〜3章 オレのセカイをまもる宇宙人(ヒト)〜  
 
*  
 
>……聞こ…る?……  
誰かの声がした。  
──ああ、聞こえている。  
 
>………………は…った今……生命…動…停止した……  
 
目の前が暗い。  
何も考えたくは無い。  
 
>……情報統…思…体は……して……。た…前回……異…り……その……取……事…可能……  
ひどく寒い。  
そしてひどく苦しい。  
 
>……涼宮ハル…の力……が取……み…涼宮ハルヒ………世界…再構築………も可能……  
 
……俺は  
…………?  
「あなたは『それ』を望む?」  
 
 
 
 
 
 
*  
 
──お前は誰だ?  
 
あの時、ハルヒを見たときに感じた違和感は何だったんだろう?  
改めてあの時のことに思いを馳せる。  
目の前にいた『ヤツ』は確かに涼宮ハルヒだ。  
ポニーテールを振りかざし、俺に最大限の幸福と最大限の心労を与えてくれるワガママ娘。  
あれは間違いなく涼宮ハルヒだった。  
……そして同時にあいつはハルヒではなかった。  
何故だか知らんが、俺はそう思った。いや……言い方が正確じゃないな。言語の伝達に齟齬が発生している。  
 
──俺には分かったんだ。  
 
『……前…前……』  
あいつは、ハルヒであると同時にハルヒではなかった。  
『ちょっと……前……困って…でしょ』  
何だ、この二律背反は……?  
 
 
 
 
 
 
「いい加減にしなさい!」  
後ろからの声に振り向く暇はなかった。  
「いてぇええええええええ」  
ブレザーの上から何かが突き刺さる感触に驚いて、椅子から飛び上がる。  
どうやらそれが失敗だったらしい。  
金属の揺れる音とともに、今度は太ももにまで痛みが走ってきた。  
自分の机が激しく揺れ動いている。どうやら足の痛みはこれに起因するようだ。  
 
「気が付いたかしら?」  
そっと首を動かして肩口を覗き見ると、プラスチック製のペーパーナイフが当たっている。  
さっきの不自然な痛みの原因はこれか。  
冗談は止めてくれ……  
殺傷能力がないことは認めてやる。そうさ、安全だ。  
だがな……ハッキリ言おう。恐ろしいったらありゃしないぜ。  
 
「ま・え」  
怒気を精一杯帯びたその声に従って、前を見る。  
呆れ顔浮かべて、前の席の奴がプリントをバタバタ音を立てていた。  
どうやら大分お待ちのご様子だ。  
「ああ……すまん」  
古文のプリントを受け取り、後ろに回す。  
渡されたのは1000年以上前のネカマブロガーについて書かれたプリント。  
正直、目先の問題すら手一杯の俺には考える気にもなれない問題だ。  
 
 
 
「何も、あんなもので刺すことはなかったろ?」  
後ろに振り向いて声をかける。  
「あら、全然気づかないんだから、仕方が無いでしょう?」  
「もう少し。柔らかな方法でだな……せめて鉛筆とか」  
「そう?鉛筆でのほうが先が尖っているし、鉛で身体に悪影響があると思うんだけど」  
「悪いが、ナイフにはトラウマがあるんでね」  
朝倉が……  
「私が?」  
 
にっこりと笑顔を崩さないで、そいつはそこにいた。  
「何で……お前が…いる」  
ぞくぞくと怖気がして、まるで真冬の寒気が意志でも持って襲い掛かってきたような感覚を味わう。  
這いずり回る、言いようのない気分。恐怖。身体の内側から発せられる警告。  
アラート音が脳内で鳴りつづける。  
「どうしちゃったの、いったい?」  
朝倉涼子。  
笑みを消すことなく殺人(未遂)鬼の姿がそこにあった。  
 
──何故こいつがいる?  
──ハルヒはどこに消えた?  
 
