そしてそれ故、彼女はバックアップであったのだろう。  
 そんな残酷さと甘さという往々にして相反してしまう二つを組み合わせてしまった自分の性質を、人生にサヨナラホームランを食らった後で改めて見直し、  
(あー、こりゃ失敗して当たり前だったかもね)  
 と、思った彼女は、   
「あーあ、残念。しょせんわたしはバックアップだったかあ。膠着状態をどうにかするいいチャンスだと思ったのにな」  
 その言葉とともに、さっぱりと全てを諦めた。  
 
 そして彼女は最期に、情報統合思念体急進派インターフェイスとしての朝倉涼子ではなく、ただの『朝倉涼子』として、言葉を残す事にした。  
 どうしてそのような事をしようとしたのかは、彼女自身も分かっていなかったのではあるが。  
(とはいえ、何を言ったものかしらねえ)  
 こんな時に言う台詞なんて涼子の持つデータにはない。当然であろう。彼女の操り主にとって、そんな台詞は必要ないものであるのだから。  
 どうしたもんかなー、と思いながら首を傾げようとしたところで涼子の視界に『彼』の姿が入り、  
「わたしの負け。よかったね、延命できて」  
 何故かスルッとデータにはないはずの言葉が、彼女の口から飛び出してきた。  
(あー、まあ、何も言わないよりはマシよね)  
 行き当たりばったりに、流れに任せる事を選択する彼女。………そのせいで自分が消える羽目になったという事には、本当に最期まで彼女は気付かなかった。  
「でも気を付けてね。統合思念体は、この通り、一枚岩じゃない。相反する意識をいくつも持ってるの」  
 『あ、わたしもそんな感じだなあ』と、自分の事を考えた彼女は、  
「ま、これは人間も同じだけど」  
 と、自分でも気付いていない、『望み』を含んだ言葉を口にした。  
 これもまた、最期まで彼女は気付かなかった事である。  
 既に胸の近くまで消滅している状態では、気付かなかった方が幸せだったのかもしれないが。  
 
「いつかまた、わたしみたいな急進派が来るかもしれない。それか、長門さんの操り主が意見を変えるかもしれない」  
 いつも見ていた彼女にしか分からないくらいに微かではあるが、その言葉に対し表情を変える有希を見て、  
(さて、歯が増えた歯車は、どんな風に装置を動かすのかしらね)  
 涼子はそう、ぼんやりと思いながら、  
 自分を消した彼女へ、当て付けと応援を込めて、  
 自分が消そうとした彼へ、祝福と嫌味を込めて、   
「それまで、涼宮さんとお幸せに」  
 最期の言葉を口にしながら、満面の笑顔を浮かべた。  
「じゃあね」  
 そして彼女は一握の砂となり、風に吹かれて消え去った。  
 それが彼女の『さようなら』であった。  
 
 ///  
 
「………会長、どうしてわたしの日記を勝手に読んでいるのでしょうか?」  
 わたしが生徒会室に戻ると会長がわたしのプライベートを読みふけっていました。フィッシュ! ………あ、いえ、何でもありませんよ。  
「いや、というか生徒会日誌に何を書いているんだい、喜緑くん?」  
「………」  
 じたばたしている釣られた魚に沈黙と言う血抜きを行います。  
「あ、ええと、………ごめんなさい」  
「分かって頂けたのでしたら、いいです」  
 ふう、ようやくまな板の上に乗りましたか。  
「………えーと、私は生徒会長として生徒会室に置いてある生徒会日誌を読んだだけのはずなんだがなあ」  
「あらあら、トラップに引っかかったんですから観念して頂かないと」  
 往生際が悪いですね。大人しく三枚におろされちゃってください。  
「てかやっぱトラップかよ!」  
「というわけで、今からちょっと付き合ってください」  
「ふむ、華麗な流しっぷりだね、これは」  
 何とか誤魔化そうとしている彼に、少しだけ真面目な顔で、本気の言葉を伝えます。  
「今日が、命日なんです」  
 だから、ちょっとでいいから一緒にいて欲しいと、思うんです。  
 9の冗談を混ぜないと、1の本気が伝えられない。………悪い癖だと分かってはいるんですけどねえ。  
 
「………そうか」  
 溜息をつきながら立ち上がり、帰り支度を始める会長。  
 伝わらなかったんでしょうか? それとも伝わったけれど、ダメだったんでしょうか?  
 何故だか急に世界で一人ぼっちになったような気がして、少しだけ泣きそうになります。  
 会長は生徒会室のドアの所でそんなわたしを振り返り、言いました。  
「何をしているんだ、喜緑くん。誘ったのだから行き先くらいは決めているのだろう?」  
「………あ、はい、………はい!」  
 行き先を知らないと言いながらわたしをほっぽいて先に行く会長。  
 わたしは彼を追いかけながら、彼女の事を思います。  
 彼女のいた意味について、考えます。  
 結論は、いつも同じ。  
 すなわち、『そんな事を考える事自体が、意味のない事だ』、と。  
 それでも、です。  
 わたしが彼女の事を覚えているのなら、  
 あの日の夜、何もせずにただ自室から窓の外を眺めていた長門さんが、彼女の事を覚えているのなら、  
 それは、凄く素敵な事だと思うのです。  
 それだけで、そんな彼女の『さようなら』にも、意味があったと思うのです。  
 そう、わたしは、信じたいのです。  
 
 突き抜けるような青い空の下、わたしは『見守っていてくれるのだろうか?』などと非科学的な事を考えながらも、彼と並んで歩いていくのでした。  
 
 

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