毎度お馴染み強制ハイキングコースの愚痴をこぼして早一年、長かった本年度もついに終わりを迎えようとしている。実に長かった。  
充実し過ぎ現実離れし過ぎ疲弊し過ぎの一年間は長く、実質約600年くらいあったのではないかと思われる過酷さだった。  
中三の頃のおれの脳みそはこんな事態に巻き込まれ、散々な一年を過ごすとは微塵も思ってなかっただろう。  
そんな感傷に浸っているわけだが、決して朝から妹のダイビングエルボーが肋骨に炸裂したからでなく、  
珍しくおれの部屋で騒ぎ続けたシャミセンと戯れる妹に腹を立てているわけではない。  
このあと起こるであろう災難に対して少しでも警戒しておかなければいけないからである。当然、おれには予知能力が有るわけではない。  
が、この一年で培ってきた経験からツイテイナイと言うのは酷いときはトコトン、容赦無く畳み掛けるように攻め入ってくるので、  
おれは細心の注意を払いながらハルヒの顔色を窺いつつ、何事もない一日を送るように努力しようと決意した。  
しかしおれの決意ではどうしようもないのがハルヒ様々のご都合パワーであり、未来からの規定事項であり、機関による余興であり、  
 
宇宙人による気まぐれであった。  
 
 
   でいあふたーとぅもろー  
 
 
 教室に入りHRまでの少しの時間ですら惜しむようにせっせと情報交換に勤しみ、結果的に何も得ないと言うだべりを終わらせ、  
席に着こうとして異変に気が付く。ハルヒの目が輝いている。  
「キョンっ! ビッグニュースよっ!」  
「朝から騒がしいな、そんなに凄いことなのか?」  
 まぁ凄いと困ってしまうので否定はして欲しいんだがな。  
「本当はあんたみたいな下っ端に教えるのはもったいないんだけど、今回は特別に教えてあげるわ」  
「自分から話を振っておいて教えないはないだろ」  
 さっきからテンション上がりまくりのハルヒである。  
「うっさい、黙ってあたしの話を聞いてればいいのよ」  
 早く話したくてたまらないといった感じの団長様。  
「で、何があったんだ?」  
「転校生がこのクラスに来るんだって」  
 ため息が出た  
「こんな中途半端な時期に転校してくるなんて怪しすぎるわ」  
 こめかみに指が吸い寄せられていく  
「古泉君は普通の生徒だったけど今度こそアタリね、あたしは騙せないのよ。すべてお見通しなんだから」  
 自然とまぶたが落ちてきた  
「SOS団を偵察に来たに違いないわ。でもね、油断しているに違いないからこの状況を逆手に取って相手の親玉を引きずり出してやるわよ」  
 大きく息を吸い込み  
「ちょっとキョン、聞いてるの?」  
 やれやれ  
 
 嫌な予感は見事に的中し、この素晴らしい予知能力がなぜテストに使えないのかと本気で落ち込み始めたときに岡部がやってきた。  
他のクラスメイトの反応もいつも通りで転校生なんて初めから居ないような雰囲気を醸し出している。  
まぁハルヒだけはすでに臨戦態勢に入っていて、その威圧感ときたらおれの胃がキリキリ痛み出しそうなほどの悪い空気だった。  
そんな藁をも掴むような心持でさっさとHRが終わることを祈ってはみたが第一声からそんな儚い望みは打ち砕かれてしまった。  
「今日は転校生を紹介する」  
 ざわつくクラス、静寂を保つハルヒ、胃が痛いおれ。  
「みんな久しぶり。元気にしてた?」  
 歓喜の渦に巻き込まれるクラス、静かな背後、倒れこむおれ。  
「このクラスでいられるのもあと少しかもしれないけどよろしくね」  
 ほらな? ツキはおれの味方はしてくれないようだ。  
 
 朝倉が転校してきた。  
 
 岡部が一応自己紹介を勧めるも、早めにHRを終わらせてくれた方がありがたい、と、担任を言いくるめる転校生。  
もう少し転校生らしくして欲しいものだ。まぁ初対面ではないしこんなもんでいいのかね。  
 
