Prologue.
「よくさあ、二度あることは三度あるって言うでしょ。という事は、よ。悪い事だって一度で止めておけば大抵の事は万事解決、円満終了、視界良好オールグリーンってわけじゃない」
とある夏の日の夕暮れ時、これまたとある遊歩道で、最近知り合いになった少女が、いつも通り意味が分からない俺様理論を並べ立てだした。
「でも、何故かは分からないんだけど『こういう事』って必ず繰り返すわよね。………悲しいけれど、それが人ってやつなのかしら」
「いや、そのセリフはどう聞いても言い訳だとしか思えないんだが」
ただ、お前が今視界不良青信号大絶賛点滅中な迷子さんである事を考えると、方向性は間違って無いのかもしれんがな。
「うっさいわねー! あんただって同罪でしょう!」
迷子が懲罰対象になるとはひどい法律もあったものである。まあ、出会った時からこいつは『こう』なのでいい加減慣れてきてはいるが。
………それが幸福なのか不幸なのかは考えないようにしつつ、話題を変える。
「ああ、そういや、一度あったら二度目もある、という意味の言葉もあったよな。確か、えーと、一、一…………」
「一匹見たら三十匹!」
「それだ! って、ちっがーう! つーかお前、三十回も同じ事繰り返す気かよ!」
俺のツッコミがシグナルレッドな夕焼け空へと、無駄に高らかに響き渡った。
///
と、そんな場面を思い出したのは、まあ、ハッキリ言って現実逃避だ。
「戦って、現実と」
『逃げるという選択肢を本当に知らないんじゃないか?』とたまに将来が心配になるほど冷静な長門の声に引き戻され、ついでに両手で強制的に前を見させられる。
目の前には一匹見たら三十匹なアレとは違うものの、おそらく同じくらいの不快感をこちらに与えてくるであろうカマドウマが、数十匹ほど群れていた。もちろんいつかの時と同じで全長5m以上の、だ。
「ふふふふふ、ここはあたしが未来的に何とか………」ぷちっ
「いやいやいや、ここは僕が超能力的に何とか………」ぷちっ
潰された二人を長門が『情報操作は得意』などと言いながら空気入れで膨らませている、しゅこしゅこ。
………ピカソもビックリのシュールっぷりだ。ただまあ、絵にしたところで価値は二束三文だろうけどな。
「あなたも」 しゅこしゅこ
長門に空気入れを渡された。目の前には二次元へと退化をとげた古泉が、………ある。
「レッツしゅこしゅこ」 しゅこしゅこ
………ああ、帰りたい。
古泉の口に空気入れの先端を差し込みながら、引き戻された現実から何とか逃避しようと無駄な努力を続ける。しゅこしゅこ
………どうにもこの空気のかわりに気力が抜けていく音が邪魔である。しゅこしゅこ
無駄な努力の一端として、どうしてこのような事態になったのかでも回想してみようかね。しゅこしゅこ
………やれやれ。しゅこしゅこ
――――――――――――――――――――
喜緑江美里の暴走〜The sigh of fake star〜
――――――――――――――――――――
1.
「それでは、合宿に行きましょう」
夏休みに入って少したち、ジュライがオーガストへバトンタッチしようかというそんな日の朝早く、人の家のチャイムを小学生のように16連射しやがった俺の後ろを指定席にしている少女、喜緑江美里、は開口一番にこんな初耳話を俺にぶちかましやがった。
「おやつは300円以内です」
「いや、そうじゃなくて」
いつもながら人の話を聞かないやつである。
「お弁当の中に入ってるものは、何と、おやつになりません!」
「いや、だからな」
つーか、聞いているのに、聞いてないふりをしているというのが正しいのかもしれないな、………政治家にでもなれば、いいポジションまでいくんじゃないか。
とりあえず、適当に話を合わせつつ、様子を見る事にでもしようかね。
「でも、お弁当の中にガムとかチョコとか入れるのは駄目ですからね」
「ああ、夏の遠足でそれやって、チョコ味のおにぎりを食べるハメになった事があるな」
フロンティアスピリッツあふれる小学校時代の苦くて甘い思い出だ。
「あらあら、どんな感じでした?」
「甘くて、しょっぱくて、ぬるねちゃで、………何というか、異次元だった。しばらくトラウマで弁当が食べられなくなったほどだ」
「ご愁傷様です。でも、大丈夫ですよ。今回はちゃんとわたしがお弁当を作ってきましたから」
「マジで、ラッキー!」
「うふふ、では参りましょうか」
「オーケー、レッツゴー! ………って、違うわ!」
あまりにも自然な流れに危うくそのまま乗ってしまうところだった。
「えーと、だな」
時間は早朝、眠たすぎてエンジンのかかりが悪い脳みそを騙し騙し動かしつつ、質問の言葉をひねり出す。
「で、いつからだ、合宿?」
「今日からです」
「唐突すぎるだろっ!」
「間違えました。むしろ今からです」
「悪化したー!」
あまりのショックにエンジンフルスロットルである。ようやく目が覚めた、とも言う。
「無駄だとは思うが一応聞いておく。俺の都合は?」
スタートダッシュで致命的な遅れが出ているものの、エンジンがかかってしまったので走らなきゃならなくなったレーサーの気分で質問する。………はたして完走できるんだろうかね。
