『涼宮ハルヒの消失』P.158冒頭からの続き  
 
 
 周囲は明るい。先程までとは一変して充分な光源をもった空間に放り出され、俺の目は一瞬その眩さにくらんでしまう。  
「ここは……」  
 序々に正常な視力を取り戻していく目を頼りに、俺は自分の居場所を確かめる。  
 ここは何かの部屋で、俺が踏みつけているのは北高の制服を着た女生徒で……って!  
「うぉわっ! すみません!」  
 上履き越しに感じる低反発布団にも似た感触が脳髄に達するか否かといったタイミングで慌てて跳び退る。  
 俺という重しがどけられても、くだんの女性が動く様子はない。マズイ、当たりどころが悪かったか? もしかして責任は俺にあるのか?  
「あの、大丈夫ですか!」  
 こんなところで傷害事件を起こしている場合ではないだろう、俺。  
 相手にしてみれば俺にだけは言われたくない台詞であろうが、とにかく意識を取り戻してもらいたい一心で安否を気遣う。  
「あ…」  
 それが功を奏したか、僅かながら反応が。真夏の気だるい午後を彩る風鈴の揺らめきのような微かな身じろぎとともに、うつぶせの女生徒の口からうめき声が洩れる。  
「しっかりして! どこか痛いところはありませんか!」  
 なおもゆったりとした身動きしかとれない女性を抱き起こす。腕にかかるその重みが思いのほか軽いのにちょっとした衝撃を感じつつ、俺は彼女の次なるアクションに期待した。  
 そして、そんな彼女の口から飛び出した言葉はありとあらゆる意味で俺の予想外のものだった。  
 
「あ…熱いお茶一杯が怖い…」  
「って、『まんじゅうこわい』かい!」  
 思わず空中を両手で平手打ちしてしまった俺の腕から女性の頭が滑り落ち、フローリングの床に勢い良く落下した。  
 
 
「この度は危ないところを助けていただき、本当にありがとうございます」  
 俺の目の前で湯気立つ湯のみを傾けている女性。  
 マジで茶を注ぐ俺も俺だが、それを一口啜っただけで復活する彼女も異常としか言いようがない。  
 最近のお茶には仙豆の成分でも含まれてんのか?  
 それはともかく俺は彼女に僅かながら見覚えがあった。夏ごろに一度部室に訪れた清楚な美人。えっと、たしか朝比奈さんの隣のクラスの生徒で、名前は喜緑さんだったっけ。  
 俺は今、えらく雑然とした一室にその身を置いていた。  
 どこか長門の自室を思わせる、家具が圧倒的に足りていない印象を与える部屋。そこに邪魔な荷物を考え無しに放り込みました、ってカンジの物置じみた場所だ。  
 いかにも育ちのよさそうな喜緑さんが自分の住処にするにはあまりにも似つかわしくない風情なんだが、その雑多な荷物の内訳を観察するに、どうも今回の真相の一端を垣間見たような気分に陥る俺であった。  
 メイド服やカエルの着ぐるみなど、まともでない衣装ばかりが掛けられたハンガーラック。  
 給仕に必要なポットや急須、カセットコンロにヤカンなど。(ちなみに現在喜緑さんがのどを潤しているお茶もこいつを使って淹れたもんだ)  
 最新式のデスクトップパソコンに、おお、ここんとこ見かけなかった団長三角錐までありやがる。  
 要するに文芸部室が実質SOS団の溜まり場として機能するようになってから持ち込まれてきたものすべてがここに放置されているってことだ。  
 長門のメッセージ同様、元の世界との繋がりを匂わせる品々に、俺の胸にも懐かしいものがこみ上げてくる。心の故郷ってやつは産まれた場所だけにあるわけじゃないんだな。  
 そんな感慨もひとしおな俺に向かって、なおも緑茶を飲み続ける喜緑さんは非難めいたものをまったく含まない声で言った。  
「あなたに踏み潰されたときはどうしようかと思いましたが、無事に起き上がることが出来てよかったです」  
「いや! それはもう本当にすみません!」  
 しまった! あん時、意識があった!  
 ここで唯一の協力者になるかもしれない喜緑さんの機嫌を損ねるわけにはいかない俺は、発火しかねない勢いで床に額を擦りつけた。  
 俺程度の土下座で今までの生活が戻ってくるってんなら、ギネスに登録される回数だろうと頭を下げる所存だ。  
 もはや現在の俺にとってこの人はたったひとつの希望。ラプンツェルの髪のごとき存在だ。それを断たれようもんなら俺は奈落の底に垂直落下しちまう。  
 ふと、水が沸騰する直前に自身の中の空気を押し出すようなささやかな音が耳に入り、俺は頭上を見上げた。  
 そこには笑いをかみ殺しているような表情の喜緑さんの顔が。  
「すみません。冗談です。実はわたし、50時間ほど前からずっとあの状態だったんです。ですから、そんなに恐縮してもらわなくてもいいですよ」  
 だったら布団のひとつも敷いておいていただきたい。不謹慎にも、そう思ってしまった。  
 