 クラスに美人の転校生が来る  
普通の男子生徒ならソワソワしだしてもおかしくない状況であるが、おれは少しも嬉しいとは思えない。  
おれの視界に嫌でも入ってくる谷口や山根みたいに素直に喜べないのはなぜだろう?   
 そうこうしているうちに朝倉の提案通りにHRはすんなり終わって今は早めの休み時間となっている。  
元委員長さんは女子に囲まれて男子諸君が手を出せない状況に陥っていて、楽しく転校後の生活について話しているのだろう。  
今のうちに長門に現状説明を要求してみるかな。  
「キョン、行くわよ」  
「どこにだよっ!」  
 クラス脱出を謀るもハルヒにより脱獄失敗、ドアからぐんぐん離れていき、女子の輪の中に突貫。他の男達の視線が痛い。  
「朝倉さん、ちょっと顔貸してもらえる」  
 どこのヤンキーだ、こいつ。  
「涼宮さん、順番は守らないといけないのね」  
 そんなハルヒに萎縮する事も無く阪中は話しかけてきた。  
「ごめんね阪中ちゃん、でも急用なのよ」  
 どんな用事があるかぜひご説明していただきたいものだね。  
「すっ、涼宮さんっ!」  
「な、何よ」  
 突然朝倉が驚いたような声を発していた。  
「わたしの居ないうちにクラスに馴染めていたのね、あなたの事が一番心配だったのよ。  
でも良かった、お友達がキョンくんだけってのも寂しいもんね」  
 委員長らしい発言にハルヒは戦略的撤退を言い放ち、おれを引きずり輪を後にした。  
何がしたかったのだろうか  
 結局男子生徒諸君は朝倉に話しかけることなく一日が終了し、なに、どうせすぐに朝倉フィーバーも収まるであろうと考えてみても、  
おれはそんな客観的な立場から物事を見渡せるような状況でなく、今すぐにでも帰宅して部屋に引きこもりたい気持ちでいっぱいであった。  
もちろんそんなことはしないし、もし実行に移したら団長様、もしくは元委員長さんが尋ねてくるといった非常事態が発生しかねんしな。  
そんなことを考えながらハルヒの後ろを付いていく部室までの道のりも終了。  
「やっほ」  
 少し考え事をしていたのか、いつもの無駄に余りまくっている元気はいずこへ、拍子抜けしてしまった我らのドア。  
よかったな、いつもこうだとお前も長生きできるだろうにな。ハルヒはというと団長席に着きやはり何か考え事をしていた。  
あいつの脳みその構造など知ったことではないし、考えなぞ読めるわけはない。  
まったく、今度は何を考えているんだろうね、朝倉のことでないことを祈るよ。  
 部室にはすでに他の面子も集合していて、朝比奈さんは正装であること間違いなしのメイド服を完璧に着こなしていて、  
その御手から精製される朝比奈印の漢方薬もびっくりの効能を秘めているお茶の準備に勤しんでいた。  
長門はお決まりの定位置でまるで象形文字ではないのかといった御本を読んでいる。  
なぜハルヒはどこの言葉かも理解できないものを尋常でないスピードで読破していく長門にツッコミを入れないのだろう。  
古泉は一人黙々とサイコロを振って六を出す練習をしていた。そんな練習をしていてもおれには勝てんぞ、また白星が増えてしまう。  
 
 そんなありふれた団活ではあったが、おれとしては今すぐ長門をエスコートしてどこかでじっくりと小学生でも容易に理解できる  
レベルの内容で状況説明をお願いしたいのは山々なのだが、団長様の様子を窺うと、軽率な行動は慎むべきとの脳内判断が  
下されているので古泉を軽くひねって下校時、もしくは放課後にでも教えてもらえればいいかなと考えがまとまったその時、  
 コンコン  
 部室のドアが叩かれた。珍しい、お客さんらしい。  
「どうぞ」  
 低いハルヒの返事により、弱りきったかわいそうなドアが開かれた。  
「おじゃましまーす」  
 
 朝倉が入室してきた。  
 
 まぁ、転校生が朝倉だった、に比べればそれこそ月とすっぽんくらいの衝撃の違いがあった。  
これは朝倉の予想外の復活に驚きすぎたのか、もしくは朝倉が部室にやって来ることを予知できていたのかは定かではない。  
今言えることはとりあえずこの後部室が修羅場と化す事ぐらいであろう。  
「いったい何の用なのよ」  
 低い声で顔を強張ら……せ?  
「SOS団に興味があるのよ、涼宮さんが変わるきっかけになった団体らしいしね」  
 あくまで物腰低く、朝倉は言ってのけた。しかし、  
「ふん、もっともらしい理由を引っ下げて来たらしいけどあたしは騙されないんだから。  
カナダの秘密組織がSOS団本部の現状把握の為に送り込んできた刺客に違いないわっ!」  
 ツッコミ所満載な発言をしているハルヒであるがさっきから顔には、面白そう、が張り付きっぱなしであり、  
発言の迫力からは考えられないほど楽しそうにしている。  
「ふふ、さぁ? どうかしら」  
 朝倉もしっかり相手しちゃってるしっ!  
「ふん、今回は特別に入団を許可してあげるわ。謎の転校生キャラは埋まってるけどスパイキャラは空席だからね、  
すぐに親玉を引きずり出してやるんだからっ!」  
 もうどうにでもしてくれ。朝比奈さんはおどおど、きょろきょろしてらしていてそれがまた可愛らしいのなんのって、まあいつものことであるが。  
古泉はニヤケ具合が不調らしくただの変質者に間違えられてもおかしくない笑みになっている。  
長門は我関せずの精神で本の世界から帰還する様子は見当たらない。そもそもこいつはすべて最初から知っていたのだろうな。  
 
 そんなこんなで始まっていった部活であったが、ハルヒはと言うと朝倉に尋問と名づけたトークを繰り広げていて、  
カナダの話から日本経済の話、果物ナイフの意外な使用方法までそれは幅広く話し込んでいた。  
こいつわざとやってんじゃないのか。  
 そんな状況下にも関わらず、朝比奈さんはせっせとお茶を精製してはしゃべりまくっているハルヒの湯呑みに注ぎ、  
朝倉の湯呑みに注ぎ、便乗しているおれの湯呑みにも注ぐといった甲斐甲斐しさ爆発状態だ。  
古泉はゼロ円スマイルに帰還していて、サイコロの低い数字の生産に大忙しで、朝倉のことは微塵も気にしている様子は見せていない。  
長門はいつもの様に地球の文学の研究に勤しんでいる。  
で、おれはと言うと表面上は古泉と楽しくボードゲームで遊んでいる高校生を演じつつ、手に汗握る状況が一日続いていて  
今すぐにでも長門を拉致ってしまいたい衝動を抑えるのに精一杯である。早くこの異常な部活が終了するのを待つしかない。  
 
