『四月。ある一日』
春爛漫。天真爛漫。美酒爛漫。
いや、最後のは関係ないんだがな。しかもここは神聖な学び舎で、俺も未成年だからな。
このうららかな春の日差しに、暁どころか宵の口まで忘れて惰眠を貪りたいところだが、常に真夏の太陽みたいにギラギラしたこいつが許してくれるはずもない。
北風と太陽じゃないが、今日も俺はサンサンと輝きすぎる太陽に布団を剥がされて、朝っぱらからいつもの面子と部室に集合している次第だ。
春休みというのは、いつから休まない春の日々を指すことになってしまったのかね。
「ジャジャーンッ! これが対戦表よっ!」
マス目の書きなぐられた紙を、未来タヌキの道具よろしく勢いよく掲げたのが『こいつ』ことSOS団団長、涼宮ハルヒその人だ。
対戦表、ね。時節柄のイベント事には目を光らせるこいつのことだ。今日も、まぁやるんだろうなとは察していたんだが、
「なぁハルヒ。これからウソをつくと宣言しちまって、いったいなにをする気だ」
そうだろう? これから言うことがウソだとわかってたら誰も騙されやしない。
だが、いろんなモノと紙一重の人種は考えることが違うらしい。
「バカね! 勝負なんだから正々堂々やらないとダメじゃないっ!」
いつぞやのコンピ研とのゲーム対戦のおり、挑戦の口上途中で蹴り飛ばしたのを覚えているぞ。問答無用だったな。
「だからね、個人戦で対戦するのよ。二人ずつペアになって騙し合うの。
最後に一番すごいウソツキを投票して、少年オブ・ザ・オオカミイヤーを選ぼうって寸法よっ!」
その壊れた称号は名誉なのか? それとも弾劾するのか?
そんなこんなで暖かな春四月。初日早々騒乱の日常がはじまった。
※
春休みのスケジュール表というよりも、カレンダーと化した日程表のもとに今日もせっせと学校に集合だ。
我ながらアリンコ並のいじましさだ。
部活動にいそしむ奇特な団体も少なからずあったが、おおむね敷地内は閑散としたもんさ。
数少ない奇特集団である俺達も、ハルヒ自称の公式ルールに則ってペアを組んで校内に分散している。
一回戦はハルヒと古泉。長門が休場で、俺は朝比奈さんと組になっている。
麗しい上級生との短い逢瀬だ、役得と堪能したいところだが制限時間もあることだし、脳内でありったけの美辞麗句を組み立てるのは自重しておこう。
なにしろ根が正直な俺だ。どんなウソをつくか考えてなかったからな。
「じゃあキョンくん、わたしからウソをつきますね」
はい、お願いします。あなたのウソならどんなものでも天上のラッパとなって耳に響くことでしょう。
「えぇと、ウチの隣の家に、囲いが出来たんですよぉ〜」
…………。
……え? 終りですか?
朝比奈さんは大仕事を成し遂げたかのように大きく息を吐くと、腕を胸の前に揃えて期待に満ちた上目遣いで俺を見ている。
男として、そして人として言わなければならないんだろうか? アレを……。
「へ、へぇ〜。カッコイーですねぇ……」
「うふふ、隣はマンションと道路だから、これはウソなんですよぅ」
お互いに意図がズレていると思うんだが……横で「よかったぁ」とか「えへへ」とか満足そうにしている朝比奈さんを眺めて、無粋なツッコミは封印することにしよう。
さて、今度は俺の番なのか。まぁ、こんなもんだろう?
「うちのシャミセンなんですけどね、猫なのに花粉症なのか最近クシャミが多いんですよ。
それが面白いことにワフン!ワフン! ってまるで犬みたいに」
とっさに考えたんだから俺にもツッコまないでくれよ。
だが朝比奈さんのツッコミならば甘んじて受け……るつもりだったのだが、
「面白いですねぇ〜。あ、でも、病気だったらちょっと心配ですね」
彼女は部室に戻りがてらウソだと説明するまで、可憐な眉を寄せて不安そうにしていた。
俺はあなたの将来が心配ですよ。
※
「誰が愉快な小噺をしろって言ったのよっ! わかってないわねぇ」
そして第ニ回戦。朝比奈さんがお休みで、長門と古泉が騙しあい。
俺はさっきの反応に気を良くして同じウソを使ったんだが、出てきたハルヒの台詞がこれだ。
予想はしてたがね。だが、そこまで言うからにはお前は自信があるんだろうな?
