Prologue.  
 
 本題の前にちょっと質問なんだけど、好きな人が自分の事を友達としか思ってくれてないとするじゃない。しかもその好きな人は自分とは違う別の誰かが好きだったりするのよ。………こんな状況で、あなたなら、どうする?  
 大人しく身を引いて応援する?  
 愛は戦いだ、なんて言いながら奪い取る?  
 駄目元で告白してみる?  
 えっと、何もしないっていうのもあるわね。  
 
(………)  
 そうね、もちろん答えは一つじゃないわよ。そもそもこれって正解なんてない質問だしね。  
 でもね、あたし達の未来、………ううん、運命ってやつは一つしかないの。  
 現実であなたが選べる選択肢、あなたが迎える結果ってものはどちらも一つだけ。  
 そしてこの質問は現実の出来事であると仮定するわね。………あくまで仮定よ、仮定。  
 それならば、一つだけ選ぶとするならば、あなたは………、どうするかしら?  
 
(………)  
 え、あたし?  
 むー、それをあたしに聞くかなー、普通。  
(………)  
 ………あら、そうなの。あれからの事は知らないんだ。  
 うーん、じゃあ、仕方ないか。  
 
 えっとね、あたしは、………応援する、のかな。  
 あっちの世界でも、結局、応援しちゃったしね。  
 自分をなくして、自分を殺して、自分に嘘ついて、結果ここに至る、みたいな。  
 そうね、あたしの応援した恋の結末を、多分あなたが知らない部分を、ちょっとだけ教えてあげる。  
 自分で言うのもなんだけど、凄いわよ、これ。全宇宙ナンバーワン大ヒット間違いなし、聞かなきゃ絶対後悔後の祭り、ってやつね。ふはは、崇め奉るが良いわー!  
(………)  
 あっ、冗談だってばー! お願い、電源切らないでー!  
 
(………)  
 あうう、ごめんなさい。……えっと、ね。ホントは、ね。最期だと思うから聞いて欲しいな、………なんて思ったり。  
(………)  
 え、聞いてくれるの! サンキューマイガール、愛してるわ!  
 
(………)  
 あっ、やめてー、水をかけないでー!  
 
 
―――――――――――――――――――――――  
 電気少女は恋物語の終わりに何を思うのか?  
―――――――――――――――――――――――  
 
 
1.  
 
 早いもので高校生活も二年目に突入し、右と左くらいなら自信を持って分かると言えるようになってきた。  
 まあ、学業方面では今でもたびたび前後不覚に陥るのであるがそれは若さゆえの過ちの一種であるかもしれないと言えなくもないという事で気にするな特にマイマザーアーユーオーケー。  
 そんな益体も息継ぎもない逃げ口上を考えながら、早朝の眠気100%の我が身には富士山頂に登るよりしんどく感じる、我が校へと続くうんざり坂(命名俺)を溜息当社比二割増でのり越える。  
 月曜日の朝という現実に攻撃を受け、メンタル的にヘロヘロになりながらも一年の時から教室以外は予約チケットを押し付けられたかのように変わらない、窓際後ろから二列目の指定席というゴールに辿り着いた。  
 遅刻しないという偉業を成し遂げた俺に息をつかせる暇も与えずに、これまたずっと俺の後ろを指定席にしてきた腐れ縁の女生徒が話しかけてくる。  
 
「おはよう、キョンくん」  
「おう、おはようさん、朝倉」  
 
 嫌味のない笑顔で俺の後ろに存在する朝倉涼子委員長。谷口いわくAAAの美少女らしいのだが、俺はこいつと話すと何故か脇腹が痛くなるので俺的ランクはそんなに高くない。ま、いい友人といったところだな。  
「ね、ね、昨日、どうだった?」  
 まるで井戸端会議に出席している主婦のような口調での質問。  
 昨日、とはおそらくSOS団という良く分からない集団による花見の事をさすと思われる。  
 SOS団とは何か、との説明は、ただでさえ登校というダメージを負っている俺の精神に回復不能な大ダメージを与えるものであるので、申し訳ないがここでは割愛させて頂く事にする。  
「でも、SOS団ってキョンくんが提案したんでしょ?」  
 周囲が言うにはどうやら俺が名付け親らしいのだが、正直俺自身にはそんな記憶はないんだよ。  
「あ、そっか、ごめんなさい」  
 場の空気が悪くなってしまったので、慌ててフォローという名の換気扇を回す。  
「謝るなって。別に二・三日記憶がない事くらい気にしてねーよ」  
 
