「僕としてはあんたに死なれると大いに困るんだ。何せ僕の生命に関わる事だからね」
どういう事だ。俺の命が何でお前に関係ある。
「禁則事項なんで詳しくは言わないが、例えばだ。僕があんたの子孫だとしたらどうだい。簡単な話だろ」
相変わらず酷薄な笑みを浮かべているが、その目だけは真剣な色を見せている。
俺の将来の何らかがこいつの人生の何処かに深い影響を与えていたとして、その俺がもしその何らかを
する前に死んでしまったら。
こいつはその存在自体が消失してしまうかもしれないと、そういう事なのか。
「そうさ。多少のずれなら歴史自身が勝手に修正していく。でも僕とあんたの関係は多少のずれじゃ
済まされないのさ。だから、もう一度だけ聞く」
今まで浮かべていた軽薄と軽蔑のブレンドスマイルを隠し、俺が知る限りで一番の真剣勝負な顔をぶつけてくる。
「明日、涼宮ハルヒかあんたのどちらかが必ず死ぬ。これは変えられない既定事項だ。
だがあんたは自分か涼宮ハルヒ、そのどちらが死ぬかを選ぶ事ができる」
未来を知るそいつの言葉はまさに死の宣告、余命幾ばくも無い者の前に現れる死神そのものだった。
「明日の午後三時、涼宮ハルヒの手を握っていたらあんたが死ぬ。握っていなければ涼宮ハルヒが死ぬ。
あんたがこの事を他の連中に話し、宇宙的、未来的、超能力的な力を極限まで駆使してどれだけ回避しようと
しても無駄だ。ある事項から逃れたとしても別の事項が即座に発生し、そして必ず、どちらかが死ぬ。
未来は二人のどちらか一人にしか訪れない……それが規定事項だ」
ハルヒの手を握っていれば、俺が死ぬんだな。この件で一番重要な部分を再度確認する。
「ああ、それで合っている。……本来なら今ここであんたの両手を使いものにならないぐらい痛めつけてでも
涼宮ハルヒの手を握らせないようにするつもりだった。だが、どうやら無駄みたいだな」
ああ。例え両手が動かなくても俺はハルヒの手を握ってみせる。腕を切られたなら義手をつけてでも実行するさ。
「それがあんた自身と、あんたに関わる未来全てを引き換えにしてもかい?
言わせてもらうが、あんたがそこまでできた人間だったとは僕は微塵にも思っていない。
彼女の、涼宮ハルヒのいったい何が、あんたをそこまで動かすと言うんだ?」
さあな、俺にもよく判らん。あえて言うなら、俺がこの話を知ってしまったから、だと思う。
俺がハルヒを捨てて生き延びたとして、おそらく俺はその事について一生後悔を背負うだろう。
そうなれば死んだような人生か、俺と言う精神が崩壊した状態かになるはずだ。ハルヒと言う存在を捨てて
そんなくだらない人生を歩むぐらいなら、俺はあいつに生きる権利ぐらい渡してやるさ。
「そうだハルヒ、お前に話しておかなきゃならない事が一つある」
先を歩くハルヒの腕を掴み、俺はハルヒの意識をこちらへと向かせる。
「ちょ、何勝手に手を握ってるのよ。セクハラで訴えるわよ?」
お前がいつも朝比奈さんにしてる行為に比べりゃ可愛いもんだと思うがな。そんな事より、今は俺の話を聞け。
時刻を確認しつつ俺はハルヒの手を握ったままで喋りだした。
ハルヒ、今から言う事の詳細は悪いが他のメンバーに聞いてくれ。長門でも古泉でも、朝比奈さんでもいい。
きっと事細かに全てを教えてくれるはずだ。俺がここで話すにはちょっと時間が無いみたいだしな。
「はあ? あんた、何言ってんのか全然わかんないわよ。それに時間が無いってどういう意味よ」
いいから聞け。俺はハルヒを真剣に見つめたまま握った手に力を込めて、ハルヒを有無を言わせず黙らせた。
