いったい俺たちは何処で選択を誤ったのだろうか。それとも今此処にいる選択こそが正しいというのだろうか。
この命懸けてと心に誓ったその日の夜。まるで走馬灯のように次々と思い出される知り合いたちの姿を思い浮かべながら
俺はアイツが初めて俺と出会った場所で、ただ一人星空を見上げていた。
- * -
「個人的にはあんたがどうなろうと知った事ではない。だが僕という個体からすれば、あんたは死なれると大いに困る存在だ。
腹立たしい事だが僕の生命に関わる事だからな」
朝比奈さんと似ても似つかぬ存在のくせにただ一つ未来人という共通点だけを持つそいつ──藤原(仮称)は、まるでどこぞの
超能力者のように俺の家の前で腕を組みながら壁に寄りかかり、自分の足元へ視線を落としつつ俺の帰りを待ちわびていた。
水と油以上に交わる事も、また交わる気も無い俺としてはこのいけ好かない未来人と話す事など何一つあるはずも無く、従って
そいつを無視して目の前を通り過ぎても何ら問題ないと判断し、いざその通りに実行しようと立ち止まった歩みを始めたところで、
藤原は腕を組んだままの姿勢を崩さず、俺をちらりとも見もしないで先ほどの言葉を告げてきた。
流石に無視できない単語が飛び出た事もあり、俺は再び足を止めると思惑通りに尋ね返してやる。
「……俺が死ぬ、とはどういう事だ」
「言葉通りの意味さ。今はまだ低い確率だが、あんたは明日死ぬ可能性がある」
人間は生きている限り誰だって死ぬ。低い可能性で良いのならそんなものその辺にいる誰にだってあるだろうよ。
歯に毒を塗りつけて語る俺だが、ふとこいつの姿に微妙な違和感を感じ取った。何だ、この間違い探しをしているような感覚は。
「そんな馬鹿な理由をあんたに伝える為に僕がわざわざこの時代へ足を運ぶと思っているのか。だとしたらあんたはこの時代に
駐屯するあの朝比奈みくる以上にめでたい存在だ」
いい加減こいつには一度煮え湯を飲ませる必要があるようだ。いやこの際熱したサラダ油ぐらいの温度でないとこいつのくそったれな
思考も俺の気分も晴れそうもない。
「こいつは警告だ。だが普通の警告じゃない、あんたが死ぬ確率を上げる為の警告だ。どうだ、嬉しいだろう。
あんたが僕の話を聞かず信じずのスタイルをとるのは別に構わない。こちらとしても僕としてもその方が都合がいいぐらいだ。
だが忌々しい事にあんたにこれを伝えるというのが僕の任務でね。だからまずこれだけは伝えておく」
相変わらず俺の方へ顔を向けようともせず、ただ自分のつま先へ軽薄にして酷薄な笑みを落としながら、そいつは告げてきた。
「あんたが話を聞かなければ……まず間違いなく、涼宮ハルヒが死ぬ」
- * -
数年前の七夕の翌日に突如宇宙人へのメッセージが現れた校庭。
もちろん今はそんな落書きなどあるはずも無く、俺は砂と土の荒野にただ一人で佇んでいるような気分に陥っていた。
いや、立っている場所がそんな気分にしているのではない。おそらく、荒んだ野と感じているのは俺の心なのだろう。
俺は目を閉じると、あいつの会話を脳内で反芻した。
- * -
「ハルヒの命、だと……?」
勢いで掴みかかりそうになるのを何とか自制し問いただす。俺がすべきはコイツを締め上げる事ではなく話を聞く事だ。
「必死だな、くっくっくっ……ほらよ」
組んでいた腕を解き、ポケットから小さな耳栓のようなモノを取り出す。
「できる限り第三者に聞かれたくない内容だからな。僕の時代の通信機だ、それをつけろ。それだけで聞くだけじゃなくあんたの
言葉もこっちに伝えられる。ちなみに木偶連中の力も得て開発されている試作品だ、たとえあんたの万能たるお仲間であっても
こいつを通しての会話を解析するのは不可能さ。
それを付けたら適当に散歩でもしてくれ。その意味が判らないほど見世物小屋の動物な訳でもないだろう?」
俺は一度玄関をくぐると、出迎えた妹にノートのコピーにコンビニまで出ると伝言し、ついでに菓子を買って帰る約束を
交わして制服のまま家を出た。未来人二号の姿は既に無い。後は全てこの通信機でということらしい。
俺は耳に通信機と言われた者をはめると自転車を再び取り出し軽い速度で適当に走り始めた。
『──あんたが何も策を講じなければ、の話をしよう。明日の午後、あんたは涼宮ハルヒと二人で街中を探索する事になる。
そして午後三時。いいか、午後三時ちょうどだ。その時にあんたが涼宮ハルヒの手を握っていなければ、涼宮ハルヒは死ぬ』
直接聞くより若干高い音声が耳に響く。今すぐ通信機を外し踏みつけたいぐらい不快をもたらす声だがそうもいかない。
