『熱演絶唱の九曜』  
 
 最初、そこに何があるのか解らなかった。  
 光陽園女子高の黒い制服姿だと認めるのに数秒もかかった。  
 なのに認識した瞬間、少女は百年前からプロの道に立っていたような確固とした存在感を俺に与えた。なんだ、このプレッシャー!?。  
 異彩を放つ、という表現がこれほど当てはまる芸人の姿を、生まれて初めて生で見た気がする。  
「な……?」  
 長門よりも白い顔のその女は、喩えようも無く黒い沖縄の黒糖飴(ウコン入り)のような瞳と、防水スプレーを吹き付けられて身悶えするカラスよりも暗い色の髪を持っていた。  
「――――」  
 その髪は腰よりも長く伸び、おまけに、どんな仕組みなのか孔雀のようにワッサワッサと羽ばたいている。  
 まるで、やたらと高予算で出演料を無視した舞台装置を兼ねた衣装のような髪の毛だ。  
 端に行くほど左右に広がり、表面積のほとんどを髪が占めていると言ってもいい。  
 なにより不思議なのは髪の中に織り込まれたイルミネーションだ。時期外れのクリスマスツリーよろしく赤・青・黄、他にも様々な彩りが髪の中で煌いている。まるで宇宙や! 大宇宙の宝石箱やぁー!  
 電源はどこに収納してるんだろうな? 科学の進歩とはエンターテインメントから発達するのかもしれん。  
「――――」  
 直立したままキュルキュルとワイヤーでも巻くような微かな音をたててそいつは顔を上げた。  
 器械よりも器械的な視線だった。どんなにへぼい日光写真でももう少し暖かい感光紙を使ってるだろう。  
 長門とは似ているようで種類の違う無表情だ。メーカーと工場と原産地が違う。長門がミカワヤだとしたら、こいつは小林製薬だ。  
「――ああ……」  
 薄い唇が僅かに開いて音楽的な囁きがこぼれだした。  
「―――川の流れのように―――ゆるやか」  
 発声に併せて髪に融け込んだ電飾が発光する。うおっ、まぶしっ!  
 こんな不思議イリュージョンを臆面もなく発揮できるのは――地球外生命体。長門に対応してるのはこいつに間違い無い。今すぐガンホー!ガンホー!と叫びたい衝動に駆られる。  
 かつて鶴屋家の帰り道で会った古(略)の台詞を思い出した。  
 ――たとえ話をし(前略)恋の(中略)ABC(後略)――。ついに来たか(略)泉の言う、長門たちの情報統合思念体を甲としたら、乙の勢力の尖兵が。  
「――今度は…………間違えない――――」  
 ん? さっきの続きは無しか。それは間違ったってレベルじゃないぞ。  
「――まちの―――灯りが……」  
 歩く広告塔みたいな宇宙人が、プロ御用達のDATのようにピッチの正確な声で、  
「――――とても―――きれいね……よ――よよ」  
 思わず口を閉じて聞き入ってしまったが少し様子がおかしい。無表情は変わらないが、何か問いたげに俺の方にチラチラと視線を投げてくる。  
 これは……アレか? 額にうっすらと汗まで滲ませてるし、放置するのも可哀想だな。  
「「「よこはまっ」」」  
 期せずして俺と佐々木、そして誘拐少女橘の囁きが重なった。  
「――よこはま―――ぶる……らいと……よこは――んまぁぁ―――」  
 俺達は安堵の息を漏らして顔を見合わせた。苦笑がもれる。  
 どうやら最初の難関を突破したらしい宇宙歌手は、歩道のスペースをめいっぱい使ってフラフラキラキラしながら、朗々と天上のメロディーで街角を満たしていった。  
 やれやれだ。持ち歌の歌詞を暗記していないにも関わらず人前で歌いだすなんて、三段階変速ママチャリのギアが五枚ばかし欠けてるんじゃないのか。  
 そう思いながらも電飾と旋律に惹きつけられていた俺を、低く小さな佐々木の笑い声が現実に返す。  
「キョン、彼女はずっとそんな感じだよ。面白い人だろう? 僕は九曜さんと呼んでいるが、欠けているのは歯車でなくて、羞恥心に対するこだわりさ。  
 彼女は往来で歌うことを恥ずかしいと上手く認識できないようなんだ。いやいや病気ではないよ。端的にそういう人なんだ。それ以外に説明できない」  
 そうか。なら仕方ないな。  
 しかし……俺達は辺りからどんな奇異な目で見られてるんだ?  
 素早く周囲をうかがうと、案の定、通行人たちは足を止めて九曜の美声に酔いしれていた。  
 手拍子をするビジネスマンもいれば、リズムに合わせて体を揺らす部室で見なれた面々もいる……あぁ、お婆さん、拝んでもご利益はないと思いますよ。  
 まぁ無理もない。とりあえず同伴者だと思われたくないなと少しばかり考えてしまった俺は、聴衆に紛れるかと二人の少女に促そうと振り向いたのだが、さっきまで佐々木に付き従っていた橘の姿が見えない。  
 