「親御さんの許可ならもう1週間ほど前に頂いていますよ」
「そんなとこで外堀から埋めていくなよ! もっと大胆に天守閣狙えよ!」
いきなりのエンジントラブルである。しかも原因は整備班の裏切り、………ダメだこりゃ。
「そういえばお母様から『バカ息子ですが末永くよろしくお願いします』と、何だかよく分からないけれど嬉しくなってしまうお願いをされました」
「いろんな意味で人生リタイヤ一歩手前じゃねーか!」
「???」
首を傾げられる。
溜息が出た。急な天候悪化のせいでレースは中止、だな。
しかし、こういう事は本気で鈍いんだよな、こいつ。
「えっと、駄目、かな?」
俺の溜息をどう取ったのか、上目遣いでこっちを見あげてくる江美里。
「あー、うあー、………いや、いいけどな」
結局のところ、レースの勝敗関係なくいつも通り巻き込まれる俺、とそういう事なのだろう。
ふはははは、今日はこの辺で勘弁しといたらー、………泣いてなんかないぞ。
///
すでに準備されていた着替えなどの『お泊りセット』をニヤニヤ笑いで手渡してくる親に対し、『地獄に落ちろ』と親指を下に向けつつ、希望するお土産を聞いてから自転車で家を出る。
後部座席に当たり前のように座ってくる江美里を当たり前のように待ち、当たり前のように腰に回される手を当たり前のように許可して、当たり前のような二人乗りで当たり前のように集合場所へと向かった。
「曲名は『当たり前のブルース』ですね」
「意味の分からんボケをかますな」
「あう、恋人に対してつれない言葉ですね」
「コメントに困るレスポンスを返すな!」
ああ、そういえば、言い忘れていたかもしれないが、そういう事、である。
出会ったり、別れたり、泣いたり、笑ったり、いろいろと紆余曲折っぽい何かがあった後で、
―――俺達は今、恋をしている。
それを伝えた時のそれぞれの反応であるが、
「ふえー、おめでとうございましゅるー」
「おやおや、ようやくですか」
「………おめでとう」
「ああ! なんだ! ラブか! ラブなのか! 胸が恋焦がれてラブラブファイヤーとでも言いたいのか! 畜生、お前なんか一生ラブってろ、このラブレンジャー!」
このように、いきなり錯乱しだした谷口という名の馬鹿一人以外はおおむね祝福してくれた。………最近思うのだが、もう馬鹿という名の谷口と言った方が日本語的に正しいのではないだろうか?
進行方向に注意を払いながらも、ちょっとだけ視界に空をいれる。
みんな、祝福してくれた。
だから多分、今はもう居ない彼女も、祝福してくれるだろう、………と、思いたい。
『このまま続けても不幸になるだけよ』
………多分、だけど。
『それまで、喜緑さんをよろしくね』
こう、言ってたしな。
少しだけ、痛い。なるほど、これは確かに不幸な痛みだ。
「………痛みますか」
分かるのか?
「あなたは、いつもそんな顔をしますから」
本当に俺の事を理解してくれているようで、ありがとう、マジ愛してる。
「………ニャー」
腰に回された手に、きゅっと力が込められた。
不幸になる、それもあるかもしれない。おそらく、この痛みは俺という存在が消え去るまで続くものなのだろう。
それでも、だ。
今後部座席に感じる重さは、腰に回された手の暖かさは、それでも確かに幸福なのだ。
幸福を物理的な重さとして感じつつ、ペダルを踏みこむ俺であった。
2.
二時間後、俺達は海面を矢のようにとまではいかないが、まあそれなりの速さで進むフェリーの客室にいた。
「あふあー」
俺の隣に座っていた江美里が何となく微笑みたくなるような欠伸をしつつ、ぽすっ、とこちらに寄りかかってきた。
「いや、周りにみんな居るからな」
古泉はいつもと変わらないニヤケ面で、朝比奈さんは手で顔を覆いつつも人差し指と中指の間から、長門は本を読むふりをしながらもチラチラと、それぞれこっちを見ている。
つーか、俺達は二等客室の大部屋の一角を陣取ってるだけなわけで、周囲の一般客からの微笑ましさと嫉み僻み恨みとをミックスさせた視線がガスガスと俺に突き刺さってくるわけで………。
「見せつけてやればいいんですよー」
「俺にそんな趣味は無い。………というか、お前、疲れてんのか?」
もうほとんど目が開いていない。いわゆる糸目状態である。
「いえ、自分でもどうしてかは分からないんですけど、昨夜はどうにも寝付けなくて………、すー」
そのまま寝だしやがった。………てか、どうしろと?
「うふふ、喜緑さん、可愛いです」
「そうですね。どうやらあなたの隣は安心できる場所らしいですしね」
「………らぶらぶ」
好き勝手言う三人を睨みながらも、俺は自分を抑えるのに必死である。周囲の一般客からも口笛を吹かれたり、視線に殺気が混じりだしたりしていたが、もうそんな事を気にしている余裕なんてない。
「んー、すー、すー」
多分、江美里にはそんな期待はないのだろうが、………こう、感触とか匂いとか息遣いとかがダイレクトリンクで思春期男子には毒を食らわば100までとって感じでうわもうあひー!
