『Day of Good-bye』
「えー、これにて! SOS団高校編は終了! 大学に行ったらまた作るわよ! ちょっとキョン! 聞いてんの!?」
春。始まりの季節。新たなスタートの季節で、別れの季節でもある。
俺たち、もといハルヒのSOS団は北校での活動を終え、舞台を大学に移すこととなった。ちなみに今日は卒業式で、今は式終了後の部室だ。
ハルヒの運んできた諸々も撤去されて、今となっては長机と椅子、それと文芸部所有の本棚のみで、殺風景と言うか、なんだか寂しささえ感じる。
ちなみに朝比奈さんは一足先に専門学校に進み、残り俺たち四人は全員同じ大学に進学した。俺の壊滅的成績もハルヒによる拷問家庭教師と本番一発勝負でなんとかなり、
辛うじてハルヒ、古泉、長門と同じ大学に滑り込んだ。とは言っても三人とも俺のためにレベルを下げてくれたんだがな。
「みくるちゃんは大学違うけど近いからなんとかなるわね! どうせ有希は文芸部入るだろうから部室はまたそこ使わせてもらおうかしら」
古泉曰くハルヒの能力は最早風前の灯で、朝比奈さんも「ほぼ未来は確定した」と、長門に至っては「今日中に能力は消える」と明言した。
ハルヒのトンデモ能力が無くなるとこの三人がここにいる必要もなくなるんだが、古泉は自分の意思で残り、長門はハルヒの能力の消滅と共に情報統合思念体に最後の報告をした後接続を解除、
朝比奈さんもたまには顔を出すそうで、どうやらSOS団はハルヒの思い通り大学編に突入するらしい。
「大学生になったら行動範囲も広げてガンっガン不思議探索よ! あ、でもその前に春休みの予定もあるから……」
ハルヒの演説はヒートアップし、"SOS団高校編終了解散式"だったはずなのに今となっては"春休み計画発表及びSOS団大学編プロローグ"になってやがる。正直、ついていけん。
ハルヒの言葉に適当な相槌を打つ古泉、ほへー、と口を開けたまま小さなリアクションを取る朝比奈さん、今日ばかりは読書せずに部屋の一部となっている長門の三人を見た後、
最後に俺はハルヒの百ワットの笑顔を目に焼き付けた。
「それじゃ、SOS団は北校を卒業します!」
いくら温暖化が進んでいると言っても卒業式に桜が咲くことはなく、小さな蕾のままの桜の木が並ぶ校門前。SOS団のメンバーに朝比奈さんと一緒に来た鶴屋さん、谷口、国木田、阪中を加えての記念撮影の後、
俺たちはなんとなく中庭に向かって歩いていた。先頭にハルヒと朝比奈さん、続いて長門、そして古泉と俺。三年間変わることのなかった布陣。
この三年間で俺は普通の人間じゃ考えられないほど宇宙的、未来的、超能力的現象に巻き込まれた。訳の解らない指令に翻弄されたり、無茶苦茶な状況に突然閉じ込められたり、
何度か死に掛けたり、だがそれが今は懐かしい。ハルヒの能力が無くなればそんなことに巻き込まれることも無くなるだろう。
「――なぁ、古泉」
桜が咲いてないのが残念ねー、などと言ってるハルヒたちの後ろで呟く。隣の古泉はすぐに俺の言いたいことを察したのか、いつになく真剣な表情で、それでいて得意の笑みを失くさないまま、
「……あなたのお好きにどうぞ。この件に関しては、どうなろうとも僕たちは全て受け入れるつもりです」
そいつはありがたい。感謝するぜ、古泉。
「いえ、僕個人としても、願わくば…… という希望もあるので。恐らく長門さん、朝比奈さんも同じ気持ちでしょう。それぞれの派閥の意思とは関係なしに」
そうか。それを聞いて安心した。後からとやかく言われるのも困るしな。好きにやらせてもらおう。
俺は数歩先を歩くハルヒの背中を見つめながら、しっかりと一言、刻みつけるように。
「ハルヒ」
カチューシャ付けた綺麗な黒髪が振り返る。それに釣られて朝比奈さん、長門も俺の方を振り向いた。ハルヒの目は何? と訊いてるようで、他の二人は俺の言いたいことを理解している目だ。
「何よ。こんな日につまんないことだったらぶっ飛ばすわよ」
つまらないかどうかは俺が決めることじゃないから解らんが、少なくとも無駄話じゃないぞ。
ジト目で睨むハルヒから一回目を離して、俺は朝比奈さん、長門、古泉とアイコンタクトを交わした。 ……ああ、解ってる。
