「アホキョン! あんたなんかもう知らないっ!!」  
 声を張り上げて席を立ったのがハルヒだ。俺だって知ったことか。  
「あたし今日は帰るわフン!」  
 ドカンンンッと残響音を残すような勢いでドアを閉じて姿を消す。  
 もうちょっと静かに閉めやがれってんだ、胸糞悪い。  
「あなたは常識というものを知っていますか?」  
 なんだ、喧嘩売ってんのか? いつもいつもハルヒの肩ばかり持ちやがって。  
 なんなら今から、おもてに……いやオセロなら受けて立つぞ。なんか格闘技の心得とかありそうだしな。  
「いえ、これは失礼しました。言いなおしましょう。  
 常識というものをどう捉えていますか?」  
 そりゃお前……じょ、常識的な考え方とか、行動とかだろう?  
「こういう言葉があります。常識とは二十歳までに確立した偏見である、と  
 先ほどの件なのですがあなたと涼宮さん、どちらがより常識的な意見だったのか?  
 これも僕が口を出すことではありませんね。僕の裁量も、僕個人の偏見から来るものですから」  
 なにが言いたいんだ? あと俺達はいちおう高校生だ。未成年だぜ。  
「口論の原因ですが、あなたは先ほどあの掲示板にアドレスを載せましたね。フルアドレスで」  
 あぁ、だがリンクフリーだったし、投稿もしている住人のサイトだった。  
 しかも俺は良いサイトを広めようとだな――。  
「なるほどあなたは好意で行ったわけです。善意でね。  
 ですが、その行いが他の人間に、目にした人たちにどのように映るか考えて見たことはありますか?  
 知識では知っているはずですよ。『h抜き』というものを、あなたも」  
 知ってるさ。だがカビの生えたローカルルールだろう? みんながみんな守らなきゃならないわけじゃ――。  
「そこで問題になるのはどのように受け取られるかですよ。  
 大きな、そうですね、動画サイトなどならピンポイントでアドレスを貼るのもいいでしょう。  
 ですが、個人のサイトとなると話はすこし違ってくるのです。  
 あの掲示板の人たちも、ある意味涼宮さんを敬愛する、僕達の同志と言っても良いでしょう。  
 あなたが好意を振うのもわかります。ですがこのように考える人も居ると言うことも覚えていてください。  
 個人サイトへの直リンは『カウンターを稼ぎたい運営者の自演ではないか』、  
 『好意的に紹介しているが嵐・炎上への煽動目的なのではないか』と、他にもいくつか上げられますが」  
 そんな馬鹿な……俺はそんなとことは……。  
「あなたの人柄を知っていますから、ええ、僕には他意がないことが解ります。  
 ですが、凡ての人間がそれを承知しているわけではない。  
 だからこそ形骸化してるとはいえ『h抜き』が、ささやかなモラル・マナーとして今も残っているのですよ」  
 それであいつ……ハルヒがあんなに怒ってたのか……。  
「明日でいいですから頭を下げていただけますね?  
 涼宮さんも頭を冷やす時間が欲しいでしょうし、今のところアレは発生していませんから」  
 わかった。朝一番で謝っとくよ。ありがとな、古泉。  
「ふふ、偉そうなことを語ってしまいましたが実際のところ、僕も経験者なんです。  
 指摘された時にはカッとなりましたが、運の良いことにそのスレには丁寧に説明してくれる人がいましてね」  
 なるほどね。あ〜あ、明日はなんて謝ろうかね。  
 お、そういえば、新刊のネタバレについても議論が紛糾していたな。  
 参考までにこれについてはどう思う?  
「それも同様の考えですよ。  
 準拠するスレがあるのだからそれに沿うのが……まあ正しいとは断言しませんが、趣旨には相応しいのではないかと。」  
 おおむね賛成だがな。しかしそう考えるということは、まだ読んでいなかったりするのか?  
「いえ、機関の方から手を回しましたので、刷り上った翌日には読破しました。  
 大事なのは、モニタの向こうにいる相手を思いやるモラルとマナー。それだけです」  
 …………。な、長門はどうだ?  
 