 長門による部活終了がやっとこさ宣告され、  
これからがいいとこなのにとテレビを取り上げられた妹のような顔をしているハルヒがしぶしぶ朝倉を開放した。  
「さて、では僕らは外で待つとしますか」  
 当たり前だバカヤロウ。おれの朝比奈さんのお着替えを他の男に見せてたまるかってんだ。  
言葉には出さずに、無言で部屋を出て行った。  
 
「まさか彼女が帰ってくるとは想定外でしたよ」  
 ため息交じりにニヤケてみせる。そうは見えないがな。  
「そうですか? もしそうだとしたら僕の演技力もかなりの域まで達していることでしょう。次の文化祭での貢献度が上がり、  
涼宮さんの機嫌を保つ一つの武器になってくれることを祈りますよ」  
 また映画を撮るつもりなのか? まぁエピソード00だったしな。  
「さて、どうでしょうね。それに涼宮さんのことですから04などと言い出すかもしれませんしね」  
 卒業後も作品を取り続けないと完結どころか話が繋がらないといった事態に陥ってしまう可能性のほうが高く、  
そもそも話を繋げること事態が不可能な脚本であり、そんなことを考えていると背筋がゾクリとするね。  
「話を戻しましょう、朝倉さんのことです」  
 おまえはそんなに慌てなくていいだろうに。  
「それは違いますね」  
 なぜだ?  
「彼女が急進派に属しているからです」  
「どこまで知っている」  
「どこまでと言われましてもそうですね、誰が宇宙人でどこの派閥に属しているか、ぐらいですよ」  
 多少言い回しが気に食わなかったとしても大人としての体裁を  
「おや、お気に触りましたか?」  
 何のことだ?  
「ふふ、今のところ長門さんが何も言わない以上安全なのでしょうけどね」  
 そう言い終えるとタイミングよくドアが開いた。  
 
 下校時、ハルヒは朝倉を楽しそうに牽制しつつ朝比奈さんで遊ぶといった大技を披露し、  
おれなんかは眼中にも入っていないであろう。そのスキ――本日最初のスキである――に長門に接触を謀る。  
「長門」  
「今夜七時、いつもの場所で」  
 事態はあまりよくなさそうである。  
 
 家に帰ってからも落ち着かず早く時間が過ぎないかと始めた時計とのにらめっこであったが、  
災難から逃走中のシャミセンがおれの部屋にかくまってくれと言わんばかりの表情で舞い戻ってきて、同時刻、当然のように妹乱入。  
凄まじい勢いで暴れる二匹オンマイベッド。間に入って仲裁しようとするも、暴れまくったシャミセンは逃亡、  
妹もそれを追いかけて行ってくれたので部屋に静寂が帰ってくる。無残に散らかされた部屋と引き換えに。  
せっせと片付けを進めているうちにちょうどいい時間になり家を後にした。  
 移動中、シャミセンの不機嫌の原因を探るという思考の迷路に迷い込みこれはおれの現実逃避なのではないかと違った結論が出たとき、  
いつもの公園に到着した。  
「待たせたな」  
「………………」  
 無表情、無感動で立ち上がりおれを先導する。  
その小柄な体格の後ろを付いていくこと数分、普段通り無言であるのだが、いつものような安心感といったものは微塵も感じられず、  
これは長門がおれの気付かないレベルの変化をしているのか、はたまたおれがいつもと違っているのかは定かではない。  
結局、結論が出ないまま長門の部屋にたどり着いていた。  
「入って」  
 家主より先に入室するのは気になるが変に断るのも悪いであろう。  
「いらっしゃ〜い」  
 
 長門の部屋からはいい匂いがしていた。  
「長門、今日の晩飯はカレーか」  
「そう、あたしが手によりを掛けて作った力作なんだから」  
 基本的に長門はカレーしか食っていないイメージがあるんだが栄養的には大丈夫なんだろうか。  
「あら、インターフェイスをあまり舐めないほうが良いわよ? 栄養素の調節なんか雑作もないことよ」  
 そういや長門は辛口派なのか? それとも甘口派なのか? おれはどっちかと言うと辛口なんだが。  
「長門さんに辛口はまだ早いわよ、味覚がお子ちゃまだからね。ほら長門さん、手洗いうがいが先でしょ」  
「……うかつ」  
 長門はせっかちさんだな〜  
「本当よ、大好物を目の前にして日常的な習慣ですらおろそかにするなんてかわいいよね?」  
 おれも手洗いうがいをしなくちゃな  
「殺されたいの?」  
 すいません勘弁してください軽い冗談ですってだからキャベツを切った包丁を持ち出さないでください朝倉さん。  
長門もおれを置いてさっさと洗面所に姿を消してるしっ!  
 
 朝倉作のカレーは確かに少し甘口ではあったが美味しくいただける甘さだったのでスプーンは滑らかに栄養補給の為に慌しく動いていた。  
「で、なんでこいつがここにいるんだ?」  
 黙々とカレー山脈を切り崩しながら  
「……カレーが食べたかった」  
 表情一つ変えないでそう言ってのけた長門。わざとだろ。  
「本当よ? さっきカレー「お前は黙ってろ」  
 こいつら妙に機嫌良くないか? 朝倉なんかやけに笑ってるし。  
おれも笑い転げちまいたいよ、マジで。  
「……本題に入る」  
 そうだ、そうじゃないとおれは安心して明日からの緩い学校生活を送れ無いしな。  
「情報統合思念体は……」  
 少しの間を置き  
「暇を持て余していた」  
 少し絶望的なことを言ってのけた。  
 