つまりお前を信じるなら、明日の午後三時にハルヒの手を握っておけばハルヒは死を免れる、そういう事だな。
『ああ。ただし、それには問題が一つだけある。まさにそれがあんたへ告げた最初の一言に繋がるのさ』
最初に告げた一言、俺が死なれると困るとか言ってたアレか。
『あんたが僕の言葉を覚えていたとは驚愕だな……いや、ここまできたら皮肉はよそう。余命幾ばくもないヤツの時間を弄ぶのは
流石にいい趣味とは言えないだろうからな』
皮肉めいた言葉が返る。だがそれもこの時までで、通信機からは嘲笑の消えた冷淡な声が流れてきた。
『……いいか、確かに明日の午後三時、涼宮の手をあんたが握っていればヤツは命を取り留める。ただしそれはあんたが命懸けで
涼宮をかばうからに他ならないのさ。比喩でも言葉遊びでも何でもなく、額面通り命懸けでな。
そしてその未来が訪れた場合、あんたは涼宮ハルヒの代わりに命を落とす事となる』
- * -
寒空の中、俺は竹箒で校庭に線を引き始める。俺に指示を出す者も、おぶわれてきた眠り姫も今回はいない。
それでも俺が線を引くのは、今この瞬間確かに俺はここにいたという証を残したくなったから、なのかもしれない。
- * -
ハルヒを助ければ、俺が死ぬ……だと。あまりに不穏当な内容に、俺は通信機へと問いただす。
『そう。この時間に於ける選択分岐はこの二つしかない。あんたがこの事を他の連中に話し、宇宙的、未来的、超能力的な力を
極限まで駆使してどれだけ回避しようとしても無駄だ。たとえある事項から死を免れたとしても別の事項が即座に発生する。
そして必ず、どちらかが死ぬ。未来は二人のどちらか一人にしか訪れない……それがこの時間に於ける規定事項さ』
「ボロが出たな。誰に話しても構わないというのなら、何故こんな通信機で話す」
『あの場所で話せば確実にあんたの仲間はこの事を知る事になる。仲間だけじゃない、周防や橘といった他の連中もだ。
それでも良かったのかい? あんたが自分から仲間へ知らせるのと仲間が勝手に話を知ってしまうのとでは、かなり意味合いが
変わってくると思うけどね、僕は』
くっくっくっと相変わらず押し殺した嘲笑が聞こえてくる。だがその嘲笑に自虐的な面を感じ取ったのは何故だろうか。
『あんたと僕は一蓮托生なのさ。望む望まぬに関わらず、だ。通常時間では未来が幾ら過去へ干渉しようとも未来は揺るがない。
だがある時間のある選択による分岐は未来の姿を大幅に変える。知らないとは言わせない、こうして僕が話せているのが証拠だ』
ああ知っているさ。お前が邪魔したチップ探しとかはまさにそれだったからな。だがそれがどうした、何故俺が死ぬと……と、
そこまで考えて一つの仮説が思いつく。
「……そうか、お前は俺が生きている選択分岐の先にいる存在、そういう事だな」
『禁則事項だ』
俺の将来の何らかがこいつの人生の何処かに深い影響を与えていたとして、その俺がもしその何らかをする前に死んでしまったら。
こいつはその存在自体が消失してしまうかもしれないと、そういう事なのか。
『禁則事項だ、下らん事を何度も言わせるな。あんたが思索すべき事はそんな下らない事じゃない。明日、涼宮ハルヒかあんたの
どちらかが必ず死ぬという既定事項、あんたはそれだけを考えていればいい。何せあんたは自分か涼宮、そのどちらが死ぬか
まさに選択できる立場にあるんだからな」
未来を知るそいつの言葉はまさに死の宣告、余命幾ばくも無い者の前に現れる死神そのものだった。
- * -
こんなもんだったか。手本が無いので適当に記憶を辿り書いてみたがどうだろう。向こうの方にマークがあったような気もする。
地面に引かれた図形を改めて見直しつつ、俺はどっちでもいいかと棒を放り投げ捨てると携帯を取り出した。
「俺だ、佐々木。頼みがある」
- * -
「詳細なんかは全部抜きで聞くぞ。ハルヒの手を握っていれば、ハルヒが助かり俺が死ぬ。これで間違いないな」
『それで合ってる。……本来なら今ここであんたの両手を使いものにならないぐらい痛めつけてでも涼宮の手を握らせないように
するつもりだった。だが、ふん、どうやら無駄みたいだな』
ああ。例え両手が動かなくても俺はハルヒの手を握ってみせる。腕を切られたなら義手をつけてでも実行するさ。
『それがあんた自身と、あんたに関わる未来全てを引き換えにしてもかい? 言わせてもらうが、あんたがそこまでできた人間だったとは
僕は微塵にも思っていない。彼女の、涼宮ハルヒのいったい何が、あんたをそこまで動かすと言うんだ?』
さあな、俺にもよく判らん。意外と未来人のお前の方が知ってるんじゃないか?
