「……その、今日はどうでした?」
少しだけ気だるさを滲ませた、誘拐少女の頬にかかる後れ毛を撫で付けてやる。
喧騒に包まれた世界に復帰して、吹き付けた涼しい風と、熱の余韻を帯びた俺の掌。
そのどちらに橘は目を細めたんだろうな。
「ん……。ずるいのですね。なにも言ってくれないなんて」
なんて言うべきなんだ。浮かんだ言葉はただひとつだけだった
……すまん。
それが声になる前に、俺の唇は橘のそれによって塞がれていた。
いらうようについばんでくる柔らかな感触。
翻弄される意識が現実に引き戻されたのは、そこから漏れてきた囁きのせいだった。
「大丈夫です。涼宮さんには言い付けません。もちろん佐々木さんにも」
あの日から幾度も繰り返された別れの儀式。
慣れる事のない後悔の念が胸を満たす。
「だから、また会ってくれますよね?」
ベルを聞いたパブロフの犬のように、習慣となったセリフが喉まで浮上する。
珍しく少女がその均衡を破って言葉を付け足してきた。
「ヒミツを守るためにヒミツを重ねていく。ずるいのはわたしですね。
もう、なんの為にこうしているのか自分でもわからないのです。
あなたに会うために、それだけかも。それでも、また会ってくれますか?」
名前の出た二人の少女の顔が思い出して胸が疼いた。それでも俺は――
「ああ、またな」
デジャヴのように、この言葉に微笑して身を翻す少女を眺めるために、いつもの返事を返すのだった。