Prologue.  
 
 最初に、朝倉涼子の事を少しだけ語ろうと思う。  
 まあ、俺はあまり彼女の事を知っているわけではないので『少しだけしか語れない』と言った方が正しいのかもしれないが、そんな事は語られる側からすれば些細な違いというやつであろう。  
 
 ―――さて、朝倉涼子の事、だ。  
 
 喜緑江美里と長門有希の小さい頃からの親友(本人達談、やや疑わしい)であり、谷口いわくトリプルエーランクであり、我等がクラスの誇るべき(?)委員長であり、済し崩し型SOS団準団員でもある少女。  
 喜緑が引き起こす様々な事件に、自分から飛び込んでいるとしか思えないほど高確率で巻き込まれ、涙ぐんでいる姿が印象に残っている。  
 
 
 俺達の味方、というか喜緑達にとっては同志だった………はずだ。  
 
 ただ、気付かなかっただけ。  
 
 ただ、二人とも、気付けなかっただけ。  
 
 
 その結果、彼女は最期に、俺達に、世界に喧嘩を売った。  
 それでも彼女は最期まで、強くて、弱い、俺達の大事な友人だった。  
 
 結局の所、俺が語れる事といえばこれくらいしかないのだ。  
 
 
 
 話は変わるが、昔読んだ漫画で登場人物(多分主人公の子孫か何かだったと思うが、うろ覚えですまん)が、東京まで行くのに飛行機を使おうが新幹線を使おうが、東京につくという結果に変わりはない、というような内容の事を喋っていた。  
 納得できない、つーか、したくない。  
 いや、別にそのセリフに異議を唱えようってわけじゃない。結果が全てという意見も、この現代社会においては殊更に、おそらく間違いではないのだろう。  
 
 ただ、使われなかった乗り物の事を、ちょっとでもいいから覚えておいて欲しい。  
 
 
 俺は、そう思っている。  
 
 ―――そう、俺は、願っている。  
 
 
 
―――――――――――――――――――――  
喜緑江美里の告白〜the melancholy of fake star〜  
―――――――――――――――――――――  
 
 
1.  
 
 
 SOS団が結成されて少したち、夏という季節を迎えて地球温暖化の影響を実害として感じられるようになってきたある日の夜、『もう時間も遅いことだしそろそろ寝ようか』と自分の部屋に戻った俺は、ベッドの上で正座している無口な文学少女を発見した。  
 
「………何してんだ、長門?」  
「ずっと、あなただけを待っていた」  
「すげー素敵なセリフだ!」  
 お前が不法侵入者じゃなかったら、だけどな。今のお前は素敵というか素で俺の平和を脅かす敵なだけだ。  
 ただまあ、いつもと変わらないその様子に、体の力は『そんなに心配する事も無いか』と風船がしぼむくらいの勢いで半分ほど抜けていったのであるが、ぷしゅー。  
 そんな俺に向けて、長門は正座したまま三つ指ついて、  
「やさしく、して」  
 と、深々と頭を下げた。  
「………ちなみに、それは何だ?」  
「こうするのが礼儀だ、と聞いた」  
「誰に?」  
「喜緑江美里」  
 溜息と共に力を全開で抜ききった、つーか抜けていった。ぷしゅー、もしくは、ぱーん。  
 ………お前、友達選べよ、マジで。  
 
 
 さて、どうやら長門は俺に話があるらしく不法侵入という犯罪行為に走ったらしい。  
「ばれなければ犯罪ではない、とも聞いた」  
「変な事ばっかり学ぶなよ。つーかお前、俺にばれてるからな」  
「ついうっかりばれてしまった場合も、慌てず騒がず口封じを、と」  
「イヤだ! お前のうっかりで俺は封じられるのか!」  
 いかん、これ以上つっこむと身の危険に赤信号点灯、交通事故へとまっしぐらだ。とっとと話題を変える事にしよう。  
   
「つーか、それって学校では出来ない話なのか?」  
「………あ」  
 目を少しだけ丸くしている。普段のこいつから考えると、どうやら凄く驚いているらしいな。  
「何だ、その今気付きましたっていう感じの『………あ』は?」  
「………ユニーク」  
 普段の無表情に戻ってそんな事を言う長門。生放送でセリフをかんだニュースキャスターのごとく、もの凄い今更感が周囲に漂った。  
「そんな使い古された言葉では、お兄ちゃん騙されませんよ」  
 そんな今更フィーリングにいつまでも流されるままの俺だと思ったら大間違いである。  
「………お兄ちゃんに、会いたかったから」  
「いやーん! お兄ちゃん騙されましたー!」  
 ………騙されついでに流される、いつも通りの俺である。  
 
「で、話って何だ?」  
 このままだとグダグダなまま、ゲームオーバーになってしまう。………こらそこ、『それもいつも通りだ』なんてつっこまない!  
「わたしと、喜緑江美里の事」  
 理想と現実のギャップに苦悩する俺を無視して長門の話は続く。  
 こいつと喜緑(ついでに朝倉もなのだが)は現在、同じマンションの別の部屋でそれぞれ一人暮らしをしているらしい、ちなみにこれは谷口情報だ。  
 しかし、話題が家庭の事情みたいなものになってくると俺なんかが聞いていいものなのかどうかってのが、………なあ。  
「問題無い。そもそもあなたが考えているような話ではない」  
 俺の気遣いを切り捨て御免と言わんばかりに一刀両断しながら、彼女はこんなトンでも話を語り始めた。  
「わたしはこの銀河を統括する情報統合思念体によって造られた………」  
 
 
 全てを話し終えた長門は、それでも正座を崩す事無く、ただじっと俺のほうを見つめている。どうやら俺の反応を待っているようだ。  
「あー、長門よ」  
「………何?」  
「ようするに、お前は自分の事を宇宙人だと思っているわけだな?」  
「厳密には違う。だがしかし、この星の言葉を使うならば、それが一番近しい表現だといえる」  
 ちなみに、こいつの任務は喜緑江美里を観測してその結果を親玉の情報ナントカカントカに送る事、らしい。  
 どうやら喜緑のヤツは宇宙に君臨する親玉からも一目おかれる存在らしい。  
 いや、ほんと凄いね。はびこってるね、………妄想が。  
「それで俺にどうしろっていうんだ」  
 溜息交じりの問いに、口調の変わらない単調な答えが返ってくる。  
「あなたはあなたの思うままに行動すれば良い」  
 分かったよ。んじゃとりあえず、1、1、9、と。  
「ゆきりんビーム」  
 