「………指向拡散による情報処理能力の大幅な低下を確認」
「ふえ? 長門さん、それってどういう事ですか?」
「まあ、壊れたという事でしょうね」
「あ、そういう事ですか、ありがとう古泉くん。………って、それ大変じゃないですか! だいじょ、って白目むいてるしー!」
「お、俺なら大丈夫さ、あひー!」
「いやー! 本当にぶっ壊れてますよー、この人!」
「失礼な事を言う人だね、あひー!」
「いやもう何といいますか。………すみません、白目のままでこっちをむかないでください」
「じゃあ教えておくれよ。一体この俺のどこが壊れているって言うんだい、あひー?」
「………全部」
「………あひー」
結局、残った理性を総動員して、こっそり長門に頼み体を動かなくしてもらいつつ、この地獄のような天国はフェリーが陸地に着くまで続くのであった。
///
フェリーを降りてクルーザーに乗り換える。
どうやら今から行くのはいわゆる孤島という場所らしい。『僕の知り合いに富豪の方がおられましてね』とはこの旅行を企画した古泉のセリフだ。………ブルジョワジーめ。
「いえ、僕の力ではなく、『機関』の力が凄いという事ですよ」
「ああ、お前と同じ自称超能力者の寄り合いみたいなやつか」
ちなみに今運転席にいる全身から執事感を漂わせている新川さんという人も『機関』とやらの一員らしい。
「その『自称』というのはいい加減取っていただけませんか?」
古泉が肩を落としながら懇願してきた。
………いや、そんなこと言われても、俺はお前が超能力使っている場面なんて見た事ないんだぞ。
まあ話を聞く限りでは、超能力云々以外でも江美里が原因で起こる様々なトラブルを裏で解決してきてはいるらしいのだが、どちらにせよ見た事がないのには変わりない。
「使う機会が無いんですよ。喜緑さんはここ最近、ずっと安定していますしね」
古泉の声に合わせるように、クルーザーの後ろの方で楽しそうに話している三人娘に目をやる。
「ふえー、孤島ですかー。何か怖い事が起こりそうですねー」
「大丈夫ですよ。あなたのような人は最初に被害にあって舞台から強制退場くらいますから」
「そ、それのどこが大丈夫なんですかー!」
「………怖いのは、一瞬だけ」
「いやー! むしろ今からずっと怖がりまくりですー!」
俺から言わせてもらうと、出会ってからずっと、アイツはなんも変わってないんだけどなあ。
「ふふふ、言い直しましょう。あなたと出会ってから、正確にはあなたと喋るようになってから、一度も僕等は力を使っていません」
何でもこいつ等の力は江美里が不機嫌になった時に出来る、閉鎖空間というやつの中でしか使えないらしい。
で、古泉が言うには、江美里は俺と知り合ってから閉鎖空間を創っていない、ようだ。
………つーことは、俺とアイツが喧嘩するとこいつ等って大変な事になるかも、なんだよなあ。
「まあ、そんな考え方もあります。けど、僕個人の意見を言わせてもらいますと、あなたとの喧嘩なら大丈夫だろうと思いますよ、保証します」
お前の保証があってもねえ。人類の未来がかかった喧嘩ってやりにくいだろ。
「………やりにくいとか言っている割には結構してますよね、痴話喧嘩」
正直、すまんかった、………いろんな意味で。
「まあ、いいですよ。『俺らの仕事はガキ共にちゃんと喧嘩をさせる事だ』と、そこで運転している人も言ってますからね」
………恐ろしいほど男らしい執事だった。
///
ふと、温度を感じたので隣を見てみると、長門が俺の横に座って本を読み出していた。
クルーザーの後部では朝比奈さんと江美里が寄り添うようにして寝息をたてている。
どうやら、二人を起こさないようこっちに移動してきたようだな。
「本を読むだけなら起こすような事はないだろ?」
「………」
何故か非難めいた目で見られた。古泉が肩をすくめているのがプチむかつく。
「しかし、あいつも安定してるんだったら、こんな旅行なんて計画する必要なかったんじゃないか?」
なので、こんな、ちょっと意地の悪い八つ当たり気味の質問を古泉にしてしまう。
「いや、そうかもしれませんが、こんな学生らしい事っていうのも希望されているかもしれませんでしたしね。その、気分転換とか、ね」
『誰が希望してるんだ?』という言葉はさすがに意地悪すぎるので自重した。
しかし、気分転換、………ね。
朝倉涼子が『転校』ではなく『消失』したという事実を伝えた時、朝比奈さんは大泣きし、古泉は『そうですか』と一言だけ呟いた。
―――そして次の日、一日だけ、二人とも学校を休んだ。
休んだ時に何をしていたかってのは、俺は知らないし、知る気もない。
でも、こうして前に進もうとしている姿を見ると、おそらく休んで良かったのだろうと思う。
『迷惑かけてるよなー』と思いながら、『でも謝るのは何か違うよなー』とも思い、どうしようもなくなって、あさっての方向に視線をやる。
「いいえ、あなたのせいではありませんよ」
………俺、そんなに心を読みやすいか、古泉?
「さあ、山勘で適当に言っただけなのかもしれませんよ」
「ああ、なんつーかもう、………俺も寝る」
不貞寝モードに移行する。もう今は何を言っても墓穴を掘る気がするからな、ザックザクだ。
「ははは。ああ、それと『ガキはガキらしく遊んどけ。後始末はこっちでちゃんとやっとくからよ』と、そこの執事服の方が」
………惚れてしまいそうなくらい男前な執事だった。
「ところで、どうでもいい事なんだが、どうしてあの新川さんって人は執事服なんだ」
「ああ、あれは彼の趣味です」
………深くはつっこまないでおこう。確実に蛇かそれに準ずる何かが出る藪なんて、つつかないほうが良いに決まってる。
「………あ」
呟きが聞こえたので閉じようとした目を開け横を見ると、長門がクルーザーの進行方向を注視していた。あと、何故かさっきより俺に近い位置にいたのだが、まあそれは問題じゃない。
「長門、何かあるのか?」
一応、聞いてみる。
まあでも、今回は単なる小旅行だし、そんなに大きな事件に巻き込まれる事も無いだろう、なあ、長門よ?
