「世界改変をリセットする」  
 
そう目の前のわたしは言った。  
「了解した」  
そう言って、気が付いた。  
わたしは、世界改変を涼宮ハルヒの能力を利用する形で行った。  
この改変後の世界の涼宮ハルヒは、能力を喪失している。  
そして、ここに情報統合思念体は存在しない。  
 
「わたしはわたしが現存した時空間の彼らと接続している」  
 
情報統合思念体は、時空を超越している。だから、今の言及は誤っている。  
そう思いつつ、しかし、わたしは頷いた。そのことを考える暇はない。  
 
「再改変後、あなたはあなたが思う行動をとれ」  
 
その言葉を聞いて、わたしは理解した。  
わたしは、これから、自身の考えで何かを選択しなければならないのだ。  
彼が、彼自身の考えで世界を選択したように。  
 
わたしは彼を見た。  
今の意識を持つわたしが、自立行動している彼を見るのは、これが最後かも知れない。  
目の前にいるわたしが、今のわたしの完全な未来である保証はない。  
わたしは、わたし自身が再改変後の世界で、継続的に、かつ、暴走することなく、  
彼との関係を維持する方法を、見つけられるだろうか。  
見つけなければならない。ここに、わたしと彼が現れたのだから方法はある。  
確信は持てない。しかし、何か方法はある。あるはずだ。  
 
彼は力強い視線をわたしに向けてくれた。  
心配する必要はない、そう言っているようだった。  
彼の声が聞きたい。彼の気持ちを知りたい。  
しかし、彼は黙したまま、わたしを見ているだけだ。  
ただ、彼の視線は、わたしを安心させる。  
 
そう、わたしは、わたし自身で行動を決めなければならないのだ。  
 
再改変が始まる。同時に、彼らは、彼らの現存する時空へ戻るのだろう。  
急に落ち着かない気分になる。もう少し彼を見ていたい。  
未来の彼、彼は彼の側にいるわたしを、どう思っているのだろう。  
しかし、すぐに再改変が始まった。  
 
突然、情報統合思念体の意識を感じ、再改変の完了を知った。  
異時間同位体の、この時空からの消滅を確認。  
わたしは、校庭に横たわり眠り続ける彼の側により様子を見た。  
刺された傷は修復され、ただ眠っている。問題はない。  
 
この時空の彼、三日後から三年前を経由してこの場に現れ、  
横腹を刺された彼は、この世界再改変の影響を受けなかった。  
ならば、今現時点で家で寝ているはずの彼が改変対象となったのだろう。  
この時空で彼の存在は、この彼が唯一だ。  
 
彼の傍らに座って、顔を覗き込み、彼の頬に手をあてる。  
彼の温もりを感じて、8時間程前のことに思いを馳せた。  
 
わたしは、彼を愛し、彼から愛されたかった。  
単に便利な道具としてではなく、わたしという存在が彼にとって必要なのだと  
そう思って欲しかった。その気持ちが、わたしを選択の余地のない穴倉へと  
追い込んだ。そして、彼に打ち明け、想いを遂げた。そのはずだった。  
しかし、その結果、わたしはさらに求め、それが満たされないと知り、暴走した。  
今でも暴走しそうだ。彼と一つになりたい。彼と同じ時を共有したい。  
 
でも、彼の選択を知った。彼は選択した。わたしは賭けの結果を知ったのだ。  
まず、それを受け入なければならない。そう考えると思考が落ち着いた。  
 
彼の選択は、わたしの世界を否定した。  
わたしは消えたほうがよいのだろう。  
 
そのとき、再修正されるまえのわたしの記憶が蘇った。  
状況を把握できないまま、混乱しているわたしの記憶。  
その中から彼の言った言葉を思い出す。  
そう、彼はわたしを好きだと言ってくれた。  
眼鏡のないわたし。今のわたし。なら、やはり方法はあるのだ。  
予測不能な世界再構築を予防し、彼との関係を継続する方法が。  
 
わたしは、これから行うべきことを考え、情報操作因子によって、  
彼のここ三日間の記憶を消去するべきかを考えた。  
 
わたしの行った世界改変を再改変して戻した今、ここにいる彼は、  
これから始まっただろう、わたしが改変した世界の記憶を持たずに、  
家で寝てなければならない。  
 
彼はわたしの世界で三日間過ごしたはずだ。三年前にそう聞いた。  
ダイジェストだったため、その三日間の詳細は知らない。  
その記憶を彼に忘れて欲しくなかった。  
普通の人間としてのわたしの姿を忘れて欲しくなかった。  
その間の記憶は、今のわたしにはないのだから。  
その記憶は、彼にしかないのだから。  
いつか彼から、そのときの詳細を聞くことができるだろうか。  
 
想いがこみ上げてくる。しかし、冷静に行動しなければならない。  
ここで誤りは許されない。  
 
情報統合思念体のサポートを申請し、現時点での彼の意識を保全する。  
方法は幾つかある。少し考えてキスすることにした。  
彼の頬と額に手をあて、静かにキス。そして彼の意識に触れる。  
それは情報素子の形でわたしの中に移送された。  
 
彼の自意識、つまり彼の存在は、今、彼の肉体を離れ、圧縮凍結されて、  
わたしの中にある。それは無常の喜びをわたしにもたらした。  
わたしは文字通り、彼と一体になっている。わたしはわたしの身体を抱きしめた。  
 