 何の音もしなかった。  
 ただ、俺の携帯が半分に切れ、床に転がった。  
 
「え!」  
 驚いて顔を長門の方に向ける。  
 彼女は左手で作ったVサインもどきを左目に当てた格好で、こちらをじっと見つめていた。  
「今のは?」  
「ただの超振動性分子カッター」  
「ビームじゃねーのかよ!」  
 いや、ツッコミどころはそこじゃないよな。  
 携帯は『切断面をくっつけたら普通に通話できるようになるのでは』と思えるほど滑らかに切られている。  
 超振動性分子カッター? What?  
 目から出した? How?  
 パニックに陥りながらも長門を注視する。  
「………?」  
 長門は左手を目に当てたまま首を横にカクリと動かした。おそらくは『何?』という事なのだろう。正直言ってその仕草は、  
「あー、可愛いなあこんちくしょう!」  
 脳内回路が大混線におちいってたせいか、抑制機能が働かず、思った事がすぐ口に出た。  
 
「………!」  
「………え」  
 
 音もなく、俺の髪の毛が何本か、床にパラリと舞い落ちた。  
「………あのー、長門様」  
「………少しだけ、興奮した」  
「いやーん! お兄ちゃん、命が命が大ピンチですよー!」  
 
 長門は左手を目に当てたまま(要するに発射準備OKなまま)、俺に向かってこう言った。  
「信じて」  
 俺が何を言えばいいか分からず黙っていると、長門はそれをどうとったのか、視線を床に転がっているマイ携帯の残骸へと向けた。  
 携帯は目に見えないほどの大きさに細切れにされ、どこからか吹き込んできた風とともに消滅した。  
 そのまま、また俺に視線が向く。  
「これで最後、………信じて」  
「いやーん! お兄ちゃん、めっちゃ脅されてますよー!」  
 
 こうして俺は長門が、まあ宇宙人かどうかは置いておいて、なにやら底の知れない力を持っているという事を、文字通り体で分からされたのである。………やれやれ。  
 
 
 あ、それと、風と共に消えたマイ携帯は長門がちゃんと再構成(?)してくれた。  
 見た目は変わりないんだが………なんか変な機能つけてないだろうな。  
「特には」  
 そうか? まあ、ならいいんだがな。  
「ちなみに、4、6、4、9、の順にボタンを押すと三秒後に盛大に自爆し、半径1キロが焦土と化す」  
「つけまくりじゃねーか!」  
「………駄目?」  
「不便すぎるだろうが!」  
 電話番号とかメルアドとか、4649が含まれているものって結構多いだろ。まあ、登録済みのヤツなら電話帳を使えばいいんだけどな。  
「理解した」  
 そう言って長門は俺の携帯を手に取り、カセットテープを逆回しにしたような音を目で追えないほどの高速で動く口から出した。  
 
「終わった」  
 ………そうか。まあ、普通の携帯に戻っているんなら、その手段にツッコむ事はしないけどな。  
「4649を含む電話番号にかけた時は、半径10キロが、どっかーん」  
「悪化したー!」  
「送信相手のメルアドに含まれていた場合、日本列島が、どっかーん」  
「さらに悪化したー!」  
 
 
 それと、今までの苦労がまだ入り口にしか過ぎなかったって事も、いろんな意味で理解させられた。  
「………ユニーク」  
「は、ははは」  
 
 
 ………泣きてえ。  
 
 
2.  
 
 翌日。  
 これからの自分の身の振り方とか長門との付き合い方とかを延々考えつつ、結局答えが出ないまま朝を迎えた俺は、寝不足の頭をメトロノームのように左右にふらつかせながらも、奇跡的に事故る事無く自転車で駅前へと向かっていた。  
 SOS団の団活動の一環として喜緑のヤツが主張している事の一つに、休日に行う不思議探索という物があり、本日はその一回目である。  
 動物園の動物なみにやる気の出ない団活動ではあるが、さすがに初回から遅刻というわけにはいかんだろう。………つーか、んな事したら後で喜緑にどんな目にあわされるかわからんからな。  
 
 
 俺と同じ考えだったのかどうかは分からないが、俺が駅前についた時、俺以外の団員と何故か正式団員ではないのに出席率九割(強制連行含む)を超える朝倉の計五人はすでに集合していた。  
「遅いですよ、罰金ですね」  
 いやいやいや、確かに最後になったのは認めるが、それでもまだ集合時間よりは前だぞ。  
「昔の人は良い事を言いました」  
 何だ?  
「この宇宙ではわたしが法律です」  
「それ明らかに今お前が作ったセリフだろ! しかも全然良い事じゃねぇし!」  
 その後行われた多数決という数の暴力により、結局俺のおごりという事で決着し、適当に選んだ喫茶店に入る事になった、………やれやれ。  
 
 
 おごりはSOS団メンバー全員と何故かいる朝倉の分、あわせて6人分か………さらば諭吉、こんにちは一葉&英世。  
「この店で一番高いデザートを持ってきてください」  
「あ、あたしもそれで」  
 ………さらば一葉、こんにちはニュー英世。  
「………おかわり」  
 さらばラスト英世。  
「………そして誰もいなくなった」  
 俺の財布がミステリーである。  
「おや、喜緑さんが探していた不思議というものがこんな所にありましたよ」  
「本当ですね。犯人の一刻も早い逮捕を心よりお祈り申し上げます」  
「犯人はお前等じゃー!」  
 まあ、犯人を見つけたところで解決するものでもないけどな。  
 借金生活に突入しなかっただけましと泣き寝入り、………せにゃならんのか?  
「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」  
「………おかわり」  
「あ、あたしもー」  
「ふふふ、足りない分はツケという事で。………トイチですが」  
「お前等みんな敵だー!」  
 愉快なワクワク借金生活スタートである。………ああ、厄日だ。  
 
 
「さて、では三組に分かれましょう」  
 こんな風な温かい会話と共に、全員が俺という会社を経営破綻に追い込んだ後で、喜緑がこんな事を言いだした。  
 どうやら不思議探索とやら物量作戦で行われる事になったらしい。  
「あ、それであたし呼ばれたんだ」  
 ………朝倉よ、お前は理由も知らずに付いてきたのか?  
 どこからつっこもうか考えているうちに話が進んでしまい、とりあえずグー、チョキ、パーで分かれる事になった。  
 
 結果、  
 グー:俺、朝比奈さん  
 チョキ:長門、喜緑、朝倉  
 パー:古泉  
 と、なった。  
 
「朝比奈さん、よろしくお願いしますね」  
「あ、はい、こちらこそ。いたらない点も多いかと思われますが、末永くお願いいたします」  
 なにやら癒される事極まりないレスポンスを返す朝比奈さん。  
「………二人とも。分かっているとは思いますが、これは遊びではありませんからね。もし遊んでいたら………うふふ」  
「………早く、来る」  
 無駄に不穏当な言葉を残しながらも長門に首根っこをつかまれ引きずられていく喜緑。  
「えへへ、三人でお出かけっていうのも久しぶりだよね」  
 それに付いていく朝倉。  
「じゃ、俺達も行きますか」  
「そうですね」  
 そんな微笑ましい三人娘を見送った後で、俺達も出発する事にした。  
 