「………」
「何故に目をそらす?」
「人生とは常に事件に満ち溢れているもの、らしい」
「いや、何があるんだよ?」
いい言葉っぽくお茶を濁そうしてもお兄ちゃんはごまかされませんからね。
「………一緒に楽しもうね、お兄ちゃん」
「いやーん! お兄ちゃんわっくわくー!」
俺がそうやって濁ったお茶を一気に飲み干そうとしたその時、
突如現れた陸地にクルーザーが激突し、
その衝撃で俺達は空中に放り出され、
ついでに意識も放り出され、
そして、目覚めたらそこは、大量のカマドウマが跋扈するワクワクレジャーランド(あなたの命もワックワク)になっていたのである。
―――うわーい。
3.
さて、カマドウマ達はこっちが不用意に近づかない限りは攻撃してくる事はないようだ。しゅこしゅこ
長門と一緒に空気入れで自称未来人と超能力者、通称ヤクタタネーズを膨らませつつ状況を整理してみる。しゅこしゅこ
「で、これは、何だ?」しゅこしゅこ
俺には無理だ、という当然かつ自虐的な結論の元、この場で唯一役に立ちそうな存在に助けを求める。これで俺もヤクタタネーズの一員である、………谷口曰くのラブレンジャーよりはマシだろうがね。しゅこー
「んー、まあ、どちらも『あまりなりたくない』という点では変わりないかもしれませんけどね」
「えー、ラブレンジャーってかっこよさそうじゃないですかー」
しゅこしゅこ終了、元祖ヤクタタネーズ復活である。
………あと、ラブはありえないっす。いや、マジで。
///
さて、改めて状況を整理しよう。
俺達がいる場所は半径100mほどの岩場、周囲は海。
激突したはずのクルーザーはなく、それを運転していた新川さんや、後ろの方で寝ていた江美里の姿も見えない。
変わりに見えるのが数十匹ほどのカマドウマであり、………あー、もうマジどんな化学反応だよ、これ。
「それで長門よ。これは一体どういう状況なんだ?」
やっぱり俺には無理だ。ヤクタタズレッド登場である。
「おやおや、考える事をやめたら、そこで停滞してしまいますよ。質問というものはあらかじめ自分なりの答えというものを持ってからするべきだ、と僕は思いますけどね」
ははははは、殴りたい。
「んじゃお前の答えってのは何だ?」
「そうですね………」
古泉は周囲を見渡しながら、しばらく考えた後で、こう言った。
「停滞も、悪い事ばかりではないですよね」
ヤクタタズブラック爆誕の瞬間だった。よし、とりあえず殴らせろ。
「そうですよねっ! あたしもそう思います。………よく分かんないですけど」
ヤクタタズピンクもご降臨なさった。ああ、とりあえず頭撫でさせてください。
ついでなので『それぞれが思う役に立ちそうにないポーズ』をとり、叫んでみる。
「「「ダメダメ戦隊 ヤクタタネーズ!」」」
ああ、自虐的ベクトルマイナスビーダッシュもここまでいくと気持ちよくなってくるなあ。
「仰るとおりかと。ただ、ヤクタタネーズよりヤクタタネンジャーの方がより戦隊ものっぽいと思いますよ」
「あ、言われてみればそうですね。古泉くん凄いですー」
「むー、何となく悔しいがお前が言う事も一理ある。………よし、やり直しだ!」
「了解。あ、長門さんもどうですか?」
古泉が何故か肩を震わせている長門に声をかける。
「あ、それいいですねー。長門さんが加わってくれたら百人力ですよ」
朝比奈さんの勧誘に、長門は絶対零度の視線をもって答える。
「うん、その視線の意味は『どうしてもっと早く誘ってくれなかったの?』という事なんだな」
ははは、有希はいつまでたっても甘えんぼさんだなあ。………ところで、どうしてそんな『ピースサインもどきを左目にあてる』という、どこかデジャブを感じさせるポーズをとっているのかな?
まあとにかく、もう一押しで長門も吹っ切れそうだったので、とりあえず三人で役に立ちそうにないポーズをとり、満面の笑みで長門を勧誘してみる。
「さあ、キミも一緒に、レッツヤクタタネー!」
俺達の熱意あふれる勧誘に、長門は何かを吹っ切ったような表情でこう言った。
「ゆきりんビーム」
―――吹き飛ばされる馬鹿三人。
///
瞬殺ついでに我に返り、長門先生の話を正座で聞かされる俺達。珍しく真剣モードである、もしくは罰則を受ける生徒モード、とも言うが。
「この空間は何人かの情報処理機能を結合させてつくられた特殊な情報閉鎖空間。ここに存在しているのはわたし達という固有情報体のみである、と推測される」
「あ、足がー」
………うん、わかんね。まあ、真剣にやったからってテストで満点取れるわけじゃないって事だよなあ。
「なるほど、ようするにAという世界に並存するように形成されたBという世界にA世界の精神体のみが閉じ込められた、という事ですか」
「頭も足もー、しびびびびー」
古泉の容易になったのか難解になったのか分からないような注釈が入る。
んー、ようするに、夢、って事なのか?
