・A−VI  
 
 その日の帰り道。  
 新入団員候補生への独演で気分が良いのか、ハルヒは足が地に着かないぐらい浮かれた状態で朝比奈さんに絡んでいた。  
「このまま新入生の方に気持ちがシフトしていただければ、僕も同じように春うららなステップを披露するのですが」  
 勤労に疲れつつも営業スマイルを見せる中年男性のような雰囲気を引きずって、古泉はそんなハルヒの事を見つめている。  
 そんな憂いが出ると言うことは、ああ見えて未だに深層意識じゃぐたぐただって事なのか。  
「ええ。ですが昨日までよりは安定しているみたいです。全ては今夜次第でしょうね」  
 そんなサービス残業に精を出す古泉を見てしまったからだろう。俺は下駄箱に入っていた気の進まない呼び出しに不承不承ながら  
応じる事に決めた。  
 それにしてもつくづく女性の呼び出しに運がないな。易者に見てもらったら女難の相が出ていると言われそうだ。  
 
『今日、あなた方の喫茶店で──橘』  
 
 頭の中で文章を回想し、俺は心の中で溜息をついた。  
 
 
 いつもの団体席ではなく二人がけの席で橘は一人待っていた。店の中の人間が本当に無関係かどうかなんて俺にはわからないが。  
 俺が席に着くと、橘はまず頭を下げて礼をしてきた。  
「あたしから呼んでおいてこう言うのもなんですけれど、来てくれるとは思ってもいませんでした」  
 だろうな。俺自身もギリギリまで来るべきかどうか悩んでいたぐらいだ。それで用件は何だ。  
「そうですね、説明と実践。まずはどちらからにしましょう」  
 知るかよ。大体実践って何だ、また誰かを誘拐するつもりなのか。  
 俺が抗議を訴えようとした絶妙なタイミングを見計らい、橘はテーブル横にあったメニューを差し出してきた。そのまま一瞬だけ  
視線を俺の後ろへと送る。あまり他人に聞かれたくない話であるのは確かなので、俺は黙ってメニューを受け取ると開きもせずに戻し、  
来客に合わせて再注文を取りにきたウェイトレスへコーヒーとだけ告げて早々に下がらせた。  
 
「もし誰かを誘拐する事が最善の手だと判断した場合、あたしは、いえあたしたちは迷わずにそれを実行します。ですがそれはあたしたちに  
限った事ではありません。古泉さんたちの『機関』も、朝比奈さんや藤原……あの時一緒にいた未来人の事です。ご存知ですよね」  
 記憶メモリの時、そして朝比奈さん誘拐の時に現れたあのいけ好かない野郎の事か。  
 俺の記憶の中から消去したい人物ランクの常連であり、藤原という名前だったという事すら知りたくもない間柄の奴だ。  
「あなたの主観はともかく、彼や朝比奈さんといった未来からの派閥、情報統合思念体や天蓋領域、その他多数の派閥団体。涼宮ハルヒに  
関して暗躍する集合体は全て必要とあらば誘拐でも殺人でも、それ以上の事であってもあっさりと実行するでしょう。  
 というより、そんな覚悟も出来ていない団体はこの四年間で全て他の圧力に壊滅しています。  
 それはSOS団に所属する、何の属性もないただの一般人と太鼓判を押されるあなたでも認識している事じゃないですか?」  
 
 わかっている。古泉や長門、それにもしかしたら朝比奈さんも。  
 三人がハルヒと俺にそういった影の部分を見せないように奔走している事は、この傷跡のない脇腹が痛いほどに承知している。  
「あなたが涼宮さんとそのお仲間の為に全力を注ぐように、そしてあなたの知るお仲間達が常日頃奔走しているように。あたしたちもまた  
遊びや冗談で活動しているわけではないんです」  
 瞳に強い意志を込めて橘は見つめ返してくる。だがその一瞬後、  
「……でも、あの時のあれは最善でも何でもない。あれは一部の人間が他の甘言に載せられて暴走した結果でした。ごめんなさい」  
 そう告げると今度は謝罪の意味で頭を下げてきた。  
「彼女、朝比奈さんにも謝罪しろと言うのなら何処へでも足を運び謝罪します。ですから、まずあなたには解って欲しいんです。  
あれはわたしたちの総意ではない。あの一面だけであたしたちを理解しただなんて思って貰いたくないのです」  
 さすが世界に暗躍する『機関』と対立するメンバーと言うべきか、それともこれは橘自身の強さなのか。強い意志は何一つ動かさぬまま、  
だがそれでも自分たちが間違っていたと全て肯定し謝罪してくる。  
 この辺りは流石というか、だてにあの時の森さんに臆する事無く対峙できた奴だ。その器の大きさは只者ではない。  
 
「……わかった。だが朝比奈さんへ謝罪に赴く必要はない。お前らが今後一切朝比奈さんに近づかない事、それが謝罪になる」  
 組織内の対立による一部の暴走。共感してしまうのは悔しいが、それは俺にも経験があることだ。あの時は俺が被害者だったが。  
 警戒度はそのままマックス状態で待機だが、藤原のように顔を合わせる度に怒り心頭になる必要までは無いだろう。  
 もしSOS団の誰かを再び拉致監禁し『機関』へ対立するという意思があるなら今頃俺はさらわれているだろうからな。  
「助かります。確約は出来ませんが、あたしにできる限りの事はします。でないと二度とこうして会ってもらえないのでしょう?」  
 現状でも次回開催予定があるのかどうかは解らんが、もう一度何かしでかしたらお前と話すのもこれが最後になるのは確実だろう。  
 注文したコーヒーを受け取り砂糖を大量に放り込む。それでもコーヒーが苦く感じるのは果たして店の責任かね。  
 
「さて、あたしに聞きたい事があるんじゃないですか」  
 純粋にコーヒーを苦く感じていると思ったのか、橘がミルクを差し出しながら尋ねてきた。  
 聞きたい事だと? それは俺を呼び出したお前の方にこそあるんじゃないのか。  
「ええ、あなたに聞きたいこと、話したい事はたくさんあります。でも今日はしません。先日の謝罪、それととあなたが最も知りたい事。  
今日はそれだけを話すつもりでいましたから」  
 今日は、ね。やっぱりもう一度開催するのは確定なのか。  
「もう一度と言わず、あたしとしては何度でも設けたいぐらいです。言葉の酌み交わしだけで事が穏便に過ぎるのなら、これ以上平和な事は  
ないでしょう?」  
 誘拐犯の言う台詞じゃねえ。できれば朝比奈さんを誘拐する前にその考えに至って欲しかった。  
「それに今日はあたしだけですけど、九曜さんや藤原、それに佐々木さんも。あなたに会いたがっていましたしね」  
 佐々木だけならともかく、他の二人に関しては拒否権を発動させてくれ。特に藤原なんかと顔を合わせた日には今度こそ殴りかねん。  
 俺が心の底から毒づいているのが解っているのか、橘は口にこぶしを添えると楽しそうに笑う。嘲笑ではない。ここだけ切り取って見ると  
ただの女子校生が平凡な男子と談笑しているようにしか見えないだろう。  
 
 笑いをようやく抑えた橘は一度コーヒーを口につけると、ようやく今日一番の目的について切り出してきた。  
「……あたしが佐々木さんのそばにいる理由、ですよね?」  
 黙って頷く。  
 橘は子供が楽しかった思い出を誰かに伝えるかのように少しだけ高揚した笑みを浮かべつつ、  
 
「佐々木さんには涼宮さんと同じ力がある、それが理由です」  
 
 そう切り出してきた。  
 
 
・B−VI  
 
 これで訪れるのは何度目か。俺たちは長門の住むマンションまでやってきていた。  
「有希っ! あたしよ! 開けなさいっ!」  
 病人に対して言う台詞じゃねえ。俺はインターホンを連打するハルヒを羽交い絞めにすると、ハルヒに変わって冷静に告げた。  
「長門、俺だ。開けてくれ」  
「何よ、あたしと全然かわんないじゃない!」  
 全くだ。どうやら俺も思った以上に動揺しているようだな。  
 お互いの慌てふためきようから自分の状態を認識し、一度深呼吸して落ち着く。ちょうど最後の空気をはき終えた所で  
『……入って』  
 インターホンの向こうから待ちわびた声と共にガラスの門戸があっさりと開門された。  
 
 長門の部屋まで訪れる。いつもと変わらぬ制服姿で応対に出た長門に対し、ハルヒは長門の向きをおもむろに反転させると両肩に手をかけ  
そのまま電車ごっこでもするかのように部屋の中へと押し込み返す。  
 足だけで脱ぎ散らかしたハルヒの靴を朝比奈さんが揃え、ようやくハルヒの後に続いて長門の部屋へと上がり込んだところで、俺はここに  
あるはずのない、だが何より原因であるはずだと踏んでいたそいつの姿を目撃する事となった。  
 
「────」  
 
 周防九曜。  
 佐々木に組する三人の一人にして、情報統合思念体曰く天蓋領域。そのブラックホールを彷彿とさせるおぼろげにして脅威な存在は、  
「────暖かい──」  
 あろう事かコタツに座りつつ目の前に出されている湯飲みに手を沿え、ただじっとその湯飲みを見つめている所だった。  
 
 朝比奈さんが遅れて荷物を持って長門の元へと向かい、その後ハルヒに鼻先へ指を突きつけられつつ  
「有希を着替えさせるから合図するまで入室禁止! いいわねキョン、覗いたら明日の朝日は拝めないわよ!」  
 と厳命された俺が仕方なく九曜の方を凝視していると、古泉が後ろから小さな声で聞いてきた。  
「どうしました」  
 どうしたもこうしたもない。お前、この状況がわからないのか。  
「長門さんがまるであの時のように倒れた。おそらく理由は先の少女かその背景……天蓋領域でしたか、その者たちの仕業でしょうね」  
 古泉が俺の肩へ手を置き落ち着くよう示唆する。残念だがこんな状況で落ち着けるほど俺は人間できちゃいない。  
「いいえ、落ち着いてください。長門さんが誰と逢っていたのか知りませんが、湯のみに罪はありません」  
 湯のみだと? 何を言っているんだお前は。俺が見ているのは湯飲みなんかじゃない。その湯のみの……。  
 そこまで言いかけて思い出す。そうだった、最初に街中であった時もやっていたし、つい先日の会合では喜緑さんもしていたじゃないか。  
 宇宙人たちは自分の存在感を自由に調節する事ができる。おそらく今は俺にのみその存在感をアピールしているのだろう。その証拠に、  
「では何を見ているのです。いえ、言葉を変えましょう。あなたには何が見えているのですか?」  
 古泉は九曜が座る場所に虚空を見つめるような視線を送りながら俺に尋ねてきた。  
 
「入っていいわよ」  
 懐かしい部屋の襖が開かれ俺たちの事を呼び寄せる。とりあえず九曜の事は無視し、布団に寝かせられた長門の周りへと集まった。  
「大丈夫なのか、長門」  
 俺は一瞬だけリビングへ視線を送り確認を取る。長門自身の事と、あの九曜についてだ。長門は静かに頷く。  
「へいき」  
「だいぶ元気みたいね、有希。もう冬の時みたいになったのかって心配したわよ。いい、有希。もし次に倒れるような事があったら、  
いや本当はそんな事無い方がいいんだけど、もしもの話よ、もしまた倒れる事があったらちゃんとその前にあたしに連絡するのよ!」  
 その連絡先には異議を唱えたいがそれ以外はハルヒと全く同じ意見だね。長門、お前はもう少し俺たちに頼ってもいい。  
 俺もハルヒも、古泉や朝比奈さんも、お前の事を心配してこうして飛んできてくれたじゃないか。  
 一方的に保護するだけが仲間じゃない。苦楽を共に歩むのが仲間ってやつだろ?  
「わかった」  
 長門は小さく肯定し、そしてここへ集まったメンバーを次々とろ過水のような透明な瞳で見つめ返してから、  
「ありがとう」  
 やはり小さく、でも確かな気持ちを伝えてきた。  
 
 
・B−VII  
 
「あんたたちも何かあったらまずあたしに連絡するのよ。いいわね!」  
 駅前まで戻った俺たちは、団長のこの微妙すぎてありがたみが解り難い締めの言葉で今日は解散となった。  
 ハルヒたちを駅構内へと見送りだした俺は、自転車にまたがり家へと向けて走らせる。後ろを向いても駅前が見えなくなってきたかなと  
いった所で一路変更し、少し遠回りとなるが駅前や路線のそばを通らない道筋を選んで長門のマンションへと引き返した。  
 
「長門、俺だ。開けてくれ」  
『……入って』  
 つい先ほどと全く同じやり取りで自動扉を開けてもらい、長門の部屋へと急行する。先ほどとは違いパジャマ姿で出迎えてきた長門に  
先導されながらリビングへと戻ると、そこにはあいも変わらず湯飲みを見つめる九曜に加えてもう一人、  
「お待ちしていました」  
「やっぱり来ていましたか、喜緑さん」  
 新緑の若葉を思い出させる仄かな香りを振り撒き、未だ謎多き生徒会の書記は静かに微笑んできた。  
 
 九曜との対面に長門、そして側面に俺という位置でコタツに座る。宇宙最大の派閥と新進気鋭の闖入者、それとこの水の惑星出身の俺。  
「お茶が入りました」  
 喜緑さんは喫茶店の時と同じようにエプロン姿で微笑みをばら撒くと三人にお茶を差し出していき、最後に開いた場所へもう一つ、  
自分用の湯飲みを置くと着席してお盆とエプロンを脇へとよけた。  
 後々三者の歴史に残るかもしれない非公式ながら第一回宇宙サミットの場としては、何ともアットホーム的な情景である。  
 
「それで、何でこいつがいるんだ?」  
 俺は九曜の方へ顔を向けつつ三人に尋ねた。どう考えたってまず突っ込むべきはこの点だろう。  
「────開きに……来たの──」  
 魚でも開きに来たのかお前は。  
「言葉で────伝える事は……とても難しい────」  
 難しかろうがなんだろうが俺にはテレパシーも高速や圧縮言語も会得していないので話してもらうしかない。  
 まず前提としてこれだけは覚えておけ。言語っていうのは往々にして主語と述語がある。それらが欠けると相手に伝わりにくかったり  
自分の都合よく解釈できてしまったりしてしまうのが特徴だ。さっきの開きに来たのがいい例だな。  
「────わたしは……頑張る」  
 どうにも微妙な返答だがとりあえずいい事にしよう。今の問題はそんな些細な事ではないからな。  
 
「情報変換に於ける過大負荷並びに輻輳崩壊、それが原因」  
 そう切り出した長門の言葉はいつもながら単純難解。たちの悪い変換をかます超能力翻訳機がそばに無い以上、俺は単独でこの言葉の  
意味を考えねばならないわけだが、一体どういう事かと頭をひねっていると横から喜緑さんが笑いながら教えてくれた。  
「つまり、今のあなたの状況そのものなのです」  
「俺の状況?」  
「はい。あなたは長門さんの言葉の意味を理解しようと考えていますよね。それをそのまま情報量をとてつもなく多くして、長門さんと  
九曜さんでやり取りしている、そう考えると解ってもらえるのではないでしょうか」  
 九曜が示す意味不明のデータを必死になって解析したから、その負荷によって倒れたと?  
「そうです」  
 
「────情報の開示……でも抑えた意思は──不完全な────」  
 喜緑さんに出された新しい湯飲みを握り続け、視線は湯飲みに落としたまま九曜が口を開く。どうでもいいが熱くないのか。  
「でも────それがここでの……情報提示────」  
「完全たる個の情報は完全たる個としか認識できない。不完全な個の情報は受信側の補完次第で無限の可能性が発生する」  
「それがわたしたちなりに捉えている、進化の可能性です」  
 よく解らんのは俺だけなのか、長門も喜緑さんも九曜の言葉に合いの手を返す。  
「────求めるのは……不完全な──完全────」  
 そろそろマジで薀蓄付加機能付きの超能力翻訳機が欲しくなってきた。コタツの四辺にそれぞれ座り湯飲みを持ちながら語るにしては  
いささか空想科学小説じみた内容だ。俺としては少し不思議程度で十分なんだが、そうもいかないのが宇宙人の世の常なのだろう。  
 