 はて? しかし、ツインとはいえテールヘアーを見失う俺じゃないぜ! 何しろ二倍だからな! 頭皮から下なぞ付属物に過ぎないということがエライ人には解らんのです!  
 などと気合を入れるまでもなく聴衆の合間を駈け回る橘の姿を補足した。……なにやってんだ?  
 みると橘は群集の合間をせわしなく歩き回っている。チョッキにシルクハット、片眼鏡に懐中時計片手なら不思議の国のウサギさんを想起させるピョコピョコ具合なのだが……胸の前に抱えているのは磨き上げられたシーチキン(L)の空き缶だ。  
 九曜の歌の拍子の合間を縫って手際良く、そして慣れた様子で聴衆にオヒネリを要求している。懐が温かいのか小銭がなかったのか解らないが、笑顔で紙幣を渡してくる方たちには感涙さえ浮かべて頭を下げまくっている。  
 苦労してるんだな……。俺は胸の中でホロリとした。  
 
 
 いや待て! 部室で見なれた面々といったらハルヒ達じゃないか。  
「あたしたちより早く来るなんて殊勝な事だと思ったけど、なに? プロモーターにでもなったの? いい歌声ね」  
 振りかえると同時に、すでに背後にまで移動していたハルヒが声をかけてきた。歌声に耳を傾け、珍しく感心したような響きを含ませている。  
「まことにそのとおりかと」  
「ふわぁ、きれいな声ですね」  
「…………」  
 いつもの面々も一緒だ。というかお前ら、いつも談合して俺を出しぬいていたんじゃないだろうな。  
「まさか、偶然ですよ。僕達はたまたま駅でお会いしましてね。  
 それよりも、あの少女、橘さんはいったい何を……」  
 ハルヒを佐々木が世間話を始めた隙に、古泉が返事を話を振ってきた。  
「俺の想像だがな……活動資金、なのかもしれん……」  
 古泉の機関と対立する組織の――。そこまで言わなくても察してくれたらしい。  
「それは…………」  
 古泉も感じ入ることがあったんだろう。言葉を失い、健気な少女を目で追っている。  
 九曜が歌い終えたらしく、一際大きな拍手が巻き起こって群集がばらけ、歌姫と橘がこちらに向かってくるのを確認して、ハルヒと佐々木の会話に割り入ると一つの提案してみた。  
 別に話題が俺の成績に関した方向に向かっていたから慌てたわけではないぞ。あしからず。  
「なぁ、ハルヒ。今度こいつらとカラオケ大会でもやってみないか? 随分と歌好きな奴もいるようだし、俺も久しぶりにお前の歌を聞いてみたくなった」  
「彼のご母堂が鼻エンピツ――ああ、キョンそれはいいかもしれないね」  
「鼻エンピツならあたしが――え? そうね、あんたが聞きたいっていうんなら……じゃなくて!  
 対抗カラオケ合戦も面白そうじゃないっ! キョンにしてはいい提案ね!!」  
 おかしいな? 俺はもうちょっと平和的な交流会を提訴したつもりなんだが。  
 佐々木の背後で空き缶の中身を勘定していた橘がハッと顔を上げる。一瞬両手を背中に隠したが、逡巡ののち身を切るような苦渋を決意で押し隠しながら今日の戦利品を差し出してきた。  
「んん……もうっ! ぐっ、軍資金ならあります! バッチリなのです!」  
 空き缶を捧げ持つ手の震えは見ない事に出来たが、人数と中身を見比べて「でも……ドリンクまでは……その……」などと小声で呟くのを聴くに至り、いたたまれなくなって古泉に目配せを送った。  
「は、はい! コホン。提案したのは僕達ですからこちらが持ちますよ。そうですね、いつも彼に奢っていただいてるので僕が出しましょう。  
 ドリンクと言わず、スナックや軽食などのルームサービスも。どうかご遠慮なさらずに」  
 古泉の完璧な営業スマイルにこの時ばかりは感服した。なにしろ俺ときたら、  
「そ、そんな……敵の塩をうけるなんて……でも、屈辱に耐えて受けてこそ将としての度量が……。  
 それにたまには鋭気を養わないと……水道水だとお腹いっぱいになってもカロリー0だから……。  
 ううん、弱気になっちゃだめよキョウコ! これは経済戦略なの! 歓待に応じたフリをして金銭面でかの機関に壊滅的な損害を与える絶好の機会なのよ。躊躇っちゃダメ。心を鬼にして固形物で胃を満たすのです!  
 ごめんなさい同志諸君。欲しがりませんカツまではの禁を破って、わたしはカツカレーを頼んでしまうのかも……」  
 などと少女の葛藤を耳から追い出せずに涙していたのだから。  
「キョンくん? どうしたんですか? あっ。涙が出ています。ハンカチ、ハンカチ」  
 ポーチに手を入れて、ハンカチを出すとそっと差し出してくる朝比奈さん。  
 大丈夫ですよ。こんな心の汗、シャツの袖口で充分です。  
 
