『とても珍しいことですね。あなたから電話がかかってくるとは』  
 浴室での一件のあと、疲れ切ったみちるを離れに寝かしつけ、昨夜に続いて電話をかけていた。  
「キミだってこないだかけてきたっしょ。お互いさまさま」  
『それで僕に何の御用でしょう? 愛の告白なら歓迎いたしますが』  
「あははっ。そうしたいところだけどさっ、残念ながら別件!」  
 ここで、急に声をひそめる。  
「有希の監視役と連絡をつけられないかい?」  
『……』  
 電話の向こうがしばらく押し黙る。  
『……僕の記憶する限りでは、あなたは必要以上に僕たちと関わりを持たないとのことでしたが』  
「そんなことわかってるっさ。だからこれはキミへの個人的な頼みごとにょろよっ」  
『自分から関与してくるとは、あなたらしくありませんね』  
「あたしもそう思うけど、おせっかいを焼きたいときもあるっさ」  
『……僕個人の手に負える範疇外だと言ったら、どうします?』  
「そうだったら最初から電話したりなんかしないっ」  
『やれやれ』  
 肩をすくめる姿が電話越しでも見えたような気がした。  
『いいでしょう。他ならぬ鶴屋さんからの頼みごとですから。ただ、どうするのかだけは聞いておきたいですね』  
「それは――」  
 
『……なるほど。わかりました』  
 説明を終え、相手は納得したようだ。  
「やってくれるかいっ?」  
『ええ。これなら、どちらに転んでも僕にとってさほど悪い話ではありません。結果も十分想像がつきます』  
「恩に着るよっ」  
『恩義を感じたのなら、行動で示していただいてもいいのではないでしょうか?』  
 声色に普段は見られないものが混じった。  
「ふへ?」  
『僕が何を言いたいのか、わからないあなたではないはずです』  
「むむう。キミって、そんなキャラだったっけ?」  
『人畜無害を続けるのも、これはこれでけっこう苦労するんですよ。息抜きもできませんから』  
「むうう。わかったっ! 成功報酬ってことでっ」  
『期待しています。それでは、日時と場所を言ってもらえれば、そのように取り計らいます』  
「頼んだよっ。じゃ明日の11時にキミたちがいつも使ってる喫茶店でっ」  
『わかりました。御健闘をお祈りします』  
 
 
445 名前:名無しさん@ピンキー 投稿日:2006/05/13(土) 20:54:15 ID:Hebl1gM8 
 
「ん……ひゃっ、く、くすぐったいっ」  
 翌朝、目を覚ました鶴屋さんの視界に入ったのは、みちるの顔だった。  
 鶴屋さんのほっぺたじゅうに唇を当てている。  
「ちゅっ、うふ。鶴屋さん、お・は・よ」  
 見るものをとろけさせるような笑みを浮かべた。  
「み、みちるぅ、変わりすぎじゃないかいっ」  
「あたしだって、たまには抑圧されてるものを解放させたいときはあるわ……」  
 そう言いながら、鶴屋さんの寝巻きに手をかける。  
「ああ、ご先祖様っ。もしかして鶴にゃんはとんでもないことをしてしまったのかもっ」  
「うふふっ。楽しみましょ、鶴屋さん」  
 
「ごめんなさい!」  
 十数分後、顔を真っ赤にして謝るみちるがいた。  
「あたし、寝起きが相当悪くて……寝ぼけてました」  
 昨晩は鶴屋さんもみちるの隣に布団を敷いて離れに寝ていたが、それが仇となったようだ。  
「そんなら仕方ないなぁっ。あは、はははっ、はは」  
 足首までずり落ちた下着を脱ぎつつ、鶴屋さんは乾いた笑い声を上げた。  
「朝風呂入ってくるっさ。みちるは罰としてあたしの分の布団もたたんどいてちょん」  
「ほんとにごめんなさい……」  
 
「んぐ、ぱくぱくっ。あ、そうだ言うの忘れてたっ」  
 朝ごはんを食べつつ、鶴屋さんが口を開く。  
「今日さ、家族で法事に行くもんで、一日家を開けるっさ。どっか出かける予定あるっ?」  
「もぐ……いえ、今日は特にどこにも」  
「そんならいいんだっ。お手伝いさんはいるから、何か用があったら遠慮なく使ってやっておくれっ」  
 みちるがごはんを口に含んだまま顔を上下させた。  
「よしっ、それじゃごはんに専念するかっ」  
 