「────知りたい……彼女を───」  
 モールス信号も真っ青な冗長たる言葉の区切りで九曜が語る。彼女って、やっぱりハルヒの事なのか。  
 そんな俺の何気ない問いかけに、九曜は湯飲みに落としっぱなしだった視線をようやく持ち上げると、長門の事を見つめだした。  
 何だその意思は。まさか……お前の目的はハルヒじゃなくて、長門の方だというのか?  
 九曜は答えず、かわりにその視線を俺にと向け、少し首を傾げてからとんでもない事を口走った。  
 
「そして────あなたの事も──」  
 
 
・A−VII  
 
「涼宮さんに神の如き力がある、というのは正確に言うと間違いです」  
 いいですか、とまるで教育係のお姉さんが不肖な弟にでも教育するかのように話し始める。  
「正確に言うなら、『涼宮さんは神の如き力を操れる』となります」  
 さっきとどう違うんだ。悪いが俺には区別が付かないぞ。  
「とんでもない! 大違いです。あなたは多分古泉さんたちからは最初に言ったような言葉で聞かされていると思います。そうですね、  
『涼宮さんに神の力がある』とか、そんな感じで。確かにその言葉は間違ってません。ですが全てを語っている訳でもない。それは彼らが  
あなたにミスリードを誘う為に歪曲させた表現なのです」  
 で、その本当の言い方が後者だと。ならばどう違うのか教えてもらおうか。佐々木の事も含めてな。  
「神の如き力と涼宮さんは別の物と考えてください。涼宮さん自身が力を生み出しているのではありません。彼女は手に入れた力を行使して  
いるだけに過ぎないのです。そして、力を行使できる存在は涼宮さん以外にもいる」  
 それが佐々木だと、そう言いたいのか。  
「はい。万物の法則を支配する神の威を借りられる者、それが涼宮さんであり、佐々木さんなのです。古泉さんたち『機関』は現状維持を  
謳っています。当然ですよね。他の誰でもない、涼宮さんが力を握っている事。それこそが彼らの目的なのですから」  
 確かに面白い説だ。だがそれもまたお前がここで語るだけの一説でしかないよな。  
 俺の反論に対し、橘は待ってましたと言わんばかりに両肘を立てて手を組むと更に身を少し乗り出してくる。視線で合図し俺にも顔を近づけ  
させると、橘は声のトーンを一段階程度落として言葉を続けた。  
「証拠があります。少なくとも涼宮さんだけが力を行使できうる存在ではないという確たる証拠が。そしてあたしがあなたにアプローチを  
仕掛けたのは何よりその証拠の為でもあります。なぜならあなたは既に知っているはずだから。あたしが唱える、涼宮さん以外にも神の力を  
行使できるというその事実を。涼宮さん以外が力を行使したのを、あなたは間違いなくその身を以って体験したはずですから」  
 俺が体験した……? 何故だ、それは一体いつの話だ。  
 何だか互いの顔の距離が近い気もするが気にせず小声で尋ねる。まるで「何年何月何日、何時何分何秒に言ったんだ」と揚げ足を取る子供のような  
切り替えしだが、橘はそれすら既定範囲だったと言わんばかりに、正確にして俺が一生忘れようもない、あの絶望に明け暮れた日時を返してきた。  
 
「去年の十二月十八日、午前四時ニ十三分。この日付に心当たりは?」  
 
 ぐうの音も出ないとはまさに今の俺の状況か。確かにハルヒが消失したあの一件、長門は「犯人がハルヒから力を借りて世界を改変させた」  
とそう言っていた。それはつまり、ハルヒの力を借りる事が出来る奴がいるというまさに確たる証拠となる。  
「あなたには古泉さんたち『機関』が掲げる現状維持という意味を、そして彼らがあなたに伝えてきた事をもう一度考えて貰いたいのです。  
確かに『機関』はあなたに対してウソはついていないのでしょう。ウソというのは信頼を得やすい反面、信頼を落としやすい諸刃の剣です。  
彼らが目先の信頼だけを得る為にそのようなリスクを請う手段を選ぶ事は、まず無いはずですから」  
 情報源が『機関』だけならそれも一つの有効な選択肢だろうが、俺のように数多くの接触がある場合、どこからウソがほつれるか解らない。  
 そしてもしウソが発覚した場合、俺は『組織』をどう思うか。それを考えると確かにリスクが付きまとう。  
「ですから、彼らは言葉足らずという選択肢を選んでいるはずです。事実を十として、実際にあなたに一も伝わっているかどうか。  
 あなたに語られていない九の事実は存在します。例えば、あたしたちが『機関』と対立する理由、それをあなたは知っていますか?」  
 俺は一度首を振る。これまでの話で予想は立てているが俺はあえて答えない。相手を騙す一番簡単なウソをつく方法は、相手の勘違いを  
そのまま肯定するに他ならないからだ。だから俺は尋ね役に徹する事にする。  
「あなたは何も知らない、それなのにあなたは賢しい。佐々木さんが話し相手に最適だとあなたを高く評価するのも今なら十分に頷けます」  
 そんな事まで話してるのか、あいつは。  
「それぞれの思惑はどうあれ、こうみえてもあたしたちは友達ですから。願わくばあなたたちのような親友関係にまでなりたいとあたしは  
望んでいるんですけど、流石にそう上手くはいかないみたい。佐々木さんはともかくとして、問題は他の二人。彼らが何を考えているのだか、  
あたしには量りかねているんですよ。色眼鏡抜きにして考えても、あなたはあの二人と野球したり孤島に行ったりしたいなんて思いますか?  
正直、未来人と宇宙人に関してはトレードしてもらいたいぐらいです」  
 悪いな。トレード対象が超能力者なら少しぐらい考えてもいいが、他の連中に関しては脳に情報伝達される前に却下させてもらう。  
 それにしても確かに古泉の言うとおりだ。こいつはまだ話ができる。これが狙ってなのかどうかは解らんが、他の奴らより遥かにましだ。  
 
「あたしたちは佐々木さんによって力を与えられた不完全な超能力者。何を以って完全というのかは今なおあたしにも解りません。  
 でも自分が不完全だという事は解ります。解ってしまうんです。だからあたしたちの目的はただ一つ、現在涼宮さんが所有している力を  
佐々木さんへと渡し、佐々木さんを軸とした完全な状態にする事。そしてあたしたち自身もまた完全な超能力者になる事です」  
 やはりそういう事か。確かにそれが目的ならば古泉たち『機関』とは何処までも平行線を辿る事になるだろう。  
 一つの強大なる力、それを行使できる複数の候補者、さらにその行使者たちから力を与えられた存在たち。  
 
「これぞ神の力を巡ったエスパーウォーズってか? そんな命題、手垢がつきすぎて興行収入稼げないぞ」  
「全くです。あたしも第三者の立場なら鼻で笑い飛ばしてるでしょうね」  
 嗜虐にして自虐という器用な嘲笑を浮かべて橘は背もたれに寄りかかる。どうやら密談は終わりのようだ。  
 
 空白の領収書を切るという何だか微妙な部分で日常を見せられた後、俺は佐々木と喫茶店を後にした。  
「そう言えば不完全な超能力者って言ってたが、それってどういう状態なんだ」  
「さっきも言いましたが、何を以って完全だと言うのかは解りません。もしかしたら古泉さんを始めとした『機関』の超能力者たちですら  
完全ではないのかもしれませんし。でもそうですね。目に見えて解る点をあげるとするなら、あたしたち佐々木さんの超能力者は『機関』の  
超能力者が行使する二つの力のうち片方しか使えません」  
 橘はビルに囲まれた駐車場へと俺を連れてくると俺の眼前へと手を差し出してくる。何だ、まさかここからあの空間に突入するのか。  
「いいえ。あたしたちにできる事はこっちの力です」  
 橘がその手をすっと横にずらしきつい視線を送ると、その手のひらに青白い光が現れた。その色さえ除けばかつてカマドウマと対峙した時に  
古泉が見せたあの赤い光に良く似ている。  
「この《神人》を倒す力が使える、それだけです。あたしたちは閉鎖空間に入る能力がありません」  
 橘が生み出した青い玉を駐車場の奥へと投げる。地面に当たり、その力は小さな爆音と共に地面をえぐった。  
 おいおい、現実世界でその力を使えるってのはシャレになってないんじゃないか。しかも閉鎖空間に入れないって、それじゃその力は本当に  
単なる超能力って事になるじゃないか。いやそれよりも、  
「お前たちはあいつによって生み出された超能力者って言ってたな。閉鎖空間に入れないのはそれが理由じゃないのか?」  
 閉鎖空間はハルヒが生み出す空間だ。だからこそ余所者である橘たちには入る事ができない。そう考えるのが普通だろう。となれば橘たちが入る  
閉鎖空間とはハルヒのではなく佐々木が生み出した閉鎖空間と言うことになる。そして佐々木の閉鎖空間で佐々木が生み出した《神人》を倒す。  
 それがお前たち佐々木派の超能力者の存在理由じゃないのだろうか。  
 
「あたしたちの考えもあなたと全く同じです。あたしたちが閉鎖空間に入れないのは、閉鎖空間が佐々木さんが生み出した訳ではないからだと。  
でも閉鎖空間でもないのにこの破滅の力がなぜ使えるのかが解りません。この力の強さゆえに、これは対抗組織を倒す為に佐々木さんが与えてくれた  
力なんだという考えもあたしたちの内部ではあがっています」  
 何の予備知識も背景も知らなければ俺だってその結論に結びつけるだろう。だが、  
「はい、あたしも違うと思ってます。あなたほどではありませんが、あたしも佐々木さんと知り合いました。確かに最初は任務だからと考えてましたし、  
佐々木さんもそれは心得てます。でも……個人的にもあたしは彼女の友人でいたい、今は本当にそう思ってます。そしてそう思うからこそ言えます。  
彼女は心の奥底であってもそんな暴力的な事を推奨する人なんかじゃない。彼女は他人を蹴落とす労力があるなら自分を研鑽する、そんな人間です」  
 橘はこぶしを握り締めて首を振る。コイツが佐々木と知り合ったのはいつからなのか知らないが、佐々木の事をそれなりには理解しているようだ。  
 
「……気になる事がひとつあるんです。あたしより佐々木さんを知るあなたならもしかして理由が解るかも、そんな疑問です」  
 駐車場にバンがゆっくりとやってくる。どうやら橘を迎えにきたようだ。青い玉を打ち出した手を小さく掲げてバンに手を振り、橘は最後に  
俺に近づくとその伝えたかった命題を残していった。  
「あたしたちの知る限り、佐々木さんは今まで一度も閉鎖空間を発生させた事がないんです。空間が開かれようとした予兆すらもありません。  
 知っての通り閉鎖空間は日常のフラストレーション、欲求不満を発散させる為の場所。でも佐々木さんはこの四年間、その閉鎖空間を一度も  
発生させた事がない。それは神の力が無いからなのか、あるいは何か別の理由があるのか……今度あなたの意見を聞かせてもらえませんか」  
 
 
・B−VIII  
 
 長門が倒れてから数日後。  
 相変わらずSOS団は五人のまま、文芸部室の門戸を叩く奇怪な新入生は現れなかった。ハルヒには悪いが俺はもろ手を挙げて喜びたい。  
 正直ここ数日のごたごたで俺の処理能力も古泉の気力もいっぱいいっぱい、そろそろ長門に倣って倒れてしまいかねんぐらいだ。  
 願わくばこのまま平穏無事に過ごして生きたいものだと心から考えている。  
 
「こうなったらあの人でも誘ってみようかしら」  
 窓から外を歩く生徒達を見つめつつ、ハルヒはポツリ呟いた。俺の心からの願いはどうやら何処にも届かなかったらしい。  
 頼むからこれ以上俺の生活を脅かすような要素を加えないでくれ。それで、あの人って誰だよ。  
「佐々木さん」  
 さてこの時俺は一体どんな表情を浮かべていたんだろうね。答えは俺と対峙してゲームしていた古泉にでも聞いてくれ。  
 とっさに言葉が出なかった俺に代わり、  
「難しいでしょうね」  
 いつもの爽やかさの中に色々うごめくものを内包した表情で古泉が口を開いた。  
「僕の見た感じでは彼女はリーダー資質を持っているように思えました。彼女自身が望む望まないに関わらず。しかもかなり強い資質です。  
そんな彼女がこの団に入団したとしたら、現団長である涼宮さんと事あるごとに衝突してしまうかと」  
「活発的な衝突なら望むところよ」  
「それだけならいいのでしょうが。船頭多くして船山に登る、そんな事にもなりかねません。そうですね、その雰囲気は鶴屋さんに近いと  
思っていただければ話が早いでしょうか」  
 確かに鶴屋さんが入団した場合もどう転がるか予測が付かない。あの人にも他人を引っ張る気質というものがある。  
 今はSOS団と絶妙な距離感を保つ事でいい方向に向っているか、入団したとなるとまた話は変わってくるだろう。  
「時々会うことでお互いの刺激となる、そういう人間関係もあります。僕は佐々木さんとはそういう風な関係になるのが一番だと思いますよ。  
 とは言っても他人に人間関係を諭せるぐらいできた人間ではありませんけどね、僕も」  
 
 個人的にはハルヒを始めとしたSOS団が佐々木と親友になるのは一向に構わないと思っている。アイツならこの特殊な肩書きが陳列する  
メンバー相手でも十分やっていける事だろう。だが問題なのはそのバックボーンだ。その秘めた真意を掴みかねる橘、掴みたくもない藤原、  
掴めるのかすら解らん九曜。あれらと接触した日には本当に何が起こるか解らないし、おそらく解りたくもない事になるのは必死だ。  
 
「んー、ねえキョン。今度の不思議探索の時にでも彼女と会えないかしら」  
 頼むから俺の祈りよ何処かの誰かに届いてくれ。  
 俺は目の前に座る週半ばにして疲れを見せる中間管理職のような雰囲気を見せる奴と共に激しく嘆息し、不承不承に了解した。  
 
 
・A−VIII  
 
 橘との会合から数日後。  
 あの後何度かふるいにかけられ、最後まで残った入団希望者は偶然と言うかそれともそれが運命だったのか、俺が最初の時に何となく気になった  
あの女子生徒のみだった。この娘が俺の記憶の誰とかぶっているのかあれから何度も考えたが結局解らず、既に試験だ何だで顔合わせも五回目と  
なる今となってはそんな既知感などどうでもいい事の一つとして脳の端の積み上げた懸案事項の束へと放り投げてしまっていた。  
「うん、よく残ってくれたわ。それじゃ最初は仮入団と言うことでいいわね」  
「はいっ。よろしくお願いしますっ」  
「うんうん、元気があってよろしい! あたしたちみたいに何事にも挑戦する為にはまず元気が必要だからね。ほらキョン、あんたもそんな  
呆けた顔してないで彼女を見習いなさい。でないとすぐに仮入団の彼女よりも立場が下になるわよ」  
 まるで壮年期に入りだらけるのが日課となった親父に対して呆れる娘のような色を加味して俺を見つめてくる。元気がなくて悪かったな。  
 俺はお前と違って懸案事項が山のように残っているんだ。主に佐々木の取り巻き連中の事でな。  
 