 古泉を見習って微笑みを返し、安心してくださった朝比奈さんを見てもう一人の鬱屈した未来野郎の事を思い出した。  
 そのうち地面に仰向けになってお腹を向けそうな橘と、対応に困惑する古泉に視線を戻す。  
「お世話になります、古泉さん。それで三年……ううん、あと十年は戦える! どうかわたしの事はポチとでも、プメギャ虫とでも呼んでください」  
「い、いえ、僕はそんな……」  
 なんて会話してやがんだ。  
「なぁ、橘……さん。そのカラオケの時はあの……男のほうも連れて来てくれないか?」  
「踏んでいただければ『プメギャァ』とか鳴いてごらんにいれるのです……え? 藤原さんもですか?」  
 いや、名前は知らないんだが、多分そいつか。意外と普通の名前なんだな。  
「いいのですか? その……」  
 橘が朝比奈さんにチラチラと視線を投げているが、その為にこそ同伴して貰いたいのだ。  
「ええ、是非頼んます」  
 なにしろSOS団でカラオケに行くとすれば、あの商店街の行き付けの店だ。団活では滅多に利用しないが、北高生御用達でもあり伝説の名曲『恋のミクル伝説』が隠れたラインナップとして存在している。  
 これを本人の歌唱力と完全武装のコスプレで身近に熱唱されたら、未来男の敵愾心もそれこそ「そらのか〜なた〜HEEEEE!」だ。  
 
 あとは長門と九曜か。起源を異にする宇宙存在の子供たち。コズミックな思念による不可視の攻防に及んでなければいいのだが。  
「……カレーライス」  
「――ナポリ―――タン……」  
「……それは邪道。日本人ならおコメを主食とするべき」  
「―――イン……ド? 日本――人なら……お茶漬け――」  
「あれはデザート」  
 いや、違うぞ長門。  
 どうやらいきなり臨戦体勢ではないようなのでほっとした。意思の疎通はできるらしい。  
「―――あの人は―――わたしの……一番星――ステキ」  
「……あなたが恋を語るには早い。三年待つべき」  
「――年………増……?」  
「あまりわたしをみくびらない方が良い」  
「―――?―――」  
「……今日のような週末デートでは常に彼が費用負担。わたしは魔性のオンナ」  
「――ゴク―――リ……!――」  
 おまえは何を言っているんだ。  
 それと九曜、その驚き方はちょっとおかしいぞ。  
 そろそろハルヒと佐々木の首脳会談も終わりそうだ。集合しとこうぜ。  
 ハルヒ達に向けた掌がそっと長門に握られた。どうしたんだ?  
「カラオケは次の休日くらいかな。楽しみか、長門?」  
「…………」  
 どうやら普段の省電力モードに移行したらしい長門が、手を繋いだまま小さく頷いた。  
 相手の目を凝視して返答するこいつが余所を向きながら、というのはなかなかに珍しいな。やっぱり他勢力の宇宙端末が気になるんだろうか、って! なんだ!?  
「――――」  
 それまでピクリともしなかった九曜が、長門と反対側の俺の手を握っている。  
 いつ腕が動かしたのか、まったく目にも止まらなかった。動いた気配すら感じさせず、しかし九曜はしっかりと俺の掌、それも指を交互に絡めながら握り込んでくる。  
 視線で理由を問い掛けようにも、こいつはこいつで長門とにらめっこしてるので気付かないようだ。  
 俺を挟んでなにやら視線での攻防が始まった気配を感じたが、まぁいいさ、人体に影響はないだろうと楽観して、首脳陣の方へと手を引いて歩き出した。甘かったね。  
「…………」  
「――おん―――ち……?」  
 ブ ァ チ ッ !!  
 薪の爆ぜる音、なんて生易しいもんじゃない。千年を経過した御神木が雷に撃たれて爆散したような衝撃を感じた。俺の心臓は無事なんだろうな!?  
 見えない巨大な何かがぶつかり合って軋んでいるような、遥かな地下で大陸プレートと海洋プレートがせめぎ合ってるようなこの振動を与えているのは――。  
「…………」  
「――――」  
 ――主に長門だ。通常より白くなった容貌と、引き結んだ唇。そしてプルプルと身を震わせる振動が、繋いだ手から伝わってくる。  
 対する九曜はといえば、そしらぬ無表情で繋がった俺の手を眺めては、漆黒のモップ髪の中で暖色系のイルミネーションを明滅させている。なんか赤系統、というかピンク光が多いな。  
 仲良しさんになるのかと思ってたんだが、どうやら意思疎通の段階で齟齬が発生したらしい二人を、どう宥めようかと考えあぐねていると佐々木から声をかけられた。  
 
