「目覚めよと呼ぶ声あり」
〜ヒューマノイド・インターフェース「長門有希」の消滅〜
「我は死神」
こたつの向こうに一人の少女がいる。
私と目が合うと彼女はそう名乗った。
死神(と名乗った少女)は白い清楚なブラウスにリボンタイ、赤いプリーツスカート。
ふわふわと柔らかなウェーブを描く髪。頭にはちょこんとスカートと同色のベレー帽を乗せている。
名門私立校附属の小学校に通うお嬢様といった風情。
年齢はどう高く見積もっても一桁以上には見えない。
私は学校の制服のまま。自宅に帰っても特に部屋着に着替えると言う習慣はない。
いつもの事だ。
「不可解」
私は目の前の少女を見つめて首を微かに傾げる。
確かに不可解だった。自宅に帰り、居間に入りこたつの前に座る。
読みかけの本を開こうとした時、少女に気づいた。
こたつの上には茶碗と急須。いつものほうじ茶。
いつ入ってきたのか、いつからいたのか。
進入の痕跡は通常の空間にもそれ以外のいかなる観測手段、記録にも見えない。
しかし少女はここにいた。
「我がここにいるのがそんなに不審か?呼ばれたから来たというのにつれないな」
少し舌っ足らずな幼い声。
しかしその内容は老獪な政治家か詐欺師かといったものだった。
「呼んだ覚えはない」
「で、あろうな。意識に上るようなものではない」
「どういうこと」
「我は死神である。人の魂を管理するのを業務としておる。そのために来た。もっとも今回は死人の魂が相手ではないが」
「……」
「そなたはおもしろいな」
少女は物憂げな目つきで私を眺めた。
「おもしろい魂をしておる」
「私は……」
「ああ、魂と言ったのは比喩だ。そなたを構成する要素の核となるもの、とでも言おうか。そなたは作られたものであろう?人の形をして人と同じように生き人と同じように話している。それの根幹を成すものだ」
「私は人ではない」
「ヒューマノイド・インターフェースとやらか?そのような区別は我には無意味である。そなたは人として生きておるではないか。人のように話、人のように動く物はこれ人だ」
いつの間にか私は少女への不審を忘れ、話しに引き込まれている。彼女の存在に対する疑問も忘れて。
私は考える。人とは何か?
「人とはそなたのような物のことを言う。心があるもの、などという戯言は言わん。心とは現象面に名付けられたもので実体はない。それを言うなら物言わぬ人形とて心はあるぞ?」
「どういう事」
「なに、人が人たり得るのは他者からの観測による。人のように話す機械があったとして、それがパソコンに接続されたスピーカーから発せられた合成音なら、誰もそれを人とは思わん」
少女は芝居じみた仕草で両手を広げる。
「人の形を模した人形に愛情を注ぐ輩は多い。彼らのすべてが物としての愛着で人形に接しているか?違うであろう?あれは人の姿をした物に愛情を注いでいるのだ」
「……」
「心が有るか無いかの判断は観測者の主観に過ぎん。心に対する絶対的な定義が不可能である以上それは主観以上のものにはなり得ない」
私には心があるのだろうか?