 
446 名前:名無しさん@ピンキー 投稿日:2006/05/13(土) 20:55:17 ID:Hebl1gM8 
 
 11時ぴったりに鶴屋さんは喫茶店に入った。  
 店内を見回す。すると、奥のほうで控えめに手を振っている人間がいた。  
「こんにちは」  
「ちわーっ。あははっ、まさかキミだったとはねっ」  
「驚きました?」  
「かーなりっ。えっと、隣のクラスの喜緑さんだったかな?」  
「はい、喜緑江美里です」  
 冬だというのに白いワンピースを着たその姿は、どこまでも清楚な雰囲気を背負っていた。  
 
「古泉君から、何か聞いてるかいっ?」  
 適当に注文したカフェモカが到着したのを見計らって、鶴屋さんは切り出した。  
「はい、ある程度のことは」  
 アプリコットティーの入ったカップを傾ける喜緑さん。  
「そんなら話は早いっ! あたしが有希に話をつけるのを邪魔しないでもらえるかな?」  
「邪魔だなんて、そんな。お願いしたいぐらいです」  
「ほえ?」  
 あまりにもあっさりと受け入れられ、拍子抜けの表情を見せる。  
「わたしがなぜ長門さんの監視役をしていると思いますか?」  
 問われて首をひねる鶴屋さん。  
「以前のこともありますけど、簡単に言うと、長門さんも今は観測対象だからです」  
 カップを置く。  
「情報の齟齬を防ぐために、あなたからもう一度話を聞かせてもらうつもりですけど  
とりあえず彼から聞いた話の限りでは、情報統合思念体に危害は及びません」  
 ナプキンを口にあてる。  
「ですから」  
 喜緑さんは穏やかに微笑んだ。  
「ぜひ長門さんに話してあげてください」  
 
 
447 名前:名無しさん@ピンキー 投稿日:2006/05/13(土) 20:56:18 ID:Hebl1gM8 
 
 喜緑さんとはお昼ごはんを食べたあとに別れ、そのあと法事に参加し、帰ったときには夕方になっていた。  
「たっだいまー」  
「あっ、おかえりなさい」  
 ぱたぱたとみちるが寄ってくる。  
「何かことづてでもあったかいっ?」  
「ええ。えと、キョンくんからさっき電話があって――」  
 午後に駅前まで送ってもらうこと。できれば鶴屋さんに送り迎えをしてもらいたいこと。変装すること。  
 みちるが言ったのはこの3点だった。  
「ほーっ。まるで誰かを警戒するような話だけど、みちるに心当たりはあるのっ?」  
「いえ、これといって特に……」  
「ふーん。ま、みちるはかわいいから、心当たりがなくても一人で行動するのは危険だっ、うんうん」  
 手を組んで首を上下に大げさに振る。  
「でも、ごめんよう。あたし明日も忙しいんだっ。外せない用事があってさ。家の者に送らせればいいかな?」  
「それで十分だと思います。ありがと、鶴屋さん」  
「いやいや、全然かまわないよっ。帰りはタク使ってちょんっ。服も用意しとくね」  
「ほんと、何から何まで……」  
「あっはっは。いいよいいよっ。お礼に今度チョコでもおくれ。それであたしは満足だっ!」  
 
 夕飯を食べ、お風呂にも入り、あとは寝るだけになった。  
 今朝のことがまたあっては、と今日はみちるから別々に寝ることを言い出してきたため  
自室にひっこんだ鶴屋さんは、これ幸いと電話を手に取った。  
「有希っこ? あたしあたしっ」  
『……』  
 沈黙が答える。  
「ちょっと話したいことがあるから、明日会えないかなっ?」  
『明日はパトロール』  
「それが終わってからでいいからさっ」  
『それならば可能』  
「なんかいいことあったのかいっ?」  
 突然質問の内容を変えると、間が空いた。  
『…………教えない』  
「あははっ。それじゃ明日変装して喫茶店で待ってるっさ。解散してからまた戻ってきておくれっ」  
 