 待望の新人となったその娘が改めて一人一人に挨拶する。副団長の古泉、癒し系アイドル朝比奈さん、万能選手長門。そして  
「ああ、そいつはキョンでいいわ」  
 よくねえよ。俺にだって親から貰った名前はちゃんとあるんだからな。ある人物に言わせればそれは高貴で壮大な  
「下っ端団員のあんたの呼称なんてキョンで十分よ。嫌だったらもっと立身出世に励みなさい」  
 俺の名前の由来をばっさり切り捨て、ハルヒは腰に片手を当てつつもう片方の手で俺を狙い撃ちするかのように指差してきた。マナー違反猛々しい。  
「え、えっとぉ……」  
 ハルヒと俺を困惑の表情で何度か見比べ、そして意を決したのか、  
「慣れるまで雑用とかでも構いませんので、どうぞあたしの事をどんどん使っちゃってください」  
 頭を下げながら挨拶してくる。動きに合わせて癖毛の跳ねが更なる跳ねを見せてきた。  
「お世話になります。フフ、よろしくお願いしますね、キョン先輩」  
 結局キョンという呼称で落ち着いたらしい。先輩が付いているのがこの娘なりの妥協点なのか。まあ先輩と呼ばれる事自体は悪い気がしない。  
 こちらも妥協点を認めつつ、チェシャ猫のように笑うハルヒに軽くけん制の視線を送ると、俺も簡単な挨拶を返してやった。  
 
「それじゃ早速今度の土曜日、この娘を交えてSOS団野外活動を行うわよ! いいわねみんな」  
 そこで嫌だと言ったら中止するのか?  
「する訳無いでしょ。あのね、キョン。あんたはいつまでたってもそういう態度だから下っ端だって事いい加減理解しなさい!」  
 はいはい、わかりましたよ。それじゃ下っ端は下っ端らしく朝比奈さんに滅私奉公でも致しますか。  
 俺は朝比奈さんからやかんを受け取ると、新団員心得とか言う謎の教えを授けるハルヒと少女の姿に手を振った。  
 
 
・A−IX  
 
 そしてその日の夜。  
『はい、土曜日がとっても楽しみです。ウフ、一体どんな事が体験できるんでしょう』  
 そんなに過度な期待をされると今から申し訳なく感じてしまうので、出来ればもう少し気持ち落ちつかせてもらえないだろうか。  
『でもでも先輩、あたし初参加なんです。楽しみにするなって方が無理ですよぅ。もう今だってこうして布団の上でバタバタしてるぐらい』  
 まるで遠足前夜の妹のようなハイテンションぶりだ。前に一度、俺が風呂にいる時に電話してきた時のように、電話の相手が高揚としているのが  
こちらにまで伝わってくる。俺は慈愛を込めた嘆息をついて話を続けた。  
 あの時謎だった電話の相手は何の事はない、本日付で仮入団の決定した彼女だった。俺と同じ中学出身の彼女はその中学時代の時に俺の事を  
知っていたようで、北高で俺の姿をみつけたあの日に思わず電話してしまったんだとか。  
「まさか俺を追ってSOS団に来たとか?」  
『ウフ、半分はあたりです。でももう半分は違います。北高で一番楽しい部活はSOS団だって、そんな噂を耳にしたんですよ。だからです』  
 つまる所ハルヒ率いる俺らの悪行三昧は近隣中学の生徒達に噂されるぐらいにまで流れているわけだ。冬に自分も楽しんでいたと自覚して以降  
なあなあだった常識と言う戒めを、もう一度考え直さなければならない時期なのかもしれん。既に手遅れかもしれないが。  
『ああ早く土曜日にならないかなぁ。あ、最後に来た人は罰としておごりなんですよね。気をつけないと』  
 そうだな。あまりリークしたくない情報だが、とりあえず集合時間通りに来たら罰ゲーム確定だから注意しておけ。常日頃十五分前到着を  
心がけている俺が、何故か常に罰ゲームを受けているんだから間違いない。  
『ええっ、みなさんそんな前から集合されてるんですかぁ? わかりました、頑張って早起きして行きますねっ!』  
 土曜日は明日じゃないというのに今からでも出かけて待ちだしそうな勢いを感じる。まあこれだけこの娘が楽しみにしているなら、ハルヒの奴も  
市内探索のしがいがあるってもんだろう。明日ハルヒにこの娘がどれだけ浮かれているかそれとなく伝えておいてやるか。  
 
『ところでキョン先輩。そろそろあたしの事思い出してくれました?』  
 申し訳ない、それが全く以ってさっぱりだ。  
 実のところこの娘が誰なのかはこうして話すようになった今でも解らないままである。彼女の氏名を聞いても思い当たる節がない。  
『そうですかぁ、あーあ、ちょっと残念。でも良いんです。これからお世話になる事だし、じっくりと思い出してもらいますから』  
 いや君が解答を教えてくれたら一発なんだが。それともアレか、凄い一方的に見られていただけだったり。  
『一方的ですか。確かに一方的といえば一方的ですよね。でもでも、キョン先輩はちゃんとあたしの事知ってるはずですよ』  
 一体いつの知り合いなんだ。俺の過去を俺より詳細に知る古泉にでも聞いたら答えてくれるだろうか。  
『あ、そうだ。それじゃ土曜日いっぱいの宿題って事でどうでしょう。そこまで考えて解らなかったら、答え、教えます』  
 屈託のない、それでいて何処か無理した感のある笑いが受話器に響く。解った、そういう事なら俺もズル無しで考えようじゃないか。  
 
『はいっ。頑張ってくださいね、キョン先輩っ!』  
 
 
・B−IX  
 
 そしてその日の夜。  
『それは楽しみだ。ああこれは穿った解釈も暗に秘めた意味も全く無い、本当に心底から思っている気持ちだよ』  
 電話の相手が相変わらず何かを轢いたような奇妙な笑い声と共に狂言じみた言い回しを返してくる。  
 もちろんこんな口調で話す奴など俺には一人しか該当する者はいなく、まさに相手はその該当者、佐々木その人であった。  
 
『涼宮さんとの談合か。その提案受けてもいいが、一つだけ条件を出させてくれ』  
 条件だと? 一体なんだ。あまり無茶な事を言わないでくれよ。  
 俺が抱く様々な憂いに動揺する内心を先見しているのか、佐々木は笑いっぱなしで言葉を続けてきた。  
『なに、キョンにとってもそう悪い話じゃないよ。涼宮さんと僕との会談の時、そこにいるのは僕と涼宮さん、それとキミの三人だけにして  
もらいたい。ただそれだけさ。涼宮さんや僕につき従う宇宙人、未来人、超能力者といった三属性やその他超常集団たちは少なくとも僕たちの  
可視範囲には参加させない。どうだろう。  
 くっくっ。ああキョン、先に断っておくが別にこの条件には他意も第三者からの介入もないよ。僕はただ誰からも邪魔される事なく、涼宮さんと  
じっくり話をしたいだけさ。その場に君を交えた状態でね』  
 何で俺を交えるんだ。頂上サミットなら二人でじっくりやっても構わないんじゃないのか。  
『おやおやキミらしくもない。僕と涼宮さんが語る共通の話題に、キミは全く興味が沸かないと、そう言うのかい?』  
 ハルヒに語れる内容で二人の共通項なんてものは俺の知る限り一つしかなく、それは当然二人と別々の時期に関わった俺自身と言うことになり、  
つまるところ佐々木は暗に俺の話で盛り上がるつもりだと言っているのだろう。老婆心から助言するならば、お前たちも一応青春真っ盛りな女子と  
括って問題ない存在なのだから、もっと建設的な話をするべきではないかとここに進言したい。  
『建設的ね。そんな事はキョンに言われるまでも無く解っているつもりだよ。だからこそ僕は涼宮さんとキミについて話すつもりでいるんだしね。  
少なくとも僕にとってキミの話題は、めったに利用しない洒落た装飾店の情報やマスメディアによる情報伝達速度を確認する流行モノについて  
なんかよりよっぽど建設的な話だと思っている。そしてそれは多分涼宮さんの方もね』  
 相変わらず斜に構えた奴だ。だからこそハルヒセンサーに引っかかってしまったんだろうが。俺は将来起こるであろう事態に対して溜息をついた。  
 ちなみに俺が絶望に打ちひしがれる間も佐々木はくっくっと笑いっぱなしである。一体何がそんなにヒットしているんだお前は。  
『面白いさ。本当、実に面白い。キミにはこの面白さが解らないのかい、キョン。どうやら僕はあの二回の接触、それとその時に交わした軽い  
けん制だけで、涼宮さんからキミたちSOS団の栄えあるライバルとして選定されたようだ。こんなに面白い事はそうお目にかかれないよ』  
 ちょっと待て、ライバルってのは言いすぎだろ。お前の取り巻きには若干以上の問題があるが、少なくとも俺はお前を親友だと思っているし、  
ハルヒだって別にライバル心を持って会おうだなんて考えてはいないはずだ。  
『ああそうさ。僕だってキミと同じ気持ちだ。だがねキョン、僕が示唆している問題はそこじゃないんだ。僕の考えを聞いてくれるかい』  
 佐々木はようやく笑いを静めると、その独特の音域で俺に語りかけてきた。  
 
『僕はずっと考えていたんだ。何故僕の元へ橘さんや九曜さん、藤原といったメンバーが集ったのか。キミには解るかい?』  
 それは橘たちの利害が一致したからだろ。橘自身がそんな事を言っていたはずだ。ん、それとも記憶違いで本当は言ってないか?  
 俺は記憶の糸を辿ろうとしたが、佐々木の矢継ぎ早な言葉の襲来でそれは阻止されてしまう。  
『そうだね。橘さんは僕にこそ神の力があるべきだと考えているし、後の二人もそれぞれ思惑を抱いて僕と共にいる。そんな彼らの思惑が交錯し、  
涼宮さんに与しなかった者達同士で手を取り合い、ようやくキミたちSOS団と対立する為の力を得た。それがキミたちの考える理由であり、  
橘さんたちが考える理由でもあり、また橘さんたちそれぞれの首脳陣が考え出したシナリオの一環なのだろう……普通に考えるのならばね』  
 普通って何だ。それじゃお前は何か普通じゃない考えを持っているというのか。  
『そうだね。少々突飛な推測を僕はしている。いいかいキョン、さっきも言ったけど僕が本当に考えて欲しい問題はそんな事じゃないんだ。  
 僕が聞いた限りの情報で整理すると、涼宮さんには世界を望むままに改変する力がある。そしてその改変は時間の流れをも超越して影響する。  
どうだろう、ここまでは合っているかい。もしこの前提がが合っていないのならば、僕は自分が打ち立てている推測を今すぐ破棄するつもりだけど』  
 ああ間違いない。ハルヒの力は時間をも越えた世界の改変すら行える。それはこの夏と冬にいたく体験した俺が認めよう。  
『結構』  
 佐々木は俺の回答に満足し、わざとらしく一度咳払いをした。  
『では僕の推測を発表する事にしよう。僕が思うに涼宮さんという人物は、自分たちSOS団のライバルが欲しいと思った事があるんじゃないかな。  
あるいは今までに無いとしても、いつかそういう事を考えそうな、そんな人物なのではないだろうか。違うかい?』  
 確かに春休みの最中、新たな敵がどうのとか考えている節があった。だがそれがどうした。何故お前に繋がる。  
『繋がるよ。涼宮さんの敵になるのは誰でもよかった。ただ涼宮さんは何処かで僕の事を知っていたのだろう。だから僕に白羽の矢が立った』  
 いやそれは無い。ハルヒはお前の事を知ってる雰囲気は無かったし、先のアレが初対面だったのは間違いない。もしそれより前にお前たちが  
 接触しているのなら少なくとも古泉がその事実を押さえているはずだ。  
 
『確かに直接面識はアレが初めてだ。涼宮さんが僕が聞き及んでいる涼宮さんの評価そのままなら、そんな存在いやでも目に付くはずだからね。  
そして涼宮さんが過去に僕と出会っているなら、間違いなく彼女は僕の事を覚えているだろうしね。だから初対面なのはまず間違いないはずだ。  
 だが言葉の上ではどうだろう。高校生活を謳歌するキミの周りで、中学時代にキミと連れ立っていた僕の話がただの一度も出た事がないと  
果たしてキミは言い切れるかい。まあ言い切れるなら言い切れるで、僕はキミとキミの周囲に於いて話にも上がらない程度の存在だったのかと  
思い知らされた事実に対して甚だ遺憾の意を表するのだが、そんな事はおそらく無いんじゃないかな。  
 何せ僕とキミとの関係といえばそれすなわち男女関係の話題となる。これほどゴシップとして盛り上がる他人の話題もそうそうは無い。  
 さてそこでもう一度思い返してもらいたい。中学時代にキョンは変な女と付き合っていたとか言って面白おかしく書き綴ったゴシップ記事を  
キミは高校で一度も流された事はないかい? そしてキミの過去の話題に涼宮さんが全く興味を示さないと、キミは果たして言い切れるのかい?』  
 
 佐々木という実像は知らないが、俺が過去に仲睦まじくしていた変な女がいた、確かにそれぐらいは知っていたかもしれない。  
 でもそれだけだろ。それがお前をライバルにしたって理由になるとでも言うのか?  
『なるも何も、ずばりそれが理由だよ。その後涼宮さんは僕を知り、そして僕こそがキョンと昔肩を並べ共に歩いていた女性だと知った。  
 まあ正確には肩を並べると言うより前後に連なってキミと言う原動機付自転車で走っていたわけだが、それは至ってどうでも良い部分だろう。  
問題なのは僕が噂で聞いた件の女性だと言う、ただその一点だけだしね。  
 僕に涼宮さんの力を操る器があるとか、そんなのは本当にどうでもいい事でしかない。問題は涼宮さんの主観だけであり、その彼女が僕を  
ライバルと認識したが故に、僕の周りには橘さんたちが集う事になったんだ』  
 
 古泉に脳手術されかけてまで訴えられた事だ。俺なりな主張はあるがここではお前の意見を肯定しよう。  
 だがお前がライバルに選ばれたからってそれがなぜあいつらと繋がるんだ。  
『本当、キミはこの上ないぐらい聞き上手な存在だよ。僕の欲する質問をまさに的確に突きつけてくれる。キミはもしかしたら僕の事を賢しいと  
思っているのかもしれないが、そんな事は全く無い。真に賢しい者とは相手から話をスムーズに引き出す事ができる人間の事だ。何せ人間は  
情報を得る事で成長する生物なのだからね。  
 さてそんなキミの疑問だが、それに関しては僕が最初にキミに尋ね、そしてキミ自身がちゃんと証明してくれたはずだ。彼女の力の前には  
時系列すら何ら意味を成さないとね。時系列に縛られた考えだからいけないんだ。真実と言うロジックはいつだってシンプルなモノなのに、  
それを捉える人間が勝手な前提をしてしまうから事は複雑化されてしまう、それだけなんだよ』  
 では聞き上手の俺は語り上手のお前に尋ねよう。そのお前のシンプルな回答は一体なんだ。  
 佐々木はまるでホームズがワトソンの催促を待っていたかのように、それは楽しげな声で、至ってシンプルに答えてきた。  
 
『何故僕に力があるのか、そして何故僕の周りに橘さんたちがいるのか。その答えは「僕が涼宮さんのライバル」だから、それだけさ。  
 あとはその回答から逆に辿ればいい。涼宮さんは僕をライバルとして選定した。故に四年前、僕へ涼宮さんと同等たる神の力の器が与えられ、  
この一年で涼宮さんが集めたように僕の周りに橘さんたち三人が揃い踏む事になったんだ』  
 ちょっと待て佐々木。あまりにあまりな推測で一瞬思考が固まってしまったが、お前はまさかこうだと言いたいのか。  
「お前の周りに宇宙人、未来人、超能力者が集ったのは────それは誰でもない、ハルヒがそうなる事を望んだからだ、と」  
『それを肯定する事は難しいだろう。だが、くっくっ、この言い回しは今日何度目かな、問題は僕の推測を肯定する事ではない。もう君にもわかって  
いるはずだよ。電話越しでもキミが苦渋に満ちた表情をしているのが目に浮かぶぐらいさ。  
 涼宮さんには何でもありな能力がある。それ故にキミはこの僕が立てた推測に対して少なくとも論理的に否定する事ができない。違うかい?』  
 佐々木は俺の一番痛い部分をばっさりと斬り捨ててくる。たしかに佐々木らしい突飛で馬鹿げた推測だが、それを否定する材料が俺には、ない。  
 
