「早熟な女と無邪気な男」  
 
「おーいっ!」  
忘れ物に気付いたのは彼女が家を出た直後だったのですぐにその後ろ姿を発見することができた。呼ばれた少女は自分の名前が呼ばれ  
たわけでもないのに立ち止まってくるりと振り向いた。俺と目が合うと爽やかな笑顔を向けてくる。が  
「スカート忘れてるぞぉーっ!」  
紙袋を高々と上げぶんぶん振る俺の姿に一瞬のうちにその笑顔が消失し、目を丸くして  
「や、やめて下さいっ!」  
周りを気にしながらパタパタと走り寄って来て俺を軽く睨んだ。  
「どうした?」  
目を三角にして俺の顔を見つめているがその澄んだ瞳は右を向いたり左を向いたりしている。  
「ひっ人が聞いたら変に思うじゃないですかっ!」  
変?俺は単にキミの忘れ物を届けに来ただけなんだが…。それともやっぱりうちで洗濯したほうがよかったかな?  
「うう〜っ」  
顔をいちごの様に真っ赤にしながらミヨキチが唸り出した。  
「も、もう知りません!さよならっ」  
プイッと踵を返し足早に去っていってしまった。  
「お、おい?」  
俺何か怒らせるようなことしたかな?  
 
 
話は二時間ほど前に遡る。  
俺は自分の部屋のベッドの上で本を読んでいた。長門から借りた本でタイトルは小難しいアルファベットの羅列でよく解らないが日本  
語訳のその中身は意外と興味深く『男性は生れつき一夫一婦制にむいていない』ということについて熱く述べられていた。  
「キョンくーん」  
いつものようにドアをノックせずに妹が入って来た。ようやく読書に集中し始めてきたところなのに、チェンジアップのような横槍を  
入れてきやがる。  
「ケーキ!ケーキ!」  
なんで俺が理由もなくお前の為に自分の財布の紐を緩めなきゃならんのだ。世の中には否応なく俺の財布の紐を引き千切る女もいるが  
我が妹にはそんな風になってもらいたくない。  
「ちがーう!ミヨちゃんがケーキ持ってきたのおーっ!」  
俺はここに至っても妹の姿を一瞥もしていなかった。とりあえず俺が散財する心配は無くなったし第一俺は今腹が減っていない。冷蔵  
庫の中にでも入れておいてくれればあとで食べる。  
「だめっ!一緒に食べるのっ!」  
ああうるさいな。何だって今日に限って俺と食べたがるんだ。いつもならどさくさに紛れて俺の分まで食べそうなくせに。  
纏わり付く妹にうんざりしてきて部屋から追い出そうかと思った時、部屋の入口の方からもう一人の声が聞こえて来た。  
「あの…お腹が空いていないのなら今でなくても…」  
小さな声だが、とても聞き取りやすい声だ。  
「…あー、キミか。来てたのか。」  
「こ、こんにちは」  
妹を通り越して俺の視界に入ったのは、廊下から体半分だけ出して部屋の様子を窺っているミヨキチの姿だった。  
「ねっ一緒に食べるよね?」  
妹にウインクされたがケーキを持って来てくれた本人の前で邪険にもできまい。  
「わかったよ」  
と答えることにして台所に移動した。  
 
ミヨキチが持ってきたのはモンブランとイチゴショートケーキだった。しかし俺はそのモンブランにどこか見覚えがあった。  
「ミヨキチ、これー、」  
ミヨキチは小さく俺に笑いかけてきた。やはりそうか。いつぞやの映画の帰りに寄った喫茶店。あそこのケーキか。  
テーブルの椅子に座るとミヨキチは俺にモンブラン、自分達はショートケーキという分け方をした。俺はちょっと考えた。俺にモンブ  
ランをよこしたということは以前自分が食べた時おいしかったからその味を俺にも知ってもらいたいという意思の表れなのかと。ミヨ  
キチの顔を見るとまた微かに笑いかけてきた。なるほど。悪い気はしない。モンブランの味に期待していいということだな。俺がうな  
づくとミヨキチは嬉しそうな顔になった。しかし  
「むっ、二人してなに見つめ合ってるの?」  
ジトッとした目の妹に割って入られると慌てて俺から目を逸らしてしまった。  
「キョンくんミヨちゃんに何かした?」  
次に俺をジロリと見てきた。つまらん想像してるとおまえのケーキ食っちまうぞ。妹の分のケーキが乗った皿をひょいと持ち上げると  
妹がぴょんぴょん飛び跳ねて皿を掴もうとする。  
「だぁーめっ!あたしのケーキっ!」  
かくして俺からケーキを取り戻した妹と共にミヨキチ持参のケーキをご馳走になることとなった。  
 
「うん、うまいよこれ」  
「本当ですか?よかった」  
ミヨキチの笑顔が見たくて言っているのではなく、確かにモンブランはうまかった。甘すぎないのでフォークの進む速度が落ちること  
もない。しかしあの時ミヨキチはモンブラン一個で済ませていたが本当に足りていたのだろうか?男の俺には一個では物足りないのは  
否めない。  
テーブルを挟んで向かいに座る小学生二人組は一方がケーキを角砂糖ぐらいに切り取ってちょっとずつ口に運んでいるのに対しもう一  
方は口の周りをクリームだらけにしてある意味ケーキ職人を喜ばせるような食べ方をしていた。同い年、同じ女の子でどうしてこうも  
違うのかと内心溜息が出るってもんだ。口に出さないのは妹への思いやりだと言い訳しておこう。  
「あれ〜っミヨちゃんどうしてそんな少ししか食べないの?」  
ミヨキチのフォークが止まった。妹はさらに続ける。  
「いつもならミヨちゃんもっとがつがつ食べるのに」  
 