でもまああえて今の俺として言うのなら、それは俺がこの話を知ってしまったからだと思う。
例えば俺がハルヒを捨てて生き延びたとしよう。その場合、俺はハルヒを見捨てた事について一生後悔を背負う。
そうなれば死んだような人生か、俺と言う精神が崩壊した状態かになるはずだ。ハルヒと言う存在を捨ててまで歩む人生が
そんなくだらないものだとするなら、俺はあいつに生きる権利を渡す道を選んでやるさ。
『そうか、ふん。だったら最後に一言だけ言わせてもらおう。後は通信機をどうしようが構わない』
自転車を止め耳に手を添える。ほんの僅かな沈黙の後、藤原のメッセージが耳に届いた。
『くたばりな、未来人殺し』
俺はありがたくエールを受け取ると、通信機を足元に落として踏み壊した。
- * -
「そうだハルヒ、お前に話しておかなきゃならない事が一つある」
晴れて翌日の午後。不思議探索と称し朝比奈さんと先を歩くハルヒの腕を掴み、俺はハルヒの意識をこちらへと向けさせた。
「ちょ、何勝手に団長の手を握ってるのよ。セクハラで訴えるわよ?」
お前がいつも朝比奈さんにしてる行為に比べりゃ可愛いもんだと思うがな。そんな事より、今は俺の話を聞け。
時刻を確認しつつ、また横から何か言おうとした古泉を視線で制し、俺はハルヒの手を握ったままで喋りだした。
「ハルヒ、今から言う事の詳細は悪いが他のメンバーに聞いてくれ。長門でも古泉でも、朝比奈さんでもいい。きっと事細かに
全てを教えてくれるはずだ。俺がここで話すにはちょっと時間が無いみたいだしな」
「はあ? あんた、何言ってんのか全然わかんないわよ。それに時間が無いってどういう意味よ」
いいから聞け。俺はハルヒを真剣に見つめたまま握った手に力を込めて、ハルヒを有無を言わせず黙らせた。
視界の隅で長門が視線を何処かへ走らせつつ口を動かすのが見えた。おそらく始まったのだろう。
終わりの、始まりが。
「……今まで黙っていて悪かった。ハルヒ、お前が中学時代に会ったジョン=スミス、あれ俺なんだ」
「え?」
──午後三時。
上から落ちてくる看板に気づき、間抜けな声を発するハルヒを思いっきり後ろへと引っ張りぬく。
次の瞬間、ハルヒを投げた勢いで踏ん張っていた俺の脚がすべりその場に転んでしまい、俺は最期にハルヒの姿を目に映しつつ
上から落ちてきた看板の洗礼を全身に受け、
そこで俺の全てが途絶えた。
- * -
はい、伝達しまぁす。当該事象、誤差は二分と四十一秒。
表情空間は次元瓦解を開始、合わせて裏状空間、えっと、表情空間では閉鎖空間とか言ってましたっけぇ、その侵食が開始されました。
でもすぐに白矮空間が介入して、何とか崩壊は免れたみたいですよ。ウフ、どうも先輩が手をうっていたみたいですね。
はい、今は全空間とも落ち着いているみたいです。
でもこれからどうするんですか。蛇口が壊れちゃったから、もう誰にも水を止められませんよぉ?