『そしてそれ以上の問題は、そんなライバルとして作られた僕たちが本物のSOS団と唯一違う点があると言う事だ。  
 解るかい、キョン。そう、それはキミという存在に他ならない。  
 涼宮さんはきっとこう考えたんだろうね。キミの代役などはありはしないと。他人に対しては一線引く主義の僕でもそれは同じ考えだ。  
 言っておくがここで言う代役とは誰にだって他人の代わりはできないなどといった人間の価値観を語っている訳ではない。そのまま文字通り、  
キミの代役など何処にもいないという事だ。そしてその一点に於いて、涼宮さんは僕をライバルに選んだ事で間違いなく失敗した。  
 神の力なんかには全く興味は無い。でもね、キョン。僕にだって欲しいものは存在する。僕はつい最近それを知ったばかりなんだ』  
 
 言葉も返せぬ俺に対し佐々木の独特な笑いがのしかかる。そんなこちらの気分を知ってか知らずか、佐々木は最後にこう述べて言葉を括った。  
 
 
『涼宮さんとの会合、僕は本当に楽しみにしている。僕だって涼宮さんという存在には興味津々なのさ。キミと一年間肩を並べた存在としてね』  
 
 
・A−X  
 
 土曜日。  
 俺はいつもとは少し違った気分で集合場所へと自転車を走らせていた。  
 結局あの娘の課題の回答は見つからずじまいだが、暇になるとその事について考えていたせいか、あの娘を交えた第一回探索と言うこの日が  
普段よりも少しだけ待ち遠しく感じていたのである。  
 早起きしてしまったが特に急ぐ事もなく、財布の中身を確認するといつもと同じように家を出て、いつも通り十五分前に集合場所へと到着した。  
「遅いっ! あんたねぇ、少しはこの娘を見習いなさいよ。この娘ったら三十分前についたあたしたちより先に来てたんだから」  
「おはようございます、キョン先輩。もう今日が楽しみで楽しみで、七時ぐらいからここに来ちゃってました」  
 ちなみに集合時間は九時である。いくらなんでも早すぎだろそれは。  
「全然、そんな事ないですよ。待っている間も凄く楽しかったですし」  
 純粋無垢掛け値なしで楽しんでるのが全身から溢れかえるこの娘を見ていると思ってしまう。なあハルヒ。  
 俺たちが今なお不思議現象に遭遇できないのは、この娘のような純真な心がいつの間にか無くなってしまったからじゃないだろうか。  
「あら、あたしはいつでもこんな感じよ。毎週楽しみで早寝早起きしてるし。ヘボ団員のあんたと団長のあたしを一緒にしないの!」  
 それは何ていうか申し訳ない。とりあえず相乗効果ではしゃぎ合う二人をそのまま流し、その横で二人を子供を見守る聖母のような微笑で  
見つめ続ける朝比奈さんにまずは挨拶した。  
「おはようございます、キョンくん。ウフフ、楽しそうですよね。あの二人」  
 全くです。まさかあそこまで楽しい状態になるとは思いもしませんでした。  
「ええ。天気もいいですし、今日は良い事ありそう」  
「おはようございます。本当に良い天気、良い雰囲気ですよ」  
 至福の時に割って入ってくるな。お前はもう少し俺に対する気遣いというものを覚えるべきだ。  
 爽快な青空にあう爽やかな笑顔で語りかける古泉に毒づきつつ、俺は最後に珍しく本を読まずじっと佇んでいる文学少女へと挨拶をふった。  
「よっ」  
「…………」  
 長門の小さな首肯が全てを語る。こいつも今日は元気のようだ。  
 
「それじゃ新生SOS団第一回探索スタートよ! まずは喫茶店でミーティングを始めるわ! もちろんキョンのおごりでね!」  
 はいはい解った、解りましたよ。歩きながらもみんなで会話を弾ませつつ、俺たちはいつもの喫茶店へと向っていった。  
 
 
・B−X  
 
 土曜日。  
 俺は暗澹たる気持ちのまま、処刑台とも思える集合場所へと自転車を走らせていた。  
 集合場所には既にハルヒと佐々木が仲良く並んで立っており、集合時間三十分前にこうして必死になってやって来た俺に対して  
「遅い。今日の支払いはキョンに決定よ」  
「だ、そうだよ。悪いねキョン。ごちそうさま」  
 とおよそ挨拶らしからぬ挨拶をかましてきた。俺が来る前にすっかり意気投合してしまったのだろうかこいつらは。  
 まあそれならそれで問題が解決して結構な事だと喜ぶのだが、ことこの二人に関してそんな上手い話があるはずもない。  
「もちろんだとも。僕の一年分と涼宮さんの一年分、あわせて二年分の積もる話が喫茶店で待っているよ、キョン」  
「本当に楽しみだわ。中学時代に一体どんな平々凡々人生を歩んだらこんなキョンみたいな奴が完成するのか気になっていたのよ」  
「同じです。今のキョンは一年前に男友数名と共に恋愛は受験勉強の邪魔だと豪語していた姿からは想像もつかない程に進化してます。  
 この一年で彼に一体何が起こったのか、涼宮さんから詳細を伺うのが楽しみで仕方ないわ」  
「いっぱい教えちゃうわよ。その為に色々と小道具も準備してきたしね」  
 佐々木と共にハルヒまで奇妙な笑いを始めだす。ちょっと待てお前ら、やっぱり俺の話題で盛り上がる気なのか。  
「当然。しかも喫茶店はキョンのおごり。くっくっ、吉日とはまさに今日みたいな日の事を指し示すのに相応しい言葉なのだと思うよ」  
 バカ言うな、今日みたいな日の事は厄日と言うんだ。それとハルヒ、サラリと流しそうだったが小道具って一体なんだ。  
「我がSOS団一年の軌跡を表すものよ。本当は映画も見てもらいたいぐらいだったけど、あれにはキョンが出てないから省略したわ」  
「僕も中学時代の文集や卒業アルバムなどを持参している。しかし今にして思えば残懐極まりない。僕は自分の主義を覆してでもキミと歩いた  
あの頃の記録を写真などにしっかりと残しておくべきだったのかもしれない」  
「そうね。モノは捨てる事は簡単だけど拾う事は凄く難しいわ。だからあたしはとにかく残す主義なの。それから取捨選択していくわ」  
 そういうのはしっかり取捨選択ができる人間の言う事だ。部室が現在進行形でモノが溢れかえっている状態では説得力ねえぞ。  
「ちゃんと考えてるわよ。次のフリマに出す物とかもう大体決めてるし」  
「フリマに出るのかい? いいね、それ」  
「今から申し込みだから夏前になると思うけどね。さて、積もる話もあることだしそろそろ喫茶店に向いましょう。もちろんキョンのおごりでね」  
 はいはい解った、解りましたよ。歩きながらも三人で会話を弾ませつつ、俺たちはいつもの喫茶店へと向っていった。  
 
 
・B−XI  
 
 ハルヒと佐々木の情報交換という俺への恥辱プレイは実に数時間にもおよび、その間軽食を一回と飲み物を二回追加で注文すると言うまさに  
俺にとってはた迷惑な白熱ぶりをみせていた。  
 集合場所となる駅前に戻り、俺は佐々木とハルヒを見送る。向う方向は逆だが二人とも電車でやってきているので、自然とここで解散となる。  
 
「それにしてもキョンってば中学から変わってないのね。一度ぐらいその頃のあんたに会ってみたかったわ」  
 俺は中学のお前と会ったことがあるけどな。心でのみ突込みを入れつつハルヒの言葉を軽く流す。  
「僕は逆に高校でのキョンを一度じっくり見てみたい気分だけどね。くっくっ、そうだな。今度北高のジャージでも着て部室まで忍び込もうか」  
「あら、それ面白そう。考えとくわ」  
 そのネタは既にお前が使ってるからやめておけ。というかやめてくれ。言葉に出す事はできないのでやはり心で突っ込み返す。  
 そんな俺の気苦労を知ってか知らずか、いやどう考えても知らないだろうハルヒは裏表無しの笑みを浮かべると佐々木に手を差し出した。  
「今日は楽しかったわ、佐々木さん。どう、今度はあたしたちの活動に参加してみない?」  
「ありがとう、涼宮さん。機会があれば是非にでも」  
 佐々木もまた微笑みながらその手を握り返した、その瞬間。  
 
 俺はその場所から姿を消した。  
 
 
・A−XI  
 
 今年度から方針変更された不思議探索方法に則り、俺たちは六人まとまって市内探索を行った。  
「先輩先輩! こんな飲み物を発見したんですけど!」  
 本日初登板、期待のルーキーと称される彼女が突然店の影に入っていき、何を始めるのかと思えばジュースを買って帰ってくる。  
 惜しいな、それは不思議な存在ではなく面白くて不味い物だ。  
「えーっ、せっかく見つけてきたのにぃ。あ、でもでも飲んでみたら不思議な味がするかもですよ?」  
「新人ちゃんにはまだ不思議が何たるかが理解できていないようね。でも気になった事はすぐに調べるというその姿勢は合格よ」  
 朝比奈さんと並んで先頭を歩いていたハルヒが振り返り、勝手な合否通知を告げてくる。そのまま不思議と称されたジュースを指さすと、  
「ちなみにそれ、薄い栄養ドリンクに炭酸とグレープフルーツを入れた普通の味だったわよ。消費者の求める物が何か全く解っていないわ」  
 その奇妙な組み合わせのどこが普通なんだとか、それ以前に既に体飲済みなのかとか、これ以上の奇天烈さを求める消費者が何人いるのかとか  
相変わらずこの春一番順風満帆絶好調な団長には突っ込み要素が満載だ。  
「良い事ではないですか。団長の涼宮さんが絶好調ならこんなに頼もしい事はありませんよ」  
「任せなさい! あんたたちの人生、全て娯楽の殿堂状態にしてあげるから!」  
 何処のパチンコ店のキャッチコピーだそれは。突っ込み返しつつ視線を泳がすと、古泉や朝比奈さんが俺たちを見て歓笑していた。  
 その顔に表情を見せない長門はただこちらをじっと見つめているだけだが、微妙に目笑を浮かべているよう感じるのは俺だけだろうか。  
「やれやれ。それじゃハルヒ、その殿堂だか桃源郷だか知らんがとりあえずそんなのを探しにいくか。みんなで」  
「もちろんよ! あんたたちちゃんと付いてくるのよ!」  
「はいっ、頑張ります! って、うげ。変な味……キョン先輩もちょっと飲んでみて下さいよ」  
 ハルヒもみんなもいい感じに動いている。この娘が潤滑油にして活性剤となっているのだろう。  
 わざわざ変な味を薦めるなよと返しつつジュースを受け取り一口戴く。不思議とまでは言わないが一ヵ月後には売場から撤廃されてるだろうと  
確信できる中途半端に変な味が口内に広がっていった。  
 
 気分上々なハルヒの姿に少しだけ不安もあったが、ハルヒはその力で不思議を生み出す事も特になく、今日は至って平穏な散歩だけで終了した。  
「今日の涼宮さんはこれ以上無いぐらい充足した一日を過ごされたようです。更にここ数日は例の空間も発生していません。まさに新入生様々ですね」  
 ああ、あの娘のSOS団加入がここまでプラスに働くとは正直俺も思ってなかった。  
「我々も驚いていますよ。あなた以外の一般人がここまで溶け込むとは予想外でしたから」  
 一般人、か。やはり『機関』はあの娘についても調べつくしているらしい。その結果はシロ、俺と同じ何の背景もないヤツだったようだ。  
 ハルヒと朝比奈さんと話す彼女を見つめつつ、そういえば彼女の事を思い出せるかどうか勝負していたのを思い出した。  
 あの時も思ったが古泉に尋ねたら答えは一発で返ってくるだろう。ただもし彼女と俺が過去に繋がっているのなら、佐々木の時のように古泉の方から  
何らかのアプローチがありそうな気もする。と言うことはやはり一方的な何かなのだろうか。  
 まあ今日のコレが終わったら教えてくれる事になっているんだ、カンニングは無しにしておこう。  
 
「それじゃ今日は解散! 家に帰るまでが不思議探索なのでそのつもりで気を抜かないように!」  
「はいっ、ありがとうございましたー!」  
 駅前に戻り不思議探索の締めをする。いつから今日は遠足になっていたんだろうね。  
「よろしい。今日一日のアンタの姿勢は花丸がつけちゃうぐらいの満点! 下っ端部員はしっかり彼女の姿勢を見習うように!」  
 もしかしなくてもそれは俺の事か? 腕を組みながら生返事を返し、俺は駅の中へと消えるハルヒたちを見送った。  
 改札口に背を向け腕を上げて背筋を伸ばす。今日もお勤めご苦労さん。さて俺も帰るかと首を鳴らしつつ一歩踏み出した時、  
「キョン先輩」  
 後ろから今日一日聞き続けた、耳障り良い元気な声で呼び止められた。夜中に電話が来るかと思っていたがどうやらここで答え合わせらしい。  
 振り返り、予想した通りの姿を視界に捉える。  
「今日一日あまりにも楽しかったから、あたしったらキョン先輩から宿題の答えを聞くの忘れちゃってました。フフ、わたしったらダメですね。  
一番の楽しみはキョン先輩から答えを聞く事だったはずなのに。フフ、でも今日は本当に楽しかったなぁ」  
 色々振り返っているのだろう、両手を口元で組みながら破顔一笑する。その笑顔を見ていると何だかこっちもつられて微笑んでしまう。  
 しかしそれにしても……あと一歩、喉元まで言葉が出掛かっているというのに、やはり言葉が形にならない。一体この娘は誰なんだろうか。  
「すまん、降参だ」  
「ぶぶーっ、残念でしたぁ。フフ、やっぱり難しかったですかね」  
 解説を始める美人講師のお姉さんのごとく人差し指をメトロノームのように立てて振ると、その手でクセのある前髪をかき上げる。  
 そして、次の瞬間。  
 
 俺はその場所から姿を消した。  
 
 
・A−XIII  
 
 俺のすぐ後ろを何かが横切る感覚がし、その横切ったものに俺は身体を掴まれると一気に引っ張られる。  
 さっきまであの娘を見ていた視界は大きく揺れ動き、情報が乱れ、俺が視覚と脳のシナプスを再接続し視界を取り戻すとそこには、  
「ふん、相変わらず間抜け面してんな。アンタ」  
 いけ好かないと言う言葉すら勿体無いぐらいいけ好かない、したり顔をした未来人が飛び込んできた。思わず手が出そうになるが身体の自由が  
全く以ってきかない。なにやら揺れ動く場所の中で俺の身体は二人の男に押さえ込まれている。  
 
 そこまで考えていきなり結論が生まれた。まさかこれは……この状況は。  
「時間がないから説明は全て省略させてもらう。そもそも前のアレはここでの説明を省く為の茶番だったんだ、そいつらが何者なのか理解して  
もらわなければ朝比奈みくるはただ単に誘拐され損って事になる」  
 誘拐しておいてなんだその言い草は。朝比奈さんの次は俺を誘拐したと言う事か。そのうえ前回のアレが茶番だと?  
 結局くそったれ野郎は何処までいってもくそったれ野郎でしかないって事か。橘との話で少しは改善されたかと思ったが、コイツ等とは永遠に  
平行線を辿る運命のようだ。  
「そう考えるのはアンタの勝手だ、僕の知った事じゃない。そもそも僕はアンタと馴れ合う気なんて全く無い。その点に関してだけはアンタと  
同意見だと僕は思っているけどね。そうでなければアンタの評価をお人よしのバカ野郎からとんでもないお人よしのバカ野郎に変更する必要がある」  
 ここまでコケにされるとかえって清々してくる。もはやコイツを殴り倒すのに微塵の躊躇いも発生しないだろう。言葉を交わすのも腹立たしい。  
敵意と悪意と殺意を織り交ぜた視線を以って意思を突きつけるが、クソ野郎は関する事無くバンの扉を開けると親指で外を指差し言葉を続ける。  
「僕がアンタと関わる理由はただ一つ、それが僕にとっての既定事項であり、ここにいる存在理由だからだ。アンタはこの状況を打破するカギだ。  
忌々しい事だが今のアンタには僕の存在する未来、それにアンタが朝比奈みくると呼ぶあの女が存在する未来、それらを含めた全ての未来の存亡が  
かかっている。ふん、全く以って忌々しい」  
「……そっちについては説明してくれるんだろうな。それと今は何されようが我慢してやる、だからこいつらをどかせろ」  
 堪忍袋の尾なんてとっくの昔に切れている。だがそれでも俺が自制してまで尋ねる理由はただ一つ、この野郎が言った朝比奈さんの未来の存亡が  
掛かっている、その一点の為だ。朝比奈さんや貴様の未来が何故俺に委ねられているのか。そして未来人・藤原が見せてきたバンの外──白と黒の  
コントラストに染め上げられたどう見ても通常ではない世界、かつて体験したのと雰囲気は違えどどう見ても閉鎖空間にしか思えないこの世界は  
一体どういう事なのか。  
 藤原の指示で拘束を解かれた俺は席に座りなおす。その間藤原は扉を閉め外を見続けていたが、突然こちらに向き直ると腕を伸ばし  
 