 去年のクリスマス前の話になる。俺は登校するなり朝倉や他のクラスメイトに、何故ここにいる、などいろいろ妄言を放ち、天使というセカンドネームを持つ上級生の方に狼藉を働いた挙句、他校にいた自己中暴走爆弾娘を核融合させたらしい。  
 らしい、という言葉から推察できるように俺はその間の事を何一つ覚えていない。ふと気付いたら夕焼けに染まる文芸部室で、  
「ちょっとジョン、どういう事なのよ。あたしに分かるように説明しなさい」  
 という言葉と共に、涼宮ハルヒという名の馬鹿女に百万馬力で首を絞められていたのだ。  
 
 ま、こんな出会いからまともな友人関係ってやつができるはずもなく、それから半年にも満たない間に涼宮という悪魔の手によって、世界中の不幸が流星群のように俺に降り注いでいるわけである。  
 具体例は多すぎて一々列挙する気にもならない。滝壺から飛び散る水滴をいちいち一滴ずつ説明してもしょうがないだろう?  
 大体昨日の花見からして俺になんの断りもなく涼宮のやつは………、  
「いや、あたしは涼宮さんの事は聞いてないから」  
 ん、ああ、朝比奈さんなら間違って酒を飲んじまったらしく、ふみふみふー、などと可愛らしいお声と共に睡眠という天国へと帰省中だったぞ。  
「………朝比奈さんでもなくてね」  
 あーと、まさかお前、古泉の野郎が気になるとかか? まあ、悪い奴ではないと思うが、あいつには他に好きなやつが、  
「………」  
 無言で殴られた。暴力はいけないとお父さんは思います。  
 
「な・が・と・さ・ん、とは、どうだったのかなー?」  
 一文字一文字を一打サヨナラの場面のような力を込めながら投げ込んでくるピッチャー朝倉。  
 しかし、こいつにこうされると全身がめった刺しにされるような感覚におちいるんだよなぁ。気を抜くと思わず俺がこの世からサヨナラしてしまいそうだ。  
「………どうもないぞ」  
 目で訴えてみんとする俺、外角低めあたりに標準を合わす。  
「嘘ね」  
 ばっさり切られた、ど真ん中ストレート空振り三振バッターアウト。  
 しかし、最近の日本人は他人を信じる心を大切にできない人が多いなぁ。………まあ、どうもないってのは嘘なんだけどな。  
 何とかごまかそうとする俺であるが、朝倉の追撃は止む気配を見せない。  
「長門さん、昨日帰ってきてから様子が変なのよ。食事中にいきなりへらへら笑い出したり、急に真っ赤になって布団に飛び込んだり、これはもう絶対キョンくんが何かしたからでしょ!」  
 どちらかというと俺はされたほうなんだがな、と思ったが口には出さない。藪蛇という言葉の意味くらいなら俺の学力でも何とかなるのさ、多分。  
 
 敏腕検察官のごとくなおも追求しようという姿勢を崩さない朝倉であったが、岡部が現れた事で法廷は一時中断となる。  
 もう、時間がないのに、とわけの分からない言葉を呟く朝倉を意識の外に追い出しながら、俺は昨日の花見でのいつも通りといえばいつも通りなSOS式暴走劇を思い出していた。  
 
 
2.  
 
「キョンくーん、だいすきー」  
「………誰だ、お前?」  
 SOS団恒例春の花見大会『欠席者は死刑だから』(命名涼宮、好きにしろよ、もう)が始まって二時間ほどだろうか。俺の目の前には、はにかみ屋の文芸部部長である長門有希がいるはずだった。  
「ゆきりん、って呼んでよー」  
 少なくともこんな懐き小動物系きゃぴきゃぴキャラは俺の知り合いには居ないはずだ。  
「むー」  
 誰とも知れない美少女Aは眼鏡の蔓をはむはむ噛みながら、上目遣いで俺を見つめてくる。  
 ………正直、俺、クリティカルである。眼鏡属性は無いはずなんだがなぁ。  
 吐息に混じるブランデーのにおいがまた堪らない、って、ブランデー?  
 