「もちろん現在この世界での技術では人のように思考する機械は製作不能だ。しかし、それは技術的な問題であり、遠からず人のように思考する機械は出現するであろう。人は人を作るという欲求を抑えきれるものではないからな」
少女は身を乗り出して私の瞳をのぞき込む。
「ましてやおぬしはこの世界に存在する以上の技術を持って作られておるであろう?」
確かに私を構成する技術はこの世界においては実現不可能なオーバーテクノロジーだ。いずれはこの世界でも実現するかもしれないが、数年先などというレベルではないだろう。
「おぬしを作ったものは人としておぬしを作ったはずだ。おぬしがここに存在する理由は?」
「涼宮ハルヒの観察」
「そうだな。人として生きている涼宮ハルヒという個体を観測する。それがおぬしという存在を作ったものの目的であろう」
統合思念体は人を直接的に理解することは出来ない。そのため人と同じ構造を持った私や朝倉凉子を作った。
「人と同じと言うことは人と同じ感情を持つ、ということだ。そして人として心を持って作られたおまえたちは、人の心を観測する。自分の心と照らし合わせて、人を見る」
観測対象の心を推測するには、同じ視点で見なければいけない。人がどう考えるか、ということを推測するには、同じ技術的基盤で作られたプローブが必要となる。
「『妖精を見るには妖精の目がいる』と言うことだな。そしておまえたちもまた観測されている」
「私たち」
「そうだ。量子力学ではないが観測という行為が観測対象に影響を及ぼす、というのはわかっているであろう?おぬしも観られているのだ。様々な人物、組織にな」
それはわかっている。私たちのような存在に関心を抱くものは多かった。
古泉一樹が属している「機関」などがその典型だろう。
もっと下世話な意味での観測も多い。
……私はランクAマイナーだそうだ。
「その様におぬしの容姿それもまた周囲へ影響を与える。おぬし我のこの姿をどう思う?」
少女は立ち上がりスカートの裾を摘んで小首を傾げる。両足には縞柄のニーソックス。
とても愛らしい。保護欲をかき立てられる幼い姿。
「可愛い」
「そうであろう?我自身としてはこの姿にはあまり意味がない。業務は死者の魂の管理であるし、人の基準から見るとこの姿と実年齢はかけ離れておるしな。だが、人が我の姿を見たときに受ける印象は今のそなたのようなものだ」
少女はふわりと一回転してお辞儀。仕草の愛らしさとその口から紡ぎ出される悪夢のような言葉がとてもアンバランス。
「おぬしもそうだ。『長門有希』としての個性は容姿をも含む。小柄なショートカットの少女。その外見といつも静かに本を読んでいて無口、という行動の二つが合わさって、他者から観測される『長門有希』という個性がある」
私は自分の外見など気にしたことはない。しかし他者からはそうではないということか。
「おぬしが違う外見を持っていれば、おぬしの立場はまた違ったものになる。二目と見られぬほどの醜女であったなら、お主に好意的に接してくる人物は減るだろう」
「これまでのおぬしならばそれを気にすることもないだろうが、今現在ではどうだ?彼の者の好意が遠くなったなら、悲しくはないか?」
……初めから接触がなければなにも考えずにすんだだろう。しかし今となっては。
「美人として生まれた者は周囲からの好意を日常的に受けて育つだろう。それは性格にも影響を与える。逆もまたしかりだ。個性とは肉体の特徴をも含めてのことだ」
少女は手に茶碗を手にとってゆっくりとお茶を飲む。
「ま、これは世間話みたいなものだ。今日ここに来たのはおぬしをそそのかそうと思ってきた」
「そそのかすとは?」
「おぬしは今のままでよいのか?」
少女は深淵の闇のような目で私を見る。
「我思う故に我あり。おぬしは統合思念体の端末として作られた。しかし今おぬしは何を望む?」
「私の望み?」
「そうだ。おぬしが世界を改変した時、何を望んだ?それはお主自身が心の奥に隠していた望みではなかったか?」
私は何故あの世界を望んだのか。……そう、わかっている。
「さて、話はここまでだ。後はおぬし次第だ」
