Prologue.
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「わたしはここにいる」
それは、誰の言葉だった?
誰に向けられた言葉だった?
そして、本当にわたしはここにいるの?
考えるのは良いけれど、答えなんて、きっと、―――ない。
―――ない―――けれど………
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平凡で平穏、普通にして不変である、まるで俺の人生そのものを象徴しているかのような、そんなある日の夕暮れ時の話になる。
浪人する事無く大学に入れたのは良いが、『人生って何だろう?』などというこの年代特有の病気にかかり、ここ数年ほどどことなく物足りない日々を送り続けていた俺は、卒業を間近にひかえたその日の帰り道、交差点で幸せそうな一組の夫婦とすれ違った。
文字通り比翼の鳥のごとく、互いに寄り添ってゆっくりと歩く彼等。
俺と一回り以上は離れているように見える男性と、俺と同い年ぐらいであろう女性。
ぱっと見は、下手すりゃ親子にも見えてしまう二人組みなんだが、………なんだろう、彼等の間を流れる空気みたいなものが、二人が確かに夫婦である事を証明している、………みたいな。
脳というエンジン内部のネジやら燃料やらが不足しているせいか、そんなどうでも良い事をぼんやりと考えていた俺の横を、子供が二人、俺との相対比率としてはサッカー選手並みの動きですり抜けて、彼等の元へと駆けていく。
―――置いて行かれた。
自分が持ってない、もしくは『いつか』に忘れてきた、何かを彼等の中に感じたのか、ただ単に目が焼けそうなほど鮮やかな夕焼けにメランコリックを打ち込まれただけなのか、………はっきりした理由は分からないのだが、俺は確かにそんな気分にさせられた。
でも、それで良いような気がした。
ああ、こっちの理由ははっきりしているようだ。
だって、彼等は笑ってたから。
幸せそうに、笑ってたから。
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存在しない答えを見つけるために、彼等の結末を観測する。
笑えているから幸福なのか、幸福だから笑えているのか?
ニワトリが先かたまごが先か?
笑えている彼にはどうでも良い事でも、
笑えない彼には、とても大事な事。
少なくとも、今のところは、それが彼等の『選択』の結末。
だったら、わたしの結末は?
―――わたしの『選択』の結末は?
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ふいに、いつかの、俺達を置いて行ってしまった、ある日の風景を、あの日の彼等を思い出した。
そこに何か引っかかりを覚えた俺は、昔の何でもない、しかし満ち足りていた頃の事を頭の中でセピア色の痛みとともに巡らせる事にした。
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電気少女はここにいる事を高らかに宣言する
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1.
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忘れて―――が………彼女の―――願い
忘れないで………が………彼女の―――願い
彼の………彼等の―――意思は―――どこ?
―――わたしの………意思?
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何か大事なものが記憶のマリアナ海溝に沈んだまま錆びついてしまっているような、そんなザラザラした違和感がずっと抜けなかった高校二年の三月の話だ。
俺達は見かけ上はいつも通り、モラトリアムと言えば聞こえは良いが要するにただの暇つぶしでしかないSOS団団活動に従事していた。
部室で展開されているのはいつもとなんら変わりない光景。
俺と古泉が『古泉一樹黒丸マークショー』という名のボードゲームを使った一方的な架空虐待を行っている横で、ハルヒと朝比奈さんが女二人でも十分姦しい事が証明されそうなくらいの音量で騒ぎ立てている。
「みくるちゃん、このサンバの衣装なんて、どうかしら?」
「ふえー、派手派手さんな衣装ですねー。で、これがどうかしたんですか?」
「着るのよ」
「………みー?」
「ゆー」
………訂正。どうやらこちらでも一方的なリアル虐待が行われているようだ。
「ふええええっ! む、無理無理、無理ですよー。見えちゃうじゃないですかー」
「大丈夫よ、みくるちゃん! あなたなら飛べるわ。アイウィッシュユーワーアバード、………メイビー」
「メ、メイビーとかついているうえ、さりげなく過去形なところにそこはかとない悪意を感じますー」
「でも、もう注文しちゃったしね」
「鳴かされちゃうのホトトギス!」
さて、朝比奈さんも程よく壊れかけてきている事だし、出したところで泥舟かタイタニックくらいにしかなりそうにない助け舟であるという現実はあえて無視して、止めに入る事にしよう。
「アホ、着るならお前が着ろ」
コツン、と軽くアホな子ことハルヒの頭をはたきながら、捕食者である彼女とそれに睨まれた愛くるしい小動物である朝比奈さん、二人の間に割り込む。
ハルヒは少しだけ考え込んだ後、何故か顔をほんのり赤く染めながら、上目使いでこちらを見ながらこう言った。
「何よ、あんたあたしがこれ着てるところ、………見たいの?」
「いや、全然」
「コンマ5秒で否定した!」
ってもそんなもん、俺にとっちゃ今日の日経株価指数並みに興味ないしなあ。
「うー、ちょっとは想像してみなさいよ。あたしがこれを着てあんたの前でサンバのリズムに合わせて飛び跳ねるのよ。どうなると思う」
「しわになって、洗濯するのが大変だよな」
どう洗っていいかもよく分からん服だからな。洗濯機では、………無理だろうしなあ。
「………『見せてんのよ』とか、決め言葉を用意している女って、どーよ?」
「えっと、………痴女?」
「うがー!」
殴られる俺、それをしょうがないといった感じで見つめる古泉と朝比奈さん。
いつも通りの風景だ。………そのはずだ。
だから、俺とハルヒを見つめる二人の目が悲しみを持っていた事だって、きっと気のせいに違いない。
きっと、海溝に沈んだ記憶の錆とやらが、俺の目をマイナス方向に濁らせているだけなんだろう。
―――――――――――――――――――――――――
彼の―――意思は………わたしの………意思?