 
「いやーっ、今日もいい朝だっ!」  
 元気良く背伸びをする。  
「さて、変装しなきゃっ」  
 
「わっ、鶴屋さん……です、よね?」  
 みちるが驚いたのも無理はなく、鶴屋さんはふわふわしたカーディガンを着て下は  
ゆったりしたロングスカート。およそ鶴屋さんらしくない服装だった。  
 トレードマークの髪は服の下にしまい、その上から襟元を隠すためにエクステをつけ  
肩の線より少し長くしてある。伊達眼鏡に化粧までしてあった。  
「そうだよーん。みちるもどうだい?」  
「い、いえ、そこまでは……でもなぜ変装を?」  
「あははっ、今日の用事にちょっと必要なのさっ」  
 さらっとかわす。  
「あ、そだ。今日、あたし帰ってからチョコ作るんだけど、みちるも作る?」  
「えっ?」  
「キョンくんとはなにやらフクザツな事情があるようだけどさっ、チョコぐらい、いいしょ?  
バレンタインデーはもうあさってだよっ」  
「ええ、それは別に……この前もつくっ、いえ」  
 なにかを言いかけ慌てて口をつぐみ、ごまかすように、  
「それより鶴屋さんが手作りチョコを作るなんて、ちょっと意外」  
「みーちーるー、あたしにチョコ渡す相手がいちゃ悪いっていうのかいっ!?」  
 顔は笑いながら、手を振りかざしてみちるに迫る鶴屋さんだった。  
 
 
「今日はこのへんにしときましょっ」  
 午後五時。喫茶店の奥の席を陣取っていたSOS団一行は、涼宮ハルヒのそのひとことで腰を上げた。  
 変装した格好のままで法事に参加してきた鶴屋さんが喫茶店に入ったのは、四時過ぎ。  
 都合一時間ほど同室したが、古泉と有希が一瞥してきたぐらいで、他にバレた様子はなかった。  
 全員ぞろぞろと喫茶店から出て行き、10分ほどして有希が戻ってきた。  
 
「やぁっ! 今日のパトロールはいいことあったかいっ?」  
 口を開いていれば一発でバレたにちがいない明るさで、鶴屋さんは正面に座った有希に声をかけた。  
「……」  
 対照的な二人だった。  
「なにも」  
 ぽつんとつぶやき、  
「それより用件を」  
「あれあれっ、昨日はあれだけ楽しそうにしてたのにっ。どしたの?」  
「……」  
「あたしはてっき……り……」  
「用件をどうぞ」  
「……あはははっ。そうするっさ」  
 これ以上つつくと身に危険が及びそうな気がしたため、ごまかし笑いを上げて本題に移る。  
「あたしが有希っこにして欲しいことは、みくるをキョンくんと恋愛できるようにしてほ」  
「いや」  
「ごめんっ。言い方が悪かったっ。みくるを普通の女の子にしてほしいってことさっ」  
「……詳細を」  
「有希っこも経験あるでしょ? 普通の人間だったらよかったのにって。こないだから  
うちにみくるが泊まってるんだけど、もう痛々しくて、かわいそうでかわいそうでたまらんないっ。  
だからさっ、みくるを特別じゃない、普通の女の子にしてやってくれないかなっ?」  
「……」  
 しばらく沈黙が漂い、  
「朝比奈みくるが持つ超常的な能力を失わせ、それに伴い発生する情報の断裂を修繕することで  
現存する世界に影響を与えることなく、普遍的な意味での一般人にすることは可能」  
「それじゃ――」  
「しかし朝比奈みくるがそれを望むとは思わない」  
 喜びかけた鶴屋さんに淡々と追い討ちをかける。  
「どうしてさ!」  
「わたしが彼女の立場で同じ選択肢を与えられたら、同じことを想起すると思うから」  
「……」  
「ただしわたしが朝比奈みくるのすべてを代弁できるわけではない。選択肢を与えることは  
重要だと考える。わたしは朝比奈みくるの意志にゆだねたいと思う」  
「ということは、みくるがうんって言ったらしてくれるんだねっ?」  
 有希は小さく、だがはっきりとうなずいた。  
 
