Prologue.  
 
 
Question. もし世界が滅びるとしたら、最後の日、あなたはどうしますか?  
 
 
Answer.1  
 
「あたしが滅ぼすの?」  
 ………なんでやねん。  
「あたし以外の存在が世界をどうこうするなんて、許される事じゃないでしょう! お分かり?」  
 ああ、初っ端から聞く相手を間違えたなって事はマントル層並みの深さまで理解したよ。  
「いちいちうっさいわね。………まあでも、そうね。あえて答えるとすればよ、………」  
 
 
Answer.2  
 
「おう、そうだな。まずナンパするだろ」  
 いきなりアタマワイテルな返答だがまあいい。で、次は?  
「次に、………ナンパするんだ」  
 何となくオチが読めてきたが一応聞いておく。最後は?  
「ふっふっふ、聞いて驚け皆の衆」  
 俺しかいないぞ。  
「様式美だ、聞き流せ。で、最後だが」  
 ナンパだろ。  
「………」  
 そんな腹心の部下に刺されたどこぞのおえらいさんin古代帝国のような目で俺を見るな。  
「くそっ、もういい。こうなったら真面目に答えてやるからな」  
 ………いや、最初からそうしろよ。  
「えーと、俺はだな。………」  
 
 
Answer.3  
 
「なるほど、『世界から執事という職業がなくなったらどうするか?』ですか」  
 問題自体を変えてしまうとはなかなか斬新な答えですね。  
「ようするに、私が新世界の執事となればいいのですな!」  
 ………聞けよ。  
「まあ、冗談はこのくらいにして」  
 冗談だったんですか?  
「………7割ほどは」  
 本気の比率、高いですね。  
「さて、『もし世界が滅びるとしたら、あなたはどうしますか?』という事ですが」  
 唐突に復帰しましたね。  
「ようするに、私が新世界の執事となればいいのですな!」  
 あ、どっちにしろ一緒なんだ。  
「まあ、冗談はこのくらいにして」  
 そこも一緒なんだ、うわーい。  
「ちなみに1割方冗談ですので」  
 比率おかしいですよ。もう深くは突っ込みませんけどね。  
「ま、それはまた別の機会にゆっくりお話させてもらうという事で。私の答えは、ですね………」  
 
 
Answer.4  
 
「にょろにょろにょろりのにょろりろり」  
 既に地球の言葉を軽く超越していますね、早く人間に戻る事をお勧めしますよ。  
「んー、失礼だねっ! ちょろっと驚いただけだよっ!」  
 あ、さっきのって驚きの言葉だったんですか?  
「だってなんかさっ、すげー当たり前の事聞くもんだからさっ!」  
 疑問に感じたのはそこじゃないんですが………、まあ俺が聞きたいのはそっち方向の話なんで続けてくださいな。  
「うん、これはもう、おねーさんの中じゃあ一億二千万年前から決まってる事だかんねっ!」  
 へー、すごいですね。  
「にょろっ、ボケ殺しかいっ!」  
 真面目殺しよりはマシだと思いますよ。  
「あっはははっ、そりゃそーだねっ!」  
 んで、あなたの答えは?  
「ん、そーだね。あたしの答えは………」  
 
 
Answer.5  
 
「あの、一応僕達はそうならないように日々頑張っているつもりなのですが」  
 たとえばの話だよ。軽く答えりゃいいんだ。  
「と、言われましても、そんな事は今まで考えた事がなかったですしね」  
 いいんだよ、適当で。  
「結構、大事な話だと思うんですけど」  
 ああ、だからな、大事な内容であればあるほど脊髄反射の方がいい答えになるもんなんだよ。  
「………経験論ですか?」  
 ま、そんなもんだ。  
「告白の言葉、とか」  
 ………黙秘する。  
「もしかして、これからのプロポーズの言葉とかですかね」  
 知らねーよ。  
「ふふふ、軽く答えればいいんですよ」  
 ………短い付き合いだったな。  
「冗談ですよ。一足早いクリスマスプレゼントのようなものです」  
 お前のそれはどちらかというと不幸の手紙に近いと思うぞ。  
 ………てか、どちらにせよお前からの贈り物なんていらんから、とっとと質問に答えろ。  
「ははは、そうですね。僕の答えは………」  
 
 
Answer.6  
 
「ふえー、スケールの大きな話ですねー」  
 や、感動するポイントずれてますよ、多分。  
「でも大丈夫です!」  
 ………何がですか?  
「最後はきっと愛の力で!」  
 どうにもなりません。滅びます。  
「正義は!」  
 負けました。  
「あたし達の夢は!」  
 泡となりて潰えます。  
「………いぢわる」  
 いや、滅びないと質問自体成り立たないじゃないですか。  
「ええっと、質問って何でしたっけ?」  
 ………鈍器のようなもので頭を強打すると思い出すかもしれませんよ、ええ。  
「ふにゃあ、こんなところに惨劇フラグがっ!」  
 おや、俺の手に都合よく『鈍器のような棍棒』が握られていますよ。  
「ふえええー、それ完璧鈍器じゃないですかー! あ、待って、待って! ちゃんと真面目に答えるからー!」  
 ええ、5秒以内に答えないと愛と正義と夢を乗せたこの『棍棒のような鈍器』が唸りを上げることになるでしょうね。  
「鈍器確定っ! ちょ、振り上げちゃダメー! えっと、あの、あの、あたしはー、………」  
 
 
Answer.7  
 
「………」  
 ………  
「………」  
 ………  
「………」  
 ………  
「………どう、すれば、いい?」  
 三点リーダの数だけ分を費やして、結局答えは出ないのかよ。場所によっちゃあ絶賛放送事故中だぞ、おい。  
「あなたは、消えるの?」  
 自分が飛べない事に気付いたペンギンのような目で俺を見るんじゃない。  
「………」ぎゅっ  
 コアラの赤ん坊が親にしがみつくように俺に抱きつくんじゃない。  
「わたしに………、答え、を」  
 ………それは、お前が考えて決めるものだ。誰かに決めてもらうものじゃない。  
「………そう」  
 まあ、決まるまでの間、胸や背中くらいだったら貸してやる事もやぶさかではないけどな。  
「なら、決めた」  
 おお、速いな。マイボディーの必要されなさにある意味ショックだよ、俺は。  
「もう十分、借りているから」  
 そうか  
「そう」  
 そか、じゃ、改めて聞くぞ。『もし世界が滅びるとしたら、最後の日、あなたはどうしますか?』  
「わたしは………」  
 
 
 ///  
 
 
「何をしているんですか?」  
「ん、ああ、お前のいつも通りの思いつき行動にいつも通りに振り回されているところだよ」  
 『ハンマー投げのハンマーみたいにな』と、文句ですらない言葉遊び。一体全体どの方向に投擲されるのかね、俺達は?  
「投擲して欲しいんですか?」  
「俺がいなくなってもいいんならな」  
「うふふ、どの方向に投擲しても、地球を一周してわたしのところに帰ってきていただけますよね、あなたなら」  
 微妙に否定できない自分に対して肩をすくめつつ、ついでにちょっと休憩をいれようとさっきまで続けていた作業を一区切りしてパソコンから目を離す。  
「あら、機関紙の原稿ですか?」  
 ま、途中までだけどな。  
「見せてもらってもいいですか?」  
 江美里の言葉はどうやら質問という形の宣言だったらしく、俺のパソコンは答えを待たずに奪い取られる羽目になった。  
 まあ、俺の意見が聞かれないのはいつもの事だし、書いた内容も私小説とかではなくアンケートもどきでお茶を濁した感じのよく分からない何かだ。見られたところで困るようなものじゃない。  
 一応、具体的な人名は出していないし、個人情報保護もばっちりだしな。訴えられても負ける事はないぞ。  
 その前に俺の命が危なくなるのだろうが、まあそれはいつもの事だ。………あれ? いや、いいか、うん。  
 
「あ、そういや、お前にはまだ聞いてなかったよな」  
 深く考えると歴史的大敗を喫してしまいそうだったので、話題という名の戦場を強引に変更する事にする。  
「そうですね」  
「で、どうだ?」  
 江美里が珍しく素直に反応してくれているうちに畳み掛けるように質問する。こういうのは勢いが大事だ。鉄は熱いうちに打て、何ができるかは知らんし、責任も持てんがな。  
「世界が終わるとしたら、ですか?」  
「ああ」  
 江美里は少しだけ考えたあと、とっておきのイタズラを思いついた悪ガキのような瞳を俺に向け、みんなと同じ答えを返してきた。  
 
「最後の日、最後の瞬間は、好きな人と一緒に居たいですね」  
 
 本当に軽い口調で放たれた、子猫のじゃれあいくらいの言葉遊び。  
 だから、いつもの俺なら猫じゃらしを振る程度の気安さで茶化したり誤魔化したりギャグにしたりしていたのだろうけれど、  
「そうだな」  
 江美里があまりにも無邪気に、真摯に見つめてくるものだから、結局俺はこんな呼吸のついでに言い終わるようなシンプルな答えしか返す事が出来なかった。  
 でもまあ、本当にそう思っている事は神様にだって誓えるわけだし、別にいいか。………神様を信じているわけじゃないけどな。  
 十一月の末、冬が始まる前のある日の放課後、窓の外にはいつまでも変わらずに続いていくであろう、どこまでも抜けていくように青い空が広がっていた。  
 
「あの、少し、聞いてもいいですか?」  
 部室内に目を戻すと、江美里が手袋を投げつける直前の貴族のような真剣な目でこっちを見ている。  
 続いていけない、抜けられない俺を貫き通すサーベルのような、そんな真摯な瞳で見つめている。  
「おう、いいぞ」  
 だから、俺に出来る事といえばできるだけ真面目にこいつの質問に答える事だけなのだろう。  
「とても大事な事なんです」  
「ああ、分かるよ。………何となくだけど」  
 『そう』と今にも消えてしまいそうなか細い声で呟く彼女。その唇が砂漠の蜃気楼のように儚げに動く。  
「では、長門さんに抱きつかれた感想を一言で」  
「ひゃっほほーいっ! ………って、シリアス展開はいずこへと?」  
「うふふふふ、今からたっぷりありますよ。サスペンス系ですけれど」  
 付き合いだしてから一番いい灼熱の太陽のような笑顔だな。おお、熱さをビシバシ感じるってのに凍りついたように動かないマイボディー、………こりゃ死んだな、うん。  
 ………無駄かもしれんが、一応言い訳の一つくらいはしておくとするか。  
「待て、とりあえず落ち着いて話をしよう」  
「ええ、わたしは落ち着きながら、女なら誰でもよさそうな駄目人間に神の裁きを下そうとしているだけですよ」  
 信仰心ゼロのくせに神がどうとか言っている時点で落ち着きなんてないと思うのだが、それをつついたら蛇がにょろろんナントカ君だろうしな。別方向から攻める、というか逃走をはかるとしよう。  
「失礼な事を言うな! 俺は女なら誰でもいいわけじゃない! 嬉しかったのは相手が長門だったからで………。うおっ! 墓穴った!」  
 周囲の体感温度は既に氷点下から絶対零度に突入中である。多少強引にでも話を逸らさないと俺の命にギロチン並みのスピードで緞帳が下ろされる事になるだろう、泣きたい。  
 もう熱かろうが寒かろうがどちらにせよ常人では生きていけない温度の笑顔を浮かべている江美里に向けて、なんとか火傷とか凍傷程度ですまないかと一縷の希望を抱きつつ、精一杯の心(というか生存本能)を込めて言う。  
「よし、江美里。エッチな事をしよう! ………痛い痛い痛い! 人間の関節はそんなアクロバティックにできていないぞー!」  
「うふふ、全身の関節を外した後でもう一度入れなおしてあげますね」  
「助けてくれー!」  
 
