真夜中に目覚めて、寝直そうにもなかなか寝付けないという経験はないだろうか。
俺の場合、可能であれば脳細胞から抹消したい記憶を植え付けられた日を思い出さざるを得なくなり、
その度に拳銃を捜そうとする衝動に駆られたりしたのだが、今ではそれも過去のことと思えるように
なってきた。触れられたくはないがな。
まあ、そんなデタラメな非日常に遭遇しなくても、眠れなくなることはあるものらしい。
そんなやくたいもないことを考えながら、見慣れた、というほどではないが俺の感覚としてそこそこ
記憶に残る天井をぼんやりと見つめていた。
布団の暖かさを全身に、それとは別の、無機物には絶対に生み出せないぬくもりを左腕を中心とした
半身に感じ、おまけに心地よいそよ風を横顔に浴びながら、意識を手放せる奴がいたらみてみたいね。
今何時なのかは枕元にある目覚まし時計をみればすぐにわかるのだが、少しでも身じろぎすればそよ風の
主を起こしてしまいそうで、かろうじて視界に入る穏やかであろう寝顔を観賞することすらままならない。
室内は真っ暗なので、おそらくまだ夜は長いのだろう。どうしたものかね。
さて、この状況で眠れる奴がどうこうといったが、この状況に気付く前俺は少しは眠っていたはず
である。何せ、この体勢をとった覚えはないからな。記憶にある就寝前の行動については、悪いが
黙秘権を行使させてもらう。下手に言葉にすると、自分を抑えきれなくなりそうなんでね。
……いかん、思い出したら懸念が現実になりかねん。何とかして気を紛らわさねば。
そこでふと、柄にもないことを考えてごまかすことを思いついた。
いつかの幽霊騒動の時には実のない思索は古泉に任せておけばいいと決めこんではみたが、高校入学を
機に始まった俺の巻き込まれ人生を見返してみれば、気になることはいくらでも出てくる。
今日は……そうだな、俺にとって最初の非日常について考えてみるか。
情報統合思念体。情報だけの生命体なんていわれてもいまだに何のことだかさっぱりだが、宇宙人と
いうわかりやすい例えのおかげで、連中曰く有機生命体の、おまけに掛け値なしの凡人の俺とは根本的に
別物な存在だということだけは理解できる。少なくとも親玉連中は、いけ好かない奴らだってのもだ。
進化したいのか何だかしらんが、「進化の可能性」であるところのハルヒを煽るためだけに俺を殺そう
とした時に味わった恐怖は、一生もののトラウマだ。あれは急進派の、さらにいえば朝倉の独断だった
らしいが、殺される側にすれば意見の出所はどうでもいい。第一、俺が死んだらハルヒが行動を起こす
ってのは、どこの桶屋の発想だ。頭のいい奴は考え方が常軌を逸しているという話があるが、当時の
俺は、あいつが立ち上げた目的不明の団体の一員である以上の価値なんてなかった。今だってそうだ。
いちクラスメイトが突然殺されたって、あのころのあいつにはせいぜい「不思議なこと」のひとつで
片づけられたに違いない。いや、日常の範囲内だろうな。死ぬんなら価値のある死に方をしたい、
なんて殊勝な考え方ができるほど俺は達観しちゃいないし、恨みはあっても恩のない奴らのために
命を懸けるなんてマジでごめんだ。
朝比奈さんのためだったら、少しは考えてみてもいいかもしれないけどさ。万一、あの方が俺の死を
心から願うなんてことになったら、それを知っただけでショック死しちまうかもな。
朝比奈さんで思い出したが、親玉共は時間も空間も超越しているとかいってたな。一万五千四百九十八回も
同じ夏休みを過ごしたときだっけ。俺には最後の一回以外に正確な記憶なんざありはしないわけだが、
連中はその間の出来事を自分が造り出した何とかインターフェースを通じて全部知ってるわけか。
おとといの晩飯が思い出せないとかそんなことには無縁なんだろうが、何か引っかかるんだよな。
夏休みの宿題のことは連中だって把握してたはずだし、俺でさえ思いついた突破口に気づけねえなんて、
本当にあの状況についてどうでもいいって意見だったのかね。それにしちゃ、変化のない状況には
