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そして桜の木の下に、季節外れの雪が降る
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1.
気の早いセミが近所迷惑を考えずに周囲に騒音を撒き散らし始める、そんな初夏のある昼下がりの桜並木での話になる。
久方ぶりに何もする事がない日曜日という、SOS団雑用兼奴隷の身分では得がたい幸福を噛みしめようと特に意味のない散歩に励んでいた俺は、急に視界に飛び込んできたノスタルジックな風景に思わず足を止められてしまうはめになった。
さて、いきなりでなんだがここでクエスチョンだ。
桜の木々の中で、咲く季節なんぞとうの昔に過ぎ去っただろうに一本だけ満開な木の下で、知り合いが悲しそうな無表情で佇んでいるという微妙な状況を目の当たりにして、常々一般人を自称したいと願っている人間は一体どうすればよいのだろうか?
「………」
「………あ」
そんなクエスチョンを脳内電波に乗せて発信している間に、桜の木の下の知り合いことデフォルト無表情娘こと長門有希とばっちり目が合ってしまう俺。
どうやら時間切れのようだ。今回は話しかける以外の選択肢はなくなっちまったな。
とりあえず次のクエスチョンは、『次に同じ状況に出くわしたらどうすりゃいいのか』って事だ。
次なんてなさそうで意外とすぐありそうだからな、よろしく頼む。
そんなどうでもいい思考を溜息にプラスαして脳内から追い出しながら、望郷の念ってやつを起こさせる風景の一部と化していた少女に話しかける。
「長門、こんな所で何やってんだよ?」
「………桜」
「ああ」
「………」
………いや、終わりかよ。
こいつとの会話は必要最小限以下の内容で終わるか、難しい単語を必要以上に並べ立てられるかどっちかなんだよな。どんな立派な思想も言葉にしなきゃ伝わらんし、論語を原書で読めと言われても大抵の日本人には無理な話なんだぜ。
「きれい?」
そうだな。咲いた原因が分からんのが紐無しバンジー並みに不安なのだが、それを努力と根性で頭の片隅においておくとするならば、一本だけ季節という荒波に逆らいながらハラハラとはかなく散りゆく桜は美しいと思う。………でもな、
「きれいだとは思うが、好きじゃないな」
何となくだが、そう、思った。
「………そう」
長門は俺の意見に賛同するでも否定するでもなく、ただそれだけを呟いた。
そのまま日が沈むまで、二人一緒に風景の一部と化していた。
賛成も否定もなかった。
けれど、最後まで彼女は悲しそうだった。
何となくだが、そう、思った。
2.
ぼんやりと家に帰って、淡々と飯を食い、適当に風呂に入り、大雑把に妹とシャミセンの相手をしながら昼間の長門の事を割かし真剣に考えていると、気付かないうちに大分遅い時間になってしまっていた。
そろそろ寝ようかと思った瞬間に、月曜日の目覚ましのように人を鬱にさせる最悪のタイミングで携帯が鳴り出す。
知らない番号だったのでこのまま無視して寝ようかとも思ったが、鳴り止む気配がカケラどころか目で確認できる大きさですらなかったので、鬱な気分のまましぶしぶ通話ボタンを押す。
「はい、もしもし」
「こんばんは。あなたの夜のおやつ、喜緑江美里です!」
プツッ。電話を切る。
つーかむしろこのまま意識も切りてぇ。枕が俺を呼んでいる。
自発的に遠のかせようとした意識を引き戻さんとばかりに、再度嫌がらせという名の着信音が鳴り響く、………泣きてぇ。
「………はい」
謙譲語の省略形を使う気力も無くなった俺に、空気を読んでいるくせにあえて読めてないふりをしているといった感じの口調で海産物Wが話しかけてきた。
「何か電波が悪かったようですね。こんばんは、喜緑江美里です」
あなたの脳内電波はビンビンでしたよ。必要以上に関わりたくないので指摘しませんけどね。
「さて、今回は残念ながら真面目なお話です」
「そうですね。俺も残念ですが『今回は』の部分にツッコミはいれません」
「あらあら、そんな事をされたら、あなたのアイデンティティーがクライシスですよ」
「俺の中ではむしろあなたの株とかイメージとかの方がクライシスです」
てかそんな事はいいんで、とっとと話を進めてください。
「んー、そうですね」
コホン、と一つ咳払いをした後で、苦すぎるコーヒーに少しだけ砂糖を入れるような、どうにも分かりにくい優しさを込めた声で、喜緑さんはこう言った。
「桜の木の下には『想い』が埋まっているんですよ」
『では、残さず食べてくださいね』と、謎の言葉を残して喜緑さんは電話を切った。
寝る前にちょっと運動を、と思ったら間違えてフルマラソンを完走してしまったくらいの疲労感を覚えながらも、先程までの会話の意味について彼女達と比較すると一億分の一の処理速度も無いであろうマイディアブレインで考える。
一本だけ咲いていた、あの桜の下には何が埋まっているのだろうか?