 関節技を決められている手の痛みのため冬空を突き抜けるような悲鳴を上げつつも、触れている部分の暖かさに冬を忘れるような安堵感を感じ、いろんな意味で泣きそうになる俺。  
 
 
 
 ―――そこで、目が覚めた。   
 
 
 
―――――――――――――――――――  
喜緑江美里の消失〜the disappear of fake star〜  
―――――――――――――――――――  
 
 
   
1.  
 
 自分の家、自分の部屋、自分のベッドの上で目を開ける。  
 目を閉じて、今まで見ていた夢を『悪くなかったな』と反芻し、また目を開ける。  
 時間を確認したあとで、起き上がり、畳んであった制服に着替える。  
 洗面台で顔を洗い、ちょっとだけついている寝癖を濡れタオルで直す。  
 朝ごはんを親と、最近の閣僚の迷言集や学校でのバカな出来事など、そんなどうでもいい話をしながら食べる。  
 今まで何千回と繰り返してきたはずである、そんないつもの朝の風景。  
 それを今日もまた繰り返し、そして、『いってきます』『いってらっしゃい』と、何の変哲もない言葉を交わして家を出た。  
 門を出て、10メートルほど歩いた所で振り返る。  
 自分の家を、今まで暮らしてきた場所を、振り返る。  
 
 今日は、この世界が終わる日。  
 だから多分、もうここに帰ってくる事は、ない。  
 
 生まれてくる感傷を肉声になる前に奥歯でかみ殺しながら頭を下げ、伝えるべき事を伝わっていたらいいなと願いながら、心の中で呟いた。  
 
『ありがとうございました』  
 
 ///  
 
 『この世界が長持ちするものではない』という俺達にとってバッドエンドまっしぐらな状況は、考えてみれば地動説のごとく当たり前の事であった。  
 好きな相手と二人だけの世界。  
 言葉だけ捉えると綺麗なもの、永遠の輝きって感じなのだろうが、そんなの現実的に見てみれば他人の意見を受け付けないまま造られた歪な建造物のようなものだ。  
 自分に都合のいいものだけをくっつけたその建物は、バランスが悪いからすぐに倒れて、そしてバラバラに砕け散るのだ。  
 そして砕け散ったそれらは別の大きな世界に飲み込まれて消えるらしい。  
 かくして天動説は否定され、地動説に一本化されるというわけだな。  
 『完全に消えるわけではない。元の世界と融合するという事』、そう長門は言っていた。  
 続いていくから希望を持てと、そういう事なのだろう、多分。  
 『中途半端な希望』は『絶望』でしかないという人もいるだろうが、それでも俺達はその『中途半端な希望』ってやつにすがって生きていくしかないんだ。  
 だって、『完璧な希望』とかいうやつはもう『神様』だろうが開けないであろうパンドラの箱の中にしかないのだから。  
(………『神様』、か)  
 俺は目的地に向かって歩きながら、『神様』を敵に回すと決めたあの日の事をぼんやりと思い出していた。  
 それは、長門の口から世界がもうすぐ終わるってのを初めて聞かされた日の事だった。  
 
 ///  
 
「でも、どうしてでしょうか? 世界が消えちゃうっていうのに、あたし全然慌てていないんですよ。いえ、それどころか『まあ仕方ないかなー』みたいな感じで、むしろ気持ちは凄く落ち着いているんです。………これって、おかしいのかなあ?」  
「それは自壊プログラムのせい。世界の消失を防ぐ事に繋がる情報は最優先で破壊されている。そもそも有機生命体の情報処理能力では、何らかの補助がない限りは『消失する』という事実すら認識できない」  
「………ええっと、長門さん、それって日本語ですか? ああっ、ごめんなさい。視線が痛いですー」  
「まあ、これは僕の解釈なんですけど、世界の外から無理矢理つぶされるというわけではなく、内側から徐々に無理なく崩壊していく、ネクローシスではなくアポトーシスだという事ではないでしょうか。どうですか、長門さん?」  
「その解釈でいい。概ね間違ってはいない」  
「えーと? わ、分かってますですよ! 『ねくろーしす』って何かの暗号なんですよね! ………のー、痛みをこめた視線が倍にー!」  
 ちょっと離れた場所にいる三人が繰り広げるいつも通りの馬鹿会話を聞きながら、俺は江美里の方を見た。  
 
 別に俺だって消えたいわけじゃないけれど、それがどうしてもイヤだとは思えない。世界が消えると聞かされても、わいてくるのは何というか、夢から覚めるような、そんな感覚に近い。  
 それが神様とやらの優しさなのかね、知らないけれど。  
 とにかく、だ。どうやら世界の消滅に対し俺達が思えるのは、そんなぼんやりとした喪失感のみのようだ。  
 だから、泣く理由なんかどこにもない。………ないはず、………なのに。  
「ひっく、えぐ、うわあ」  
 だってのに、何でこいつは泣いているんだ?  
「何で泣いてるんだよ?」  
 泣き止ませるために、とりあえず話しかける。  
「だって、だって」  
 こいつの涙を止めるのは、いつだって俺の役目だ。  
 あの三人もそう思っているから俺達を二人きりにしてくれているのだろうし、なにより俺がそれを願っているのだから。  
 彼女のために生まれ、彼女のために生きる。  
 いろいろあったけど、結局そう決めたから、俺自身の意思でそう決めたから。  
 だから、江美里を泣き止ませるのはいつだって俺の役目なのだ。  
「ほら、飴ちゃんやるから泣き止めって」  
 とりあえず、古典的な泣き止ませの手段を使ってみる。  
「持ってるんですか」  
「いや、言ってみただけ」  
「うええ」  
 おお、逆効果。そういや古典の成績悪いんだよな、俺。………関係ないか。  
 さてと、じゃあ今度はこれをすると俺なら一発で泣き止むという方法を、と。  
「よし、エッチな事をしよう」  
「うう、ばかー!」  
 ぺち、と力のない拳で殴られる。むう、いつもなら意識どころか魂をトばされそうなほどの打撃を喰らわせてくるってのに、らしくないな、おい。  
「消えるのは、イヤか?」  
 びっくりするほど少ない万策があっさりと尽きてしまったので、とりあえず泣いている原因をはっきりさせようと、髪の感触を覚えてしまったほど撫で慣れた頭を撫でながらそう聞く。  
 ぶんぶんとイヤイヤする子供のように首を振りながら彼女は答えた。  
「自分が消えるのはイヤじゃないんです。続いていく事が分かっていますし」  
 『でも』、と一旦区切りを入れた後で、俺を見据えて、彼女は言った。  
「あなたは、この世界のオリジナルであるあなたは、どこにも続かないじゃないですか!」  
 『続かないあなたを忘れてしまう自分がイヤだ』と、さめざめと泣く彼女を、あやすように抱きしめる事しか出来ない俺。  
 ああ、ようするに、だ。  
 彼女はこんな俺なんかのために泣いてくれているんだ。  
 なあ、どっかにいてる神様さんよ。これがあんたの優しさなのかい?  
 世界が消える事への拒否感は奪っても誰かと別れる事への悲しさを奪わないのが、あんたの優しさだっていうのかい?  
 だったら、こいつを泣かせるあんたは、あんたはまごう事無く俺の………、敵だ。  
 
 ///  
 
 ピタッと足が止まったので顔を上げてみると、ここ数日で瞼を閉じれば浮かんでくるほど鮮明に覚えてしまった病院の門が、俺の目の前にあった。  
 どうやら情報密度のわりにはどうでもいい回想のせいで、もともと処理能力の低いマイ脳みそは機能不全一歩手前状態に陥っていたらしいな。  
 既に道順を記憶している体のおかげでなんとか目的地である、『神様』がいるこの病院にたどり着く事が出来たってわけか。  
 
(よし、行くか)  
 
 消えるのは、かまわない。  
 でも、その前に、『神様』に言わなきゃならない事があるんだ。  
 それは多分、この世界と共に消える俺の仕事だろうからな。  
 俺は『神様』がいる病室の辺りを仇敵を見る戦国武将のような目で睨みつけながら、冬将軍に負けないよう胸を張りつつ、病院の門をくぐった。  
 
 
 
2.  
 
