「…………」
ほんの一瞬だった。
刹那の行動がすべてを確定してしまった。
「長、門……!?」
長門有希が俺の手首を握っていた。
エンターキーめがけて狙いすませたはずの指先は、細くか弱い細腕に逸らされたことで未来を変えた。いや、過去すら変えてしまった。
眼鏡つきの、俺の知らなかった長門有希が、両の瞳に涙を一杯に浮かべて、朱色を通り越してすっかり赤くなった顔で、小刻みに震えながら俺を見上げていた。
「あ、あ…………」
困り果てたようにうつむく文芸部員の顔を今でも覚えている。
もしかしたら一生忘れないのかもしれない。
俺は、そうして元いた世界に二度と帰れなくなった。
夜が来るたび、俺は元いた世界を一人で思い出して懊悩し、悔悟し、最後に落胆する。決意したはずだった。
実際エンターキーを押すところだった。最後の最後で邪魔をしたのは、俺が予想もしなかった人物だった。
「…………ふざけんなよ」
自室で濡れた枕に向かっていくら呟けど、もう遅いのだ。
失われた時系列は二度と蘇らない。俺の前後にあるのは、どういうわけか綺麗さっぱり書き換えられた意味不明な歴史だけだった。記憶にもないのに、俺はその世界の住人になってしまったのだ。
月光だけが室内を冷たく照らしていた。
そして、俺はこの世界に来てから少しずつ変わってしまったのだ。
ありもしない方向に。向かうはずもなかった未来に。
それは俺にとっての禁忌だった。
無機質なマンションの一室。
蒼く暗い静寂が支配し、罪の色を塗り替える。それはもう戻れなくなってしまった俺と、ただ一人時間を共有する相手を慰めるようにして世界を支配していた。
「…………うぁ、……っく。ふぁぁ……うぁ」
微睡んだような、押し殺したような声が、申し訳とばかりに広々とした室内に残響する。
俺と長門はベッドの上にいた。ぞっとするほどに清冽な色をしたシーツを、背徳の黒い血液が堕罪の痕跡を残すように染め上げる。
「…………ふぅぅ。うぅぅああ!」
こんな状況でも長門有希は羞恥の心を顕現させていて、俺はそんな長門の態度が癪に障る。
お前のせいで元いたはずの場所に戻れなくなったんだ。どんな恥辱に打ちのめされても済むものではない。
そう言い聞かせる以外に、ざわめき騒ぎ続け、哭する自分を鎮圧する術はなかったのだ。仮にハルヒが止めていたら、そっちを陵辱の相手に選んでいたかもしれない。
正直言って、俺の奥底にこんな性質が眠っていたなんて知らなかった。余計で蛇足としか言えない知暁は、どこかにあったはずの箍を粉々に破砕した。
長門は必死に口で息をし続けていた。その姿は生後間もない子犬そのもの。しかも早々に鞭で打たれて全力疾走させられているような様相だった。だがそれでいい。
お前は俺を選んだんだ。後悔しているのなら今すぐ懺悔すればいい。ごめんなさい、許してくださいと謝辞を述べろ。何回言おうと絶対に許さない。
「……ふぁ、……っくあぁああああ! んあふぅ、うはぁあああ!」
陶磁器のように肌理細やかな白の上を、俺は両の指先でこれでもかと言わんばかりに撫で擦る。その間にも前後動を、まるで生殖行為しか本能のない猿のようにして繰り返す。
「んあっ、はぁぁああ! いっ……あぁっ、んんっ!」
小ぶりな乳房は、かえって俺の嗜虐心を軒昂させる引き金になった。出鱈目に握り、撫で、吸い付き、弄ぶ。噛んではいないが弄りすぎで内出血してるのではないか。青痣による斑が落款のように片側の丘陵に浮かび上がっている。
「長門……はぁっ、…………どうしてだ」
どうしてお前はこんな少女になっちまったんだ。俺の知ってる長門はこんな、辱めを受けるあまり失神と覚醒を繰り返すような、精神の脆い人間じゃなかったんだ。
罪液まみれの陰茎を引きずり出し、一時的に連結による拘束を解除する。しかし俺は続けて指先による虐めを繰り返した。最初から速すぎるほどの敏捷さで秘所に刺激を与える。
「んぁぁあああああっ! あぁああっ! んくっ、はぁあああああっ!」
途端に赤血球による朱を交えた液体が、過敏すぎるほどの反応で横溢する。瞬刻の間に右手が摩擦を感じないまでにヌメヌメになり、空に放ったまま硬化し続けていた竿が今一度随感の射出をする。
大腿部が脈動して、足先まで快感の従僕になっているのが解る。指先が快楽に反応してピクンと痙攣する。
「ふぅぅ……っく、ふぇ……はぁぁぁ……」
涙を拭おうとする長門の手首を後ろからつかんで振り向かせ、有無を言わさずに唇を唇で塞ぐ。
「んぅぅ! ……んーっ! んー!」
初雪のように清浄な白をした非力な片腕が背中に絡みつく。しかし爪を立てることも、打擲を加えることもない。救いようもないほどに長門有希は従順だった。そんな姿が腹の底に煮える憤怒を悪戯に扇情する。
深い接吻のまま、舌を限界まで伸ばして口蓋を塞ごうとする。滑落することが解っているかのような力なき抵抗も、享楽を増幅させるものでしかない。
そうすることでしか、俺は今の自分に存在意義を見出すことができない。
ここのハルヒはハルヒじゃない。古泉も違う。朝比奈さんも他人だ。
もう、何もない。何も残っていない。
絶望のような虚無と、原罪のような現在が横臥するだけだ。
ふと朧な視線を巡行させた先に、床の上で月光を反射する眼鏡があった。
今すぐ槌を振るいたくなる。……こんなものがどうしてここにあるんだよ。
「お前のせいだ…………。長門……全部…………お前が……っ!」
感傷のふれが最後の藁となって、俺自身を破滅させる。でたらめに涙が零れていく。気がつけば俺はまた長門を四足歩行の細すぎる獣にして、怒張する根を竅欠へ沈めていく。
「ああぁぁああああっ! うぁぁあ! ふううああああああっ!」
直後に全身をまるごと液化して波濤にしたような衝動が、ただ一点に凝集して、何物にも介在されることなく放出されていく。
「…………お前の……っ!」
「うあぁぁぁああ! はぁぁぁああああああっ!」
止まらずに延々と注がれ続ける。一体どこにこんな宿習があったのか解らない。ただ途方もない快楽だけがそこにあった。
俺たちはそうして夜ごと贖罪するのだ。
決して拭えぬ痕跡と共に。
(了)