 気付いたところで既に手遅れだったようだ。どうやら俺以外のメンバーは全員酔っ払っているらしく、あたり一面に阿鼻叫喚の不条理世界が侵食を続けている。………帰りてぇ。  
 ハルヒは何やら度数が50をオーバーしている、おそらく普通に火がつくであろう液体入りのビンを男らしくラッパ飲みしながら、『分かる、古泉くん』などと桜の木にからんでやがる。  
 うわ、いきなり『ネッシー発見』などと叫びながら桜の木をよじ登りだしやがった。  
 一般人である俺から言わせてもらうと、木を登りきって『逃げたかー!』と雄たけびを上げる酔っ払いこそがUMAと呼ばれる存在なのではないだろうか? ………とりあえず、全力で他人の振りをしよう。  
 ちなみにどうでもいい事ではあるが、古泉は『全くその通りかと』と弁当箱に頷きかけていた。  
 
 朝比奈さんは完全に酔いつぶれているらしく、鶴屋さんの膝を枕にして時たまかわいらしい寝言を発しながら、すやすやと眠っている。  
 その枕代わりの鶴屋さんは一見すると正常のようだが、声をかけようとしたら『邪魔すんな』と言わんばかりのすごい目で睨まれた。  
「おねーさんの幸せを邪魔するようないけない子は、大変な事になるにょろよー」  
 ていうか、言われた。どうやら鶴屋さんは朝比奈さんに酔っているらしい。  
 朝倉は休みだし、どうやらまともな人は一人も残っていないらしいな。うん、マジ帰りてぇ。  
 
「ジョンのバカー、何であたしの気持ち分かってくれないのよー」  
 そんな言葉と共に、脳内に広がっていたであろうネス湖から帰還なさった団長様が、やるせない思いで百合の花園を眺めている俺に抱きついてくる。どうやら俺の事はちゃんと認識できるらしい。  
 しかしこいつも顔が真っ赤だな。本当に誰だよ、酒持ち込んだのは。  
「ジョンー、ジョンー」  
「むー、ハルハルずるいー。キョンくん、わたしもー」  
 両端から二人の酔っ払いに絡まれる俺。いったい何なんだ、この世界は。  
 
 そうぶつくさ文句を言いながらも、『まあ、退屈はしないな』とか、『何となく物足りないような気もするがこれはこれで幸せなんだろうな』とか、そんならしくない事を考えちまったのは俺も酔っ払っているからだろうよ。………何に酔っているのかは知らんがな。  
 
「ははは、楽しそうで何よりです」  
「こ………古泉、見てないで助けろ」  
 声が裏返りかけたのは動揺したからじゃないぞ。  
「ふふふ、あなたがそう言うのを待っていましたよ」  
 その古泉の言葉を聞いて、何故だか今まで感じた事のないような寒気が全身を駆け巡った。  
「お任せください。一撃で終わらせます」  
 何をだ? 俺の命をか?   
 切実なる俺の訴えに耳を貸さず、ニヤリという悪役の笑みを浮かべながらにじり寄ってくるキラーマシン。やべえ、こいつも大分酔っ払っているみてえだ。  
「ははははは、これは天の裁きですよ」  
 
 とりあえず戦略的撤退をと思ったが、左右の腕を酔っ払いどもが引っつかんでいるため動けない。  
「ジョンー」  
「キョンくーん」  
 二人の瞳には俺しか映っていない。………命の危険にさえさらされていなければ、この状況はまさに男子の本懐ここに極まれりな状況であるのだが。  
 
 そのまま二人の顔が俺に近づいてきて、  
 ………、  
 
「ふんもっふぅー!」  
 良く分からない悲しい叫びと共に、俺は頭部に衝撃を受け夢の世界に強制的に旅立たされるはめになった。  
 そのせいか前後の記憶がどうにも曖昧で、何が起こったのかはよく覚えていない。  
 
 
 聞くわけにはいかない……よなぁ、………やれやれ。  
 
 
3.  
 