「……今」  
 ん、今読んでるのがそうなのか。内容を語っていたらヤバかったのかもな。  
 いや、カバーを外して見せてくれなくても良いぞ。俺も買ったし、って!   
 待て長門! 『涼宮ハルヒの奔走』ってのは一体どこで手に入れた!?  
「あれぇ? 涼宮さん帰っちゃったんですかあ?」  
 朝比奈さん、ええ、お恥ずかしい話、その……喧嘩しちゃいましてね。  
「だめですよぅ、ちゃんと謝っておいてくださいね」  
 俺が悪いのは規定事項ですか? まあ、そうなんですが。にしても上機嫌ですね。  
「そうですかぁ? うふふ。荒れてる荒れてる。かわいいですねぇ」  
 席についた朝比奈さんは文庫本をノートパソコンの脇に置くと、どこぞの掲示板を眺めている、って!  
 待ってください朝比奈さん! そのチラリとのぞく『涼宮ハルヒの驚愕』はどこから……。  
 俺と古泉は、フンモッフ!とか斥力場ぁ!?では言い表せない、もっと恐ろしいものの片鱗を味わっていた……。  
 
 明けて翌日。  
 教室に入ると、俺の席の後ろで窓を眺めるポニーテールが一人。  
 どういう心境かねぇ。てっきり敷居を跨いだとたん飛びかかってくるやもと怯えていたんだが。  
「ハルヒ、昨日はすまなかった。俺の配慮がたりなかったようだ。ほんとに悪かったな」  
 机に鞄をかけ、立ったまま頭を下げる俺。  
 ちょっと体裁悪いが、教室の脇で谷口がなにやら国木田と口論しているおかげで注目されてはいまい。  
「……いいのよ。あたしも言い方が悪かったんだし。ちょっとだけだけどね。だからチャラにしてあげる」  
 この短いポニーテールは仲直りの証だったりするのか? だったら答えるしかないだろう。  
 窓の外を向いたまま、横目で俺を伺うハルヒ。まぁ、催促までされたしな。  
「ハルヒ。似合っ――――」  
「だからぁ! 関係ねぇっていってんだろぉ?」  
 空気を読まないこと三国無双。谷口の怒声によって遮られた……やれやれ。言いなおす気力はないぞ。  
 
「直リンなんてどぉってことねぇーって! 脳の固まったジジィどもの――」  
「ネタバレなんて今が旬だろう! ぁあ? 誰かより先に手に入れたら自慢しなきゃ損だろうが!?  
 しかも、発売日はすぎてるんだぜ? もうバレでもねぇだろうが!?」  
「これがもし最後の一行で真犯人がわかるミステリ物でも、俺なら躊躇わないんだぜ?  
 これが漢ってやつだ、そうだろ!?」  
 ……古泉が諭してくれなかったら、俺もああなっていたんだろうか?  
 
「……ねぇ……キョン」  
 なんだハルヒ。もう言わないぞ?  
「空を、空を見ないで欲しいの」  
 え?  
「SOS団のみんながいる空の下で人殺しを……だから」  
 な、なにを? ユラリと立ち上がった背中のオーラが怖いぞ?  
 待て! なんでイスじゃなく机を振りかぶってんだよ!  
 だから待てって! 当たるのが谷口だとしてもマジ危ないって!!  
 
 その後、静まり返った教室の中で、異様になまでに遅れて到着した岡部が顔を見せるまでの間、  
 
「似合ってるぞハルヒ。似合ってるぞハルヒ。似合ってるぞハヒル。似……」  
「そんなんじゃダメよ! もっと情感を込めてっ! 谷口みたいに転校したいの?」   
 教室の隅の血溜まりに転校した谷口を視界から閉めだし、  
「ひっ!? にゃってるじょハルヒ! 似合ってるゾはルひ! 愛し――」  
 
 実に15497回目で満足したハルヒが頷くまで、俺は壊れたファービーと化していた。  
 

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