「ららら、ろんりーちゃっぷりーん」  
 ………後ろから聞こえてきた耳に絡みつくような物悲しい歌声は、聞こえなかった事にした。  
 
 
 
 さて、女の子と一緒に行動する時、普通の男という生き物はどんな事を感じるものなのだろうか?  
 しかも相手が超のつく美少女である。谷口いわくテリブルエーである。  
 一般論としてはある種の高揚感と独占欲を感じる人が多いらしいし、先の質問の答えも大体それと似たようなものになるだろうと思う。  
 しかし、俺が感じたのはそんな思春期チックなものではなく、こう、哲学チックというか、電波チックというか、とにかくそんな感じの複雑なものであった。  
 それは、彼女が俺にした話が、昨夜の長門と同じように『この人脳内のネジが二・三本吹っ飛んでるんじゃないのか?』と疑わせるような内容だったからである。  
 
 
「実はわたしはこの時代の人間ではありません。もっと未来から来たの」  
 休憩のために座り込んだせせらぎが聞こえてくるほど川に近いベンチの上で、朝比奈さんはいきなり俺に対してこんな事を言い出した。  
「はあ、そうですか」  
「あー、信じてないでしょう」  
 確かに昨日までの、こういうのは漫画やアニメの中だけの話だ、と思っていた俺なら信じてなかったのかもしれない。  
 しかし、昨夜文字通り常識というものを細切れにされた今の俺には彼女の言葉を頭から否定することはできないのである。  
 まあ、かといって『ああ、それはなんと素晴しい事でしょう』などと全肯定する気もおきないので、必然、このような曖昧な返答になってしまうのであるが………。  
 信じるべきか、疑うべきか、それが問題だ。  
「むー、じゃあ証拠を見せてあげます」  
 そんな俺の古典文学的な煩悶など届くはずも無く、朝比奈さんは可愛らしいとしか表現のしようが無いふくれっ面のまま俺を引きずるようにして歩き出した。  
 なんつーか、引きずられるのに慣れてきた自分が少し憂鬱だね。  
 
 
 程なくして着いたのは見覚えの無い高層マンションの側面であった。  
「で、ここで何をする気なんですか?」  
「あたしはこれからここで起こることを言い当てます」  
 どうやらそれが、自分が未来人である事の証明になると思っているらしい。  
 俺をここに連れてきたのが彼女である以上、いくらでも事前に小細工する事は可能なわけであり、たとえ見事言い当てたとしてもそれが証明になるかと問われれば疑問詞をつけざるを得ないのではあるが、………まあ良いか。  
 目に炎を灯しながら頑張っている人間に、消火器をぶっかけるほど鬼じゃないしな。それが朝比奈さんならなおさらだろう。  
 
 
 朝比奈さんは腰に手を当てて、『えっへん』といわんばかりに胸を張りながら、こんな事を予言した。  
 
「いいですか、今から49秒後、このマンションの13階から植木鉢が落ちてきて、たまたま通りかかった犬さんの頭を直撃します」  
 
 
「………」  
 もの凄く本当は残酷な童話系統な内容だった。  
「って、大惨事じゃないですかー!」  
 いや、今気付いたんかい。  
 ………あ、なんかちょうど子犬がこっちに歩いてくるぞ。  
「あ、あ、こっち来ちゃ駄目ですー」  
 朝比奈さんが大げさな手振りで追い払おうとするが、人に慣れているのか子犬はそれをかまってくれていると勘違いしたらしく、ワンワンと元気よく鳴きながら喜び勇んで彼女のほうに走り寄ってきた。  
 
 
「あ、あぶなーい!」  
 どちらかというと危ないのはさっきから挙動不審なあなたのほうですよ、という俺のツッコミを無視して、子犬に走りよる朝比奈さん。  
 慌てて追いかける俺。  
 
 ―――結局、間に合う事はなかった。  
 
 朝比奈さんが子犬の元までたどり着こうかとしたその刹那、  
 ぐしゃっ、という生理的に聞きたくない感じの音とともに、朝比奈さんの頭に植木鉢がクリティカルヒットした。  
 
 ………いや、あんたに当たるんかいっ!  
 
 
「ふぎゅるっ!」  
 変なうめき声とともに動かなくなる朝比奈さん。  
 ………うーん、太陽がまぶしい、もう夏だねー。  
「ってか、大惨事じゃねーか!」  
 急いで彼女に駆け寄る俺。子犬は音に驚いて逃げ出していた。恩知らずめ、しょせんは畜生か。  
 ってそんな事考えてる場合じゃないよな。えーと、こういう時は、………あー、どうすりゃ良いんだよ!  
「とりあえず落ち着いたらいいんじゃないでしょうか」  
 起き上がってきた朝比奈さんに諭される。  
 うん、そうだな。朝比奈さんの言う通り、落ち着いて考えてみよう。  
 
 ポク、ポク、ポク、チーン  
 
「………埋めるか?」  
「いやいやいや」  
 朝比奈さんにつっこまれる。  
「ならば焼くか?」  
「もっと駄目でしょ!」  
 朝比奈さんに怒られる。  
「じゃあどうすればいいんですかっ!」  
 さっきからわがままばっかり言わないでください、朝比奈さん!  
「ええー、逆ギレー!」  
 
 あれ、ちょっと待てよ。  
 俺の目の前には可愛い係数無限大な自称未来人の先輩が、怪我一つなく存在している。  
 ………つーか、朝比奈さん、生きてる?  
 
「朝比奈さん。平気なんですか、頭」  
「もー、心配しすぎですよー。13階から落ちてきた植木鉢が頭に直撃するくらいでしたら、人間意外と何とかなるものですよ」  
 ………それはもはや生物学的に人間ではないのではないだろうか?  
「さ、これであたしが未来属性を持ってるって、理解してくれましたよね」  
 そうですね、どうやら不死身属性をお持ちのようですね。  
「あーもう、どうしたら信じてくれるの?」  
「いや、あのですね」  
 ため息を一つ。  
 
 ああ、本当に馬鹿馬鹿しい。  
 長門の事にしてもそうだ。『どう付き合えばいいか』なんて、そんな事は悩むほどの事じゃあないし、そもそも俺はそれが出来るほどたいした脳みそなんか持ち合わせちゃいない。  
 いろんな事が吹っ切れた俺は、その感謝も込めてこの上級生の質問に真面目に答える事にした。  
 