様様な疑問が頭をよぎり、何も解決しないまま、次の疑問が襲い掛かってくる。  
 
──こいつは宇宙人の朝倉……なのか?  
──ここは……いったい?  
 
「そういえば、以前にもこんなことがあったわね」  
俺を無視して話を続けてる朝倉。  
普通の会話の筈なのにその一挙手一投足が俺を震わせる。  
「あれは、12月の頃だったかしら?あの時もあなたったら突然騒ぎ出して……」  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここは……例の世界?  
 
馬鹿な。  
──Ready?  
俺は確かに選択した。  
エンターキーと共に、自分の世界を。  
無口な宇宙人が、メイドさん未来人が、怪しい超能力者が。  
そして、出鱈目だけど愛おしい俺の神様のいる……  
正しい世界を。  
 
「おい、朝倉」  
「なぁに?」  
「悪いが、早退させてもらう」  
確かめないとな、この世界を。  
「保健室にもいかないで?問題になるわよ」  
「担任にはクロストリジアだか、マイコプラズマだかにでも感染したと伝えてくれ」  
『それ病名じゃないだろ』だとか、『有袋類って数少ないけど次はどうなるんだ』なんて詮索は余計だ。何の意味も無い。  
 
 
 
──とにかく、俺は先に進まないといけないんだ。  
 
 
 
通い慣れた下り坂を、重力に任せて駆け下りる。  
ここは本当に『あの世界』なのか?  
あの時から俺を離そうとしない違和感、そいつは世界自体の違いが引き起こしているのか?  
とにかく俺はハルヒに会わないといけない。  
会って、この不可思議な現象の正体をつきとめてやるさ。なんてたってSOS団の本業だしな。  
 
ハルヒは……  
ここが『あの世界』だというなら、あいつは光陽園学院にいるはずだ。  
会いに行こう。出来るだけ急いでな。  
 
 
「はあ……はあ……」  
坂を下り切った所で、息をつく。  
情けないが、息は完全にあがりきっていた。  
──俺は……  
光陽園学院の校門前で立ち止まる。  
さて、ここまで来たはいいが、どうすればいい?  
俺の格好は思いっきり他校の生徒だし、体の悪いことに現在は体育の授業中らしい。  
ジャージ姿の生徒が確認できる。  
参ったな。出直すか……?  
ネガティブな感情が心に表れて、自問自答の声が同時に心に浮かんでくる。  
 
 
──俺は怖いのか?  
 
得体の知れない恐怖を感じているのは変えようのない事実だ。  
ああ、怖いさ。  
俺は今幸せなんだ。俺の隣にはハルヒがいて、周りには仲間がいて……  
それが消えちまうのかもしれない。  
怖くて当たり前だろう?  
 
 
でも……俺は真実を知りたい。  
宇宙人にナイフで刺されるだとか、身勝手な神様のせいで滅びそうな世界を救うだとか、色んな恐怖体験なら既に経験済みだ。  
今更、何を恐れることがある?  
さあ、チキン野郎。足を踏み出s……  
「あんた。何やってんの?」  
「ぅおっ!???」  
身じろぎして、地面にへたり込む。  
くっ、見つかったか!?  
こんなことなら新川氏に、ダンボールに身を隠す術でも学んでおくべきだったな。  
「あっ!ひょっとして、あたしに会いにきたわけ?」  
校門の上から降ってくる、快活な『その声』。  
「ハルヒ?」  
 
 
 
 
 
 
──  
心臓が脈打つのを感じた。  
言葉が出ない。  
体が自分の意志で動かない。まるで体と頭が分離したような感覚だ。  
嫌な汗が後から後からあふれ出る。  
 
 
まるで悪夢だ。  
 
 
 
「お前は誰だ?」  
こいつがハルヒ?違う?  
ハルヒなのか?違う……違う違う違う。  
いや、でも……こいつはハルヒだぞ。  
 
「ちょっと、あんた、また頭でもぶつけたの?」  
心配そうに、門の上から身を乗り出してハルヒが俺を覗き込む。  
──なんでもない。  
お前は涼宮ハルヒだ。ただ俺の知っているハルヒと違うだけで……  
 