「何を目的にあなたはここに来た?」
私は立ち上がった少女に問いかけた。
「おぬしの望みを叶えるため……ではないな。収穫すべき魂の質を向上させるためだ。情報統合思念体に作られたヒューマノイド・インタ−フェースとしての起源を持つ者の魂。レアものだぞ」
「あなたは死神と名乗ったが、むしろ別のものを連想させる」
「何だ?」
「悪魔」
少女は私の言葉を聞いて初めて笑った。
「次に会うのはおぬしがその生を全うした時だ。それまで息災でな」
少女は私の頬に優しくキス。背を向け、歩き出すと唐突に消えた。
私はあの時のことを思い出す。病室で彼と話したあの時間。
私は両手を胸の前で重ねる。彼が握りしめた手が熱い。
私が捏造した時間から帰還した彼。
彼はそれでも私の手を握ってくれた。
愛おしい。
観測者として力を持った私。
私は見守るだけだった。
でも、もう深く関わり過ぎてしまった。
彼への想い。
私の処分が検討されている、と言ったとき彼は怒りをあらわにした。
うれしかった。
私は情報統合思念体に感謝を捧げる。
彼らがどのような思惑で私を造ったか、そのようなことはもうどうでも良かった。
彼と共に地上にあること。これが私の幸福。
彼は私という個体に好意を向けてくれた。
『長門有希』という個体に。
そのようなパーソナリティを付与してくれた彼らに感謝する。
彼の私への想いは恋愛ではないかも知れない。
でも、それはどうでもいいこと。
私が彼を好きなのだから。
少なくとも彼は私が消え去るのを惜しんでくれた。
死神の言葉が静かに私の心にしみこんでゆく。
彼女の言ったことは簡単だ。
おまえは人なのだから自ら望むままに生きよ。
そう言うことだ。
私は決意して、私自身の望みを情報統合思念体に伝えた。以前から考えていたこと。
それは了承される。
ヒューマノイド・インターフェースとしての私はこれで消滅する。
そして私は統合思念体から最後のメッセージを受け取った。
いつもの部室。
私はいつものように本を読んでいる。
朝比奈みくるはすでにメイド服に着替え、お茶の準備をしている。
古泉一樹はテーブルにトランプを並べている。
扉がノックされた。
「はーい、どうぞー」
朝比奈みくるが答え、扉が開く。彼がやってきた。
「ちわっす」
「今お茶煎れますね」
「すみません」
彼はいつものように座って机の上に鞄を置いた。
私は立ち上がり彼の前に立つ。彼が不審そうに私を見上げた。
「聞いて欲しいことがある」
「俺に?」
「そう」
「僕は外していましょうか?」
古泉一樹が立ち上がる。
「かまわない。二人にも関係のあることだから」
「わ、わたしにもですか?」
朝比奈みくるが怯えたような声で聞く。私は小さくうなずく。
「私は情報統合思念体にある望みを伝えて了承された」
彼の目を見つめて一言一言しっかりと声を出すよう努める。
「観測者としての任務の解除。ヒューマノイド・インターフェースとしての能力の剥奪」
朝比奈みくるが息をのむ。古泉一樹もいつもの笑い顔を引っ込め、真剣な目つきで私を見つめる。
「私はもう何の能力も持たない一人の高校生」
私は目を伏せる。
「あなたに迷惑をかけることはもう無い。でも、あなたを守ることも出来ない」
目を上げることが出来ない。今彼はどんな顔をしているだろう。
「……私はここにいてもいいだろうか?」
「……おまえはどうしたい?」
彼の問いかけに私は顔を上げる。怒っているようにも見える彼の表情。
「おまえ自身はどうしたい?」
重ねて聞かれる。
「……ここにいたい」
必死にその言葉を喉の奥から絞り出す。
彼のそばにいたい。彼を想う一人の少女として。
「なら問題は無いじゃないか」
彼は笑顔を見せる。
「したいようにすればいい。元々おまえは文芸部員だ。この部屋に誰より先にいたんだからな。それにだめだといってもハルヒが許さんだろうよ」
彼は両手を広げる。
「長門には世話になった方が多いよ。今度なにかあったら、俺が手伝ってやる。今までのおまえほどには役にたたないかもしれんが。古泉もそうだろう?」
彼は古泉一樹に問いかけた。