もう一度ハルヒの目をしっかり見ると、
「ハルヒ。俺がこれから言うことをちゃんと聞いてくれ。信じるか信じないかはお前の自由だ。ただ、作り話じゃない、とだけ言っておく」
そう前置きして、話し始めた。
お前には不思議な能力がある。願望を実現する力。あの映画撮影第一弾の時だ、あの時は秋に桜が咲いただろう。あんな感じのことができるデタラメなトンデモパワーだ。
そんな無茶苦茶な能力をお前は持っていた。理由は知らん、あるもんはあるから仕方ないだろ。
そしてお前は宇宙人、未来人、超能力者が現れて欲しい、そう願っただろ? 確か……六年くらい前に。そうお前が願ったから、宇宙人に未来人、超能力者が現れた。それが、こいつらだ。
長門は銀河を統括する情報統合思念体によって作られた対有機生命……なんたらインターフェース、朝比奈さんは未来から送られてきて、古泉にはお前が超能力を与えた。
そしてその三つの派閥がそれぞれお前の能力を調べに来たんだが、お前は宇宙人未来人超能力者と遊びたい、そう願ったから宇宙人未来人超能力者を呼び寄せてSOS団を作ったんだ。偶然じゃない。
ここで一息つくと、ハルヒは「あんた頭大丈夫? その話なら前にも聞いたわよアホキョン」とでも言いたそうな顔をしていたが、最初に釘を刺しておいたおかげだろう、
最初にハルヒの口から出てきたのは否定の言葉ではなかった。
「……じゃぁ、あんたはなんなのよ。SOS団にいるってことは、あんたもなんか特別な属性の人間なの? 異世界人とか」
「いーや違う。俺はまるっきり普通の、超能力者お墨付きの一般人だ」
ただ、と言葉を区切る。次の一言で世界は変わるかもしれない。この言葉を言えば全てのことをハルヒは信じるだろうし、消えかけているハルヒの力が復活するかもしれない、が、言わせて貰う。
「ただ――……、 俺は、ジョン・スミスだ」
絶句とはまさにこのことを言うんだろう。ハルヒの顔がまるで瞬間冷凍したかのように凍りつき、何を言っていいのかわからずに口をパクパクさせている。でもここで話を止めるつもりは無い。
俺が高校一年の時にタイムスリップしてお前に会ったのがジョン・スミスだ。つまりあの時だけ未来人で、今は普通の人間……だ。
「あんたが…… ジョン? そんな……いえ……、やっぱり……?」
ハルヒは何か悩んでいるようだがどうやらこの瞬間に世界がひっくり返るなんてことは無かったようだ。とりあえず長門に確認の為声を掛けようとするが、
「涼宮ハルヒの力の衰退が止まる兆候は見られない。何も変わっていない」
俺の心配事は全てお見通しですか。まぁ、いい。ここからが本題だ。
さて。そのお前が持っている力なんだが、それはもうほとんど消えちまっててな、宇宙人的長門予想では今日中になくなるようだ。これでお前が無茶苦茶やって俺がその後始末に奔走することも無くなるんだがな……
一歩前に踏み出し、ハルヒとの距離を詰める。未だにジョン・スミスやら宇宙的未来的超能力的トンデモ電波話についていけない様子ではあるが、ハルヒはその顔を上げた。困惑しきった表情。
その顔を更に困惑させることになると思うと、正直胸が痛む。だが、言わなきゃいけない。
「ハルヒ。一番大事なことだ」
ハルヒに自身の能力を伝えた理由。全てが、この一言の為に。
どんな言葉よりも先に謝罪の言葉が口から出そうになるが、それを押し込んで、一言。
「――俺、死んでるんだよ」
何度かあった大きな事件でな、二年の頃に俺が入院したことがあっただろ。あの時か、それともそれより前なのか後なのかは解らないが、
どこかで致命傷を負ってたみたいでな。ただハルヒの能力で生きながらえてた、それだけの話さ。
ハルヒの能力が衰退していったことで長門が気付いて俺に教えてくれた。だから、お前の能力が無くなる今日、俺は
「ダメよ!!」
ハルヒが何かに憑かれたように大声を上げた。眉を八の字にして、まるで大事にしていたものが持っていかれた子供のような顔で。
「あんた何言ってんの!? SOS団は大学になっても続くのよ!? そんな冗談であたしを騙そうったって……」
「ハルヒ」
「第一あんたは生きてるじゃない! 今! ここで! ちゃんと呼吸してんでしょ!?」
