「…………………」  
「──────ッ」  
ふぅ、やっちまった。  
部室の入り口。ノックのし忘れ。着替える途中の朝比奈さん。まったくもって、お約束通りだ。  
ちょうど、裾がやや短めな紺色のスカートに足を通そうというところか。  
驚きに目を見開いた普段は愛くるしいはずの童顔、それとは対称的に自己主張する豊かでたわわな形の良いバスト。  
下には、窓から入り込む光を柔らかに照りかえらせる純白のトライアングル。  
やや面積が小さめで、何よりも微妙に食い込んだ逆三角形の頂点をしっかりと目に焼き付ける。  
「───ひぅ」  
そろそろ潮時だな。これまでの視覚情報を全て静的記憶領域に刻み込んで、ため息を付きながら扉を閉める。  
と、一拍遅れて響く悲鳴。そしてえぐえぐという嗚咽。  
扉を背もたれ代わりにしてその場で腰を下ろす。あの調子だと立ち直って着替えるまでに、もう少し時間がかかるだろう。  
今日の俺はどこか浮き足立っているのかもしれない。  
薄っぺらい鞄に目を落とす。  
問題のブツはその中にある。透明なプラスティックケースに入った、虹色の光沢を放つ銀盤。  
凡そ600〜700メガバイトの情報量を保存することのできる記憶媒体。平たく言えばCDだ。  
背にした扉が開けられるようになるまで、少しばかり回想に浸って時間を潰すとしよう。  
 
 
そもそもことの始まりは昼休み。昼食を食い終わり、小用をたして教室に戻ってきた時のことである。  
俺の席の近くで毎度の事ながら駄弁っている国木田と谷口の様子が、いつもとは微妙に異なっていたのだ。  
どういう風にと問うならば、コソコソしている、という表現がぴったりだろう。  
谷口の手にはプラスティックケースに入った真新しげなCDが二枚。教室の隅という位置を利用して周りには影になるように、  
しかしあくまで自然を装った巧みな態勢でそれを国木田へ渡した───ところを俺は見逃さなかった。谷口め、中々手馴れている。  
近寄って二人に声をかける。  
「何コソコソやってんだ?」  
「──お、おう。早かったな」  
「快食快便が健康の秘訣だ」  
「ははっ、ちゃんと手は洗ったのか?」  
おろおろする国木田とは逆に、谷口の方は少しの動揺もしていないようだった。  
「当たり前だろ──って、んなことはどうでもいいんだよ。それで、何だそれは?」  
言ってCDの入ったケースを指す。まぁ、思春期真っ盛りの男子高校生が周囲を気にしつつ交換するブツなんぞ、大抵の予想はつくが。  
「バレたか。やっぱキョンには隠せないなー、このスケベ」  
谷口が悪びれもせず言う。しかし、人をいきなりスケベ呼ばわりかい。  
「しょうがない、キョンにもやるよ」  
二枚のうちの一枚を俺の手に握らせる。だから一体これは何なんだっての。  
「察しはついてると思うが、アレだよ。ア・レ」  
「なるほど」  
男同士の間には言外の意として通じるものが多々ある。無論、女同士でもあるのかもしれないが、俺は男だからそれがどういうものかは知らない。  
後者はさておいて、どうやら俺の予想は正しかったようだ。  
「んで、どういう風にアレなんだ?」  
「18歳未満お断りなパソコンゲーム」  
つまりエロゲーか。  
「身もふたもない言い方すんなよ…」  
「そ、それじゃ、あ、ありがとな」  
国木田は渡された一枚を持って、とっとと退散していった。あいつはどうもこの手の話を二人以上でするのは苦手な面があるからな。  
ウブというか小心者というか…。  
 
「いいのが手に入ってさ。仲間内にも分けてやろうとおもって」  
「一般的なのと違うのか?」  
「ジャンルは普通に館モノでメイド陵辱系なんだが…」  
言葉をきって、勿体つけるようにそろそろと耳に口を寄せてくる。  
どうでもいいが、館モノとかメイド陵辱とかを普通と言えるお前って何か凄いよな。  
「………。とにかく、…………ないんだよ」  
何が? もっとはっきりと言ってくれ。  
「わかんねーかなぁ。我々、健全な青少年の人体の神秘における知的好奇心を阻害せし諸悪の根源がないんだ」  
……つまり、モザイクがないってことね。  
「だから、身もふたもない言い方すんなっての…。まー、ぶっちゃけそういうことだ」  
「でも、俺んちのパソコンって家族供用だからなぁ。置いてある部屋も居間だし」  
「夜中にやればいいだろ」  
「もし家族に見つかったら自殺もんだ」  
「んじゃ、いらないか?」  
それももったいないな────あ。  
そこで思い出す。あるじゃないか。やりようによっては一人で出来て、うちにあるのよりずっとハイスペックな最新機種のパソコンが。  
「いや、ありがたく貰っておく。当てが見つかった。…でもいいのか?」  
「何が」  
「これってそれなりにいいもんなんだろ?」  
「ひひ、どうせ焼いた奴だからな。別にいいさ。存分にオカズとして使ってくれ」  
貰っておいて言うのもなんだが、お前って時々かなりオヤジチックに下品になるよな。  
「ほっとけ」  
 
「ちょっと!」  
 
おわっとっと!!  
 
突如間近で発せられた女子の声に谷口と俺は仰天した。  
ヤバ───って、何だハルヒかよ。  
「ご挨拶ね」  
「まぁ、それはおいといて。何だ、用事か?」  
それとなく話を促して、注意をCDに向けないようにする。谷口はと言えば───ずりずりと後退りし始めていた。  
両手を合わせて、すまん、という意を表した後に、素早く教室から撤退していく。…やっぱ苦手なんだなぁ。  
「用があったから呼んだに決まってるでしょ。一回呼んだら、返事ぐらいしなさいよ」  
他には(谷口のことだが)目もくれず、まっすぐに俺を見詰めてくる。  
整った顔立ちの象徴───長い睫毛を侍らせる大きな黒い瞳はややきつめ、通った鼻筋の下にぷっくらとした淡桃色の唇を尖らせ、拗ねた表情をしているといえなくもない。  
肩口に掛かるぐらいの艶やかな髪を指で弄くるしぐさが、それを助長していた。  
ほんっとーに黙ってるだけなら、美少女高校生なんだけどな。  
「悪い悪い。で、用事って?」  
「今日は部室に行かないから、あんた最後まで残って戸締りしておいて」  
「戸締り?」  
「最近、部室荒しが横行してるらしいのよ。だから最低限の自衛くらいはちゃんとしておかないとね」  
そういえば朝のホームルームでそんなことを言ってたような気がするな。野球部のバットの本数が足りないとか、美術部の絵がなくなっていたりとか、相撲部のまわしが───っと、ちょっとまてよ?  
ふむ…。考えればこれは願ったりかなったりなんじゃないだろうか。「戸締りの確認をする為に」と最後まで残っている正当な理由ができる。  
俺は最近巷で流行っているの部室荒しを未然に防ぐため、部室に最後まで居残って丹念なる戸締りの確認をせねばならないのだ。  
うん、犯罪許すまじ。  
降って湧いたこの機会、うまく活用させてもらうとしよう。  
「それじゃ頼んだから」  
ハルヒがそう言ったと同時に、狙ったかのようなチャイムが昼休みの終わりを告げたのだった。  
 
 
こんこん。  
背中に感じた控えめなノック。意識が現実へと引き戻される。  
「……あ、あの……もう、大丈夫です…」  
その場で起き上がって、んーっと伸びをしてから扉を開ける。そこにはすっかりどこから見てもメイドさん、という姿の朝比奈みくるちゃん17歳(?)がこちらを伺っていた。  
目と目が合う。  
幼げな───俗っぽい言い方をすればロリロリなその顔を潤んだ瞳と桃色に染まった頬が彩り、いつもは緩やかなカーブを描いている細身の眉が  
今は八の字になっていじめて光線を放射。俺のうちに秘められた嗜虐心を煽る───っといかんいかん。  
「えーと、すみませんでした」  
とりあえず謝っておく。  
「いえ……その、わたしも不注意でしたから…鍵かけてなかったですし……」  
そう言って顔を俯けた拍子に、ふわふわのウェーブかかった栗色の髪の隙間から、普段は隠れて見えないやわらかそうな耳がちらりと覗く。  
うわ、耳まで真っ赤だよ、朝比奈さん。  
何故か俺も気恥ずかしくなって、照れ隠しにと部室内を見回す。  
いつもの定位置に、いつものようにパイプ椅子に腰掛け、いつもと同じ分厚いハードカバーの本を長門有希が読んでいた。  
珍しいことに一瞬だけ、ちらっと此方に視線を送って、すぐに戻す。  
む?  
何気ないその視線。しかし、気のせいだろうか。俺にはそれが非難めいたものであるように思えた。  
……俺、何か悪いことした? いや、まあ、結果的にはしたことになるんだろうか。───もう一度、心の中で謝っておこう。  
すみません、あなたの犠牲はしっかりと活用させてもらいます。  
「あ、あの……お茶飲みます…よね?」  
「え? あ、はい」  
「じゃあ、煎れてきますね。座って待っててください」  
先ほどより調子を取り戻した朝比奈さんは、手馴れた風にせっせとお茶を煎れ始めた。  
 
適当なパイプ椅子に腰をかけ、その様子を何とは何しに眺める。さきほどとは打って変わって鼻歌混じりに作業をこなすその姿は、  
メイドとはこの人のためにある、とでも言わんばかりの似合いようである。  
お茶の葉を取ったり、湯を沸かしたりと、動くたびにふるふると揺れるエプロンドレス───  
強いてはソコから覗く、掴めばしっとりとしていつつも張りのありそうなお尻。  
「メイドスキー」  
なぬ?  
「どうしました?」  
突然の無感情な声に間の抜けた返事をしてしまう俺。  
「朝比奈さん……何も言ってないよな?」  
「はい。言ってませんけど…」  
と、なると、当然ながら声の主は───しかし、ちょうど俺の後ろに位置する長門は俺に背を向ける格好でハードカバーに目を落としたままだった。  
あの長門がぐるりと後ろを向き、俺の様子を確認して言ったとは考え難い。  
後ろに目でもあるのだろうか? いや、なくてもこいつならわかりそうなものだ。何せ、何たらかんたら体のなんとかかんとかインターフェースらしいし。  
「情報統合思念体のヒューマノイド・インターフェイス」  
そう、それだ。───って、おや?  
「…………」  
相変わらず長門は本を読んでいる。  
気にしないことにした。深く考えると怖いことになりそうだったしな。  
「はい、どうぞ。お茶です」  
「あ、ども」  

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