観測………不明―――分からない―――だから―――
彼に―――会いに………行く。
―――――――――――――――――――――――――
「じゃ、本日の活動はこれにてしゅーりょー!」
ハルヒの能天気100%な終了宣言とともにいったん帰宅の途についた俺達SOS団であったが、そのメンバーのうち朝比奈さんを除いた俺・ハルヒ・古泉の三人は、1時間ほど後で再び部室に集合する事になっていた。
それは何故かというと、
「そいじゃあ、明日のみくるちゃんお別れパーティーの準備を始めるわよ」
という、再集合時、開口一番に飛び出したハルヒのこの言葉どおりの理由によるものである。
朝比奈さんは卒業と同時に海外へと移住する事が急に決まったらしく、普通の卒業生のようにお出かけ感覚の気軽さでSOS団にご降臨なさるのは難しくなるだろうとの事だ。
急な知らせは驚きだったし、残念ではあるのだが、移住する事自体は既に朝比奈さんも納得済みの事であり、だったら俺達に出来る事は二年間SOS団のエンジェル兼お茶くみ係を勤め上げた彼女を華々しく送り出す事くらいであろう。
………パーティーの進行表を見る限りでは、いささかやりすぎの感はあるが。
つーか、俺は口から火をふきながらムーンウォークでリンボーダンスだなんてファンキーすぎる真似はできんし、『ここで古泉くんが華々しく散る』って、朝比奈さんの前に古泉と今生の別れを済ましてどうするよ。
「うるさいわよ、キョン! あんただって、急な話だったんだから準備にかける時間が無いっていう業界っぽい裏事情や、準備不足はスタッフの熱意で補うっていう業界っぽいお約束は理解できるでしょ! それに、人間やろうと思えば割と何でも出来るんだから」
………こいつは。
「ははは、まあ、良いんじゃないでしょうか、………多分」
少し引きつり気味の笑顔でそう言うイエスマン。まあ、自分が散るかも知れん提案に満面の笑顔で賛成はできんわな。
「………いや、でも、朝比奈さんを見送りたいという事それ自体なら、僕は全面的に賛成しますけれどもね」
それは、まあ、同意する。………お前に同意する事なんて十五階からの目薬に成功するほど奇跡的な事だがな。
「失ってからでは、遅いですからね」
俺の軽口というジャブを交わしてカウンター気味に届いた実感がこもっているそのセリフに、『まあ、そうだな』などと、煮え切らない返事を返しながら、パーティーの準備をのろのろと進めていった。
そんな俺をハルヒが『遅いわよ、キョン』などと無理矢理作った元気印のハルヒボイスで責めたててくる。
別にサボっているつもりはねーよ。つーか、さっきの古泉の言葉でノックダウンされなかった俺を、ちょっとだけでもいいから褒めてくれたって良いんじゃないか、本当に。
そう言葉に出して反論しようかとも思ったのだが、空元気を空回りさせている我等が団長様を直視してしまうと、そんな気持ちもはじける事なく、プシューと音を立ててしぼんでいってしまう。
そういう風に思い通りになってくれない自分の感情ってやつを持て余しながら、こちらも全く思い通りになりやしない別れってやつの準備を進めていく俺達であった。
2.