それなら納得できるな、うん。というか、潰されてから空気入れで膨らんで復活するってのは、ちょっと現実であって欲しくないしなあ。
「平たく言うと、そう。我々の有機体部位は今も現実世界のクルーザーの上であると考えられる」
「も、もう駄目ですー、いろんな意味でー」
「なるほど、ところで長門さん、いいかげん朝比奈さんがうっと………、大変そうですのでそろそろ正座を止めてもいいでしょうか?」
「ふひゃあ、今古泉くんがひどい事言いそうになってましたよー!」
「おい古泉、いくらみんなの総意だからって、言って良い事と悪い事があるだろ」
「ふきゃあ、総意だったんですかー!」
「とりあえず、朝比奈みくるだけ後30分追加」
「ふにゃーーー!!!」
真剣モードは5分持たなかった。あきれるくらいにいつも通りの俺達である。
「ちなみに、このまま放置するとどうなるんだ?」
「どうもならない。ただ、現実世界のわたし達は永遠に眠り続けるだけ」
あ、なるほど。もうすでにどうにかなっている、とそういうわけですか、納得………したくねー!
「戻り方は、前と同じ、という事でよろしいですか?」
「………そう」
夕日に向かって叫ぼうとしていた俺のかわりに、古泉が聞いた質問に対し長門が必要最小限の文字数でもって簡潔に答えた。
どうやら俺達の任務は眼前数十メートルほどで群れあっているカマドウマの駆除、らしいな。
「と、いう事はー、あたしの出番ですねっ!」
いやあんたさっき瞬殺されてましたから。
「という事は、ふふふ。ついに僕の出番ですね」
ちなみにお前もぷちっといかれてたからな、ぷちっと。
「………」
「………」
あ、古泉と朝比奈さんが岩場の隅で膝を抱えながら雑草を抜き始めた。
………まあ、可哀そうではあるが、邪魔しないだけでも、よしとしようか。
///
「で、長門。どうにか出来そうか?」
「………数が多い。せめて、あと一人いれば」
前の時は一匹だったのだが、今回はなんと数十匹である。数の暴力ってのは恐ろしいね。
しかし、長門以外でもう一人、か。
頭の中にうかんできた存在を振り払う。
………それは、そいつは、こっちを選んだ俺が期待しちゃいけない存在だ。
だから、今、俺が期待するべきなのは―――、
「ふふふふふ、お困りのようですね」
ふいに聞こえてきた声に顔を上げる。
―――そこに、一人の、
――――――俺が、よく知ってる
―――――――――少女が、立って、
「じゃじゃじゃじゃーん!」
………いたのを全力で見なかった事にした、つーか、ありゃ幻覚だ、………と信じたい。
そんな俺の希望を全力で打ち砕くかのように『それ』は高らかに名乗りをあげた。
「SOS戦隊ラブレンジャーが一人、ラブグリーン! みんなのピンチに参上です!」
確かに、どえらい惨状ではある。ヤクタタネーズが正常に思えてくるほどだ。
少女は、ちゃんと前が見えるのか疑わしい緑色のサングラスに、俺達の学校の制服を緑に染めなおしただけのようにみえる服、そしていつもより緑分がやや増しているふわふわな長髪で………、つーか、団長様、何やってんすか?
ああ、胸の前に両手を使ったハートマークをかざしていますね。ラブっぽいポーズを必死で考えたんでしょうねえ、多分。
そういった陰の努力っぽいのをあえて無視していうと、正直、『やっちゃったー』って感じなんですけどねえ。………いや、可愛くはあるのですけれどね。
「しまった」
「何だ、長門?」
「このままいくと、わたしはきっと『ラブブルー』」
ああ、そりゃ大変だな。
「イエローになってカレーを食べる事が、今のわたしの、夢、………希望」
「ブルーだったとしてもお兄ちゃんが食べさせてあげるから! そんな悲しい希望を持っちゃ駄目ー!」
「あ、それと、このままいくと、あなたはきっと『ラブレッド』」
「夢も希望もなくなったー!」
こうして、かすかに見えていた希望を別ベクトルの絶望に変化させながらも、俺達に心強い助っ人が加わったのである。
しかし、ここから出るための最初の仕事がちょっとバーサク入った助っ人を正気に戻す事というのはどうにも、
「明日のラブレンジャーは、あ・な・た・達・です!」
………いや、もうどうでもいいか、やれやれ。
4.