「正直、どうでも良いんですよ」  
「え?」  
「あなたが、たとえ未来人だろうが宇宙人だろうが、その他の何者であろうが、俺にとって、それはどうでもいい事なんです」  
 そう、彼女等がどんな存在であろうが一般人の俺に出来る事なんか何も無いし、する気もない。  
 俺は俺のまま、変わらずにいる、と真剣な顔で、目をそらさずに言い切った。  
「まあついでに言いますと、あなたは俺の尊敬できる(?)先輩です。それで良いじゃないですか」  
「………ごめんなさい。凄く良い事を言っているとは思うんですけど、途中の(?)って何なんですかー?」  
「まあ、『もう少し頑張りましょう』って事で」  
「うー」  
 子供っぽいふくれっ面はそれでも、俺の信頼できる先輩の顔だった。  
 
 
 
 午後からは朝倉と一緒になった。  
 長門と喜緑と朝比奈さんが同じ組になったらしく、やれ衣装だとかアピールだとか俺にとってはこれからの学生生活について頭を抱えたくなるような内容を相談しつつ、わいわい騒ぎながら歩いていった。  
「んじゃ、行くか」  
「うん」  
 さて、そんな不吉な話は聞こえなかった事にして、午後の部開始と行きますか。  
 
「あろーおーん、ぼくーらはー………」  
 ………こっちも聞こえなかった事にしよう。  
 
 
 午後の部が始まり、先程の川に近い道を歩きながら朝倉に問いかけた。  
「お前も俺に何か言う事があるんじゃないか?」  
「んー、別に、無いよ」  
 普通の、だからこそ想定外の返事がきた。  
 てっきりこいつは異世界人か超能力者かのどちらかだと思っていたのにな。  
「今は、ね」  
 ………思いっきり不安なセリフだよな、それ。  
 彼女はただ笑うだけで、それ以上何かを言ってくる事はなかった。  
 だったら、まあいいか。  
 どうせ俺に出来る事といえば、こいつが何かを言ってくるまで待つだけだろうしな。  
 特にやる事が無くなったので、川原で独り水切りをしながら『向こう岸まで届いたぜ、ひゃっほーう!』などと乾いた笑い声をあげていた古泉を誘って、喫茶店でどうでもいい事をダベりながら時間を潰す事にした。  
 
 
 結局、午後はどの班もめでたい事に特に何も無く、今日も一日平和(?)に終わるのであった。  
「駄目じゃないですか!」  
「何がだよ、喜緑?」  
「もっとこう、無いと駄目でしょう。興奮といいますか、血肉和気あいあいみたいな」  
「おお、大惨事じゃねーか、色々と」  
 
 
3.  
 
 (前略)古泉は超能力者(自称)らしい。(後略)  
「ははは、これはまた、………そろそろ泣いてもいいですか?」  
「俺の見てないところでな」  
 しかしまあ、これで自称を含めるとあいつが言っていたうち異世界人を除くすべてが集まった事になる。しかも全員が、多少の違いはあれ、世界は喜緑を中心に回っていると主張してやがる。  
 って事はそのうち異世界人も出て来るんだろうなぁ。誰だよ? 少なくとも俺は全く何の不思議属性も無い一般人のはずだぞ。  
「さて、それも彼女が望めば、どうなる事やら」  
「やかましい」  
 
 まあ、こんな感じで色々と厄介事は出てきたが、それ以外はおおむね平和な日々だったと思う。  
 
 
「なあ、何なんだ、この巨大カマドウマは?」  
「………情報生命体の亜種」  
「で、どーすんだよ」  
「ふふふ、どうやらここは僕の「あたしの出番ですね」  
「おい古泉、セリフをとられたくらいで両膝抱えて塞ぎこむな、キモい。………ってか朝比奈さーん、何でカマドウマに走り寄ってるんですかー! 危ないですよー!」  
「任せてくださーい! こんな図体だけ大きい虫さんなんてあたしの中を流れるこの素晴らしき未来的パワーを使って、ぷちっと………」ぷちっ  
「ぷちっと踏み潰されたー! 朝比奈さーん!」  
「………ユニーク」  
「ふふふふふ、そうですか、そんなに僕はキモいですか。けど最近の扱いを考えますと、いくら温厚な僕でもこう、堪忍袋の緒とかいうやつが、ぷちっと………」ぷちっ  
「ぷちっと踏み潰されたー! 古泉―!」  
「………ユニーク」  
 
 
 おおむね、愉快な日々だったと思う。  
 
 
「おう、古泉。今日は部活休みだぞ。ちょっと喜緑のバカが教師に捕まってな」  
「なるほど、それでわざわざ待っている、とそういうわけですか」  
「別に、たまたま暇だっただけだ」  
「ラブラブですね」  
「日本人なら日本語をしゃべれ」  
「ははは、ところで他の三人はその事を知っているんですか?」  
「ああ、携帯で伝えた」  
「………あのー、それなら僕も携帯にかけてもらえればありがたかったのですが」  
「いや、俺がお前の携帯に電話をかけることは金輪際無いから」  
「………もしかして僕、嫌われてます」  
「違う。こっちにも色々理由があるんだよ」  
「いいんですよ、気を遣っていただかなくったって、ね」  
「あー、もう! ほら、一緒に帰ってやるから、泣くなへこむな俯くな!」  
「うふふ」  
「うおっ喜緑、もう終わったのか?」  
「わたしを置いて帰ろうとした事については後で小一時間問いただすとして、とりあえず一つだけ質問があります」  
「別にお前を待つ気なんて最初から無かったけどな。………いや、すまん、嘘だ。だからそんな泣きそうな顔をするな! あーと、質問だったな。お兄さんもう何でも答えちゃうぞー!」  
「あ、じゃあ聞きますけど、どっちが『攻め』ですか?」  
「やかましい! つーか結局泣きまねかい! うわっ、もう満面の笑顔だよ、こいつ」  
「萌えました?」  
「萎えました!」  
 
 
 おおむね、素晴らしい日々だったと思う。  
 
 
「また遅刻ですか。罰金ですよ」  
「いや、ちょっと待て。信じられないかもしれないが、俺の話を聞いてくれ」  
「何ですか?」  
「重い荷物を持っているおばあさんを助けてあげようとしたら、そのおばあさんがそのまま俺の自転車を乗り逃げしやがったんだ」  
「ああ、わたしの依頼通りに動いてくれたようですね。さすがおキヌさん(96)」  
「お前の仕業かい! つーか誰だよ、おキヌさん(96)って!」  
「妨害工作は基本戦術の一つでしょう」  
「俺におごらせる事はお前にとっちゃ戦争なのかよ」  
「あら、彼女の食事代くらい彼氏が出すもの、でしょう?」  
「はあ、とっとと行くぞ」  
「え、あ、えと、うん」  
「否定しなかったわね(ひそひそ)」  
「ああう」  
「当然だ、という事でしょうか?(ひそひそ)」  
「ううー」  
「ご馳走様ですー(ひそひそ)」  
「あーうー」  
「………ユニーク(ぼそり)」  
「………ふ、ふっふふふ」  
「おい、喜緑何真っ赤な顔して立ちすくんでるんだ、風邪か?」  
「ウニャーーーーー!!!」  
「痛い痛い痛い! 蹴るな殴るな引っかくな! ………あ、あと、『ウニャー』って意外と可愛いな」  
「ウニャニャニャニャーーーーーー!!!」  
「悪化したー!」  
 