 
「どうかされましたか、涼宮さん?」  
古泉の声がする、ハルヒの様子でも見に来たのだろうか?  
「……お前もだ」  
こいつも俺の知る古泉じゃない。何かが致命的に違うんだ。  
「お前達は誰なんだ?」  
俺は叫んだ、力の限り。  
 
お前は……  
俺の知るハルヒは……  
 
 
 
 
 
 
 
 
──ここは……どこなんだ……?  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
*  
 
 
ゆっくりと瞼を開く。  
もう何日も覚えの無かったハッキリとした覚醒。  
「よお」  
いつのまにか俺の部屋にいた、そいつに声をかける。  
「…………」  
返事は返ってこなかった。  
もっとも、それはいつもどおりの事なのだが。  
「勝手に人の部屋には入らないほうがいいぞ」  
特に異性の部屋にはな。  
自分の性別では理解し得ない、色んなものが出てくる可能性がある。  
本棚を勝手に触るのは良いが、その広辞苑の中身は見るなよ?入ってるのはろくなもんじゃない。  
「……そう」  
カーテンの隙間から差し込む月明かりの下、SOS団一の万能選手宇宙人、長門有希がこちらを向いていた。  
「用件は何だ?」  
まだ甘美な夢を見ていたい時間なんだ。寝かせてくれないか?  
「選択の時が来た」  
相も変わらず、こいつの言っている事は分かりにくい。  
けれど、珍しいことに今回こいつの言いたいことが俺には分かっていた。  
──ただ、それを認めたくなかった。というだけで。  
 
 
「選択権を持つのは、あなた」  
長門が抑揚の無い声で呟く。  
選択肢は俺にあるのかも知れない。けれど、俺はどちらの選択肢も選びたいとは思わなかった。  
 
──やれやれ  
大きな溜息をついて、俺は過ぎ去った過去に思いを馳せた。  
 
 
──あれはいつのことだったろうな?  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「失礼します」  
まるで職員室に入ろうとする小学生のような気持ちで声をかけ、部室の扉を丁重に開く。  
「あぁ、朝比奈さん。今日は」  
まず最初に目に入ってきたのは小動物のように愛らしい上級生だ。  
「あっ…キョン君。『しーっ』ですよ」  
人差し指を立てた手をゆっくりと小さな唇に持っていくメイドさん。うん、実に愛らしいね。  
「何がですか?」  
「ほら、あそこ。涼宮さん」  
さっきまで口に当たっていた指先が妖精の飛翔のように団長机の方へと向き直る。  
おや、まあ……  
眠れる獅子がそこにいた。  
「どうやら、お疲れのようですね。何でも特別企画の為に昨晩から頑張っているとか……」  
古泉が、聞いてもいないのに解説を始める。  
特別企画ね……。  
また、何か厄介ごとにでも巻き込む気だろうか?  
 
「しかしだ……」  
ハルヒが寝てるなら俺達はどんな活動をすればいいんだ?  
特別企画とやらの内容も分からないしな。  
「いつもどおり……ではないでしょうか?ひょっとしたら涼宮さんもそのうちに目を覚ますかもしれません」  
そうかもな。どうせハルヒが起きていようがいまいが、俺達がやることに対して変わりはないだろう。  
駄弁りながら、お前の持ってきたボードゲームを適当に打ち合うだけだ。  
 
「では、音を立てないように、崩し将棋などいかがでしょう?如何せん普通の将棋では、なかなか勝ち目がないようですしね」  
「乗ってやろう」  
でもな、古泉。俺にも超能力でも目覚めたのかもしれないぜ。  
何故かスキルの関係無いこんなゲームでも負けるお前の姿が簡単に幻視できたぞ。  
 
 
 
──パタンっ  
本の閉じる音に顔を上げる。  
気がつけば、外がほんのりと暗い。もういい時間のようだ。  
「さて、どうする?」  
随分と駒の少ない升を見つめる古泉、いそいそと急須を片付けている朝比奈さん、あとはもう帰るだけとでも言いたげな長門。  
「このまま帰るか?」  
ハルヒのやつは……まだ、すやすや居眠りしている。  
よっぽど疲れているんだろうか?何をやってるんだか知らないが、万に一つまともなことだとしたら、あとで労いの言葉ぐらいはかけてやろう。  
「涼宮さんを置いて……ですか?」  
答えたのは古泉だった。  
「でも、無用心じゃないですか?」  
俺の方を向いて、朝比奈さんも軽く首をかしげる。  
まあ、確かにそのとおりですね。  
「それほど高いものではないのかも知れませんが、一応色々な物がこの部屋にはありますからね。誰かが残った方が良いかと思いますよ」  
だったらお前が残ってくれ。  
「おや、いいのですか?若い男女が狭い部屋に二人きり、何か間違いが……」  
「俺が残ろう」  
古泉よ。残りたくない理由でもあるならいちいち言い訳しないで言ったらどうだ?  
これぐらいの面倒ごとなら別に代わってやっても問題はないぞ。  
 
 
 
 
 
「そうですか」  
微苦笑を浮かべて呟く古泉。  
「なるほど、あなたなら間違いではないというこt……」  
とっとと帰れ。  
「では、ごゆるりと。巡回は多分8時ごろだったと記憶していますので、それまでには引き上げたほうが良いんじゃないでしょうか?」  
そう言って会釈とともに古泉が部屋を出て行く。  
何故だろうな?浮かんでいたその気持ち悪い微笑みがいつもの何倍増しでむかついた。  
 
 
 
 
 
──クソ。はめられた気分だ。  
 
 
 
 
 
「やれやれ……だな」  
お決まりの台詞を吐いて、椅子に腰掛ける。  
団長と俺だけになった部屋。  
なんで俺がこんなことをしないといけないのかね。しかも、あの天上天下ワガママ娘の為にさ。  
溜息をついてハルヒの方に目をやる。  
相変わらず黙っていれば文句の付け所の無い奴だ。  
 
──いつもそうだ。  
初めて出会って、話し掛けちまったその時から、俺の人生はこいつに振り回されることが決定したらしい。  
ある時は、馬鹿馬鹿しい灰色空間に連れて行かれたな。何で俺なんかを選びやがったかね、こいつは?  
ある時は、映画撮影だとか言って、滅茶苦茶なことの片棒を担がされた。  
またある時は、片目の……何を言ってるんだ?俺は。  
ある時は、目の前から突然消えやがった。探すのには随分と苦労した。  
ある時は……  
ああ、そうだ。いつも俺はこいつに巻き込まれ続けてきた。  
なんで俺はいまだにハルヒの傍にいるんだろうね?  
 
「はぁ……」  
音に聞こえるような大きな溜息をつく。  
考えてたらむかついてきた。  
俺の人生はこれからもハルヒ中心で公転させられるのだろうか?  
考えれば考えるほどむかっ腹がたってきた。  
 
クソ……  
本当にこいつは…………自分勝手でで、五月蝿くて、はた迷惑なヤツだ。  
 
 
 
 
 
 
 
 
──それでも、眠れる獅子は美しかった。  
 
ポニーテールには足りない漆黒の髪も、健康的なのに白い肌も、今はつぶられた輝く瞳も……  
そして、色付いた姫リンゴみたいな朱の唇も。  
むかつくくらい百点満点だ。  
 
「はぁぁ……」  
再度大きく息を吐く。無駄に高まった鼓動が鬱陶しい。  
ああ、クソ。だいたいなんだって俺が残らないといけないんだ。  
古泉も言ってたが、若い男女が部屋に二人っきりだ。あんまり心臓に良いもんじゃない。  
「……ん」  
ハルヒの声が静まった部室に響く。  
眠ってる奴に文句を言っても仕方がないが、艶っぽい声をあげるなと忠告したい。  
 
しかし……本当にいつまで寝ている気なんだ、ハルヒ?風邪でも引いたらどうするつもりだ。  
 
 
 
 
仕方がない……上着でもかけてやろうか。いつだったかのお礼も兼ねてな。  
椅子の裏に回りこんで、ブレザーをかけてやる。  
指先がハルヒに触れる。  
ピクリと俺の体が反応した。さっきから心臓の鼓動は収まることを放棄している。  
いい加減、静かにしてくれないと身体に悪影響でもありそうだ。  
……何か他のことでも考えよう。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ああ、そうだ。いい事を思いついた。寝顔に落書きだ。  
こいつの顔は、歴史の教科書くらいイタズラ書きをしたくなるんだよな。  
近くの机に転がっていたペンを取る。  
今日は水性で勘弁してやろう。まあ、油性を使ったらうるさそうだけどな。  
何を書いてやろう?ネコのヒゲあたりが無難だろうか?  
かがんでハルヒの顔にペンを近づける。  
「すーすー」  
寝息が聞こえる。ハルヒの顔が近い。  
待て待て待て……俺は何をしようとしている?  
顔が近づく。  
唇まであと……  
 
 
 
 
 
……  
 
 
「何やってんの?」  
わずか数cmの所にハルヒの顔がある。  
「ああ…………そのだな……」  
最悪だな。  
俺の命運はどうやらここで尽きるらしい。両親が天寿を全うするまで、賽の河原でどれくらいの石を積むのだろう?  
 
「……ラクガキだ」  
苦し紛れで、出来るだけそれらしいことを答える。  
それに、落書きしたくなったのは事実だ。  
「ふうん?」  
溜息とも感嘆詞ともつかない声で、妖艶な笑みを浮かべるハルヒ。  
「団長様に『ラクガキ』ねえ?」  
『ラクガキ』の部分を随分と強調して言いやがるな。  
 
「言い訳ぐらいは聞いてあげてもいいわ。それから後で罰ゲームね」  
異議を申し立てさせてもらう。冤罪だったらどうするつもりだ?  
……まあ、今回は俺が全面的に悪いかも知れないが……  
「さあ、聞かせなさい!何であたしに……その……ラクガキしようとしてたのよ?」  
 
「あ…あ……えっとだな……」  
言葉につまる。  
なんて言い訳すればいいだろう?  
──お前の顔がイタズラ書きしたくなるくらいサマになってたから?  
冗談じゃない。  
口が裂けてもそんなこと言えないな。恥ずかしいったらありゃしないぜ。  
 
 
 
 
 
「……好きだ」  
「え……?」  
…俺は今何をした?  
冗談だろう……?  
俺自身が一番信じれなかった。  
 
目に入ってくるのは唖然としたハルヒが、経過する時間と共に頬を朱に染めていく姿だ。  
 
 
ちょっと待て、マイボディー!!俺の言うことを聞いてくれ。  
お前は何をしてるんだ?  
史上最悪、前人未到、空前絶後の『間違い』を犯そうとしているぞ!!  
 
 
「俺は、お前が好きだ」  
 
 
 
 
 
 
 
──!?  
 
「……なに……し…やがる」  
返事は唐突に返ってきた。  
「罰ゲーム」  
ぶっきらぼうにハルヒが言った。  
言葉が出ないね。  
このヤロウ、よりにもよって罰ゲームにラクガキを選びやがった。  
 
…………  
…………  
 
長門もいないのに、部室を凶悪な三点リーダのハリケーンが襲っていた。  
 
 
 
 
 
 
…………………  
先に口を開いたのはハルヒだった。  
「あたしも」  
「何がだ?」  
「さっきの話よ」  
ああ、それか。それなら記憶の全領域から抹消してくれ。あれは俺であって俺じゃない。  
「嘘なの?」  
「いや……」  
──俺にとって涼宮ハルヒとはなんなんだ?  
『ハルヒはハルヒであってハルヒでしかない』……?ああそうさ。俺にとってハルヒはハルヒ以上でもなけりゃハルヒ以下でもない。  
気持ちを偽る必要がどこにある?  
 
