空を見上げれば、大きな白の固まりが舞っている。
あとからあとから降り積もる雪帽子。
俺の頭にふわりと乗ったり、頬をそっと撫でていったり。
俺は冬はあまり好きではない。寒いからな。
だけど、降り積もる雪は、何故か温かく。
懐かしさを感じるような温もり。
人の想いも雪と同じく積もりゆくと、何かに書いてあった。
しかし、雪帽子もいつしか濡れ雪に変わり、温もりが薄れゆく。
少し残念に思いつつも、校舎内へ入ることにする。
灰色の空はどんよりと、何かを隠しているかのようにも見える。
何故だろう?濡れ雪を見ていると、そこでいつも誰かが泣いているような気が――――
「うぅ〜っ、寒い」
そうつぶやきつつ、今日も部室のドアを開ける。
まったく。冬休みに入ったというのに、なぜこうやって集まらなければならないのかね。
体を震わせつつ、部室の電気ストーブに手をかざした。
「あ、キョンくん。今、お茶入れますね」
俺の愛すべき天使、朝比奈さんが笑顔でやかんに手を伸ばすのが見えた。
今日はまだ、朝比奈さんしか来ていないらしい。
まあこんな寒い日には、朝比奈さんのお茶でも飲んで暖まるのが一番だ。
窓の外を見る。舞い落ちる雪。でも、軽やかではない。
水分を多く含んでいそうな、霙混じりの濡れ雪だった。
その時、頭の中に何かが走った。
……?
何だ、これ?
最近雪を見ると、こんな変な感覚に陥る。
不思議な気分に首をひねる。そんな俺を現実に引き戻す声。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
ものの数分もしないうちに、熱いお茶が手渡される。
それを一口飲んだだけで、それこそ俺の体と心は春の草原並みに暖まったね。
さっきまでの不思議な気分も、一瞬で吹き飛んでいく。
そんな幸せな気分に浸っていたというのに、無粋な声が聞こえた。
「どうも。今日も一段と寒いですね」
ドアを開け、胸がムカムカするような爽やかスマイルで小泉登場。
俺の隣に腰掛け、電気ストーブに手を伸ばした。
あ、この野郎、少し自分の方に角度変えやがったな!
「最近は雪続きですね。こんなに降るのなんて珍しいんじゃないでしょうか?」
窓の外を見つつ、小泉が話しかけてくる。
そういえば俺が退院してからというものの、ずっと雪が降っている。
まったく、やれやれだ。階段で転んで頭を打ったかと思ったら、今度は雪に滑って転べってことじゃないよな?
ため息を一つついて、小泉に返事を返してやる。
まあな。こんなに降るのは、ちょっと気候がおかしくなっているんじゃないかと俺も思うね。
まさか、ハルヒがこんな気候にしてるんじゃないだろうな?
「それはないでしょうね。涼宮さんが、特別雪に何か思っている様子はないみたいですし。」
そうか。じゃあ、やっぱり環境破壊とかの影響だな。
「そうですね。それと一つ僕が思ったことなんですが……」
なんだ。何かの長ったらしい解説だったら、ゴメンだぜ。
「雪に特別何か想いを馳せているのは、あなたの方なのではないでしょうか?」
は?と、思わず言いかけたね。
俺が?雪に?何故?
「退院してからのあなたは、何処か変ですよ?」
何処がだ?俺自身では、前と変わってないと思うのだが。
「自分で気がついてないのですか?よく雪を見ては、とても悲しそうな顔をしていらっしゃいますよ」
悲しそうな顔だと?全然気がつかなかったな。
でも、よくよく思い返すと、最近雪をボーッと見ていることが多い気がするな。
見ようと思って見ているわけではない。なんとなく気がつくと雪を見ているのだ。
「何か雪にでも思い出があるのですか?」
雪に思い出ねぇ……特にないとは思うんだが……
そこで思考にノイズが走る。一瞬悲しそうな顔が浮かんだ。
……誰だ?何だったんだ?さっきのは。
「やはり、どこかおかしいですよ。頭を打ったせいですかね?」
うるさい。黙れ。
でも、頭を打ったせいかもしれないと俺も思う。
そうでなければ、さっきのような幻覚は見えないだろうからな。
きっと俺は疲れているのさ。そうだ。ハルヒの命令のせいでネタを考えなくてはならなくなったからな。
まったく、やれやれだ。
……とドアがぶち破られるような音がした。
噂をすれば何とやらか?ハルヒ団長殿。
「遅くなってごめーん!ストーブかっぱらってきたわ!」
ストーブが増えるのはありがたいが、お前は一体いつもどこから盗んでくるんだ?
「何処だっていいじゃないのよ?」
そう言い、早速部室に設置し始めるハルヒ。
さて、これで残るは後一人だな。
思った次の瞬間、ドアが静かに開く。
これで全員集合か。
最後の一人、本好きの宇宙人。そいつは……
「こんにちは」
「こんにちは、喜緑さん」
喜緑江美里。我らがSOS団の団員にして、元文芸部員。
窓の外では、雪が降り続いていた。
その日は特に何もなく、30日の予定を確認した後は各自好きなことをやっていた。
外を見る。雪。止む気配は全くない。
また頭にノイズ。誰かが泣いている。
いや、泣いているわけではないが、泣いているように感じた。
不思議な不思議な、彼女は――――
誰だか判らない。頭が痛む。これ以上は思い出せない。
思い出せない、だと?