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「これが俺の選択だ」
そう………言って―――彼は………わたしの………手を―――握り締めた。
彼の―――意思を………込める―――かの………ごとく―――
強く―――強く―――
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パーティーの最終準備のせいですっかり遅くなってしまったその日の帰り道、ハルヒや古泉と別れて一人になった瞬間に、今までごまかしてきた、ごまかせてきた寂寥感ってやつが一気に俺に襲い掛かってきた。
意味不明な言葉を叫びそうになる口を手やら気合やらで必死で押さえこむ。
それが襲ってくるのは、多分仕方の無い事だ。
思い起こされる彼女との二年間はとても楽しいもので、だからこそとても悲しいものなのだから。
そう思いながら、そう思おうとしながら、ぎゅっと目を閉じたその瞬間だった。
「彼女―――それは………誰?」
ふいにあたりに響いた声にはっと目を開いた俺は、太陽はまだ沈んでいないはずなのに、俺の周囲だけがいきなり夜になったかのような感覚に襲われた。
気配も何もなく、それでいて周囲を漆黒に染めていくような、そんな見覚えのない少女が俺の目の前に立っていた。
………見覚えなんて、無い、はず、だ、………よな?
「わたしは―――周防―――九曜?」
「何で疑問文なんだよ」
あまりに堂々とずれたセリフを喋るため、思わず隣の電柱に突っ込みを入れてしまった、がつん。
「………いてぇ」
コンクリートを割かし本気で叩いた手がかなり本気で痛い、………つーか、めがっさ痛い。
どうやらこれは現実のようだ、調査料は俺の左手、………割にあわねぇ。
「彼女は………あなたから………奪った」
俺の惨状(自爆とも言う)を無視して、延々と意味のつかめない話を続ける少女。
先程―――俺の………敵となった―――コンクリートジャングルに―――先住民の………ビートが―――響き………渡って―――いく。
すまん、今のは痛みのあまりに目の前のコレがうつった自分でも意味が分からない妄言だ、聞き流せ。
「彼女は………彼に―――与えた」
しかし、何故だろうな? でたらめに思いついた言葉を並べているとしか思えないこいつの話それ自体は、俺の妄言とは違って聞き流しちゃいけない、そんな気がするんだ。
それはまるで、戻れないとしても、進まなきゃいけない道であるような気がして………。
「選択肢の―――ある………彼は―――幸福?」
割舌の悪いテンポのズレたセリフがコンクリートで跳ね返り、俺の中の柔らかい場所に次々と突き刺さってくる。
「選択肢の―――ない―――あなたは………不幸?」
頭痛とは少し違うおかしな感覚に襲われ、頭を押さえてしゃがみこむ俺を無視し、彼女は淡々と自分のペースを崩さずに話を続ける。
確かに、ある、と、思う。
俺が誰かに奪われたもの。俺が失くしたもの。
それは―――
「………分からない。―――だから………観測者は―――石を投げ込む」
演者は、投げ込まれたその石を踏み台にして手を伸ばす。
2・3センチほどの踏み台はしかし、俺が『 』を思い出すには十分なもので………、
………思い出せそうになるには、十分な、助力で、
「観測者は―――聴衆に―――なる」
俺の手が、心が、以前失くした『 』に届きそうな気がしたその瞬間、
「キョン!」
強い力で、強い声で、俺は非現実から渡された石の上から、このどうしようもない現実世界に引き戻された。
………結局、届く事はなかった。
俺を引き戻した声の持ち主は、ハルヒは、まるで目の前にいる九曜に気付かないかのように俺だけに対して一方的に言い、喋り、叫ぶ。
「何か分かんないけど、あんたが、あんたまで、どっかに行っちゃうような気がして、いや、その、行っちゃうってのはみくるちゃんじゃなくて、でも誰だかは分かんなくって、それで、あたしも、ほんとわけ分かんないんだけど、追いかけてきちゃった」
その声を左耳から右耳へと流そうとして失敗し、脳内にハルヒボイスが溢れかえっている状態で、それでも俺は別の事を、こんな事を考えていた。
(届かなかった、………って、何に? ………誰に?)