 
 おおむね、安穏な日々だったと思う。  
 
 
「短冊ねー、お前らは何を書いたんだ」  
「これ」  
「………『ユニーク』って、お前は何を願っているんだ?」  
「僕はこうですね」  
「………『必殺技がほしいです』………すまん、正直、いじりにくい。朝倉はどうだ」  
「え、いや、あたしは、そのー」  
「『必殺技がほしいです』って書いてありますね」  
「かぶってる! こっちもすげーいじりにくいー!」  
「あ、えっと、あたしはこうですよー」  
「………『世界人類が平和でありますように』、うん、癒されるね」  
「うふふ、わたしはこうですよ」  
「………『世界人類がわたしに跪きますように』、うん、頭痛いね」  
「萌えました?」  
「萎えました!」  
 
 
 おおむね、幸福な日々だったと思う。  
 
 
 でも、それを良しとしなかったやつがいた。  
 
 ―――それが、朝倉涼子だったんだ。  
 
 
4.  
 
 事件は学校で起こった。  
 いや、今から考えるとそれは事件というよりは事故とか天災とかそういったものに近かったのではあるが、当事者である俺達にとってはどちらも大差ない事である。  
 
 その事件は、学校も半日授業になりそろそろ夏休みの足音が聞こえてくるそんな頃、俺の靴箱に一通の手紙が入っていたという状況から始まる。  
 『放課後、誰もいなくなったら教室まで戻ってきて』  
 『はてさて、これは誰からの手紙なのだろうか?』などという無駄な思考に身を任せる必要もなく、その手紙の文末にはご丁寧にも印鑑つきで『朝倉涼子』と署名が入っていた。  
 
 正直、『油断』、というものはあったと思う。  
 
 俺の周囲に居る異質なやつらは、確かに変人ではあるのだが皆、………まあ、悪い奴らではないわけで、これまで俺は致命的、というか『あ、こりゃ死んだな』と思えるような出来事は経験していなかったのだ。  
 だから俺は、誰かに相談するという事を考えもせずに、放課後遅くみんなが帰ってから、そのまま自分のクラスに戻って教室のドアを、開けた。  
 
 
 
 夕焼けに染まる教室で、  
 全身を夕日に赤く染められながら、  
 
 生まれたばかりのわが子を抱き上げる聖母マリアのような微笑の中に、  
 神託を受けたジャンヌダルクのような決意と凛々しさを持ち合わせながら、  
 
 ―――朝倉涼子が、そこにいた。  
 
 
 
「入ったら?」  
「ん、ああ」  
 一瞬だけ放心状態であった事を悟られないように努めて普通に教室に入る、………もうバレバレかもしれんが。  
「つーか、いたずらじゃなかったんだな」  
「そ、実は差出人はあたしなのでした。どう、意外だった?」  
「いや、お前、名前書いてたし」  
「ああ、そっか。この世界だと、そうしたんだった」  
 ??? 何を言ってるんだ、こいつ。  
「というか、この世界でも、こうしちゃうんだね」  
 何だろう、今の朝倉は笑っているはずなのに、何故か追い詰められた手負いの獣を連想させる。  
 
「なあ、何か変だぞ。大丈夫か、お前?」  
「言いたい事があるの。あの時、言わなかった事」  
 
 俺の質問を無視して、夕焼けに染まった彼女は俺の元にゆっくりと歩いてくる。  
「喜緑さんや長門さんも頑張ってくれたんだけどね、予定より一ヵ月ほど引き伸ばすのが精一杯だったみたい」  
 黒髪をきらきらと輝かせる赤い光に、幻想的な何かを感じて頭がまたぼんやりしてくる。  
 
「『彼』を傷つけたあたしを『神様』は許さない。だけど、あたしは生きていたい」  
「何の話だよ」  
「世界を壊そうと思うの」  
「後悔するぞ、そりゃ」  
 
 ぼんやりした頭では何も考えられず、ただ反射で飛び出しただけの俺のセリフに、『いいのよ』と、彼女は綺麗に笑った。  
「あたしはいつだって、やらずに後悔するより、やってから後悔する道を選ぶ。だから………」  
 その笑顔に引っ掛かりを覚え、ただでさえ少ない思考力をそっちに向けてしまった俺は、次の彼女のセリフを危うく聞き逃すところだった。  
 
 
「お願い。死んで」  
 
 
 避けられたのは偶然でしかない。もう一度やれといわれてもそこには元俺という名の残骸しか残らないはずだ。  
 俺の頭があった位置を、朝倉が手に持ったサバイバルナイフが、一切の慈悲なく通過していった。  
 
 
 
 ………え?  
 
 意味不明、驚天動地、とにかくわけが分からない。  
 俺は何でまた放課後の教室で友達にナイフを突きつけられているんだ。  
 朝倉は立ち上がって笑顔のままこちらを見ている。  
 ジョークか? んなわきゃない。  
 今の一撃は俺が避けなきゃ確実に体の一部がさようならしてしまうくらいの勢いがあった。  
 
 それに何より、あの笑顔は、ない。  
 
 やっと気付いた。  
 
 あんな笑顔は朝倉の、いつも俺達に見せていた、本当の笑顔じゃない。  
 
 
 つまり、  
 
「もう、避けないで欲しいんだけどな」  
 
 要するに、  
 
「あたしのために、死んで、お願い」  
 
 朝倉涼子は、本気で俺を殺す気なのだ。  
 
 
 一瞬にしてパニックに陥る俺。当然だろう。俺の脳内マニュアルには教室でクラスメイトに殺されそうになった時の対処法なんて無いからな。  
 とにかく逃げようと振り返ったら、教室のドアと窓がすべて壁に変わっていた。  
「………あ?」  
 上下左右前後全てを壁に覆われ、光が差し込むはずなんて無いのに、夕日が室内を赤く染めている。  
 状況と状態のあまりの不自然さに一瞬だけ我を忘れた俺に、朝倉が神速をもって突きかかってきた。  
 
 
 
 ―――あ、死んだ。  
 
 
 
 どう考えても避ける事が出来ない必中の距離、速さ。  
 『結局こいつも何か変な力を持っていたんだなぁ』という手遅れっぽい考えと共に廻りだす走馬灯。  
 最後に浮かんできたのは何故か喜緑の、俺を引きずって行く時の本当に楽しそうな笑顔だった。  
 それを最低だ、と考え、最高だ、と想い、  
 せめてそれを奪う存在から目だけは離すまいと、ナイフに視線を向けようとしたその時、  
 
 朝倉が轟音と共に横から突っ込んで来た長門の蹴りによって吹き飛ばされた。  
 
 
5.  
 