 『機関』の息がかかっているせいかどうかは知らないが、関係者に見咎められる事もなくすんなりとビップ専用の病棟に入り、そこにある知り合いの少年が入院している部屋の扉を開けた。  
「よう」  
「うん」  
 目覚めない少年の傍らに寄り添う少女と、バーコードで読み取っていく方が手間がかかるような、本当に互いの存在を確認するだけでしかない最低限の挨拶を交わす。  
「目覚めてくれないの」  
 そうだな。  
「………独りは、イヤだよ」  
「あっちの世界のお前もそう思ったんじゃないのか?」  
 向こうの世界で何があったのかは分からない。  
 どうやら向こうの世界はこの世界より上位に存在するらしく、江美里達をもってしても、干渉はおろか観測する事さえ出来ないのだ。  
 だから、あっちの世界のお前が何を思ったかなんて俺には予想する事しか出来ない。  
 でも、多分だけど、そう思ったから、俺達の世界の、自分の願いの歪さに気付いたから、だから、この世界は消えるんだろうよ。  
「何それ? 意味が分からないわよ」  
 
「古泉一樹、朝比奈みくる、長門有希」  
 
 胡散臭さがっているのを微塵も隠そうとしていない、いぶかしげに細められていた目が俺のその言葉を、三人の名前を聞いたとたん見開かれる。  
「それ、知ってる。野球の試合じゃなくて、もっと、もっと………」  
「ああ、ちゃんと覚えとけよ。お前が俺から奪っていく奴らの名前だからな」  
 俺の台詞の途中で、目の前にいる少年と少女の体がいつかの夏の夜に見た蛍のように、ぼんやりと淡く光りだした。  
 
 ///  
 
「え、ちょっとこれ何? どうなってるのよ?」  
 全身で驚愕を表現しながら俺にそう聞いてくる彼女。まあ、いきなり自分の体が光りだしたんだから無理はない反応なのだろうけど。  
「元に戻るだけだ」  
 これまでの経過説明なんてしている時間もなかったので、これからの結果のみを端的に答えた俺に、彼女が何かを言い返そうとする。  
 その前にもう一度だけ言葉を、名前をかぶせた。  
「古泉一樹、朝比奈みくる、長門有希」  
「あ、………そ………れ、」  
「お前が望んでいる奴らの名前だよ」  
「古泉一樹? 朝比奈みくる? 長門有希?」  
「そうだ。俺から奪っていけ!」  
 連れて行ってくれ、お前の世界へ。  
「俺が、俺だけが、お前の敵だ!」  
 彼女達の、優しさを、温もりを、この世界から続けさせてくれ。  
「古泉一樹、朝比奈みくる、長門有希?」  
 まだ、弱い。そんなんじゃ駄目だ。  
「望んでいるんだろ! 叫べよ!」  
「古泉一樹、朝比奈みくる、長門有希」  
 その程度の望みじゃ足りない。全然、足りない。  
「もっと強く!」  
「古泉一樹、朝比奈みくる、長門有希!」  
 お前が望めば望むほど、あっちの世界に与える影響は大きくなるんだからな。  
 この世界が存在していたっていう証は、強くなるんだからな。  
 
「その程度かっ! 奪い返すぞ! 涼宮ハルヒ!」  
 
「古泉一樹! 朝比奈みくる! 長門有希! ………古泉くん! みくるちゃん! 有希ー!」  
 
 世界を超えて届くような彼女の叫びと共に、ビックバンが起きたかと勘違いさせるようなほどの光が、俺の目の前で炸裂した。  
 『光りあれ』と、そう『神様』は告げたのだ。世界の終わりになって、やっと。  
 
 ///  
 
 光の中で、その中心と思われる憑き物が落ちたような表情をした少女と、この世界の『神様』と向き合う。  
「えっと………」  
「謝るなよ」  
 彼女が発しようとした『ご』から始まる言葉を、その一言で飲み込ませる。  
「でも、あたしが、あたしのせいで」  
「細胞一つが壊れたくらいで涙を流していたら、生きていけないだろ、人間って」  
 おそらく彼女本体にとっては、この世界が消えるってのはそれくらいの事なのだ。  
 そんなものを一つ一つ拾っていくなんてどう考えても不可能だろう。  
 
「だから、悲しむな。だけど、自覚しろ」  
 
 別にお前だけに限った話じゃない。誰だって、何だって、存在しているというだけでこれくらいの犠牲は付き物だと自覚しろ。  
 そうしたら、お前も少しだけちゃんと生きていけるんじゃないか。  
 自分の事だけじゃなく、周りのやつらに少しだけ、優しくできるんじゃないか。  
「てか、お前の周りにいるのはお前が俺から奪っていくやつらなんだからな。優しくしないと怒るぞ、マジで」  
 そんな俺の冗談交じりだけど、それでも確かに本気な言葉に対して、彼女はこの半年間で初めて見るような優しい表情でこう答えた。  
「うん、分かった。………ありがと」  
「おお、まさかお礼を言う機能が付いていたとわらびゅあっ!」  
「ぶん殴るわよ」  
 だから、殴ってから言うなって。  
「あんたはどうするの?」  
「お前は俺を選んだわけじゃないだろう?」  
「そうね。………っと、そろそろ時間かしら」  
 今にも光の中に消えていきそうな、そんな状態の彼女はこちらに向けて手を差し出しながら、一生涯消えそうにない笑顔でこう言った。  
 
「じゃあね、『fake star』、あたしの敵」  
 
 だから、俺もまた手を差し出して、できるだけの笑顔で手を差し出して、  
 
「じゃあな、『神様』、俺の敵」  
 
 ぱあん、と手と手を綺麗に打ち鳴らしつつ、光の中に消えていく彼女達を見送った。  
 
 ///  
 
 光が収まった後で、強すぎる光にやられた目が回復してから周囲を確認する。  
 どうやらあの光は病室の外にはもれなかったようで、特に病院内が騒がしくなっているという風には見えない。病室も光に包まれる前と寸分変わらない綺麗な状態である。  
 ただ、『神様』と『神様が選んだ少年』、その二人の姿だけがまるで神隠しにあったかのように消失していた。………いや、実際に神隠しにあったのだろうな、うん。  
「行きましたか?」  
「ああ」  
 その二人と入れ替わるかのように、いつの間にか俺の後ろに江美里が立っていた。………立っていてくれた。  
「ごめん、終わらせちまった」  
「いいんですよ。それが、あなたの望んだ事ならば」  
 振り返り様に抱きしめる。意味なんてない。必要ないだろ、そんなもん。  
「時間、あんまり残ってないですよ」  
「五分」  
「………五分で終わるんですか?」  
「終わってほしいのか?」  
 返答は、言葉ではなく行動で来た。  
 俺の体が強く抱きしめ返される。  
 
 温もりが嬉しくて、温かさが悲しかった。  
 
   
3.  
 
 温もりを忘れないよう記憶してから、RPGでいうとクリア済みの病院を出てラストダンジョンである学校へと向かう。  
 今日は部室でSOS団と愉快な仲間達による一足早いクリスマスパーティーが開かれる事になっているのだ。  
 しかし、この場合ラスボスは誰になるんだろうかね? 江美里か? 世界か? それとも俺自身か?   
 ………ま、どうでもいいけどな。どのみち全滅エンドは確定っぽいし。  
 
 ///  
 
 部室のドアを開けると開始20分前だってのに、もう既に俺達二人以外のSOS団と愉快な仲間達は、やる気のない運動部の試合前くらいの意気込みと共に勢ぞろいしていた。  
「お前等遅いぞ」  
「にょろー、おねーさん待ちくたびれたよっ」  
「………遅刻」  
 なんつーか、結局最後まで集合時間前に来たのに遅刻扱いされるんだな、俺。  
 でもまあ、長門にまで責められるって事は、こいつらが俺達をかなりの時間待ってたって事なんだろうしな、しゃーないか。  
 しかし、遅れた理由を説明しようにも『『神様』とやりあってました』なんて正直に言ったら世界の最後を病院で迎えてしまう事になりそうだし、………はてさてどうしたもんかね。  
 サリエリレベルの苦悩の境地に立たされている俺に、江美里がイブに林檎を勧める蛇のような笑みでこそっと話しかけてきた。  
「わたしが誤魔化しましょうか?」  
「ん、ああ、頼む」  
 『頼まれました』と言いながらみんなの方へと一歩足を進める江美里。何となくイヤな予感がするのは俺の気のせい、だといいなあ。  
 つーか、経験論から言わせてもらうとこのタイプのイヤな予感は的中する事が多いんだが、もう賽はうっかり投げてしまってるし、俺には見守る事しか出来ないのである、人生って厳しい。  
「遅れてしまってすみませんでした。ですがこれには意外と深いわけがあるのですよ」  
 ふむ、今のところ不都合はない。最初に詫びを入れるのがポイントだね。  
「実はですね、わたしが遅れたのは彼が幼稚園児の方向に目を血走らせながら特攻をかけようとしていたのを必死で止めていたからなんですよ」  
 おお、見事に不都合ありまくリングだ。全ての責任を俺に押し付けているのがポイントだね。  
「つーかお前、それ俺見事に犯罪者ですよね!」  
「近寄らないでください。通報しますよ」  
「フォローする気ゼロっ! あれ、つーかなんでそんなみんな俺から遠いのー」  
 みんなから飛んでくる視線が俺に冷たく突き刺さる。気分は冷たいコンクリートジャングル、木枯らし吹きすさぶ大都会である。………てか、何で信じるかなあ、もう。  
「駄目ですよ、皆さん。今日はクリスマスパーティーなんですから犯罪者の一人くらい温かな心で受け入れてあげないと」  
「………もう好きにしてください」  
 かくして、世界は最後まで俺を残して進んでいくのである。あ、ちょっと泣きそう。  
 
 ///  
 
 さて、クリスマスパーティーといえば聞こえはいいが、実際何をしているのかというと、実は適当に鍋をつつきながらだべっているだけだったりする。  
 ただ単に壁にかけられた俺の体にフィットしそうなトナカイの着ぐるみや、男専用と書かれたツイスターゲームから目を逸らしているだけなのかもしれんが。  
 
「そういやな、俺ついこないだ、彼女ができたんだよ」  
 鍋をつつきながら谷口がそんな夢物語をぶちかましてきた。  
「おお、そうなのか。で、それは現実に存在するのか?」  
「俺そこまで寂しい人じゃねえよっ! めっちゃリアルだよ! ………ただなあ、『あなたの頭をよくしたいの』とかいうから、少し高値の教材を買って、それから何故か連絡がつかないんだよなあ、何でだろう」  
「………あー、なんつーか、すまん。強く生きろ」  
 現実を知らない方が幸せだっていう典型例だよな、これ。  
「はっ、お前に言われなくても俺は強い、でっかい男になってやるさ。P・T・Gってな!」  
「………BIGだろ。豚になってどうするよ」  
「あ、わりい、聞こえなかった。何だって?」  
 『教材、本当に無駄になってるよなあ』と思いながらも、面倒くさくなったので適当に返す。  
「あーと、………ワンモアシャウト!」  
「Yeah,I am P・I・G!(よっしゃあ、俺は豚だあー!)」  
 『P・I・G! P・I・G!』と叫びながら踊りだした谷口から距離をとりつつ、ボソリと呟く。  
「本当、強く生きてくれよ、お前」  
 
「ふむ、飲み物はいかがですかな」  
 谷口から距離をとったところで新川さんがそう話しかけてきた。ちなみに飲み物というのはグラスに入ったワインなどではなくそこら辺のコンビニで買ってきたジュースの入った紙コップである。  
「強く思えば、1.5リットル三百円強のジュースでも一口数万円のワインに成り得る、という事ですな」  
 ………ふう、深いなあ、執事道は。  
「まあ、とりあえず、ありがとうございます。ところで、新川さんは食べないんですか?」  
 深みに嵌まると厄介なので適当に話題を変えた。  
「ふふふ、主人の目を盗んで空腹を満たすのも執事に必要なスキルですので」  
「なるほど、そうですか。ところでさっきから俺が狙っていた肉が、いつの間にかなくなっているんですけど………」  
「………深いですな、執事道は」  
 『それでは執事としての仕事が残っておりますので』とバレバレ極まりない言い訳を残して去っていく新川さん。  
 その背中に聞こえないくらいの声でそっと告げた。  
「ありがとうございました」  
 