そして彼の身体を抱きしめ、彼のここ三日間の記憶を消去した記憶のコピーを  
彼に送出した。  
三日後、彼は、今の彼――わたしの中の彼――と同期することになる。  
それで彼の時間は繋がる。問題はない。  
 
この再改変後の世界で、これから続く三日間の記憶は失われる。  
でも、失われる記憶情報量は少ないはず。わたしがそうする。心配ない。  
そして、あなたは、わたしのキスで目覚める。  
わたしの世界を記憶しているあなたが。  
 
それは、彼と涼宮ハルヒが現時空から消えた二時間三十分を思い出させた。  
 
唐突に、何かが脳裏に浮かぶ。記憶の濁流。時系列を無視した連想。  
わたしが世界改変を行ったとき、わたしが生まれ変わるときに思ったこと。  
そう、彼は鍵。涼宮ハルヒの鍵。しかし、彼女だけの鍵なのだろうか。  
 
異時間同位体であるわたしが再改変を行うとき、何といったか。  
――わたしはわたしが現存した時空間の彼らと接続している。  
情報統合思念体は、時空を超越している。だから、その言及は誤っている。  
そうわたしは思った。そうなのだ。  
 
考える必要がある。情報統合思念体の意思を確認しなければならない。  
しかし、それはもう少し後。今は、まず彼を。  
 
わたしは、思考を彼に戻した。  
彼を彼の部屋に移送しなければならない。  
情報統合思念体のサポートを受け、情報操作を実施し、彼とわたしを、彼の部屋へ。  
 
彼のベッドの上では、あの猫が寝ていた。  
彼をあるべき姿でベッドに寝せる。彼の側で丸くなる猫。  
しばらく彼と猫を眺め、それからわたし自身をわたしの部屋へ移送した。  
 
あのまま彼を見ていたら、そのまま彼のベッドに潜り込んだかも知れない。  
あの猫がうらやましい。  
 
そしてわたしは、冷え切った部屋の中で天井を見上げ、情報統合思念体の意思を感じた。  
 
情報統合思念体の意思。  
わたしはすぐに何らかの処分を受けると考えていたが、特に何もなかった。  
 
最終的な処分は、しばらく保留ということらしい。  
ただ、わたし自身の存在について、わたしの考えていることを  
申告しなければならない。一時保留を申請、許可された。  
 
そして、わたしはもう観察者ではなくなった。新たな観察者が配置される。  
そのインタフェイスの存在は、知らされない。  
次にわたしが暴走しそうになれば、新たな観察者が、  
速やかにわたしの情報結合を解除するのだろう。  
 
わたしの役割は、あの人と涼宮ハルヒの保全。基本的に今まで通り。  
 
現時点で、わたしの感情を含む自我の再構成は行われない。  
しばらく様子を見てから、決定されるのだろう。  
たぶん、わたしの申告を待って決定される。  
 
わたしの状態全ては、情報統合思念体が完全に把握しているはずであり、  
なのに、わたし自身の申告を待つと言うのは、理解できない。  
 
しかし、これで考える時間ができたことは嬉しい。  
 
しばらく部屋で考える。  
この世界で、わたしは、わたしをどう定義すればよいのだろう。  
 
彼のことを考えると、やはり思考が揺れる。  
でも、昨晩の記憶がある。  
それは、わたしには現実にあったことで、彼の記憶からなくなったことだ。  
 
状況としては、私以外は、一昨日と同じ。  
わたしが頼んだから、彼はわたしを受け入れてくれた。  
わたしが頼まなくても、わたしを受け入れてくれるだろうか。  
または、その可能性があるのだろうか。わからない。  
 
彼が誰かを選ばない限り、今のままの状態は継続する。  
そのようなことはあり得るのだろうか。  
 
結局、彼次第なのだ。ただ、わたしが頼んだら、受け入れてくれたということ。  
これはこれからもそうなのだろうか。  
とりあえず、それは、防波堤のようなものになっている。  
貧弱な防波堤だが、ないよりまし。  
 
しばらく考えて思考を整理し、いつもの時間に学校へ向かった。  
 
その日の午後、短縮授業が終わってから、わたしはいつものように部室に向かった。  
いつものイスに座って、ハードカバーに目を落とす。  
 
いつもと同じ。彼の姿を視線の隅で捉える。あの世界改変も再改変も知らない彼。  
 
その日は、クリスマスに行う子ども会について、涼宮ハルヒが何か言っていた。  
朝比奈みくるが何かするらしい。わたしもたまには何かやってみたい気もする。  
しかし、今は、そんなことを考えている場合ではない。  
 
わたしの思考は、彼のことに集中する。  
 
できるだけ早く彼の記憶を同期したい。  
わたしは、わたしの中の彼――彼の存在――を思った。  
今、朝比奈みくるに視線を固定している彼の記憶は、失われるものなのだ。  
それを考えると気持ちが沈む。しかし、仕方がない。  
 
わたしは彼にあの三日間を覚えていて欲しかった。  
しかし、それだけではない。それ以上に重要な理由がある。  
彼があの三日間を記憶していなければ、この世界再改変は完了しない。  
彼は、わたしが改変した世界で三日過ごした。  
そして、その後、改変直後に戻り、そこで朝倉涼子に刺されて倒れた。  
実際に世界を再改変するのは、これからの彼。そして、これからのわたし。  
その彼は、あの三日間の記憶を持っていなければならない。  
わたしが改変した世界を過ごし、その世界が改変された直後に朝倉涼子に  
刺され、その後、今より未来に、再び、わたしと改変直後の世界に行く。  
そこで、改変後の世界を再改変しなければならない。  
そのときに彼と一緒に未来から来たわたしが、今のわたしの未来なのかは  
確信がない。だから、再改変は、彼がトリガーとなるのだろう。  
 