 有希とはしばらくして別れ、家に帰って変装をとき普段着に着替えるやいなやキョンが  
亀を手に鶴屋宅を訪れてきた。亀を明日みちるに持ってきてもらいたいらしい。  
 みちるを明日も送り届けることなど、打ち合わせを終えると、しばらく体を休めたあとに  
キョンは自転車をこいで帰っていった。  
 
「さてさて、作るよチョコっ!」  
 晩御飯のあと、エプロンに三角巾をつけた鶴屋さんとみちるが台所に立っていた。  
「みちるはどんなの作るっ?」  
「……えっ? あ、えと、甘めのを」  
 帰ってきてからというもの、どうにも心ここにあらずといった態のみちる。  
 多少は気になるも、あえて気付かないふりをする。  
「あまーいのかっ。いいねぇ、ラブラブっ! あたしはとびっきり苦い、ひとくちサイズのを作るっさ」  
「あの、鶴屋さんは、誰にあげるんですか?」  
「へっ? それはいくらみちるでもちょっと答えられないなぁっ」  
「あっ、鶴屋さんずるーい」  
「ふっふっふっ、鶴にゃんはいじわるな上にずるいのだっ」  
 みちるの気がまぎれたことに内心ほっとした。  
 
 湯煎で溶かしたチョコを型に流し入れ、お好みでトッピング。冷蔵庫で冷やして作業終了。  
 あとは翌朝にラッピングすれば、簡単な手作りチョコが完成する。  
「ねぇ、みちる?」  
 使った道具の後片付けをしている最中だった。  
「なんですか?」  
「みちるさ……普通の女の子になりたいと思わないかいっ?」  
 片付ける手が止まる。  
「それって、どういう……?」  
「みちるがうんと言ってくれさえすれば、あたしがしてあげるよっ? キョンくんと自由に恋愛できる身に」  
「鶴屋さん……?」  
「あたしは全ての事情は知らないっ。でもさ、みちるの何かが足を引っ張ってるのはわかる。  
時には、それに苦しんでることもさ。あたしは、そんなみちるを助けてやりたいんだっ」  
「……」  
 かなり長い間沈黙していたみちるはぽつりと、  
「……一日考えさせてください。明日やることが終わるまで」  
「わかったよっ。よーく考えておくれっ」  
 にかっと、笑顔を作った。  
 
「それじゃ行ってくるよっ。みちる、ちゃんとやるんだよ?」  
「ええ、鶴屋さんも。いってらっしゃい」  
 次の日、親族会議に出かけなければならなかった鶴屋さんは、早朝から家を出ていった。  
 車で去っていく鶴屋さんを、みちるは玄関で手を振って見送る。  
 微笑みを浮かべていたが、車が見えなくなると、笑みが固まった。  
「……」  
 昨日、鶴屋さんに言われてから考えていたこと。  
 答えは――  
 
 鶴屋さんが夕方前に家に帰ってくると、みちるはまだ帰ってなかった。  
 何時に終わるのか聞かなかったことを後悔しつつ、帰りを待つ。  
 七時を過ぎ、いい加減しびれを切らし始めたところへ、電話がかかってきた。  
『もしもし』  
 古泉だった。  
「みちるはどこに行ったんだい?」  
 鶴屋さんは普段からは想像もつかないほど、余裕のない声を出していた。  
『彼女は、帰られました。いえ、帰らざるを得なかったと申すべきでしょうか』  
「そんなっ。まだあたしは答えを聞いてないよっ!」  
『それはそれは。残念至極であるとしか言いようがありません。お気持ち察します』  
「キミになんか察してもらいたくないっ!」  
『それはひどい言われようですね。僕が何のためにこの電話をかけているとお思いですか?』  
「えっ?」  
『このまま電話を切っても僕は別にかまいませんが』  
「待った! 切らないで教えて、お願いっ」  
『……最初は無償でとも思っていましたが、よくよく考えると僕はまだ前回の報酬をもらっていません』  
 いまにも含み笑いでも浮かべそうな声で、  
『それに鶴屋さんのことですから、その分はすでに御用意なさっているのでしょう?』  
「……してあるよっ」  
『それでは、明日受取りにうかがいますので、そのときについでに』  
「明日で有効期限が切れるわけじゃないんだね?」  
『ええ、その点は保障いたします。では』  
 