「おおっとっ、それ以上近づいちゃお仕置きにょろよ、犯罪者くん!」  
 自分から近づいてきておいてそんな理不尽極まりない事を要求する鶴屋さん。  
「………泣いていいですか?」  
「ん、ダメだよっ!」  
 これまた理不尽に拒否られる。あなたは俺をどうしたいんですか?  
「うーん、それはあたしにもよく分っかんないだけどねっ! ただ、さ。キミは最期まで笑ってないとダメなんじゃないかなっ!」  
「あんな風にですか?」  
 言いながら、とうとう『P・I・G音頭』なるものを踊りだしたバカを指差す。  
「んー、あれはちょっち違うんじゃないっかなー? つーか、P・I・Gって、何?」  
「『Pink Iro Graffiti(子供の健全な成長によくない妄想)』の略です」  
 しれっと嘘をつく。だがまあ、大きく外れていないところが谷口の凄いところだよな、………真似したくはないが。  
「あっはははっ、あっちが犯罪者だったかっ! めでたいっ!」  
 何がめでたいのかは分からないのだが、そうやって大笑いする鶴屋さんを見てるとなんだか本当にめでたい気分になってくるから不思議だ。  
「………あなたも、笑っててくださいね」  
 そんな気分のまま、心からの言葉を彼女に告げた。  
 
 その後、男四人衆でツイスターゲームをする羽目になったり、トナカイの着ぐるみを着たままパラパラを踊らされたりと、ところどころ不幸な目にあいながらもクリスマスパーティーはおおむね楽しく終了した。  
 正規団員以外の三人はちょっと用事があるとかでここで席を外す事になった。  
 気を利かせてくれたのかそれとも本当に用事があったのかは分からない。  
 ただ分かる事はといえば、多分もう彼等と会う機会はないだろうって事だけだ。  
 こうやって少しずつ、俺とこの世界からみんなはいなくなっていくのだろうね。  
 
 ………楽しかったよ、さよなら。   
 
 
4.  
 
 不思議なもので、今日で世界が終わるというのに、特にいつもと違う事をする気はわいてこない。  
 それは他のみんなも同じだったらしく、パーティー会場になった部室を掃除した後で、俺達はいつもどおりの生産性ゼロ系活動に移行した。  
 長門が窓際で本を読み、  
 朝比奈さんがお茶を入れたりしながら、甲斐甲斐しくみんなの間を行ったり来たりし、  
 俺と古泉は何故かいつも俺が勝つ事になるボードゲームで時間を潰す。  
 そして、江美里はそんな俺達を微笑みながら眺めているのだ。  
 本当に、自然な笑顔で眺めているのだ。  
 
 だから多分、これは幸せな一時で、  
 でも過ぎ去ってしまうから、悲しい一時なのだ。  
 おそらくは、誰にとっても。  
 
 幸福な時間は最後まで穏やかなまま、その終わりを迎える。  
「では、僕もそろそろ」  
 五目並べで俺相手に五連敗したところで、古泉がそう言って席をたった。  
 
 
 ///  
 
 
 僕には、何もありませんでした。  
 いえ、べつに貧乏でものが買えなかったとか、そういう物理的なものではありません。  
 一応『機関』という場所に勤めているものですから、危険手当代わりに大抵のものは手に入れる事が出来ましたからね。  
 ただ、それでもやはり、僕には何もなかったんです。  
 どうしてそう考えるようになったのか、その理由は分かりません。いえまあ、『そう作られたからだ』と言われてしまうと反論のしようがないのですけれど。  
 とにかく、僕はそんな風に体は満たされても心が満たされないような、ただ生きて、ただ死ぬような、そんな人生を、暗闇での生活を送ってきたんです。  
 
 
 ただずっと、  
 僕はどこにも行けないままで、  
 何も見えない暗闇の中、  
 醜く蠢くイキモノでした。  
 
 
 でも、あの時、  
『で、朝倉が駄目ってのは別にいいんだが、お前他にアテはあるのかよ?』  
『うーん、そうですね。………とうっ、えみりんサンダー』  
 あなた達二人との出会いと喜緑さんからの一撃は、僕が存在していた暗闇の世界に文字通り光と衝撃をもたらしたんです。  
 ああ、そうですね。  
 もしかしたらあなた達と会って満たされるために、僕はずっと満たされていないと感じていたのかもしれません。  
 もしそうならば、『満たされていなかった僕は、幸運だった』と、そう言えるのかもしれませんね。  
 
 ///  
 
「最後くらい勝ってから行けよな」  
 僕にとっての光の一つである『彼』がそう言います。  
 僕も『できる事なら最期の瞬間まで『彼』とボードゲームをしたいな』とは思うのですが、まあそれは野暮というものでしょうね。  
「いやはや、こればかりはどうにも。それにおそらくですがこれが僕という奴なのでしょう」  
 言いながら『彼』を『彼女』に返却するために立ち去ろうとして、ドアの手前でふと、伝えたい事を思いつきました。  
 せっかくなので、それを伝えてから消える事にしましょう。  
 
 振り返り、彼等を、SOS団を、僕にとっての光達を記憶に焼き付けながら、言いました。  
「最初は、義務でした」  
 ただ『機関』の一員として必要だったから入団した、これは本当の事。  
 出会いに衝撃を受けたからといって『はいそうですか』と入団したわけじゃない。  
 んで入ったわけじゃない。  
 僕のその言葉を聞いてうつむく喜緑さん。『この世界をそういう風にしたのは自分だ』とでも思っているのでしょうね。  
 そんなあなただったから、僕は………、  
「僕は『機関』の意思でここに来ました。………でも」  
 余分な思考を振り払い、続く言葉が彼女にとって許しになればいいなと願う。  
 『許す』なんておこがましいかもしれないけれど、そう願いながら告げる。  
 
「今僕は、『自分』の意思でここにいます」  
 
 ありがとうございました、と一礼。そのついでに思春期っぽい煩悶や後悔を叩き落として、万年にやけ面の自称超能力少年こと僕、古泉一樹はSOS団と別れ、外の世界へと向かうのでした。  
 
 ///  
 
 しかし、格好つけて部室から出てきたのはいいのですけれど、これからどうするかとか何も決めてないんですよね。  
 うーん、新川さん達『機関』の仲間と過ごすのもいいですし、家族と共に過ごすというのも悪くはありませんねえ。  
 
 まあ、どちらを選んでも、選ばなくても、『悪くない』事には変わりないわけですし、  
 だから、とりあえずは、  
 適当に、自由に世界を闊歩しながら、ゆっくり決めるとしましょうか。  
 
 ///  
 
 いつの間にか、  
 世界は光に満ちていた。  
 
 それと共に、  
 醜く蠢くイキモノも消えた。  
 
 でも、それは僕自身だったから。  
 だから僕も、一緒に消えた。  
 
 だけどきっと、  
 だからきっと、  
 
 
 ―――僕はもう、どこへでもゆける。  
 
 
 
5.  
 
「それじゃ、あたしももう行きますね」  
 古泉が立ち去った後、俺達一人一人の目の前にお茶を置きながら、朝比奈さんはそんな別れを口にした。  
 
 目の前でゆらゆらと湯気を立ち上らせている、温かなお茶、温かな存在。  
 でもそれは、後10分もしない間に冷めてしまう不確かな存在で………。  
 立ち上っている湯気も、その頃にはもう、儚く消えてしまっているのだ。  
 
 
 ///  
 
 
 あの夏の日、合宿の夜、喜緑さんからこの世界の秘密を聞いた時、あたしは自分というものを見失いました。  
 
 この世界の秘密、すなわちここは別世界の『神様』が好きな人と二人きりになるために創ったユートピアであるという事。  
 そしてそれはこの世界が、長くても『神様』が寿命を迎えるまでしか持つことのない砂上の楼閣であり、未来なんて、『未来人』なんて存在しない世界であるという事。  
 その話を聞いた時からあたしと『未来』との繋がりはプツンと途絶えました。  
 まあ当然でしょうね。だって、『未来』なんて存在しないんですから。  
 あたしはただ自分を未来人と思い込んでいただけの少女、未来のない世界でそれでも哀れな『未来人役』を演じなければいけなかった道化師、ただそれだけの存在だったのですから。  
 そんなあたしを、鶴屋さんが居場所をつくってくれるまでこの世界に引き止めてくれたのは、  
 
『正直、どうでも良いんですよ』  
『え?』  
『あなたが、たとえ未来人だろうが宇宙人だろうが、その他の何者であろうが、俺にとって、それはどうでもいい事なんです。 俺は俺のまま、変わらずにいますし、まあついでに言いますと、あなたは俺の尊敬できる(?)先輩です。それで良いじゃないですか』  
 
 そんな、いつかの『彼』の何気ない言葉だったりするのだ。  
 彼はもう覚えていないだろうけど、あたしはその言葉が本当に嬉しかったのだ。  
 ただまあ、クエスチョンマーク付きだったのはいまだに引っかかってるんだけど。  
 ………あれ、、もしかしたらいまだにクエスチョンマーク付きなんじゃ?  
 というか、よく考えたら『彼』から尊敬の眼差しなんて向けられた事一回も無いですよ、あたし。………ううー。  
 よくない思考に陥りそうになったので、頭をブンブン振ってリセット。  
 ………よし、と。最後になってどうにも締まらないオチがつきそうだけど、でもまあこれもあたしって事ですよね、うん。  
 とりあえず、今はそんな小さな『引っかかり』よりももっと、伝えなきゃいけない、伝えたい思いがあります。  
 だからあたしは本当に宣言通りに変わらずにいてくれた『彼』に、あたしのそばにいてくれた大好きな人達にその思いを告げました。  
 
「ありがとう。大好きですよ」  
 
 唐突すぎる台詞だったけれど、喜緑さんも『彼』も、長門さんまでもがあたしの言葉に頷いてくれました。  
 思わず出そうになる涙を必死で堪えて、笑顔のまま別れの扉を開きます。  
「あ、そうです」  
 どこかへ、どこへだって続いているであろうドアを開け、体を外に出したところで少しだけ振り返って、あたしは言いました。  
 