その記憶を同期する時期が先になれば、先になるほど、  
彼の、他人が彼の行動を記憶していて、かつ、彼がそれを覚えていない  
期間――彼の記憶喪失の期間――が、長くなってしまう。  
それは避けたい。彼の混乱は少ないほうがいい。それはわたしの希望。  
それまでに有効な機会がなければ、三日後の、彼の記憶を同期すると  
同時に情報操作を行うことになる。  
彼に接触した人の記憶を改変し、彼が入院してたことにすればよいだろう。  
その場合、そのためには涼宮ハルヒをの記憶を改変する必要がある。  
情報統合思念体は、彼女の記憶改変に消極的だ。  
 
情報統合思念体は、それについて、ひとつのシナリオを提供した。  
それでうまく行くだろう。  
ただ、一点、気に入らない点がある。でも我慢できる。  
 
そのようなことを考えていたら、彼の視線に気が付いた。  
彼が何か言いたそうな目でわたしを見ている。  
少し嬉しく感じて、何かあったのだろうかと考えた。  
そして、すぐ、逆に、わたしが彼を見つめ続けていたことに気が付いた。  
すぐに視線をハードカバーに落とす。無意識な身体動作は障害の前兆。  
 
「キョン! なんた何でっれとしてんのよっ! 有希がどうかしたの?」  
「いや、なんでもない」  
 
彼が首を振りながら、涼宮ハルヒに向き合うのを視界の隅で捕らえる。  
もうしわけない。  
 
その視界の隅に、古泉一樹の薄い笑顔があった。  
彼らはどこまで認識しているのだろう。でも、それ以上興味はない。  
 
 
そして、そのときが来た。  
 
涼宮ハルヒの提案で、連れ立って買出しに行くことになった。  
部室を出て、階段に向かう。  
 
涼宮ハルヒや古泉一樹に、余計な疑念を抱かれてはならない。  
わたしは、彼が最後について来ていることを確認し、  
先頭を歩く涼宮ハルヒの側によった。  
 
情報統合思念体のサポートを申請する。  
階段を下りる直前、古泉一樹の視界に入らないようにして情報操作を開始。  
彼が階段を下りる、その瞬間、彼の身体をシールドして、彼の足をとめた。  
彼は、つんのめるように、落下する。  
そして、彼が踊り場に落ちるとほぼ同時に、わたしは彼の側に移動した。  
 
考えていた異常の音がした。  
すぐ状態確認。異常なし。そのまま彼の意識を凍結。シールド解除。  
彼は、わたしの中に情報素子の形で凍結している記憶を移送されない限り、  
もう目覚めることはない。ここの彼は抜け殻。  
 
彼の脈と息を確認して、言った。  
「大丈夫、心肺は止まってない。救急車を」  
 
唖然として立ち尽くしてた朝比奈みくるが、いきなり駆け出してきて、  
彼にすがりつき、泣き出した。  
涼宮ハルヒは、立ち尽くしたまま、呆然と床に倒れた彼を見ている。  
古泉一樹に視線を向けると、携帯を取り出そうとして固まっていた。  
 
誰も救急車を呼んでいない。苛立ちが募る。  
わたしは、彼の制服のポケットから携帯を取り出し、ダイヤルした。  
救急車を呼び、電話を切った後、固まっている古泉一樹を睨みつける。  
 
わたしの視線に気が付いたのか、一瞬の後、わたしに目を向けた。  
「どうです? 彼は大丈夫ですか?」  
「心肺機能に問題はない。外傷も確認できない。影響は不明。昏睡状態」  
「救急車を呼ばないと」  
「呼んだ」  
そういって、彼の携帯を古泉一樹に渡し、彼を見た。  
大丈夫だと解っていても落ち着かない。彼のこのような姿は見たくない。  
 
「朝比奈さん、ゆすってはダメです。頭打ったみたいですから」  
古泉一樹の声を遠くに聞いた。  
 
立ち尽くしていた涼宮ハルヒが何か叫んで、彼の許に走る。  
無言で彼を様子を見たあと、突然、振り向きざまに立ち上がり、  
階段の上を指差して叫んだ。  
「誰かがキョンを突き飛ばしたのよ! あたしは見たわ!」  
思わず階段の上を見る。誰もいない。いるはずがない。  
「有希、見なかった?」  
身体が固まる。  
「知らない」  
そう答える。涼宮ハルヒは、彼女の能力で知ったのだろうか。  
いや、それでも誰かを見ることはありえない。  
では、彼女は何を見たのか。見たつもりになっただけか。  
 
わたしは情報操作による介入準備をした。  
情報統合思念体にサポートを申請。  
彼女が見たと言ったら、それは現実になる可能性がある。  
彼が誰かに突き飛ばされて重症を負う。そんな現実。  
なぜそうなるのか。こんなときに。  
彼は無傷なのだ。  
そう考えて、わたし自身、少なからず混乱していることを自覚する。  
彼女は彼が無傷であることを知らない。  
わたし以外の誰もが、彼が無傷であることを知らない。  
 
古泉一樹も真剣な顔で、わたしと涼宮ハルヒを交互に見ている。  
 
次の瞬間、涼宮ハルヒは、  
「でも、あんた、一番最初にキョンのとこにいたし」  
そう言って考える表情になった。  
「今は、それより彼のことを」  
古泉一樹の声に、初めて彼の状態に気が付いたように、彼に向かい、  
「ちょっと、みくるちゃん、ゆすっちゃだめだって」  
と朝比奈みくるを彼から引き剥がそうとした。  
 