 そんな感じの曖昧なバッドエンド風味の証言を法廷に提出できるはずもなく、朝倉検事兼裁判官からの追求に黙秘権を行使しまくった俺は、放課後掃除当番の彼女から逃げるように文芸部室へと向かった。  
 
「長門、いるかー?」  
 と言いながらドアを開ける。  
 文芸部室の鍵が開いている時点でこの学校で唯一の文芸部員である長門が居ないはずはないのであるが、これは挨拶代わりの戯言のようなものだと考えてくれればいい。  
 ちなみに最近の俺は放課後になるとこうして文芸部室へと行くのが習慣になっている。どうやら長門の横で静かに過ごすってのは意外と俺にあっているらしい。  
 ま、週に二・三回は呼び出されて二人一緒に涼宮ハルヒという騒がしい世界に巻き込まれるんだけどな。  
 
 どうせ毎日来ているんだし、そろそろ入部届けを出しても良いかなー、などと考えながら部室に入り、いつも長門が座っている席に目をやると、  
「あ、あう」  
 何故か顔を真っ赤にした文芸部部長と目が合った。  
 
「ん、どうしたん………」  
 そこまで言って、記憶にない何か柔らかい感触を体が思い出しやがった。………言っとくがほっぺだぞ。  
「うあ……」  
 頬から全身に熱が広がっていく。  
(やべえ、俺も赤くなってる)  
 昨日は言えたのに、と呟きながらうつむく長門と、ステータス混乱状態から抜け出せない俺と、赤面率100%の男女が部室に二人きりである。  
 これなんて青春白書? なんて現実逃避してみても一度上った血液はなかなか降りていってくれない。  
 
 一足早く立ち直った長門が、何かを決意したような目でこちらを見上げてきた。彼女にしては珍しく視線を逸らす気はないようだ。  
「わ、わたしは、」  
 つっかえつっかえ、必死で言葉を絞り出そうとする。  
 長門の言いたい事は、彼女の気持ちは、何となく、分かる。まあ、俺のうぬぼれとか勘違いとか言う可能性もあるのだが。  
 ただ、俺が彼女の気持ちに答えられるかというと、………どうなのだろう?  
 何故か俺の脳内には、涼宮の姿が浮かんできていた。  
 
 ―――違う!  
 
 そこで俺は強烈な違和感に襲われた。  
 俺の脳内の涼宮は、何故かうちの高校の制服を着ているし、髪の長さは肩を少しこすくらいまでしかない。  
 いや、そんな見た目だけじゃない。何となくだが、分かる。こいつは『涼宮』じゃない。  
 
 そうだ、俺が髪型について指摘した次の日に、いきなりポニーテイルの似合う髪をばっさり切ってしまった彼女は、  
 
 ………こいつは、  
 
「………ハ…ル……ヒ?」  
 
 思わず名前を口にしたその時、急に脇腹に激痛が走った。  
 それと同時に浮かび上がる映像群。  
 
 
――――――――――――――――――――  
 冬  
 まだ暗い早朝  
 校門で棒立ちの長門  
 俺を見て驚愕の表情を浮かべる  
 長門に向けてピストル型装置を構える俺  
 誰かに後ろからぶつかられる  
 脇腹に刺さったナイフ  
 倒れこむ俺  
 冷たい道路の感触  
 嗤う朝倉  
 振り上げられるナイフ  
 ナイフの刃を素手で掴む少女  
 眼鏡はかけていない  
 地べたに尻を付けている長門  
 眼鏡のせいか表情は見えない  
 二人の朝比奈さん  
 どこかで聞いた事があるような声  
 
 ………そして、ハルヒ  
――――――――――――――――――――  
 
 
 窓は閉じられていたはずなのに、一陣の風があたりに砂埃を巻き上げながら俺達二人の間を隔てる壁になるかのように通過する。  
 浮かんできた映像群に茫然自失としながらも、砂が入らないように目を閉じ開いた一秒にも満たない刹那の時間。  
 
 そのほんのわずかな時間で、周囲は全くの別世界に変わっていた。  
 
 白い、ただただ白い世界。すぐに終末を迎えるであろうこの世界の中で白以外の色は俺と彼女の二人だけだ。  
 俺以外の色である、しかし白い結晶を名前に持つ少女が泣きそうな声で呟いた。  
「時間切れ………だね」  
 そして俺はようやく全てを思い出した。  
 
 何をだって?  
 
 俺が選んだ事。  
 
 俺が選ばなかった事。  
 
 ………それら全てを、さ。  
 
 
 
4.  
 