「お茶のおいしい入れ方。この世界で覚えたから、飲んでみてくださいね」  
 
 あたしがこの世界に残した、最後の感謝を、どうか受け取ってください。  
 そう願いながら、わたしは楽園を後にしました。  
 
 ///  
 
 部室のドアを閉め階段を踊り場まで下りたところで、嘘みたいな量の涙があたしの目から零れ落ちてきました。  
 袖をびしょびしょにしてもまだおさまる気配の無い、深く大きな喪失感と悲しみを自覚し、その場に座り込んでしまうあたし。  
 そんな弱い、ちっぽけなあたしを『温もり』が包み込みました。  
 
「みくる、げっつ」  
 
 いつもより元気さは控え目で、でも控えた分の倍以上の優しさを込めた、彼女の声。  
 あたしが望んだ、あたしを選んでくれた、あたしの居場所である人の声。  
「大事な用事が、……ひぐっ、ありゅんじゃ、えぐっ、なかったんですかぁ、鶴屋さん」  
 嬉しさとか恥ずかしさとか申し訳なさとかでもう何が言いたいのか分からないあたしの言葉に、鶴屋さんは存在を許されなかったあたしの家族のような温もりを感じさせる声でこう答えました。  
 
「ん、今のみくるのそばにいる。これ以上に大事な用事ってのはあたしにはないっさ」  
 
(ああ、独りじゃないんだ)  
 そう感じ、今度は嬉しさのあまり涙が止まらなくなるあたしなのでした。   
 
 ///  
 
 存在すら許してもらえなかった未来の人達へ。  
 あたしの中では確かに存在していた優しい人達へ。  
 
 安心してください。  
 
 あたしはこの世界で、大切な人達を見つけましたよ。  
 
 
 ―――あたしは、幸福でしたよ。  
 
 
 
6.  
 
 なんとなく手持ち無沙汰になったので、朝比奈さんの残したお茶を口に含む。  
 お茶は少し冷めてはいたけれど、  
 湯気はもう、消えてしまっていたけれど、  
 それでもそれは、とても美味しかった。  
 
 そうこうしているうちに、窓際から『パタン』と本が閉じられる音が、注意しないと聞き逃しそうなくらいの微かな音がした。  
 
 そんな風にして、彼女は最期の音を立てたのだ。  
 
 
 ///  
 
 
「もし世界が滅びるとしたら、最後の日、あなたはどうしますか?」  
 その質問を『彼』から受けた時、わたしの情報処理機構は一時的に完全停止してしまった。有機生命体でいうところの『頭が真っ白になった』というやつである。  
 
 この世界が近い将来終わるという事は予測していた筈だった。  
 いや、予測していただけで、何の対策もしていなかったという表現が正しいか。  
 だから、『彼』から『終わり』の話をされただけで、こんなにエラーがたまるのだ。  
 エラーの内容は自己の存続を望むものはほとんどなく、他者との関係の継続を望むものばかりである。  
 特に、この世界に一人取り残されるであろう『彼』との………。  
 そこまで思考したところで、わたしはやっと、理解した、してしまった。  
「………」  
 そして、『彼』に抱きつきながら自覚する。  
 
 どうやらわたしは、  
 『長門有希』は、  
 『彼』の事を、他の誰よりも必要としているらしい。  
 
「わたしに………、答え、を」  
 あなたはわたしを必要としていますか、という思いを込めて告げる。作られた、道具らしからぬ行為。  
 そんなわたしの懇願に似た質問を、わたしにそれをさせた『彼』はばっさりと叩き切った。  
「………それは、お前が考えて決めるものだ。誰かに決めてもらうものじゃない」  
 多分これは一番最初の『世界が〜』という質問に対する反応だったのであろう。  
 でも、それだけで、理解できた。………『頭が冷えた』だけなのかもしれないけれど。  
「………そう」  
 結局のところ、彼が一番必要としているのはわたしではなく、喜緑江美里なのだと理解してしまった。  
 だから、わたしは、決めた。  
「まあ、決まるまでの間、胸や背中くらいだったら貸してやる事もやぶさかではないけどな」  
「なら、決めた」  
 そう言って、喜緑江美里に聞かれたら全身の関節を外されそうな事を平気で口にする『彼』から離れる。  
「おお、速いな。マイボディーの必要されなさにある意味ショックだよ、俺は」  
 ………そんな風に期待しそうになる台詞を言わないで欲しい。多分、それはあなたの優しさからくるものなのだろうけれど。  
「もう十分、借りているから」  
 期待を振り払うように、そう告げる。  
「そうか」  
「そう」  
 そして、借りたものは返さないといけないのだ  
「そか、じゃ、改めて聞くぞ。『もし世界が滅びるとしたら、あなたはどうしますか?』」  
「わたしは………」  
 だから、わたしは………、  
 
 ///    
 
「………」  
 そんな事象を記憶領域にて再生しながら帰り支度を始めたわたしに、『彼』がいつもと変わらない口調で話しかけてきた。  
「いいのか?」  
 それは多分、わたしを案じてかけてくれた優しい言葉。  
 今彼等と別れて、独りで終わりを迎える事になる、そんなわたしのための言葉。  
 それが嬉しくて、少し悲しい。  
「わたしは、かまわない」  
 でも、だから、わたしはこう言うのだ。  
「あなた達は二人きりでいるべき。………理由はない」  
 借りたものは返さないといけない。  
 だから、今がおそらく、返却の時なのだろう。  
 わたしが持っていいはずの全ての『彼』と共にある時間を、『彼女』に。  
 ………でも、その前に。  
 
「わたしにはまだ良く感情というものが理解できていない。だからわたしは、わたしが感じている、感じていた何かについて正確に説明する言葉を持たない。でも、聞いて欲しい」  
 最後にわたしの想いを伝える事を許可して欲しい。  
 それだけを、わたしは願う。  
「聞くさ。それがお前の望みなら、何時間だって、電波話だって聞いてやるよ」  
「ありがとう」  
 『彼』の許可は出たけれど、わたしは喜緑江美里の事も大事に思っているから、この想いを直接的に伝える事は出来ない、したくない。  
 だからわたしは『彼』だけをまっすぐに見ながらこう言った。  
 
「わたしは、あなた達が、大好きだった」  
 
 笑顔を浮かべようと努力しながら、そう言った。  
 わたしは笑えただろうか?  
 もし笑えたとするならば、それはとても素敵な事だと思う。  
 
 
 ///  
 
 
 二人を残して部室から出る。  
 まだ建物の中だから気温はほとんど変化がない。  
 だというのに、随分寒く感じられた。  
 一歩だけ進んでから振り返り、暖かかった方向を、部室の方向を、見る。  
 後悔はない。  
 あの二人がこの道を選んだというのならば、自分はそれに従うだけだ。  
 こんなわたしに温もりをくれた、そんな二人に従うだけだ。  
 これがわたしの選んだ道だ。  
 誰にも否定されない、わたしがさせない、わたしだけの、道だ。  
 だから、寒いけれども大丈夫。  
 暖かかったという、その事実だけでわたしは大丈夫。  
 
 そう自分に言い聞かせながら温もりから遠ざかろうとしたところで、  
「にょろっほー、有希っこゲッツ!」  
 わたしは別の温もりに包まれる事になった。  
 
 ///  
 
「ちょ、鶴屋さん、あまりの脈絡のなさに長門さんちょっと引いてますよ」  
 言いながら近寄ってくるもう一つの温もり。真っ赤な目をして、それでも笑っているこの世界の優しさ。  
「ん、ごめんよっ! でもね、こんな夜に独りだなんておてんとさんが許してもこの鶴屋おねーさんは許さないんだかんねっ!」  
「ああっ、なんだか鶴屋さんが珍しく連続してすごくいい事を言ってるような気がしますっ」  
「なはははっ、まったくだっ! とにかく有希っこさんや、あたしが言いたいのはね、んーと、………レッツ酒池肉林?」  
「一気にダメ臭がマックスにっ!」  
 得られるとは思わなかった、本当に有り難いと思っていた、最期の温もり。  
「ま、それはそうとして、一緒にいこっか」  
「否定はしないんですね、まあもう慣れましたけど。えっと、こんなわたし達ですけれどよかったら一緒に来ませんか?」  
 その温もりの中で、この世界の優しさの中で、思う。  
 
「………行く。………ありがとう」  
 
 
 わたしは、ここにいる事ができて、良かった。  
 
 ―――この世界に生まれてきて、良かった。  
 
 
7.  
 
 ドアの向こうから聞こえてくる三人の声に最後のつかえが取れたような気がして、胸をなでおろしながら部室の床に座り込む。  
 古泉はともかく、残りの二人はもともとこの世界での居場所ってのがなかったからどうなるのか不安だったんだけど、鶴屋さんがいるなら大丈夫だろうな、うん。  
 
 そんな事を考えているとふいに、肩にかすかな重みと温もりを感じた。  
 横を見ると江美里が、俺の隣に座り、そのまま無言でもたれかかってきているところだった。  
(………うん。まあ、こんなクリスマスプレゼントも、悪くないかな)  
 俺も特に何も言う事無く、江美里に、自分の居場所に体重を預ける。  
 そのまま二人何も喋らず、何もせず、ただ、座っていた。  
 
 最後の時を、そうやってただ、二人でいた。  
 
 ///  
 
「ねえ、もしここでわたしが『あなたと一緒に消える』と言ったら、怒りますか?」  
 空を彩る星々が文字通り消え去り、ただ一面の白が空に広がるようになった頃、本当に最後の最後になって、彼女は俺にそんな事を言った。  
「別に怒りはしないけれど、………何でだ?」  
「えっと、ですね。世界と一緒に消える恋って萌えるでしょう」  
「いや、萎えるだろ」  
「むー」  
 甘噛み程度の軽さで、ポコンと頭をたたかれる。  
「で、本当はどうしたんだ?」  
 それに甘噛み程度の幸福を感じながら、聞く。  
 今のが本音じゃない事くらい、いくら俺でも分かるからな。  
 江美里は泣いたらいいのか微笑んだらいいのか分からないといった感じの微妙な表情を浮かべながら、俺にこう言った。  
「わたしには、あなたがそばにいない自分がどうしても想像できないんです」  
「んー、でも半年前まではそうだったんだろ」  
 少なくとも入学式の前までは、俺はお前のそばにはいなかったはずだよな。  
「わたしはもう染められちゃいましたからね、あなたに。………いろんな意味で」  
 んな事言われても、『そうか』としか返しようがないんだがな。  
「だから、ダメですか?」  
「………何がだ?」  
 江美里は結局、泣きながら微笑むといういつも通りの器用な表情を作りながら、自らの望みを口にした。  
 