救急車のサイレンが聞こえ、古泉一樹が、担架を呼びに走っていった。  
 
担架が着く。救急員が彼に何か応急処置を施し、彼を運んでいった。  
その後を、青ざめた涼宮ハルヒ、泣いている朝比奈みくる、真剣な表情の  
古泉一樹が追う。  
 
わたしは、階段の踊り場から動けなかった。  
彼らが一緒に行ったのに、わたしだけここにいるのは不自然だ。  
しかし、彼らと一緒に気にはならなかった。  
 
心配することは何もない。しかし、なかなか冷静になれない。  
わたしは、情報統合思念体のサポートの下での情報操作により、  
彼を階段から転落させた。それによって彼が傷つくことはない。  
しかし、それをした事実が、わたしを動揺させているのだ。  
わたしは彼を傷つけたかも知れない行為をした。  
 
いやちがう。それ自体は実際なんの問題もないのだ。  
情報操作により彼は完全に守られるのだから。  
 
わたしは、涼宮ハルヒの言葉を思い出していた。  
 
――誰かがキョンを突き飛ばしたのよ! あたしは見たわ!  
――有希、見なかった?  
――でも、あんた、一番最初にキョンのとこにいたし  
 
そう、涼宮ハルヒに気付かれたかも知れない。その事実に動揺しているのだ。  
彼女は、彼の過失であるとは信じないかもしれない。事実、彼の過失ではない。  
彼女は、わたしの姿を見たのではないだろうか。  
わたしの情報操作因子を、わたしの姿として。  
 
いや、それはありえない。  
不安に感じる要因など何もない。涼宮ハルヒから、情報フレアも検出されない。  
やはり、涼宮ハルヒの錯覚だったのだろう。  
 
結局、わたしは、古泉一樹と朝比奈みくるが戻ってくるまで、その場を動けなかった。  
ただ彼の倒れていた場所を見つめ続けた。  
 
部室に戻って、古泉一樹が携帯で何かを確認していた。  
彼の言う機関と連絡を取っているのだろう。  
朝比奈みくるはイスに座って、両手が白くなるほどスカートの裾を握り締めていた。  
涙で濡れた顔を拭こうともしていない。  
 
わたしは居た堪れない気持ちで、いつものイスに座っている。  
情報統合思念体は、何らかの意図を持ってこのシナリオを書いたのか。  
それは、不安を誘う推測だ。  
 
しかし、もう状況は動いている。進むしかない。  
 
古泉一樹が、話していた携帯を畳み、言った。  
「搬送先の病院が解りました。我々も向かいましょう」  
 
彼は古泉一樹の計らいで、治療設備の整った私立総合病院に搬送されていた。  
わたしたちが着くと、集中治療室や各種検査室などが並ぶ廊下で、  
涼宮ハルヒが立ち尽くしていた。血の気の引いた顔をまっすぐ斜め上に向け、  
目を見開いて空中を睨んでいる。  
 
「涼宮さん!」  
古泉一樹が声を掛けるが反応しない。ただ立ち尽くしている。  
わたしは、居た堪れない気持ちになった。  
間違った。しきりにそう感じる。しかし、もう時間を戻すことはできない。  
 
涼宮ハルヒは彼が運び込まれてから、ずっと同じ状態だったに違いない。  
彼女の周りには怒気が満ちているようだった。  
 
反応しない彼女を朝比奈みくるに預け、古泉一樹が検査室の中に入ろうとした。  
検査室の扉が開いた瞬間、涼宮ハルヒが猛烈な勢いで、朝比奈みくるを押しのけ、  
検査室に入ろうとした。それを古泉一樹が押し留める。  
 
「ちょ、ちょっと、まってください! 落ち着いて」  
「キョンは? キョン、ちょっと、こら、じゃますんな!!」  
怒気を含んだ声。揉みあってる相手が古泉一樹だと気付いていないのだ。  
「待って、落ち着いて。僕、ここの理事長知ってるんで、状況を聞いてきますから、  
落ち着いて。落ち着いて、ここで待っててください。いいですか?」  
「…………」  
 
古泉一樹の言葉が理解できたのか、彼の顔を見て、また立ち尽くす。  
「朝比奈さん、お願いします」  
そういって、彼は、検査室の中に入った。  
 
ここは彼の機関が関わっているのか。そう、思考の表面で考えた。  
どこかおろおろしている朝比奈みくるに支えられて、  
涼宮ハルヒは、最初にここで見たときと同じ状態で、空中を睨んでいた。  
 
わたしは間違った。決定的に間違った。  
情報統合思念体のシナリオをもう少し検討すべきだった。  
気に入らない点を、もう少し考えるべきだった。  
もっと違う方法を、何か彼女がショックを受けない、別の方法を考えるべきだった。  
 
このままでも、当初の目的は達成できる。実際、半ば達成した。  
しかし、彼らの感じているあの焦燥と怒りは、本来、不要だったはずだ。  
 
彼が無事であることを伝えたい。三日後に正常に起き上がるのだと。  
しかし、それは伝えることはできない。  
 
しばらくそのままで立ち尽くしていると、古泉一樹が検査室から出てきた。  
涼宮ハルヒが、はじかれたように古泉一樹に駆け寄り、彼の胸倉を掴んで言った。  
「どう……、どうなったの? どうなってんの? 早く答えなさい! 答えろっ!!」  
震える声。語尾は怒声。  
目を見開いて、古泉一樹を睨みつけている。彼は両手を上げて答えた。  
「まあまあ、ちょっと落ち着いてください。彼は無事です」  
「……無事?」  
棒立ちになる。  
「そう、無事です。一通り検査して、異常は全く見つかっていないそうです」  
「無事……」  
そう呟くと、涼宮ハルヒは、その場に座り込んだ。  
 