誰の『想い』を吸って、あの木は花を咲かせたのだろうか?
考えて、考えて、
桜の下で佇んでいた少女を思い、
自分があの桜が好きになれなかった理由に思い至ったところで、
俺は彼女の『想い』を確かめる決意を固めた。
「あれー、キョンくんキョンくん、どこ行くのー」
「忘れ物、取りに行くんだよ」
「スコップ持ってー?」
「必要だからな」
「変なのー」
ああ、俺もそう思うよ。
でもな、こっちから取りに行きたい『想い』ってのが俺には確かにあるし、一本だけ咲いている桜ってのは美しいのかもしれんが、やっぱり何だか寂しいじゃないか。
「???」
『想い』を埋めるのが彼女の意思だというならば、その『想い』を発掘するのは俺の意思だって事なのさ。
そう、今からの俺の行動は俺が勝手に行うものだ。
責任はちゃんと俺が取るし、長門がそれを非難するというのならあえて受けよう。
まあ、とは言っても、これは長門の事を考えた結果であり、正直に話せばきっと彼女も………。
………あー、土下座ですめば御の字だよなぁ。下手すりゃ………死?
「よくわかんないけどー、キョンくんガンバー!」
無責任に応援しやがる妹に、それでも背中を押してくれた事に感謝しつつ、『サンクー』とよく意味の分からない答えを返した。
何かあったら遺産は全額お前にやるよ、………ほぼ0円だがな。スマイルでも一万個ほどテイクアウトしてみてくれ。
家を出て、あの一人ぼっちの桜が咲いている方向を確認する。
その方向へと、彼女の『想い』へと続く道を、満天の星空がライトアップしていた。
「よし、行くか」
誰に聞かせるわけでもなく、ただ自分の意思を確認するために、そんな言の葉を夜空に送り出し、ゆっくりと、しかし迷わず、歩く。
そんなに何でも出来るって訳じゃないけれど、とりあえずは俺に出来る事をするとしよう。
3.
次の日の話だ。ついて来い。
朝、睡眠を要求する体にブラックコーヒーという鞭をいれながら、スズメが驚くほど早くに学校へ来て、彼女へと続くであろう部室のドアをノックする。
沈黙を『入ってよし』という彼女なりの答えだとどこかの団長様並みに都合よく解釈し、そのままドアを開ける。
そこには俺の予想通り、別に約束していたわけでもないのに、いつもの位置に長門が座っていた。
一人黙々と本を読み続ける彼女の姿に、昨日一本だけ咲いていた桜が重なる。
(いや、違うか)
俺は昨日の一本だけ咲いていた桜に、そんなこいつの一人ぼっちの姿を重ね合わせていたんだ。
これがあの桜を俺が好きになれなかった理由だ。
俺は多分、こいつが一人ぼっちだという状況がイヤなんだろうな。
………まあ、こいつ自身が一人でいたいってんなら大人しく引き下がるが、あの『想い』から考えるとそれはないだろう。
部室の片隅、一人ぼっちで咲く花に、寄り添うような思いを込めて話しかける。
「長門」
「………何?」
「チョコ、美味かったぞ」
それが桜の木の下に埋まっていたこいつの『想い』。
こいつがどうしてその『想い』を埋めようとしたのかなんて事は俺には分からない。
今確かなのは一つだけ、チョコの上に書かれてあったそいつを、俺が自分から受け取りにいったって事だけなのさ。
なんて書いてあったかは詳しくは言えないけどな。………すまんが、人にペラペラ喋っていい事じゃないと思うんだ。
俺の言葉を聞いて何をどう感じたのか、長門はこっちを見ながらまるまる一分ほどフリーズした後、俺から目を逸らして、窓の外をみながらポツリと呟いた。
「………そう」
その表情は残念ながら、俺から見えない位置にある。
ただ、『笑っていてくれるのなら嬉しいな』と、俺はそう思った。
そして、そんな俺の『想い』はどんな花を咲かすのだろうか、などと考えながら、長門と同じようにあの桜があった方向を、二人一緒に予鈴が鳴るまで眺めていた。
「ところで長門、朝からどうにも腹の調子が良くないんだが………」
「あのチョコレートは?」
「ああ、もちろん残さず食べたぞ。それがどうした?」
「………消費期限切れ」
「………」
………さて、冒頭のクエスチョンに追加事項だ。
『もっと素敵なオチ』ってやつも一緒に考えてといてくれ、本当に誰でもいいからな。………やれやれ。