「俺は涼宮ハルヒが好きだ」  
認めたくは無いけれど、どうやらそういうことらしい。  
「あたしもよ」  
さっきも聞いたが、何がなんだ?  
「うぅ……みなまで言わせないでよ!」  
ハルヒが叫ぶように言う。  
「あたしもあんたが好きだって言ってんの!」  
ハルヒの顔が夕焼けもびっくりな真っ赤に染まる。  
この分だと、俺の顔もどんな風になってるか分かったもんじゃないな。さっきから熱も無いのに、顔が異常なほど熱くなっている。  
 
 
「ハルヒ」  
「ん?」  
 
──ん  
「何すんのよ!!」  
「さっきのラクガキの仕返しだ」  
ムードもクソもない、ただのラクガキのオカエシ。  
された方のハルヒはさっきから「うー」だとか「むー」だとかうなっている。  
 
ハルヒを見る。  
ハルヒも俺を見る。  
面と面を突き合わせて睨み合い。まるでにらめっこだ。  
そのまま見詰め合っていたけど、不毛な戦いはすぐに結末を迎えた。  
「ああはっはっははは」  
俺達がどちらからともなく大笑いしだしたからだ。  
 
 
 
 
 
 
一通り笑い終えてからハルヒが言葉を発する。  
「ああ、もう。あんたってば本当に意地っ張りね」  
その言葉そのままお前に返してやるよ。  
「バレンタインにチョコとかあげたじゃない」  
義理って思いっきり書いてある奴をな。  
「あたしはいいの!それに分からないあんたが悪いのよ」  
そうかい。  
「あんたが階段から落ちた時だってずっと心配だったし」  
その節は心配かけたな。  
俺は俺で、お前に会うために奮闘してたんだ。  
「キョンがさ……いなくなっちゃうんじゃないかって……」  
「大丈夫だ」  
力を込めて言う。  
「俺はもう二度とお前から離れない」  
あるいは、そんな運命なのかも知れない。  
 
「約束よ!これからあんたはずっとあたしの傍にいなさい!」  
「ああ、誓うよ」  
 
変な話だよな。  
たった数時間前までの俺達にこんな話をしたら、多分ハルヒか俺か、どっちかに殴られてるだろうよ。  
でもまあ、なんだ……なっちまったもんはしょうがないさ。  
 
俺達はそれから好きなだけラクガキしあって、結局部室を出たのは警備員の回ってくる少し前だった。  
 
 
 
 
 
夜の校庭。そのど真ん中でハルヒが突然、俺を振り返る。  
ちょんまげみたいなポニーテールが揺れていた。  
「ねえ、キョン。一つだけ、聞いてもいい?」  
「何をだ?」  
「ジョン・スミス……って知ってる?」  
それは、感情を推し量ることの出来ない抑揚の無い声だった。  
 
…………  
「ああ」  
 
「ふーーん。そっか……」  
表情を変えないで、そのままハルヒが呟いた。  
「知りたいか?」  
 
…………  
 
微風がハルヒの髪を揺らしていた。  
「遠慮しとくわ!自分で見つけたほうが楽しそうだし」  
「そうか」  
──お前らしいよ。  
ハルヒの解答に俺は微苦笑を浮かべる。  
「さ、帰るわよ!」  
後ろに向き直ったハルヒの手が、所在無さげにぷらぷらと揺れている。  
その意味を少し考えてから、俺はその手をしっかりと握り返す。  
確かな温もりが、そこにはあった。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
──その後の事はよく覚えていない。  
 
 
 
 
 
 
 
 
「あなたはそれを知っているはず」  
長門の声。  
「思い出して」  
悪いな。人間の記憶には限界ってものがあるんだ。  
「これは重要なこと」  
「悪いな。長門。もう完全に忘れちまったよ」  
「違う」  
大して頭も良くないからな。忘れたっておかしくないさ。  
「あなたは知っている」  
「やめろ!」  
「聞かなければいけない」  
「やめろって言ってるだろ?」  
「聞いて」  
──やめてくれ  
「あの日」  
長門の淡々とした声だけが俺の部屋に響く。  
「あなたと涼宮ハルヒは、帰途の途中で交通事故に遭遇した」  
──脳が揺れる。  
暗く狭い場所に押し込んでいた、吐き出してはいけない『何か』が穿り出される感覚。  
気持ちが悪い。  
内臓が逆流を起こしそうだ。  
叫んでしまいたいのに、声が出ない。  
──視界が真っ赤に染まる。  
 
 
 
 
 
 
 
 
生温かい液体の感覚に手のひらを見る。  
恐ろしいほどの血液が付着していた。  
──何が……起こった?  
体中が気味の悪い悲鳴をあげている。節々が痛い。  
「キョンっ!!」  
ハルヒが視界に入る。  
その姿は鮮血で真っ赤に染まっていた。  
『大丈夫だ……俺はずっと……お前の……』  
虚ろな声が自分の口から放れ出る。  
話したいことは数え切れないくらいあるはずなのに、上手く唇が言葉を紡いでくれようとしない。  
「せっかく……あんたが……」  
大粒の雫がハルヒの目に光っている。  
…………  
 
「ねえ、キョン?」  
何だ。俺はここにいるぞ。  
ずっとお前の傍に居る。  
「生きて……お願い…………あたしが……………ても」  
ああ。  
俺はずっとお前の傍にいるさ。  
だから──  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「思い出したよ」  
やっとその言葉を吐いて、深く深く溜息をつく。  
記憶の奔流からの回帰。  
知らず知らずのうちに、頬を熱い液体が濡らしていた。  
「そう」  
長門の声が部屋に響いた。  
 
 
立ち上がって、勉強机に向かう。  
あまり使われた形跡はないし、実際にもうずっと向かった覚えが無い。  
一番上の引出し、何故か大概の勉強机に付随する鍵付の引出しを開ける。  
 
土と埃で汚れた黄色い紐。  
 
手にとって月明かりにソイツをかざす。  
赤黒い染み──血痕──が目に痛い。  
「現実……なんだな……」  
「そう」  
今にでも叫びたかった。  
全て嘘だ。夢なんだと否定したかった。このまま全てを忘れていたかった。  
 
「俺がいた世界はいったい?」  
「自由になった涼宮ハルヒの力を流用し、私が再構成した世界」  
この世界と、あの世界の違いは?  
「現在の世界を改変すると問題が発生する為、あの世界は私の内部領域に世界を構成したものを、あなたに接続させている」  
淡々とした長門の声が続く。  
「それがあなたの夢」  
 
──夢か……  
望む世界が夢で、今居る認めたくない世界が現実。  
手にとった紐を強く握り締める。  
 
 
 
 
 
「あなたの中で現実と、虚構の混同が始まっている」  
認めたくないからな。  
「それは非常に危険。あなたの人格に大きな支障をきたす恐れがある」  
それでも……  
「今回の処置はその為……もう一度言う」  
長門がさっき聞いた言葉を繰り返す。  
「選択権を持つのは、あなた」  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そう。俺は認めなければならないんだ。  
あいつの形見を──ハルヒのリボンを──握り締めて、俺は忘れていた真実を再認識した。  
 
 
──涼宮ハルヒは死んだんだ  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〜to be continued〜  
 
 
 
 

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