- * -
「……何処からお話しましょうか」
「全部よ。あいつが、キョンが何を伝えたかったのか、全部」
式場からの帰り、あたしは三人と話をするべく有希の部屋へとみんなを集めた。いつもの制服姿に喪を表す黒の腕章を付けた
左腕をぴんと延ばし、古泉くんをはじめとした三人を指差す。
「それがジョン=スミスと名乗ったキョンの遺言よ」
そう、ジョン=スミス。あたしの深層心理に深く刻まれ続けていた、あたしの初めての理解者。
その名をなぜキョンが知っていたのか。そしてそれが自分だとはいったいどう言うことなのか。
本当ならあの場に突如現れ、パニック状態に陥っていたあたしを押さえ込んだ佐々木にも話を聞きたかった。だが、
「ごめんなさい。親友を喪失して気が滅入っているのはあなただけじゃないわ。それに」
佐々木はキョンの眠る棺へどうとも取れない視線を送ると
「キョン。僕はこれ以上、一秒たりとも君の霊前などには居たくない」
その一言だけ残し、佐々木は友人と共に式場を後にしてしまった。
あたしの追及に古泉くんが一度大きく肩を落とす。そしていつも付けていた他人を楽しませる為の微笑した仮面を外すと
「判りました、正直に……」
「条件がある」
観念して話を始めようとした古泉くんを、意外にも有希が制した。
「条件? 何よ有希、条件って」
「あなたが聞きたいとしている内容は、わたしと彼が交わした会話、並びに共にした行動、その全てとなる」
有希が静かに、だがまるで旧来の敵を見るかのような熱く黒い視線をぶつけてくる。
こんなに情熱的な有希を見るのは間違いなく初めての事だ。
「それはわたしにとって掛け替えのないもの。わたしは誰にも、たとえ異時間のわたし自身であろうとも語るつもりは無かった。
でも彼はあなたに教えろと言った。よって彼の意思を尊重して、わたしは一度だけあなたに全てを語る事にする。
ただし、あなたが会話中に一度でも否定を口にした場合、わたしはその場で会話を終了させる。そして二度と誰にも語らない」
有希の何処までも透明な瞳はストーブの燃焼状況を覗く為の雲母の窓の如く、その奥に輝く熱い意思を覗かせてきていた。
わたしにとってはそれだけ信じられない様な内容だけれど、でも有希にとってはキョンとの大切な思い出だと、そう言いたいのね。
「そう。いつでもいい、準備ができたら」
「準備ならできてるわ。そう、この喪章を付けた時からずっと」
「……そう」
有希は小さく頷くと、一呼吸分だけ間をおいてから思い出を語り始めた。
「わたしはいわゆる普通の人間ではない。この宇宙を統括する──」
- * -
そこは何も無い、ただただ真っ白な空間だった。
前と違い、空も、星も、大地も無い。ただ無垢なる白い闇が支配する空間だった。
最初の頃は人がいた。でも今はおそらくあたしだけだろう。あたしはおそらく寝転がりながらその空間にたゆたっていた。
『何時まで此処に居るつもりなの。自分で言うのもなんだけど、どう見ても此処は快適なリゾート地には程遠いと思うわよ』
白い影があたしの傍に立ち聞いてくる。
「……あの時確かにそれは起こったのに、あたしには何も無かった。だからこそあたしは何かが欲しかった」
『あなたは自分の価値をわたしに見出そうとした。だがいざこうしてフタを開けてみれば、わたしにも何もなかった』
くっくっと白い闇が嘲笑する。だがあたしは不快に思うどころか、逆にその嘲笑が心地よく思えていた。
『失望した?』
「いいえ、逆です。あなたに何もなかったからかも知れない。あたしがあなたこそはと確信できたのは」
あたしは大きく息を吸いながら胸を前に出すように伸びをする。
『それにしても見事なぐらい何もないわね。あなたから聞いていた話とは随分と違うわ』
白い影が辺りを見回す。
「多分、彼が死んだ事であなたが気づいてしまったから」
『何に?』
「枠なんて何の意味もない。いえ、それどころかこの世界すら何の意味もないモノだったって。だからあなたは心から世界を消した」
『あなたが言うならそうなんでしょうね』
白い影は寝転がるあたしをまたぐ形で立つと見下ろしてきた。
『世界は天秤のようなものだった。天秤を傾かせない為にはどうしたらいいか、結局はそれだけの事だった』
腰の横へ立てひざを付き、手をあたしの方の上へとついて覆いかぶさる。あたしは白い影を見つめながら小さく微笑んだ。
「涼宮さんは天秤にとにかくオモリを載せるタイプ。その度に天秤が大きく揺れようが意に介さず次々とオモリを載せていくわ。
そしてあなたはオモリを全部取り除くタイプ。何一つオモリがなければ天秤はバランスを取る。あなたはそんなタイプ。
……だと思っていたのでしょうね、わたしが仲間と呼んでいたあの人たちは。《神人》が居ないのはその為だ、と」
覆いかぶさる影の顔にそっと手を伸ばし、頬を撫でる。
『でも違ったのね』
「ええ。天秤が傾かない方法、あなたならきっと……天秤を横に倒してしまうのでしょうね」
違う? と世界を見回してやりながら答えてやった。天秤自体を倒してしまえばもう傾く事はない、それ以上傾きようがない。
『これからどうするの?』
「お好きに。あなたはもう、全てがどうでもいいと思っているはずです」
そしてあたしも。心の中でそう付け足し、あたしは影にそっと抱きつくとゆっくりまぶたを閉じた。
どうせ、この時間には未来がないのだから。
- * -
三人から全てを聞き終えるまで、あたしは一言も喋らなかった。口を開けば絶対に否定してしまう。三人が告げた話はそれぐらい
突拍子もなく非現実的で、しかし前々からあたしが気になっていた部分全てに合致する内容だった。
「否定と取れるかもしれないけど、でも一つだけ聞かせて。……その話、キョンに誓って本当なのね」
みくるちゃんたちはしっかりと頷く。あたしは眉間に手を当て天を仰ぐと、話を否定してくる常識意見を全て却下し全肯定した。
「あたしにそんな力が……いえ、そんな事よりも。あたしはこんなに」
気にかけられ、狙われ、利用され、そして何より護られていた。
そう、キョンからも、沢山。
あたしは天を仰いだまま、声亡き慟哭を轟かせた。
「……さて、ここからが本題です」
あたしが落ち着くのを待ち、古泉くんが静かに口を開く。
「涼宮さん、今のあなたが万能の力を手にすれば何をするか、そんなのはあなたと彼を知る者なら誰でも予想できます。
しかし、それだけは涼宮さんでも不可能だと考えています」
どうして。万能の力ならそれこそ何だってできなきゃおかしいじゃない。そして何だってできるのならあたしは──。
「死した魂を取り戻す、ですか。それでは伺いますが、魂とはいったい何なのでしょうか。どういった物なのでしょう?