とりあえず呆然自失のラブ予備軍二人組を長門に任せ、江美里を引っ張って皆に声が聞こえないであろう位置まで移動する。
「どうしたんですか? わたしには悪のカマドウマを倒すという使命があるんですよ」
あー、駄目だこいつ。完璧に入り込んでやがる。
本当は常識人のくせに無理して非常識な行動とるから、たまにこうやって暴走するんだよなあ。まあ、そんなところが………いや、そんな場合じゃなかったな。
とりあえず周囲を見えなくさせてそうなサングラスを取り上げ、江美里の両肩に手を置く。
「よし、とりあえず俺と一緒に数字を言っていこうか。………1、………2、」
「「………3」」
こっちを不満そうに見つめてくる江美里。まだまだ絶好調バーサク状態のようである。
「「………4」」
ふと、頭の中で何かが引っかかったかのように視線がそれる。
「………5」
「………5、………あ、れ?」
瞳孔が拡散した。どうやら何かに気付いたようである。
「………6」
「ふえ、え、あれれ?」
慌てて周囲、主にまだショックという状態異常から回復していない二人、と自分の格好を見直す。
「………7」
「んー」
目を閉じ、何かを考えている。おそらくさっきまでの自分の行動を反芻しているのだろう。
「………8」
「ウニャア!」
一気に耳まで真っ赤になった。うん、めでたく正気の世界へとご帰還なさったらしい。………本人にとってはノットめでたいなのかもしれんが。
「………9」
「ああ、あー、ううー」
せっかくなのできりがいいところまで数えることにしよう。いや、決して涙目で俺を見上げてくる江美里が可愛いから、もうちょっと引き伸ばしていじめてみようとか、そんな事は思ってないぞ。………最低100までは数えるがな。
「………じ「あ、あなたのせいですー!」
10数えるまもなく胸倉をつかまれ、俺の野望は儚く潰えるのであった。世界はかくも理不尽である。
「だ、だってしょうがないじゃないですかー! みんないきなり発生源不明の情報空間に閉じ込められちゃうし、規模的に長門さん一人だとちょっとつらいかもだったし、でもでも古泉さんや朝比奈さんにばれるわけにはいかないし………」
照れ隠しなのか、ばれたらやばそうな事を叫びまくる江美里。
………どうでもいい事だが、さっきから俺の首が良い感じで絞まっている。
「ばれたら困るけど、でもわたしはもう見捨てないって決めてるんだし、そしたらなんか谷口さんがラブレンジャーとか言ってたのを思い出したし………」
ああ、最後の部分が致命傷だったんだな、そりゃ。
ところで、お前が絞めてる俺の首もそろそろ致命的なんだが、脳に血が行かないと人ってタイヘンナコトニナリマ………。
///
頭が、ボーとしてくる。
そうして、世間体とか、照れとかそういった自分を縛り付けていたものから解き放たれ、俺は、自由な、一匹の獣となって、
「………ぐふっ」
そのまま愉快に屠殺されようとしたその時、
「うええー」
涙目で顔を真っ赤にした、大好きな少女の姿が視界に入った。
(ああ、可愛いなぁ………、あひー!)
素直にそう思い、思ったので、
ドサッ
「ふえ、え、え?」
―――とりあえず押し倒してみた、あひー!
///
「え、な、何? 何なんですか?」
はて、何だろう? とりあえず脱がしてから考えるとしよう、あひー!
「ちょ、ま、待って、待って! スカート脱がさないでー!」
ん、駄目か、あひー?
「駄目に決まってるでしょう! 冷静になってよく考えてください!」
む、脱がす前に考える事、か。よし………、
ポク、ポク、ポク、チーン!
「つまり着たままでするのがお好みだと、あひー!」
「悪化したー!」
マイラバーが何か叫んでいるが、もう俺的には答えが出ているのでスカートの中に手を入れる。
「や、駄目! ほ、ほら、みんな見てますよ!」
古泉はニヤケ面を固まらせ、朝比奈さんは人差し指と中指の間から目を血走らせてガン見、長門にいたってはどこからともなく取り出したビデオカメラを回している。
なるほど、ようするに、
「見せつけてやれば良いじゃないか、あひー!」
「さらに悪化したー! というか、あなた、壊れてないですかー!」
江美里が何か言っているようだが、正直もうほとんど耳に声が入ってこない。………いや、脳が認識してくれないんだな、あひー!
「いや、自分でもよく分からないんだけど、今夜は眠れない気がするぞ、あひー! ………ぐはっ」
殴られた。しかもよく見るとマイダーリンちょっとマジ泣き入ってるし………。
「んー、そんなに嫌、かな、あひー?」
パンツに指をかけたまま聞く。
「あ、いえ、婚前旅行とも言いますし、ちゃんと勝負下着ですから、どうしても嫌、というわけではないんですが、できればもう少しロマンティックな所で………」
よし、じゃあ移動しようか、あひー! 満天の星空が見える丘を、これから二人で探しに行こう、あひー!
「えっと、その前に『あれ』を何とかしませんと」
マイハニーの視線の先にはカマドウマの群れがいた。
「ふっふっふ、俺達のラブの邪魔をする無粋な虫けらどもめが、あひー!」
「確実に暴走してますよね、あなた」
「よし、ラブレンジャー出動だっ、あひー!」
しかし なにも おこらなかった
「ん、どうした、みんな、あひー?」
なぜか視線を合わせようとしない隊員達の中、マイステディーことラブグリーンが俺の両肩に手を置き、言った。
「はい、とりあえずわたしと一緒に数字を言っていきましょうね。………1、………2」
静けさの中に野生の勘が危険を知らせるような有無を言わさぬ迫力を併せ持つ表情で言われたので、それに従う。
「………3」
「………3、あひー!」
しかしまあ、こんな事してる場合じゃないってのになあ。目の前のカマドウマだけじゃなくて俺達にはもっと戦わなくてはならない敵が………
「………4」
「………4、あひー?」
敵、敵って何だったけなあ? たしか、………、
「………5」
「………5、………あれ?」
つーか、俺、………ナニヤッテンダロウカ?
