「ねぇキョン。」  
「なんだよ。」  
「受験、頑張ろうね。」  
「うん?…ああ…」  
俺達の高校受験の、1ヶ月ほど前のことだ。佐々木は俺の家に来ていた。  
佐々木が成績が天と地ほど放れた俺と何故一緒に受験勉強をするのか、俺は大して気にしなかった。  
こいつは俺を慕ってくれている。そう、漠然と思いながら、深く考えないようにしていた。  
「突然どうした。俺が頑張ってないようにでも見えたか。」  
「そうじゃない。思い出に浸っていたら、今の僕達を  
 つい客観的に見てしまってね。その客観的視点からの……感想さ。」  
思い出に浸りながらも、その問題でしか使えないような特殊な解法が必要な  
連立2次方程式をすらすら問いている佐々木は、優しい微笑を浮かべていた。  
 
「キョンくん?入るよ。」  
ドアが開かれると、コップを2つ持った妹が入ってきた。  
表情が明るくないのは……佐々木に嫉妬しているのだろう。  
この頃の妹は露骨に俺になついていて、俺がミヨキチとやたら仲良くしていると、  
それを理由にその日の夜中に泣き出したこともある。  
可愛い頃合いと言えばそうであるのだが。  
 
「ありがとう、妹さん。」  
と言う佐々木と俺の前にコップを置いた妹は、佐々木の荷物が気になっているようだった。  
「……佐々木さん、今日泊まるの?」  
「え?はは、鋭いな。実はね、キョン。もう親に今日は友達の家に泊まるって言っちゃったんだ。キョンの家とは言ってないけどね。  
 いいだろう?今日はキミのご両親もいないから、余計な心配をかけることもないしね。」  
と言って、佐々木はいつもより大きめのカバンから寝巻きのようなものを取り出して、  
新しい洋服を買った時の妹のように広げて俺に見せてきた。  
「本気か?どこで寝る気だ。」  
「もちろんこの部屋さ。キミと話がしたくて泊まるんだからね。  
 他の部屋の布団を借りてきてもいいかな。こういうの初めてなんだ。」  
こういうの、というのは友人宅への宿泊を意味するのか、男の部屋に泊まることを意味するのか。  
それを考えるCPUは妹をなだめることに使わなくてはならなかった。  
 
結局、妹も同じ部屋で寝ることになった。  
 
「妹さんはどっちの布団で寝るんだい?」  
と、俺に抱きついて離れない妹に問いかけた佐々木だったが、  
返答を聞くまでもないとわかったのか布団をかぶった。  
妹はまだ起きているようだったが、既にすぐ寝ると容易に推測できる表情だった。  
「話ってのはね、」  
佐々木は珍しく言いづらそうに話を切り出した。  
「待って。妹さん寝てる?」  
「聞こえてはいないだろうな。」  
指で妹の口から垂れた涎を拭いながら答える。  
「……僕にはこれから先、恋と呼べる感情を誰かに抱ける自信がないんだ。  
 もちろん、今、キミにも抱いてはいない。」  
「……」  
「でもね、恋人としかできないことがあるだろう?  
 僕はキミとならそれらをしてもいいと思えている。」  
「……」  
かける言葉が見つからない。  
「そして、このまま一生恋人と呼ぶべき人間に巡り会えず、  
 それらを体験しないまま人生を終えるかもしれないというのは、」  
「っ!…」  
何か言葉を発してその先の言葉を遮ってしまいたかったが、言葉は出なかった。  
「……もう言わなくてもわかるだろう。キョン。  
 キミは僕がどういう人間かわかっているからね。」  
「……」  
「したいんだ。」  
 