……僕の予想を言います。涼宮さんが力を駆使して彼を蘇らせたとしましょう。ですがそれは彼ではない。
おそらくそれは、涼宮さんがこうだと思っている彼を作り出したに過ぎないのです」
あたしが知る限りのキョンとしてしか蘇らない……そう言いたいの?
「その可能性が大いにあるという事です。あなたにとっては違和感無い彼が生まれるでしょう。ですがそれも一過性に過ぎない」
「じゃあ、じゃあどうしろって言うのよ! キョン一人生き返らせられないなんて、そんな力の何処が創造主たる神の力よっ!」
あたしの叫びと共に古泉くんの携帯が鳴り出すが、古泉くんはその携帯を取り出し目をくべると徐に壁へと叩きつけた。
ガシャン。
激しい音と共に携帯はジョイント部で真っ二つに別れ、ガラクタと化して床に落ちる。
「……失礼。涼宮さんのその苛立ちが閉鎖空間と《神人》を発生させたみたいです。ははは……当然です。僕だってそんな力が
あったら閉鎖空間の百や二百作ってますよ。
全く……本当、涼宮さんの言う通りです。僕も今ほど自分が無力である事に憤慨した事は、ありません」
ここまで感情を露にした古泉くんを見るのは始めてだ。そして有希の瞳がここまで黒く淀み沈んでいる事も。
「彼の再生を可能な限り申請したが却下された。この宇宙を統括する情報統合思念体を以ってしても再生は不可能、それが理由。
彼はわたしの力が万能だと思っていた。だがそんな事はない。情報を統べる思念などおこがましい。われらは無知にして…………無力」
いつもと同じ表情同じ姿のまま、流れ落ちる雫も無い。でも有希はきっと泣いているのだと、あたしには感じた。
- * -
「…………方法は……あります」
その声は意外な所からもたらされた。あたしは、そしておそらく有希も古泉くんも、その声の発生源へと目を向ける。
静かにうつむき、白い手が赤くなるぐらい握りこぶしを作って、身体を小刻みに震えさせながら。
「一つだけ、方法は……あります」
みくるちゃんは何かを決意したような芯の通った眼差しで、ゆっくりとこちらを見つめ返してきた。
「長門さん……お願いがあります。わたしの、…………を」
みくるちゃんはすっと手を差し出す。
「わかった」
有希は立ち上がりその手を取ると、自分の顔を近づけて迷わずその手に噛み付いた。
「くふっ、うぁ、ああっ………あああああああっ!! い、いだ、く、うああああああ──────っ!!」
みくるちゃんが激しく叫びだし、有希の首筋へ空いた手を伸ばすと強く握り始める。
「って、何やってんのよ! 有希の首をそんな風に絞めたら──」
慌てて止めようとするあたしの肩を古泉くんが捕まえて制す。ちょっと何するの! このままじゃ有希が!