「頭悪いなアンタ。もう忘れたのか? 説明は全て省略させてもらう、僕はそう言ったはずだ。……アンタが勝手に思い出せ」  
 
 そう呟いて、手にしていた銃を躊躇わず撃ち放った。何かが当たった衝撃を感じ、直後に全身を何かが駆け抜ける。  
 未知の存在が体内を激しく這いずり回り身体を次々と侵略していく、そんな苦痛にも快楽にも似た感覚が髪の毛からつま先まで余す所無く行き渡り、  
全ての衝動と衝撃が収まった頃に、俺はようやく思い出した。  
 
 風呂に入っていた俺に対して、あの娘でなく佐々木が電話を掛けてきた時間の流れを。  
 そして、駅前で起こったあの一件を。  
 
 
・B−XIII  
 
 俺はその場所から姿を消した。少なくとも駅前にいた俺たちを見ていた人間はそう思った事だろう。  
 
 ハルヒと佐々木が握手した瞬間、世界がフラッシュバックしたかと思うと一瞬にして白と黒とのコントラストに陵辱される。  
「な、何だ!? これは一体!?」  
 駅前である事も忘れ俺は大きな声を上げて驚いた。だがそんな俺を痛い奴だと見つめる視線は何処からも来ない。来なくて当然だ。  
 何せ世界が変わった瞬間、俺たち三人以外の人間は全て何処かへと消えてしまっているのだから。ハルヒと佐々木はいつの間にか地面に並んで  
横たわっている。意識が無いのか目を閉じ、一見すると眠っているようにもとれる姿だ。本当ならすぐに二人のもとへ走りより無事を確認すべき  
なのだろうが、横になる二人の間に立ち俺を見つめる第四の存在がそれを躊躇させた。  
 
 スマイルマークのような髪留めでクセのある髪を押さえ、少しブカブカな感じのする北高の制服を身に纏った小柄な女子。何よりも気になるのは  
その女子の面立ちだった。それはまるでハルヒと佐々木を足して二で割ったような、ハルヒにも佐々木にも近い顔をしているのに、そのどちらにも  
似ていると言い切れない歯がゆい感じ。言うなれば今その娘が立っている位置が示すように、その娘は二人のちょうど中間的な面立ちをしていた。  
 彼女を表すのにこれ以上ない簡潔な言葉が一つだけある。だが、俺はその言葉を使うことを躊躇った。それを言ってしまえばこの娘がどれだけの  
脅威となる存在なのか認めてしまう気がしたからだ。現に今こうして対峙している瞬間も、見た目の可愛らしさとは裏腹にこの娘から圧倒的な  
プレッシャーが襲い掛かってきていた。九曜と初めて対峙した時に感じた感覚など今の状況を前にしたら全く以って可愛く思えてくるほどだ。  
 
 その娘は一度周囲を見渡しつつ足元に倒れる二人を一瞥すると、すこし両手を口元で組みながら破顔一笑し、  
「こんにちは。フフ、ようやく会えました」  
 まるでそうするのが当然であるかのように挨拶を交わしてきた。  
 
 認めるしかないのか。認めたうえで、対策を講じるしかないのか。俺は否定し続けたその言葉を心で呟いた。  
 この娘は、まさに娘と呼ばれるべき存在。  
 ハルヒと佐々木の間に誕生した『娘』、それこそが彼女を表す一番簡潔にして相応しい言葉だった。  
 
「あれ、もうわたしが誰なのか理解してるんですか? やっぱり先輩は凄いですね」  
「誰が先輩だ」  
 毒づきながらも思考をめぐらす。やはりそうなのか。  
「だってあたしがこの姿になれたのってついさっきですよ。ほら、やっぱり先輩じゃないですかぁ」  
 その娘がタッと小走りで俺に走りよると両手を開いて抱きついてくる。その姿はどう見てもただの少女で、何だか大きくなった妹がじゃれついて  
いるようにしか見えなかった。  
「何なんだ。何故お前はそんな姿でいる。その姿には一体どういう意味があるんだ」  
「ぶーっ、本当に解ってないんですか? 一つ二つぐらいは理由解ってますよね?」  
 抱きついた姿勢のまま胸の位置から俺を見上げて抗議してくる。言いたい事は解ったから一度離れてくれないか。やりにくいったらありゃしない。  
「ダメですよ。だってあたしは先輩と離れたくないんですもん。フフ、文句はあたしをこんな風にしたあの二人に言ってください」  
 ハルヒと佐々木、か。これで確定だな。俺は腹に覚悟を決めると抱きつかれた状態から何とか片手を抜き、その娘の頭を優しく撫でた。  
「だからってあのまま寝かせとく訳にもいかんだろ。せめてどっかに移動させて、それから話そうじゃないか。俺は逃げないからさ」  
「絶対に逃げません?」  
「あいつらを置いていく訳にも行かないしな。それに、そもそもこの世界の何処へ逃げろって言うんだ?」  
 これでこの空間に囚われたのは二度目か。しかも今回は前と違って脱出のヒントはない上に誰かが助けに来る気配すら感じない。ハルヒと佐々木は  
倒れている状態で目の前にはこの娘がいるというこれ以上ない八方塞がり。はてさてどうしたものか。  
 相変わらず純粋にして純真な嬉笑を浮かべ、少女はそこでようやく俺を放すとハルヒたちのそばへと戻り、両手を大きく広げてクルクルと廻りだした。  
「フフ、そうですね。その通りです。もう逃がしません。その為にこの閉鎖空間を作ったんですから。それにこの二人なら心配する事はありません」  
「心配する事が無いと何故言える」  
 俺もまたハルヒたちに近づいていく。と、クルクル廻っていた動きを突然やめると少女はしゃがみこみハルヒと佐々木の額に手をかざした。  
 
「だってこの世界は上書きされちゃいますもん。二人が倒れる事実は無くなり、先輩が心配する必要も無くなるんです」  
 世界を上書き……まずい、こいつまさか。俺がその娘の真意を読み取り慌てて駆け出すが時既に遅し。  
「あたしは、わたし。彼女たちの────だから。彼女の代わりに、先輩たちと一緒に」  
 ハルヒと佐々木にかざした手が激しく輝きだし、世界の全てを光の中へと連れ去りだす。もちろん俺も例外ではなく飲み込まれてしまい  
 
 
 世界は書き換え、俺は風呂場で「もしもし」と彼女の声を聞く事になる。  
 
 
・A−XIV  
 
「……くっ!」  
 失っていた脳内の回顧録を読み返し、ほぼ記憶を取り戻したあたりでうめき声が聞こえた。  
 中空を見つめ定まってなかった視点を前方に集中すると、藤原の姿が奇妙な事になっている。受信状況が悪く映像乱れるテレビをみているかのような  
そんな大小さまざまなノイズが藤原の身体を走り、そのノイズを中心に藤原の姿が消え始めていた。  
 いや、良く見ると藤原だけじゃない。俺をバンに連れ込み押さえ込んでいた連中にも同じ現象が起こりはじめている。  
「ここに割り込むのも限界か……既定とはいえ、本当に時間ギリギリだな……バンを止めろ、事故れば全てが台無しだ」  
 藤原はその端麗な顔に苦痛を浮かべつつ、先ほど俺を撃った銃をこちらに放ってくる。同時にバンがブレーキをかけて急停止した。  
 思わず前のめりに転びそうになるが、そばにいた連中に支えられて事なきを得る。  
「おい、どうした藤原! 何のパフォーマンスだこれは!」  
「何度も言わせるな……説明は全て省略…………プログラムを作動……いいな……」  
 途切れ途切れの言葉を残し、藤原の姿はノイズにかき消されて消滅した。プログラムを作動、最後にそう残して。  
 こんな状況で作動させるプログラムなんてひとつしか考えられない。それはかつて長門が仕掛けておいてくれたあのプログラムの事だろう。  
 
「彼は能力者ではない。この空間へはTFEIと天蓋領域の協力を得て無理矢理介入していた。だが、この空間には不要と判断されたようだな」  
 おそらく橘が所属する組織の者だろう俺を拉致した連中は、俺をバンから降ろすと藤原が伝えなかった内容を告げてきた。  
「我々は閉鎖空間へ介入する力がある。だがその我らですら見ての通り。どうやらこの空間に認められているのはお前だけらしい」  
 藤原ほどの速度ではないが、超能力者と思われるそいつらの身体にもやはりノイズが走り存在が消失し始めている。閉鎖空間に侵入できるはずの  
彼らですらこの状態とは、まさに非常にして異常事態という事なのだろう。  
「お前らは何処へ向ってたんだ」  
「君の通う高校だ。もっと正確に言うなら」  
「北高の文芸部室だな?」  
 連中は頷く。どうやら前と同じで間違いないようだ。判明したやるべき事を心に刻み込みつつ、改めて藤原が投げてよこした銃を見る。  
 それはあの時長門が生み出した銃と同じ物だった。この銃といいプログラムの事といい、藤原は長門と協力でもしたのだろうか。  
 いや、おそらくはハルヒサイドと佐々木サイドの両方が手を組んでいるのだろう。この連中が協力しているのを見ても明らかだ。  
「そういえば橘はどうした。あいつも超能力者だろ」  
 改変前には閉鎖空間への突入能力を、改変後には青い珠を生み出す力を持っていたはずだ。この白と黒が混在する閉鎖空間がハルヒによって  
生み出されたものなのかはたまた佐々木が創りあげたものなのか俺には判断が付かない。だがこの閉鎖空間において一番活躍すべきはどう考えても  
平々凡々ごくごく普通の一般人である俺ではなくて古泉や橘と言った超能力者の方だろう。  
「その通りだ。だから橘は今アレの足止めをしている」  
 なるほど。それで俺が拉致された時に何も起こらなかったわけだ。でも大丈夫なのか?  
 
 ──佐々木は《神人》を生み出した事がない。  
 
 橘は前にそう言っていたが、それは逆を返すとお前たちは本来戦うべき敵と一度も戦った事がないって事になるよな。  
「お前の憂いは最もだが、今お前がするべき事は違う。ミッションの運転はできるか」  
 半分ぐらい姿が消えている連中がモスグリーンのバンを指差す。残念だがそのバンがオートマであっても俺は運転できやしない。免許所得まで  
後一年以上あると思って勉強してなかったからな。スクーターぐらいしか運転できん。  
「いざと言う時役に立つ、覚えておくといい」  
 連中はそう言いながら近くの民家に入っていく。ガンッと激しい破裂と金属音が響いた後、そいつは自転車を持って帰ってきた。やれやれ、これで  
俺も窃盗犯の仲間入りか。溜息混じりに自転車を受け取り乗ると、俺は慣れ親しんだあの場所へと向う為にペダルを漕ぎ始めた。  
 
 
 知っての通り北高は丘の上にある。毎日通学しながら忌々しいと思っていたが、今日ほどその憤りを感じた事はない。坂突入までの勢いに任せて  
一気に走り上ろうとしてみたが中腹あたりで足が付いてしまった。こんな事じゃ山岳賞すらとれやしない。さてこのまま自転車を漕ぐべきか、それとも  
自転車を捨てて歩いて登るか。息を整えながら欝になる二択を決めあぐねいていると、阪下の方から軽めのエンジン音が二つ近づいてきた。  
「……エンジン音、だと?」  
 閉鎖空間内ではありえないはずの音に、俺は自転車を置き後ろを振り向く。みれば小型バイクとスクーターが全開スピードで並走していた。  
 二台はそのまま坂に突入すると、俺がヘタレながら走ってきたのが何だったのかと思えるぐらいあっさりと俺の元までたどり着く。  
「大丈夫ですか! やっと追いつけました」  
 スクーターの方がヘルメットのフードを上げる。それは先ほど話題に上がったばかりの超能力者、橘京子だった。そしてもう一人  
「あまり余裕がありません、橘さんのスクーターを使ってください。橘さんは僕の後ろに」  
 小型バイクにまたがったそいつもフルフェイスマスクのフードを上げる。少々意外だったが、今の状況を考えればコイツがいてもおかしくない。  
「お前もここに来ていたのか、古泉」  
「ええ、この閉鎖空間には涼宮さんの力も使われてますからね。さあ急いでください」  
 橘からスクーターを受け取る。カギの部分を見るとカギ以外の何かが突っ込まれていた。この辺りあまり気にしないほうがよさそうだ。  
「はい、ヘルメットです」  
 スクーターにまたがり橘が脱いだヘルメットを被る。彼女の残り香だろう仄かな柑橘系の匂いが鼻をくすぐった。橘はそのまま古泉の後ろにまたがる。  
「飛ばしますからしっかり捕まっていてください、では行きますっ!」  
 古泉にあわせてスクーターのスロットルを全開にひねる。一瞬転びそうになるがすぐに立て直すと普段慣れ親しむ坂を一気に駆け登っていった。  
 
 閉じている校門前にバイクを乗り捨て部室を目指す。部室棟自体は運よくカギが開いていたので俺たちは土足のまま校舎内に入っていった。  
「部室の扉はどうする。今日は誰もいないからカギが掛かってるはずだろ」  
「残念ですが僕は部室の合鍵なんて持っていないんですよ……と言ったらあなたは信じますか?」  
 悪いが信じれん。お前の事だから十中八九、いや十全で持っているんだろうな。ところでお前らはいつから今回の事を知っていたんだ。  
「あなたと駅前で別れた後です。僕と長門さんの前に未来の朝比奈さんが現れたかと思うと、いきなり銃で撃たれましたよ。おそらく朝比奈さんは  
何らかの仕掛けを施していたと思われます。未来人とはいえ人間が長門さんの不意をつくなんて行為、よほどの事が無い限り不可能でしょうから」  
 だろうな。ところで長門はどうした。  
「プログラムを維持させると言ってました。それと」  
「藤原をこの閉鎖空間へ送るためのサポートもしてくれました。喜緑さんでしたか、彼女と九曜さんの三人で送り込んだみたいですね」  
 後ろを走る橘が言葉を続ける。そう言えば何でお前たちが組んでるんだ。  
「そこまで不思議な事ではありません。ただ単に彼女たちと利害が一致した、それだけです」  
「力の所有者がどうだこうだと言う前に、あたしたちは自分たちの世界で今と言う時間を生き残らなければなりませんから」  
 部室の前に到着する。古泉が懐から部室の合鍵を取り出すと差し込み、そのまま扉を押しあけた。後はパソコンを起動させるだけ、それで長門の  
プログラムが作動し元の世界への道が開ける。  
 俺たちはそう思っていた。少なくとも部室の中を見るまでは。  
 文芸部室で待っていたモノ。それは入り口の対面に当たる壁が綺麗さっぱり無くなりモノトーンな閉鎖空間の景色を取り込んだ部室と  
「遅いですよ先輩。フフ、何処行っちゃったのかと心配しました」  
 そんな壁無き壁をバックに、団長席に座りこちらへ朗笑をみせるあの娘の姿だった。  
 