「あなたと一緒に消えたいというのは、そんなにダメな望みなんでしょうか?」  
 
 部室の窓から外を見る。遠くの風景はもう、空と同じように白くなって見えない。  
 終わりが、白と共に近づいてくる。  
 その終わりを俺と共に迎えたいという少女を、俺と同じ願いを持つ少女を抱きしめながら、それでも、その願いを否定する為に、告げる。  
「ダメなのは、俺の方なんだよ」  
 きょとんとする彼女に、嘘偽りない本音を、初めての弱音を、告げる。  
 
「独りは、イヤなんだ。俺だって、独りで消えるのはイヤなんだ」  
 
 そうだ。  
 ずっとずっと、本当に最初から、俺は独りで消えたくなんかなかったんだ。  
 でも言えなかった。  
 古泉や朝比奈さんが目の下に隈を作りながら、それでも無理して笑ってたから。  
 長門は無表情だったけどそれでも悲しみをこらえて、隠そうとしているのがバレバレだったから。  
 
 そして、お前が泣くから。  
 
 俺を思って泣いてくれるから。  
 だから、そんな我侭、言えなかった。  
 一緒に消えてくれ、だなんて、言えなかった。  
 そんな優しい奴らを巻き添えになんて出来なかったんだ。  
「だから、俺は独りで消える事を選ぶかわりに、続いていく事を望んだ」  
 俺の友人が少しでも多くもとの世界に影響を及ぼす事が出来たのなら、それは俺が続いていく事なんだと信じた。  
「だから、江美里」  
 そして俺はこの世界で最も愛した存在に、俺の最初で最後の居場所である少女に、願った。  
 
「俺のために、消えないでくれ。俺のために、俺達の恋を、あっちの世界に連れて行ってくれ」  
 
 そんな、理不尽極まりない頼み事をぶつけた。  
 初めて自分のためだけに、俺は江美里に我侭を言った。  
 
 江美里はそう願った俺をしばらく見つめた後で、ふにゃっとした俺が一番好きだった温かな笑みを浮かべてこう言った。  
「ズルいですよ。そんな言われ方をしたら、断われないじゃないですか」  
 その笑顔に、涙はもう、なかった。  
「『あなたのために』なんて言われたら、わたしは断われないじゃないですか」  
 そうだな。だから言ったんだ。  
「バカ」  
 全くだ。  
「あほ」  
 返す言葉もない。けどな、一つだけ確かな事があるんだ。  
 
「世界が終わっても続いていく恋って、萌えるだろ」  
 
「………それは、確かに萌えますね。でも、それでもわたしは………」  
 最後のほうは微かな囁きで、俺の耳には届かなかった。  
 それを、それでも聞きたいと願い、聞き返そうとしたところで、江美里の体が光りだす。  
 
 ―――魔法が解けた、瞬間だった。  
 
 ///  
 
「さよなら、ですね」  
 それでは最後は笑顔でバイバイですね、と言いながら作り物の笑顔を向ける彼女に、俺も全力で作った笑顔を返す。  
 
「じゃあ、さよならfake star。大嫌いですよ、嘘ですけど」  
 
 もう世界から消えかけなのだから俺の本名を呼べるはずなのに、まるでそれが自分にとって唯一の繋がりであるとでもいうように、俺をそう呼ぶ不器用でねじくれた少女に、  
 
「バイバイ江美里。いつまでも愛してるよ、本当に」  
 
 素直で、それでもやっぱり不器用な、そんな別れの言葉を返した。  
 
 
 俺達は本当に最後までちぐはぐでかみ合わないカップルだったけど、  
 この世界のために作られた偽者カップルだったけれど、  
 それでも………、  
 
 
 最後に唇に感じた温かさは、やっぱり真実だったと、  
 
 ―――俺は、そう信じている。  
 
 
 ///  
 
 
 消失していく意識の中で、思い、誓い、想う。  
 
 全てが中途半端で、うそっぱちで、元の世界に比べると本当にちっぽけなこの世界で、それでも、わたし達は、  
 恋をして、  
 恋をして、  
 恋をして、  
 恋をしました。  
 
 そして、だから、わたしは、  
 たとえ、彼がいなかったとしても、  
 一人ぼっちになったとしても  
 わたし自身が何も覚えていなかったとしても、  
 恋をして、  
 恋をして、  
 恋をして、  
 恋をしましょう。  
 
 わたしは、この恋を続けましょう。  
 一つの世界の結果として、一つの恋が続いていく。  
 それが、とてつもなく馬鹿げていて、それでも確かに素敵だと言える、この御伽噺の結末なのですから。  
 
 
 意識が途絶える間際、一つの言葉が浮かんできました。  
 それは、いつかの彼女の最期の言葉。  
 『彼』も最期に同じ事を思ってくれたのなら、悲しいかもしれないですけれど、それでもわたし達は幸せだったという事なのでしょうね。  
 
 あなたは思ってくれるでしょうか?   
 想って、くれるでしょうか?  
 
 想って欲しいなと願いながら、わたしはこの世界での意識を、手放しました。  
 
 
 
Epilogue.  
 
 そうして、世界に独りきりになってから、俺は今までの事を思う。  
 結局最期まで、俺の存在意義ってのは不確かで不鮮明なままだった。  
 
 それでも、不恰好で不器用だったけれども、恋をした。  
 俺と同じ、不恰好で不器用な女の子と、恋をした。  
 俺はその恋を、逃げずに語れただろうか。  
 
 思い出される事の大半がこの半年ほどの期間に集約されているのが、嬉しくて、少しだけ悲しかった。  
 
 
 ///  
 
 
(いろいろ、あったよなあ)  
 既にもう、窓の外は『白』でしかない。おそらくこの部屋以外の世界は既に消滅してしまっているのだろう。  
(さて、どうしようかね)  
 もうすぐ全てが終わるってのに、何もやる事がないのは幸福なのだろうか、それとも不幸なのだろうか?  
(遣り遂げたっていう感覚はないんだけどなあ)  
 目を閉じ、開く。  
 そんなわずかな時間の間に、俺の周囲1メートルを残して世界が消滅していた。  
 
(消える、前に、何か………)  
 みんなの幸福は、もう祈っている。  
 彼女の幸福は、いつだって想っている。  
 遣り遂げた事は何もなくても、彼等・彼女等が続いてくれる事は、信じている。  
(あー、マジでやる事ねーな、こりゃ)  
 そんなことを考えている間にも消失は進み、もう俺の体まで及んでいる。  
 体が消えていくと同時に、意識も遠くなってきた。  
 どうやら俺の最期も近いようだ。  
 
「あー、」  
 最期になって、最期だからか、その言葉は素直に口から飛び出してきた。  
 
「でも、本当に、」  
 
 飛び出したその言葉は、  
 もう響く事もなく、  
 響く場所もなく、  
 俺と、世界と、  
 一緒に、  
 
 ―――消えた。  
 
 
 
「楽しかったなあ」  
 
 
 
 
 
Interlude.  
 
「ねえ」  
 ………んん?  
「ねえ、起きてよ」  
 なんだよ、うるさいなあ。  
「起きてってばあ」  
 断わる! 俺の寝る権利は日本国憲法っぽい何かで保障されてたらいいなと俺は信じて止まない。ようするに、ビバ三大欲求!  
「………じゃあ、いっその事永眠する?」  
「爽やかな目覚めをありがとう!」  
 三大欲求の一つも生存本能という生命の根源に関わってくるやつには勝てないのである。ようするに、残念賞。  
 
 寝ぼけているのかどうかは分からないが、いまいちはっきりしない頭を振りながら起き上がり、なんとはなしに周囲の景色を見まわす。  
 俺の目の前に厳然と存在する風景。  
 大地には一面砂漠が広がっており、そのところどころにビルだとか城だとかどこかの民族住居のようなものが埋まっている。  
 空は明るいのだが太陽は見当たらない。曇っているというわけでもなく、ただ空一面が同じくらいの光度を出しているのだ。  
 ………てか、どこだよ、ここ。  
「おはよ」  
 俺の目の前には、俺を起こした張本人、俺が俺の意思で消した『彼女』。  
「朝倉、なのか?」  
「うん」  
 なるほど、ようするに、  
「地獄ってやっぱりちょっと寂しい感じがするよな」  
「いや、天国って発想はないの?」  
 と言われても、俺等って一応『神様』の敵なんだしなあ。高望みは絶望しか生まないぞ。  
「あなたって結構後ろ向きよね、喜緑さんに似たのかしら?」  
「うむ、愛の力だ。マイナス方向だが」  
「自覚してるんなら直しなさい。もう、喜緑さんをよろしくって言ったでしょう。一緒にダメになってどうするのよ」  
 ぬう、朝倉が委員長式説教モードに突入しかかっているぞ。ここは俺の話術で誤魔化すしかないな。日本語ってこういう時便利だからな。  
「………一緒にダメになるって、なんかエロい響きだよな!」  
 ………殴られた。日本語って難しい。  
 
 ///  
 
「ここは、えーと、なんて言ったらいいのかな。………消えていく、消える直前の『何か』で構成された世界って感じかしらね」  
 砂漠の砂に埋もれている日本家屋の屋根の上でひとしきり説教を終えたあとで、朝倉は俺にこの世界について説明しだした。  
 どうやら今度は委員長式解説モードらしいな。墓穴を掘るのもイヤだし今度は素直に聞いていようかね。  
「ごめんなさいね、正式名称とか世界構成とか、あなた達有機生命体の表現手段では上手く伝える事が出来ない情報が多いのよ。そうね、とりあえず仮名称で『ハザマ』とでもしておきましょうか」  
 その後、委員長的説明が三十分ほど続くのであるが情報の伝達に齟齬が発生するのも悪いので、勇気を持ってその大部分を割愛させていただく事にする。………寝てたわけじゃないぞ。  
「ようするに完全に消えるまでの待合室みたいなものか?」  
「んー、まあ、微妙な線だけどギリギリ許せるアウトって感じだし、いっかな」  
 や、ギリギリ許せるアウトってどんなだよ。  
「厳密に言うと間違い、でも話の流れには影響しないからオーケー、あなたにしては良い線いってる、みたいな」  
 何となく馬鹿にされているような気もするが、まあどうせ俺達と一緒にこの会話も消えるわけだし、別にいいか。  
「何言ってるの?」  
 朝倉はまるでそれが世界の真理だとでもいうように高らかに告げた。  
 