 様々な意味で胃が痛くなってきたので遅くまで長門家にお世話になることもなくおれは帰宅していた。  
長門の話をまとめると、情報統合思念体は暇だったので朝倉でも復活させて北高に放り込んでみると、  
そうするとハルヒが何か面白いデータを残してくれるに違いない。  
まぁ危険な出来事が起こるとも思えないがしっかり監視役をつければ大丈夫でしょ。  
と言う事らしいのだが、なんだ、長門もあの調子だしおれがあれこれ考えてもどうしようもなく、  
今回は最初から朝倉はマークされているので安心なのだがどうにも安眠できるほどおれには図太い神経は持ち合わせていなかったようだ。  
きっと明日は睡眠学習のオンパレードだな、うん。  
 
 効果的なおれの起こし方を学んだと自負していた妹であったが内容を母に告げてみると軽く説教をされて朝からブルーになっていた。  
自業自得と言えばそうなのだが毎朝起こしに来てくれている妹が落ち込んでいると申し訳ないのでしっかりフォローをし、  
少し元気を取り戻したところでいつもの出発時間には少し早い気もするが家を後にした。  
重い体を揺らしながらなぞる昨日のこと、あれは夢であって欲しいと願いながら、  
それ以外のことは頭に浮かばないと言う寝不足の恐ろしさを痛感しながら北高生殺しの坂を必死にゆったりと登山中、  
「おはよ〜」  
 
 朝から背筋がゾクリとする爽やかな声を耳にした。  
「……おっす」  
「元気ないわね〜、こんな気持ちのいい朝からそんな声出してると幸せが逃げちゃうわよ?」  
 ほっとけ  
「そうだ、日直だったんだ」  
「転校生のお前がか?」  
 北高は転校生にそんな厳しい学校だったんだな。そうしないとあの学校は転校生の溜まり場になってしまいかねんしな。  
「違うわよ、今日の日直の谷口君が休みらしいから代わりにやってあげようと思っただけよ」  
 あらあら、流石元委員長さんだこと。尊敬に値するね……って、  
「どうやって谷口の欠席を知ることが出来たんだ?」  
 そもそもバカは風邪引かないんじゃなかったのか? ……あっ、あいつはアホだった。  
朝倉は、ふふっ、なんて笑みを浮かべ  
「禁則事項です、よ」  
 そう言い放ちおれら北高生の怒りを買うだけにしか役立っているとは思えない坂道をかけて行った。  
朝倉の本性を知らずにあの笑顔を見せられたらひとたまりも無いだろうなと思いつつ、おれも坂道をせっせと登り始めた。  
 一日経っても収まるところを知らない朝倉フィーバーであったのだが、おれのそばにいるべき愛すべきアホはきっと  
朝倉の転校に歓喜して熱を出したに違いないと気づき、知恵熱も出さないようなやつでもこういう事はあるんだなと  
谷口のアホレベルの高さに感服気味のおれである。  
それにおれの後ろの席のやつも一日中黙っていたので平和だったとしか形容できないのが現状である。  
普段なら静かに黙られると、あ〜また何か企んでいるんだろうな〜、とか、今度はどんな退屈にイライラしているんだろうな〜、  
なんてことまで考えてしまいおれの大切な数少ない勉強に使う脳みそ力を無駄に消費してしまう、ということも無く、  
まったりと睡眠学習を満喫できたわけだ。  
こらそこ、睡眠学習も立派な勉強だぞ。あのアホで有名な谷口が言っていたのだ、間違いないね。  
国木田にはこの話は聞かせるわけにいかないな、アホ同志だと思われるのも嫌だし。  
そんなハルヒは静かに一日中ニヤついていた。これでは古泉と同レベルで危ない人である。  
しかし、それでも普段のこいつの危なさから考えれば落ち着いているに分類されることにおれは少し複雑な心境であった。  
 そんな一年生も終わりを迎えようとしている春の珍事に翻弄されている五組の生徒諸君なのではあるが、帰りのHRも終わるとすぐに、  
「さぁ、部活よ部活っ!」  
 と、声高らかに宣言しつつ朝倉の手を引っ張っていく我らが団長閣下。朝倉も少し驚いているが俺のほうへ目配せをすると、  
あなたも早く準備したら? なんて目で語っているような気がする。  
長門の表情から何を伝えたいのか読み取ることに長けているおれの数少ない自慢――実際の所自慢にもならないような気がするが――  
は、対朝倉用でも活躍してくれているようだ。そんな状況に流されっぱなしで本当に立派な大人になれるのか心配になりつつも  
せっせと帰り支度をしている自分が少し悲しい、あぁ悲しい。  
 
 部活も始まってしまえばいつもと同じようなスタイルで、朝倉以外の面子は定位置で黙々と作業に没頭していく。  
そんな蚊帳の外状態の朝倉であったが、最初のうちはハルヒと電脳世界不思議探索ツアーに出発しており、あーでもない、こーでもない、  
とたいした中身の無い討論を展開しつつクリックしては驚いての繰り返しであった。まったく騒がしいったらありゃしない。いつものことだがな。  
 そして次なる標的となったのがSOS団専用お茶汲み兼癒しキャラである朝比奈さんであった。  
朝倉はメイド服を着用しないものの朝比奈さんからお茶のイロハを学んでいた。  
似合う似合わないは放っておいてさらなる混沌がこの部室に訪れなかったのはおれ個人としてはなんともコメント……  
そんな朝比奈コーチによるあめとあめを使い分けるという絶妙な優しい指導により上達したであろう朝倉茶を笑顔で配り歩いていた。  
流石にこの状況で堂々と毒を盛るなんて出来ないであろうし、仮に仕込んだとしても長門が気づいてくれるであろうから心から  
お茶の味を満喫できるであろう。その辺はまったくの隙なし、抜かりなしだ。  
他人任せだと言うことはこの際出来るだけ触れないでいただきたい。  
 