「覚えてる?」  
「ああ」  
 お前の世界の事なら覚えてる。平和で穏やかな世界、俺が普段言っている理想そのものなパーフェクトワールドだったな。  
「思い出した?」  
「ああ」  
 そう、確かに思い出した。  
 それなのに俺は、非日常な危険がシャンパンの栓のように陽気にポンポン飛び交う元の世界を選んじまったんだよな。  
 俺は『涼宮』じゃなく『ハルヒ』を選んじまったんだ。  
「……………………そう」  
 長い沈黙の後、何かをあきらめたような泣きそうな顔で、少女はそれだけを呟いた。  
 
 俺のわき腹、ちょうど朝倉にナイフを突き立てられた場所から光の粒子が噴き出している。………いや、噴き出していたのだろう。今はもう、ポロポロと、落ちていくだけの光のカケラ達。  
「それが、その傷が、あなたをわたしの世界に繋ぎとめていた楔。おせっかい焼きのわたしの友達の、最後かもしれないプレゼント」  
 最後と聞いて、不安に思った事を尋ねる。  
「お前の世界はこれからどうなるんだ?」  
「分からない。わたしはわたしの世界の住人に過ぎないから。でも、」  
 彼女はまるで親兄弟と今生の別れをするかのように悲しそうに続けた。  
「あなたの記憶は、わたしの世界でその傷を付けられてからの記憶は、その傷と共に消える」  
 ………そりゃまた随分と勝手な設定だな、俺の意思は関係なしかよ。  
 
「わたしの世界の『別世界のあなた』はその全てが『彼女』によって維持されていたから。『彼女』が消えると同時に、『わたしの世界にいた時の別世界のあなた』は消えてしまう」  
 こちらの長門は難しい単語を並べ立てる事はしないらしい。………どちらにせよ、分かりにくい事に変わりはないが。  
 ただ、やはりどちらも、俺に嘘をつくような事はしないだろう。  
「どうしようもないのか?」  
「ない」  
 今にも泣きだしそうなその顔は、それが逃れようのない真実なのだと俺にはっきりと理解させた。  
「………俺に何かできる事はないか?」  
 彼女が泣かないようにと発した俺の馬鹿げた質問を聞いて、長門は彼女特有のかすかな微笑を浮かべて言った。  
「じゃあ、わたしの世界に残ってくれる?」  
 優しい少女の意地悪な問いかけ。  
「すまん」  
 俺なりの誠実さを三文字の言葉に込める。  
 俺はもうネジの二・三本飛んじまってる神様を選んじまったんだよ。そしてそれはお前の世界で生きた記憶がある今でも変わらない。もう一度やり直したとしても、俺はやっぱりエンターキーを押すだろうな。  
 
「うん、分かってたよ」  
 微笑を浮かべたまま、優しい言葉が繋がっていく。  
 
「じゃ、最後に一つだけ、お願い」  
 優しい光が消えていく。  
 
「忘れていい、でも覚えていて」  
 最後の光が俺の脇腹からふわりと舞い上がり、  
 
「わたし達は、………わたしは、」  
 
 ………消えた。  
 
 
5.  
 
 光が消えると同時にあらゆる感覚が消失する。  
 俺は今、はたして落ちているのか、進んでいるのか、それとも止まっているのか。  
 昨日が明日に、一秒が百年に、時間の感覚もあやふやだ。  
 
 自分が溶けていってしまいそうな暗闇の中、ぽつんと光る文字のようなものが見える。  
 消えそうになる意識をそこに集中させた。  
 
 
――――――――――――――――――――  
 
YUKI.N>  
 
――――――――――――――――――――  
 
 
 それは、俺が選ばなかった世界からの言葉。  
 俺と彼女の最後の繋がり。  
 彼女の願いを込めた、今にも消えてしまいそうな、とてもちっぽけな存在証明。  
 
 
――――――――――――――――――――  
 
YUKI.N>わたしはここにいた  
 
――――――――――――――――――――  
 
 
 その言葉をしっかりと心に刻みつける。  
 英単語や公式なんぞは覚えてなくても何の問題もない。  
 テストで0点とろうが人間どうとでも生きていけるからな。  
 でも、これを覚えてなかったら、俺は人間じゃなくなっちまうだろ。  
 だから頼むぜ、学業方面前後不覚なマイ鳥頭さんよ。  
 忘れてもいいから、ちゃんと覚えてろよな。  
 
 おそらくもう二度と会う事はないだろうけれど、  
    ―――確かに彼女は、親愛なる我が友人は、『ここ』に存在していたんだ、ってな。  
 
 儚い文字列が、揺らいで、消える。  
 次の瞬間、フォウンというパソコンの電源が切れるような音と共に、俺の意識は完全に消失した。  
 
 
 
Epilogue.  
 