誰だか判らない奴のことを、思い出すとはどういうことか?
……やめよう。やっぱり、疲れているんだ。
こんな時は、ボーッとするが一番だ。
朝比奈さんを見る。愛すべきSOS団メイドは、偉いことに勉強なんぞをしていた。
必死に問題を解く姿に、微笑ましさを覚える。俺の癒しだ。
小泉はどうでもいい。いつものように一人でボードゲームだ。
続いてハルヒ。こいつは団長席にどっかりと座り、パソコンに夢中だ。
ネットでも荒らしているのかね?頼むからまたいつぞやのような変なものは出さないでくれよ。
あの時はホントに大変だった。巨大カマドウマは凄かったぜ。
そういえば、コンピ研の部長さんと喜緑さんは結局付き合ってなかったんだよな。
そこで頭が痛む。……あれ?あの仕事を依頼したのは、喜緑さんだったよな……
だったら、辻褄が合わない。喜緑さんは団員なのだから。
あれ?おかしいぞ?じゃあ誰があの空間を……?
思い返す。確かにあの時、喜緑さんは依頼をした。
そしてそれを解決したのは、俺と朝比奈さん、小泉、そして……?
あれ?誰だ?思い出せない。
あそこにいたのは、喜緑さんのはず。辻褄が合わない。
誰かいた?誰だ……?別の人が……?
思わず喜緑さんの方を見る。いつものように優しい笑顔で本を読んでいる。
……いや、違う。おかしい。
これは「いつもの」ではない。
頭の中で、何かが崩れゆく。
そして何かが浮かびゆく。悲しそうな顔。別れ際の呟き。ふわふわと舞う雪……
雪……?ユキ――――
「有希……?」
思わずつぶやいた。ハルヒが「雪?それならまだ降ってるわよ。」と言った。
違う。ハルヒ。雪じゃない。有希だ。
そうだ。長門。長門有希。
どうして今まで忘れていたんだろう?あの日からすでに何日も過ぎているのに。
そうだよ。長門。俺はお前を取り戻しに行かなきゃならない。
ハルヒはいる。朝比奈さんも小泉もいる。
俺はハルヒのところへ詰め寄った。
「ハルヒ」
「何よ?」
「お前、長門を覚えていないか?」
「長門……?誰よ、それ」
不満そうな顔で俺を見上げるハルヒ。
「長門だ。長門有希。元文芸部員で、SOS団員のだ!」
「SOS団員?そんな子知らないわよ。SOS団員はあたし、あんた、みくるちゃん、小泉くん、そして江美里だけよ」
「違う!覚えてないのか!?思い出せ、ハルヒ!」
思わず声が大きくなる。朝比奈さんも、小泉をこちらを見ていた。
「朝比奈さんも、小泉も思い出してくれ!長門のことを!」
俺が必死に言うが、二人ともきょとんとしている。
「キョン」
「なんだ?思い出したか!?」
「あんた、大丈夫?やっぱり頭打ったときの後遺症でもあるんじゃないの?」
ハルヒが、おおよそハルヒらしくないような表情を浮かべて俺を見る。
くそ……やっぱり、誰も覚えていないのか……
俺は次に喜緑さんのところへ向かう。
「喜緑さん」
「何ですか?」
「情報統合思念体に連絡できますか?長門を返せって」
「長門さん?誰でしょう?」
後ろの方でハルヒが「情報ナントカって何よ?キョン!?」とか言っているが、無視だ。
「とぼけないでください。あなたなら知っているでしょう?」
「……思い出してしまったのですか?」
柔らかな笑顔のままの喜緑さんに、少しばかり怒りを覚えてきた。
「ああ。思い出したとも。さっさと長門を返せ。でないとハルヒをたきつけるぞと伝えろ」
自分でも声が低くなったのを感じた。
しかし、喜緑さんは悪びれる様子もなく
「それは無理な相談です。あなたにはもう少し強めに改変を行うべきでしたね」
と言い、俺の前に手をかざした。
目眩がした。視界が暗くなっていく――――
「キョンくーん!朝だよ〜!起っきろ〜!!」
うるさい我が妹の叫びにより、俺の意識は覚醒するハメとなった。
頭が痛い。風邪か?いや、寒気はしない。
なんだか大事なものを忘れているような……
今日は学校に行かなければならない。冬休みだってのにハルヒが集合なんかかけやがるからだ。
まったく。どうせ何もやることもないだろうに。
窓の外を見る。雪。降り積もる白。
頭痛がした。何かを忘れている。
あれ?そういえば、昨日の記憶があやふやだ。
確か部室に行って……待てよ?部室に行くのは今日のはずだ。昨日は行っていないはず。
だけど俺は確かに、朝比奈さんのお茶を飲んだ気がするのだが。
昨日はいつ寝た?あれ?寝たっけ?俺。
何処かから記憶が途絶えているような気がする。
でも昨日はない。その記憶は昨日ではあり得ないはずのこと。
じゃあ夢か?