「朝倉涼子、止めて」  
 吹き飛ばした方が、吹き飛ばされた方にそう告げる。  
「長門さん、邪魔、しないで欲しいな」  
 淡々と、まるで『そんな事本当は全く思っていません』といわれても信じてしまえそうなくらいのノリで、朝倉は喋る。  
「もう結果は変わらない。全て無駄な事」  
「分からないわよ。たとえ『神様』が見つからなくっても、それにつながるものを片っ端からつぶしていったら、そのうち出てくるかもしれないでしょう?」  
 二人して意味の分からないことを喋る。俺置いてけぼりである。  
 
「………それは、意味の無い事」  
「それは、あたしが決めるの」  
 ただ、二人の話が平行線で、どうにも交わる気配が無さそうな事だけは伝わってきた。  
 
「朝倉涼子、あなたを止める」  
「ふふふ、攻性情報をこの空間に仕込んだのね。馬鹿正直に同じことの繰り返し? 残念、この空間とあたしは今繋がっていないのでした」  
「なら、もう一度繋げるだけ」  
「どうやって? 知ってるでしょ、この世界に思念体は存在しないのよ」  
 長門は、それがどうしたといわんばかりに堂々とした態度で、告げる。  
 
「直接、叩き込む」  
 ―――そして、『終わり』が始まった  
 
 
 
 光と音の交錯が、ただそこにあった。  
 二人の戦いらしきものを表現する手段はこれくらいしかない。  
 おそらく彼女たちの間にはこの一瞬の間にも何百・何千、下手すりゃ億単位での応酬があるのかもしれんが、一般人の俺にはただ光と音しか感じられない。  
 
「もー、長門さん、なんでこんなに力持ってるの? 炊事・洗濯・掃除全部あたしがやってるんだから、ちょっとくらいそれ分けてくれたって良いじゃない」  
「あれは、あなたが勝手にやっている事」  
「だって長門さん、ほっといたら部屋の真ん中にパンツとか置きっぱなしにするでしょ。誰かに見られたらどうするのよ?」  
「………問題無い」  
「問題大有りですっ! もーいつもいっつもあたしが注意してるでしょう!」  
 しかし、交わされている会話が思いっきり姉妹喧嘩なので、どうにも緊張感がわいてこない。  
 脱力と緊張の狭間で揺れ動く俺を無視して、宇宙規模での姉妹喧嘩は続いていく。  
 
「大体、喜緑さんだってひどいわよねぇ。『いきなり宇宙人を呼び出すふりをしましょう』とか言ってあたしを簀巻きにして校庭に放り出すし。生贄って何よ生贄って」  
「………」  
 光が飛び散る。  
「朝にね、学校に行こうと思ったら、『ついうっかりこの服以外の服を洗濯してしまいました』とか言って巫女服さしだしてくるし、………着たけどさ」  
「………」  
 音が鳴り響く。  
「SOS団だってわざわざ「あなたは………」  
 光と音と他愛無いやり取りの中、一際、微かにだが響き渡る声があった。  
 
 
「あなたは、楽しくなかった?」  
 
 
「………あ」  
 一瞬だけ、光が、音が、止まった。  
 だから、多分、それが彼女の、彼女自身も気付かなかった、『生きていたい』と思う理由なのだろう。  
 いや、自覚していなかっただけで、本当は気付いていたはずだ。  
 
 本来なら一瞬で殺せるはずの俺が生きている事。  
 それが、その、証明なのだから。  
 
 
 楽しかったから、もう少しだけ生きていたくなった。  
 でも、生きるためには楽しい事を犠牲にしないといけない。  
 一緒にいると楽しい誰かと、別れなきゃいけない。  
 
 
 その矛盾のせいで俺は生き残り、その必然のせいで彼女は消える。  
 
 
 なるほど、どうやら本当に、  
 
 ―――『神様』、とやらは彼女の敵らしい。  
 
 
「そっか」  
 それを自覚して、表情を無くしながら、  
「そうなんだ、うん」  
 それでも、なお、  
「………あはは、でも、ごめん。あたし、もう、止まれないよ」  
 朝倉涼子は、前に進む。  
 
 知っている。  
 俺は、知っている。  
 そして長門は俺なんかよりも、もっと知っているのだろう  
 
 
 今更止まるほど、彼女は弱くない。  
 ―――止まる事が出来るほど、強くはない。  
 
 
「問題無い」  
 それを誰よりも理解しているであろう長門の声は、存在しない夕日に染まったこの不自然な空間に、無慈悲なまでに冷たく、響く。  
「あなたはわたしが、わたし達が、止める」  
 無慈悲なまでに優しく、届く。  
 もう朝倉からは返答無く、ただ交わされる光と音の量だけが増えていった。  
 
 
 そんな状況の中、俺は自分が何をするべきかを考えていた。  
 とはいえ正直、一言で表すと、『分かるかんなもん!』である。  
 あいつは大事な仲間であり、でもあいつが止まらないと俺が残骸と化すわけであり、どうせ止めなくてもどうやらあいつは終わりっぽいし、いや、そんな問題じゃなくて………、  
 
 
「キョンくん」  
 
 
 『そのあだ名で呼ばれるのは久しぶりだな』などと、どうでもいい事を思った。  
「キョンくんの次は喜緑さん、だよ」  
 そのセリフで、浮かんできた喜緑の顔で、あっさりと、俺自身の答えが出た。  
「朝倉」  
 それを、告げる。  
「恨みたきゃ、恨んでくれ」  
 俺は、俺のために、お前を止める事にするよ。だからお前は、  
 
 
「俺のために、死んでくれ」  
 ―――そう、自分勝手な理由を告げる。  
 
 
 
「うん、ありがとう」  
 
 
 返ってきたのは感謝の言葉。  
 ―――それが、ただ、悲しかった。  
 
 
 わきあがる感情をかみ殺しつつ、俺は携帶電話を取り出す。  
 『4649を含む電話番号にかけた時は、半径10キロが、どっかーん』  
 まあ、それくらいあれば十分だろう。  
 そう思った俺は、その数字を含む古泉の携帯にコールした後、  
 携帯を、朝倉の足元へと投げはなった。  
 
 俺が投げ入れたものは、おそらく二人からするとほんのわずかにしか過ぎないであろう力。  
 だけど、二人の均衡を崩すには十分なもの。  
 『わたし達が止める』、つまり、そういう事なんだろう、長門?  
 