「あったりまえじゃないっ。まずファーストインプレッション、つまり出だしで注意を引き付けるの、それから――」
いや、前説はいいから本題に入ってくれよ。五回戦まであるんだろ。
「うるさいわねっ! じゃあ、覚悟するといいわ!
三年くらい毎晩うなされるようなスッゴイのカマしてあげるんだから!」
まて、ウソをつくだけろう? 呪いでもかけるんじゃないだろうな。
「あんたはそこに立ってなさい! いい? いくわよ」
廊下に立ち止まった俺を置いて、ハルヒがゆっくり進んでいく。
掌を後ろで組んで、上半身を大きく揺らしながら、一歩、二歩と……ゆっくり。
ど、どうしたんだ? らしくないが、カワイイ歩き方だぞ?
「ねぇキョン…? あたし、いつもこんな風だけど……」
なななんだよ? その幼馴染がテレ隠しで拗ねている口調は。
「ほんとうはね…あんたのことが……」
ハルヒの足が、ヒタリと、止まった。
静かに振り返ったその表情が、
「あんたのことが――――」
振り返った表情は、なんだかすごく神妙なものだったんだが……途中で凍り付いて固まった。
かとおもえば、「あれ?」っと首を傾げたり、「アレがこうなって? コレがああだから」とか唸り始めやがった。
なんだったんだよ、今のは?
「うっさいのよっ! いい? あたしはあんたのことなんか――――」
さっきと言ってる事が違うぞ!
しかも、また固まりやがったうえに、いきなり顔を紅潮させやがった。
「――こ、この、ウスラキョン!! なんてこと言わせんのよっ!!」
なんだってんだ! 薄くねぇよ! 何がしたいんだおまえは!?
「あんたが最初に赤くなったのが悪いんでしょっ!!」
あ、赤くなんかなってない! 断じてない! 真っ赤なのはお前だろうが!
ぎゃあぎゃあぎゃあ、「赤い!」「赤くない!」と俺達の声が校舎の静寂を乱していく。
いいがかりも甚だしい!
部室に戻り付く頃、俺達はドローということで納得した。
お互いの『顔が赤い』と言う『ウソ』の判定結果でな。
「あなたはいったい、なんてことをしてくれたんですか」
いきなり真顔の古泉だ。レアだろう? 笑ってないんだぜ?
やっとこさ三回戦。部室で唸り続けるハルヒに追い出され、部室から離れたらコレだ。
早いとこ片付けてノンビリお茶をすすりたいもんだ。
さっきから心臓の調子少しがおかしくてな。不整脈かもしれん。
「先ほど、ごく小規模ですが閉鎖空間が発生しました。
僕は抜けるわけにもいかないので機関の者が駆けつけています。
涼宮さんになにをしたんですか? いえ、怒ってませんよ?」
俺は騙されないぞ。こうやって信じることを忘れて、人は大人になってゆくものなのだなあ。
「たそがれないでください。神人がらみでウソはつきません。
しかし、そうですね……僕のときと同じなら、予想は出来ますが」
なあ古泉、お前はなんて言われたんだ? キリキリ白状してみろ。いや俺も怒ってなんかいないぞ?
「まあ、簡単に言えば『付き合ってください』、ですかね。
どうも今日の涼宮さんは、『ウソ』というものを『反対語』と取り違えているようです。
人によってアレンジすると言ってましたが、あなたにはなんて?」
いや、どこまで話して良いのかわからんが、そもそも最後まで言わなかったぞ。固まってたしな。
「……なるほどね。閉鎖空間の発生原因はおそらくそれでしょう。
伝えたい事があり、だが、それを信じられるのも、疑われるのも耐えられない。
そんな葛藤が大きなストレスになったのかもしれません
むしろ、何もされなかった、あるいは何も答えて貰えなかったという――」
ただのウソつき大会だろう。なんでマジにイライラしてんだ、あいつは。
それと古泉。あまり長くなるようだと聞き流すぞ。
「あなたはウソというものを、どのようにお考えですか?」
反対語でなければ、まあ、普通に騙すためつくモノだろう。
「ご明察です。ですが相手を騙すのにウソが必要でしょうか?