「なぜ手を繋いでいるんだい? キョン、僕はもう行くよ。なぜ手を繋いでいるんだい?」  
「なんで手ぇ繋いでんの? キョン、ねえ? なんで手ぇ繋いでんの?」  
 はて……なんでだろうな? 俺が首を傾げると、佐々木とハルヒも揃って頭を傾けた。二人とも片目を細くした微妙な表情なのは、きっと重力のせいだろう。ニュートン先生も戦慄だっぜっ。  
 カラオケ大会の日程交渉は済んだらしく、中学の同窓会の件で一度須藤に連絡してやってくれないか、と佐々木が話題を切り替えてきた。  
 なぜ中継にお前を挟むんだ。須藤が気があるのは岡本じゃなくて佐々木じゃないのか?  
「それはないね」  
 佐々木はしっとりとした口調で、  
「僕はキミ以外の誰かに好かれるようなことを何もしていない。キミ以外の誰かに好意を振る舞うこともだ。それはキョン、キミが一番解るだろう?」  
 いや、解らんが。  
「そうかい?」佐々木はくくっと笑い、「そういう対応もたまらない。薄汚れて雨に濡れた徘徊する野良犬を見下ろす目だ。情熱を持て余すよ」  
 謎のセリフを言い、潤んだ瞳で俺を見上げながら短く体を震わせた。風邪か? 季節の変わり目だから気をつけろよ。  
 それと、友人をそんな目で見下したりはしないぞ、断じて。  
「では」  
 佐々木は纏わりつく猫のように俺に体を触れさせながら横を通り、九曜と繋いだ手を断ち切って改札口へと歩き出し、橘京子と九曜も静かに移動を開始した。  
 前者は古泉に向かって尻尾の変わりに頭をペコペコと下げ、後者はなにやら名残惜しそうに自分の片手を凝視しながら。  
 三つの姿が駅に消えるのを見送ってから、ハルヒが俺の横に並び立った。なぜお前まで手を握ってくる?  
「やっぱり風変わりね。うーん、でも、あんたの知り合いにしては面白いキャラだわ。反応がちょっとアレだけど」  
 お前の反応もアレだと思うぞ。俺は指にかかる衝撃によって、この指を交互に絡める手の繋き方の別名を思い出していた。  
 恋人繋ぎ? いやいや、そんな甘いもんじゃない。指同士を全力で挟み合うこの我慢比べは、地方によって呼称が異なるかもしれないが、俺の出身小学校ではこう呼ばれていた。  
 ゆ び ギ ロ チ ン !  
 いてて! マジ痛いって!! この技は諸刃の剣だったはずだ。お前だって俺と同じくらい痛いはずだろうが!?  
「あんたよりは性癖の幅広そう」  
 それは良い事なんだろうか? 友人としては真っ当な人生を送って貰いたいと切に願う。  
 なにも宇宙人や未来人や超能力者と友誼を図らんでもいいじゃないか。友達のワを広げるにしたって限度というものを設定しておくべきだ。この意見にはタモさん信者でなくとも、そーですねっ、と相槌を打ってくれるだろう。  
 それと、俺には苦痛を悦びを見出す性癖は無いからそろそろ勘弁してくれ。  
 ギシギシと指に致命的な圧力を加えてくる、100ボルトの笑みとアブラ汗を同時に浮かべたハルヒに指タップしながら、んな事を考えていたのが悪かったんだろう。  
 いまだにプルプルと鳴動を続ける長門への対応がすっかり抜け落ちていた。  
 
