「―――――と、言うわけで貴女の力を貸してほしいのですが」  
 このまま負けるようなら、正しくは『彼』に活躍と呼べる場を与えられないまま試合が終了するようなら、前回の規模を上回る情報噴出が起こる可能性が高い。  
 そうなる前に、わたしの能力によるサポートで『彼』を活躍させてほしい。  
 と、いうのが古泉一樹の要請。  
 その主張は理解できるが、要請そのもののは同意しかねる。  
 かって朝倉涼子の情報結合を解除した時と違い、ここは情報封鎖された場ではない。   
 野球というスポーツのルールに照らし合わせれば、このグラウンドには最低18人の人間がいる。わたし、朝比奈みくる、古泉一樹、『彼』は除外するとしても、審判と呼べる人間、さらにグラウンドの周りで見物をしている見物客などの存在も考慮する必要がある。  
 そういった不特定多数の人間がいる場で、この惑星の情報量における常識からは『ありえない』とされているはずの能力を使うのは、推奨される行動ではない。  
 わたしだけの判断で決定すべき事項ではない。情報統合思念体による指示を待つ必要が  
「ちなみに、彼も喜ぶかと思いますよ」  
 わたしの思考にノイズが走った。  
 最近、『彼』のことを思考するといつもこうなる。デフォルトの情報を改変してまで、眼鏡の再構成を放棄したのもこのノイズのせいだ。  
「……本当?」  
「ええこの国に於いて、『野球でホームランを打つ』というのは、英雄の称号を得るに等しい行為です。特にこれは一般的な青少年ほどその傾向が強い。彼とてその例外ではありません」  
「……」  
 振り返れば、『彼』の顔がある。この国の同年代、同性の人間と比較してもありふれた平均的な物と言える顔だが、なぜかその情報は私の最深部に深く刻み込まれている。  
 ホームランを打てば、『彼』の喜ぶ表情が見られるのだろうか。  
 茶と呼ばれる飲料を出す朝比奈みくるではなく、自分の手で。  
「要請受理」  
 
 結局、『彼』は想像していたような顔は見せてくれなかった。  
 それどころか、11点を取ったところで、わたしに情報変更の解除を要請してきた。  
 なにがいけなかったのだろうか。なにが悪かったのだろうか。  
 いや―――『彼』にホームランを打たせるという目的は果たしたのに、何を問題とする必要があるのだろうか。  
 それだけで何の問題も無い、はずなのだが。  
「―――――と、言うわけで、もう一度貴女の力を貸してほしいのですが」  
 古泉一樹が、先程と同じようなことを言う。  
 主張は理解できるが、やはりそのまま要請を受理するわけには行かない。  
 敵対していないとはいえ、小泉一樹の所属する組織は、情報統合思念体とは異なる意識を持つ者達の集まりだ。  
 そんな組織の人間からの要請を、何の遂行も無しに受理するわけにはいかない。  
 先程は原因不明のノイズにより情報統合思念体の指示を聞き逃してしまったが、今度はそのようなことが起こらないように注意する。  
「ああ、ちなみにですね」  
 小泉一樹が口を開く。先程のように、真実性に疑いのある情報だと思われる。  
「この国では、キャッチャーはピッチャーの『恋女房』と言うらしいですよ」  
 恋、女房という語句の意味をデータベースから検索―――――  
 もちろん、その語句はある種の例えであり、本来の意味からはかけ離れているということは理解できる。  
 だが、わたしがキャッチャーというポジションについた場合、ピッチャーの『彼』にとってわたしは――――  
 再び起こる原因不明の、いや原因となる人物だけはわかっているノイズ。  
 ふと気がつけば、その原因である『彼』がわたしの傍らにいる。フェイスマスクやプロテクタと呼ばれる防具をわたしの体に付けていた。  
 この程度のこと、『彼』に手伝ってもらう必要は無い。わたし一人でもできることだ。  
 だが、『彼』の手を振り払うことはできなかった。隣に小泉一樹の存在は確認できるが、わたしの内部の情報を占めているのは『彼』に関する情報ばかりだ。  
 『彼』の手により全ての防具を付けられたとき、  
「……『恋女房』にされた」  
 わたし自身理解できない言語が、口から漏れた。  
 
 
了  
 

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