信じて貰えないのなら、真実を話すのでも問題ないはずです。
なぜなら、話を聞いた際に下した自分の判断に『騙されている』のですから。
たとえば、あなたは僕のことをどうお思いですか?」
いろいろ思いつくが、ここで喧嘩を売るわけにもいくまい。
今日の部活後はアルバイト確定のようだし、無難に言っておくか。
「まぁ、そんなに嫌いでもないぜ?」
「……それは、深い。実に深いですね……。
これは侮っていました。そうきましたか……」
何故か思考の迷路にはまり込んでしまった古泉。
これは他人を素直に信じないと、自分が自分に騙されるというダメな大人の見本なんだろうか。
真正直な人生を送ろうと密かに決心し、俺達は部室へと引き返していった
※
「……そう」
さすが長門だ。
俺が一生懸命考えて、二分で思い付いた『シャミセンのウソ』でも謙虚に聞いてくれる。
「……それは腹話術」
いや、違うぞ。
俺にとっての最終戦となる第四回戦。
相手は、話の要点が何処だったのかと僅かに首を傾げている長門だ。
あのな、エイプリル・フールってのがどんなものか知ってるんだよな?
「概念としては知っている。また先ほど古泉一樹からも説明を受けた」
あいつの言うことはあまり真に受けるな。ちなみにどんな説明だ?
「ウソをついても良い日」
意外に簡潔だな。
「ただ、人を騙すのに必ずしも虚言が必要では無い、とも言っていた」
前言撤回だ。というか古泉の説明自体がヤツの『今日のウソ』のような気がしてきたぞ。
四月バカの趣旨は、ささやかな虚言が許されるのであって、困惑するような欺瞞が許容されるわけじゃないんだがな。
「……優しいウソを最後までつきとおすのがオトナのオンナ、とも言っていた」
あの空間の部室で立てた誓いは、まだ有効期限内だろうか? 『殴るぞ、おまえ』。
「……わたしは」
古泉の意見は参考にしないでくれよ?
「この日、他者の言動の真贋に煩悶する精神活動こそが醍醐味であると判断した」
まあ、そうだな。だが、ハルヒの主催したこの大会は、まずウソを吐いて、その優劣を競っていると思うんだが。
「それも考慮した。
その説明を加えたのち、朝比奈みくるに発言したところ、彼女の帰属する時間平面にはこの風習が存在しないと推察した」
あぁ、三回戦が長門と朝比奈さんだったか。さっき部室に戻った時ゼェハァと呼吸を乱していたが、どうしたんだ?
「わたしの発言を号令と誤認した朝比奈みくるに、今日が体育の日ではない事を伝達するのに手間取った。
当該時点までの走行速度及び持久力の自己記録を更新。
ただ、スタートダッシュの反応には遅滞が見られたが、これは武者震いと判断した」
……な、なんて言ったんだ? 聞くのが怖くなってきたぞ。
「……あたなの話は聞いた。今度はわたしの番」
お、そうだった。もう時間も残り少ないしな。
よしこい………………。
…………………長門?
「……いい?」
「あ、あぁ、スマン。始めてくれ」
なんだか律儀だな。囲碁か将棋で対戦するかのようで、俺まで居住まいを正してしまう。
コックン。珍しく大きく頷いてから口を開いた。
「それではウソをつく」
朝比奈さんと一緒だな。こいつも正直なヤツだと頷きを返してやる。
「 わ た し の き も ち あ な た が す き 」
――――――はっ!
ブレザーの袖をひかれて我に返った。これが思考の迷路か……。
「お、終わったのか?」
コックン。またもや大きく頷く長門。
これはあれか? なんか哲学書とか思想書とかブ厚いSFとか、そんなものを読んでないと理解できないような、そういった難解なウソなのか!?
「……時間」
もう一度だけ、かすかに袖がひかれた。
「なあ、ヒントをくれないか?」
部室へと向かう長門に追いすがりながら、情けなくも助言を請う。
ゆっくりと振り向いたその顔に、廊下の窓から木漏れ日が差し込んだ。
静かに首を左右させる仕種にあわせて、
不規則に揺れる光と影、その錯覚なんだろう――
「悩むのも醍醐味」
――長門が楽しそうに微笑んでいた。
※
待ち望んでいた休養時間であるはずの五回戦。
俺は長門の希望どおり煩悶して過ごすはめになった。
お茶にも手が伸びず、これはかなりの重症だ。
だってそうだろう? あんな短い言葉のどこにウソを混ぜるんだ?