「ひどいですよぅ、先輩。絶対に逃げないってあたしと約束したのに逃げるんですもん」  
 ぶーっと頬を膨らませながら、両手で頬杖を付いて文句を訴えてくる。そのままディスプレイに視線を送り  
「その上こーんな脱出プログラムまで用意して。逃がさないって言ったはずですよ、先輩」  
 少女がパソコン本体を片手で掴むと、まるで雑誌でも投げるかのようにぽいと後ろから部室の外へと放り投げた。パソコンに接続されたケーブルが  
周囲機器を巻き込み中空を舞う。最近のパソコンはかなり小型になったというが、それでも少女が片手で放り投げられるような重さではない。  
 そんなありえない状況を見せ付けられ、ようやく俺はそれを口に出す事が出来た。  
「……一つだけ聞くのを忘れていた。できれば答えてくれないか」  
「はい、先輩の質問だったら何だって答えちゃいます。でもでも、スリーサイズとかはセクハラですからね」  
 その点は大丈夫だ。俺の質問はいたってシンプルなモノだ。何だったらイエス、ノーで答えられるように質問してやろう。  
 
「キミは────《神人》なのか」  
「はい」  
 
 外へと投げ捨てられたパソコンがスクラップと化した音と俺の懐で携帯電話にメールが着信したのを知らせる音にあわせ、俺の知る青い巨人とは  
似ても似つかぬ少女の姿でその娘──《神人》は元気よく肯定した。  
 
 
・A−XV  
 
「あ、イエスかノーかでしたね、ごめんなさい。イエスです、先輩」  
 屈託のない笑顔を浮かべて答えてくる。予想通りの最悪な解答に俺は古泉と橘へ水を向けた。  
「全く以って前例の無い事です。《神人》があのような姿を取ることも、このようにコミュニケーションを取ってきた事も」  
「佐々木さんと涼宮さんの二人が抱いた様々な想いが混ざり合って、そんな少女の姿と意思を持ったあなたを生み出した。そうですね」  
「イエスです」  
 《神人》は席を立つと両手を広げ、くるりとその場で一回転してからこちらへと向き返した。  
「本当にいろんな気持ちが混ざってるんです。中学時代の先輩を知りたい、高校での先輩を知りたい、SOS団に入って一緒に活動してみたい、  
妹さんやミヨキチさんみたいに可愛がられたい……そして涼宮さんみたいに一緒に過ごしてみたい、佐々木さんみたいに親友と呼ぶ仲になりたい。  
 そう言った二人が意識している部分、意識していない部分。二人が抱いたそんな大小さまざまな想いが複雑に絡み合ってあたしが生まれたんです。  
先輩はあたしと、わたしと会った時にすぐ気づきましたよね。フフ、流石です」  
 ああ。何せ俺の話題で盛り上がりまくった後でのアレで、しかもお前の姿がハルヒと佐々木の合いの子となれば、どんなにうがって考えようと  
その結論に行き当たるしかない。古泉が最近の《神人》の行動からハルヒが迷っているのではとヒントを出してくれていたのも気づいた理由だ。  
 
「先輩、メール確認しないんですか?」  
 《神人》が楽しそうに告げてくる。こんな状況で悠長にメールなんか見てられるか。  
「えーっ。でもでも、ここって閉鎖空間なんですよ? それなのに届いたメールって、ちょっと気になりません? あ、あたしだったら気にしないでください。  
先輩がメールを読む時間ぐらい大人しく待ってますから」  
 本当に大丈夫なのか? 古泉と橘に視線を送ると二人が無言の了承を返してくる。俺は頭を痛めつつ携帯を取り出しメールを確認した。  
 圏外どころか閉鎖空間にいる俺にメールを送ってこられる奴など数えるほどしかいない。送信者の欄を見てそこに頼れるべき宇宙人の名前を見出すと、  
俺は一行にまとめられた本文に目を通した。  
 
『空間崩壊ウイルスを添付する。空間の中心に接触しプログラムを実行せよ』  
 
 空間の中心? 空間ってこの閉鎖空間の事なのか?  
「おそらくそうでしょう」  
「でも閉鎖空間の中心って何処なんです? 確かに閉鎖空間はこう、お椀型というかドーム状になってますけど」  
「閉鎖空間が現状何処まで広がっているか不明である以上、即答はできません」  
 そうか、それじゃ危険だが裏技を使うしかないな。メールの内容を盗み見られたかどうかは不明だが、閉鎖空間の中心なんて曖昧な場所を誰よりも  
知ってるのは目の前のこいつだろう。俺はある種の覚悟を決めると《神人》に対して聞いてみた。  
 
「閉鎖空間の中心っていうのは何処だ」  
「中心ですかぁ? それならあの駅前ですよ。だってあそこで発生させたんですから」  
 言われてみれば納得する。ハルヒや佐々木も本来の世界のあの場所にいるんだし。しかし……だとすると必死になってこの部室までやってきたのは  
ただの無駄足だったという事か。  
「どうでしょうか。藤原はあなたをここへ送り込もうと必死でした。ここに来る事がメールを受け取る条件だったのかもしれませんよ」  
「とにかくあなたは駅前に戻ってそれを実行してください」  
 解っている。解っているが、どうやってあの《神人》を振り切ればいい。携帯を閉じて懐にしまいつつ今後の行動を考えていると、  
「でも先輩、そのウィルスを実行させるんでしたら急いだ方がいいですよ」  
 何もかも見透かしたかのような台詞を投げかけられた。やはりメールの内容は把握されていたか。それで、急いだ方がいいってどうしてなんだ。  
 閉鎖空間を作り出した《神人》自身にそれを尋ねるのもどうかと思うが、《神人》は特に気にするでもなく楽しそうに答えてきた。  
「だって、閉鎖空間は今も地球を取り込もうと拡大してるんですよ。そうなると空間の中心点は、さてどうなっていくでしょう」  
「なるほど、やけにあっさり答えた理由はそれですか」  
 古泉が微笑の中に苦渋を浮かべる。橘も一度手を開くと小指から握り締めて拳を作り出す。  
「急いでください。彼女の話が本当なら閉鎖空間の中心点は地中へと沈んでいってるはずです。早くしないと物理的に手が出せなくなります」  
 
 二人の超能力者は視線を交わすと《神人》へと歩み出て警戒態勢を取る。  
「自分の気持ちのもやもやした部分に対し迷いに迷った結果、涼宮さんは佐々木さんと一度会って話してみる事に決めました」  
「佐々木さんも同じです。彼と共に歩む、歩んでいける涼宮さんとはどのような存在なのか、会えるのを凄く楽しみにしていました」  
 そしてさらに一歩。あわせて二人の身体の回りに淡い輝きが灯り始める。  
「閉鎖空間、破壊させてもらいます」  
「あたしがいる限り不可能です……と言いたいですけど、宇宙人の力の集結じゃ解りませんね。でも、この空間は壊させないし、あたしも消えない」  
「拒否されるのならば申し訳ありません、力づくでも消えてもらいます。《神人》を倒す、それが僕の役割ですから」  
「違いますよ古泉さん。僕、ではなく僕らです」  
 橘が言葉を拾い一瞬こちらに向って微笑むと、あの誘拐劇の時に見せたような不敵な面構えで《神人》へと向かいあう。古泉もいつもの朗笑を  
浮かべてはいるが、その瞳からある種の覚悟と信念を抱いているのは伺えた。  
 
「どおりで佐々木さんが一度も閉鎖空間を生み出さなかった訳です。生み出すも何も、既に世界の全てが閉鎖空間に取り込まれていたんですから。  
 この閉鎖空間はあなたの欲求だけを満たす咎人の檻。この世界の行く末に佐々木さんやみんなが望む未来なんて絶対に訪れない……そうですよね。  
この場所にはあなたが望む未来だけしかない」  
「フフ、何で自分の望む未来だけを求めちゃいけないんです? 古泉先輩も橘さんも自分の望む未来を手に入れる為にずっと対立してるじゃないですか。  
涼宮さんに力が現れてから、佐々木さんが器となってから、ずっとずーっと相手を倒して、潰して、消して、殺して、自分たちの未来を掴もうとしている。  
 でもでもそれって矛盾してませんか。あなたたちがしている事はあたしがしてる事とどう違うんです? あたしが人間じゃなくて《神人》だから?  
あたしを倒すのが超能力者の使命だから?」  
 《神人》は軽くジャンプして団長の机に立つと腕を組み、静かな微笑を浮かべてこちらを見下ろしてくる。その姿はまるで佐々木を思わせた。  
「あたしはキョン先輩と、キョンと一緒にいたい。キョンと一緒に過ごしたい。キョンともっと触れ合いたいし、それ以上の事だっていーっぱいしたい。  
だってあたしは、わたぁしは、そんな二人の想いが実体化した《神人》なんだもん。だから」  
 組んでた腕を解くと片手を腰に、そしてもう片手でこちらを指差し、何者にも譲らないという固い決意を全身から発して宣言した。  
「あたしの邪魔をするっていうのなら、たとえ古泉先輩や橘さんであってもこの空間から出てってくださいっ!」  
 宣言通り古泉と橘の身体にノイズが走り始める。だが同時に古泉も橘も超能力者としての力を解放し、それぞれ赤色と青色に染まる球体状の力場を  
自分の周囲に発生させた。  
「先に行きますっ!」  
 橘が気合を入れる。そして青い光を更に輝かせると空中に浮かびあがり、そのまま躊躇せずに《神人》へと突撃していった。《神人》は軽やかに  
バックジャンプをかまして部室の外へと飛び出すがそれでも橘の追従はとまらない。彼女もまた躊躇いもせずに部室を飛び出して《神人》を追った。  
 
「ここは僕たちにまかせて、あなたは行ってください。……いえね、こういう台詞を一度言ってみたかったんですよ」  
 馬鹿いってる場合か。そんな映画の登場人物が絶対に言っちゃいけない死亡フラグ立ててる場合じゃない。  
 とりあえずこの一年で自分のすべき事、できる事ぐらいは学習したつもりだ。だから《神人》はお前たちに任せる。でもその前に一つだけ言わせろ。  
「何でしょう」  
 お前も橘も死ぬまでの無茶はするんじゃないぞ。お前がそんな事になればSOS団の連中が悲しむからな。ハルヒはもちろん、朝比奈さんだって  
長門だって悲しむだろうよ。  
「その中にあなたは含まれて?」  
 末席ぐらいには入ってやってもいいが、それ以上に朝比奈さんを悲しませるような奴は許さん。だからお前が死んだら許さん。  
 絶対に死ぬな、死ぬぐらいなら逃亡しろ。いいな。橘にも言っておけ、佐々木を悲しませる事だけはするな、悲しませたら許さんと。  
「……あなたの言葉をお借りしますと」  
 古泉は俺に背を向けて肩をすくめる。  
「まさにやれやれ、です。……できる限り善処しましょう。政治家の誤魔化しなどではなく、真剣に。僕にだってまだまだ未練はありますからね」  
 小さく頷くと古泉はゆっくりと宙に浮き、一足遅れて橘と《神人》の後を追いかけていった。  
 よし、俺も行動に出よう。一度顔に張り手をかまして気合を入れると部屋を飛び出し正門へと向かう。  
 校門前に乗り捨てていた原付を起こしエンジンを点火すると、俺は再び駅前へと全速力で走り出した。  
 
 
 駅前にたどり着いた俺は、ここが最初に《神人》との戦場になった場所なんだと思い知らされた。  
 駅はかろうじてその外観を残しているだけに過ぎず、水道管が破裂したのか地面は踝が沈むぐらいの水浸し状態。いつも待ち合わせしている駅前広場を  
始めとして近辺一帯は凶悪な力がぶつかり合ったとしか言いようのないぐらい壊滅状態になっていた。  
 排気口が水に浸かり動かなくなった原付を破棄し、俺は駅入口の階段へと向かう。ハルヒと佐々木が気絶しあの娘が現れた時、あの娘がハルヒと  
佐々木の力を引き出したのが階段のあたりだった。おそらくそこが空間の中心なんだろうが……正直な感想、どこが中心なのか全く解らない。  
 その辺りを適当に触りまくりながら携帯のプログラム起動を連打すればいいのか?  
 いや、もし前の時のように一度しか起動チャンスがなかったらまずい。軽率な行動は控えるべきだ。だがどうする、どうしたらいい。  
「…確証できるまで探すしかない、か」  
 時間は決して多くはないが仕方がない。近くの瓦礫から適度な長さの鉄パイプを引っつかむと、空間の中心とやらを探す採掘作業を開始した。  
 
 十分ぐらいそうしていただろうか。後ろからザブザブと近づく音が聞こえてきた。  
「どうです先輩。フフ、空間の中心は見つかりましたか」  
「……古泉と橘はどうした」  
 後ろを振り向かずに採掘を続ける。そいつはゆっくりと歩きつつ俺のすぐ後ろまで近づいてくると、そのまま後ろから背中に抱きつきつつ、  
「閉鎖空間から出て行ってもらいました。安心してください、殺したりはしてません」  
少しだけ体重をかけてきつつ静かな声で伝えてきた。  
「そうか」  
 鉄パイプの動きを止めて背筋を伸ばす。それにあわせて背後に掴まっていた《神人》は背中から脇へと身体を移動させていき、そのまま俺の身体を  
すり抜けて地面へと倒れこんでいった。  
「って、おいっ!」  
 すんでのところで身体を受け止める。昼間に不思議探索を行っていたスポーティな格好は見る影もなくボロボロ状態で、その身体もまた傷を負い  
袖口から見える手や足には地が滴り落ちていた。  
「フフ、やっぱり優しいですね、先輩は。あたしは《神人》ですよ?」  
 解っている。この傷は古泉たちと戦った結果付いた事も、この状況がお前によって起こされている事も、頭じゃ解ってはいるんだ。  
 でも思考だけで動けるほど俺はまだ人間ができちゃいない。目の前で血を流しボロボロになっている奴を見下すような行為、俺には一生無理だろう。  
 階段にゆっくりと座らせてから自分も並んで座る。こりゃまた随分と派手にやられたようだな。  
「はい、お二人ともすごく本気でしたから。それで先輩、空間の中心ってのは見つかりました?」  
 いいや、全く以ってさっぱりだ。適当に掘り起こしてはみたものの何処が閉鎖空間の中心なんだか見当も付かない。何か解りやすい目印でもついていれば  
まだ何とかなりそうな気もしたんだが、そうそう上手く事は運ばないようだ。  
「……先輩、ちょっと手を出してください」  
 そう言うと《神人》は手を立てて、手のひらの方を俺に向けてくる。何だか解らんが手を合わせればいいのか? 俺は彼女と同じように手のひらを  
立てて近づけると、突然彼女は手を伸ばしたかと思うと俺の手首をつかみ、そのまま自分の胸へと手を引き寄せた。  
 手のひらを通じて少しだけ身体の柔らかさと暖かさを感じる。それでこの朝比奈さん相手なら迷わず煩悩に走ってしまいそうな、健全たる男性にとって  
ちょっと嬉しかった事ランキング上位に食い込みそうなシチュエーションはいったい何のつもりだ。  
「嬉しいんですか? フフ、それはあたしも嬉しいな。それでですね先輩、閉鎖空間の中心はそんな地面なんかに埋まってたりはしないんです」  
 おいおいマジか。俺の懸命なる中心発掘作業は全く無意味だったって事かよ。頼むからそういう事はもっと早く教えてくれ。  
 そもそも空間の中心がここだって言ったのはお前じゃないか。  
「ゴメンナサイ。時間稼ぎがしたかったんです。だって先輩とこうして二人っきりになりたかったから。だから嘘ついちゃいました、フフ」  
 茶目っ気の多いイタズラをした時の妹のような悪びれた顔で舌を出すと、《神人》は俺の手に両手を重ねてさらに自分へ密着させながら見つめてきた。  
 
