薄暗い病室の中、あたしはずっと待っていた。  
視線の先のあいつは暢気に規則的な寝息を立てている。  
本当に、ただ眠っているだけにしか見えない。  
 
「いつまで寝てんのよ…」  
 
返事はない。  
これが何度目の呼びかけだったろう。  
だけど、あたしの声に返事が返ってくることはなかった。  
 
もう、どれくらいあいつの声を聞いていないんだろう?  
聞きたい。 ただ、茶化すようなふざけた言葉だっていい。  
あいつが返事をしてくれるなら、それだけでいい。  
 
「あたし、いつまで待ってればいいのよ…バカ…」  
 
セリフの最後はもうちゃんと言葉になっていなかった。  
悲しみと後悔が胸を締め付ける。  
何でこんな事になってしまったんだろう…。  
 
あたしの瞳からはまた涙がこぼれ落ちた。  
 
 
事件は忘れもしない、あの12月18日の放課後のことだった。  
 
SOS団クリスマスイベントの会議を終え、その準備の買い出しをするため部室を出た直後。  
あたしにとっての悪夢の始まりであった。  
 
意気揚々と階段を下るあたしの横を何か大きなものが転がり落ちていく。  
はじめは何が起こったのかよくわからなかった。  
しかし、目で追うそれが何であるか認識したとき、あたしの思考は停止した。  
───認識したくなかったのかもしれない。  
 
踊り場に倒れる見慣れた制服の男子。  
派手に階段を転げ落ちたその人物は不格好にうつぶせに倒れ、ピクリとも動かない。  
とっさに振り返り、あたしは彼らに対処を呼びかけようとした。  
その場にいた全員が凍り付いていたように思える。  
 
だけど、その人数は明らかに一人少なかった。  
 
目を見開き、唖然とするみくるちゃん。  
いつもの無表情を崩し、険しい顔をしている有希。  
見たこともないような焦りの色を浮かべる古泉くん。  
 
でも、そこにもう一つあるべきはずの顔が存在していなかった。  
 
あたしはもう一度振り返り、床に倒れる人物を確認しようとした。  
あたしの心は必死に否定しようとする。嘘であって欲しかった。  
 
顔は見えない。  
だけど、その背中はあたしが一番よく知っている背中。  
この半年間、ずっと見続けてきたあの…。  
 
認めたくなかった。  
目の前で起こった一瞬の出来事を認めたくなかった。  
だけど、状況は冷徹な事実を告げている。  
 
階段から転げ落ちた男子生徒。  
周りにはあたしたちの他、誰もいなかった。  
だけど、振り返ったあたしの視界からは一人の人物がいない。  
いるべき人物が、いなきゃいけない人物が私の視界から消えていた。  
 
いや、視界から消えたわけじゃない。  
そいつは、今…。  
 
「嘘」  
 
嘘だ。  
そんなわけがない。そうであって欲しかった。  
 
ガクガクと膝が震え出す。  
認めたくない。嘘であって欲しい。  
最悪の状況があたしの脳裏によぎる。  
だけど、あたしは確かめずにはいられなかった。  
 
「キョン!」  
 
あたしは弾かれたように倒れている男子生徒のそばへと駆け下りた。  
先に駆け寄っていた誰かを突き飛ばし、あたしはその男子生徒の顔を恐る恐る確かめる。  
 
「………ッッ!!!」  
 
嘘だ。  
これは何かの間違い。そうであって欲しかった。  
だけど、あたしの目の前で倒れている人物は紛れもなく想像したとおりの人物。  
何で…? 何でなのよ!?  
誰がこんな事を!?  
 