「えっ?え?」  
口の周りについたクリームを指で取りながら話し掛けてくる妹に明らかにミヨキチは動揺した。俺の顔をちらちら見ながら  
「な、何言ってるの?私いつもちょっとしか食べないよ?」  
「え〜っ?」  
指についたクリームをペロペロ舐めながら話す妹の言葉にどれだけの説得力があるというのだろう。俺はミヨキチが小食であることは  
以前目と耳で確認しているのだ。  
しかし女というのは変なとこで勘が鋭くなるようである。  
「あっ解った!キョンくんの前だからだ!」  
クリームの残る指先を俺に向ける妹の姿にミヨキチの目が泳ぎだした。  
「ち、違うもん!お兄さん、違いますう!私、わたし普段から小食でっ」  
いやミヨキチ、その慌てっぷりから自供したも同然だぞ。あとフォークを振り過ぎてケーキのスポンジが散らばってるから。  
「あはっ、ミヨちゃん照れてるっ!」  
「照れてなんかなぁーいっ!」  
まあミヨキチいいじゃないか。俺聞いたことあるぞ。異性の前だと女の子って小食のふりをするっていう、あれだろ?  
「おっ、お兄さんっ!」  
俺の言葉にそれこそ湯気が出そうなほど真っ赤になったミヨキチはテーブルをバンッと叩いた。しかしその衝撃で  
 
ベチョッ  
「あちゃー…」  
 
ミヨキチのデニムのスカートがクリームだらけになっていた。  
 
「ど、どうしよう」  
布巾を探すミヨキチに  
「待った。こういうのはこするとよけい広がっちゃうから」  
俺はまずスカートの上に乗っかっているクリームの塊を取り除くことを優先させた。ミヨキチはケーキをまだ1/3ほどしか食べてい  
なかったのでスカートについたクリームの量もそれなりに多かったのだ。俺はスプーンを持って  
「じっとして」  
「はっ…はい」  
 
しかしなぜかミヨキチは俺がクリームをすくい取ろうとスプーンで触れるたびビクッと震えた。スカート越しでも冷たいのか?クリー  
ムが広がらないようゆっくり取り除いていったが、小刻みに体が震えているのがスプーン越しに伝わってくる。ミヨキチの顔を見ると  
目を閉じて歯を食いしばっていた。  
「ミ、ミヨキチ?」  
「はっ、はいっ。…ふっ」  
呼吸も少し荒くなっている。  
「予防注射じゃないんだから、もっと楽に」  
「ふはっ…すみません…」  
ミヨキチは頬を赤らめて大きく息を吐いたが、最後まで体が震えているのが収まることはなかった。  
妹はというと、その横で手伝いもせずただニコニコしながら俺達の様子を眺めているだけだった。  
 
その後クリーム自体は取り除いたもののスカートに染み込んだ部分は洗濯しなくてはならないということになって、一旦妹のスカート  
をミヨキチに貸すことになった。  
妹の部屋から戻って来たミヨキチの姿を見て俺は久しぶりに腹の底から笑った。見慣れた妹のロングスカートが、ミヨキチには膝が少  
し隠れるくらいのごく普通のスカートになったのだ。  
「キョンくんのばかあっ!」  
頬を膨らませてむくれる妹だったが、自分のウエストにぴったりだったスカートをミヨキチがはいたら拳一つ分ほどのゆとりができて  
しまったことの方がショックだったろう。しきりにお腹を触っていたしな。  
「さあて妹に笑い殺される前にミヨキチのスカート洗うか」  
俺が椅子から立ち上がると  
「いえっ!そこまでしてもらわなくてもいいですっ!」  
俺の前に両手を開いて突き出しぶるぶる振ってきた。  
「遠慮するなって。スカート貸してみ?」  
しかしミヨキチはかたくなにスカートを渡そうとしない。  
「今日はこのスカート借りて帰りますから!ちゃんと洗濯して返しますから!」  
やけに必死になっているミヨキチを見てこれ以上は無理強いになるなと思い彼女の申し出を受けることにした。  
ミヨキチはほっとした顔をしていた。  
 
これがさっきまでの出来事だ。  
今のミヨキチの反応といい、さっきまでの様子といい、今日のミヨキチはどこか落ち着きがなかったな。小学生にしては礼儀正しくて  
上品、というイメージが強かったからこんな一面もあるのかと思うと少し新鮮な気持ちになる。  
まあ妹ほどくだけた感じになられるのも困るがね。  
「おい、待ったミヨキチ!」  
物思いに耽っている場合ではない。本来の彼女を追って来た目的を思い出した。  
「スカート!スカート!」  
ミヨキチの肩がビクリと跳ね上がったのが解った。再びくるりと振り向くと今度は俯いたままずんずんと戻ってくる。俺は笑顔で  
「このままスカート忘れて行かれたらここまで来た甲斐が、」  
 
ドスッ  
 
俺は最後まで言葉を発することができなかった。なぜなら、ミヨキチからみぞおちにボディーブローを喰らっていたからである。  
 
ミヨキチ…こんな一面までは見せなくてもいいから…  
 
 
終わり  
 

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