「長門さんなら大丈夫です。それより、今近づいたらあなたの方が危ない」
ギリギリと容赦なく首を締め付けているみくるちゃんを完全に無視し、有希は手を噛み続ける。と、やがてみくるちゃんの手から
徐々に力が抜けていき、やがて首から手を離すとだらんと下に降ろす。そしてみくるちゃん自体も糸の切れた操り人形のように
どさりとその場に腰を落として座り込んだ。
「……処置を施した。あなたの深層心理に掛けられていたプロテクト、並びに罰則催眠は全て解除した」
「あり、がとう……ございます、長門、さん。……これで、お話、できます……」
みくるちゃんは右手を撫でながら肩で息をしつつ、それでも有希に礼を告げた。いったい何をしたっていうの。
「朝比奈みくるに掛けられていた情報規制、禁則事項の枠を全て解除した。またそれに伴う精神的罰則並びに自動防衛の催眠も
合わせて解除。今の彼女に、未来からの制限は何一つなくなった」
「はい……こうしないと……話す事ができない、から……これは時間移動者の、最大級の禁則事項、だから」
みくるちゃんがゆっくりと立ち上がる。そしてあたしたちに頷くと、
「涼宮さん。どうやってもキョンくんを生き返らせるのが無理だと言うのなら、生き返らせる必要がなくなればいいんです」
そんな事を告げてきた。
「必要が、なくなれば?」
「涼宮さんかキョンくん、そのどちらかが必ず事故にあり死亡する。今この時間にはその選択分岐しかありません。
だからキョンくんは自分の生きる道を捨てて、涼宮さんが生きる道を選んだんだと思います。ですが、そもそもこの二つしか
この時間に分岐がないのが一番の問題なんです。だったら、どちらも事故にあわない分岐が生まれるまで過去に戻って、そこから
二人とも事故にあわない未来への分岐を選んでいけばいいんです」
「そう言うのは簡単ですが、未来から邪魔が入るのは目に見えて確実です。こんな個人的な理由での時間改変なんてどう考えたって
未来人たちが黙認するはずがない」
……いや、多分大丈夫。あたしは有希と見つめあい、頷きあった。
「涼宮ハルヒの力は未来の介入より強く働く。それはわたしが実証している」
- * -
「……でました、涼宮さん。戻るべき時間は涼宮さんが力を覚醒した日、時、その三分前です」
「あなたの力が覚醒、いや元々存在すらしない事。それが分岐を生む条件」
あたしのこの不可思議な力が覚醒したと思われる中学一年まで戻り、力を覚醒させず──というより力が無い状態でやり直す。
それが今あたしが立つこの未来以外へと進む方法らしい。キョンひとりと神の力が等価値だなんて。
「判ってるじゃない、世界も。いいわ、キョンが生き残るって言うのならこんな力」
あたしは言いかけて、しかしある事に気づいて言葉を止めた。ちょっと待って。
今のあたしから力が無くなるならともかく、もしその運命の日にあたしの力が発動しなかったとしたら。
「そう。それは同時に、情報統合思念体があなたを監視する理由も無くなるという事」
「……時間震動も発生しないので、未来人がこの時代に調査に来る理由も無くなります……」
「そして涼宮さんに力が無い以上、《神人》も、そしてそれを倒す超能力者ももちろん生まれる事はありません」
それはすなわち、あたしが、この三人と出会えなくなってしまうという事だった。
「え……そんな、そんなのダメよ! キョンだけ生き返ったって、みんながいなくちゃ意味ない! SOS団はみんながいてこそ!」
「でもそれが選択。そして、彼は選んだ」
有希が切り捨てる。でも、でもそんなのは。
「涼宮さん」
みくるちゃんがあたしを後ろから抱きしめてくる。その抱擁はまるで羽根に包まれるかのように、とても優しいものだった。
「何も悩む必要はないですよ。元々わたしは未来人、いずれは涼宮さんたちとお別れしなくてはならない存在でした。それが……
今に、なっただけなんですよ」
「そうですね。僕だって晴れて超能力が失せれば『機関』からお役ご免となっていたでしょう。そしてそうなった時『機関』の事を
知る僕が、今まで通りに涼宮さんたちと共に歩める可能性は、おそらく低い」
古泉くんも笑いながら近づいてくる。哀愁こそ漂うけれど、それは古泉くん本来の微笑みだった。
死なない運命を辿るキョンを取るか、目の前にいる三人を取るか。
「わたしも同じ。いずれ回収される運命」
最後に有希がそう告げた時、あたしは突然にキョンとかわしたあの約束を思い出した。
『だがな。もし、万が一にだ。長門がやっぱり転校するとか言い出したり誰かに無理矢理連れて行かれようとしてたら──』
そうだった……悩むまでも無い事だった。そんなの、答えはすでに決まっていた。きっとキョンだって同じ答えを選ぶはずよ。だから
「……わかった。あたしは」
『──好きなように暴れてやれ。その時は俺もお前に加担してやる』
「あたしは両方取る。キョンかあんたたちのどっちかを選べ? はん、ふざけるんじゃないわよ! いいこと、有希も、みくるちゃんも、
古泉くんもれっきとしたSOS団のメンバーなの! だから覚悟しなさい! あんたたちがたとえ何処にいようとも、あたしとキョンが
必ずあの部室に連れ戻してあげるんだからっ!