「誰かがキョンを突き飛ばしたのよ! あたしは見たわ!」  
 
あたしは振り返ると階段の上を指差して叫んだ。  
さっき、みんなに振り返ったとき、微かに誰かの気配を感じたのだ。  
間違いじゃない。  
みんなも同じように一斉に階段の上を振り返る。  
 
「有希、見なかった?」  
「知らない」  
「でも、確かに…!」  
 
有希の否定の言葉。同じように他の二人からも肯定の言葉はない。  
でも、確かにあたしは見たんだ。  
あたしは歯噛みすると階段を駆け上がろうとした。  
 
「涼宮さん、待ってください!」  
「なによ! 離してよ! あたしは犯人を捕まえなくちゃいけないの!」  
「落ち着いてください! 今は彼の状態の方が深刻です!」  
「離して! あたしはキョンの敵を取るの! 離して! 離せ!!」  
 
誰かが全身を使ってあたしを押し留める。  
もう自分が何を言ってるかよくわからなかった。  
周囲の言葉もよくわからない。  
 
なんとなく、遠くから救急車のサイレンの音が近づいて来ているような、そんな気がしていた。  
 
気がつくと、あたしは頼りなげな明かりの灯る廊下に突っ立っていた。  
目の前には集中治療室の表示が点灯中している。  
 
なんで…こんなことに…。  
 
周囲には誰もいない。  
だけど、扉の向こうにはあいつがいるんだろうって事は理解出来た。  
頭の中はまだまだ混乱しているけど、だんだん整理がつき始めている。  
理性が理解を深めると同時に、あたしの心に怒りが満ち始めていた。  
 
誰が? 何故? どうしてこんなことを!?  
 
やり場のない怒りに、手のひらに爪が食い込むほど拳を握りしめる。  
許せない。 絶対に許せない。  
 
だけど、今はそんなことよりもあいつのことが大事だった。  
無事でいて欲しい。 ただただ無事でいて欲しかった。  
脳裏にあいつが階段を転げ落ちていく光景が蘇る。  
まるで人形のように首から転げ落ち、頭を打ち付け、ピクリとも動かなくなった姿。  
冷静に考えれば、即死もあ  
 
そこまで考えてあたしは頭を振った。  
何を考えてるんだ、あたしは。 そんなこと考えちゃいけないのに。  
今はただ、あいつの無事を祈るしかなかった。  
 
やがて表示されていたランプが消え、ゆっくりと治療室のドアが開く。  
あたしはすぐに部屋の中へと駆け込もうとした。  
しかし、誰かがまた邪魔をしてきた。  
 
「待ってください、涼宮さん! 落ち着いて!!」  
「キョン! キョンはどうなったのよ! 離せ! キョンに会わせてよ!」  
「落ち着いて、涼宮さん! 落ち着いてください!!」  
 
私は怒りの矛先を止めに入った誰かに向けていた。  
何故、邪魔をするの!?  
あたしはキョンの無事を確かめなきゃいけないのに!  
 
「落ち着いてください! 今、僕が確認してきます。 今のあなたでは冷静に物事を判断することは出来ないでしょう。  
 すぐ戻ります。 落ち着いて待っていてください、いいですね?」  
 
諭すような誰かの声にあたしは少し冷静さを取り戻していた。  
思えば、聞いたことのある声のような気がする。  
 
今は待つしかない。 答えが示されるのを待つしかないんだ。  
あたしは怒りと共に自分の無力さを感じ始めていた。  
こんな時になっても、あたしは何も出来ない…そんな無力さに悲しみが心の中に満ち始めていた。  
 
しばらくして、また治療室の扉が開く。  
あたしは部屋から出てきた人物へと一目散に駆け寄った。  
 
「ねえ、キョンは!? キョンはどうなったのよ!? 早く答えなさいよ!!」  
「まあまあ、ちょっと落ち着いてください。彼は無事です」  
 
……無事?  
そんな馬鹿な。 あれだけ派手に転げ落ちて無事?  
誰が見ても即死してもおかしくない落ち方だったっていうのに?  
 