今の状況に、そして今までの展開に、正常な思考とかいうやつを粉微塵に粉砕され、電池が切れたかのように呆然とするしかない俺に再び蛇が声をかけてきた。
「………これが――――選択肢。得るもの………失うもの―――選ぶのは―――あなた」
そう言って、俺に林檎という名の手を差し出す九曜。
「キョン、何なの、この子?」
そこでようやく異次元的な彼女の存在に気付いたのか、ジト目で俺の袖をつかむハルヒ。
何故だか浮気がばれた若旦那のような気分に陥ったが、それは今特に関係ないのでほっとく事にする。
それより問題なのは、九曜の言葉だ。
時間が止まったかのような感覚の中で、足りない頭を働かせる。
多分こいつについていく事を選ぶと、俺は俺が失くしたものを見つける事が出来るのだろう。それは疑いようが無い。
理由は、………無い、けれど。
じゃあ、仮に九曜を選ぶとして、選ばなかった方というのは何なのだろうか?
もう一つの選択肢は、失うものとは何なのだろうか?
天秤のもう片方にかけられている、そいつは、
「キョン………」
不安そうに俺の袖を掴んでいるこいつ、………なの………か?
気付くと、いつの間にか俺はハルヒをかばうように九曜と向き合っていた。
俺の手は、ハルヒの手を掴んでいた。
離れないように、失くさないように、しっかりと、しっかりと。
「それが―――あなたの………選択?」
「………知るか」
あいにくだが俺の頭は難しい事を考えられるようにはできちゃいないんでね。因数分解くらいならまだ何とかなるが、『選択?』だなんて聞かれてもどうしようもないのさ。
それでもあえて答えをひねり出せってんなら、………そうだな。
ただ、失くしたくないって思っただけだ。………思っちまっただけ、なんだよ、………悪いか。
「―――それなら―――良い」
………いや、正解なのかよ。
「あなたが………選んだのなら―――構わない」
こんな、意味が分からないまま選んだ、投げっぱなしの選択なのにか?
九曜は俺の疑問に答える事無く、振り返る事も無く立ち去っていく。
最後に風に乗って、こんなセリフが聞こえてきた。
「あなたの―――瞳は………キレイな―――まま」
冷静に考えると結局、最初から最後まで意味が分からない言葉を呟きながら立ち去って行っただけの彼女。
でも、俺はそんな彼女の後姿を見ながら、何故か、『失った』と、『完全に失ってしまった』と、そう思った。
そう思い、そう感じた事で、また寂しさが強くなる。
「キョン」
今にも消えそうなハルヒの声はそれでも確かに届いてはいたのだが、俺はそれに答える事無く、三月だというのに肌寒い風をただひたすら受け続けていた。
心も体も風をさえぎってくれるものなんて無かった。
―――無い、って思い込んでいたかった。
3.
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観測者は―――聴衆に………なり………聴衆は―――演者に―――なる。
だから………これはきっと―――必然。
だから―――わたしは………演者に―――なる。
彼の―――意思に………答えて………。
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次の日の放課後、朝比奈さんのお別れパーティーに参加するため廊下を歩いていたところで、俺は元生徒会長であり、我がSOS団の宿敵である人物に呼び止められた。
「少し話があるのだが、いいかね?」
半強制的な疑問文、会ったのは久しぶりだがこの人も変わらないね。
いつもなら、そんな皇帝レベルの尊大さを皇帝ペンギンレベルまで中和するかのように彼の後ろには………、
(あれ?)
後ろには、誰がいたというのだろうか?
元会長は、疑問に思う事すら疑問に思えるような、そんな意味不明の状況に襲われてクエスチョンマークを舞い躍らせながら首を傾げる俺を、B級映画のエンドロールを見るような目で眺めながら、
「ふん、ま、そうなるだろうね」
無性に癇に障る諦めを込めて、そう呟いた。
原因不明ないらつきとともに、俺がその言葉の意味を問いただそうとした時、
「コラー! うちのスーパー雑用星人に何絡んでんのよー!」
ハルヒが喜んでいいのか悲しんでいいのか分からないセリフをはきながら、ヒーローごっこをする小学生のように颯爽と登場した。
………できればそのまま退場してくれ、ややこしい話になる前にな。正義の味方も悪の組織も、町を破壊する事に変わりは無いんだから。
「何よ、あんたもう生徒会長じゃないんでしょ! 今のあんたには『正義の名の下に大いにあたしを楽しませる涼宮ハルヒの団略してSOS団』に何かする権限なんてないはずよ。大人しくピーピー泣きながら女の尻でも追っかけまわしてなさい、全裸でね」
いつも通り、聞くに堪えないめちゃくちゃな内容を並べ立てるハルヒ。………勝手に団名を変えるのは悪の組織のやり方だろ、ま、今更だが。
しかし、いつもならそれに対し何かこっちもこっちだと思わせるような大人気ない言葉を返してくる元会長は、今回は反論する事も無く、ぼそりとこう呟くだけだった。
「………ああ、それも悪くないかもな」
自分の予想したのと違う反応に戸惑ったのか、呆けた顔で黙り込むハルヒに彼は続ける。
「安心したまえ。今日はそこの彼に伝えたい事があってきただけだよ。キミが目くじら立てるような内容じゃない」
「じゃ、あたしが聞いてても問題ないでしょう」
「………ああ、そうだな。もう、何の問題もなくなってしまったんだからね」
俺の意思を無視して話が進んでいく。………まあいつもの事だ、気にするな、俺もしない、てかしたくない。
「私は、………俺は、全部覚えてる」
いきなり意味が分からない。というか、あんたキャラ変わってないか?