ドン、とハルヒは俺の胸倉を掴むと、そのまま縋るように俺に寄りかかった。前髪に隠れてその表情は見えないが、俺は、ただハルヒの震える肩を抱き締めてやることしかできない。
俺はハルヒを腕の中に収めたまま、古泉、長門、朝比奈さんを見た。古泉は無理矢理に作った表情を崩さんとしているようで、長門は目の奥の感情が揺らいでいて、朝比奈さんはわかりやすく泣いていた。
喉の奥が乾いて声が出ない。何かが溢れてきそうな気がして。
「……古泉。俺がいなくなったあと、ハルヒのこと、頼めるか」
ニヤケていないニヤケ面に向かって言う。
「ええ。任せてください。『機関』一同全力でサポートすることを約束しましょう」
ああ。お前は最高の友人だ。言葉には出さないけどな。
「長門。俺がいなくなったあと、ハルヒの暴走を止める役目はお前に任せる。古泉はイエスマンで役に立たないからな」
人間になった少女に言う。
「……そう」
世話掛けた。もうゆっくりしていいんだ。観測なんてものから離れて好きに生きてくれ。
「朝比奈さん。たまにでいいから、ちゃんとハルヒに元気な顔見せてやってください」
地上の天使である未来の上級生に言う。
「はい…… ちゃんと、来ますから。絶対、たまになんかじゃなくて、……」
また俺とも会うことになるんでしょうけど、その時はよろしくお願いします。
「ハルヒ」
俺の胸に顔を埋めた、時空の歪みでも情報フレアでも神でもない少女に言う。
「大丈夫。俺が死んでもお前は立ってられる。長門も古泉も朝比奈さんもいるし、鶴屋さんだって谷口だって国木田だって阪中だって、それだけじゃない、お前はたくさんの人に支えられてるんだから」
「でも……! 一番側でキョンが支えてくれてたからあたしは……っ!」
今度は誰にでもわかるほどはっきりと声を上げて泣き崩れる。正直ここまでお前が想ってくれてたとは知らなかった。ごめんな、ハルヒ。
俺は頭一つ下のハルヒの頭を撫でながら、ふと疑問に思ったことを長門に訊いた。
「長門。ハルヒの能力が無くなったら俺はどう死ぬんだ? 消えるのか?」
長門は首を横に振って否定。すぐに薄い唇を開いて、
「能力がなくなったと同時に肉体を維持することが出来ずに急速にあなたの肉体は腐敗すると思われる。対処は不能」
「そうか……」
少し考える。ハルヒの目の前で、この世の中でありえない死に方をしたいと思うほど俺はイカれた人間じゃない。急速に腐敗する人間なんて都市伝説になっちまう。
……長門。最期に頼みがある。聞いてくれるか?
「……」
今度は首を縦に振って肯定した。それだけで長門は解ってくれたようで、彼女自身最大限に表情を緩ませた。うむ。いい顔だ。その表情が出来るなら、お前は立派な人間だぜ。
長門に最期の頼み事を終えると、ハルヒが小さな声で呟いたのが聞こえた。
「キョン…… あんたが、ジョンなのよね」
ハルヒは少しくぐもった声でそう言った後、俺の胸から顔を離して、潤んだ目と消え入りそうな声で、
「あたしの初恋の人、ジョンなのよ。だから、じゃない。ずっと一緒だったから。でも、最初から。 キョン。あんたが……」
好き、だから逝かないで――、と。 ハルヒは、そう、言った。
心が痛い。泣きたいほど哀しい。けど、ここでハルヒを繋ぎとめるようなことをすれば一番傷つくのはハルヒだ。だから、すまん。
「ハルヒ」
だから、俺は抱き締めることしか出来ない。答えられない。
だけど、その時間も、もう、無い。
俺は優しくハルヒを離すと、最期の頼みを言う。ずっと前から、長門に話を聞かされたときから決めてたこと。
「なぁハルヒ。桜の花、咲かせてくれないか?」
ちっぽけな、ほんの小さな頼みごと。
「でも…… もうあたしにそんな力は無いんじゃ……」
「大丈夫さ。何も秋に桜を咲かせろなんて言ってるわけじゃない、ちょっと開花日を早めるだけだ」
ハルヒと初めて出会ったあの日に還るように。
「んじゃ、よろしく頼むぜ」
歩き出す。
ハルヒに背を向けて、自分の場所へと還る。
一陣の風が背中を後押しする中、その風に乗って、桜の花が舞い散った。
――その風と共に 俺の身体は光の粒となって
さらさら さらさら 流れていった