だが、その意見は俺の中の何処かが否定する。
思い出せ!と俺の何かが告げている。
雪は強くなり、吹雪と化している。
雪……?
俺はそこではじかれたように跳ね起きた。
そうだ。ユキだ。有希だ。
長門のことを思い出して、喜緑さんに何かされたんだ。
そして多分だが、記憶を消されて今朝に戻されたんだ。
携帯電話が鳴る。ハルヒからだ。
「あ、キョン?今日は吹雪で外に出られないから、やむを得ないけど中止ね」
「ハルヒ」
「何?やっぱりSOS団がないと残念?そりゃあたしだって中止にはしたくな……」
「喜緑さんの家は何処だ?」
「え?江美里?江美里の家なら――」
吹雪の中、俺は走る。
自転車は雪で漕げそうになかったから、仕方がないが走っている。
吹雪は俺を拒むように容赦なく降り続け、吹き飛ばそうとする。
まるで白魔が荒れ狂っているような。
それでも諦めようとは露ほどにも思わなかった。
たとえな、情報統合思念体が何をしようとも、長門が望んでいなくても。
俺は長門を取り戻す。そう決めた。
長門がいることで俺たちやハルヒにどんな影響があったとしても。
もしまたバグでもやらかして、世界が何度変わっちまったとしても。
世界がもし滅びようとも、俺は認めない。
長門のいないSOS団なんて、俺は絶対認めない。
何時間も走ったような気がした。目の前にあるマンション。
ハルヒに教えられた番号を入れる。数秒後に聞こえる声。
「俺だ。入れてもらえないか?」
上がり込んだ家は、普通の部屋だった。
長門の殺風景な家とは違って、かわいらしい部屋。
「何の用ですか?」と喜緑さん。
「判っているんじゃないですか?」と俺。
それを聞くと、喜緑さんは少し笑って
「また思い出したんですか?今回は吹雪まで吹かせて、来られないようにしたつもりだったんですけど……」
「吹雪ぐらいで俺を止められると思うな。」
威圧のつもりで睨んでみる。しかし、笑みを崩すことは出来なかった。
「これで何十回目ですか?そろそろ次の日に進めたいのですけど」
何十回?俺は、そんなにも今日を繰り返していたのか?
「そうです。記憶を消した後次の日に進めてもいいのですが、それだと少々困りますので」
そんなことはどうでもいい。長門を返せ。
「またそれですか。無理な相談です。長門さんを返すわけにはいきません」
「何故だ!?」
俺が強く問い詰めると、初めて喜緑さんは笑みを崩し、真剣な顔つきになった。
「何故と聞きたいのはこっちの方です。どうしてあなたはプロテクトをいとも簡単に破り、長門さんのことを思い出してしまうのですか?どうして返して欲しいのですか?」
そんなの簡単だ。長門は仲間だ。仲間のことを忘れるほど、俺は冷血な人間じゃない。
連れ去られたら、連れ戻す。SOS団の誰もが欠けちゃならない。
5人そろってSOS団だ。
そう言うと、喜緑さんは少し微笑んで
「それ以外の理由はないのですか?」
それ以外の理由だと……?
「自分の気持ちに素直になってください。でないと、私はまたあなたの記憶を消さなければなりません」
俺は自分に問いかける。何を隠してる?言え。言わないと……
「なら、質問を変えます。私ではダメでしたか?」
ダメとは?
「私がSOS団の一員では不満でしたでしょうか?」
言われて、不満だと答えてやろうとしたが、声が出ない。
そうだよ俺。何で喜緑さんじゃダメなんだ?
長門じゃなきゃならない理由はあるのか?
長門が長門じゃなければならない理由……
そこまで突き詰められて、ようやく俺は自分の声に気がついた。
「ああ、不満ですとも」
俺は答える。自信をもって言ってやるさ。
「なぜなら俺は、長門のことが好きだからだ!」
そうだ。喜緑さんじゃダメで、長門でなきゃならない理由。
それは俺が長門のことを好きだからに他ならなかったんだ。
「そうですか。それを聞いて安心しました」
喜緑さんが笑顔になる。……どういうことだ?
「私は情報統合思念体によって、あなたに試練を与えたのです」
喜緑さんが言うところによると、もし俺が長門のことを忘れたまま明日を迎えたら、完全に長門のことを消し去る予定だったという。
でも長門のことを覚えていたら、記憶を消して今朝に戻せと。
そして情報統合思念体が納得するような形、つまり俺の元に長門を返してもいいと思えたら、長門の居場所を教えようと。
そして俺はその難題を突破した。長門のことを忘れることなく。
「今からあなたを時空間移動させる。そこに長門さんはいる。どうすれば長門さんを取り戻せるかはわからない。けど、頑張って」
喜緑さんはそう言って、俺の額に手を当てた。
瞬間、目が回るような感覚が訪れ、俺の意識は飛んでいった。