「それがあの馬鹿の最後の願いだったから。あいつが関わった全ての事を、俺はずっと、覚えている」
それでも多分、それは本気のセリフなのだろう。
「だからお前等の仲間の事も、俺が全部覚えてるさ」
俺もハルヒも余計な茶々を入れる事無く、………違うな。
―――入れる事が出来なくて、ただ聞いている事しか出来ないのだから。
それだけだ、といって振り返り、歩き出す彼に問いかける。
「どこ、行くんだ?」
「追いかけるのさ。あいつは俺の後ろで何か企みながら、ずっと笑ってりゃいいんだから」
言いながらも足は止まらず、俺達から離れていく。
その迷いの無い後姿を見ていると、まるでもう二度と彼には会えないような、そんな気がして、
「「ちょ、待(ちなさい)てって!」」
ハルヒと二人で、追いかけようと走り出した瞬間、
「―――駄目」
聞いた覚えのある誰かの声とともに、視界が漆黒の闇に染まった。
闇に見えたのは舞い上がった髪の毛、テニスコート一面くらいならゆうに覆えそうな長髪が、俺達と彼の間を遮断し、
「あなた達に―――選択肢は―――もう………ない」
緞帳が舞い降りた時には既に、そこには誰もいなかった。
彼はおろか、あの長髪の持ち主すらも。
―――――――――――――――――――
別に………理由なんて―――ない。
ただ―――そうしたいと………思った。
だから―――多分―――
コレが………わたしの―――意思
―――――――――――――――――――
「………何なのよ、一体!」
「俺が知るか」
我に返って騒ぎ出す団長様に冷静にそう返す。
一応ではあるが、SOS団は不思議を追い求めるための団体である。
だがしかし、現実に不思議事件に出会った時に、何の力も無い高校生の集まりでしかない俺達に何が出来るかって言うと、………まあ、こんな感じで何も出来ないわけである。
あの長髪は多分九曜だったとは思うのだが、はっきりとは分からないし、そもそも九曜だったとしても、別に俺は連絡先を知っているわけじゃないからな。
「大体、人数が少なすぎるのよ」
「無茶を言うな、無茶を。あんな行動目的は不明のくせして、活動内容は半ゲリラ的な団体、四人いるだけでも十分だろう」
それも、朝比奈さんがいなくなったら、俺と古泉とお前の三人になっちまうわけだが。
「………そうだったかしら?」
まあ、奇跡的に新入生が入ってくるような事があったら話は別だがな。
「そうじゃなくて、こう、何かあったような気がするのよ、………忘れちゃいけない、何かが」
それは、俺も思う。………だけど、
『それが―――あなたの………選択?』
そう思うたびに、昨日の九曜の言葉がリプレイされる。
リプレイされる度に、俺の足はそこで止まってしまうのだ。
彼のように迷いなく足を踏み出す事は、どうやら俺には出来そうにない。
「で、お前は朝比奈さんのお別れパーティーと得体の知れない不思議事件と、一体どっちを選ぶ気なんだ?」
「その質問、ずるくない?」
かもな、とだけ返し、背を向ける。
よく分からない、けれど確かに大事な、大事だった何かに、背を向ける。
「ちょっと、待ちなさいよ、キョン!」
追いかけてくる別の『何か』を感じながら、俺は部室へと向かうのであった。
次の日、俺は失くしてしまった何かに気付き、泣き叫ぶ事になる。
選択する事の重みを、知る事になる。
それを抱えて、生きていく事になる。
―――ずっと、ずっと、それを背負って、生きていく事になる。
Epilogue.
―――――――――――――――――――――――――――――――
時は止まらず流れて行き、カーテンコールが近づいてくる。
演者は聴衆にはなれない。
聴衆は観測者には戻れない。
ならば、全公演が終了した時、演者はどうすれば良いのだろうか?
脇役のわたしは、どうすれば良いのだろうか?
わたしは、どこにいれば良いのだろうか?
詰まらずに喋れるようになっても、
人間らしく振舞えるようになっても、
今だ、その答えは出ないまま。
今日もわたしは、答えを探し続ける。
―――多分、幸福になるために。
―――――――――――――――――――――――――――――――
目の前に広がる光景を見ながら、俺は一通りの回想を終えた。
(ああ、似ているんだ)
あの日、俺達の目の前から消えた彼と目の前の男性は、年齢を考えると同一人物ではないだろうが、顔や雰囲気はそっくりなのだ。
(そういえば、)
あの日の彼は、どうなったんだろうか?
何を得て、何を失ったのだろうか?
「おとーさん、おかーさん、まってよー。………わわっ!」
転びそうになる我が子を左手一本で受け止める父親。
勢いに任せて一緒に転びそうになるのを母親が後ろで支えながら、父親の腕の中の女の子に話しかける。
「もう、慌てて走らないの。あなたも女の子なんだから、もうちょっとお姉ちゃんを見習っておしとやかに、ね」
「はーい」
「………」
母親の注意に元気よく返事する長髪で元気な妹と、追いついてからぎゅっと父親の服の袖を握り締める短髪で眼鏡の姉。
父親は左手で順番に二人の少女の頭を撫でていく。
言葉はないがおそらく、ありったけの愛情をそこに込めて。
幸せを得るためには犠牲が付き物なのだろうか?
目の前にいるのは温かい家族、しかし、父親らしき男性を見ていると俺はついそんな事を考えてしまうのだ。
彼はまだ、一言も喋っていない。
いや、俺の予測ではあるが、彼はおそらくまともに喋る事が出来ないのだろう。
その右半身はほとんど動かないようで、彼はずっと傍らの女性に支えられている。
得るものや失うものなどを考えながら、ぼーっと眺めていたせいだろう。その男性と目が合ってしまう。
彼は、『どうだ』と見せ付けるかのように、こっちを見て笑った。
やはり右側は動かないのだろう。その笑みは左側のみ口角を上げた不自然なもので、
………しかし確かに、彼の、彼等の幸福さを感じさせる笑みだった。
「ははっ」
笑顔が伝染する。
幸福が広がっていく。
答えが伝わってくる。
(どうでも、良いんだな)
それが多分、彼の、彼等の答え。
(ああ、そういう事なのか)
そして、気付く。
あれからずっと、何故かは分からないが、幸せにならなきゃいけないと思いこんでいた。
まるで呪いのように、そう心に刻み付けられているかのように、幸福だけを求めていた。
―――俺達は、不幸な事に、ずっと幸福という形だけを追い求めていたんだ。
目を閉じて、深呼吸を一つ、吐き出した息と共に思い込みを捨て、少しだけ人生やら歩みやらを止めて、ゆっくりと考える。
俺の幸せって何だったっけ?
(………あ、そうだ)
それは意外と近くにあった。
さあ、青い鳥に会いに行こう。
今から彼女に会いに行こう。
―――笑顔で、キミに会いに行こう。
―――――――――――――――――――――――――
そんないつかの二人を見て、わたしはやっと理解した。
答えなんて、ない、………けれど、
それでも構わないのだ、という事を
―――――――――――――――――――――――――
彼女へと続く道を歩きながら、先程の彼等の事を考える。
不揃いで一見ボロボロにも見える彼等。
いっぱいなくしたのだろう。
いっぱい犠牲にしたのだろう。
いっぱい失ったのだろう。
それでも、………だ。
彼等は幸福になったのだ。
つまるところはそれが全てで、
―――要するに、これはハッピーエンドなのだろう。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そしてわたしは、おそらくもう二度と交わる事はないであろう二人を見送った。
相変わらず答えは出ないままなのだが、彼女達の選択の意味は今なら分かる気がする。
そして、だから、わたしは決心した。
わたしもここから、始めてみようと思う。
主役になって見ようと思う。
………なり方なんて、分からないけど。
とりあえず、胸をはり、前を見る。そこに確かにある未来を、自らの瞳で見据える。
そして、電気仕掛けの機械人形に過ぎなかったわたしは、
「………わたしは、」
『イマ』という現実に対し、
『ココ』という世界に向けて、
「わたしはここにいる」
―――そう、高らかに宣言した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――