 
「こんにちは鶴屋さん。面を向かって会話をするのは久しぶりのことではないでしょうか」  
 翌日の午後四時過ぎ、鶴屋家を訪れた古泉は、手に小箱をみっつ持っていた。  
 全身がいつぞやかのキョンやみちるのように土っぽい。  
「いらっしゃい、古泉君っ。どしたんだい、その姿はっ。それとその箱っ」  
 鶴屋さんは自然体で対応することにしたらしく、普段とあまり変わらない印象だ。  
「ああ、これですか? いやいや、なかなか楽しい余興でしたよ。おこぼれに預りました」  
 鶴屋山で掘って出た宝です、古泉は説明し、  
「中身はですね、女性団員からの心づくしですよ。ありがたいことです」  
「ふふふん? もうすでにけっこういいものもらってるじゃないかいキミぃ」  
 鶴屋さんのからかいに、少し眉をしかめる。  
「明らかにもう一人とはこもってる愛情の差が歴然なのに素直に喜べるほど、僕は人間できてないつもりです」  
 それを隠すぐらいはできるにしても、と古泉は付け加えた。  
「わははっ。ほんとに苦労してるんだね」  
「ええ、だからこそ息抜きをしたくなるんです」  
 肩をすくめて大げさなポーズを取る。視線は鶴屋さんに固定されている。  
「まあまあ、そう焦りなさんなっ。まずはそのホコリを落とそうっ」  
 
 小箱を冷蔵庫の中へ入れ、古泉は浴室に足を踏み入れた。  
『古泉君っ、着てた服は洗濯機に入れたからっ。着替えはここ置いとくよ、浴衣だけどねっ』  
 ガラス戸越しにくぐもった鶴屋さんの声がした。  
「ご丁寧にありがとうございます」  
 古泉が返事をする。そのまま体を洗おうかとしたそのとき、  
「やっほーいっ。おおっ、いい体してるねキミぃ」  
 バスタオルを巻いた鶴屋さんが入ってきた。  
「……言動がおやじ臭いですよ、鶴屋さん」  
「あははっ。まあ背中ぐらい流させておくれよっ」  
「あまり広くないかもしれませんが、どうぞ」  
 背中を預けて、手足をこする。  
 鶴屋さんもタワシを手に、背中を泡立て始めた。  
「あーあっ、あたしの胸がみくるぐらいあったら、胸でやってあげてもよかったんだけどなぁっ」  
「そうであればどれだけよかったことでしょう」  
 もっとも、と言葉を継ぎ、  
「僕個人としては、朝比奈さんほど大きいのはちょっとご遠慮願いたいですね。鶴屋さんぐらいのが丁度いいです」  
「キミもかなりおやじ入ってないかいっ?」  
 鶴屋さんのツッコミに苦笑して、  
「ええ、よく言われますよ。若くして世間の荒波に揉まれ過ぎたせいでしょうか」  
 自嘲した。  
 
「それでは、今度は僕が鶴屋さんの背中をお流しいたしましょうか?」  
「つくづくおやじだねぇ、古泉君」  
「なんとでも言ってください。それにあなたもでしょう? タオルの下がどうなのか容易に想像がつきますよ」  
「わははっ。バレてたかっ」  
 そう言うと、バスタオルをぱっと剥ぎ取って後ろへ投げる。  
「じゃーんっ!」  
 完全無欠のスクール水着姿だった。  
「……あのですね、鶴屋さん」  
 古泉はなぜかこめかみを押さえながら、  
「いくら僕の感性が年配向きだからといって、季節が来れば必ず見られるものに希少価値を抱いたり  
まして欲情を煽られるなんてことはありませんよ。欲情するとしたらそれは服ではなく着ている人間のほうにです」  
「まあまあ。こうすれば背中を流せるしょっ?」  
 と、鶴屋さんは肩を狭めて手で肩ヒモを抜くと、そのままぺろんっと腰まで下ろした。  
 小ぶりだが形のいい胸が丸出しになる。  
「どこまでもお約束な人ですね、あなたは」  
「なんなら揉んでくれてもいいよっ? もう少し大きくなりたいっ」  
「謹んでご遠慮させていただきましょう」  
「ちぇーっ」  
 かわいらしく舌打ちなどしてみせる。  
 古泉は聞かなかったことにして、鶴屋さんの背中を泡立て始める。  
「んっ、はふっ、いいよ、古泉君、いいっ。どうにかなっちゃいそうだっ」  
「どうにでもなってください」  
「つれないねぇ。何しにうちに来たんだいっ? 古泉君」  
 あきれた顔をする鶴屋さん。  
「リラックスしに来たに決まっているではありませんか。先ほども申し上げましたでしょう、息抜きをしたいと」  
「あたしの体をもてあそんだり、若さゆえの過ちをしたり、欲望をぶちまけたりしないの?」  
「全部同じことを指している気もしますが、そういったことをするつもりはありません」  
「なーんだっ」  
「あなたは僕のことをなんだと思っているのですか?」  
「さわやかなむっつりスケベ」  
「……」  
 