 
「…‥・ち が う ! 」  
 な、長門?  
「ゆ、有希?」  
 明確な苛立ちを滲ませた口調の長門に、俺だけではなくハルヒまでもが驚いて目を剥いている。。  
 繋いだ手からの振動は止まっていた。比較的大きな規模の地震でも、前震が観測される確率はおよそ一割程度と言われているが、断言しよう……本震が来る!  
 俯き加減だった長門の相貌が徐々に上方に、佐々木達の消えていった駅の方向に向けられ、その瞳は最近の温暖な日差しで温められたような黒曜石から、酸素をふんだんに供給され轟々と燃え盛る石炭へと変化し、赤熱していた。  
 ヒュウ、と風が鳴った。違う! 長門が息を吸い込んだんだ! ま、まさか……。  
 
『おーとも無い世界に まーい降りた I was snow』  
 
 歌い出しちゃったよ! どうするハルヒ!? いまだに俺の手は長門に握られたままで、振り払って逃げようにもビクともしないんだ!  
 
『生み出されてから三年間、私はずっとそうやって過ごしてきた』  
 
「なんで煽りまで完璧なのよ! どうすんのキョン!?」  
 くそっ、さっきの九曜効果か早くも人が集まりつつある。  
 おっと、ハルヒ、俺の手を振り払って自分だけ逃げようったって無駄だぜ。この手の繋ぎ方はお互いの同意が無いと離れにくいのも特徴だからな。他縄他縛・死的諸共・俺屍越行だ。  
 
 ちなみに、長門の名誉の為に付け加えておくが、九曜にも劣らぬほどの美声であり完璧な音律だ。だが、何もこんな往来で披露する事はないだろ。  
 
『何かがこーわれて 何かが生ーまれる  繰りかーえし 無駄なこーとさーえ  
  やめない人たーち 不思議な人たーち  眺める私も含まれたー  
   ほどけーない 問題など あーりーはーしーないと  
    知ってても 複雑な 段階が 物語り 創ってゆくーー♪ 』  
 
 辺りは既に人だかりが形成され、「なんだなんだ」「第二段が始まったのか」とか暢気に鑑賞してるが、視線の中心に位置する俺はもう消えてしまいたい。  
 ちょっと待て。なんで古泉と朝比奈さんは適度な距離を保ちつつ他人顔してるんだ。「ふ、ふわぁ、きれいな声ですね」「まことにそのとおりかと」じゃないだろ。サクラ役か?  
「な、なぁ、集合時間になったことだし、移動しようぜ、長門」  
「そ、そうよ。有希が希望するなら、今日はカラオケ合戦の為の練習にあててもいいから、ね?」  
 が、既に無我の境地に到達したのか、俺達の必死の説得にも反応は無い。  
 アイコンタクトの末、俺とハルヒの動力機関車ニ連結で牽引することとなったのだが、初めて図書館に行った際の退館時よりも踏ん張る長門と、無尽蔵の体力と無思慮な膂力に恵まれたハルヒに挟まれて、俺の腕は早くも大きく左右に開き伸ばされている。  
 肩の付け根や肘関節からメキメキと異音を発してるんだが……。これ、なんて大岡裁き?  
 
 
 移動した事が功を奏して聴衆は減っていった……のだが、今度はその光景が衆目を集めてしまったらしい。  
「痴話喧嘩ですってよ」「どちらも可愛いのにねぇ」「困ったものです」などの囁きが漏れていたのは早々に記憶から追い出す事にしよう。古泉がしたり顔でそこに参加していたのは忘れないが。  
 長門は春の訪れに求愛行動を喚起されたウグイスのようにますます声高らかに歌い続け、ハルヒはハルヒで妙なスイッチでも入ったのか、「負けないわよぅっ!」などと当初の目的を忘れて熱心に俺を引き千切ろうと全精力を傾けてやがる。  
 お前ら、俺になにか恨みでもあるのか。  
 そして朝比奈さんは……いや、朝比奈さんはおいておこう  
 なぜか不似合いな黒いオーラを纏いながら、「キョンくんは誰を選ぶんでしょうねぇウフフ」と笑みを浮かべていらっしゃるからな。  
 現在、二者択一の選択権どころか生殺与奪権を握られた俺に、『どちらを』と尋ねなかった理由はあとで聞いてみよう。  
 
 俺が綺麗に真っ二つに裂かれ、なにがしかの不思議パワーで分裂したりしなかったらの話だがな。  
 そんなハメに陥るくらいなら、いっそのこと世界そのものを分裂させちまってくれ。  
 
 そう考えながら、うららかな休日を市中引き回しの晒し者として過ごしたのだった。  
 

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