春の風に舞う、淡雪。  
 
落ちた瞬間、すぐに溶けてしまう、儚い雪。  
 
それは私の思いによく似ていて。  
 
降り積もることも出来なければ、形として残ることもない。  
 
でも、私の思いは消えない。  
 
溶けた想いは一筋の川となって。  
 
いつか届け、あなたの元へ。  
 
 
逢いたい。  
 
逢いたい。  
 
 
気がついたとき、周りには何もなかった。  
ここは、何処だ?  
自分の位置を確認しようと思って驚いた。手が見えない。  
体がない。俺がいない。  
俺は透明人間にでもなっちまったのか?  
そんな冗談交じりのことを思いつつ、どうしようかと途方に暮れていると。  
『よく来たな』  
頭に直接響く声。機械のような男とも女ともつかないような声。  
『我は情報統合思念体。言語がないので、すまないが直接脳の電子情報に介入させてもらう』  
そうか。この声は親玉か。  
ならば話は早い、情報統合思念体!長門を返せ!  
『いいだろう』  
聞こえたが早いか、目の前に雪が降り積もる。  
それは姿を形成し、俺のよく知る人物へ。  
そう、長門有希。それを形成した。  
久しぶりに見た姿に、涙が少し出そうになる。  
「長門……」  
声をかける。だが長門は変わらぬ無表情。  
それに何か引っかかりを感じる。  
おかしい。  
確かに長門はいつも無表情だ。俺と再会したとしても無表情だという可能性だって高い。  
でも、おかしい。  
表情が読めない。瞳の奥まで閉ざされたような無表情。  
俺の知っている長門なら、瞳を見れば感情は読める。  
おかしい。  
こいつは……  
「長門じゃない」  
こいつは長門じゃない。俺の知っている長門ではない。  
違う。違うっ!  
長門を返せ!  
 
『……ならば、これでどうだ?』  
瞬間、さっきまでの長門は光に戻り、新たな姿が形成された。  
だが、そいつも違う。長門じゃなかった。  
『……それならこれはどうだ?』  
また新たな姿。これも違う。  
違う!  
違う!  
違うっ!  
どれも、長門であって、長門じゃないっ!  
『……不満か?』  
ああ、どれも長門じゃない。  
『……ならば言え。どんな性格にもしてやる。お前の望む長門有希を作り出してやる』  
作り出す……だと!?  
『長門有希。我が作り出したインターフェイスの一つ。初期設定ぐらいなら簡単に操作できるぞ』  
そう言うが早いか、何人もの長門が現れる。  
笑っている奴、元気のいい奴、むすっとしてる奴……  
いろんな表情の長門……  
……違うっ!  
こいつらはあの長門なんかじゃない!  
『どれも「長門有希」だ』  
違う。  
俺は、何も『長門有希』を望んでるわけじゃない!  
俺は、『俺の知っている長門』を取り戻しに来たんだ!  
ほかの何物でもない、俺の長門だ。  
『どれも「長門有希」だ。可能性としてあり得た「長門有希」だ』  
違う。俺は認めない。  
『何故拒む。あの改変世界の「長門有希」も、可能性としてあり得た。なのに何故、お前は拒む』  
それを言われ、俺は一瞬止まる。  
可能性としてあり得た長門。あの長門は、これらの長門として居た可能性だってある。  
なのに何故、俺は長門ではないと思う?  
……答えなんて簡単だ。  
 
ふと、思わず笑い出したくなる。こんなに簡単な問題は、高校のテストにはないぜ。  
それはな、この長門は「SOS団の長門」ではないからだ。  
俺たちとの半年の記憶を共有していない長門だからだ。  
おっと、だからといってこの長門に今までの記憶を入れたって、それは長門じゃないぜ。  
それはあの長門にされちまった、別の長門だ。  
俺は別に頭もよくない、赤点レーダーギリギリを飛行するような馬鹿さ。  
だから上手く伝えることなんて出来ない。つーか頭がよくても無理だろうよ。  
俺の言葉に出来ないような、モヤモヤした部分が言ってるんだ。  
「長門は、長門。ただ一人」ってな。  
ここで作られた長門だって、一人一人違う。  
生命ってのは、まったく同じなんてあり得ないんだ。  
物だってそう。同じように生産されたからって、それらがまったく同じとは限らない。  
そういうものだから、どれもみんな平等に大切なんだ。  
あの改変世界の長門だって、ハルヒだって、朝比奈さんも、小泉も、可能性としてあり得た。  
だけど、俺の知っている、俺が居た世界のSOS団員はあいつらじゃない。別人だ。  
だからこの世界の俺は、この世界のSOS団員と一緒に居るんだ。  
俺の居るべき世界は、こっちだからな。  
もし、俺が最初からあの世界の住人だったら、この状況で迷わずあの長門を選ぶだろうよ。  
それは、その俺があの世界にいるからだ。  
わかったか!?情報統合思念体!  
可能性とか何とか言ってるが、俺の世界にいた長門は、あの長門だけだろうがよ!  
他の長門もあり得たかもしれないが、あり得たのはあいつただ一人なんだよ!  
無口で、無表情で、でも決して無感情ではない、不器用なあいつ。  
そう、俺が好きになった長門は、あいつただ一人だ。  
あ〜!俺自身、俺が何を言ってるかよく分からんが、そういうことだ!  
そこまで一気にまくし立てた後、俺は返事を待つ。  
暫くの沈黙、そして……  
 