 結局、浴室では仲良くじゃれあいながら垢を落とし、きれいさっぱりになった。  
 浴衣を着て離れに寝転がる。  
「僕が欲しいのはですね」  
 とだらしなく寝転がったまま古泉。  
「精神的な充足なのです。肉体的な充足はこの際、それほど求めていません」  
「それとあたしと何の関係があるのーっ」  
 こちらもだらけ放題でごろごろしている。  
「あなたの鶴屋家は、僕の知る限り唯一の『機関』が干渉を手控えている場所です」  
「それがっ?」  
「つまりここだと僕がどんな奇怪な行動を取ろうが『機関』に知れることはないのです」  
「ふーん」  
「僕は最近『機関』内での肩身が狭いですからね。普段通り生活するだけでも疲れるのですよ」  
「もぐっ、むぐっ」  
「それに加えて涼宮さんの暴れよう。過労死していないのが不思議なぐら―んっ」  
「じゅるっ、あむっ、はふっ」  
「――ぷはっ、なんですか、いきなり?」  
「あたしが考えてた成功報酬、それ」  
「チョコレート口移しですか?」  
「手作りだっ! ありがたく思えーっ」  
「果てしなく苦いような気がするんですが」  
「それはあたしもそう思う。自分で含むことを考えたら大失敗もいいとこっ」  
「……なんだかだいぶ癒されました」  
「そいつはめでたいっ。その調子でどんどん癒されておくれ」  
「ついでに膝枕お願いできますか?」  
「いいよ。仰向けだろうがうつ伏せだろうが、かかってこいっ」  
「うつ伏せの膝枕は犯罪の臭いがするので、仰向けがいいです」  
「どうぞっ」  
 正座し、膝の上に古泉の頭をのせる。  
「……朝比奈みちるが帰ってくるのは、明日午後四時十六分、SOS団の部室内です」  
「ほんとかい?」  
「ええ、ただしその人をみちると呼ばないでやってください……朝比奈みちるは実際には存在しえない人間です」  
「それはなんとなくわかってた」  
「……さすがですね……その慧眼には一目置きます……すぅ」  
 そのまま寝入った古泉の髪を、鶴屋さんはやさしくなでた。  
 
 
「みくるーっ。おっはよーん」  
「あ、鶴屋さん。久しぶりー」  
 いつもの日々がまた戻ってきた。  
「四連休だったから、五日ぶりかっ。長かったなぁ」  
 それ以上に長かったような口調で、鶴屋さんは感慨深げに言った。  
「それで昨日はどうだった? ちゃんと女の子の一大イベントに参加してきたかいっ?」  
「うん、もうくったくた。涼宮さんたら、徹夜でチョコ作りに付き合わせるんですもの」  
「あははっ、そいつは災難だったね。でもキョンくんたち、ちゃんと喜んでくれたんだろうっ?」  
「まだチョコの味の感想は聞いてないけれど、たぶん……きゃっ!」  
 みくるの額にデコピンをくらわせた鶴屋さんは笑いながら、  
「みーくーるー。味なんかどうでもいいに決まってるしょっ。手作りしてくれたこと、  
自分にチョコを渡してくれたこと、それだけで十分以上なのさっ。まったく男ってのは単純だ!」  
 みくるは額を抑えながら涙目で、  
「ご、ごめんなさい……でも鶴屋さん、ちょっと力いれすぎ……」  
 