 
 そして沸き起こる爆音と旋光。  
 それらが収まった後、俺は確かに見た。  
 
 朝倉の両手が鎗と化して伸びて、それに切り飛ばされたのであろう長門の左手が、どさっ、と音を立てて床に落ちる。  
 
 
 そして、長門の残った右手が、  
 
 ―――朝倉の無防備になった胸に、深々と突き刺さっていた。  
 
 
「直接接続、成功」  
 長門の言葉が、まるで敗北した王が終戦を告げるかのように、悲しく響き渡った。  
 
 
 
 長門は朝倉の胸から腕を引き抜き、二・三歩あとずさった後でその場に座り込んだ。  
 朝倉の周囲から光の粒子が舞いあがり、それとともに朝倉自身の体が消えていく。  
 
「今回は、ううん、今回も、になるのかな? まあどっちでもいいか。負けは負けだし、ね」  
 星のようにキラキラと、砂のようにサラサラと、足元から消えていく彼女は、無表情のまま、それでもいつもと同じ声で話し続ける。  
「よくもあたしを止めてくれたわね、長門さん。………愛してるわよ」  
 俺の立っている位置からは長門の後姿しか見えないし、長門の声は小さいから、彼女が朝倉にどんな表情で何を伝えたかは、俺には分からなかった。  
 
「うん、ありがとうね」  
 でも、それを伝えられた朝倉は、いつも俺達といた時のような笑顔に戻っていた。  
 
 だから多分、分からなくてもいいのだろう。  
 
 
 
 朝倉の視線がこちらを向く。  
「『神様』は偽者を許さない。このまま続けても不幸になるだけよ」  
 どうやら俺にかけられる言葉は、最期までなかなかに辛辣であるようだ。  
 つーか、お前のやり方でも不幸になると思うぞ、主に俺が。  
 
「お願いがあるの。これがあたしの『意味』になると思うから」  
 俺のツッコミを無視して話を続ける朝倉。  
 
 もう、胸まで消失している。  
 
「終わりは必ず来るわ、それも近いうちに、ね」  
 
 消えていく。居なくなっていく。  
 
 
「その時、ううん、それまで、喜緑さんをよろしくね」  
 
 
 そして、いつもと変わらない笑顔で、楽しかったなあ、と悲しい本音を残して、  
 
 
 ―――朝倉涼子は、この世界から消え去った。  
 
 
 ドサッ、という音がしたので振り返ると長門が床に倒れていた。  
「お、おい」  
 抱き起こそうと近寄る俺を残ったほうの手で制しながら、長門は言う。  
 
「問題ない」  
 
「いや、お前………」  
「全て予定通り。何一つ、問題なんて、無い」  
 
 まずはこの空間を元通りにする、と言ってふらつきながら立ち上がる不恰好な宇宙人のその顔を見て、俺は、  
 
 
「………なんで抱きつくの?」  
 思わず後ろから抱きしめてしまっていた。  
 
 
「あー、問題ない、問題ない」  
「………そう」  
 自分のセリフながら『何一つ答えになってないよなー』とは思うのだが、長門は振り払おうとはしないみたいだし、嫌がられてはいないのだろう。………まあ、そんな余裕が無いだけなのかもしれないが。  
 
「あっと、でもひとつだけ問題があった」  
「………何?」  
「この体勢だとお前がどんな顔をしているか、ぜんぜん見えない」  
「………………そう」  
 
 
「問題は?」  
「問題は………無い」  
 
 
 無いらしいから、俺はしばらくの間そのままでいた。  
 
 だから、あいつの表情とか泣き声とかは、俺は全然、覚えていない。  
 
 それで良いだろ。………良いよな?  
 
 
 ―――当然、答えなんて、どこからも返ってこなかった。  
 
 
6.  
 
 朝倉が親の都合で転校したという話は、次の日担任岡部の口からクラス中に知れ渡る事になった。………まあ、転校云々は長門の情報操作によるものなのだが。  
 
 事実が捻じ曲げられているのが何となくイヤで、窓の外を睨むように、視線をクラスの喧騒から外す。  
 多分、俺の後ろにいつもいるやつが座っていないせいで、背中から空っぽが襲ってくる感じがするのも、そんな気分を助長させているのだろう。  
 
 
 『あいつがいじめすぎたから逃げちまったんじゃねーのか』などと言う谷口をわりと本気で殴り飛ばしながら、喜緑を探そうと教室を出る。  
 教室を出たところで『もしかしたら欠席なのかもしれない』と考えつき、しかしさっき谷口を殴り飛ばしているため戻りにくかった俺は、とりあえず部室に向かうことにした。  
 一限目はサボりだな、こりゃ。  
 
 ―――気分的にも、状況的にも、だ。初体験だね、やれやれ。  
 
 
 
 部室のドアを開けると、もう授業も始まろうかというのに長門がいつもの場所でハードカバーをめくっていた。  
「よう、お前もサボりか?」  
 俺の軽口に長門は、こちらを見ずに言葉だけを返した。  
 
「喜緑江美里は、この校舎の屋上に居る」  
 別に、んな事聞いてないけどな。  
 
 そうか、屋上、か。  
 
「………よろしく」  
 何を、とは聞かず、ただやれやれと溜息を一つだけして、踵を返す。  
 どうしようかなー、などと思いながらも体は勝手に屋上へと向かっていた。  
 
 足が勝手に階段を昇ってるんだ。  
 だからまあ、仕方の無い事なんだろうさ。  
 
 
 
 屋上のドアを開けると、すぐにあいつの後姿が見えた。  
 存在が確認できて安心すると同時に、その在り方に不安を覚える。  
 
 振り返らずただ空を見上げる、その姿勢。  
 
 俺は、まるでそのままあいつが、どこかへ飛び立ってしまうような感覚に襲われて、  
 
 
「江美里!」  
 思わず、そう叫んでしまっていた。  
 
 
 永遠とまではいかなくても、それなりに長く感じられた一瞬の後で、  
「………そんな大きな声を出さなくても、ちゃんと聞こえていますよ」  
 そう言って彼女は、喜緑江美里は、俺に、この世界に振り返った。  
 
 いつもの笑顔、でも、その下に隠されている感情が今の俺には分かる。  
 
「俺が教師だったらどうするつもりだったんだ」  
「うふふ、脅迫の材料ならダース単位でザックザクですから」  
「こえーよ」  
「萌えました?」  
「萎えました!」  
 
 いつも通りの会話を交わす。でも、それだけで、分かる。  
 
 ―――こいつ、泣いてるよな。  
 
 
 ピクリ、と眉が動く。  
 ああ、俺が気付いている事に気付いたな。  
 
 こいつについて詳しい事なんて何一つ知らないのに、そんな事だけはどうしようもなく分かってしまう。  
 分かるだけ。気付くだけ。どうしたらいいのかは、分からない。  
 
 そんな歪な関係。それが、そんなのが俺達の絆なのだろうか?  
 
 それで、良いのだろうか?  
 