「………6」
慌てて周囲を見回す。
「いえ、僕は何も」
目を逸らすラブブラック。
「………7」
さらに見回す。
「………これが、………羞恥」
絶対零度を超越した瞳をこっちに突き刺してくるラブブルー。
「………8」
絶望を感じながら見回す。
「えー、あたしはかっこいいと思いますけどねぇ、ラブレンジャー」
イノセントなセリフが逆に心に突き刺さるラブピンク。
「………9」
自分の顔が真っ赤になってきているのが分かる。
ああ、どうやら俺、………『やっちゃった』、らしい。
///
「………」
いつの間にかカウントの声は途絶え、あたりを静寂が支配していた。
しばらくの間、空に向けていた視線を地上に戻す。
目の前には大泣きする一歩手前の顔をした江美里がいた。
(………ああ、最悪だ)
江美里の口が開く。今ならどんな暴言だって甘んじて受けなければならないだろう。いや、むしろ受けたい気分だ!
「わ、わたしは………」
カモン罵倒! レッツ言葉の暴力! この暴走馬鹿を地獄へと突き落としてくれ!
「わたしは、どんなあなたでもついていきますから!」
………、
………あは、
………あはは、
………あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは、
………………………………………………………………………………………………………………うん、自分で死のう。
がすっ! がすっ! がすっ!
「いやー! レッドが岩場に頭をぶつけだしましたよー!」
「し、しっかりしてください、レッド! あなたには守らなきゃいけないラブがあるじゃないですか!」
どごすっ! ごりゅっ! ごがすうっ!
「悪化したー!」
「………逆効果」
ああ、良い感じに気が遠くなってきたなあ。それじゃ、最後に一つだけ。
「明日のレッドは、君だ、………あひー」ガクリ
「そんな遺言、いやー!」
愛しい人の叫びを最期のBGMにして、俺は夜空の星となった。
………てかマジで消え去りてー!
5.
クルーザーは無事に孤島へと辿り着き、そこにそびえ立つ洋館の中で、俺達は夕飯前の一時を荷物整理がてらの休憩にあてている所だった。
もう一度言う。クルーザーは無事に孤島に辿り着いた。途中の道のりでも特に何事もなく、無事に、だ。
もしかしたら何かあったのかもしれないが、少なくとも俺は何も覚えていない。
―――そう、これももう一度言っておこう。俺は、何も、覚えて、いない!
覚えていないといったら覚えていない。無だ、ゼロだ、ナッシングだ!
「………ラブレッド」
「うおおおおお!」
頭を抱えながらゴロゴロと床を転がる。思い出すな、思い出したら負けだ。
「………手遅れ」
「まあ、あまりお気になさらずに、としか言いようがないですね」
ちくしょう、古泉と長門、お前等一回俺の立場になって考えてみろ。………あと江美里、何で鼻押さえてるんだ?
「うーん、かっこいいと思うんですけどねー。『よし、ラブレンジャー、出動だっ、あひー!』」
「うぼぼごえー!」
朝比奈さんに笑顔で邪気ゼロのとどめをくらい再度床を転がる俺。
「ど、どうしましょう長門さん! 床を転がる彼が可愛すぎて鼻血が止まりません! これが、これが『あひー!』なのでしょうか?」
「………バカップル」
「失礼ですね。わたしはあんな風に床を転がったりはしませんよ」
「おや、そうなのですか。まあそれは良いとして聞きたい事があるのですが、よろしいですか、ラブグリーン、ラブレッド」
「うげぼぷえー!」
「ウニャアアアー!」
床を転がるバカップル。
それを見ながら古泉が、今まで聞いた事がないほどの冷たい声で、こう、言った。
「………やはり、あの状況を、『非常識というもの』を普通に受け入れているようですね、喜緑さん」
「「………あ!」」固まる長門と江美里。
「え、あれ、あ、そうか。………え、ええー!」盛大にパニクる朝比奈さん。
「はてさて、どうやら僕のあなたに対する認識は少々間違っていたようですね」
ああ、そういやこいつにとって江美里は神様で、だからそれを巻き込まないよう裏で事件を起こしたり、解決したりしてたんだっけ。………どうでもいい事だったんで忘れていたが。
「一応、この部屋にいるのは僕達SOS団団員だけです。盗聴器のたぐいもありません、誓って」
ただ、古泉にとっては、それは自分のアイデンティティーに関わる大問題なのだろう。
(………あれ?)
小骨が刺さったくらいの違和感がある。………これは、何だ?
「僕は、ただ、真実を、自分が今までやってきた事は何だったのかを、知りたい」
部屋に響く真剣な声も、今の俺にはその小骨を膨らませる効果しかない。
「話して、いただけますか?」
多分この感覚は、俺がみんなに朝倉涼子の真実を告げたあの時にも感じたもので………。
///
さて、江美里が説明している間、俺は部屋から追い出される事になった。どうやら、俺には聞かれたくない話らしい。
先程の釈然としない気分を抱えたまま何となく館内をうろついていると、
「おや、どうされましたか?」
夕食の用意をしているはずの、必要ないのに執事になりきっている新川さんと出会った。
「いえ、ちょっと具材を取りに倉庫へ向かう途中でしたので。それと、執事は私の趣味ですから」
………そうですか。本人から直接聞いてしまった以上はちゃんとつっこまないといけないとは思うのですが、ちょっと気分が優れないので簡略化しますね、なんでやねん。
「ふむ、そういう事ですか」
倉庫に向かう新川さんと一緒に歩きながら、詳しい部分は省いて、ただ『彼女が隠し事をしている』という事だけを相談してみた。
「信じるしか、ないのでしょうな」
さっきの簡略式ツッコミが良かったのか悪かったのか、こんな当たり障りのない答えが返ってきた。
江美里を信じる事ならちゃんと出来ていると思う。だから、どうして俺が釈然としない気持ちを抱えているかというと………、
………あれ? どうしてだ?