 その後、二人によるちょっとしたお掃除が終わり、さて、なんて声に出し次の行動に移す気合注入。  
標的となったのはおれ達ボードゲーム組であろう。朝倉が振り返った瞬間、  
 ガタッ!!  
 大きな音を立てて古泉起立。全員が凝視する中そんな視線をものともせずグングン進行し、普段見慣れないボードゲームを取り出し、  
「いや〜、三人以上での対戦物はほとんど出来ないんですよ〜」  
 満面の笑みで帰ってきた。いや、そのまま帰ってくれ気持ち悪い。  
朝倉とおれが熱心にルール説明を受けているとなんと最大四人対戦であることが判明しその瞬間にハルヒ乱入、  
ええい地獄耳が。ビリは罰ゲーム、次の不思議探索は無条件でそいつの奢りとお決まり発言。  
いいだろう、さくっと古泉をやっつけておれの奢り記録をストップさせてやるぜ。  
 
 と、意気込んだのは良かったのだが意外や意外、ビリが朝倉、古泉が二位という大惨事。  
ハルヒの一位やおれの三位はまだ良しとして朝倉のビリには正直驚きが隠せなかった。  
「あんたね、空気読みなさいよ。新入り負かしちゃってどうすんの? 雑用は雑用らしく接戦で負けなさいよ」  
 そんな芸当がおれにできるかっ! てかぶっちぎり一位のお前が言えたことじゃないだろうに  
「あたし団長だも〜ん、そりゃ強さを見せ付けないと下は付いてこないだろうし、せっかく遠くから偵察まで来てるのに  
SOS団団長の偉大さを隠しておくのは性に合わないわ! それにその方が本部に報告しやすいだろうしね」  
 挑発的にそう言ってのけた。もう好きにしてくれ。  
「いやはや、まさかあなたに勝てる日が来ようとは……今日は僕にとっての特別な記念日になりましたよ」  
 挑発的にそう言ってのけた。もう死んでくれ、頼むから。  
そんな奢り確実となった朝倉であったがなんと楽しそうに笑っているではないか、あれか、金が有りすぎて使い道に困っていたとかなのか?   
それ以外の理由も見つからず、少しの融資を提案しようと思っていたらいつの間にか長門の隣で読書に励んでいた。  
さて、朝倉はいったいこの団活で明日から何をするのかね? おれの視界に嫌でも入ってくる少年の目の輝きを取り戻し、  
部屋の隅でぶつぶつ呟いている奴が鬱陶しい、あぁ鬱陶しい。  
 
 そんな新しい雰囲気が生まれた団活であったのだが長門特製チャイムにより締めくくられた。  
どうにかこうにか家にたどり着き昨日今日の疲れを癒すべく一目散に自室に退避し明日以降における  
活動エネルギーを蓄えておきたいというちゃっちい割に今日一番の大仕事を遂行することも出来ず、  
家に着くなり今朝の一軒によりまだ本調子でない妹が目に入り、部屋ではシャミセンが大暴れである。  
なにか動物的に感じ取っているのではないだろうか? ほら、妹がピンチなんだ、助けてやってくれよ。そう言い放ち部屋から追い出した。  
まったく、長男は大変なのである。さて、これで休めると思ったのも束の間、おれの願望は儚い夢となってしまった。  
携帯電話が騒がしく唸り続けている。  
「もしもし?」  
「……きて」  
「おまえの家でいいんだろ?」  
「………………」  
「今日も晩飯食わしてくれるのか?」  
「………………」  
「出来るだけ早く行くよ」  
「……まってる」  
 と、誰からの電話か確認せずに出たわけであり、この会話の量では何がなんだか分からないように感じるのは素人であろう。  
おれのインターフェイスに対する感情読み取りはすでに人間では遥か手の届かないところまで達していると自負している。  
そんなちょっとした優越感に浸りながら外出の準備を進め、母親に晩飯はいらないこと、もしかしたら遅くなるかもしれないこと、  
妹の不機嫌を解消してやって欲しいということを伝え、家を後にした。  
 
 そこまで急ぎでなさそうなのでゆったりとしたサイクリングを楽しみつつも長門マンションに到着した。  
押しなれた番号を入力し、少しの間待っていると、  
「は〜い」  
 と、元気の良い返事が返ってきたのでとりあえず開けてくれとだけ伝えマンションに侵入。  
使い慣れたエレベーターにそろそろ愛着も湧きそうな自分にいったい何回使ったのかと考えているうちに七階に到着。  
インターフォンを鳴らすと中からパタパタと足音が聞こえてくる。さて、長門はさっきから何をしているのだろうか。  
きっとおれには説明できないようなお仕事で忙しいに違いない。そう結論が出たところでドアが開いた。  
「どうぞ〜」  
 部屋の中からは染み付いていなか心配になるようなカレー臭がした。本日の献立は?  
「もちろんカレーよ」  
 インターフェイスはカレーを食わないといけない決まりにでもなっているのか  
「長門さんに、何食べたい? て訊いたら、カレー、って答えてきたのよ」  
 なるほどね、で? 長門は?  
「ほら、そこ」  
 朝倉が指差した先には……  
「長門っ!!」  
 なんと朝倉を働かせて読書中の長門がいた。  
「……なに?」  
 いや、特別用事があったというわけじゃないんだが、ほら、手伝ったりはしないのか?  
「……断られた」  
「そうかい」  
「そう」  
 いったい朝倉は何を考えているのか、この命題の答えを教えてくれないとおれのちっぽけな脳みそがパンクしてしまう恐れがあるのだが。  
朝倉が台所に消えていったのを確認しつつ、  
「なぁ長門、朝倉の目的ってなんだ」  
「……それは……」  
 一呼吸置いて  
「……禁則事項、です」  
 今、大流行中のこの台詞により誤魔化された。というか目的はあるのかよっ!  
 