好きの反対 嫌い? 好きじゃない?
わたしの反対 あなた? 俺の気持ち? お前が好き?
たわし? もきち? アナグラム? ノイズ? な、なんだってー?
まてまて 逆に考えるんだ キス刀 阿智茂木の下わ
戦刀いと巫女に沙汰w どこの掲示板だ
こんな調子で堂堂巡りだ。
結局、回答に辿り付かないうちに第一陣の帰還を迎えることとなった。
「さすが有希ねっ! なかなかやるじゃないのっ!」
ドアを開ける音でも判断できたが、戻ってきたのは上機嫌で賞賛を口にするハルヒ。
そして、バシバシと背中をどやしつけられている長門だ。
俺の対戦とは違うセリフだったんだろうか?
「……一緒」
「あんた、わかんなかったの…………バカね」
なんで一呼吸してからニヤリと笑うんだよ。悪かったな。
続いて古泉と朝比奈さんが到着。
長門を見てガタガタ震えるのはさすがに失礼だと思いますよ、朝比奈さん。
※
「古泉くんは先に行って場所を確保しといて。
みくるちゃんと有希は、お弁当と飲み物をお願いね。
キョン! あんたは鍵の保管担当ぉっ!!」
さて、ハルヒがあれこれと指示を飛ばしているが、まずは投票結果の発表といくか。
優勝は長門有希。こんな大会でも万能選手の面目躍如だ。
古泉がハルヒに、長門が俺に票を投じ、残りが長門に集まった。
以上だ。たいした大会でもないしな。
長門の横でテレながら、お茶の入ったポット胸に、狼と並んで歩く赤頭巾メイド朝比奈さん。
彼女謹製の昼食満載バスケットを大事に抱え、歩きながら中身を透視してるのがウルフ長門だ。前も見て歩けよ。
朝比奈さんは投票前にハルヒによって部屋の隅へと拉致られ、何事かヒソヒソしていたかと思えば頬を桜色に染め、それ以来ニコニコしっぱなしだ。
出来うる限り盗み聞いた範囲では
「――有希の―――だからね、わりと古典的な、
―――で、重要――ルール――始点と終点を――――」
これ以上はハルヒに追い払われて聞き取れなかった。なんでだよ。
厳粛な審査も終わり、優勝者にはネコミミ……ハルヒが言うにはオオカミ耳らしい、灰色の三角を二つ張り付けたカチューシャが大会委員長の手によって装着された。
裏に『男はオオカミ』などど意味不明な文句を書き込まれたそれは、今も長門の頭から顔を出している。
それであの大会名称だったのか? 優勝しなくて良かった。しかし優勝者は少女なんだが……。
授与式もつつがなく終了。昼食の時間とあいなったんだが、これもハルヒの提案で外で食べることに決まった。
これについては異論はない。風も弱く、日差しも気持ちよさそうだったからな。
古泉が一足早く場所取りに向かったが、競争率はさほど高くないだろう。天気はいいが、それでも春休み真っ只中だ。
「あんた、まだ悩んでんの? みみっちぃわねぇ」
回想しながら廊下に突っ立ってたせいだろう。部室に残ってゴソゴソしていたハルヒが声をかけてきた。
そんなんじゃねーよと返しながら、突き出された紙コップの束を受け取る。
「ほんとバカキョンね」
鍵をガチャつかせながら施錠するハルヒが、髪の毛をぴょこぴょこと揺ら――ピョコピョコ?
「なによ? 外で食べるんだから、風で邪魔にならないようにしてみたのっ! はい鍵!!」
少しばかし長さは足りないが、後頭部の高い位置で結わえられた髪をつい目で追っていた。
なに怒ってんだよ。さっさとよこせ。そんなに上目遣いで睨むな。
俺が差し出した掌の上で、ハルヒが指に引っ掛けた部室の鍵が揺れている。
「ハルヒ」
チャリ、と軽い音を立てて滑り落ちる。
「いや、なんでもないぞ」
この言葉。大会の終了を、意味ありげに『宣言しなかった』こいつがどう受けとめるんだろうな。
「バカキョンっ! 早くこないと全部なくなっちゃうわよっ!!」
そればかりは、いきなり全力疾走を開始した本人のみぞ知るだ。
俺は馴染みの口癖を呟いて追いかけることに専念した。
満開の笑顔を張り付けた、暴れ馬のシッポをな。