 
 
「ただ、助けたかっただけなんです」  
 感情を殺そうと努力して、そして失敗した、そんな声、そんな表情だった。  
「観測とか、任務とか、そんなものは建前だったんです」  
 響く、消える、響いて、消える、ただそれだけの音の固まり。  
 
 
「それに、今頃気付きました」  
 なのにどうしてそれは、こんなにも胸を掻き乱すのだろうか?  
 
 
「こんなの、ただの愚痴ですよね?」  
 俺は言葉を返さず、頷きを答えにする。  
「あなたには何の事だか分からない事ですよね?」  
 機械仕掛けの人形のように頷く。  
「頷く、だけ。何かをしてくれるわけじゃないんですね」  
 今の状態で何かをしてしまうには、まだ俺に決意が足りていない。  
 でも言葉にすると自分が抑えきれなくなりそうで、  
 ―――だから、ただ頷く。  
 
 
「でも、そばに居てくれるんですよね」  
「ああ」  
 
 
 その言葉は、自然に出ていた。  
 それには、決意なんか、もう必要無かったから。  
 抑える必要も、ない事だったから  
 
 
「………ありがとう」  
 江美里は作られた笑顔のまま、一筋の涙を流した。  
 
 
「あ、あれ?」  
 
 止まらず、流れる。  
 
「お、おかしいですね。………あれ?」  
 
 止めようとして、止まらず、流れ、続ける。  
 
「こんなの、嘘、ですから」  
 
 そうやって無理矢理に、真っ赤な目のまま、作り笑いで、  
 
 
「全部、嘘ですからね」  
 彼女は、そんな嘘をついた。  
 
 
「そうですよ。わたしは全部、嘘なんです。夢も、意思も、存在さえも」  
 泣きながら、笑いながら、  
 
「萌え、ました?」  
 
 彼女はそれでも、必死で日常を、取り繕おうとする。  
 
 
 だから、俺は………、  
 
 
 
 
 目を閉じ、呼吸を意識する。  
 
 息を一つ吸って、一つはく。  
 
 そうする事で覚悟を決め、決意を固め、答えを返した。  
 
 
 
 
「ああ、萌えた」  
「え?」  
 
 朝倉は言った。喜緑さんをよろしく、と。  
 
「つーか、萌えまくった」  
「え、え?」  
 
 ふざけるな。  
 
「いや、むしろ萌え転がった」  
「あ、や、ええ?」  
 
 
 よろしくされなくったって、とっくの昔に手遅れだ。  
 
 
「萌えすぎて、もうお前の事しか考えられないくらいだ」  
「え、え、え、そ、そんな事、いきなり言われても」  
 
 手遅れなんだよ、本当に。くそったれだな、ありがとう。  
 
「だから、責任、取れよな、江美里」  
「あ」  
 
 
 
 こういう時は目を閉じるのが礼儀らしいから、一般人に過ぎない俺はそうする事にした。  
 あいつの方がどうしたのかは知らないし、たぶんそれは『あいつが何者か』とかいう、下らん疑問よりさらにどうでもいい事だ。  
 
 たぶん、こいつは俺に嘘をついているのだろう。でも、良い。  
 世界は俺が思っているよりはるかに残酷で、陰謀渦巻くものなのだろう。でも、かまわない。  
 
 
 今俺の唇が感じている柔らかさは、それだけは、多分真実で、とても優しいものなのだろうから。  
 
 
 
 
 まあ、そんな感じでとにかく、だ。  
 
 
 朝倉涼子の暴走を乗り越えて、  
 聞こえない振りをしていた周囲の冷やかしを受け入れて、  
 
 
 いつか来るであろう分裂の時は見ないふりで、  
 この世界が持ち合わせている陰謀も見ないふりで、  
 
 
 心の奥に張り付いている後悔をそのままに、  
 未来に対する漠然とした不安もそのままに、  
 
 
 退屈も驚愕も溜息も全部飲み込んで、  
 
 
 憂鬱も希望も憤慨もすべて棚上げして、  
 
 
 
 ―――俺達は、恋を始めた。  
 
 
 
Epilogue.  
 
 『今日だけはちょっと一人でいさせてください』という江美里の言葉に従って屋上を後にする。  
 
 さっきの顔を見る限りではもう彼女は大丈夫だろうし、だったら俺も普通の生活に戻るべきなんだろう。  
 しかしどうにも授業を受ける気分にはなれなかったので、俺は高校生活始めての一日丸ごとサボタージュというやつを敢行する事にした。  
 無駄に余った時間と、無駄に叫びたくなるような高揚感はあるのだが、かといって何かそれらをぶつける当ても無く、ただ闇雲に足を進める。  
 
 結果、  
「………迷った」  
 こんな感じのオチがついた。  
 
 
 ちなみに、サボりマンな俺は制服を着ているわけで、当然人に道を聞くと補導されるかもしれないわけで、そんなわけでただぼんやりと道端に座り込んでいるわけである。  
 さて、俺は『わけで』を何回使ったでしょうか? ………どうでもいいよな、暇なんだよ。  
 『学校が終わるくらいの時間になったら江美里のやつにでも電話を入れよう』などと他力本願極まりない事を決意しながら、俺は人の流れをぼんやりと眺めていた。  
 
 
 
「うるさいわね、今日が学校ある日だって事くらい分かってるわよバカ! でもね、こんな良い天気の日に狭い部屋に缶詰にされて、よく分からないお経みたいな話を延々と聞かされるなんて、そんなのアンタだっていやでしょ」  
 ふと、光がさした気がしてそちらに目をやると、光陽園学院の制服を着たポニーテールがよく似合っている少女が、俺の目の前を携帯で喋りながら通り過ぎようとしていた。  
 
「え、『今どこだ?』ですって? あのね、世界の広さに比べると人間一人って細胞一つ分の小ささなのよ。そんな中で居場所って言われても、………う、………あーはいはい、迷いましたよ迷子ですよ、ごめんなさーい!」  
 電話の向こうの彼にまるで前世で兄弟であったかのような共感を覚え、少しだけ黙祷をささげる。  
 
「え、迎えにきてくれるの! ありが………、うー、ア、アンタがあたしを迎えに来る事なんて当たり前でしょ! ちょ、な、何で笑ってんのよ、もー!」  
 まあ、共感を覚えた理由としては自分もいつも江美里にあんな感じで引きずられているという事がまずあるのだが、それよりも大きな理由が一つ、あった。  
 
 
「いいから、さっさと来なさい、バカキョン」  
 
 
 どうやら電話の向こうの彼は、俺と同じあだ名で呼ばれているようだ。  
 
 
 
 そういえば、と思う。  
 俺のあだ名、『キョン』って、誰が名づけたんだったっけ?  
 
 
 考えながら、空を見上げる。  
 もちろんそんな場所に答えなんてあるはずもなく、ただ夏の太陽だけが、この世界は自分のものだと主張するかのように輝いていた。  
 
 
 ―――俺の手の届かない場所で、輝いていた。  
 
 

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