「突然情報統合思念体とのリンクを切断されてしまいまして、もう2日以上エネルギー供給が滞っていたんです。  
 こんなことなら普段から長門さんのように食物摂取による副次的な活力を補充しておけば良かったですね」  
 俺がハルヒと関わるようになってから身に付けさせられてきた世界の裏側の常識、つまり世間一般の価値観から言えば非常識な単語の羅列。  
 つまるところ、この喜緑江美里さんは長門のご同類な宇宙人なわけだ。3人目だよ、北高在中宇宙人。うちの学校はインターフェースホイホイかっつうの。  
 しかしこれほど心強い援軍もそうはいまい。なんせ自分が宇宙人であることを記憶している宇宙人、もうこの世界から根絶しているかと思っていた規格外存在だ。  
 俺はかつて『3年前の長門』にそうしたように、今回の道しるべとなってくれた栞を喜緑さんへと差し出した。  
「どうにかなりませんかね。喜緑さんも今のままじゃいろいろとマズイでしょう」  
「はい。時空改変によって、どうやら統合思念体もその存在を消したようです。早期解決が成されなければ、早晩わたしはその機能を停止するでしょう」  
 俺から受け取った栞に書かれた文字をぬいぐるみに隠された盗撮カメラのように冷静かつ鋭く見つめながら、喜緑さんは俺に同意してくれた。  
 よし、多分俺はこのふざけた騒動に終止符を打つための道筋を正しく辿っている。  
「それにしても、喜緑さんはよく無事でしたね。長門も朝倉もただの人間になっちまってたのに」  
「おそらく本件の犯人がわたしの存在を心の底から忘れていたのか、もしくは後始末を全部わたしに押し付けるつもりだったのか、いずれかでしょう」  
 軽い世間話のようなつもりで言った俺の台詞に、喜緑さんは語調こそ穏やかなものの、なにやら不服な感情を匂わせる返答をする。心なしか眉間に力がこもっているようにも見える。  
 いかん、ひょっとして一つだけ逆方向に生えてるウロコに触っちまったか?  
「ところであなたはこの文面を読みましたか?」  
 だがそんな不安も取り越し苦労だったのか、あっさり話題を切り替える彼女。一安心とはこのことだ。  
 さて、喜緑さんの質問だが、答えはもちろんYESだ。なにせそのヒントを目にしたからこそ、俺はこの場にいるんだから。  
 しかし  
「この栞、あなたが脱出プログラムを起動した瞬間にデータ更新が実行されるようにセットされていたみたいですよ」  
 そう言いながら彼女は手にした栞をクルリとひと回転、俺にその6文字が見えるように持ち替えた。  
 俺には見覚えのない内容、そこに記されていたのは  
 
『あとよろしく』  
 
「人任せにすんのもいい加減にしとけやコラ、って長門さんに言ってあげるためにも全力で事件を解決しましょうね」  
 喜緑さんのどこまでも慈愛に満ちた笑顔が逆に怖かった……  
 
 
 その後、まあいろいろとあって、なんとかクリスマス鍋を堪能できる日常を取り戻すことには成功したわけなんだが……  
 長門よ、いくらなんでも『あとよろしく』はねぇだろ……  
 

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