「ほんとうにいいのかい?」  
 塾からの帰り道でのことだ。  
「なにが」  
 とっさに思い出せずに聞き返した。  
「キミの呼称のことだ。休み時間に話していた」  
 ああ、その話か。  
 不本意というのもまあそうなのだが、とっくに慣れてちまったというのも事実だ。  
「別にかまわん」  
 俺がそう言うと、佐々木は口元を緩めてみせ、それから空を進行方向の空を見上げた。  
 ちょうど地球の子供の浮かんでいるあたり。  
 光と闇で半分に切ったようなメイドオブアースをつられて見上げた拍子に、  
俺は授業で中断されたきりだった小さな懸案事項を思い出した。  
「あー、俺はなんて呼べばいい? ニックネームとか――」  
 ククッと、それまで見知っていた友人の誰とも違う笑い方をする。……そんなに変か?  
「いや、失礼。……そうだな、僕のことはね、"キョン"、」  
 停留所の手前で向き直り、覗き込むようにして瞳のきれいな同級生が継げた。  
「ふふ、もっと先ね」  
 一瞬だけ、女子の前で話すときのような口調で俺に笑いかける。  
「もっと先、キミと僕がまた違ったふうに出会うことがあれば、そのときには個人的な要望を  
出すことにするよ。だから今は――」  
 佐々木はその端正な唇で、本人曰く"次善の策"を披露した。  
 以来、教室内でも塾の行き帰りでも、もっとも無難と思われる呼び名で、つまり名字で  
新しい異性の友人を呼ぶことになった。  
 異性といっても、別段それを意識していたわけじゃない。そんな雰囲気にはならない組み  
合わせだったんだ。俺と佐々木じゃ。  
 キョンなんつうけったいなあだ名で呼ばれていたのも、今ではいい思い出だ。  
 
 
「……ふう」  
 我ながらわざとらしい溜息だ。  
 回想の翼を広げてここまできた。口の中がすこしだけ酸っぱい。  
 そしてあいつの"最善策"を、俺はまだ聞いていない。  
 

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