『了解した。試すような真似をしてすまなかった』  
瞬間、今まで周りにいた長門が全て光に変わる。  
その光の粒子は、降り続く淡雪に似ていた。  
『お前なら有希を預けても大丈夫そうだ』  
その後、情報統合思念体はだいたいこんな意味のことを言った。  
長門に溜まっていくバグ、すなわち感情は、この先も異常動作を起こさないとは限らない。  
その際、俺がきちんと世界を元に戻せるか、情報統合思念体は心配だったらしい。  
つまり言い換えれば、俺がきちんとあの長門を選べるかどうか試したというわけだ。  
長門の作る世界は、おそらく長門がなりたいと思った長門になっているに違いない。  
そしてそれは、おそらく俺が好きになりそうな長門だ。  
俺が本当の長門を選ばず、その理想の、空想上の長門を選ばないか心配だったのだ。  
まったく、笑わせる話だぜ。  
そんな空想になんか、俺は左右されない。  
「長門」が「長門」であれば、俺はどんな長門だって、好きになる。  
これは自慢じゃないが、胸を張って言ってやろう。  
『そうか……』  
その瞬間、この空間が変化を始める。  
その向こうに見えたもの、景色。  
多分、俺の推測が正しければ、あの景色は3年前の俺たちの街だ。  
白い世界。淡雪だけがしんしんと降り、すぐに儚く溶けてゆく。  
淡雪舞う中、まるで雪が人になっていくような……  
そうか。  
これが長門有希の、誕生の瞬間だったのか。  
その長門がふいにこちらを向く。  
不思議そうに首をかしげ……  
『これからも、有希を頼む』  
そんな声をバックに、俺の意識は途絶えていった……  
 
 
「う……うぅん……」  
目が覚めた。見慣れた天井。俺の家。  
体を起こし、窓の外を見る。  
少し寒いと思ったら、雪が降っていたのか。  
春風に舞う淡雪。積もることなく溶けゆく。  
ふと、服を引っ張られる感じがして、そちらの方を向く。  
見て一瞬驚く。しかしすぐに、俺は笑みを浮かべる。  
そこに眠そうな目をこすって布団に横になっているのは、我が愛すべき妻。  
「おはよう、有希」  
「おはよう、あなた」  
有希が笑みを浮かべる。可愛いと今でも思う。  
「さっき驚いた顔してた。何故?」  
問われ、俺は苦笑しながら答える。  
「昔の夢を見たんだよ。その頃の俺が今のお前を見たら驚くかなって?」  
「……そうね」  
ふふっと笑いつつ、散らばった下着を集める有希。  
本当に信じられないよな、あの頃の俺からすれば。  
でも、俺はまぎれもなく取り戻したんだ。この「長門」を。  
俺たちの出会いは、あの文芸部室でだった。  
だけど本来は、それより3年前だった。  
でもな、最近思う。お前はそれより前に俺を見たんじゃないか?  
生まれた瞬間、俺を見たんじゃないのか?  
聞いても、有希は答えない。ただ笑みを返すだけ。  
本当のことなんて今でも判らない。  
きっと多分、本当のことなんて誰も知らないのさ。  
俺がこの俺、有希がこの有希である意味だって、本来なら意味がないことかもしれない。  
それでも俺はこの有希を選んだ。選び取った。  
なぜなら、そうだなぁ……  
真実なんて、降った瞬間溶けて無くなっちまうような淡雪のようなものだとしても。  
淡雪が降ったこの瞬間は、綺麗だって誰もが思うからかもな?  
 
 
 
(終わり)  
 

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