「そう、無事です。一通り検査して、異常は全く見つかっていないそうです」  
 
無事。  
何か引っかかるところがあるとは言え、その言葉を聞いただけであたしはへなへなと座り込んでしまった。  
緊張が一気に解け、全身が脱力してしまったように動かない。  
不安が安堵へと変わっていく。  
そして、目の前で説明してくれていた人物が古泉くんであり、隣にはみくるちゃんや有希がいたことをようやく気づくことが出来た。  
あたしは自分があり得ないくらい取り乱していたことをようやく思い知らされていた。  
 
僅かに時間をおき、搬送用の扉からストレッチャーに乗ったキョンが運び出されてきた。  
あたしは跳ね起きると呼び慣れた名を叫び、そばに駆け寄る。  
確かに、目を閉じたままだが顔色は悪くない。  
それだけでも心の平静を取り戻させてくれた。  
 
キョンは無事だった。 ただそれだけが嬉しかった。  
 
 
でも、事態はまだ収拾してはいなかった。  
 
「どういうことなのよ!? キョンは無事だったんじゃないの!?」  
「ですから、無事なんです。 内外共に至って正常です…傷一つありません」  
「じゃあ、どういうことよ!?」  
「それが…よくわからないんです。 原因不明の昏倒状態としか…」  
「なにそれ…原因不明!? あんたたち、それでも本当に医者なの!?」  
 
キョンの正確な状態を聞き、あたしはまた担当医に食って掛かっていた。  
キョンはベッドに寝かされたまま、規則正しい寝息を立てている。  
でも、いくら呼びかけようとも目を覚ますことはなかった。  
 
なによ、これ…まるっきり植物人間じゃない…。  
 
「そうですね…そう表現するのが一番妥当でしょう。 我々としても出来る限りの手を尽くしますが、なにぶん原因がわからないことには…」  
 
医者どもの無責任な物言いに、あたしはやり場のない苛立ちを感じていた。  
外傷がなかろうとキョンが目覚めないなら意味はないんだ。  
あたしの心にまた黒い雲が覆い始める。  
もし、このままキョンが目を覚まさなかったら…。  
不意に視界がぼやけていく。  
 
嫌だ。 そんなの絶対に嫌。  
 
あたしの脳裏に憎まれ口を叩くキョンの姿が走馬燈のように過ぎっていく。  
それを煩わしいと思うときもあった…だけど、今はそれが無性に恋しかった。  
何気ないやりとりだったのにあたしはこんなにもキョンとの時間を大切にしていたんだ。  
取り戻したい。 あの無為に過ぎていくだけに思えていた時間を。  
あいつと過ごしてきた、あの時間を。  
 
だから、あたしは一つの決心を決めた。  
 
「付き添うわよ!」  
 
キョンは目を覚まさないかもしれない。  
 
「キョンが起きたとき、誰もいなかったらかわいそうじゃないのっ! だから付き添うのっ」  
 
だけど、あたしはそんな最悪な未来は信じたくなかった。  
 
「付き添いは、この病院に……」  
「ダメ。あんたたちは、交代で見舞いなさい。あたしは団長だから二十四時間付き添うわ!」  
 
改めて、ここに一つの決心をする。  
キョンが目を覚ますまで、ずっとそばにいる。 そばにいて目を覚ます時を待つ。  
あたしは医者と団員たちにそう宣言した。  
 
「じゃ、お見舞いの順番を決めなさい! あたしは、泊り込む準備をしてくるわ。 それまでに決めときなさいよ!」  
 
いつまでかかるかわからない。  
だけど、あたしはそれでも何かをせずにはいられなかった。  
 
ただただ、キョンが再び目を覚ますことを願いながら。  
 
 
それから、あたしたちのキョンの看病生活が始まった。  
 
みくるちゃんたちは昼間は交代で見舞いに来てくれている。  
交わす言葉は少なかったけど、全員がキョンの無事を願っていてくれた。  
キョンの家の人や鶴屋さん、アホの谷口たちも見舞いに来ていた。  
無理をするなという言葉も貰ったけど、あたしは無理をせずにはいられなかった。  
今、この場を離れてもあたしは何も出来ないだろう。  
いや、ここにいても何も出来ないということはわかっている。  
 