「あなたは、消えないわよ」  
 
 
 ………は?  
「あ、面白い顔」  
「いや、待て。どうゆう事だ」  
「ライク ア ピテカントロプス」  
「顔の話じゃねーよ。あー、なんだ、その………消えないって、誰が?」  
「ゆー」  
 指差される。なんだそのご都合主義的な奇跡系の展開は。  
「奇跡なんかじゃないわよ」  
 できの悪い生徒を見守る教師のようなむっとした、けれど確かな優しさを秘めた、そんな表情で朝倉は話を続ける。  
「あなたの言葉であっちの涼宮さんは『敵』を意識した。喜緑さん達は今でもまだあなたと繋がっている。そしてここに道を示す事の出来るあたしがいるの」  
 そして彼女は聖戦へと向かう誇り高き騎士のように、胸を張ってこう宣言した。  
「だからこれは『奇跡』なんかじゃないわ。あなた達があがいて、彼女が理解して、そしてあたしが導く、ただそれだけの『結果』。だけれども、確かにあたし達が生きていたという、その『結果』よ」  
「………『結果』か」  
 『続いてきた』その結果として『続いていく』それなら確かに、問題はないよな。  
「でもそれって『神様』、てかあのバカ女の『敵』としてあっちの世界に生まれ変わるって事だよな」  
「そうよ」  
「それって、俺なのか?」  
 もし全く別の存在になってしまったとしたら、それははたして『続いていく』事に成り得るのだろうか?  
「大丈夫よ」  
 できが良かったテストについて語るように、気楽にそう答える朝倉。………つーか、だったらお前が生まれ変わったらいいんじゃないのか?  
「イヤよ。あたしはあたし以外になるつもりはないわ」  
 もの凄い自己中理論が飛び出してきた。何でお前はダメで俺なら大丈夫なんだよ?  
「だって、あなたは、あなたでなくなったとしても、あなたでいれる人でしょう」  
 ………まいった。いや、自己中理論に変わりはないんだけれど、そう言われると俺はもうぐうの音くらいしか出ない、ぐう。  
「この世界とは、あたしが一緒に行ってあげる」  
 彼女は変わらない、優しい笑顔のままで『さよならの言葉』を告げる。  
 
「だからfake star、あなたは『偽者』のまま、輝き続けなさい」  
 
 朝倉はどうあっても俺と一緒に来るつもりはないらしい、それこそ世界が滅んでも、だ。  
 消えるとしても自分を貫き通す、それはそんな彼女らしい不器用で愚かで、だからこそ美しい選択だった。  
「ちょっと待ってね。いまパスを開くから」  
 そんな台詞のあと、数秒してから目の前の空間にいきなり裂け目ができた。  
 裂け目の先は光り一つない真っ暗闇で、どうなっているのかなんて分からない。  
 『けど、行こう』と、『とにかく、進もう』と、俺は俺らしく、そう選択した。  
 この暗闇の先へ、俺と繋がってくれているやつらのもとへ行こうと、そう、決めた。  
「うん、こんなもんかな。ここを通ったらあっちの世界にいけるはずだよ」  
 『それじゃね』と微笑む親友に最後の言葉を告げる。  
「待ってる」  
「………え?」  
 呆然とする彼女に言葉をかける。言葉で、繋げる。  
 言葉ってのは不自由で不完全なものだけれど、それでもそれは想いをあらわし、そして想いは、やがて力に変わるのだ。  
「俺が俺でなくなったとしても、俺達が俺達でなくなったとしても、それでもお前を待ってるから」  
 だから俺は表情をなくした彼女に、はっきりとこう告げるのだ。  
「だから、お前はお前のままで、いつか必ず、帰ってこいよ」  
「あ………」  
 俺の言葉を受け止めた彼女は、『うん、うんっ』と二、三度頷いたあとで『それじゃね』から句点とひらがな二文字、それとついでに希望もトッピングした言葉を俺に告げた。  
    
「それじゃ、またね」  
 最後の彼女の微笑みは今まで見た中で一番良いものだった。一度見たら忘れられなくなるね、忘れるつもりもないけどな。  
 
 
 それじゃ、いってきます。  
 ばいばい、ありがとう。  
 
 でも、繋がってるから。  
 またな、―――親友。   
 
 
 
 
 
 
Prologue.〜To be continued.〜  
 
「すみません。確かにあまり面白くない話かもしれませんが、一対一で目の前熟睡をくらわされますと、さすがに僕もちょっとつらいのですけど」  
 人によったら癖になるのかもしれんが俺にとっちゃどうでもいい、そんな古泉一樹とかいう名の自称超能力者の声が聞こえ、俺は目を覚ました。  
 長い夢を見ていた気がするのだが、その内容は思い出せない。  
 ただ、楽しかったという感覚だけは確かに残っている。  
 そして、その感覚を引きずったまま現実に戻らないといけないと気付き、俺は故郷から遠くはなれている事を実感してしまった旅人のように、どうしようもない寂しさに襲われるのだ。  
「えっと、聞いていますか?」  
「センチメンタル、ってやつか」   
「あなたのせいですけどね」  
 さて、どうやらそろそろ、俺はいじけている事の表現のつもりなのか机の上で鶴を折り始めているクライアント様の相手をせんとならんらしい。  
 こんな風に生徒会長候補にはセンチメンタルにひたる暇も与えらえないのだ。………現実って本当、めんどくせーよな。  
 
 面倒くささを隠す気は起きなかったし、部屋にいるのは古泉だけだったので、俺はそのままのグダグダ口調で今の自分が置かれている、紙飛行機に乗って宇宙に行くほうがまだ現実的だろうと思えるような、あまりにもぶっ飛んだ状況を復唱した。  
「だから、涼宮とかいうバカ神様の退屈しのぎのために生徒会長を演じろってんだろ。ちゃんとやってやるから他人のいないところでくらい気、抜いたっていいだろ」  
「まあ、そうですけどね」  
「よし、というわけで煙草すってくるな」  
「って、僕の話聞いてなかったんですか!」  
「聞いてたって」  
 古泉の話の内容を簡単にまとめよう。  
 この文化祭が終わると当面の目標である生徒会選挙がある。俺や古泉にとっちゃあこれに当選しないとスタートラインにすら立てないってくらいの重要なイベントだ。  
 まあ、地道な根回しやいろいろあくどい裏工作の成果として、普通に行けば当選は確実なのだが、万が一という事もあるので下手を打たないよう注意する必要がある。  
 うん、まとめると一分以内で終わる内容だよな。  
 
「そんな内容を三十分以上に引き伸ばされて聞かされた俺の身にもなれっつう話だ」  
「その必要がないのであればしませんよ、僕も」  
 左手を目に当て、軽く頭を振る古泉。どうやらかなりお疲れモードのようだ。  
 まあ、最近生徒会選挙の件以外にも馬鹿女関係の事に巻き込まれて色々大変らしいしな。  
「気、抜いたっていいだろ」  
「いや、やっぱりダメですよ。今が大事な時期なんですから」  
「俺の事じゃない。お前の事だよ」  
 予想外の言葉だったらしく、珍しく素の顔に戻っている古泉。  
 自分の事をあまり重視しないやつは利用しやすくて好きなんだが、軽視しすぎて勝手に潰れられても困るんだよな。  
「三十分で戻ってくる。その間は休め」  
 答えを待たずに古泉を残して部屋を後にする。  
 これくらい強引にしないと休まないだろうからな、あいつは。  
 
 ///  
 
 隠れて煙草を吸えそうな場所を探すため、根無し草のようにフラフラと校内を歩きながら、さっきまで見ていた夢と今の俺を取り巻く現実について考える。  
 俺にとって夢とは、一言で表すと『色のあるもの』である。  
 いや、別に現実の世界が文字通り『灰色』ってわけじゃない。幸いな事に、俺には色覚異常なんてないしな。  
 ただ、何ていうか、俺は『現実』に色を感じる事が出来ないのだ。  
 この世界に、面白さを感じる事が、出来ないのだ。  
 何故か物心ついたときからずっと、俺はそう感じ続けているのだ。  
 
 
「おい、引っ張るなって! 伸びるだろ!」  
「うっさいわね。あんたがちんたら歩いてんのがいけないのよ! 時間ってのは一分一秒でもお金じゃ買えないプライスレスなんだからね。無駄に出来るわけないでしょ!」  
「俺は今凄い勢いで時間を無駄にするような状況に強制連行っぽいんだが!」  
「あんたねえ、今日これからの半日なんて人生の一万分の一すらないほんのちょっとの時間じゃない。そんなの気にするだけ損よ。もっとおおらかに生きなさい」  
「ひでーな、おい。お前のプライスレスは俺には適応外なのかよ」  
 
 
 こんな感じで学校に響き渡る喧騒は俺の世界を少しは華やかなものにしてくれるのだが、それでもまだ、弱い。  
 『何か大事なものを忘れている』という思いと『自分は偽者である』というイヤすぎる感覚に生まれた時からさらされてきたせいで、多少ゆがんでしまった俺を矯正できるほどの面白さはない。  
 
 
「あれ、みくるっ。制服着てんだっ。んー、今日は雨かなっ」  
「ま、毎日着てますよー」  
「そだっけ? あっはははっ、なんっか最近バニーやらウェイトレスやらメイドやらの格好しか見てなかったもんだかんねっ! ごめんよっ!」  
「うー、確かに最近撮影やらクラスでの喫茶店の衣装合わせやらでそんな服ばっかり着てるけどー」  
「そだっ! いっその事バニーで登校するってのはどーだいっ!」  
「唐突に最悪ですね」  
「あたし大笑いだよっ!」  
「あたし大号泣ですよね」  
「うんうんっ、そったらあたしが慰めたげるにょろよー」  
「あなたのせいですけどね」  
 
 
 そんな普通の人間にとっては彩り鮮やかなのかもしれない喧騒をあとにして、誰にとっても灰色っぽい雰囲気の階段に足をかける。  
 文化祭前の放課後にしては珍しく誰もいない階段、俺と同じでどこか寂れた感じがするその踊り場。  
 そこで、一人の黒マントに黒帽子を身につけたコスプレ少女とすれ違った。  
「んあ」  
 『この手の輩には関わらないのが吉だ』と、あえて何もコメントせず素通りしようとしたところで、くいっと体を引っ張られる感覚。  
 振り返ると、先ほどすれ違った魔法使いっぽいイメージのコスプレ少女が、黒曜石のような濁りのない瞳に若干の戸惑いを交えつつ、それを振り切るかのように制服の袖をつかみながら俺の顔を注視していた。  
 えっと、この顔は確か馬鹿女の関係者、つーかSOS団とかいうふざけた団体の一員だったはずだが。  
「ふむ、いきなりどうしたのかね?」  
「………屋上」  
 そう呟いたあと、俺の制服から手を放す少女。でもその視線は一向に外れる気配が無い。  
 その瞳の中で戸惑いが占める割合は、むしろさっきより高くなっているようだ。  
「あー、まあ、サンキュ。おにいちゃん大喜びだよ」  
 どうやら無表情に混乱しているようだったので、落ち着かせるために適当な言葉を返しつつ、帽子の上から頭を撫でる。  
 これもまた竹槍一つで地雷原に特攻するような軽率な行動なのかもしれんが、まあ大丈夫だろ。  
 『彼女達は敵ではありません、………少なくとも僕にとっては』とか古泉もそう言ってたしな。  
 
 頭を撫でた効果なのかどうかは分からないが、何とか戸惑いが許容範囲内に収まったらしい少女と別れ、階段を上がる。  
 ふと、さっきの少女が言うとおりに屋上へと向かっている自分に気付いて、それが少しだけ面白かった。  
 でもまあ、屋上なら臭いがこもる事もないだろうし、誰もいないってんなら隠れて煙草を吸うにはいい場所なのかもな。  
 少しだけ脱モノクロな気分で、それでもまだ灰色に見える世界の中、屋上へ続くドアを自分の意思で押し開く。  
 
 ―――そこで、世界に色がついた。  
 
 
 ///  
 
 
「パーソナルネーム『喜緑江美里』より情報統合思念体へ。当該構造物の解析を予定通りに終了。『最重要観測対象』への影響大と判断、情報結合の解除を申請します」  
 報告後、思念体の許可が下りてから、わたしはわたし達の学校の屋上に当たり前のように存在していたこの世界にはありえない異世界構造物を、文字通り消滅させました。  
 
 ここ最近、わたし達の『最重要観測対象』から出る情報フレアが活発化しているせいか校内のいたるところでこの世界にはありえないはずの『異物』が認められるようになっています。  
 わたし達の目的は『観測』であり、本来ならばこのような状態も『情報』として受け取らなければならないのですが、思念体の命令は『当該存在の全消去』でした。  
 『異物』と『最重要観測対象』が遭遇した場合、連鎖反応によりどの程度の情報爆発が起きるか予測できないためとかいう理由らしいですね。  
 急進派も一度暴走して失敗している手前、強くは出られないようですし、しばらくはこの命令が変わる事はないと思います。  
 それはいいんですけれど、わたしとしましては原因を絶てない以上全消去は不可能という当たり前の事に早く気付いて欲しいんですけどね。くさいものにフタをし続けるにも限度がありますよ、具体的には数量的に。  
 
 文化祭が近づくのに比例して『異物』の出現頻度は明らかに上昇しています。  
 それだけではなく中には二、三回解析しないと『異物』だと分からない存在まで出てきているありさまです。  
 もう思念体でも『異物』だと判断できない『何か』が当たり前のように存在していてもおかしくありませんね。  
(せめて、彼女がいてくれたらいいのですけれど)  
 完全消去されたわけではなく、凍結されているだけの『彼女』が文化祭の間だけでもいてくれたら、少なくとも今よりはマシな状態になるんですけれど。  
(まあ、無理でしょうね)  
 過度の情報爆発を恐れている今の思念体が、それを起こそうとした『彼女』を再び世に送り出そうとするとは思えません。  
(で、とばっちりは同じ末端であるわたしや長門さんに来る、というわけですか)  
 ここ以外で、『最重要観測対象』と遭遇しそうな『異物』はあと数箇所残ってますし、接触しようとしている『敵性存在』もいます。名前だけ潜り込ませてある次期生徒会にもそろそろ顔を出しておかないといけないでしょうし、  
(やれやれ、とでも言えばいいんでしょうかね)  
 どう考えても容量オーバーな仕事量に、とある観測対象をまねて溜息をついてみます。  
(………完璧に時間の無駄ですね)  
 無駄だと思うのなら、そんな事せずに少しでも早く次の任務に取り掛かった方が良いと仰られる方もいますでしょうけれど、この世界に溶け込むためにはこのような無駄な努力というのも必要なんですよね。  
 しかし、わたしは人間らしさを出すためにいろいろと人間の仕草を真似てみているのですけど、その大半がつくり笑いとか溜息とかどうにも偏ったものになってしまっているのは何故なのでしょうかね?  
 いっそ、以前の長門さんのように人間らしさというものを放棄できればいいのでしょうけれど、………まあ、もう手遅れでしょうね、はい。  
(でも、最近は長門さんも人間らしくありたいと思っているようですけれど………)  
 そこまで考えたところで、最近よく出るようになった思考情報制御の乱れ、エラーが観測されました。  
 
 そのエラーは長門さんがSOS団という観測対象集団と共にある時に大きくなるもので………。  
 わたしが、単体でそれを観測している時に大きくなるもので………。  
(居場所が欲しい、とでも思っているのでしょうか?)  
 まさか。わたしはつくりものです。これまでの観測で得られたものも、結局全ては人間の真似事。  
 感情のないつくりものが、そんな感傷を抱くはずがありません。  
 
 
 そこまで考えたところで、『ガチャッ』という音がわたしの思考を吹き飛ばすように周囲に響き渡りました。  
 誰かが屋上に、わたしのいる場所に近づいてきていた事を、わたしはそこでようやく認識したのです。  
(………うかつ、ですね)  
 ビクッと震えそうになる有機体部位の反応を押さえ込みつつ、周囲に攻性情報がない事を確認します。  
 情報処理能力の大半を自己内部に向けていたせいか、接近する存在に気付きませんでした。  
 これはもう、敵性存在だったら消滅させられていてもおかしくない致命的な隙、でしたね。  
 以後、気をつけないと、と警戒レベルを引き上げつつ、後方にいる存在を人間らしく確認しようと振り返り、  
 
 そこで、エラー量が今まで観測した事がないほどのレベルまで、一気に跳ね上がりました。  
 
 
 ///  
 
 
 赤い夕焼け。それに染まる少女の後姿。赤い少女。  
 扉を開けた瞬間一気に自分の目に飛び込んできた『色』に対して、俺はただ呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。  
 初めて見るはずなのに感じる、『デジャブ』なんて一言では説明がつかないほど確かなもの。  
 それを感じ、それのせいで処理しきれないほどに湧き上がってくる感情に襲われ、完全に機能停止してしまう俺。  
 屋上に誰かが来たことに気付いたのか、赤い少女は同じくらい赤く染まっているであろう俺へと振り向いた。  
 
「………え?」  
 
 その言葉のあと、彼女も何故か機能停止。  
 お互いに一言も発せず、ピクリとも動かない、そんな永遠にも感じる一瞬の後で、少女は俺から目を離さないままに、  
 
「あなたは、………何?」  
 
 そんな哲学的な質問をぶつけてきた。  
 
 
「いや、何って言われてもな」  
「え、え、何? 何なの? こんな情報、知らない」  
 哲学的な質問の後で哲学的に迷う少女。自分の世界にどっぷりのようだ。  
 相手が自分より混乱してくれたおかげで逆に落ち着くことが出来た俺。とりあえずお礼の意味を込めつつ頭を撫でてみる。  
「わたしは、わたしは」  
 反応がないので、気付けの意味を込めつつ頬をつねってみる、びよーん。………意外とよく伸びるな。   
「はんで? ほうひへ?」  
 ふむ………、なるほどそうかっ!  
「ようするにこれはエロい事してオッケーイというサインだにゃらぼわっ!」  
「はっ! 何故かは分かりませんが体が勝手に一般人を蹴り飛ばしてますっ!」  
 いや、無意識の割には腰の回転も加わったいい感じの打撃でしたよ。  
「えっと、何といいますかですね。………わたしオッケーイ、みたいな?」  
「ノットオッケーイ!」  
 宣言と共に立ち上がる。自慢ではないが、こう見えて回復力はゴキブリ並みである。  
 ちなみに縞々だった事だけは確かにオッケーイだ、………何の事かは明言を避けるが。  
「何故でしょうか? あと二・三発いいのを入れて記憶を飛ばす必要があるような気が」  
「し………らないな。きのせいじゃないかね」  
 久々にリアルな生命の危機を感じ、『縞々の事かね』などという死亡フラグ一直線な台詞を全力で誤魔化す俺であった。  
 
 ///  
 
「さて、冗談はこのくらいにして、だね」  
 おかしな方向、というか俺の命が危険系な方向にずれそうだった話題を中心に引き戻す。  
「………」  
「………」  
「特に、何もないか」  
「そうですね」  
 ど真ん中に風穴が開いていたという、ドーナツ化現象もびっくりな、救いようのないオチがついた。  
 
「でも、まあいいのではないだろうかね、それで」  
「はい?」  
 本当に疑問に思っているのであろうと納得できるくらいの絶妙な角度で首をかしげる少女。  
「今何もないという事は、これから何かが出来るという事だよ」  
 初めて雪を見た南国人のような驚きをその顔に浮かべる彼女に、続けて告げる。  
「そう考えた方がいろいろと、萌えるだろう?」  
 俺のごまかしでしかない偽者の、けれど確かに本気を込めたその言葉に対し、少女は少し考えた後で、世界中の秘宝と引き換えにしてもいいくらいの笑顔でこう返してきた。  
「はい、それはとても、萌えますね」  
 俺はその笑顔を見ながら、今から何をしようかと考える。  
 
 このまま世間話だけをして別れてもいいかもしれない。  
 彼女を生徒会に誘ってみるのもいいかもしれない。  
 いきなり告白ってのは明らかにおかしいけれど、食事くらいなら誘ってもいいかもしれない。  
 などなど。  
 
 しかしまあ、結局のところ。  
 最初にするべき事は決まっているのだ。  
 
 
 ///  
 
 
「まあとりあえず、だね。よろしく頼むよ」  
 そう言いながら、彼はわたしに手を差し出してきます。  
 それは、多分この世界に生まれてきて初めて、わたし自身に向けられたもので………。  
 
 だからわたしは、どうしていいのか分からずに、  
 分からずに、戸惑って、  
 戸惑いながら、想って、  
 想いながら、結局、彼の手をとりました。  
 
 そして、わたしの手をとったまま、温もりを繋げたまま、彼はわたしに告げるのです。  
 
「私の名前は………」  
 
 ―――始まりの言葉を、告げるのです。  
 
 
 ///  
 
 
 そう、まず―――。  
 
 世界中のほぼ全ての人が『あ、こいつ、やばいわ』とひくような、  
 でも、その中で誰か一人くらいは『面白そうだ』と思ってくれるような、  
 そんな自己紹介から始めてみようかと、  
 
 ―――俺は、そう思っている。   
   
 

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