 様々な問題山積み状態であったのだが、台所が発信源だと思われるカレーの良い匂いにより思考停止、  
迅速に栄養接収せよとの緊急指令が言い渡された。  
「おまちど〜さま〜」  
 お盆に乗ったカレーと言う山。……あぁ、想像はしていたさ。この量を完食しなけりゃいけないんだろ?   
ぱっと見て昨日よりデカイ朝倉印のカレー山脈。いざ勝負っ!  
「「「いただきます」」」  
 綺麗にハモったなと感心しつつもカレーを口に運ぶ。と、  
「ん? 昨日より辛くないか?」  
「えぇ、だって辛口のほうが良いんでしょ?」  
 そうに違いないのだがここは長門の家であり、カレーなんてお客に合わせて辛さ調節するものではないだろうに。  
「……わたしは」  
「長門?」  
 やはり甘い方が良かったのだろう  
「お子ちゃまではない」  
 そんな意地を張ってちゃまだまだだぞ  
 
 そんなおれ的には大満足の食卓であったに違いなく、長門も満足げに無表情を浮かべている。  
食後のお茶も訓練された朝倉茶は絶品で胃にも優しく明日の朝はスッキリと目覚められそうだ。  
そして意味も無く今日のゲームで朝倉の敗因、古泉の奇跡を分析していると時間はあっと言う間に過ぎ去っていった。  
もう少し時間があればおれの敗因も分析できただろうに。いや、決して悔しいなんてことはないぞ、おれはお子ちゃまじゃないんだからな。  
「送っていこうか?」  
「心から遠慮させていただきます」  
 おまえにそんなことをされたのでは命がいくつあっても足りないからな。  
「ひっど〜い、長門さんも何か言ってよ」  
 残念だな朝倉よ、長門はな団員を危険な目に合わせるようなことはしないんだよ。  
「……送ってもらって」  
「……はい?」  
 長門さん? 冗談ですよね?  
「おねがい」  
 
 そんな長門からの珍しいお願いを断れるほど人間腐っちゃいない自分を少し誇らしく思い、今は朝倉と並んで歩いている。  
自転車に乗って一人で帰ったほうが早く帰れるだろうし、そっちの方が安全性バッチリなのはこの際突っ込まないでおく。  
朝倉も送っていくとか言いながら休む間もなくクラスのこと、学校行事のこと、そしてSOS団のことをおれに訊き続けていた。  
そんなにこの話が聞きたいなら長門と寝ないで朝まで討論すれば良いだろうに。  
「長門さん、基本無口だから必要最小限のことしか言ってくれないのよ」  
 なんて言いながら苦笑いを浮かべている。ううむ、おっしゃるとおり。  
少しの沈黙が訪れた後突然朝倉が立ち止まった。  
「どうかしたのか?」  
「……そろそろ本当のことを話そうかと思って」  
 後ろに振り返り自転車を立てて話を聞く体制を作り上げた。  
「なんだ? やっぱりおれを殺しに来たのか?」  
「ふふっ、だとしたらどうする?」  
 それっぽい顔をして、朝倉は笑っていた。  
「そんなことはないね」  
「あら、なんで?」  
「そんな気がするだけさ」  
「へんなの〜」  
 楽しそうに笑い出した、ところで本題は?  
「あぁ、もうすぐわたしは消えるから」  
 しばらくおれは声を発することも瞬きすらすることも出来ずに、ただただ立ち尽くしていた。  
 
「昨日の午前三時三十七分、わたしは情報統合思念体によって再構築されたの。名目は涼宮ハルヒの反応、  
及びその周辺に位置する人間の観察。SOS団の新しいメンバーとして潜入することにより目新しいことが観測できるであろう  
というのが上の判断。成果はいまいちってところかしら、涼宮さんたら新しいおもちゃを貰った子供みたいに  
はしゃいでくれたのは良かったんだけど期待していたほどの情報爆発は発生しなかった。  
そしてたいした成果が上げられなかった以上、わたしは転校したままの方が色々と都合が良い。  
だからこの辺一帯の記憶を消去させてもらうことにしたの。  
本当は極力涼宮さんには手出しをしたくないんだけど今回の場合はしょうがないってことで上の意見は一致しているわ。  
わたしの活動時間は四十時間の制限付き、要するに今日の午後七時三十七分、  
わたしの情報連結の解除が終了すると同時に記憶の改変が始まるわ。  
インターフェイス以外なんの例外もなく全員の、ね」  
 そう言い終えると朝倉はあの笑顔をしていた。記憶の中に残っている何ヶ月か前の上っ面だけの笑顔。時間は……あと十分  
 