有希についてはキョンと約束だってしてるわ。あんたが連れて行かれそうになったら好きなように暴れろって! だからっ!」
あたしは抱きついていたみくるちゃんの手を握り、有希と古泉くんをしっかり見つめると声高らかに宣言した。
「あたしたちに永遠のさよならなんて必要ないわ。むしろ早く来ないかと楽しみに待っていなさいっ!」
- * -
「やっと結論が出たようですね。ところで」
長門のマンションの屋上に立つ、その柔らかな春の風を思わせる少女は後ろに立つ黒い存在に話を振った。
「見ての通り、涼宮さんの選択はある選択分岐の未来人や思念体のいくつかの派閥、それに有機生命体の集団と数多くの敵性因子を
生み出す結果となりました。あなたたちにとっても力の喪失は手痛い選択だと思います」
マンションを中心に数多くの衝撃が生み出されている。可視不可視、光源熱源、ありとあらゆる法則による攻撃がマンションに
向けて与えられているのに、それは一つとしてマンションの、長門の部屋にまでは届いていなかった。
少女──喜緑江美里は後ろを振り向くと、そこにある存在へと語り続ける。
「それなのに、どうしてこちらに?」
その存在はゆっくりと地面を見つめる。
「────彼の瞳──アイ────とても……綺麗────」
そして今度は空を見上げる。月と、星と、それ以外の数多の何かが輝く空を。
「────あの瞳を……もう一度────それだけ────」
何とも言いようのない感想とも取れる内容を呟き、その黒い存在である周防九曜は背を向けた。
「それはまた、何とシンプルでくだらない」
喜緑は周防九曜に近づくとその背にそっと自分の背を合わせる。そして少しだけ重心を後ろへ預けると小さく笑った。
「素敵な理由でしょう」
それ以上、二つの存在は何も語らなかった。
- * -
「……ふっ、ふふふっ、そうでした。完全に失念していました」
あたしの宣言に笑いながらもまず答えてきたのは古泉くんだった。
「僕も彼と約束していたんです。長門さんが困ったら彼に手を貸すとね。いやはや、僕はもう少しで全てを反故にする所でした」
古泉くんがみくるちゃんの手を握るあたしの、その手の前にそっと自分の手を差し出してくる。
「わたしも彼としている。わたしが連れて行かれたら、あなたを焚きつけて必ず迎えに来ると」
有希も古泉くんと同じように手を伸ばす。そして一言。
「待ってる」
あたしは二人の手を取ると、これ以上ないぐらい楽しい笑顔を浮かべて返してあげた。
「もちろん。それじゃまずは古泉くんからね。三人で有希を連れ出しに行きましょう! で、有希を捕まえたら最後にみくるちゃんよ。
有希、宇宙人だったら時間移動ぐらいできるわよね?」
あたしの問いかけに有希が再度頷く。これで未来への切符も整った。あたしは古泉くんと有希の手を重ね、そこに抱きついている
みくるちゃんの腕を取って重ねた。
「オッケー。いい、みくるちゃん。たとえあなたが未来にいようとも、あたしたちは絶対に迎えに行くから。ちゃんといつもの
メイド服でお茶を用意して待機しているのよ! でないとキョンが悲しむわ。いい、これは団長命令だからね!」
「……はい、涼宮さん。ちゃんと……待ってま、しゅから」
みくるちゃんはあたしの背中にぎゅっと抱きついて大きな声で泣き出した。
「開始する」
有希の号令と共にあたしの身体がゆっくりと輝きだす。有希とみくるちゃんのサポートで、あたしを過去へと飛ばす予定だ。
「それじゃ、SOS団は一時解散します。……みんな、最後に一言だけ言わせて」
自分の姿が少しずつ小さくなっていく感じがする。カチューシャが外れ、あの日ばっさり切った、キョンが好きだといった
ポニーテールを結える長い髪が蘇る。
あわせて視界が、みんなの姿が自分からの光で見えなくなる前に、あたしははっきりと告げた。
「ありがとう」
- * -
それはあたしの記憶に残る、中学に上がった頃の小さな小さな思い出。
『何をしているの?』
あたしによく似た少女が、にっこり笑って聞いてきた。
「不思議なことを探してるのよ」
あたしは答える。
『そう』
あたしの馬鹿げた答えに少女は優しく微笑む。それは何だかあたしを全て包み込むような、そんな深く慈愛に満ちた微笑だった。
『それならあなたにいいものをあげる』
「なに? 不思議なもの?」
少女はそれには答えず、ただあたしの頭をそっと撫でてくる。
何だかむず痒く、それでいて少し気持ちいい感覚が全身をよぎった。
『不思議なことって、何?』
なんだろう。あたしは少し考える。
『例えば銀河を統括する宇宙人とか、時間を越えてきた未来人とか、限定空間で暴れる超能力者とか、そういうの?』