それでもそばにいて、この寝坊助男が目を覚ますところを一番に見たかった。  
起きたらたっぷり文句を言ってやる。  
寝続けた時間分だけ文句を言ってやろうかと、あたしは不謹慎なことを考えていた。  
 
あたしは他の付き添いの人がいる時間は持ち込んだ寝袋で寝て、夜中寝静まった病室でキョンの目覚を待つ。  
そんなサイクルが続いていた。  
 
しかし、最初は楽観視していた気持ちも時間の経過と共に陰りを帯びてくる。  
昏倒状態は長引けば長引くほど、回復される見込みが減っていくのだ。  
泊まり込んで二日を過ぎた頃、あたしの心は焦り始めていた。  
 
ひょっとしたら、このままキョンは目を覚まさないのかもしれない。  
未だ眠り続けるキョンの寝顔を見ながらあたしはすっかり弱気になっていた。  
 
「バカ…いつまで寝てんのよ…寝坊は罰金っていったじゃない…」  
 
点滴の繋がった手を握り、あたしはぽつりと呟いた。  
相変わらず、反応はない。  
こんな事件を引き起こした犯人に恨みはあるけど、今はそれは考えないことにした。  
ただただ、一心にキョンの目覚めることを祈り続ける。  
まだまだやり残したことはたくさんあるんだ。  
 
「もうすぐクリスマス会なのよ? あんた、わかってんの?」  
 
クリスマスには自慢の料理を食べてもらって、驚かせてやろう。  
こう見えても料理は得意なのよ?  
そのあとは変な芸でも見せて貰おうかしら。  
それから、まだ言ってないけど年末は年越しで雪山合宿なのよ。  
今回もまた古泉くんの推理大会があるみたいだから、競争ね。  
夏の時はあんたに先を越されちゃったけど、今回はあたしが先に謎を解き明かしてやるんだから。  
年が明けたら初詣もSOS団総出で出撃よ。  
成人式は関係ないから次のイベントは節分ね。  
…バレンタインデーにはちゃんと上げるわよ、どうせあんたにチョコくれる相手なんていないんだし。  
でも、ホワイトデーには倍返しなんだからね。  
 
………  
……  
…  
 
キョンの腕を握りしめ、もしかしたら来ないかもしれない未来像を語りかける。  
語りながら、あたしの頬にはいつの間にか涙が伝っていた。  
ふと、未来像の中にキョンがいないことを想像してしまう。  
 
「ねぇ、あんたいつまで寝てんのよ…」  
 
早く目を覚まして欲しかった。  
何よりもキョンが隣にいる未来が見たい。  
そばにいて、いつもの調子で文句を言いいつつもつき合ってくれるその姿を見たい。  
 
いま、改めて自分の中にあるキョンの存在の大きさを痛感していた。  
あたしはずっと前から心の中に燻っていた火種の正体にようやく気がつくことが出来た。  
あたしはこんなにもキョンのことを大事に思っていたんだ…。  
 
ふと、あの不思議な夢のことを思い返す。  
いつもと違う夜の学校で、キョンに手を引かれて巨人から逃げながら走ったあの妙にリアルな夢。  
初めて体験する不思議な出来事と、あたしの手を引いてくれるキョンの背中。  
それはあたしの願望そのものだったんだ。  
そして、その夢の終わりであたしは初めてキョンのことを異性として認めた。  
それこそがあたしの中に燻っている火種。  
 
「………」  
 
あたしはいつもつけているリボンをほどき、髪を後ろでまとめていく。  
 
「ポニーテールでも何でもやってあげるわよ…」  
 
少しずつ伸ばしてはいるけど、やっぱりまだまだ長さは足りない。  
頑張ってみてもテールとは言い難い髪型にしかならなかった。  
 
「ねぇ、早く起きてよ、キョン…。 あたしを見てよね…」  
 
もはや一時の気の迷いなんかじゃない。  
あたしの心はすっかりキョンに奪われてしまっていたんだ。  
もう、キョンのいない生活なんて考えることは出来ない。  
キョンのいる日常こそがあたしにとっての必然になってしまっているんだ。  
だから、キョンには目を覚まして欲しい。  
目を覚まして、あたしのことを見つめて欲しい。  
 