と、別のドアが開き、ストレッチャーが運び出されてきた。  
「キョン!」  
涼宮ハルヒが駆け出す。古泉一樹、朝比奈みくるが、小走りでそれに続く。  
わたしは動けなかった。  
 
わたしは情報統合思念体の意思を考えていた。  
そしてどうしようもなく抑えきれない思いを感じていた。  
申請などどうでもいい。  
すぐに彼らの記憶を改変してしまいたい、彼らから、彼の転落事後の記憶を消し去りたい、  
そんな気持ち。  
 
そのまま立ち尽くしていると、古泉一樹が戻ってきた。  
「どうしました? 彼は無事ですよ」  
それに頷く。そう、彼は初めから無事なのだ。  
 
「こちらです。病室に行きましょう」  
やっと身体が動き出した。彼の後ろについていく。  
 
「長門さんが、こんな反応するなんて、珍しいですね」  
「…………」  
「で、涼宮さんが言っていた、彼を突き飛ばした人なんですが……」  
「知らない」  
「え? そ、そうですか」  
彼は少し意外な顔をして言った。  
「僕のほうでも調べてみますけど、もし、何かわかったら、教えてくれませんか」  
「…………」  
「お願いします」  
肯首。  
「あぁ、ここです」  
ドアが開き、彼の姿が見えた。  
 
彼は点滴チューブを腕につけ、ベッドで寝ていた。  
わたしが意識を凍結したそのときのままで。  
 
朝比奈みくるが心配そうに見ている横で、涼宮ハルヒが怒鳴っていた。  
「こらぁっ! キョン! 起きなさいよ! 団長命令よ! 今すぐ起きなさい!」  
その傍らで、担当医なのだろうか、医者がカルテのようなものを持って肩を竦めていた。  
古泉一樹が、その医者と何か話し、怒鳴り続けている涼宮ハルヒに言った。  
 
「涼宮さん、ちょっと落ち着いてください」  
「何よ、落ち着けですってぇ? キョン、どこも悪くないって。じゃあ、何で起きないのよ?」  
「昏睡状態なんです。昏睡の原因はわかりません」  
「何それ。起きないなら叩き起こせばいいのよっ。キョン! さっさと起きないと罰金だからね!」  
本当にたたき起こしかねない勢い。  
「待ってください。原因不明の昏睡状態です。無理に起こすことはできません。  
とりあえず、様子を見て。彼が目覚めるのを待つしかありません」  
 
その言葉で、彼女の動きが止まる。  
彼女はうっすらと涙を浮かべていた。眼を見開いて、怒った顔のまま。  
わたしは彼女の心情を考えた。  
 
しばらくそのままでいた後、両目を擦ると、こちらを振り向き、言った。  
「付き添うわよ!」  
「…………」  
「キョンが起きたとき、誰もいなかったらかわいそうじゃないのっ! だから付き添うのっ」  
「付き添いは、この病院に……」  
「ダメ。あんたたちは、交代で見舞いなさい。あたしは団長だから二十四時間付き添うわ!」  
「…………」  
 
「じゃ、お見舞いの順番を決めなさい! あたしは、泊り込む準備をしてくるわ。  
それまでに決めときなさいよ!」  
 
そういって、あっという間に病室を出て行った。  
 
彼女は本当に、彼を大切に思っているのだ。  
それは見ていて微笑ましくなるほどに。  
わたしがそう思えるほどに。  
 
わたしたちは、時間帯を午前中、午後、夕方から面会時間終了までの時間帯にわけ、  
それぞれ空いている時間をお見舞いにあてた。  
朝比奈みくるは、学校があるため、大体夕方から面会時間終了まで。  
学校は、わたしと古泉一樹も同じだが、わたしたちはなんとでもなる。  
わたしと古泉一樹は、その時々で、午前と午後のどちらかを選んだ。  
彼の家族は、夕方から来る。  
涼宮ハルヒは、夜中、ずっと起きていて、昼間に寝袋で眠る、そんな感じ。  
学校に行かなければならないときは、徹夜すると言っていた。  
しかし、わたしの観察では、泊り込むようになってから一度も学校に言っていない。  
 
わたしは病院に行かないときは、家にいた。学校に言っても仕方がない。  
それよりも、情報統合思念体の意思を確認しなければならない。  
 
わたしは初めて情報統合思念体に怒りに近い感情を持った。  
考えてみれば、いや、考えなくても、あれはおかしい。  
もう少し、重症には見えないような方法もあったはず。  
 
古泉一樹は、重症だと思い込んでた。あれでは、誰でもそう思うだろう。  
それなりの訓練をうけているはずの古泉一樹が、その瞬間、行動不能となるほどだ。  
後から聞いた話では、死んだと思ったらしい。それは涼宮ハルヒもそうだろう。  
なぜ、そこまでしなければならなかったのか。  
 
もっとよい方法はあったはずだ。  
それとも、そうしなければ成らない理由があったのか。  
それは、涼宮ハルヒを、動揺させることか。  
朝倉涼子を思い出す。彼を殺して、涼宮ハルヒの出方を見る、と。  
 