少女に言われてあたしは次々と「そうぞう」してみる。
「そうね。それぐらいじゃないと面白くないわ」
『でしょうね。……はい、おしまい』
「え、これだけ? まだ何ももらってないわよ?」
頭を撫でてもらったのは嬉しかったけど。でも、不思議なことの方があたしは嬉しい。
少女は少し考えると『そうね。それじゃかわりに面白い事を一つだけ』と言って空を見上げた。
『七夕の日に大きなメッセージを書くの。あの空に輝く数多の星に届くように』
大きなの部分で少女が大きく両腕を広げる。あたしもつられて空を見上げ、太陽の眩しさに思わず手をかざした。
『どう?』
「いい。それ確かに面白そう。考えておくわ」
大きなメッセージを書くとなれば、それだけの空間と線を引く物が必要だ。あたしはそれらが揃う場所を即座に思いつく。
よし、まずは何を書くかそれを考えなくっちゃ。あたしは早速その計画をまとめる為に走り出した。
『頑張ってね』
少女のそんな励ましを背に受けて。
- * -
くそ長い坂を暗澹たる気分で上りきり、何処の学校でもかわり映えしないだろう入学式を終えると俺はクラスに戻った。
着任五分でハンドボールバカとクラス中に認識された担任の指示の元、クラス初のロングホームルームで自己紹介が始まる。
とにかく変な印象と失敗だけはしないように、それだけを心得て無難な挨拶を終えた俺は、だがしかしその緊張も気遣いも
心意気も全てが無駄だったとすぐに知ることになる。一言で言うなら驚愕、それだけの事がこの後に起こったからだ。
もし未来を知る術があったり過去に戻ったりする事が可能だとしたら、俺は過去の俺に進言することだろう。
平穏無事な生活が欲しいのならば、そいつにだけは近づくなと。
「あたしは、たくさんの人に護られていた事を知りました。
あたしは、たくさんの人に愛されていた事を知りました。
こんなにも終始平穏、万事何ごともなくただ普通に在り続ける世界は、実はあたしが思っていたよりずっと非日常な毎日が
訪れている事を、あたしは失った掛け替えの無い友人たちから教えられました。
だから、あたしはこの世界を徹底的に楽しんでやろうと思ってます。
──東中出身、涼宮ハルヒ。
宇宙人も、未来人も、異世界人も、超能力者も、もうあたしには必要ありません。
今度はあたしが、退屈なんてしている暇が無いくらい愉快な日常をみんなに返していこうと思います。だから」
博愛主義者なのか奇妙な電波を受信してるのかよく判らない言葉を並べるその少女は、そこで一度口を閉じると
後ろを見上げていた俺に目を合わせてくる。恐ろしいぐらいにポニーテールの似合うその少女は瞳になぜかうっすらと涙を浮かべ、
凛としつつも懐古と愉快にほんの少しだけ愛おしさを混ぜたようなその姿は、正直に言って俺の顔を赤面させ鼓動を早めるのに
十分すぎるぐらいの破壊力だった。
涼宮……ハルヒ。
俺が心の中そいつの名を呟くと同時に、そいつは俺のネクタイを掴むと一気に引き上げてきた。もちろん引っ張られる形になる俺は
釣られた魚のようにじたばたしながらそいつに引き寄せられる形となる。
「って何しやがる! 初対面の相手にすることじゃねえぞ!」
「残念、これが初対面じゃないのよね。一方的にだけど」
何だと? いぶかしむ俺を無視し、こいつは俺の首根っこを捕まえると我が物顔で言葉を続けた。
「だから、この世界には面白い事が無いと日々暗澹とした気分で過ごすような、例えばあたしの前にいるこんなバカ面をした
感じの人がまだこの中にいるのならば、あたしの所に来なさい。
世界を大いに盛り上げる為の涼宮ハルヒの団、その団長のあたしと、団員その1のこいつがじっくり面倒見てあげるわ!」
なんだそりゃ。世界を……何だって? 何だか仰々しい名前だった気がするが、お前今何て言った。
悪いが俺の未来日記にそんな怪しい集団活動に入る予定などは一文字も書かれていないはずだ。それといい加減にネクタイを離せ。
そんな俺の数多の訴えを全て一蹴するとこいつは……ハルヒはまるで百ワットの輝きを思わせる笑みを浮かべて、
「世界を大いに盛り上げる為の涼宮ハルヒの団、略してSOS団っ!
もしあんたたちが日常をつまらなく感じ始めたなら、迷わずあたしたちの所に来なさいっ! 以上っ!」
そう、世界に宣言した。
- * -
「頑張ってね。あなたが進むその道は、いつか此処へと繋がるから」
走り去る少女と、あたしから力をもらったあの少女がこれから進んでいく時間軸に、小さく別れを告げる。
あたしは少女に背を向けると、自分が進むべき選択分岐へその一歩を踏み出した。
あたしを、もう一度始める為に。
あたしが愛した全てのモノを、もう二度と手放さない為に。