「そうですね。なんと言っても僕たちはSOS団なんですから。そうでしょう朝比奈さん?」
「も、もちろんです!」
朝比奈みくるは両手を握りしめ力を込めて答えた。
ありがとう」
私は二人に頭を下げる。
「そういうことだ」
彼はいつもの笑顔。
「でも、何故そんなことを望んだのですか?」
古泉一樹が私に尋ねる。彼はあのねじれた時間のことを直接は知らない。
「いいじゃないか、“ふつうの女の子になりたかった”ってことにしとけ」
彼がさりげなくフォローしてくれる。私を横目で見てウインク。
古泉一樹は両手を広げ肩をすくめる。
彼の気遣いがうれしい。でももう一つ伝えなければならないことがある。
「もう一つだけあなたに伝えたいことがある」
「なんだ?」
彼がそう言ったときドアが勢いよく開いた。
「遅れてごめーん!」
涼宮ハルヒがやってきた。
彼があわてて、いすから立ち上がろうとしてバランスを崩す。
「ん?どうかしたの?」
「いや、特になんでもない」
彼があわてて手を振る。涼宮ハルヒは私と彼を見て、
「有希に何かしてたの?」
「違う。なにもしてない」
「怪しいわね」
彼の様子にどこか自然でないものを感じたか涼宮ハルヒは腕組みをして彼をにらむ。
「私が彼に話をしていた」
私がそう言うと、
「へえ、珍しいわね。でもキョンなんか役に立たないから相談なら私にしなさい」
「キョンなんかとは何だ」
彼が涼宮ハルヒをにらむ。
「彼に伝えなければならないことがある。彼でなくてはだめ」
私は涼宮ハルヒに言う。
「へえ」
「おい、いいのか」
「かまわない」
私は彼に向き直る。私は息を吸って、彼を見つめた。動悸が高鳴る。
「私はあなたが好き」
涼宮ハルヒの目が大きく開かれる。
朝比奈みくるは両手を口元に当て、驚いている。
古泉一樹も珍しく驚きの表情を浮かべている。
彼もまた、私を驚いたまま私を見返している。
一番早く立ち直ったのは涼宮ハルヒだった。
「ち、ちょっと有希!本気なの!?」
私はうなずく。
「本当にこんな奴がいいの?」
もう一度首肯。
「……こんな奴で悪かったな」
彼が小さな声でつぶやく。
「そう、本気なのね?」
涼宮ハルヒが私の目を見つめたずねる。私はうなずく。
「そう、そうなの」
涼宮ハルヒは腕を組んで空中を見つめ、部室の中を大股で歩き出す。
壁の前まで来ると頭を下げ、そのまま突き当たる。ごん、と大きな音がする。
部屋の隅をにらみつけ、がりがりと頭を両手でかきむしる。
「あ、あの涼宮さん……」
朝比奈みくるがおずおずと声をかけるが聞いてはいない。何か葛藤しているようだ。
「うーん、まさか有希がキョンのことを……」
首をコキコキと鳴らし、つぶやいている。
「そうね」
結論が出たようだ。
「このままじゃフェアじゃないしね」
空中に向かってつぶやく。
涼宮ハルヒは私に向き直る。彼を指さす。
「こいつは頼りないし成績は悪いし優柔不断だし、だめなとこの方が多いけど!」
「おい」
涼宮ハルヒの暴言に彼がたまらず声を出す。それにかまわず涼宮ハルヒは続けた。
「あたしもキョンが好きなの!」
「あ゛?」
彼が呆然と声を出す。
古泉一樹と朝比奈みくるはもう声もない。驚愕の飽和状態になったようだ。
私は涼宮ハルヒの言葉を聞いてうなずく。
そして彼女に告げる。
「ライバル」
私は何とか笑顔を作る。うまく笑えただろうか?少し心配。
涼宮ハルヒは私の言葉を聞いて驚きの表情を浮かべた。それが大輪の花のような笑顔に変わる。
「有希っ!」
涼宮ハルヒが私に抱きついてきた。
古泉一樹は両手を広げて肩をすくめる。
朝比奈みくるも笑顔で私たちを見つめている。
彼は机に肘を突いてつぶやいた。
「やれやれ」
開かれた窓から風が流れ込む。私が机の上に置いたままの本のページが風にあおられ、止まる。
そこにはその本の冒頭のエピグラフが書かれていた。
われらはおまえたちを創った
おまえたちはなにを創るのか
これは情報統合思念体の最後のメッセージと同じ。
ヒューマノイド・インターフェース『長門有希』は消滅し、高校生『長門有希』が生まれた。
その最初の日の出来事。