情報統合思念体と向き合う。  
 
今回は、その実験なのか。  
実際には保全し、その瞬間、死んだと思わせる。  
 
彼は涼宮ハルヒの鍵。  
 
今までの事例から考えて、涼宮ハルヒの眼前で彼が死の危険に見舞われたら、  
彼女を中心とした情報フレアが発生する可能性が高い。  
彼女は、彼の生死が確定するまで、能力の発現を抑止できるか?  
あの取り乱し方。彼女の無意識な能力の発現ならば、  
彼が死の危険に見舞われた時点で、その事象をなくすだろう。  
彼は初めから、危険にされされることはないはずだ。  
 
しかし、今回はどうだったか?  
情報爆発や閉鎖空間は検出されなかった。  
 
それは何を意味しているのか。彼の意識の有無?  
そう今回は、彼は意識を失っていた。完全に意識はなかった。  
涼宮ハルヒはあれほどの動揺を見せたが、閉鎖空間も情報爆発も発生しないまま、  
事態は収束に向かっている。  
 
過去の事例ではどうか。  
彼が希望したものであったなら。彼の意識的な希望ではなく、  
無意識的な希望の実現に、涼宮ハルヒの能力が使われているとするなら。  
 
反例が一つある。  
わたしは世界改変を、涼宮ハルヒの能力を発現させることで行った。  
その際のトリガーは、彼女が見た夢。わたしと彼の姿。  
わたしは彼女が、彼女の望む世界を作る前に、それに介入し、わたしの望む世界を構築した。  
 
それは、本当に涼宮ハルヒの能力だったのか?  
わたし自身、スタンドアロンの能力では、世界改変は不可能だ。  
それは確実か?  
わたしは、未来のわたしが情報統合思念体いない世界で世界を再改変するのを見た。  
そのあたしは、その時空の思念体と結合していると言った。  
しかし、情報統合思念体は、時空を超越している。  
いや、そもそも私自身にスタンドアロンで世界改変ができるほどの情報操作能力は  
備わっていない。そのように造られていないはずだ。  
では、感情を抑制するように造られ、観察者として、学ばないはずのわたしが、  
感情を芽生えさせ、その制御を学びつつあるのか。  
 
そして、わたしが改変した世界。それは、本当にわたしの望んだ世界だったのか。  
彼が望んだ世界だったのではないのか。  
あの世界は、彼が意識的に望んでいた世界。  
つまり、彼の本当の望みは、彼の無意識にある。深層意識にある。  
彼はそれに気が付いていないだけ。  
だから、彼が望んだ世界は、彼によって否定された。  
 
それではわたしも?  
わたしは、ある目的のために造られた。しかし、今、それを逸脱しようとしている。  
そのことに、意味はあるのか。  
道具は道具の範疇に納まる。道具が、使用者の意思を超えて、勝手にものを造ることは  
ありえない。それは、その時点で道具ではない。道具ではない何かだ。そして、道具は、  
普遍的な意味で使用者を選ばない。使用者の指示に反することはない。  
 
わたしは情報統合思念体に怒りを感じている。  
ならば、その実験には、涼宮ハルヒの反応だけでなく、わたしも含まれていたのだ。  
わたしを変えたのは、彼。答えをださなければならない。  
しかし、その前に、彼を話をしなければならない。彼の意思を知りたい。  
 
そして、三日目になった。  
 
その日、わたしは午前に付き添いに来た。  
わたしが来たとき、涼宮ハルヒは、まだ起きていて、  
疲れたような顔で、ぼんやりと彼の顔を見ていた。  
 
「ねぇ、有希。キョンにキスしたら、目が覚めるかしら」  
少し驚いた。思わず目を上げる。  
 
「違うわよ。あれよ、そう、眠れる森の美女」  
彼女には、その記憶があるのだろう。  
彼にキスされて目が覚めるその記憶。あの二時間三十分の記憶。  
彼女の見た夢。彼の現実。  
と考えたが無言で返す。  
 
「でも、男女逆でもいいんじゃない?」  
そう。これからわたしがする。と思うが無言。  
 
その後、なにが呟いていたが、急に話題を変えた。  
 
「ねぇ、幽体離脱って知ってる?」  
本で読んだことはある。概念は情報生命素子に似ている。と思ったが無言。  
 
「キョンって、階段から落ちたショックで幽体離脱しちゃったんじゃないかしら」  
少し驚いた。そう、まさにその状態。彼の意識は、今、わたしの中にある。  
と考え、無言を返す。  
 
そこで、気が付いた。今、彼の意識は、圧縮凍結して、情報素子に  
定着している。わたしはインタフェイスであり、保持する情報量は  
人と比べて桁違いに大きい。その記憶素子に、彼の意識を展開すれば。  
彼はインタフェイスであるわたしを通して外部と接続できるのではないか。  
もちろん、彼とわたしの内部インタフェイスを接続しなければならないが、  
しかし、不可能ではない。わたし個人の情報操作能力で実施できるかも知れない。  
この考えはとても面白いものに思えた。何かで読んだ。そう、憑依。  
しかし、許可されるとはとても思えない。  
 
その後も何か他愛のない話を振り、一人で話し、わたしは全て無言で返し、  
そのうち、  
「じゃ、少し寝るわ。キョンが起きたら、起こしてね」  
そう言って、寝袋に入った。  
 