「閉鎖空間の中心っていうのは、あたし自身の事です。さぁ先輩、後はウィルスを実行するだけですよ」  
 そんな言葉とともに。  
 
 
・A−XVI  
 
「空間崩壊ウィルスっていうのは《神人》を倒すためのプログラムです。《神人》が倒れれば閉鎖空間は崩壊しますから」  
 拭いきれなかった汚れと血の痕が残る顔を傾げてくる。目笑しているが、その瞳の奥底には何かしらの強い意志を感じ取れた。  
「でもでも、実行前に一つだけ。一つだけ言わせてください。でないとせっかく先輩と二人っきりになれた意味が無くなっちゃいます」  
 胸においた俺の手を少しだけ強く握り締め、目を閉じてゆっくり呼吸を三回する。そんな彼女の鼓動と呼吸が手を通じて感じ取れた。  
 俺の手をとったまま立ち上がる。大丈夫なのかと不安になりながら、俺も倣って立ちあがり少女と対峙した。  
 息をゆっくり吐いて、言うべき言葉の分量だけ息を吸う。そしてゆっくり目を開いて俺の目を捉えると  
 
「────好きです、先輩」  
 《神人》は、ありったけの想いをその一言に載せてきた。そして静かに俺の答えを待つ。  
 
 
 俺は何度も自問自答し、そして携帯を取り出す。その上でゆっくりと、ちゃんと相手に俺の考えが伝わるように、俺は口を開いた。  
「なぁ、お前のその気持ちはハルヒと佐々木によって培われたモノだってお前言ってたよな。  
 だったら……俺はお前にじゃなく、ハルヒと佐々木に対して答えを示さなくちゃならないって思うんだ。  
 俺だけじゃない、ハルヒたちもそうだ。お前という存在を借りて自分の心を打ち明けたりするんじゃなく、自分の心は自分自身で伝えるべきだと俺は思う」  
 一言一言しっかりと伝えつつ俺は携帯を開くと、そのままウィルスの準備を整え実行キーに指を置く。その瞬間を目の当たりにしてもその娘は何もせず、  
何も言わず、俺の手を捉えたままただじっと見つめ返してくるだけだった。  
 ハルヒと佐々木に言いようの無い気分を与え、お前を生み出した原因が俺なのだとしたら。  
 謂れの無い事だと事態を突っぱねたりはせずに、お前を拒絶し、お前から恨まれ、お前を倒す役割を俺は全うしよう。  
 俺たちに《神人》は、代役は必要ない。だから  
 
「……すまん」  
 俺は指先に力を加え、ウィルスを実行した。  
 
 実行した瞬間彼女がビクッと震える。そして両手両足の先からゆっくりとその姿が分解され塵となりはじめた。  
「いいえ、先輩らしいです。だから恨みません。二人が羨ましくは思いますけど、フフ」  
 彼女は本当に純粋に微笑むと、消失しはじめる手から俺の手をそっと放して押し出す。そのまま小さな慣性にそって数歩後ろへと下がり距離を開けた。  
 同時に彼女の後ろに二つの人影が姿を現す。新緑の木漏れ日を感じさせる柔らかな雰囲気をまとった上級生と、ブラックホーを思わせる不安定な領域。  
「申し訳ありません。あなたにとっては不本意な事でしょうが」  
「────あなたの……情報連結を──」  
 そして俺の後ろから静かに響く澄んだ声。  
「解除する」  
 声の主であるショートヘアの少女は、俺の横を通り抜けるとそのまま俺の前、少女との間に立ちはだかった。  
 
「長門……」  
「あなたは間違ってない」  
 前を向いたまま長門は手を《神人》へと伸ばす。後ろに立つ二人──喜緑さんと九曜もまた同じように手を伸ばし《神人》へと向けた。  
「長門さんの言う通りです。むしろこの状況はわたしたちが望んだ事。もしあなたがこの状況に対して何か思う事があるのならば、それはわたしたちも  
背負ってしかるべきものです。ですから」  
「────その目を……見ていると──酷く……痛い──」  
 どうやら俺は《神人》に対して哀悼の目を向けているようだ。でもそれは  
 
「そうですよ先輩。フフ、そんな悲しそうな顔したってダメですからね」  
彼女が言うとおりだった。俺には、悲しむ権利なんて無い。俺が悲しんでいるとするなら、それは  
 
「そうです。あたしは先輩を恨みません。でもでも、先輩があたしを消した事に対して許されるのかどうか、それは全くの別問題なんです。  
 フフ、だからそんな顔しても先輩は自分自身を絶対に許せませんよ。だってそんなの、あたしを消す事に対してこれだけ悲しんでいるんだぞって  
周りに対して見せる自己防衛、単なる体面の取り繕いなだけですもの。  
 ……先輩があたしを消した事に対して許される方法はただ一つ、たった一つだけです。  
 すぐにとは言いませんから、二人にちゃんと答えを出してあげてください。いえ、できるなら先輩の前にいるその娘にも、先輩たちを慕う他のみんなにも  
ちゃんと伝えてあげてください。あたしに言わないって決めた、二人に対して伝えるって決めた、先輩の答えを」  
 気づけば長門がこちらへ首を向けていた。いや長門だけじゃない、喜緑さんも九曜もこちらを見つめている。  
 俺は絶対に口を割らないだろうと思われる三人を証人に、すでに身体の半分が消失している《神人》に対して強くうなずいてみせた。  
「ああ、いつか必ず。お前を再び生み出さない為にも、な」  
 それが俺の出した回答だから。  
 
「フフ。だったら先輩、そんな顔であたしの事見送らないでください。あたしは笑っている先輩が一番好きなんです」  
 そうか、そいつはすまない。俺はできる限りの笑顔を見せてやった。  
「この数週間先輩と過ごせてとっても楽しかったです。本当に、とっても。毎日が新鮮でした」  
 そうか、楽しかったか。そりゃよかっ……  
 
 
「…………ちょっと待て。新鮮で楽しかった、だと?」  
 
 
 それは突然に、本当に突然に、俺はその考えに思い至った。  
 ストレスとフラストレーションの象徴である《神人》が楽しんだだと?  
 どういう事だ、それはハルヒの意思か? いやハルヒなら新鮮って事はありえない。何せこの楽しさはいつも通りだったはずだからだ。  
 なら佐々木か? いや佐々木はこいつの閉鎖空間の世界じゃほとんど関わっていない。だからこの数週間俺と過ごしたなんて事も当然ない。  
 だとしたら楽しんだのはいったい誰だ。この娘が感じたその楽しいっていう心は、いったい誰の意思だ。  
「……ハルヒでも、佐々木でもなく、お前自身が楽しんだ……まさか、そうだと言うのか?」  
「どうしたんですか、先輩。そんなの当然に決まってるじゃないですか。フフ、本当に楽しかったです」  
 胸元まで崩壊した状態で《神人》が目をつぶる。その表情はまるで安らかな眠りにつくかのようだった。  
 
「長門っ! ウィルスを止めろっ!」  
 言うと同時に俺は《神人》へと走り寄っていた。だがウィルスの作用か見えない壁が《神人》の周りに展開されていてそれは叶わない。  
「空間崩壊ウィルスは自律プログラム。実行後の停止は不可能」  
 くそっ、どうしようもないのか。俺は壁を思いっきり叩きながら消え逝く少女に問いかける。  
「おい、答えろっ! さっきの俺へ打ち明けたあれは本当にハルヒや佐々木の気持ちだったのか!? もしかしてあれは……ッ!!」  
 答える力がもう無いのか、いやそもそも俺の声が届いているのか、それすらも解らないまま  
 
(フフ……)  
 
 あの特徴的な微笑を残して《神人》は光の中へと消え去っていった。  
 そして《神人》の生み出した閉鎖空間は崩壊する。  
 
 
・B−XIV  
 
 白と黒とのフラッシュバックした、ハルヒと佐々木が生み出した閉鎖空間。  
 走りかけた足を止めて辺りを見回す。崩壊した様子も無い駅前にはあの時と同じようにハルヒと佐々木の二人が横になっていた。  
 違うのは目の前にあの娘がいない事だけだ。先ほどまで一緒にいた長門たちの姿も、閉鎖空間から弾かれた古泉たちの姿も無い。  
 
「……くそっ!」  
 俺はコブシを握り歯を食いしばりながら、やり場の無い感情を体内に走らせる。  
 あの時の《神人》の告白、あれはどういう意味だったのか。あれはもしかして誰かの代弁ではなく、彼女自身の意思だったではないか……だとしたら  
俺はとんだ勘違いで実行キーを押した大バカ野郎という事になる。何故俺はあの時もう少し考えなかったんだ。  
 
 あの娘も閉鎖空間も消えた今、彼女の真意を知る術はもう無い。  
 過去に行く手段があっても、過去の俺に正しい選択を選ばせる手段が無い。俺自身が体験していない以上、朝比奈さんたち未来人の力では無理だ。  
 そんな事が実行できるのは俺の知る限りただ一人しかいない。もちろんハルヒの事だ。かつて繰り返される夏休みを作り出した事があるハルヒなら、  
そんな事ができるハルヒの力ならば確かに可能だろう。だが……それは決して望んではならない。それをするぐらいなら俺は慚愧に堪える方を選ぼう。  
 ハルヒに禁断の果実を求める事だけは絶対にしない。それがあの日、あの時、二人だけの世界で出した俺の結論だからだ。  
 
 ……何だか無性に疲れた。その場に立てひざを突いてうな垂れていると  
「なるほど。詳細は見えないが、キミはどうやら後悔しているようだね」  
 それはあくまでも静かに、だが俺の元へと確実に届く音域で。それまで横になっていた「親友」がゆっくりと上体を起こすとこちらを見つめてきた。  
 
「人は後悔をする生物だ。そして後悔した分だけ人は成長する。痛い目を見ては是正し、それを繰り返して人は強くなっていく。だが人は時として  
是正できないぐらいの失念を抱き、後悔という言葉では生ぬるい程の慟哭に沈む事がある。そう、まさに今のキミのようにね、キョン」  
 思慮を巡らせているといったポーズなのか、人差し指だけを伸ばして自分の額に当てる。そのままくつくつと相変わらずな含み笑いをこぼすと立ち上がり  
俺のそばまで近づいてきた。俺もそいつに合わせるよう立ち上がり見返す。  
「動いて大丈夫なのか、佐々木」  
「大丈夫かどうかと聞かれたならば大丈夫と答えよう。僕は軽い立ちくらみ程度と何とも表現しがたい夢を見せられただけで、ご覧の通り外傷と呼べる  
ようなものは全く見受けられない。つまりどう見ても地獄の門を潜り一切の希望を捨ててきてしまったかのような今のキミよりは大丈夫って事さ」  
 何だかえらい言われようだな。今の俺はそんなに消沈しているようにみえるか。  
「見えるね。高校入試実力模試でコテンパンに評価された時よりも落ち込んでいる。まあ比べる事象が間違っているのは認めるけど。もし良かったら  
キミが何でそこまで落ち込んでいるのか話してくれないか。話す事で楽になれるという事は実際あるものさ」  
 
 ハルヒのそばに腰を下ろし、俺は佐々木にあった事を告げた。  
 《神人》がもたらした閉鎖空間内での記憶は佐々木にもあるらしく「それで何となく記憶がだぶっているのか」と漏らしていた。  
「詰まるところ、キミはその《神人》の気持ちを汲み取れず消去してしまった事を悔やんでいる、そういう事だね? まったくキミという人間はどこまで  
僕の事を驚愕させてくれるんだ。君の取った行動はこの世界を救った行為に他ならない、つまり救世主とも英雄とも取れる素晴らしい行為なんだよ?  
それなのにキミはその行為に後悔している。全く、事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。  
 あ、勘違いしないでくれ。僕はキミが後悔していることを批判している訳ではない。むしろそういった部分こそキミらしいと買っているぐらいだ。  
キミを表すのにもっとも簡単にしてしっくり来る言葉がある。キミは羞恥に染まり全力で否定するかもしれないが、それでも言わせてくれ」  
 佐々木はそこまで一気に語るとわざと一拍間をおき、俺をまっすぐに見つめるとその言葉を告げてきた。  
 
 
「キョン──キミは優しいのさ。バカがつくぐらいにね」  
 
 
 むず痒い評価を受け言葉に詰まる俺を見て一頻り笑った後、佐々木は落ち着いた表情で聞いてきた。  
「さて話を戻そう。キミはどうしたいんだい? 僕は他ならぬキミの為ならばどんな労力も代価も厭わないつもりでいる。何でも言ってくれたまえ。  
キミのその辛辣な表情を消す為ならば、僕はキミが後悔する前まで時間を巻き戻す事すら実践してみせよう」  
 普通の奴が言えば一笑される内容だろう。だが俺は笑い飛ばせなかった。何故なら佐々木には、  
「そう。僕には、神の力を行使できる能力がある」  
のだから。  
 
「……それは本気で言っているのか、佐々木」  
 今の言葉は、つまり佐々木がハルヒの力を奪うと言っているようなものだ。それは橘たちが望み、古泉たちが恐れる事態。言ってしまえば敵対宣言だ。  
 佐々木は俺の質問に小さく微笑むと、  
「本気というよりは消去法さ」  
そう答えてからハルヒの方へと視線を流した。  
 
「キミは涼宮さんに力の事を内密にしている。だが僕は力の事を知っている。そしてキミの憂いを取り除くためには涼宮さんの力が必要。さてこの場合  
どうするのがモアベターだろうか? 二次方程式より答えは簡単さ。涼宮さんに頼れない以上、力を行使しキミの後悔を取り除くのは僕の役目となる」  
 確かにモアベターだな。だが俺はベストな選択を推奨する。それは当然このまま何もせず、後はこの閉鎖空間を解いて世界を元に戻すという案だ。  
「そうだね、確かにそれが最善だ。だがそれは同時に最低最悪の回答でもある。キョン、何故キミが世界の為なんかに我慢しなければならないんだ。  
キョン。もしキミや世界がその選択肢を選ぶのならば、僕は迷わず世界と敵対する道を選ぼう。例えキミが望んでいなかろうが、僕は彼の為なら喜んで  
汚れ役に徹する構えでいる。頼むからそこで何故、だなんて無粋な事は聞かないでくれよ?  
 僕はね、実際の所世界の平穏や組織集団の思惑なんてどうでもいいと思っている。和平でも戦争でもどうぞ好きなだけ勝手にやってくれればいい。  
僕にとって重要な事はただ一つ、僕がおこがましくも親友と呼んでも僕の事を拒絶しない、貴重にして尊重すべき存在が苦悩している、それだけなんだ」  
 佐々木は相変わらず独特にして退廃的な感情を乗せた笑いを見せる。どうにもこいつは本気でそう考えているようだ。  
 おかげでこの佐々木の決意で、俺は二つの事を知り得る事ができた。  
「その二つとは?」  
「一つはお前に力を移す事は反対すべきだという事。お前の事だ、例え自分にそんなとんでもない力があったとしても滅多な事で使おうとはしないだろう。  
だがもしお前が使うべきと判断したら、お前は今度は躊躇せず力を使うはずだ。それでも俺はお前が使うべきと判断する状況自体が無いと思っていた。  
しかし……お前はその可能性を否定した」  
「例えば今みたいな時、僕は躊躇わず力を使う。そういう事だね」  
「ああ。だからこそお前に力を移すわけにはいかない。少なくともハルヒは力の存在を知らない。だから自分から力を使おうだなんて絶対に考えない。  
それに最近はあいつも満足しているのか心が安定してきている。だから俺は、お前よりハルヒに力がある方が安全だと判断する」  
「良い判断だ。僕自身も力の継承にはいぶかしんでいる点があるからね。さて、それで二点目は?」  
 佐々木はいつもの無言の笑みを浮かべて俺の言葉を待つ。俺は佐々木に習い一拍置くと、そのくそ恥ずかしい台詞を返してやった。  
 