「やっぱり最後ぐ「何故おれにこのことを話した」  
 平常心を取り戻したわけではないがどうにか言葉が出た。  
予期せぬおれの発言に少し驚きつつもしっかりと笑顔を作り、  
「だから最後ぐらいしっかりあいさつはしたいじゃない?」  
「記憶がなくなっちまうのにか? えらく人間的じゃねえか」  
 いつ爆発するか分からない自分の感情を抑えつつ、昨日の、今日の朝倉を必死になって思い出していた。  
細かなしぐさ、ありふれた言葉の会話、そして笑顔。長門用に特化されたおれの分析能力は騙せないぜ朝倉よ。  
「おまえだって本当は「だめよ」  
 少し大きな声を出し、安定を取り戻された。  
「わたしはあなたを殺そうとしたのよ? そんな危ないのを長く置いておくわけないじゃない。上からの命令は絶対なのよ」  
 何か無いのか、何か。朝倉が消されちまうまでの残り少ない時間内で、何か。  
「それに勝手にあなた一人で盛り上がってるだけでしょ?」  
 考えろ、ヒントになるようなことは無かったのか。すぐに他人に頼るとか言うなよ、こっちは切羽詰ってんだからさ。  
「出来ることならあなたを殺して涼宮さんの反応を試したい気持ちでいっぱいなのよ」  
 落ち着け、とりあえず落ち着け。そう、こういう時は朝比奈さんの着替えを……  
『さて、では僕らは外で待つとしますか』  
失せろ古泉、今おれは忙しいんだよ。後にしてくれ鬱陶しい。  
『そうですか? もしそうだとしたら僕の演技力もかなりの域まで達していることでしょう』  
 そうでしょうそうでしょう、さっさと消えて……ん? まてよ  
「でもせっかく再構成してくれたんだからしっかり任務は全うしないとね」  
「朝倉」  
「どうしたの?」  
「何故おれを殺そうとしたんだ?」  
「もう忘れたの?」  
 顔をしかめ、少し困った表情を作る。そして出来の悪い子供に教えるように  
「わたしは飽きてたの、なんの変化も起こらない日常にね」  
「自分の意思でそう判断したのか」  
 いっそう渋った顔を出し  
「そうよ、だから何なのよ」  
「本当におまえの独断だったのか」  
「……何が言いたいのよ」  
「あれも上の命令じゃないのか」  
「冗談、あれはわたし個人の暴走よ」  
「上の命令は絶対なんだろ」  
「反省したのよ、身を持って体験させられたからね」  
 間髪いれず笑い声を上げながら、早口で。確信が持てた、やはりか。  
「おせっかいな委員長はおまえの役割だったんだろ」  
「だからわたしは……」  
「それにさっき何故おれから色々聞きだそうとしてたんだ、そこまでする必要は無いだろうに」  
「それは……」  
「おまえ自身が興味あったんだろ? クラスに学校に、そしてSOS団……おれ達にさ」  
「…………」  
 返す言葉も見つからないらしく黙ってしまった。  
まったく、こんな人間臭い奴がよくもまぁあんな機械的な表情を維持できるもんだと感心するね。  
 
「それにな朝倉」  
 返事は聞こえず、ただただ聞き入っているようにも思えた。まだ時間に余裕はあるな。  
「ここ二日のおまえはずっと心から笑ってたぞ、あの頃の作り笑いじゃなく演技でもなく」  
「うそ……なんで……」  
「あの頃のおまえの演技力は凄かったとしても今の演技はあからさま過ぎだ」  
 おれは色々鋭い男として有名なんだよ。朝倉は驚いたような表情を浮かべている。  
まったく、やれやれ、だ。  
「おれはな、長門の無表情から感情を読み取ることが出来るし、  
古泉の安っぽい笑顔から疲労感やら焦燥感なんかも読み取ることが出来るようになったのだ」  
 ちょっとした自慢になりそうだよ。  
「長門さんの表情から? うっそ〜」  
 心底驚いているようだ。というとおれはインターフェイスを軽く凌駕してしまうほどの能力を身に着けてしまっていたらしい。  
自分の才能が恐ろしいね。  
「だからおまえの作り笑顔なんて一発さ」  
 長門や古泉に比べればちょろいもんさ。  
「あの頃は気づかなかったくせに」  
 経験不足さ  
「あれから長門さんの顔をどれくらい見てたって言うのよ」  
 それは禁則事項だ  
「ふふっ、あなたもそれ使うの?」  
 いったいどこからそのエネルギーが湧いてくるのかという眩しい笑顔が暗闇の中はっきりと輝いていた。  
「だからこのままで良いだろ、改変もなし、もちろん転校も無し、だ。残り少ない五組としての学校生活を十分満喫する」  
 どうにか笑いを止め、明るく  
「そうね、友達と学校帰りに寄り道なんかして、ショッピングなんか楽しそうね。  
アイスを食べながらの店頭の商品を冷やかしたりして、カラオケも行ってみたいな。  
流行の歌から一昔の歌を熱唱したり、誰が最高得点を出すかで勝負したり。  
で、休日は少し遠くまでお出かけしたりして、もちろん勉強も頑張るわ。  
体育祭や文化祭にも貢献しないとね、わたしは初めてだからみんなに負けないように人一倍努力しなくちゃね」  
 楽しそうに指を折りながらあれもこれもと声に出し色々考えている。  
「やりたいことが多くて困っちゃうな、でも一番欲しいものは思い出。決して消えることの無い、  
ずっとずっと心の奥底から抜け出すことの無い大切な思い出が」  
 両手を胸に当て、大切なものが指の間からすり抜けていかないようにしっかりと握り締める。  
「これから作れば良いじゃないか、高校生活はあと二年もあるんだ。イベント目白押しじゃないか」  
 朝倉は柔らかな表情で小さな子供に言い聞かせるように  
 