 昼休みに先輩としてキョンを絞り上げたりしているうちに、あっという間に放課後になった。  
 今日はなにやら中庭でみくるが作った義理チョコ争奪戦を行っているらしい。  
 それには目をくれず、鶴屋さんは紙袋を手に、腕時計とにらめっこをしていた。  
 午後四時過ぎ。なぜか中庭から拍手の音が聞こえる。そしてざわめき。  
 鶴屋さんが教室を出たのは四時十分過ぎだった。  
 
「やっぽー。キョンくん、ゴメンよう。これ、みくるの制服と上靴。昼休みに渡そうと思って忘れてたよっ」  
 SOS団の部室のドアにもたれかかっていたキョンに挨拶した。  
「んで? ハルにゃんたちは中庭で何かやってたけど、みくるはどうしたい?」  
 キョンが無言でドアを指す。鶴屋さんはノブを回すとずかずかと入っていった。  
「やぁ、みくるっ。着替えかい? あー、ちょうどいいや。その服、ついでに持って帰るよ」  
 部屋の中にいたみくるは、驚いた顔で鶴屋さんを見ている。それには気付かないふりをして、  
「手伝ってやろうかっ。着せ替え着せ替え。今日は巫女サービスデー?」  
 ドアをばたんと閉めて鍵をかけた。  
 
「つ、鶴屋さん……」  
「ん、どしたい? みくる。ささっ、制服に着替えよう」  
 紙袋から制服と上靴を出してみくるに渡す。  
 そしてみくるが着かけていた、巫女衣装を脱ぐのを手伝う。  
 
「鶴屋さん」  
「あーい?」  
 袴を下ろしながら、深呼吸してみくるが言った。  
「みちるをしばらく置いてくれてたってキョンくんから聞きました」  
「あ、バレちゃった?」  
「うん、まったく姉離れできない妹なんだから」  
「あははっ」  
 心底面白そうな笑い声を上げる。  
「それで、電話して問い詰めたらあっさり白状して」  
「何て言ってた?」  
「あたしにも謝ってましたけど、それ以上に鶴屋さんに返事できなかったことを悔やんでいました」  
「あららっ」  
「それであたしが代わりに返事を預っています。言いますね」  
 ハンガーに白衣をかける鶴屋さんの手が止まる。  
『鶴屋さんの申し出はとてもうれしくて、いくら感謝しても足りないぐらいですが、わたしはいつか  
きっと自分で何もかもできるようになってみせます。そして、キョンくんの側に寄り添うのではなく  
キョンくんを助けるようになりたい。だから、ごめんなさい』  
「そう、言ってました」  
 みくるの目に涙が浮かんでいた。  
「……そっかーっ。みちるは偉いね」  
 鶴屋さんも珍しく、しんみりとした声を出した。  
「それと、あとふたつことづてがあります。ひとつは、またお邪魔してもいいかどうか  
ということで、もうひとつは、冷蔵庫の中にプレゼントがある、ということだそうです」  
「もちろんっ! みちるなら大歓迎だよ。みくるが伝えてくれるんだよねっ?」  
「うん、直接は無理かもしれないけど、遊びに行きたいときはあたしを経由して鶴屋さんに言います」  
「みくる、よろしく頼むよっ!」  
 鶴屋さんがあっけらかんに言うと、感極まったのか、みくるは鶴屋さんに抱きついてきた。  
「うっ、ううっ……鶴屋さん、ほんとうにありがとう……」  
「あははっ、みくるは妹想いだね……」  
 鶴屋さんも優しく抱き返した。  
 
 
 着替えが終わったあと、外で待っていたSOS団のほかのメンバーににこやかな笑みを向け  
鶴屋さんは帰った。もっとも、有希にだけは帰り際にこっそり、  
「有希っこ、あんたは正しかったさっ」  
 と、耳打ちをした。  
「……そう」  
 幾分和らいだ表情にも見えた。  
 
 家に帰った鶴屋さんは、まっしぐらに冷蔵庫の扉を開け、目立たないところにラッピングされた箱が  
あるのを見つけた。箱を開けると、中にはチョコレートとともに、  
『鶴屋さんへ みちる』と書かれたメッセージが入っていた。  
 チョコレートを一粒つまんで口に入れてみる。  
「甘いっ」  
 そのチョコレートは、本当に、甘かった。  
 

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