「……今まで黙っていて悪かった。ハルヒ、お前が中学時代に会ったジョン=スミス、あれ俺なんだ」
「え?」
──午後三時。
上から落ちてくる看板に気づき、間抜けな声を発するハルヒを思いっきり後ろへと引っ張りぬく。
次の瞬間、ハルヒを投げた勢いで踏ん張っていた俺の脚がすべりその場に転んでしまい、俺は最期にハルヒの
姿を目に映しつつ上から落ちてきた看板の洗礼を全身に受け、
そこで俺の全てが途絶えた。
「……何処からお話しましょうか」
「全部よ。あいつが、キョンが何を伝えたかったのか、全部」
いつもの制服姿に喪を表す黒の腕章を付けた左腕を延ばし、古泉くんをはじめとした三人を指差す。
「それがジョン=スミスと名乗ったキョンの遺言よ」
そう、ジョン=スミス。あたしの深層心理に深く刻まれ続けていた、あたしの初めての理解者。
その名をなぜキョンが知っていたのか。そしてそれが自分だとはいったいどう言うことなのか。
古泉くんが一度肩を落とし口を開きかけた時、意外にも有希がそれを制して語りだした。
「条件がある」
条件? 条件って何よ。
「あなたが聞きたい内容は、わたしと彼が交わした会話並びに共にした行動、その全てとなる」
有希が静かに、だがまるで旧来の敵を見るかのような熱く黒い視線をぶつけてくる。
「それはわたしにとって掛け替えのないもの。でも彼の意思を尊重し、一度だけあなたに全てを語る。
ただし、あなたが会話中に一度でも否定を口にしたらわたしは会話を終了させる」
……わたしにとって信じられない様な内容だけど、でも有希にとってはキョンとの大切な思い出なのね。
「そう。いつでもいい、準備ができたら」
「できてるわ。そんなの、この喪章を付けた時からずっと」
「……そう」
有希は小さく頷くと、一呼吸分だけ間をおいてから思い出を語り始めた。
「わたしはいわゆる普通の人間ではない。この宇宙を統括する──」
三人から全てを聞き終えるまで、あたしは一言も喋らなかった。口を開けば絶対に否定してしまう。
三人が告げた話はそれぐらい突拍子もなく、非現実的で、しかし前々からあたしが気になっていた部分、
その全てに合致する内容だった。
「あたしに、そんな力が……いえ、そんな事より、あたしはこんなに」
気にかけられ、狙われ、利用され、そして何より護られていた。
キョンにも、沢山。
「……さて、ここからが本題です」
あたしが落ち着くのを待ち、古泉くんが口を開く。いつものような爽快な笑みは無く口調も真剣そのものだ。
「涼宮さん、今のあなたが万能の力を手にすれば何をするか、そんなのはあなたと彼を知る者なら誰でも予想できます。
しかし、それだけは涼宮さんでも不可能です」
どうして。万能の力ならそれこそ何だってできなきゃおかしいじゃない。
「死した魂を取り戻す。それでは伺いますが、魂とはいったい何でしょうか。どういった物なのでしょう?
……僕の予想を言います。涼宮さんが力を駆使して彼を蘇らせたとしましょう。ですがそれは彼ではない。
おそらくそれは、涼宮さんがこうだと思っている彼を作り出したに過ぎないのです」
あたしが知る限りのキョンとしてしか蘇らない……そう言いたいの?
「そうです。あなたにとっては違和感無い彼が生まれるでしょう。ですがそれも一過性に過ぎない」
「じゃあ、じゃあどうしろって言うのよ! キョン一人生き返らせられないなら、こんな力意味が無いじゃない!」
「……方法は、あります」
あたしの慟哭に対し、みくるちゃんが静かに答える。
「生き返らせるのが無理なら、生き返らせる必要がなくなればいいんです……」
必要が、なくなれば?