 そして全てを忘れて元の世界で目を覚ました彼は、病室で涼宮さんと再会したのよ。  
 その後もまあいろいろとあったんでしょうけど、それはもうあたしよりあなたの方が詳しいでしょう?  
 
 さて、これがあの世界での、とある恋の結末よ。  
 本当に小さく、儚かく響いた恋のメロディーの最終楽章。  
 ………どう、泣けたかしら?  
 
(………)  
 え、結局あっちの世界はどうなったのか、ですって? むー、そんなのあなたが知らないのならあたしが知ってるはずないじゃない。  
 あたしはキョンくんの中にかろうじて残ってた、光にすらなれなかったほんの小さな残りかすよ。この原始情報媒体に潜り込んで生き延びるだけで精一杯だったんだから。  
 ま、その残りかすも、もうすぐゼロになっちゃうんだけどね。  
 これが有機生命体の言う『死』って概念なのかな? うーん、やっぱり最期まで良く分かんなかったなー。  
 
(………)  
 やだなー、そんな顔しないでよー。はっきりとは分かんないけど、多分あたしは満足だよ。あなたのために生きられたし、最期にあなたに会えたからね。  
(………)  
 うん、憎んでないよ。憎めるもんですか。だって、あなたは『あなた』なんだから。  
 あたしはいつだって『あなた』の幸せを祈ってるわ。それは、覚えてて欲しいかもね。  
 
 
 あ、もう時間切れみたい。  
 
 それじゃ、ね、長門さん。  
 
 え、本題って結局なんだったのか、ですって?  
 
 うん、………あのね、あたしは、  
 
 
 ―――フォウン  
 
 
―――――――――――――――――――――――――  
 サ……ューマイ……ル、愛し…る…。  
  バ……イマ…ガー…………てたわ。  
―――――――――――――――――――――――――  
 
 
 
Her dream.  
 
 北風将軍様が無駄に猛威を振るう冬、この地方には珍しく雪まで降ったある日の事、部室のドアを開けると今日の天気と同じ読みをする名前の少女が、SOS艦隊がコンピ研軍団から戦利品として略奪したノートパソコンを開いていた。  
 どうやらパソコンの電源は切れているようだが、それと同様に停止してしまったかのように動かない彼女が心配になって声をかける。  
 
「何やってんだ、長門?」  
「………」  
 俺の質問には答えず、無言でこちらを見つめてくる長門。圧力をかけて無理矢理凍りつかせているようなその表情は、珍しく俺にも読めないものであった。  
「わたしは」  
 はたして彼女が凍らせたものはなんだったのか?   
「わたしは、彼女達の幸せを願う」  
 ………長門の言う彼女達が誰なのかは分からない。ただ、俺はその言葉を聞いて、あっちの世界のはにかみ屋の読書娘とおせっかい焼きの委員長の事を思い出した。  
「そっか」  
 そう返事した後で、凍らせきれずに流れ出していた不器用で優しい電気少女の雪解け水に気付かない振りをして、外を見た。  
 
 雪解けにはまだしばらくかかりそうな冬の景色が窓の外に広がっている。  
 この景色のように心が凍り付いてしまうような悲しい出来事は、確かに、ある。  
 それらは大抵が避けようのないもので、もしかしたらそんな時俺達にできる事は氷の下で冷たい絶望に耐える事だけなのかもしれない。  
 それでもいつか、必ず春はやって来るのだ。生きてる限りは、誰の上にも平等に。  
 俺の言葉を証明するかのように雲の切れ間から太陽の光が部室内に入り込んできた。  
 
 眩しさに目を細めながら、願う。  
 長門の凍りつかせた『思い』がいつか完全に溶けて、彼女の大切で温かな『思い出』になりますように。  
 そして、こいつが幸せを祈る事で『彼女達』とやらに、小さじ一すくいほどでもいいから、暖かな幸せが降り注ぎますように、ってな。  
 
 
(ありがとう)  
 
 聞こえるはずのない誰かの声が、聞こえた気がした。  
 
 
(大丈夫だ、俺は覚えているよ)  
 
 体のどこかから湧き出してきたそんな言葉を、目を閉じて、誰にも聞こえないよう、心の中でそっと呟いた。  
 
 

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