否定的らしいし、はっきりしない奴らだぜ、全く。
記憶を過去にもっていくことができれば、赤点レーダーをかいくぐるには便利そうだけどさ。
まあ、未来のことがわかったって面白くないどころか変に気を遣う羽目になるばかりだし、未来を
知ろうとしてお説教を受けるのは一回で十分なんだけどな。
それにしても、あいつらにとっての「進化」ってなんなんだろうな。俺からすれば連中は完膚無きまでに
俺達地球に済む生き物よりハイスペックだ。変な空間に人を閉じこめやがったり、どう考えても物理を
無視したことを笑顔を浮かべながらやってのけたり、金縛りに遭わせたり……くそ、また背筋が凍る
ようなことを思い出しちまった。まあ、それでも全能ではないことは確かなんだよな。
あの気味の悪い吹雪の中の竜宮城に放り込まれたとき、少なくとも奴らは別口の宇宙存在とやらに
アドバンテージをとられていたはずだ。あの時、ハルヒと古泉の知恵がなかったら、完全にお手上げ
だった。俺には逆立ちしてもあの計算式の意味がわからなかっただろうからな。あの時は自分の無力さ
加減に本気でいらだったが、SOS団の絆の強さが感じられたのはうれしかったぜ。
しかし、あの時古泉が気付いた最後のヒント、妙に直球だったな。あれがコンピ研との勝負の時のように
俺に理解できるように教えてくれてたんだったら、どうにかフォローしてやりたかったな。
それにハルヒ曰く「悪夢」の世界にも奴らはろくに介入ができなかった。おまけに「失望している」と
まで感じたそうじゃないか。いい気味だ。何でもできるような気になって、そういう奴に限っていざ
不測の事態になったらなんにもできねえんだ。はなっから自分が駄目だと決めこむのも芸がないが、
出来の良さにあぐらをかいてる奴は、いつか足許をすくわれるのが相場なんだよ。
まあ、そういう連中の進化なんて、俺からすりゃくだらないもんなのかもしらんし、第一俺にすれば
生き物らしさを示すものを「エラー」だの「バグ」だの抜かす奴らだ、興味を持ちたくもない。
……あの時のようなことを考えてみやがれ、絶対に容赦しねえからな。
そうやってとりとめもなく考えているうちに、頭が痛くなってきやがった。つくづく自分の出来の悪さを
思い知らされるね。我ながら愚かなことをしていたもんだ。おかげで、落ち着かせるべきところは落ち着
いたが、気分がえらく悪くなってしまった。
右手を何の気なしに額にやる。別に熱くも冷たくもないんだが、少し気を晴らしてみたかったのさ。
それがいけなかったと気付いたのは、例によってやった後なんだが。
「…………」
すまん、起こしちまったか。
「…………」
俺以外なら出会った頃と同じ、俺にはとてもそうとは思えなくなった闇色の瞳が、寝起きというのが信じ
られないくらいはっきりと眼前の存在を映し込む。
「何だか眠れなくてな、くだらないことを考えてたら頭痛がしただけだ。」
その瞳に宿る「心配」の色に、理由もなく強い罪悪感が襲ってきた。こいつの心の平穏を守りたいのに、
それを乱すのが他ならぬ俺である場合、どうすれば償えるんだろうね。
おそらく文殊が3人寄ったって出せやしない答えを捜していると。
「…………」
身体に感じるぬくもりが変わった。ずっと左半身だけに感じていたものが、今は全身を包んでくれている。
ちょっと待ってくれ。今まで俺が意図的に目を逸らそうとしていたところに真正面から飛び込まれたら、
こっちとしては混乱するほかないわけなんだが。
「だいじょうぶ」
抑揚のない、平坦で記憶に残りにくい声が耳から全身に染み渡ってくる。飢餓感が刺激されて、自分の
原始的な欲求がさっきまでの俺をあざ笑うかのように膨れ上がるのを自覚する。全然だいじょうぶじゃ
ないんだが。睡眠時間はきちんと確保しないと、ただでさえ朝に弱い俺は寝坊確実だぞ。
「あなたが望むようにすればいい」
そういわれて抵抗できるほど、凡人の理性が強靱にできてるはずもなく。
俺はその言葉に従って、互いの距離をゼロにする行為を始めるんだ。
この先はひとつ、禁則事項ということで。