 
「決まってる。お前もまた優しいで括れる人間だって事さ」  
 
 
・B−XV  
 
 佐々木がハルヒの額に手をかざし、静かに目を閉じる。  
「誓って涼宮さんから力を奪ったりはしない。その力を少し拝借させてもらうだけだ。キミがその方が良いと判断したからね、僕はそれに従うよ」  
 佐々木が口元だけで薄く笑う。中学の時に塾の帰り道で色々語り合った、あの時のような笑顔で。  
「ところでキョン。僕と二つ約束してくれないか」  
 すっと目を開き俺を見つめてくる。何だ、約束って。  
「一つ目は必ず帰ってくる事。僕らは世界が安然としているこの時間を放棄し、再度世界存続の危機を起こそうとしている」  
 自覚をしているなら実行しないで貰いたいのだが、やはりその案は却下なのか。  
「当然。それに本当に僕にそんな力があるのか知る良い機会でもあるしね。もし僕にそんな力が無かった場合は次の方法を考えないとならないが、  
その状況はそれでキミの理想する世界の状態に近づく……違うかい?」  
 違わない。お前が力を使えないって解れば面倒事がいくつか減るだろうからな。  
「ああ。そして橘さんをはじめとした外野が誰もいない今こそが、それを試してみるチャンスなんだ。しかも実際に力が使えると解った場合、時間遡上で  
僕はその結果を知らない事になる。そもそも実験なんてした事実がなくなるんだからね。キミだけが答えを知る状況、それこそが僕の理想なんだ」  
 そして再び目を閉じる。本当にはじめるようだ。  
「キョン、答えの知らない僕を正しく導いてやってくれ。僕と親友になってくれた、あの時のように。これが二つ目の約束だ」  
 解っている。それが俺の役目のようだからな、戻ってきたら頑張る事にするよ。約束する。……それと、  
「いつか必ず全部話す。だからその時まで、もう暫く騙され続けていてくれ」  
 
 
「……約束よ」  
 
 
 そして、時間は遡上する。  
 先ほどまでと似ているが違う、白と黒とのコンストラクトの世界。  
 俺の目の前から佐々木とハルヒが姿を消し、代わりに俺の手をとる少女が現れると、  
 
 
・A−XVI  
 
「空間崩壊ウィルスっていうのは《神人》を倒すためのプログラムです。《神人》が倒れれば閉鎖空間は崩壊しますから」  
 拭いきれなかった汚れと血の痕が残る顔を傾げてくる。目笑しているが、その瞳の奥底には何かしらの強い意志を感じ取れた。  
「でもでも、実行前に一つだけ。一つだけ言わせてください。でないとせっかく先輩と二人っきりになれた意味が無くなっちゃいます」  
 胸においた俺の手を少しだけ強く握り締め、目を閉じてゆっくり呼吸を三回する。そんな彼女の鼓動と呼吸が手を通じて感じ取れた。  
 俺の手をとったまま立ち上がる。大丈夫なのかと不安になりながら、俺も倣って立ちあがり少女と対峙した。  
 息をゆっくり吐いて、言うべき言葉の分量だけ息を吸う。そしてゆっくり目を開いて俺の目を捉えると  
 
「────好きです、先輩」  
 《神人》は、ありったけの想いをその一言に載せてきた。そして静かに俺の答えを待つ。  
 
 
 俺は何度も自問自答し、そして携帯を取り出す。その上でゆっくりと、ちゃんと相手に俺の考えが伝わるように、俺は口を開いた。  
「なぁ、お前のその気持ちはハルヒと佐々木によって培われたモノだってお前言ってたよな。  
 だったら……俺はお前にじゃなく、ハルヒと佐々木に対して答えを示さなくちゃならないって思うんだ。  
 俺だけじゃない、ハルヒたちもそうだ。お前という存在を借りて自分の心を打ち明けたりするんじゃなく、自分の心は自分自身で伝えるべきだと俺は思う」  
 一言一言しっかりと伝えつつ俺は携帯を開くと、そのままウィルスの準備を整え実行キーに指を置く。その瞬間を目の当たりにしてもその娘は何もせず、  
何も言わず、俺の手を捉えたままただじっと見つめ返してくるだけだった。  
 ハルヒと佐々木に言いようの無い気分を与え、お前を生み出した原因が俺なのだとしたら。  
 謂れの無い事だと事態を突っぱねたりはせずに、お前を拒絶し、お前から恨まれ、お前を倒す役割を俺は全うしよう。  
 俺たちに、代役は必要ない。  
 
「……だが」  
 俺は実行キーから指を離すと、もう一度目の前の少女を見る。俺が迷わず実行するものと思っていたのだろう、少女は少しだけ驚いた表情を浮かべていた。  
 
「なあ、今でもお前は二人の代弁者なのか? お前がハルヒと佐々木の感情から生まれたのは解った。だがそれは今でも同じなのか?  
 お前がその姿になって俺たちの前に現れてから今さっきまで、時間的に見れば短い時間だけど、お前は俺たちと共に過ごしてきた訳だが……どうだった?  
部室で色々やって、不思議探索って事で街中をみんなで談笑しながら歩き回って。楽しくなかったか?」  
「楽しかったに決まってるじゃないですか。この数週間先輩と過ごせてとっても楽しかったです。本当に、とっても。毎日が新鮮でした」  
 その娘は親譲りの百ワットの笑顔を浮かべてはっきりと答える。で、その楽しかったって感情はハルヒや佐々木がそう思っているから、じゃないよな。  
「違います。あたしが、楽しかったんです。先輩と色々お話したり、SOS団のみんなと騒いだりしたのは誰でもない、あたしですから」  
 そうか、よし解った。こんな事できるかどうか解らんが、それこそ何でもありの団長さんなら何とかしてくれるだろう。全く、禁断の果実は使わないとか  
考えてた割には俺もかなりいい加減だな。  
 でもそうだろ。この娘はもうハルヒや佐々木の代弁者──《神人》じゃない。この娘は、この娘として生きている。だったら。  
 自分自身へ突っ込み返し、俺は目の前の少女に言ってやった。  
 
「一緒にここから出よう。お前の居場所はここじゃない、俺たちSOS団のいる世界だ」  
 大丈夫。きっとハルヒたちなら受け入れてくれるさ。実際そうだっただろ?  
 
 
・B−XIV  
 
 白と黒とのフラッシュバックした、ハルヒと佐々木が生み出した閉鎖空間。  
 走りかけた足を止めて辺りを見回す。崩壊した様子も無い駅前にはあの時と同じようにハルヒと佐々木の二人が横になり、そしてその前には。  
「本当にあたしの事、連れ出しちゃいましたね。フフ、トラブルを持ち込んだって古泉先輩とかに怒られても知りませんよ?」  
 なあに大丈夫さ。あいつなら《神人》関連の事ぐらい何とでもしてくれるだろうよ。  
「……そっちの意味じゃないんだけど……ま、いっか。そういう部分も先輩らしいし。フフ、それじゃ二人を起こしてこっちの閉鎖空間も解除します」  
 そう呟きながらゆっくりと二人に手を添える、その手が少しだけ震えているのに気づいた。  
 
 
・B−XV  
 
「ここからはどうなるか解りません。《神人》が閉鎖空間を出るなんて、そんな事やったことも考えたことも無かったですから。もしかしたら、あたしは  
ここで一緒に消えちゃうかもしれない」  
 否定はしない。俺だってその可能性は考えた。だからこそ、俺はハルヒに賭ける。お前も団員候補にまで選ばれたんだ、お前に対する団長の気持ちを信じてみろ。  
 少女は頷くとハルヒたちの額に手をかざす。俺も彼女の向かいに回り一緒に手をかざしてやった。  
 
「……消えたくない。あたしは先輩と、みんなと、一緒にいたい。もっともっと、もっと、もっと……」  
 小さな呟きと共に何か力が動くのを感じる。その間も二人は起きてくることも無く眠りっぱなしだった。前みたいに狸寝入りという様子でもない。  
 少女は最後に俺を見つめると、涙を一滴流しながら笑ってきた。  
「フフ……ありがとう、先輩」  
 それは何に対するお礼だったのか。お礼を言われるようなことを俺はやったのか。この二度目の選択は本当に正しかったのか。  
 そんな事を考えている間に閉鎖空間の空に亀裂が走り、砕け散る音と共に俺は久しぶりに街中の喧騒を耳にすることとなった。  
 
 
・B−XVI  
 
「……何変なことしようとしてんのよ、このエロキョンっ!」  
 そんな目覚めた第一声と共に飛んできた重みのある団長パンチと共に。今度からこいつを介抱する時は手に注意を払っておくことにしよう。  
 
 何だか懐かしく感じる風景。ハルヒと佐々木が起き上がるのを助け、俺は二人が突然倒れた事を伝えた。二人の安否を気遣い、改めて駅へと送り出す。  
 そうして二人がいなくなった後、駅前をぐるりと見回してみた。  
 
 あの娘の姿は、どこにも無かった。  
 この世界はどういう姿で落ち着いたのだろうか。本来の世界のままなのか、あの娘が作り上げた世界なのか。  
 それはあの娘がいなくなった以上、俺自身が確かめるしかないのだろう。  
 
 
・XVII  
 
 時は流れ、次の土曜日。  
 
「……ってな訳で遅れるそうだ」  
 自転車で駅前へと向かう途中、俺は今さっき受けた彼女の電話を切るとそのままハルヒへとかけ、彼女が遅れる旨を伝えた。  
『ああ、そう言えばあたしの番号教えるの忘れてたわ。今日会ったら教えとかなきゃ』  
 そうしてくれ。最近は自転車でも走行中の携帯電話は色々見つかるとやばいんでな。  
『そんなあんたにアドバイスしてあげるわ。掴まりそうになったら全速力で逃げるのよ、良いわね』  
 それはそれは何と素敵なアドバイスだろうか。掴まった時には団長の指令だったと言う事にしよう。  
 
『そんな事より、あんたは何時になったら到着するわけ? 集合場所にはもう全員揃っているわよ。SOS団も、ゲストさんたちもね』  
 マジか。こっちはもうすぐ駐輪場だというのに。大体まだ約束時間の三十分前だぞ。  
『何分前でも関係ないわ! 相手が揃ってるのにこっちが揃ってないっていうのがあたしは許せないのっ! 今すぐ全速力でかけてきなさいっ!』  
 けたたましい怒声と共に電話が切られる。俺は暗澹たる気持ちを更に増加させて集合場所へと向っていった。  
 
 集合場所には既に俺以外の全員が揃っていた。普段着のクセに腕にわざわざ団長の腕章をつけたハルヒは俺を指差し怒声を上げると、  
「遅刻、罰金!」  
いつもより気合の入った宣言を伝えてきた。  
「だ、そうだよ。悪いねキョン」  
 その隣では佐々木がくつくつと独特の笑いを見せている。前の顔合わせですっかり意気投合してしまったのか、その姿に遠慮は無い。  
 まあそれならそれで問題が解決して結構な事だと喜ぶのだが。何せ見た目的にはこの二人が一番問題に見えて、その実周囲の三人の方が問題という  
捻くれた図式を表しているからな、この状態は。  
 ハルヒの少し後ろに古泉が、佐々木の後ろには橘が立ち、こちらへと爽やかな営業スマイルを投げてきている。  
 その横じゃ腕を組みあからさまに不機嫌さを見せ付ける藤原を朝比奈さんがちらちらと興味半分に伺い続け、さらにその横じゃ長門と九曜が  
ただただ無言でじっと見つめあっているという状態だ。  
 今の俺の心境を正直に言おう。このままきびすを返して帰っていいかね。  
「ダメに決まってるでしょ。あたしたちと佐々木さんたちとの橋渡しはあんたにしか出来ないんだから」  
「全くだね。まあキミの与り知らない場所で僕たちが勝手に会談し、その内容がキミへ一つも飛び火しないと考えているのなら僕はかまわないけどね」  
 佐々木はくっくっと相変わらずの笑いを浮かべ、ハルヒもまた不適な微笑みを見せている。どう考えたってこいつらが組むのは反則だろ。  
 今の俺の心境を正直に言おう。今すぐこの会合の解散を提案する。  
 
「そんなのダメですよ。せっかくの機会なんですから」  
「その通りです。僕もこの日を楽しみにしていたのですから」  
 超能力者どもが揃って俺を止めてくる。こいつらはこいつらであの《神人》戦以来とげとげしさを隠しているようだが、それでも対立しているのは  
相変わらずらしい。にしてもお前ら、本当にしのぎを削りあう敵対勢力か? 少しは長門と九曜を見習ったらどうだ。  
 あそこなんてさっきからずっと見つめあったままフリーズ起こしてるぞ。  
「…………何?」  
「────呼ばれた?」  
 ふと宇宙人たちが互いの視線を外し、首を動かして揃って俺を見つめてくる。そろそろ銀色円盤に連れ去られる日も近いかもしれない。  
 
「ふん、それで僕たちはいつまでこんな所でバカ面を付き合わせてなくちゃならないんだ? 移動するならさっさとすべきだ」  
 相変わらず俺の不快指数を上げる事に関しては超一流の未来人二号が仏頂面で口を開く。って言うか何で貴様までいる。文句があるなら来なけりゃいいんだ。  
「既定でなければ誰が来るもんか。まあついさっき楽しみが出来たけどな。奢ってくれるんだろ? あんたが、僕に」  
 これほど罰金が罰金に思えたのは初めてだ。こいつに奢るぐらいなら今すぐ全財産を引ったくりにでも進呈してやりたい。  
 俺が怒り心頭にコブシを震わせていると、そっとその手を暖かい何かが包み込んできた。  
「落ち着いてください、キョンくん」  
 俺の心を活性化させるカンフル剤、癒し系未来人朝比奈さんが俺の手を両手で握ってきていた。そのまま小さな声で伝えてくる。  
「わたし解ったんです、アレが彼なりのスキンシップなんだって」  
「そうよキョン、そんな安い挑発にいちいち乗らないの。SOS団の一員ならもっとどっしり構えて応対しなさい」  
 逆の手をハルヒに掴まれ、更に手の甲をつねられた。マジ痛いからその手を離せ。  
「モテモテだねキョン。一年前にキミの男友数名と共に恋愛は受験勉強の邪魔だと豪語していた姿からは想像もつかない進化だ。この一年でキミに一体何が  
起こったのか、涼宮さんたちに更なる詳細を伺うのが今から楽しみで仕方ないよ」  
「あたしも気になるわ。中学時代に一体どんな平々凡々人生を歩んだらこんなキョンみたいな奴が完成するのか、もっと聞きたいしね」  
 佐々木と共にハルヒまで奇妙な笑いを始めだす。ちょっと待てお前ら、今日も俺の話題で盛り上がるつもりなのか。  
「当然。しかもキョンのおごりでね」  
 ふと気づけばハルヒと佐々木だけでなく古泉や橘、長門に朝比奈さんに九曜、それに藤原までもがこちらを見つめていた。  
 ええいそんな風に雁首そろえて俺を見るな、何か色々減るだろうが。特に藤原、お前はムカつくからどっか向け。というかどっか行け。  
「あんたが何かの任務でここにいるとしよう。そしてあんたがここにいる事で僕の怒りとストレスが増すとしたら、あんたどうする?」  
 もちろんそのままいさせてもらうだろう、それが解ってるだけに忌々しいんだ。今度あっちの朝比奈さんがやってきたらいの一番に尋ねてやろう。  
未来じゃアレが普通なんでしょうかと。もしそうなら俺は一生朝比奈さん以外の未来人と解りあえそうもありません。  
「それはえっと、たぶん禁則事項です」  
 どうやら愚痴がもれてたらしい。俺の心の声に朝比奈さんは汗をかいた作った笑顔で答えてくれた。  
 
「さぁて、キョンのおごりでレッツゴー!」  
 野球でも始められそうなぐらいの集団となった俺たちは団長の指示のまま喫茶店に向かいだす。ふて腐れながら一番後ろを歩く俺は、ふと自分の背後に  
小さな気配を感じて振り向いた。  
「……よっ、遅れるって連絡を入れてきた割には意外と早かったな」  
 それはこの数日で見知った顔であり、先ほども俺に遅れてくると言っていた──  
 
 
「こんにちは、先輩。フフ」  
 
 
 閉鎖空間という異世界からやってきた、ハルヒの望んだ最後の枠を埋める、準団員となった新入生の少女だった。  
 
 
- 了 -  
 
 

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