あたしは眠り続けるキョンの頬に手を添え、そっと顔を近づける。  
微かな吐息を感じ、彼が生きているという事を確かめ、少し安心する。  
 
「早く目を覚ましなさいよ…。 物語じゃこれで目を覚ますのが当たり前でしょ…?」  
 
ゆっくりとキョンの顔に近づくあたし。  
そして、あたしは目を閉じるとその唇にそっとキスをしていた。  
 
 
「ねぇ、有希。キョンにキスしたら、目が覚めるかしら」  
 
夜が明けて有希が来たあと、あたしは短いポニーテールを指先で弄びながら、おもむろにこんな事を言い出していた。  
我ながら相当疲れていたんだと思う。  
有希からの返事はないがあたしは気にせず話続けていた。  
 
「でも、男女逆でもいいんじゃない?」  
 
それはあたしの希望的意見。  
でも、実際は何も起こらなかった。  
現実は非情であり、物語のお約束なんかがその通りになるわけがない。  
あたしは溜息をつくと、未だに眠り続けるあいつの顔を見る。  
 
あたしがたった一度だけ奇跡を起こせるなら、もう願い事は決まっている。  
 
キョンに目を覚まして欲しい。  
ただただ、それだけが今の私の願いだった。  
 
「もう、こんな気持ちなんてしたくない…」  
 
あたしにはまだやり残したことがある。  
そしてそれはキョンが目を覚まさなきゃ始まらないんだ。  
こんな事になってようやく気づけた自分の想い。  
認めたくなかったけど、火種はすでに炎となって燃え上がっていた。  
心を焦がすほどの切なさが胸を締め付ける。  
 
「キョンのバカ…早く起きてよ…」  
 
言えない気持ちがどんどん胸の中で溢れていく。  
キョンが起きたら、ちゃんと気持ちを伝えようかな…。  
 
再び悲しみが胸を埋め尽くすのと同時に、泥のような睡魔が襲ってきた。  
少し、疲れたな…。  
あたしは有希にキョンのことを任せると燃え尽きるように眠りに落ちていった。  
 
………。  
なんだろう、誰かに顔を引っ張られているような気がする。  
ゆっくりと目を開き、その視界にいた人物が誰かわかると私の意識は一気に覚醒した。  
 
「あっ!?」  
 
思わず飛び起きようとしたけど、寝袋に入っていることを忘れていたせいであたしは不格好に転がった。  
でも、そんなことを気にしちゃいられない。  
あたしはもどかしげに寝袋から這い出すと急いで立ち上がり、可笑しそうにあたしを見ている人物に指を突きつけた。  
 
「キョン! 起きるなら起きるって言ってから起きなさいよ! こっちだってそれなりの準備があるんだからね!」  
 
あたしはそれが夢じゃないことを確認すると一気にまくし立てた。  
他に何か言いたいことがたくさんあったはずなのに、いの一番に出た言葉はこの寝坊助に対する文句だった。  
 
「ハルヒ」  
 
何日ぶりかに聞く、あいつの声。  
今となっては懐かしく、そして、とても待ち遠しかったあたしを呼ぶ声。  
たとえ、その後に続くセリフが茶化すような言葉であっても、あたしにはそれが何より嬉しかった。  
 
「心配かけたようだな。 すまなかった」  
 
そうよ。 あんた、あたしにどんだけ心配かけさせたと思ってんの?  
そんな安っぽい言葉だけじゃあたしは満足しないんだからね!  
 