「それと」
何が疑問なのかが疑問であるという、典型的な堂々巡りの泥沼パターンにおちいりかけている俺に対し、新川さんはニヤリと笑いながら言った。
「真っ直ぐ進めんのはガキの特権だ。後悔のないよう突っ走りな!」
思わず全ての悩みを忘れて『結婚してください』と土下座してしまいそうになるほど男らしい執事だった。
………結局、答えはくれなかったけど。
///
気分が完全に晴れるとまではいかなかったが、『他人に話を聞いてもらう』という行為だけでちょっとはスッとしたらしく、足取りも、羽根をつけて死ぬほど努力したら2mくらいは飛べそうなほど若干ではあるが、軽めに部屋に戻る。
ノックして、話が終わった事を確認してから、何が出てくるか分からない天ノ岩戸をそっと開けた。
どうやら話が終わった直後だったらしく、それぞれがそれぞれのやり方で物思いにふけっているようだ。どうやら鬼や蛇が出るような事態は避けられたらしい。
「おう、どうだ?」
まず窓際で空を眺めていた古泉に近づき、小声でそう聞く。
「………そうですね。不満がないといえば嘘になりますが、納得は出来ました」
そうか、そりゃよかった。俺はお前が、『こんな団やってられっかー』って飛び出していってそのまま引きこもって部屋で一人畳の目をかぞえださないか、と不安でたまらなかったんだよ。
「………一度、あなたの中の古泉一樹像について、とことんまで語り合う必要があるみたいですね」
適当にいつも通りのやり取りを交し合いながら、視線をもう一人の方に移す。
もう一人、朝比奈さんはさっきからずっと、腕を組んだり頭に手を当てたり挙動不審と取られても仕方のない動作を繰り返しながら、部屋の中をうろうろしている。
「ふえ、あ!」
視線が俺に固定される。どうやら俺が入ってきた事に今更気付いたらしい。
「あの、………、あの、………、………本当だ、言えない」
朝比奈さんは雛鳥が餌をねだるようにも見える可愛らしい口パクを数回繰り返したあと、泣きそうな顔でそう呟いた。
「あーと、朝比奈さん「あたしは」
とりあえず慰めようとした俺の言葉をさえぎり、彼女は言った。
「あたしには、世界の法則だとか形だとかそんな難しい事はよく分からないけど」
俺から目を逸らさずに、江美里に向けて、こう言った。
「あたしは、喜緑さんは間違ってるって、そう、思うんです」
ああ、そうか。
それで、気付いた。
俺が感じた疑問、喉に刺さった魚の小骨、釈然としないものの正体。
朝倉の暴走、その時の彼女とのやり取り、古泉や朝比奈さん達の考えとは明らかに違う立ち位置にいる江美里。これらは世界に関わる事で、決してどうでも良い事なんかじゃない。
それなのに、俺はそれらを『昨日の夕飯って何だった』とかいう質問と同じくらいに『どうでもいい事』として流してしまっている。
何故だ?
いや、実はこれの答えも分かっている。
答えは、そこに江美里がいるからだ、である。
だから、結局、俺の疑問は、こうだ。
『どうして俺は、江美里の事を疑問に思わず、信じてしまえるのだろうか?』
違う言い方をすると、こうなのだ。
『どうして俺は、江美里の事を、疑えないのだろうか?』
部屋に吹き込んでくる風の中に、若干の湿り気を感じた。
―――どうやら、一雨きそうな気配である。
Epilogue.
「そういやアンタ、名前は?」
「あ、言ってなかったか?」
「疑問に疑問で返すな!」
つるべ落としという表現に花丸をあげたくなるほど急速に広がっていく夕焼けの中で、愉快なくらい理不尽に怒るポニテ少女。彼女と知り合いになったのは、ほぼ奇跡と言っても良いほどの偶然であった、………と信じたい。
そもそもの始まりは不思議探索中にたまたま道に迷った時、以前見た事のあるポニテ少女が歩いていたので道を聞いてみると、『あたしも迷子ですー! 悪かったわねー!』ときれいな逆ギレをくらった事である。
それから何故か、道に迷うたびにこいつと出会う事になり、しかもこいつも確率100%で迷子になっており、いつからともなくこんな会話を交わすようになり、そして知り合いへ、と。
………真面目に考えてみると、かなりイヤな関係だな、これ。
ただまあ、その程度の軽い関係がなんだか心地よいのも確かではある。
それを壊したくなかったし、どうせ名前を言う事に意味なんてなかったから、軽く流すことにした。
「名無しのゴンベエだ」
「あっそ、じゃ、ゴンで良いわね」
「流すどころか発展させられている!」
こいつ、やっぱ、すげー! 世界の法則をぶち抜いてやがる。
「あたしは、………ハルでいいかな、うん」
「それも偽名か?」
「あら、あんた、偽名なの?」
「疑問に疑問で返すのは駄目なんじゃなかったのか?」
「疑問に疑問で返すな!」
「えー!」
まあ、そんな感じでお互いに、偽の名前を交わしあった。
そうこうしているうちに知っている道に出たため、今日はここで別れる事にする。
「そいじゃ、またね!」
「おう、またな!」
また迷子になるのか、などと無粋な事は言わず、
差し出された手と手を、ぱーんと軽快に鳴らしあって、
俺達は顔見知り以上友人未満のまま、別々の道を歩き出した。
―――少なくとも、今日のところは、まだ。