「事故にあう可能性が排除されるまで過去に戻り、そこから修正する……時間移動者、最大級の禁則事項です」
「あなたの力が覚醒、いや元々存在すらしない事。それが条件」
力が覚醒した中学一年まで戻り、力を覚醒させず──というより力が無い状態でやり直す。それが今あたしが立つ
この未来以外へと進む分岐点らしい。
「いいわ。キョンが生き残るって言うのなら、こんな力」
あたしは言いかけて、しかしある事に気づいて言葉を止めた。
そう。あたしにこの力が元々無かったとしたら。
「それは同時に、情報統合思念体があなたを監視する理由も無くなるという事」
「時間震動が発生しなければ、未来人が調査に来る理由も無くなります」
「そして涼宮さんに力が無い以上、《神人》も、そしてそれを倒す超能力者も生まれません」
あたしは、この三人と出会えなくなってしまう。
死なない運命を辿るキョンを取るか、目の前にいる三人を取るか。
……悩むまでも無いわ。そんなの、答えはすでに決まってるから。きっとキョンも同じ答えを選ぶはずよ。だから
「あたしは両方取る。有希も、みくるちゃんも、古泉くんも、みんな必ずあの部室に連れて行ってあげるわ。
有希についてはキョンと約束してるしね。連れて行かれそうになったら全力で連れ戻せって」
「ならば僕も協力しないといけませんね。彼との約束で長門さんが困ったら手を貸すと言ってあるので」
あたしは必ずキョンを連れて迎えにいく。キョンが有希とも約束しているならなおさらだ。
「そう」
有希は一度小さく呟き、そして頷くと
「待ってる」
そう確かに応えてくれた。
「それじゃ古泉くんとキョンとで有希を捕まえて、そうしたら最後にみくるちゃんね。いい、みくるちゃん。
たとえあなたが未来にいようとも、あたしたちは絶対に迎えにいってあげるわ!」
「涼宮さん……わかりました、私も待ってますから」
あたしの身体がゆっくりと輝きだす。有希とみくるちゃんのサポートで、あたしを過去へと飛ばす予定だ。
「それじゃSOS団は一時解散します。……みんな、最後に一言だけ言わせて」
自分の姿が少しずつ小さくなっていく感じがする。カチューシャが外れ、あの日ばっさり切った、キョンが好きだといった
ポニーテールを結える長い髪が蘇る。
あわせて視界が、みんなの姿が自分からの光で見えなくなる前に、あたしは告げた。
「ありがとう」
新学期の自己紹介で無難な挨拶を終えた俺はこの後驚愕することになる。
もし未来を知る術があったり過去に戻ったりする事が可能なのだとしたら俺は俺に言ってやりたい気分だ。
平穏無事な生活が欲しいのならばそいつにだけは近づくな、と。
「あたしは、たくさんの人に護られていた事を知りました。
あたしは、たくさんの人に愛されていた事を知りました。
こんなにも終始平穏、万事何ごともなくただ普通に在り続ける世界は、実はあたしが思っていたよりずっと
非日常な毎日が訪れていている事を、あたしは失った掛け替えの無い友人たちから教えられました。
だから、あたしはこの世界を徹底的に楽しんでやろううと思ってます。
──東中出身、涼宮ハルヒ。
宇宙人も、未来人も、異世界人も、超能力者も、もうあたしには必要ありません。
今度はあたしが、退屈なんてしている暇が無いくらい愉快な日常をみんなに返していこうと思います。だから──」
博愛主義者なのか奇妙な電波を受信してるのかよく判らない言葉を並べるその少女は、そこで一度口を閉じると
後ろを見上げていた俺に目を合わせてくる。その瞳はなぜかうっすらと涙を浮かべており、その懐古と愉快に
ほんの少しだけ愛おしさを混ぜたようなその姿は、正直に言って俺の顔を赤面させ鼓動を早めるのに十分すぎる
ぐらいの破壊力だった。
と、突然そいつは俺のネクタイを掴むと一気に引き上げてきた。もちろん引っ張られる形になる俺は釣られた魚の
ようにじたばたしながらそいつに引き寄せられる形となった。
「って何しやがる! 初対面の相手にすることじゃねえぞ!」
「残念、これが初対面じゃないのよね。一方的にだけど」
何だと? いぶかしむ俺を無視し、そいつは俺の首根っこを捕まえると我が物顔で宣言した。
「──だから、この世界には面白い事が無いと日々暗澹とした気分で過ごすような、例えばあたしの前にいる
こんなバカ面をした感じの人がまだこの中にいるのならば、あたしの所に来なさい。
世界を大いに盛り上げる涼宮ハルヒの団、その団長のあたしと、団員その1のこいつがじっくり面倒見てあげるわ!」
「誰が団員その1だ! 俺はそんな怪しい活動には」
「入るわ。だってその方が絶対に楽しいもの! 以上っ!」