「わかってるよ、延滞料込みでいくら払えばいいんだ?」  
 
そんな皮肉めいた軽口も今となっては何より嬉しかった。  
ようやくあたしの日常が帰ってくる。  
そう思うだけであたしにとっては何よりの見返りになった。  
 
止まり掛けていた時間は再び動き始めたんだ。  
まずあたしはこれからの予定をキョンに言いつけることから始めることにした。  
当然、あたしをこんな気にさせた慰謝料もしっかり払ってもらうけどね。  
 
しばらくキョンと話していると主治医が駆けつけてきた。  
一通り問診を済ませて異常がないことは確認したけど、なんでももう一度検査が必要らしい。  
とりあえず、大丈夫だろうがあと1日は様子見で止まっていく必要があるとのことだった。  
 
「起きてんなら看病の必要はないわね。 明日、ちゃんと来なさいよ!」  
 
帰り際、あたしはキョンにそう言いつけるとみくるちゃんたちと一緒に病院をあとにした。  
泊まり込んでいたため荷物があったあたしは古泉くんに送られてタクシーに乗っている。  
ようやく緊張が解けると同時にどっと疲れが押し寄せてきていた。  
 
「涼宮さん、お疲れ様でした」  
「うぅん。 古泉くんにもいろいろ世話になっちゃったわね」  
「いえ、副団長として当然のことをしたまでです」  
「みんなを代表してお礼を言っておくわ、ありがとう」  
 
そういってあたしは頼りになる副団長に深々と頭を下げた。  
実際、何から何まで手配していてくれた古泉くんには本当に感謝していた。  
言葉では表せないくらいの借りが出来てしまったように思える。  
 
「やめてくださいよ、涼宮さん。 僕は団員としての仕事をしたまでです」  
「うん、でも」  
「いいじゃないですか。 彼も無事に退院することが出来るようですし」  
「そうだけど」  
「それに、あなたも今回の件でいろいろ気づいたこともあるようですしね」  
「えっ…?」  
 
古泉くんの思わぬ言葉にあたしは目を丸くする。  
彼はあたしを見ることなく、いつも通りの笑顔のまま言葉を続けた。  
 
「あなたもようやくご自分の気持ちに気づけたようですし、良かったじゃないですか」  
「…なっ!?」  
「隠さなくてもいいですよ。 僕はこう見えて口が堅いんです」  
 
すっかり見透かされていたんだろうか?  
急に気恥ずかしくなって顔色を悟られないようにあたしは窓の外に顔ごと目を向けた。  
いつの間に気づかれていたんだろう?  
いや、あたしだってようやく気づけたことだというのに。  
 
「あなた方自身が気づかれていなかったと言うことはとてもいい関係だったんでしょう。  
 何しろ、意識せずに求め合える関係なんて滅多にないですから」  
「そ、そんなんじゃ…!」  
「僕としてはむしろ涼宮さんを応援しています。 彼はああ見えて誠実ですしね」  
「むぅぅぅぅ〜〜〜」  
 
もはや誤魔化せる感じではないのであたしは返事を返すのをやめ、そっぽを向いた。  
これ以上、古泉くんの言葉を聞き続けるのは恥ずかしさが増すばかりにしかならないだろう。  
古泉くんはまだ何か言っているようだったけどあたしはもう聞き流すことにした。  
 
でも、確かに彼の言っていることは事実だ。  
あたしがキョンのことをすっかり本気になってしまったという事実。  
それはもう間違いようのないことだった。  
 
恋愛なんて一時の気の迷いだって、そう思っていた。  
だけど、一時の気の迷いじゃない事だってあるんだ。  
 
この半年で育んでいた不確かな気持ちはここに確かな気持ちへと成長した。  
キョンはどう思うんだろう?  
あたしが恋してるなんておかしいと思う?  
でも、こんな気持ちになったのはあんたのせいよ。  
 
未だに縛りっぱなしだったポニーテールを弄りながら、そんなことを考えていた。  
 
 
窓に映るあたしはころころと表情を変える。  
それはあたしの中に芽生えた不安定な気持ちを物語るように。  
 
「ふぁ…」  
 
溜まりに溜まった疲労が徐々にあたしの意識を奪い始めていた。  
とりあえず、帰ったらまずたっぷり寝よう。  
もう心配の種もないし、今日はぐっすり寝られるわね。  
 
今夜はあのときみたいな夢が見られるかな。  
 
 
─おわり─  
 

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