驚きだ。涼宮ハルヒは、状況を正確に把握している。  
本当に単なる思い付きなんだろうか。  
 
わたしは、彼が階段から転落した時の、彼女の言動を思い出していた。  
 
わからない。しかし、今日、彼女の願いは叶うだろう。  
 
涼宮ハルヒが寝たことを確認する。  
場の状態を調べ、誰もこの病室へ近付いていないことを確認する。  
 
全ての状態に問題がないことを確認し、わたしは、彼の顔を覗き込んだ。  
 
あの日のあの夜のことを思い出す。  
わたしだけの記憶。感情は温かい。嬉しい、そして少しだけの不安。  
彼の顔を良く見る。見とれそうになる。  
さあ、始めよう。  
 
彼の額と頬に手を置く。  
ゆっくり顔を近付ける。ふと涼宮ハルヒが見ているのではないかという思いが浮かぶ。  
いや、場の状態は、彼女が睡眠中でであることを示している。  
考えすぎなのだろう。少し神経質になっているのかも知れない。  
 
唇を合わせる。彼の意識を感じ、彼に移出する。  
そのまま、彼の唇を舌先で突付く。  
唇を離すことができない。もっと深くキスしたい。  
その欲求に耐える。しばらくそうした後、ゆっくり唇を離す。  
思わず、涼宮ハルヒの様子を見る。大丈夫。  
彼の唇に指を沿わせて、彼が三〜四時間後に目覚めるように因子を調整する。  
これでおわり。  
 
ため息をつく。ベッド横のイスに座りなおす。  
 
もうすぐ、古泉一樹がやってくる。  
彼が来たら、家に帰ろう。  
 
古泉一樹がくるまでは、彼の顔を眺めていよう。  
少しだけ空いている窓から外の騒音が微かに聞こえる。  
微風が入り、前髪を少し揺らす。  
廊下が騒がしいのは、配膳の回収だろうか。  
手を、彼の頬にあてる。  
 
わたしはとても満たされている。  
このような時間が続くのも悪くない。  
 
ドアが開く。古泉一樹だ。もう少し遅くてもよかったのに。  
「すみません、遅れました。いや、ちょっと用事があって」  
 
そして、薄笑いを浮かべ、  
「何かカメラの調子が悪くて。何もありませんでしたか」  
といった。  
「ない」  
そう答え、わたしは立ち上がり、  
「また」  
そう言って、廊下に出た。  
「もう帰るんですか?」  
ここに残って、彼が目覚めるところを見たくはない。  
状況によっては取り乱すかも知れない。家に戻ろう。  
 
ちなみに、そのカメラは正常。たまたま映らなくなっただけ。  
彼の機関はプライバシーを尊重しない。  
わたしもあまり尊重しないが。  
 
後は彼が目覚めるだけ。  
彼と会うのは少し怖い。でも、大丈夫。  
 
彼と会って、わたしは決断しなければならない。  
彼もわたしに聞きたいことがあるだろう。  
 
そして唐突に思いついた。  
涼宮ハルヒは、毎晩、彼にキスしていたのではないだろうか。  
目覚めることを信じて。  
そう思っても不思議と、涼宮ハルヒへの嫉妬や妬みは感じなかった。  
以前はあれほど気になったのに。  
彼に意識がないからだろうか。  
この心理状態については、少し考える必要がある。  
 
でも、きっと、彼女は本当に彼を大切に思っているからなのだろう。  
付き添いを決めたときのことを思い出す。  
 
そこにわたしたち、宇宙人や未来人、超能力者も含めていて欲しい。  
何となくそう思う。  
 
マンションの部屋に戻り、テーブルの前に座った。  
 
わたしが勝手に考え、勝手に追い込まれて、勝手に引き起こした騒動。  
 
彼はまもなく目を覚ます。  
わたしは彼と向き合い、わたし自身と向き合わなければならない。  
それで終わる。  
 
彼は何と言うだろう。  
彼は、わたしの想いを知らない。だから、わたしが引き起こした騒動の原因も知らない。  
 
今回の一件は、すべて、わたしの責任。  
彼にとって便利な道具的な存在であるわたしが、それに満足できず、  
もっと彼に近付きたい、彼に必要とされたいと考えて、彼を追い込んだのだ。  
 
彼は、あまりいい気持ちはしないに違いない。  
普通に考えれば、二度と近寄って欲しくないだろう。  
 
そこまで考えて、もう、何も考えられなくなった。  
そうなったなら、その結果に耐えられそうにない。  
感情が暴走するまえに、今度こそ、消えなければならない。  
でも、彼は、わたしが望めば、聞いてくれる。  
いや、わたしは望んではいけないのだ。  
特に、これから会う彼には、わたしからは何も望んではならないのだ。  
 
原因を問われたら何と答えよう。  
わたし自身の問題は未解決。  
わたしは、相変わらず本心では彼を求め、彼に求められ、一緒になることを欲している。  
その気持ちを隠して、彼との記憶だけを歯止めに、このまま進むことができるのだろうか。  
 
また、どこかで判断を誤って、より状況を悪化させることになるのではないだろうか。  
わたしの持つ情報操作能力は、スタンドアロンでは、それほど強くはないが、  
しかし、この世界ではそれなりの効果を持つ。  
 
彼が病院に運び込まれたときのように、申請もせずに、  
感情にまかせて使おうとすることが、これからもあるのではないだろうか。  
フランケンシュタイン・コンプレックス。笑えない。  
 
気分が落ち込む。あの改変前の気持ちを思い出させる。感情が揺れる。  
 
彼とわたしの関係は、すなわち、彼と涼宮ハルヒの関係だ。  
彼らを観察するはずだったわたしが、彼らと同じ構造を、彼とわたしの間で実現している。  
自らの能力を、涼宮ハルヒは知らない。わたしは知っている。それだけの違い。  
 
結局、わたしは先に進めないのだろうか。  
彼には会わないほうがいいのかも知れない。  
 
もうすぐ面会時間が終わる。  
涼宮ハルヒは帰ったろうか。  
 
今の状態で彼に会ったら、また、同じこと繰り返しそうな気がする。  
思考が安定しない。  
 
床に寝転ぶ。  
そう、仮定を前提に考えても仕方がない。  
 
彼に会うしかない。  
情報の不足は、同期を禁止する限り、避けられない。  
未来を確定的に知ることができない限り、  
正しい――規定事項――判断するために必要な情報は必ず不足する。  
それは仕方のないこと。  
そしてそのとき自分が正しいと思う判断をすれば、  
それが、すなわち規定事項なのだ。  
結果は未来が知っている。  
 
彼に会おう。  
もう随分遅い時間だ。消灯時間も過ぎた。  
でも、彼は待っていてくれる。そう信じられる。  
 
病室の前に立つ。少し躊躇する。ドアが開く。  
 
彼は起きて待っていてくれた。  
わたしは話す。わたしに全責任があることを。  
わたし自身の処分が検討され、結論が保留されていることを。  
 
彼は、問題を起こすことが解っていれば言ってくれればよかった、と言った。  
やはりやさしい。思わず、全てを話してしまいそうになるが、思いとどまる。  
わたしは、そうしたとしても、わたしは該当する記憶を消去してから改変を  
実行するだろう、と伝えた。  
事実、わたしは、彼の記憶を選択的に消去してから、世界改変を実行したのだ。  
わたしだけにある、彼との記憶。  
 
そう言ったときのわたしの表情は見られなかっただろうか。  
見られたくなかった。  
 
彼は、わたしが思いを告げる前の彼より、やさしく見えた。  
わたしが、基本的な問題が解決できておらず、よって、再度、暴走する可能性が  
あると伝えたとき、彼は、わたしの手を握って、言った。  
 
どのようなことがあっても、お前を探しに行くと。  
そして、わたしが消えたら、わたしの改変後の世界、あの三日間の世界を、  
涼宮ハルヒの力を使ってでも実現すると。情報統合思念体の存在しない世界を。  
 
彼は力強くわたしの手を握り締めてくれた。  
彼の手の温もり。わたしは、あの夜、互いに抱きしめあった夜を少し思い出し、  
そして、彼の目を見つめていた。涙が出そうだった。  
 
彼はまったく、わたしの求めていた彼そのものだった。  
わたしは彼の言葉を聞き、情報統合思念体への申告内容を思った。  
 
彼は、情報統合思念体に対して、ひどく怒っているようだった。  
 
わたしは、ただただ嬉しかった。  
彼に受けれてもらったと感じた。  
あの夜に感じたように。  
 
しかし、今日は、わたしから求めたものではない。  
恋人関係を求めたわけでもない。  
 
わたしは、彼に、仲間だと思われていることが嬉しかった。  
情報統合思念体ではなく、わたしを。  
わたしが考えていたものとは、ちょっと違う、でも、確かな絆。  
わたしは、彼の、ただの道具ではなかった。  
 
好きだ嫌いだ、愛する愛されるは、まだ先の話。  
今はそれでいい。彼との間に絆を感じるから。  
彼のベッドに入りたかったが、それは我慢する。  
 
わたしは、肯き、そして、言った、  
「ありがとう」  
わたしの感情が伝わるといいのだけど、伝わっていないようだった。  
少し悲しい。  
 
わたしは自分の部屋に戻り、情報統合思念体の意思を感じた。  
 
部屋を出るときとは逆の、とても嬉しい気分で。  
 
わたしは、彼とこの世界で継続的に関係を構築したい。  
彼にとってわたしは、単なる道具ではない、そう感じる。  
そして必要とされている、そう感じる。  
 
わたしは彼の仲間。そして、涼宮ハルヒも、朝比奈みくるも、古泉一樹も、  
互いに仲間なのだと信じている。  
 
わたしは、わたし自身を信じる。  
 
そして、彼は、情報統合思念体がない世界は認めても、  
彼の仲間のいない世界を認めなかったのだ。  
その彼の仲間は、非常識なプロフィールを持っている。  
持っていなければならないのだ。  
 
そして、異時間同位体との同期機能を放棄し、ロックすることを申請した。  
その機能を最近は、ほとんど使っていない。  
でも、何かのときに使おうとするかも知れない。だから放棄。  
 
意外なことに、情報統合思念体の意思は、喜んでいるようだった。  
 
わたしも観察対象になったらしい。  
 
そう、それは、情報統合思念体が、涼宮ハルヒより扱いやすい対象を  
手に入れたということなのかもしれない。  
 
彼は、わたしの鍵でもあるのだから。  
 
そして、彼が本心から平穏な生活を望んだとき、わたしたちはどうなるのだろうか。  
それともそれは、涼宮ハルヒが平穏を望んだときか。  
ただ、涼宮ハルヒだけは、わたしたちが把握していない能力を持ち続けるのかも知れない。  
あの驚くべき洞察力を。  
 
わたしは、もう、情報統合思念体には戻れないのだろうか。  
でも、きっと彼が何とかしてくれる。そう信じる。  
 
―おわり―  
 

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