佐々木がベッドに侵入してくる間、俺は微動だに出来なかった。  
それは俺の緊張によるものでなく、佐々木の何らかの力の発現だったのかもしれないが、確かめる術はない。  
「意外だな。説教されると思ってたよ。」  
佐々木が俺ににじり寄る。  
いつもの微笑。いつもの声色で。四つんばいになって、獲物に迫る猫科動物の如く。  
妹の寝息が、この世の全ての音であるかのような感覚に陥るほど、部屋は静かだった。  
「何も言えないんだろう?キミは予想以上に僕の理解者であったらしいな。」  
そうだ。何も言えない。佐々木はこうするしかない人間だ。  
俺にもわかっていた。  
逆に、『わかっていたのにそれ以前の段階で拒否しなかった』俺も、佐々木と同じであるのだ。  
その事実がまた俺から拒否の選択肢を奪う。  
なされるがまま、俺は佐々木に押し倒された。  
「キスはしないことにしよう。これは愛のないセックスなんだ。  
 途中で耐えられなくなった僕が何を言っても、キスを与えないでくれ。」  
佐々木は俺の腰の上にぺたっと座り、服のボタンを外し始める。  
「わかった。キスは……しない。」  
俺は佐々木の白い肌に手を伸ばした。  
この狂ってしまった部屋の中、妹だけが変わらずそこにいた。  
 
佐々木のペルソナは脆かった。  
ぎこちない俺の愛撫の時点で崩れかかっていたそれは、俺を受け入れると同時に崩壊した。  
「痛……い……っ……」  
佐々木は普段の表情からは想像もつかないような、子供のような顔で泣きじゃくっていた。  
必死に俺の肩に捕まり痛みに耐えていたが、少し動かすたびに体を震わせ、涙を流した。  
「キョン……キョンっ!……」  
佐々木は俺の体を触って存在を確かめながら、俺の名を呼んでいた。すがりつくように。  
とはいえ俺も精一杯だった。少し動かすだけで射精しそうだったし、  
もっと早く、激しく動かしてしまいたかった。  
しかしそれをすれば佐々木を壊してしまう。  
「キョ…ンっ…キス…して…おね…がい…」  
それはできない。  
「キス…してっ…お願い…だからっ…」  
だめだ。  
佐々木の細い四肢が俺の体により強く絡む。  
俺だってキスはしたい。だが佐々木との約束がある。  
これは二人の関係を崩さないための誓いなんだ。  
「キョンっ…好き…愛してる…」  
「言う…なよっ!…くっ…」  
限界が近い。本当に、愛のないセックスにしてしまっていいのか。  
考える余裕はなかった。  
「ぐ…うっ!」  
「ぅ……ぁああっ!?」  
佐々木の中で、俺は果てた。  
 
「…ごめんよ。キョン。」  
互いに呼吸を整えていると、佐々木が弱々しく口を開いた。  
「何を言ったのか覚えてないよ……はは。」  
佐々木が俺から離れる。  
 
「これでいいんだ。もし僕が愛を認めてしまったら、狂ったようにキミを求めるだろう。  
 僕達は同じ高校へ行けないし、同じ大学へも行けない。これで……いいんだ。」  
「……」  
「キョン、キミとの関係にしこりは残せない。悪いけど、」  
突然目眩がした。頭の中が揺さぶられる。  
佐々木の感触が、佐々木の言葉が、思い出せなくなっている。  
「記憶を消させてもらう。……ごめんよ。自分勝手で。」  
佐々木の後ろ、見知らぬ女がベッドの横に立って、俺の頭に手を向けていた。  
「佐々…木…?」  
「……愛してる。」  
目の前が白くなり、俺の意識は消えた。  
 
「楽しかったよ。キョン。」  
「楽しかったよ。って、いつもの変な話をしただけじゃないか。」  
「僕には楽しかったのさ。じゃあね。妹さんも。」  
俺の腰に後ろから抱きついて、顔を覗かせていた妹がコクッと頷く。  
「本当に楽しかったよ。一生の思い出だ。」  
と言い残して。佐々木は帰っていった。  
「キョンくん、あの人と付き合ってるの?」  
「いや、ただの友達だ。」  
終わり  
 

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