「でもね、ダメなの。どうあがいてもどうしようもないことはあるんだよ?」  
 暖かな笑顔で満足しているようだった。  
 
「水をさすようで申し訳ないのですがそろそろ時間なので」  
 背後から透き通るような声が聞こえてきた。  
出来れば聞きたくなかった、喜緑さんの宣告。  
「あっ……」  
「朝倉っ!」  
 ひざから崩れるように倒れこむ朝倉を地面と衝突ギリギリで支えることが出来た。  
「どうせ消えるんだから放っておいても良かったのに……」  
「そんなこと出来るわけないだろ」  
 今、おれのひざの上にいる朝倉は面倒くさそうに呟いた。  
「喜緑さん、どうにもならないんですか?」  
 うつむいて返事は聞こえない。あぁ分かってるさ、無理なお願いなんだろ。  
「やさしいんだね。……あ〜あ、もう少し普通の女子高生やりたかったな〜。  
美味しいもの食べて、みんなでおしゃべりして、そう、恋愛も頑張ってみたかったな〜。  
わたしをしっかり理解してくれる彼氏とか……」  
「出来るさ、おまえは人気者だし可愛いからな。老若男女問わず大人気だ。  
おれと話している時間がもったいないと思うくらいの大忙しだ」  
 そうだろ、楽しい学校生活が待ってるんだ。こんな所で倒れてる場合じゃない。  
それに次の不思議探索はおまえの奢りなんだぞ、ばっくれようったってそうはいかないからな。  
喫茶店で盛り上がって、組み分けして、たまにずるなんかもして、わりと充実した休日になるんだぜ……  
そうだ、明日はおでんがいいな。きっとおまえの作るおでんはおいしいんだろうな。  
大丈夫、味はおれが保障する。  
長門だってたくさん食べてくれるさ。  
自分の取り分が無くならないように注意しないとな。ははっ  
……だからさ、朝倉。帰ろうぜ……ほら、まずはちゃんと自分で立とうとして、手を貸してやるよ。  
なんだったら特別におぶってやってもいいぜ。早く帰らないと長門が心配しちゃうだろうしな、  
なぁ、朝倉……  
 
 朝倉は幸せそうな表情を浮かべ、ただただ眠るような声を出して  
 
 
   「ありがとう」  
 
 
「キョンくん、キョンくん」  
 ぼんやりとした頭が少しずつ覚醒していき、微妙な違和感に包まれる。  
が、その違和感の正体を瞬時に解析することが出来る寝起きの良さに驚きつつも、妹の頭をなでてやる。  
「えへへ〜」  
 流石に昨日の説教でこりたらしく優しく起こすという新技を体得してくれたようであり、何か特別な朝のような気がしてならない。  
そんな珍しく朝から寝起きばっちり、頭すっきり状態の登校であるのだが、なぜかちらちら頭の中を過ぎる昨晩の夢。  
内容はほとんど覚えてなどいないのだがたった一つだけしっかりと記憶に残っているものがある。  
海辺で作った砂の城のようにいつ崩れるかも分からないといった表情を浮かべる少女の顔。  
記憶自体曖昧になっているので誰だったかは思い出せないのだが、そんな表情と裏腹にナイフのように鋭く、  
決して何事もあきらめてはいないといった瞳がおれの心の奥底に居座り続けている。  
その表情と瞳を思い出そうとすればするほどたかが夢だというのに何かとっても大事なものが  
心の中からすっぽりと抜き取られてしまったような消失感に包まれる。  
気分が悪く、足取りも重い。  
 
 さっきまでのさわやかな朝はどこに行ってしまったのかというくらいの変化に参っている。  
「おはよ〜」  
 そんなどん底状態のおれに背後から明るい声が伝わってきた。  
「……おっす」  
「また〜? こんな天気の良くてポカポカしている朝からそんなんだとお日様機嫌悪くなっちゃうよ?」  
 ほっといてくれ  
「あっ、今日も日直なんだ」  
 昨日日誌だし忘れちゃって、なんて付け加えながら  
「先行ってるね」  
バシッ!  
 そう言い残して駆け出していた。  
 おれの背中を叩いて  
「いてぇなっ!」  
「ふふっ」  
 満面の笑みで軽やかに駆けていく少女。転向する以前もなんら接点は無かったのだがやたら強く印象に残っているのはなぜだろう。  
きっと谷口の美的ランクが高すぎたからか、谷口があいつに話しかけられてはテンションを上げていたから、  
もしくは谷口があいつの転校後も頻繁に名前を出しては惜しいことをしたと意味の分からないことを言っていたうちのどれかであろうと  
答えが出たときには、綺麗さっぱり心の奥底に居座っていた奴らが一斉にお引越しを始めたようでよりいっそう空っぽになった気がした。  
 あいつの言う通り雲一つ無く青々とした空から暖かく、柔らかな日差しが降り注いでいてとても心地良く、  
背中へのビンタにより弾き出された重い枷のようなものが春一番により大空へと霧散していくのを感じながら、  
なに、空いちまった隙間にはそれ以上のものを適当に詰め込んでやれば良いのさ。  
適当と言っても飛びっきりのすんごいやつを厳選してぶち込んでやる。  
そう心に誓い、すでに見えなくなった背中を追うように再び歩き出した。  
急かすように押し続けている追い風を受けながら一歩一歩長い坂道を登っていく。  
 
どこまでも歩いていけそうなこの軽やかな足取りをおれは決して忘れない。  
 
 

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル