八月も終りへと近付き、休養期間と引き換えに押し付けられた課題と奮闘する日々に突入し、  
切迫した進行状況から、学校の長期休業には恒例となりつつある我が家での勉強会の帰り道のことだ。  
 
 早めに区切りの良いところまで課題を終わらせた長門と朝比奈さんを、同じく手際良く片付けた  
古泉が送っていき、マンツーマンで残業してくれたハルヒを俺が送る事になった。  
 
 俺はめっきり早くなってきた日の入りに秋の訪れを感じながら、ハルヒの「SOS団は文武両道なのよ」との  
意気荒く垂れ流されるご高説を聞き流していたのだが――ふいに隣の壊れたラジオ少女からの音量が途絶え、  
少しばかり慌てて振りかえると、歩道脇の小さな公園に足を踏み入れた団長様のなにかを催促する視線と目があった。  
 
 やれやれ。今日は随分とはかどったし、感謝の印としては公園入口にあざとく設置された  
自販機の飲料なんか安いもんさ。もっとも、英単語1つ間違える度に20倍の単語で罵倒されなければ、  
素直に今日はありがとうなと頭を下げるのにやぶさかではないんだがな……。  
 
 自分用に購入した缶コーヒーで知恵熱を冷ましながらオレンジジュースを手渡してやる。  
「ん……今日は皆既月食、だったんだけど……あの辺りかしら?」  
 当然のように受け取ったハルヒが、お行儀悪く缶を加えたまま顎で指し示した空を眺めるもののあいにくの曇天。  
 なるほど。せっかくの天文ショーなのに公園に人気がないのはそのせいか。  
「なに不景気な顔してんのよ。暗雲なんか気合でなんとかしなさい!」  
 無茶いうな! と言いたかったのだが……気合でなんとかなってしまうのがハルヒのハルヒたる所以だ。  
 
「ほらっ! キョン! 月が――」  
 俺の名誉の為に付け加えておくが、雲の切れ間から月がのぞいた時には俺も空に眼を向けていたさ。  
「――月が……」  
 袖を引かれてからは……真夏の太陽に良く映えると思っていた100ワットの笑顔が、月光のささやかな明かりの下でも眩しく見えた。  
 
 ここで冒頭の会話へと繋がり、数年ぶりの衛星の神秘は記憶の枠からはみ出して消えた。  
 
 勉強会で根を詰めすぎたせいか頭が働かず、何から眼を離さなければ良いのか思いつけずに――  
 ――欠けていく月の光量に併せて閉ざされるハルヒの瞼が、増していく闇の深さに反比例して鮮明に映った。  
 
 俺の視界が更に暗くなっていくのは、はたして月食のせいなのか自分の瞼のせいなのか……。  
 
 ブロロロォォ……。  
 
 公園脇の道路を走りぬけた自動車のエンジン音が遠ざかった時には、俺達は五歩ほど離れて夜空を眺めていた。  
 ええい、何を暢気に月なんか眺めてるんだ、俺は。  
 いや……皆既月食だったんだな。もちろん忘れてないぞ。  
 
 俺のお株を奪う、やれやれと続きそうな嘆息に眼を向けると、腰に片手を当てたハルヒがゴッゴッと喉を鳴らしながら  
缶飲料を煽っていた。三歩半も一瞬で飛びすされば喉も乾くだろう。  
 残りの一歩半は……超短距離走という種目があれば、俺でも世界を目指せるかもな。  
 
「じゃあ、帰るわねっ! 家もすぐそこだし、あんたも気を付けて帰んなさい。  
 夏風邪はキョンが一番危ないんだから! ふん!」  
 俺を睨み付けながら放り投げた空き缶が見事に屑篭へと収まった音を合図に、臨時天文観測会はお開きとあいなった。  
 やれやれ。  
 
「なんか言ったっ!?」  
 超反応のハルヒに、肩を竦めながらすすり込んだコーヒーにむせつつも、なんでもねーよと返してやる。  
 もう一度、ふん! と鼻息荒く身体を翻すと肩を怒らせて公園を抜けていくハルヒ。と――、  
「――――」  
「……なんか言ったか?」  
「なんでもない! アホキョン、とっとと帰れー!」  
 
 
「いきなりパァーン! でしたからね。驚きましたよ。  
それで、時節を先取りしたこのモミジの理由はなんなんです?」  
 背中にクッキリと浮き上がった手形を古泉の確認してもらい、模様をなぞる手つきに身の危険を感じた俺は、  
慌ててシャツを直しながら首を傾げた。  
「特になにもなかったんだが、昨日の別れ際にアイツが話題にしたんでな。タイミングよく親戚から送られてのを  
持ってきただけで……特になにもなかったんだが」  
「特になにもなかったんですか? いえ、嫌いな果物だったんでしょうか?」  
 古泉も首を傾げるが、そんなわけないだろう。朝比奈さんが皮を向く端からたいらげてたぞ。  
 
 明けて翌日、部室でのミーティングの後。  
 衝撃波を伴う炸裂音を響かせた手形が押印される一幕を挟んで、俺が家から持ち寄った果物の早食い競争が展開され、  
今はハルヒと朝比奈さんが暑いからとの理由で、夏服から超夏服へと着替え中だ。  
「昨日言ってなかったかって手渡しただけなんだがな……特になにもなかったぞ」  
「なぜか真っ赤になってましたしね。難解です。……なかったんですか?」  
 
 男二人が首を傾げているその横で、着せ替え魔の魔手から避難していた文学少女が小さく早口で呟くのが聞えた。  
 
「いちじくなし」  
 

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