「まず……一つお礼を言っておきます。わたしには、有機生命体の死の概念はよくわかりません。でも……」  
喜緑さんは手にした銃をゆっくりと九曜に向け、  
「あなたのおかげで、殺意は学んだ気がします。では、さようなら」  
にっこりと笑った。  
次の瞬間、喜緑さんの銃が轟然と火を吹き、九曜が吹っ飛んで壁に叩きつけられる。喜緑さんは微笑みながら、次々と銃の引き金を引き、そのたびに黒い髪の毛に包まれた九曜の体が跳ねるように動いた。  
「あらあら、その程度ですか? 奇襲とはいえ長門有希を行動不能にした天蓋領域の力は」  
動かなくなった九曜を見下ろしながら、喜緑さんが高速で口を動かし呪文を唱えると、手にした拳銃は一瞬で巨大な二対の青龍刀に変化した。  
「喜緑さん――!」  
一瞬、喜緑さんを止めようとした俺は、喜緑さんの目をみた瞬間、全身に冷たい水をぶっ掛けられたような気持ちになった。  
ちらりとこちらを見た喜緑さんの目は、完全な無表情だった。まるで奥行きがなく、何も読み取ることができない。さっきまでの激しい言葉とは裏腹に、怒りも憎しみも映さない二つの瞳――。  
あの朝倉のような。  
俺はいったいどんな顔をしていたのだろう? 俺の表情を見て、一瞬、喜緑さんの笑顔が、微かに苦痛に歪んだように見えた。  
そして、九曜はその隙を逃さなかった。  
びゅる、  
と九曜の髪の毛が弾けるように喜緑さんと俺に向かって伸びるのと、喜緑さんが俺を抱えて横飛びに飛びのくのが同時だった。  
九曜の黒髪は一瞬で爆発したみたいに増殖し、喜緑さんの造った空間全体を真っ黒に埋め尽くしていく。  
「動かないでください」  
喜緑さんが手をかざすと、俺と喜緑さんの周りに光のシールドのようなものが現れ、九曜の髪を食い止める。  
斥力なのかなんなのか、原理は俺には理解不能だったが、喜緑さんのシールドは、次第に圧力を上げる九曜の髪と拮抗している。  
「――――今日は―――ここ…………まで」  
蠢く黒い壁となった髪の毛の向こうから、伸びきったテープのような九曜の声が聞こえてくる。声の方向に顔を向ける喜緑さんからは、いつものにこやかな笑みは消えていた。  
「情報統合思念体は――いえ、わたしは、あなたが長門有希に対してしたことを許しません。たとえあなたが単なる端末に過ぎないとしても……。またお会いしましょう、周防さん。そのときには、必ず決着をつけますから」  
「――――また……会う――――? でも――世界は――――」  
ねじが切れたように、九曜の声が止まる。天蓋領域の端末は何かを迷っているように沈黙し、やがて呟いた。  
「――――さよなら……」  
最後の挨拶は誰に向けられたものか、ずるり、と九曜の髪の毛が地面に力なく落ち、光の粒となって消えていく。  
空間を埋め尽くしていた黒い髪が消えたとき、すでにそこには九曜の姿はなかった。喜緑さんが、ふう、とため息をつき、展開していたシールドを消した。  
「逃げられました」  
笑顔を浮かべながらも、喜緑さんは残念そうにそう言うと、さっと手を振った。  
一瞬で、さっきまでいた喜緑さんの情報制御空間が消え去り、気づいたときには、俺は長門のマンションの屋上に喜緑さんと二人で立っていた。  
 
 

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