それは骨身に浸みる寒さがピークを迎え、春の到来が待ちわびしかったある日のこと  
だった。  
 そのある日というのは、俺が朝比奈さんと未来から指示されたお使いを律儀にもこなし  
たり、宝探しと称してハルヒから穴掘りを命ぜられたりと、いつになくハードスケジュー  
ルだったあれやこれやのイベントづくしを終え、さらにその後のバレンタイン騒動も終え  
た数日後だ。  
 その日、昼休みも半ばを過ぎ、国木田・谷口と机を合わせて食っていた弁当がもれなく  
俺の腹に収まり、食後の緩やかなで穏やかなひとときを満喫していた時、入り口から俺の  
見知った女生徒が顔を覗かせた。  
「やっほーい、キョンくーん!」  
 まるで孟宗竹をナタで真っ二つに割ったようなさっぱりとした、そして底抜けに明るい  
声は、あのお人だ。  
 すなわち、我が校でハルヒとあらゆる面で並ぶことの出来る存在、つまりは鶴屋さん  
だった。  
 
 
 
 鶴屋さんは、廊下から俺を手招きすると、何がそんなに楽しいのかニカっと笑うと、  
「やあ、キョンくんっ! お姉さん、ちょっくら話があるんだけど、一緒に来てくんない  
かなっ?」  
 別にかまいませんが。  
 そう言って俺はドアの外へ向かい、そして廊下へ出ると鶴屋さんのお供のように付き  
従って歩き出した。  
 その俺の後ろから、アホの谷口が「何であいつばっかり……」などと愚痴めいた言葉を  
漏らしていたが、もちろん聞き流した。  
 谷口、お前がうらやましがるような事じゃないと思うぜ。たぶんだがな。  
 歩くこと数分、俺の前をスキップでもしかねない楽しげなオーラをスプリンクラーのよ  
うに振りまきまきながら歩いている鶴屋さんに案内されたのは、生徒達の憩いの場である  
中庭だった。  
 確かにここでならば話はしやすいだろう。しかし、この季節に外で話をするというのは、  
ややためらわれるところではある。  
 というのも、俺たちの座っているベンチのあたりをビュンビュンと北風が吹きすさび、  
心身もろともに凍えさせるにはそれで十分だったからだ。  
 しかもその直後、ここ数日分の寒さが凝縮されたかと思えるような寒風にさらされ、俺  
は大いに震えた。いろいろなところが縮み上がった思いだ。  
 だが、俺の凍えた表情を見た鶴屋さんは申しわけなさそうな表情で、  
「キョンくん、こんな寒いところに引っ張り出しちゃってごめんねっ! お詫びの印とし  
てまずは温かいコーヒーを飲んでおくれよっ」  
 そう言って鶴屋さんは、いったいどこから取り出したのか、両手で抱えても持て余しそ  
うなほどの存在感のあるポットと紙コップを用意しており、俺にコップを手渡してそこに  
濡羽色の液体をトクトクと注いでくれた。  
 俺は鶴屋さんに礼を述べると、そのコーヒーを一口飲んでみた。  
 すると熱い液体がノドを通り、それが胃に到達すると、体がポカポカして心まで温かく  
なる気分だ。  
 しかしこれ、いつも俺が飲んでいる自販機のコーヒーとはまるでモノが違う。もちろん  
俺にすらわかるほどの違いだ。いや、驚いたね。  
 そのせいか、俺は心底感心しながらもあっという間に極上のコーヒーを飲み干してし  
まった。ちゃんと味わえってんだ。  
 いいものを飲ませてもらって心までほっかほかになった俺は、鶴屋さんに顔を向け、  
「うまいですね、これ」  
 
 コメンテーターとしては失格だなと思いながら、俺はごく素直な感想を口にしてみた。  
 すると鶴屋さんは、俺たちの周囲半径2メートルほどに花が咲き誇る春を呼び込みそう  
な笑顔で、俺の肩をぽんぽんと優しく叩きながら、  
「そっかい、それはよかったよっ!」  
 ついつい引き込まれそうな笑顔だった。これがカリスマなんだろうかと、ふと思う。  
 鶴屋さんは俺のことをまるで弟でも見るかのように優しく微笑みながら、  
「キョンくん、いい飲みっぷりだねっ。ほらほらもう一献どうだいっ?」  
 まるで花見に来て酒盛りでもしているかのような言い草で、鶴屋さんは再びコーヒーを  
注いでくれた。  
 俺は二杯目にそっと口を付けつつ、  
「それで、鶴屋さん。話というのはなんでしょうか?」  
 鶴屋さんは八重歯を覗かせながら、  
「それは禁則事項だよっ!」  
 俺はコントのようにずっこけそうになった。上空から金ダライでも落ちてきそうな気分  
だ。  
 ええと、それじゃまるでわからないんですが……。ていうか、朝比奈さんのまねです  
か?  
 すると鶴屋さんは「わっはっは」と大笑いしながら、  
「いやーごめんごめん。みくるがよくこの言葉を使っているからさっ。ついつい真似をし  
たくなるんだよねー!」  
 ……朝比奈さん、鶴屋さんの前でもそのセリフ言ってたのか。  
 相変わらずうかつと言おうか、あるいはドジっ子と言おうか、そこがまた愛らしいとこ  
ろではあるんだが。  
「キョンくん、ごめんよっ。冗談はここまでにしておくっさ」  
 鶴屋さんはてへへと舌をちょろっと出し、今度はやや顔を引き締めて、俺に再び向き  
直った。  
「……そんなら本題にはいるんだけど、キョンくん。キミ、今週の休日は暇かいっ?」  
 とは聞かれても、予定などまるっきりありはしないので、俺はパブロフの犬のように即  
座に返答した。  
「はあ、暇ですが」  
「そうかいっ、そしたらその日に宝探しでもしてみないかなっ?」  
 どういうことでしょう?  
「キョンくん。前にキミに言われて掘ったあの山から、例の合金が出てきたにょろ? ま  
あ、そのことをキョンくんに問い質そうとは思わないんだけどさっ。……2匹目のドジョ  
ウを狙っててわけじゃないんだけど、他にも何か出てこないかなって思ったにょろ」  
 あれ、か。確かに他にも出てくる可能性はない訳じゃない。それに、俺にだって興味は  
あるさ。別に朝比奈さん(大)の鼻を明かしてやろうと思っている訳じゃないが。  
「いいですよ、俺も興味ありますし。でも、他の連中は誘わないんですか?」  
「うーん、そうなんだけどさ。この話は、キョンくん以外にはしない方がいいような気が  
しないかいっ?」  
 と鶴屋さんが言ったところで、俺には少し思い当たることがあった。なんとなくさ。  
 もちろん、ハルヒを誘えばややこしいことになるのは当然だが、朝比奈さんにしても長  
門にしても、SOS団に属しているとはいえ、それぞれに立場があるってのはおそらく鶴屋  
さんも理解しているだろうからな。そのうちの誰かを誘っちまったとしたら、どちらかの  
組織に汲みすることにもなりかねんしな。間接的にとはいえ、鶴屋家は機関のスポンサー  
だというんだから、なおさらだな。  
 まあなんつーか、大人の事情ってやつか? といってもまだ鶴屋さんは高校生だがな。  
 考えてみれば古泉を誘わないって言うのも、理由は思いつく。というのは、機関として  
は、鶴屋家の次期当主である鶴屋さんに、こういった問題にはノータッチでいて欲しいだ  
ろうからな。オーパーツなんていっても、どうせ未来人が関わっているんだろうし。  
 
 おっ、ひょっとして今日の俺は冴えているんじゃないか? なんて自画自賛してみる。  
 だが、たぶん俺の今の推測は的を射ているだろうぜ。なら結論は出たな。これ以上は何  
も鶴屋さんに何も言わず、何も聞かないことにしようぜ。  
 その抑え気味の俺の表情から何かを読み取ったのか、鶴屋さんはニッコリと笑顔を見せ  
た。まるで、わかってくれてありがとう、とでも言いたげに。  
 しかし瞬時にそれに気づくとは、さすがに勘が鋭い。それに頭の回転も速い。本当にこ  
の人は頭の切れる人だ。  
 俺は舌を巻く思いで、季節をひとつすっ飛ばした夏の太陽を思わせる鶴屋さんの笑顔を  
眺めていた。  
「なんだい、キョンくん? お姉さんの顔をじっと見つめて。あんまり見つめられると、  
お姉さん照れるじゃないかっ!」  
 しかし言葉とは裏腹に、鶴屋さんはまるで照れた風もなく、可愛らしい八重歯をのぞか  
せながら大笑いをしていた。  
 鶴屋さんが照れるなんてことはあるんだだろうか? と思いながら、彼女の朗らか笑い  
顔を眺めていると、なんだか俺まで楽しい気分になってくるから不思議だ。  
 その後、集合時間と場所を取り決めて、俺たちは中庭を後にした。  
「キョンくん、じゃねー!」  
 
 
 
 その放課後、部室。俺はいつものごとく、我が天使の朝比奈さんから給仕された高級茶  
葉で淹れられた緑茶を有り難くも味わっていた。  
 値千金とはまさにこのことで、その極上の甘露は俺にとっては1ヶ月分の小遣いに相当  
する価値があった。微妙に安いのは俺の経済観念の貧しさからくるものさ。  
 もし部室前で朝比奈さんの緑茶を売り出せば、団の活動費が楽に稼げそうだ。もし余っ  
たら部室を冷暖房完備にして欲しいものだ。  
 俺がそんなことを考えながらリラックスした姿勢でいると、それまでじっと黙り込んで  
いたハルヒが、顎を机の上で組んだ手の上に載せながらやおらアヒル口を俺に向け、  
「キョン、あんた昼休みに鶴屋さんと一緒にいたみたいだけど、中庭で楽しそうに何話し  
ていたの?」  
 あまりに突拍子のないことを言われたため、俺はあわてて、ぶぴゅっとお茶を前方に噴  
き出してしまった。  
 古泉の持ってきたカードゲームがお茶まみれだぜ。すまん、古泉。  
 しかし、見られていたのか……。なんて目ざといやつだ。だが、ここはなんとか言い逃  
れしなければな。もちろん本当のことを言うわけにもいかんし、かといって躊躇ってしま  
えばあらぬ疑いを持たれてしまいそうだ。  
「ええとだな、あれはただの世間話さ。そう、お前が懸念を抱く必要もないほどのな」  
「ふうん、でもなんか時折まじめな顔してたし、それにわざわざ鶴屋さんが教室にあんた  
を呼びに来たそうじゃない。それでもただの世間話だって言い張るわけ?」  
 何故こいつが知っているんだ? さては谷口か。  
 しかし、そんなことを何でわざわざこいつに弁解せねばならんのだ、と思いつつも穏や  
かならざる心境に陥り、これはあらたな言い訳をしなくてはと考えていた矢先、この部室  
に救世主が現れた。  
 まるで、地獄に蜘蛛の糸を垂らしてくれる釈迦を見る思いだぜ。  
「こんちはー、ハルにゃんいるにょろ?」  
 鶴屋さんだ。  
 さすがのハルヒも、鶴屋さんに対して仏頂面で向き合うわけにもいかないようで、少し  
だけ愛想をよくした長門のような表情をしながら、  
「こんにちは、鶴屋さん。今日は何かしら?」  
 ハルヒの口調がいつもよりもやや硬い。しかし、この場面に遭遇してどうして俺が冷や  
汗をかいているんだろう? フロイト先生にでも解説してもらいたいもんだ。  
「実はねー、キョンくんをちょっくら貸してもらおうと思ったのさっ」  
「貸すって、どういう事?」  
「今度の土曜日、キョンくんとデートしようと思ったのさっ!」  
 
「ええーっ!?」  
 
 長門以外の全員が驚愕の声を上げた。もちろん俺は顔から血の気が引いたのは言うまで  
もない。鶴屋さん、なんてことを言い出すんですか……。  
 ハルヒはビームが出てきそうな視線で俺を睨みつつ、  
「つ、鶴屋さん、それ本当?」  
「あれ、どったのかな? ハルにゃん。そんなにショックだったのかいっ? 心配しなく  
ても、軽いアメリカンジョークっさ!」  
 鶴屋さんはあっけらかんとそう言い放った。  
 ハルヒは一瞬ポカンとしたあと、アホな子供のような表情で現在凍結中だ。  
 いや、鶴屋さん。全然軽くないんですが……。  
 それどころか、俺の寿命が確実に10日は縮みましたから、そう言ったジョークは本当  
に勘弁して下さい。  
「はっはっは。ごめんね、ハルにゃんにキョンくんも。ハルにゃんも安心していいにょろ  
よ」  
 ハルヒはそう指摘されると、焦った様子をこれ以上見せまいと顔を引き締め、  
「ちょ、ちょっとびっくりしただけよ。それにキョンと鶴屋さんじゃ、全然釣り合わない  
ものね。月とスッポンよ。いえ、アルタイルとカミツキガメだわ」  
 ハルヒは幾分落ち着きを取り戻し、茶化すような表情で俺に視線をぶつけて来た。  
 ほっとけ、つうかなんて例えだ。まるでわけわからん。  
「それで鶴屋さん。本当はキョンをどうするつもりなの?」  
「うん、キョンくんにはこないだ掘った山の後かたづけをお願いしようと思ってさっ!   
ちょうど男手が不足してたから、キョンくんにお願いしたにょろ」  
 鶴屋さんの説明を聞いたハルヒは納得したように、  
「こないだの、ね。確かに結構掘り返しちゃったもんね。……いいわ鶴屋さん、どんどん  
使ってやってちょうだい。キョンは近頃精神がたるんできてるから、丁度いい機会だわ。  
それと……もしかったらあたしも手伝うけど?」  
 ……おい、ハルヒも来るだと? どういう風の吹き回しだ。そんな殊勝なことを言い出  
すなんてな。  
 だが、そりゃまずい。鶴屋さんが俺だけを誘った意味がなくなるからな。  
 しかし、鶴屋さんはまるであわてた様子もなく、  
「こういったことは、男の子の仕事っさ。ハルにゃんはわざわざ土まみれになることはな  
いにょろ」  
「それもそうね」  
 おいハルヒ、汚れると聞いた途端にそんなにあっさり引き下がることもないだろう。現  
金なやつだぜ、まったく。  
 しかし、さすがにハルヒをあしらうのが上手いな、鶴屋さん。もちろん、乗せるのも上  
手いが。  
 いっそ、ハルヒの手綱を引き締める役をお願いしたいところだが、時には一緒に突貫し  
かねないお人でもあるからな。今の立ち位置がベターってころか。  
 鶴屋さんは朝比奈さんから出されたお茶を飲み干すと、俺へのウィンクを置きみやげに  
「ほんじゃねー!」と去っていった。  
 鶴屋さんが出て行った後の部室は、休日のビジネス街のようにひっそりと静まりかえっ  
ていた。  
 ハルヒとは異質の賑やかさだな。去ってしまうと、少し寂しくなるほどのな。  
 それから程なく、長門が本を閉じると同時に、先ほどからの余韻を残して毒気を抜かれ  
たようなハルヒが解散宣言を行い、俺たちは三々五々帰途についた。  
 
 
 そしてやってきた週末。つまり土曜日であり、お宝探索の当日だ。  
 俺は出発の準備を整えると、リビングでくつろぎながら鶴屋さんを待っていた。  
 何故俺の家で待っているかというと、鶴屋さんが俺を車で迎えに来てくれる事になって  
いるからだ。  
 ただ、約束の時間まではまだ少しあるため、ここで雑誌でも読みながら車がやってくる  
のを待っているというわけさ。  
 ところが俺が間抜け面でマンガ雑誌を眺めていると、突然この空間の静寂を破るかのよ  
うに、何の前触れもなしにインターフォンが鳴り響いた。  
 不覚なことに、俺の聴覚は車の走行音と停止音をまったく捉えることなかった。まるで  
粗いザルのように俺の鼓膜を素通りしてしまったらしい。  
 あわてた俺は、玄関に直行して靴を履き、そしてドアを開けた。すると、俺の目の前に  
はジーパンにTシャツ、そしてその上にジャケットを羽織るというラフな出で立ちの鶴屋  
さんが、いつものようににこやかな表情で手を振りながら立っていた。  
「おっはよー、キョンくん。今日は絶好の宝探し日よりだねっ!」  
「おはようございます。そんな表現があるのかどうかはわかりませんが、確かにいい天気  
ですね」  
「さあさあ、すぐに出発するから早く車に乗った乗った!」  
 そう促されて鶴屋家所有の高級車に乗り込んでみると、まるで外界の喧騒が耳に届かな  
かないことにまず驚かされた。その圧倒的な静けさに俺は度肝を抜かれつつ、極上の座り  
心地を与えてくれる本革のシートに腰を沈めた。  
 それを見届けた運転手が車をするすると発進させると、まるでエンジン音も聞こえるこ  
となく動き出した。  
 窓の外に目を向けてみると、俺の目に映し出される景色が、車の加速と共に緩やかに溶  
けて後方に流れていった。  
 なるほど、この車なら走行音が聞こえなくても俺の責任じゃないな。普段俺が父親に乗  
せてもらっている車はなんだと思わせるような別次元の乗り物だ。これが天使のゆりかご  
だと言われても俺は信じるね。  
 車が動き出してしばらくすると、鶴屋さんは俺に温かい飲み物を手渡してくれた。この  
車に備え付けの保温庫から取り出したらしい。  
 もう何が出てきても俺は驚かないぜ。鶴屋家の車なら「やあ、マイケル」と車がしゃべ  
り出してもおかしくはないからな。  
 俺は鶴屋さんから飲み物を受け取って喉を潤したあと、  
「そう言えば鶴屋さん、何であの時ハルヒに俺を貸してくれなんて言ったんですか? あ  
れじゃあ納得したハルヒは別として、他の連中には俺たちが共に行動することを怪しむん  
じゃないですか?」  
 すると、鶴屋さんはイタズラっぽい目を俺に向けて、  
「そんじゃあキョンくん。キミと一緒に行動するとハルにゃんに前もって言っておくのと、  
あとでハルにゃんにバレるのどっちがいい?」  
 ……俺には言葉がなかった。  
 たしかに、朝比奈さんとの一件があるんだからバレないとはいえん。いや、ハルヒのこ  
とだ、俺には想像も付かない経路でおそらく耳に届くだろうな。それは何よりも恐ろしい。  
 そう考えると、わけもなく俺の背筋が一瞬寒くなった。  
 しかし、鶴屋さんは俺のそんな様子を楽しそうに眺めていた。  
 それに対し、俺はどうコメントしようかしばし迷っていると、都合よく車が登山口に到  
着したようだ。  
 車を降りた俺はその高級車をつらつらと眺めながらしみじみと思った。なんと言おうか、  
俺には驚きの連続で、庶民と雲上人のとの格差をまざまざと見せつけられた気分だね。い  
や、よしておこう。これ以上考えると惨めな気持ちになってきそうだ。  
 
 車を降り立った俺たちはリュックを背負いつつ、登山口から少し外れたけものみちに進  
み、えっちらおっちらと上り続け、そしてようやく午前十時を少し回った頃に目的地であ  
る山の中腹部に到着した。  
 そこまでたどり着くと、俺は平地の真ん中あたりまで進んで、両手を膝について前屈み  
になり、やや荒い息を小刻みに吐きだした。  
 これはどうやら運動不足らしいな。  
 しかし、年がら年中ハルヒにこき使われているというのに、いったいこれはどういう事  
だ? それに若さ故のエネルギーをいろいろと持て余しているはずなのにな。  
 ところが、俺と同じ運動量でここまでやって来たはずの鶴屋さんは、軽く散歩でもして  
きたかのようにケロリとした顔つきで、腕を組みながら俺のくたびれた様子をやけに楽し  
げに眺めていた。  
「キョンくん、もうお疲れかいっ? いい若い者がだらしないぞっ! しょうがないから、  
取りあえずこれでも飲んで一休みといこうか」  
 鶴屋さんは妙に年寄りじみたことを言って、それでも俺の目の前に砂糖をたっぷりと溶  
かし込んだ紅茶を差し出してくれた。  
 俺はみっともない姿を鶴屋さんに見せてしまったことを後悔しつつ、痺れるほどに甘い  
その紅茶で疲れを癒しながら、  
「ところで、お目当てのお宝ですが、あてはあるんですか? まさか、闇雲に掘るってわ  
けじゃないでしょう?」  
「オフコースのもちろんさっ。さあ、キョンくん、これを見てくれたまえっ!」  
 鶴屋さんは古びた和紙のような紙を十枚ほど、背負っているリュックから取り出した。  
 はて、何処かで見覚えがあるような――って、それこないだの地図じゃないですか。  
 しかし鶴屋さんは人差し指を左右に「ちっちっちっ」と言いながら小さく振った。  
「こないだのとは違うっさ。よく見るにょろ。あれとはまた別の地図っさ。実はね、先週  
倉庫を漁ったんだけど、古地図が次から次へと出るわ出るわで、ご先祖様もよくこんなに  
ため込んでたもんだよねっ!」  
 本当だ。確かに宝を示す印の場所が違っている。  
 しかし、尋常じゃないこの枚数は何だ? まるで胡散臭い骨董屋じゃないか。  
「それはしょうがないっさ。けっこうな変わり者だったらしいからね、そのご先祖様は」  
 でも、鶴屋さんだってその血を受け継いでいるんですよね。  
 俺はからかうようにそう言ってみる。  
「あれあれ、キョンくん、キミもなかなか言うようになったね。お姉さんはキミをそんな  
風に育てた憶えはないよっ」  
 確かにあなたに育てられた憶えは、俺にもありませんがね。  
「そりゃそうだね。わっはっはっ!」  
 あとは、二人で大笑い。おかげでさっきまで感じていた俺の疲れが、強力な栄養剤を  
打ったかのように何処かへと吹き飛んだ。  
 本当に鶴屋さんは、周りにいる人間を片っ端から楽しい気分にさせてくれる、不思議な  
魅力を持つお人だ。俺には朝比奈さんとは別の意味で崇拝したい思いだ。  
 
 つかの間の小休止で気分一新したところで、お宝の発掘作業を始めることになった。  
 発掘方法だが、なにしろ宝の地図が十枚もあるので、一枚一枚しらみつぶしにしていく  
しかない。  
 それは非常に骨が折れる作業ではあるが、鶴屋さんと一緒に発掘作業をしていると、さ  
ほど苦労を感じないから不思議だ。  
「どうだい、キョンくん。なんか見つかりそうかいっ?」  
 掘り出して十数分だが、早くも手応えがあったことに気がついた鶴屋さんが俺に声を掛  
けてきた。これほど早く宝が見つかるなんて、意外だが幸先はいい。  
「なんか出てきましたよ」  
 そう言って俺は小さな重箱を穴の底から取り出し、鶴屋さんに手渡した。  
 そしてよっこらせと穴からはい出て、鶴屋さんと中身を確認してみると、そこには手持  
ちの地図と同じぐらいの古びた和紙が一枚入っており、そこには色あせているものの浮世  
絵のような絵が描かれてあった。  
「鶴屋さん、これは何でしょうね?」  
 すると、鶴屋さんは身内の不祥事を知られたような気まずい顔で、  
「ありゃりゃ、これは春画だね。まったく、こんなモノを隠しているなんて、なんてご先  
祖様だいっ。たいしたお宝にょろ」  
 春画――今で言うエロ本のようなものか。  
 そりゃ鶴屋さんだって気まずいだろう。もっとも、肝心なところはすでに色あせてし  
まっているので、俺には鶴屋さんに春画だと教えられなければわからなかったのだが。  
 とは言っても、これじゃまるで死んだ爺さんの遺品整理をしていたら、エロ本ばかりが  
出てきて、親族一同が凍り付いてしまうようなもんだ。  
 しかし、こんなモノを隠しておくなんて、そのご先祖様にとってはよほどの宝物だった  
のだろう。その気持ちは、同じ男としてわからないでもないが。  
 だが、鶴屋さんは微苦笑を浮かべながら俺に視線を向けて、  
「キョンくん、みっともないモノを見せちゃってごめんよ」   
「いえ、全然気にしてませんよ。それにまだ宝の地図がありますから、気を取り直して発  
掘を続けましょう」  
「うん、それもそうだねっ!」  
 ニカッと全開スマイル。やっぱり鶴屋さんには笑顔が似合う。  
 
 
 
 なおも発掘作業は続けられた。しかしながら、あらかたは一度掘られたことがあるらし  
く、掘っても何もなかったり、あるいは、空箱だけが残されてあったりと中々芳しくな  
かった。  
 それでも俺は鶴屋さんと作業しているのが楽しく、鶴屋さんの冗談に笑わせられたり、  
あるいは掛け合いの漫才をしながらせっせとシャベルを操った。  
 そんな楽しげな雰囲気の中、俺は鶴屋さんに誘われたときから考えていたことを思い  
切って訊いてみた。  
「ところで鶴屋さん、本当のところどうして未知の金属を探そうと思ったんです? 俺が  
こう言ってしまうのもなんですが、あなたの立場上深入りすると煩がる存在があると思う  
んですが……?」  
 俺の質問を受け、鶴屋さんはほんの一瞬思案顔になったが、すぐさま笑顔を浮かべて、  
「それはね、キョンくん。あたしにだって、こういう事をしたいと思うこともあるってこ  
とっさ! 誰かさんの影響にょろね」  
 鶴屋さんの表情には、後悔や逡巡を思わせるような気配はまったくなかった。晴れ晴れ  
としている。  
 
 ……そういえば古泉の話によると、鶴屋さんは俺たちの知らないところで結構な活躍を  
しているらしい。本当か嘘かはわからん。それは古泉を信じるしかないがな。  
 だが、それでも彼女が裏で奔走していることとはまた違った楽しさが、この作業という  
かイベントにはあるんだろうか。それが鶴屋さんの言う『こういう事』なのかね。  
 それから、『誰かさん』とは言わなくともわかるだろうが、ハルヒしかいねえな。  
 それでも本来なら、鶴屋さんは俺たちと関わりを持つはずではなかったと言うし、まし  
てや今回彼女が、ハルヒ、もしくは未来人に繋がるかも知れないようなお宝の発掘を提案  
することもなかったはずだ。  
 やれやれ、どこまで縦横無尽なんだ、ハルヒの変態パワーってやつは……?   
 なんて、今さらだな。夏休みを延々ループすることに比べればかわいいもんだ。  
 
 
 
 俺たちはさらに発掘作業を続けていたが、残りの地図はあと2枚しかなかった。  
 だがそんな状況にもかかわらず、今日の戦利品といえるものは、鶴屋さんのご先祖様の  
春画だけだ。  
 むろん、古美術商に持ち込めば多少の金には換えられるかも知れんが、お宝のイメージ  
にはほど遠い。ましてや、俺たちの真の目的はすでに手に入れているチタンとセシウムの  
合金に続く新たなオーパーツの姿だ。江戸時代の骨董品が欲しい訳じゃないんだ。  
 だがそんなことをつらつらと考えていると、シャベルの先端に何か手応えのようなモノ  
を感じ取った。  
 みると、胡桃色をした壺、というより瓶といった印象の陶器が底から顔を覗かせていた。  
「キョンくん。これはなにか入ってそうだねっ!」  
 頭上から下を見下ろしている鶴屋さんは、まるでプレゼントを受け取った子供のように  
満面の笑みを浮かべて、俺が掘り起こして腕に抱えられている古びた壺を見つめていた。  
 ――今度こそ入っていてくれよ!  
 俺はそう念じながら、まるで十年以上宝くじを買い続けていながら、末等以外当たった  
ことがない愛好家の面持ちで壺の中を探った。  
   
 ――あった!  
   
 手触りからすると、石あるいは金属のように硬いものだ。  
 それを取り出してみると、10センチ四方の銀色をした金属片のようだ。ただし、均整  
のとれたた形ではなく、まるで花崗岩のようにデコボコで、いかにも砕け散ったあとの破  
片といった印象だ。  
 おそらく元は、ある程度しっかりした形ではなかったかと思う。根拠はないが。  
 しかしながら、俺にはそれ以上考察のしようがないので、まずは宝の地図の現保有者で、  
しかも俺よりは遙かに物知りであろう鶴屋さんに尋ねてみた。  
「これ、なんでしょうね?」  
「そうだね。……うーん、わかんないけどなにかの装置の一部じゃないかなっ?」  
「……装置ですか? どうしてそう思ったんです?」  
「ちょっとした勘っさ。でも、こないだ見っけた金属も何かの部品の一部って印象だった  
からねっ! これもその部品の破片じゃないかと思ったにょろ」  
 確かにそう考えるのが正解かも知れない。  
 しかしどうやら、鶴屋さんはこの部品の一部だと思われる金属について、ある程度の推  
測ができているように思える。すくなくとも、この金属が当時の人間が生み出したもので  
はないことを感づいているような気配がある。  
 鋭い人だ。この人が俺たちの味方で本当によかったと思うね。このお人だけは敵に回し  
たくはないな。  
 
 
 今日最大の収穫であるその金属片は、結局鶴屋さんが専門家に鑑定を依頼することにな  
り、とりあえずは俺のリュックに収めることにした。  
 さて、では最後の発掘作業に取りかかろうかと、俺は再びショベルを手に携えたとき、  
さっき時計を確認していた鶴屋さんが俺を呼び止めた。  
「キョンくん。そろそろお昼にしないかなっ?」  
 鶴屋さんにそう言われた瞬間、俺の腹に住むウシガエルが轟々と鳴き出すのだから体は  
正直なもんだ。  
 鶴屋さんはそれを聞いて大笑いしながら、あらかじめ持ってきていたレジャーシートを  
大きな木の下に広げると、すかさず大きな包みを中心に据え、割り箸と紙製の皿、それに  
コップをまるで主婦のようにてきぱきと用意した。  
 鶴屋さんに手招きされた俺は、シャベルを木に立てかけると靴を脱いでシートの上に  
座った。  
 そして鶴屋さんが包みを解いて重箱を並べると、俺の目には壮観ここに極まれりといっ  
た景色が広がっていた。  
 なんとも豪華な料理の数々が、所狭しと重箱の中で俺たちに食されるのを今か今かと  
待っていたのだ。  
 今日は何度鶴屋さんに驚かされるんだろうかと思いつつ、  
「鶴屋さん、これはひょっとして鶴屋さんが作ったんですか?」  
 鶴屋さんは笑みを浮かべながらコクリとうなづき、  
「そうだよっ! あたしがキョンくんのために腕によりを掛けて作ったにょろ。ほらほら、  
いいから早く食べておくれ、キョンくんっ!」  
 何とも有り難いことだ、鶴屋さんお手製の料理が食べられるなんてな。しかし、どこま  
でオールマイティな人なんだ。こりゃ白旗揚げて降参するしかないね。  
 こうまで完璧では、天はあらゆる才能や資質を鶴屋さんに詰め込んだんじゃないかと思  
うしかないな。  
 さて肝心の料理の味だが、もちろん美味かった。ハルヒや朝比奈さんもたいした腕前だ  
が、それと同等以上の水準にある断言できる。  
「鶴屋さん、本当に美味いですよ、この料理。俺、感動しましたよ」  
 俺に表現できる最大限の賛辞を惜しみなく鶴屋さんに送った。  
 すると、鶴屋さんはくすぐったそうにして少し照れながら、  
「キョンくん、それは褒めすぎっさ! でもそんなに喜んでくれたら、あたしも作った甲  
斐があるってもんだねっ!」  
 鶴屋さんが照れるという珍しい光景に、俺はしばらくの間箸を止めて見入ってしまった。  
 だが、その視線を敏感に感じ取った鶴屋さんは、照れ隠しのためか俺に対してとんでも  
ない質問をぶつけてきた。  
「ところで、キョンくんとハルにゃんって、どこまでいってるにょろ?」  
 俺はもう少しで口の中のものを噴き出すところだった。  
「あの、鶴屋さん、いっている意味がわからないんですが……? ていうか、俺とハルヒ  
は何でもないっていうことは、すぐにわかりそうなもんでしょ」  
 だが、鶴屋さんは今にも大笑いしそうな表情で、  
「キョンくん、キミ本当にそう思っているのかい?」  
 俺は当然ですといった風に頷いた。  
「そうなのかい? そんなら、そういうことにしておくっさ!」  
 何か気になる言い方だ。  
 
 
 そんなこんなで、クリスマスと正月を合わせたようなご馳走を十二分に堪能した俺は、  
最後の一枚に記されているお宝を求めて、再び発掘作業を再開した。  
 もっとも、俺としては先ほど発掘したオーパーツの一部と思われる金属ですでに打ち止  
めだとは思っているのだが、そうはいってもまだ何かがあるのではないかという、仄かな  
期待があるのも事実であり、こうして鶴屋さんに見守られながらせっせとシャベルで土を  
地上に跳ね上げているわけだ。  
 そうしてしばらく掘り進んでいると、なにやらコツンという音がして、そこから慎重に  
掘り返してみると、またも壺が姿を現した。  
 俺は息せき切って、  
「鶴屋さん、また出てきましたよ!」  
 そう声を掛けて、たった今掘り出した壺を鶴屋さんに手渡した。  
 すると中身を取り出した鶴屋さんが、  
「キョンくん、何か入っているみたいだよっ!」  
 俺がやっとの思いで穴から這い出し一緒に確認してみると、鶴屋さんの手には以前俺が  
彼女に頼んで発掘してもらったあのオーパーツにそっくりの金属棒があった。  
 それは、以前のモノとうり二つ、どころか全くの同一物体に思えた。  
 なんだろう、いったい何だというんだ? 何故こんな場所にオーパーツの類がこれほど  
出土するんだろうか……? ここら一体は特異地帯か?  
 俺は視界ゼロの霧の中を進むかのように自問自答を続けていたが、俺の浅い知識ではも  
ちろんわかるはずもなかった。  
「キョンくん。いったいこれは何だろうねっ? どう見ても今あたしん家で保管している  
金属棒と同じにょろ」  
「ええ、おそらく同じ種類のものでしょうね。これがいったい何に使用されるものなのか  
はわかりませんが」  
 俺たちは動きを止めてその金属棒をじっと見つめながら、様々なことに思いを巡らせて  
いた。しかし、突如それを打ち消すような出来事が起こった。  
 
「それをこっちに渡してもらおう!」  
 
 振り返ってみると、二人の男が立っていた。年の頃は俺たちとあまり変わらないか。  
 だが、いつの間に? まるで気配さえ感じさせなかったぞ。  
 その二人の男はどちらも同じような中肉中背といった体型だ。だが、その二人の表情に  
は俺たちをいかにも見下しきったような、蔑みの表情が浮かんでいた。  
 ――この雰囲気はまるであの野郎だ。  
 そう、かつて俺と朝比奈さんが未来からの指令とやらで動いていたとき、それを邪魔す  
るかのように花畑で立ちふさがった、あのすかした野郎に雰囲気がそっくりだ。  
 しかし、どう見ても姿は別人だ。つまりは、やつと立場を同じくする未来人の一派では  
ないだろうか。俺は即座にそう直感した。  
 事態は一変し、尖った刃物の切っ先を突きつけられたような、嫌な緊張感が俺の体を駆  
けめぐった。  
「これを渡せとはどういう事だ?」  
 少しでも時間稼ぎをしなければ。  
「お前たちに言うべきことなど何もない」  
 にべもなかった。  
「君たちがどう言うつもりか知らないけどさっ。あまりに不躾過ぎはしないかいっ?」  
 鶴屋さんがやや強い調子で不快気にそう言い返した。しかし、鶴屋さんはこの連中と常  
人との雰囲気が違うことを感づいているのか、あきらかに警戒心を滲ませていた。  
 ひょっとしてこいつら、問答無用で俺たちから奪い取るつもりかもしれない。  
 それに、こいつらが本当に未来人なら、俺たちの知らない武器を持っていても不思議じ  
ゃない。  
 
「ふん、もう少し穏便に事を運ぶつもりだったのだが、しょうがない」  
 そう言った瞬間、二人組のうちの一人が一瞬消え去り、次の瞬間鶴屋さんの真後ろに現  
れた。  
 これにはさすがの鶴屋さんも反応しきれず、オーパーツを抱えながら横に避けようとし  
たが、その瞬間、そいつが鶴屋さんの長く綺麗な髪をつかんで、乱暴に引っ張った。  
 鶴屋さんは「きゃっ!」と悲鳴を上げ、苦痛の表情を滲ませた。  
 その男はさらに、鶴屋さんの持つその金属棒を奪い取ろうとしていた。  
 鶴屋さんは抵抗するものの、髪の毛を掴まれている状態では、それもままならない。  
 その鶴屋さんの表情を見た刹那、俺の全身の血が逆流しそうになり、次の瞬間、我を忘  
れて駆け寄り、その男を力任せに殴りつけていた。  
 
 俺の拳に鈍い痛みが走ることと引き替えに、その男は後方へ吹っ飛び、そして倒れ込ん  
だ。  
 
 完璧な不意打ちだったせいか、そいつは地面に倒れたまますぐには起き上がれないでい  
る。  
 俺はすぐさま視線を走らせ鶴屋さんの様子を確認したが、幸いにも彼女はたいしたこと  
はなさそうだった。  
「鶴屋さん、大丈夫ですか?」  
「うん、このとおり平気っさ! ありがとうキョンくん!」  
 だが、俺の攻勢もここまでで、俺の前に立っている鶴屋さんの表情が驚きのそれに変  
わったとき、俺はかわけもわからず、そしてそれを知覚さえ出来ず、地面に倒された。  
 ――全身が痛い。  
 弱いな俺、今度護身術でも習ってみるか。だが、今はこの状況をどうするかだ。  
 しかし顔を上げると、俺を殴りつけた男は、倒れている俺を一瞥しただけですぐさま標  
的をオーパーツを持つ鶴屋さんに変え、迫りゆく。  
 
 ――動け、俺の体! あんな奴らに鶴屋さんをどうにかさせてたまるか!  
 
 だが、俺の脳が下した必死の命令にも衝撃を受けて間もない俺の体が中々言うことを聞  
いてくれず、かろうじて足をガクガクさせながら立ち上がることができたに過ぎない。  
 
「待て! もしその人に手を出したら許さねえ!」  
 
 しかし、その男は俺の必死の言葉にも立ち止まることもせず、俺を振り返ることさえな  
かった。  
 俺は必死で追いすがろうとするが、間に合わない。  
 しかし、そう思ったのもつかの間俺は意外な光景を目撃した。  
 鶴屋さんに迫った男が彼女の腕を掴んだ瞬間、不思議なことにその男が弧を描くように  
一回転してそのまま地面に叩きつけられた。  
 目を疑うような3秒間だった。俺には、どのようにしてその男がそうなったのかすらわ  
からなかった。  
 さらには、さっき俺に殴られ倒れ伏していたもう1人の男がやにわに起き上がり、そい  
つもまた鶴屋さんに向かっていった。  
 しかし今度は鶴屋さんが近寄り、その男が掴みかかったと同時に、鶴屋さんは体を反転  
させるようにして避け、逆にその男をの腕を掴んでその勢いを回転運動に変化させると、  
男はあっさりと地面へとダイブする羽目になった。  
 その男は呻きながら、まるで地を這う毛虫のようにもがいていたが、先に倒されていた  
男がいち早く立ち上がり、そしてもう一人の男を立ち上がらせると、憎々しげな表情でそ  
して殺気の籠もった視線を俺たちにぶつけてきた。  
「わざわざこの時代に合わせて徒手でいたが、そうも言っていられないようだな」  
 すると、そいつらは先ほどとは打って変わって、愉悦の色を浮かべながら自分の懐に手  
を忍ばせた。  
 
 ――やばい、銃か?  
 
 そう感じると、俺は咄嗟に鶴屋さんの前に立ちふさがった。俺は何も考えちゃいなかっ  
たさ。ケガをするかも知れないなんて思考すら働かなかった。  
 だが、そいつらが木々が生い茂り鬱蒼としている方向に視線を向けるやいなや、なぜか  
ギョッとし、そして忌々しそうにその方角を凝視したあと、今度はいかにも悔しそうに俺  
たちを睨み付け、チッと舌打ちして何処かへと去っていった。  
 
 ――助かった……しかし、何だ?  
 
 遅まきながら、俺は奴らが見ていた方角に視線を向けてみたが、残念ながら何もなかっ  
た。それでも、俺は直感的に何かを感じ取っていた。今はおぼろげでぼんやりとしている  
んだが。  
 しばらくして、俺ははっと我に返ったように鶴屋さんに駆け寄り、改めて無事を確認し  
た。  
「鶴屋さん、大丈夫ですか!?」  
「うん、このとおり元気ハツラツっさ!」  
 よかった、いつもの鶴屋さんだ。朗らかな笑顔を浮かべている。  
 しかし……なんだろう、鶴屋さんから感じる違和感は? 俺の気のせいであればいいん  
だが……。  
   
 しかし、俺が鶴屋さんの手を引いたとき、俺はさっきの違和感の理由を理解した。  
 鶴屋さんは、足をもつれさせて躓きそうになったのだ。  
 幸い、すんでの所で俺が抱き留めたのでそれ以上倒れ込むことはなかった。  
 抱き留めて俺の腕の中にいる鶴屋さんは、普段の存在感とは裏腹にどこまでも華奢で、  
このまま抱きしめれば折れてしまいそうだった。  
 その後しばらく、鶴屋さんはじっとしていたが、自分の置かれている状況――まだ俺に  
抱き留められたまま――を理解するに従ってハッとしたようになり、  
「……ごめんよ、キョンくんっ!!」  
 鶴屋さんは顔を赤くしたまま、少しあわてながら俺から体を離した。  
 しかしその時、鶴屋さんの足取りはやはりおぼつかなく、その上明らかに苦痛の色が滲  
んでいた。   
「鶴屋さん、まさか足を……?」  
「気づかれちゃったね……あたしとしたことが、ちょっとドジを踏んじゃったよ……」  
「でも、やつらに傷つけられなくて、本当によかったですよ。本当に……」  
「ごめんよ、キョンくん、心配させて……。それと、ありがとう……あたしを助けようと  
してくれて……」  
 いつもの口調とは違った鶴屋さんに見つめられていると、なぜかにわかに穏やかならざ  
る気分に陥り、俺は平静を保つため、視界の半分を中空を見つめるように意識した。  
 だがな、この状況なら誰だってそうなってしまうに違いないぜ。普通の男ならな。  
 そんな俺の動揺を感じ取ったわけではないだろうが、鶴屋さんの顔が赤い。しかも妙に  
艶やかな瞳で俺を見返している。  
 何処か落ち着かない雰囲気だ。喉が渇く。自慢じゃないが、俺はこういったことに慣れ  
ていないんだ。  
 しかし今はそんな場合じゃない。いつまた、奴らが姿を現すかも知れないからな。  
 俺は心の何処かで惜しいことをしたと悔いながらも、この空気を断ち切るように、  
「鶴屋さん、俺が肩を貸しますから、とにかくここを下りましょう」  
「……そうだね」  
 鶴屋さんも心持ち残念そうな色そん表情に滲ませていたが、すぐさま俺の提案に従った。  
そして俺たちは荷物をまとめると、再び獣道へと向かった。  
 
 
 俺は鶴屋さんに肩を貸しながら、ゆっくりと歩みを進めていた。さすがに、鶴屋さんの  
足を気遣いながらの下山ではそうスピードは出なかった。当然だ、鶴屋さんに無理をさせ  
るわけにはいかんのだからな。  
 ところで鶴屋さんだが、今日襲撃してきた連中のことを口には出さなかった。おそらく  
この人のことだ、ある程度は見当がついているんだろう。だからあえて言わないんだろう  
がな。  
 それでも、妙に静まりかえったこの空気はいかんともし難く、俺は何かを話しかける必  
要に駆られた。  
「それにしても鶴屋さん、あなたがあんなに強いとは思っても見なかったですよ。ひょっ  
として、なにか武術でも習っているんですか?」  
「まあね、ちびっちゃいころから、いろんな事を習わされていたからねっ! あんな連中  
ぐらいならなんでもないことっさ」  
「それでも、いくらあなたが強くてもあんな無茶はしないで下さいよ。俺の精神と心臓に  
悪いですから……」  
 そう言うと、鶴屋さんは少し嬉しげにしたあと、打って変わってやや呆れたふうに俺を  
見返した。  
「なーに言ってんだいっ! キョンくんのほうこそ、無茶してくれちゃって。あたしのた  
めに……。でも、やっぱりキョンくんも男の子だよねっ! あたしを守ろうとしてくれた  
とき、とってもかっこよかったよっ! それに嬉しかった……なんてねっ!」  
 照れくさそうにしながら、鶴屋さんは俺の肩につかまったままの状態で、顔を俺に向け  
た。  
 当たり前だが顔が近い。互いの息づかいと体温が感じられて、俺の思考がまともじゃな  
くなりそうだ。  
 
 ――それに、今度ばかりは自分を抑えきれそうになかった。  
   
 俺たちはまるで恋人同士のようにごく自然に互いの唇が近づけ、そしてそっと触れあっ  
た。  
 だがしばらく見つめ合ったあと、無性に照れくさくなり、この世のものとは思えないほ  
ど真っ赤になりながら視線をそらせた。  
 
 ――俺は鶴屋さんとキスをしたんだ!  
 
 それでも、俺に後悔はなかった。それに他の誰かの顔が浮かぶことも……。  
 誰がって? さて、な……。  
 あとは互いに気恥ずかしくなり、俺たちは無言のまま、鶴屋家の車が迎えに来る手はず  
になっている登山口まで急いだ。  
 俺たちがやっとのことで懐かしの地上に降り立つと車がすでに待っており、乗り込むと  
車は俺を自宅まで送ってくれた。  
 俺は鶴屋さんに先に病院に行くように言ったんだが、自分は大丈夫だから後で行くと聞  
かなかった。俺をあまり心配させたくなかったのかも知れないが。  
 そして車は俺ん家の前で静かに止まり、俺は降り立った。その俺を見送ったときの鶴屋  
さんの一言がとても印象的だった。  
 
「キョンくん、あたし……本気になっちゃうけど、覚悟するにょろ!」  
 
 意味がわからないほど俺はガキじゃない。わかっているさ……。俺にだってな。  
 
 しばらくしてふと我に返り、気を取り直したように玄関のドアノブに手を掛けようとし  
たとき、小さなメモ書きがドアに貼り付けられている事に気がついた。  
 俺はそれを確認すると、反転してある場所に向かった。  
 
 
 俺は今自宅近くの公園にいる。そして、ベンチに腰を掛けている。  
「そこにいるんでしょう?」  
 俺はどこを見つめるでもなく、そう呼びかけた。  
「こんにちわ、キョンくん。お久しぶりね」  
 この間会ったばかりですが……。  
「そ、そうだったわね。ごめんなさい」  
 その女性は、ペロッと舌を出してそれだけが少し幼さを残しているように思えた。  
 もうおわかりだろうが、俺の隣りに腰を下ろした妙齢の女性は朝比奈さん(大)だ。  
 どうやら、俺の予感も当たっていたらしい。  
「説明してもらいましょうか、朝比奈さん。……まず、奴らは何者なんです? まさか、  
あなたの部下かなんかじゃないでしょうね?」  
 俺にそこまであからさまな疑いを掛けられたことに、朝比奈さんは少し青ざめながら素  
早く首を左右に振り、否定を表した。  
「ちがうわ、キョンくん。あの人達は、私たちとはいわば敵対している組織の一員なの。  
おねがい、信じてちょうだい」  
 俺は頷いて見せたが、心の底では疑いを消してはいなかった。これまでの経験から、朝  
比奈さん(大)の話を額面通りに受け取ることはできないと感じていたからだ。  
「それから、鶴屋さんは無事なの? わたし、それがとても気に掛かっていたの」  
「ええ、大事には至っていません。今頃病院で手当を受けているはずですが……」  
「そう、それはよかったわ。心配していたから」  
 朝比奈さんにとって鶴屋さんは、学生時代の大切な親友だったのだからな。それは偽り  
のない気持ちだろう。  
 鶴屋さんの状況を説明し終えると、俺は朝比奈さん(大)に向き直り彼女の瞳をじっと  
見据え、  
「朝比奈さん、全て話してもらえませんか? あの金属のことも全て……」  
 朝比奈さん(大)は視線をふと地面に落としたあと、意を決したように俺に向き直り、  
「そうね、あなたにそこまで色々と知られたじゃ、しょうがないわね。……わかっわ、全  
てお話しします」  
 朝比奈さん(大)は覚悟を決めたようにそう述べた。  
「では、単刀直入に聞きます。あの金属棒、俺たちはオーパーツと呼んでいますが、あれ  
はいったいなんです?」  
「キョンくん、あなたはタイムマシンと聞くと、どんなものを思い浮かべるかな?」  
「タイムマシン……ですか? そうですね、俺なら猫型のロボットが使っていたものやら、  
車の形をしたもの、あるいは箱形のものを思い浮かべますが……」  
「そうね、だいたいそのあたりが妥当なところよね。実は、あなた方が発見した2つの金  
属棒、あれはごく初期に試作された時間遡行のためのタイムマシン、それの部品なの」  
 未来人に関わっているんじゃないかと思っていたが、まさかそれだったとはな……。  
「でも、今のあなた方はそういった装置は使っていないですよね?」  
 俺は、実際に経験したからな。もちろん何かに乗り込んだことはないぜ。  
 朝比奈さん(大)はコクッと首肯すると、  
「ええ、今はそういったものは使っていません。詳しくは禁則だけど、もっとコンパクト  
なものよ」  
 なら、なぜ奴らはそれほどに重要視していたんだ?  
 その俺の疑念を感じ取ったんだろう、朝比奈さん(大)は夕焼けの空を見上げながら、  
「彼らがあれを狙ったのは、私たち未来の人間、とくに時間遡行をする人にとって、なく  
てはならないものだからなの」  
 どういうことです?  
 
「昔、といっても私たちの時代からすればだけど。……ある時、時間遡行の方法を考案し  
た人がいたの。そして、それを可能にする装置、あなたの思い浮かべたようなタイムマシ  
ンを試作することにも成功したわ。そこに部品として使用されていたのが、あなたがオー  
パーツと呼んだセシウムとチタンの合金なの」  
 ……そんな重要なものだったのか。ある意味、これほど衝撃的なこともないぜ。  
 なおも朝比奈さん(大)は続ける。  
「その金属棒、正式にはT・S・C・D(タイムアンドスペース・コントロールデバイス)と  
呼ぶんですけど、それは、時空を制御して設定した時代や場所に人や物体を正確に遡行さ  
せる能力を持つの。たとえれば、この時代で言うところのマイクロチップが載った基盤の  
ようなものかしら」  
 だったらなぜ、いつまでもあの山に埋まっていたんです?   
「そうね、キョンくんがそう疑問に持つのも無理ないわ。では理由を言ってしまうけど、  
あれはずっとあそこになければならなかったの」  
 それはいったい……?  
「試作されたタイムマシンは、すぐにその博士が自ら乗り込んで実験を行ったわ。結果は  
大成功。その人は私も知っている有名人として歴史に名を残すことになるの。でも、事態  
は思いもよらないことになったわ。気をよくした博士は実験を何度も繰り返したのだけど、  
ある時何度目かの実験で、ある時代についた直後に乗っていたタイムマシンが何らかの原  
因で爆発を起こしたの。残念ながらその事故は、博士が帰らぬ人となるという最悪の結果  
をもたらしたわ……」  
ひょっとしてその博士というのは、俺が命を救うことになったあのハカセくんのことだ  
ろうか? 俺はふとそう思った。  
「博士が亡くなったことによって、時間遡行が一時的に不可能になってしまったわ。もち  
ろん、その理論は論文の形で残されていたのだけれど、時空制御を可能にするそのTSCDを  
製造するノウハウは博士しか知り得ないものだったし、製法については何も残されていな  
かったの」  
 俺は朝比奈さん(大)の話を聞きながら、TSCDと言う名称があるらしいオーパーツの映  
像を頭に浮かべていた。  
 あのパーツを作ることは、未来の技術でも簡単にはできないのか? それほどまでに特  
殊なものなのか……。  
「その後、多くの人がそのTSCDをなんとしても作り出そうと挑戦したけれど、誰一人とし  
て叶わなかったの。それと共に時間遡行をすることも頓挫したまま。人々は途方に暮れた  
わ。でも、ある人が気づいたの。そのTSCDが博士が事故にあった時代からずっと、その時  
代までどこかで存在し続けていることに……。そしてそれは今も有効だと」  
 話が壮大になってきた。聞いている俺も、どの程度理解しているんだかわからんね。  
「それから以後は、製造が至難を極めるTSCDを作り出すことよりも、何処かで眠っている  
そのTSCDの力を借りて、時間遡行を出来るようにした装置の開発に心血が注がれるように  
なったの。そして、ようやく成功したわ。原理は簡単、設定した時間軸をその時代に存在  
するTSCDにシンクロさせて、それによって時間遡行を出来るようにしたの。おかげで装置  
はずっとコンパクトで、しかもシンプルになったわ。……ただし、欠点としてそのTSCDが  
存在する時代までにしか遡ることは出来なくなったけど」  
 といっても、今はハルヒの変態パワーによって、4年前までしかさかのぼれないわけで  
しょうけどね。  
 朝比奈さん(大)はフフっと笑って「そうね」と答えた。  
 しかし、それなら奴らがTSCDとやらを狙った理由もわかるってもんだ。TSCDさえ自分た  
ちのものにしておけば、時間遡行が出来るのはそいつらしかいなくなる。邪魔者はいなく  
なり、既定とは違った別の未来を奴らの好きなように創り出せるってわけだ。  
「キョンくんの思った通りよ。だから、今日はわたしが監視することになっていたの。で  
も、あそこに来るタイミングがギリギリになっちゃったから、そのせいであなたと鶴屋さ  
んを危ない目に遭わせてしまったけど……」  
 
 朝比奈さん(大)は「ごめんなさい」と言って頭を下げた。  
 しかし、俺たちは朝比奈さん(大)のおかげで結果的には助かったんだから、そんなに  
気にしなくてもいいですよ、と答えておいた。  
「今日は色々とご迷惑を掛けてごめんなさい。キョンくんには全て話し終えたし、あたし  
はもう帰ります」  
「待って下さい、朝比奈さん! あのTSCDはどうすればいいんですか? あなたに引き渡  
せとでも?」  
 しかし、朝比奈さん(大)はかぶりを振り、  
「いいえ、あれは鶴屋さんのおうちで保管してもらえればそれでいいわ。ただし、あれを  
破壊したり、何処かへ移動させないで欲しいの。それだけよ」  
 そう言い残して、朝比奈さん(大)は消え去った。未来へ帰ったのだろう。  
 俺は一人ぽつんとベンチに座りながら朝比奈さん(大)の話を反芻していたが、やがて  
雪がちらつくようになった頃、おもむろに腰を上げ、すでにあたりを夜の帳が支配しつつ  
ある自宅への帰り道をたどった。  
 やれやれ、重い話だぜ……。  
 
 
 
 翌週の月曜日、そして放課後。俺はいつものようにSOS団アジトであるところの文芸部  
室で、朝比奈さん給仕のお茶をありがたく啜りながらのんべんだらりとしていた。  
 至極のひとときである。ハルヒの騒音さえなければなおよかったのだが。  
 そんな時、突如としてドアが開き、鶴屋さんが飛び込んできた。  
「こんちわー!」  
 鶴屋さんは驚異の回復力ですでに足は治癒したらしく、平然と歩いていた。  
 俺は鶴屋さんの顔を見た瞬間、あの時キスしてしまったことを思い出してしまい、人知  
れず体温が上昇した事を感じたが、鶴屋さんはそんな様子を微塵も見せなかった。さすが  
だ。  
「鶴屋さん、今日は何かしら?」  
 鶴屋さんは、ハルヒの問いには笑顔だけを向けてそれには答えず、俺に近づくとやおら  
口を開き、  
「やあ、キョンくん。ちょっと先になるんだけど、今週の土曜日は空いているかなっ?」  
「はあ、予定はなにもありませんが」  
「じゃあその日、ちょっと付き合ってもらってもいいにょろ?」  
「ええ、いいですよ」  
 するとハルヒは笑顔を浮かべて興味深げに、  
「今度は何をさせるの? 薪割り? それとも温泉掘りとか? ひょっとしてメイド服姿  
で一日鶴屋家の使用人体験をさせるとか……?」  
 おいおい、どんな罰ゲームだよそれは……。  
「あら、いいじゃない。たまにはあんたもコスプレしてみたら?」  
 ごめん被る。なにが悲しゅうて男がメイド姿をせねばならんのだ?  
 鶴屋さんはハルヒに向かって首を振ると、  
 
「キョンくんには、うちの親父さんに会ってもらおうと思ってねっ!」  
 
 その瞬間、部室の中は凍り付き、その後クラスター爆弾を投下されたようにあちこちで  
怒気が炸裂した。誰に対してだって? ……そんなもの、俺に決まってるさ。  
 ああ、めまいがする、それにやけに寒いな。俺はひょっとして八甲田山で雪中行軍の途  
中だっけか? そう勘違いしてしまいそうな境遇だ。  
 俺は焦点が定まらないまま視線を滑らせると、ハルヒは口を引きつらせながら、いかに  
も平静を装って風に鶴屋さんに問い返した。  
 
「鶴屋さん。それって、冗談よね? びっくりさせないでよ、鶴屋さんも人が悪いわね」  
 だが、鶴屋さんは再度首を振ると、  
「本気っさ。キョンくんを鶴屋家の婿候補として親父さんに会ってもらうにょろ。もう親  
父さんには話もしてあるしねっ!」  
 そう言い終えるが早いか、鶴屋さんはハルヒが凍り付いている間にとっとと部室をあと  
にした。「キョンくん、じゃあまたねー」という言葉を残しつつ……。  
 
「キョン、これはいったいどういう事なの? 説明しなさいっ!!」  
 
 再起動したパソコンのように我に返ったハルヒは、臨界を越えたプルトニウムのような、  
ここら一帯消し去りかねない怒気と殺気とその他諸々のエネルギーをまき散らしながら俺  
に迫ってきた。  
 ええと、どうしようか。つうか、どう言い訳すればいいんだ? 実は俺も錯乱していて  
考えがまるでまとまらないんだ……。  
 見ると、古泉はこの世の終わりのような青い顔をしているし、朝比奈さんも怖い顔をし  
ている。しかしより俺を震え上がらせたのは、長門が無表情ながらも以前会長に対峙した  
ときのようなオーラを醸し出していることだ。  
 
 ――鶴屋さん、あなたの本気って、こういう事だったんですか?   
 
 気が早すぎます。っていうか、いきなり身も蓋もなく最終奥義を繰り出すようなことは  
勘弁して下さい。本当に俺の命がやばいです。  
 
 
 俺はライオンの群れに囲まれたインパラの心持ちで、ただ捕食されるのを待つしかな  
かった……。  
 
 ――合掌。  
 
 
 
 一応、俺は生きていたらしいので後日談を。まずは鶴屋さんと発掘をしていたときに先  
に出土した金属に関してだ。  
 あれは鑑定の結果、微量だが中に水素が含まれているとのことだった。どうも水素吸蔵  
合金なのではないかという見解だ。おそらくタイムマシンの動力源だったのだろう。  
 そして2本のTSCDだが、今も鶴屋家の倉庫に眠っている。これからも家宝として代々保  
管していくとのことだ。  
 めでたしめでたしなのかね?  
 だが、めでたいかどうかわからないのが今の俺の立場だ。  
 あの時、俺が集中砲火を浴びるすんでの所で鶴屋さんが再び入室して、ハルヒを口八丁  
で宥めてくれた。といっても、ハルヒに対して挑戦状を突きつけた事には変わりないのだ  
が。  
 そのハルヒだが、今のところ沈黙を保っている。何を考えているのかはわからんが。  
 それと、閉鎖空間が毎日猛烈に発生しているらしく、古泉が毎日ヨレヨレの姿で登校し  
てくることには俺も心が痛む思いだ。ま、がんばってくれ。  
 さて、明日は俺を鶴屋さんの親父さんに引き合わせるらしい。どうなるのかね。  
 どうやらキスの代償が高く付いたな。だが、俺は後悔はしていない。というのもあの時  
の気持ちは本物だったからだ。だから、今回の話も誠実に対応していくつもりだ。  
 
 やれやれ、どうやら今日は眠れなくなりそうだ。  
 
 
 
終わり  
 

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