春休み間近の物憂い放課後だった。部室でめいめいの時間を過ごしていると団長から号令がかかった。  
 凄い発見をしたかもしれないわ、皆、駆け足で集合しなさい、とハルヒが大きく手招きする。  
 ひとまずボードゲームを中断して立ち上がる俺と古泉。切りのいい場所まで読み終え、本に栞を挟んでか  
ら来た長門。そして湯飲みを布巾で拭いていた朝比奈さんが最後。ネットの海を徘徊しているうちに興味を  
引く画像でも発見したのだろうか。さて何が映っているのかと確かめてたがブラウザは閉じられ、パソコンの  
画面には味気ない壁紙のみが表示されている。ということはパソコンがらみじゃないのか。  
 ハルヒは全員の顔を見回してから、唇の前で人差し指を立てる。  
「小さく輪になって。もっと、もっとよ。互いの肩が触れるくらいに小さく小さく」  
 素直に従うがどうも様子が変だ。あまりにもらしくない。コイツはいつだって人の都合なんてお構い無しにそ  
の場で用件をまくし立てるだけの、まさに要求突きつけ魔なんだが、今だけはひっそりと内緒話をしたいと?  
ここまでして一体どうしたんだ、と聞けば、絶対に内緒よ家族にも口外せず胸に秘めておいて、と前置きす  
る。雰囲気から察するにこれは、少なくとも耳元で「わっ!」なんて戯れじゃなさそうだな。古泉も朝比奈さ  
んも、長門さえも表情を引き締める。ハルヒは皆の頷きを確かめてから、心して聞いてねと言葉をつむぐ。  
「皆、タクシーが給油している場面に遭遇したことある? あたしは、ないわ」  
 人目を忍ぶように低く小さな声で喋る。表情は珍しいほど緊張に満ち、一言一言選びながら話している。  
おっといけない、とハルヒは俊敏な動きで背後の開放されていた窓を閉める。カーテンを引いてしまえば運  
動場から旧校舎まで届く運動部連中の掛け声も、吹奏楽部の時々音を外すパート練習の音も消えて、無  
音の薄暗がりが部屋を覆った。ハルヒは闇に揺り動かされるようにまた一つトーンを下げる。  
「無数にタクシー会社が存在して、あれだけタクシーが走りまわっているのよ。駅前なんて客待ちのタクシー  
 であふれ返っているわ。個人経営のタクシーを含めれば一県だけでも相当な数にのぼるでしょうね。数千  
 台は……ううん、大都市ならそれこそ数万数十万台のタクシーが走っているはずよ」  
 ここまでは良いわね、そう、もしかしたら皆、薄々勘付いているかもねとハルヒは言う。  
「……大丈夫、続けて」  
 長門。  
「車が走るためになくてはならないものガソリン。おかしいじゃない。もちろん見逃しだってあると思うわ。でも  
 十数年生きてきてたったの一度もないの。数万台のタクシーが消費するガソリン。膨大な量でしょうね。  
 それがどこから来ているのか。今の今までどうしてこんな単純な謎に気付けなかったんだろう。不思議なもの  
 よね。日常の陰に隠れていた謎っていうのかな。今度の議題はコレ。もしかしたら結成以来一番の大仕事  
 かも知れないわね。きっと、民間人のあずかり知らないところで秘密裏に結ばれた契約があって――」  
「涼宮さん」  
 もう耐え切れない、とでも言いたげに朝比奈さんが口を開いた。  
 む、と顔をしかめるハルヒをまっすぐに見据えてから、  
「タクシーはガソリンを必要としないんです。ガソリンスタンドでタクシーを見かけないのはそのためなんです」  
「あのね、そんなわけないじゃない。じゃあ何を動力に奴らは街中走っているのよ。辻褄が合っていないでし  
 ょう。いい?あたしが推測するところでは――」  
「お願いします、信じてください」  
 
 優しい、なんて言葉だけで包んでしまいたくない。優しいだけじゃなくて朝比奈さんは強い。ありきたりの  
言葉で片付けてしまえば朝比奈さんという人間を取り違えたことになる。口火を切ること即ち、オブラート  
で包んだとしてもちょっとばかり勘違いしていますよ、と真っ先に言ったのと同義だからだ。それに朝比奈  
さんは真っ先に志願した。とてもじゃないが俺にはできやしない。  
 だが聞く耳なんて持っちゃいない。奴の熱弁は続く。しかし。  
 最初こそハルヒは強気の口調でありえないような持論を展開していた。秘密結社やCIAやKKKといった  
単語が飛び交う。だが、俺たちの雰囲気で伝わったのだろうしだいに語気が弱くなり、終いには、弱く「あ  
たしがガス欠になっちゃった」と言っていた。誰一人としてハルヒと視線を合わせようとしない。一縷の望  
みをこめて見遣った相手は。  
「ね、ねぇ古泉君」  
 神様直々のご指名に、顔を上げてしかたなく、真一文字に結んだ口をほどく古泉。審判が下される。  
「……本当です。ほとんどのタクシーは液化石油ガス、いわゆるプロパンガスを燃料として走っています。  
 これはガソリンとは全く違う種類の燃料なんです」  
「じゃあどうやって――」 落胆、失望、羞恥が入り混じった声。  
「表通りで見かけることはほとんどありませんが専用のスタンドがあるんです。一般車両に混じって給油して  
 いては、給油に手間取って、大事なお客様をお待たせすることになりかねませんから。税金の問題もある  
 そうです。それに大規模なタクシー会社の場合、事務所にスタンドが併設されていることもあるとか」  
「詳しいのね、古泉君」  
「ええ、実は、僕の遠い親戚がタクシー会社を経営していまして」  
「それってこの前の孤島の人と同じ人?」  
「そうです」  
 さらりと嘘をつくんだな。それが悪いなんて言えないが。  
 古泉がカーテンを引き、朝比奈さんがそっと窓をそっと開けた。花曇りの天気の奥から淡い光が差して、温  
い風が一陣吹く。またあの掛け声が戻ってくる。  
 まあ気にするなよ、と苦笑しながら背中を叩いてやると、「どうせ心の中で馬鹿にしているんでしょ!? 悪  
かったわね」の怒鳴り声と共に三倍四倍にして返された。制服の上から跡がつくかと思った。どうして善意を  
仇で返すかね。団長様にとってお恥ずかしい結末となった今日の部活。あまりの的外れっぷりに周囲でも苦  
笑いが絶えない。からかってやりたいところだがこのまま全てをやり過ごして何事もなかったように明日を迎  
えるべきかね。皆同じ気持ちのようだった。それじゃまた明日。  
 ゲームを片付けて鞄を持ち、部屋を出る。一番に退室した団長様は振り向くこともなく足早に去っていく。  
おー、おー、ついには走り出したよ。そんなに恥ずかしかったか。  
 施錠したところで長門が、今日見ていて思った、あなたと涼宮ハルヒはお互いに、とこぼした。  
「俺とハルヒが互いにどうしたって」  
「田舎道を走るタクシーもそう」 宇宙人の目が照り輝いている。  
「その心は?」  
「……とてもすいている」  
 ――ぎゃふん。  
 
 END  
 

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