2月後半ともなると、太陽は意外と早く昇ってくるものである。そりゃあ冬至の日からふた月も経つわけだし、当たり前といったら当たり前だが、冬は日が短いと思い込ん
でいるとついうっかり忘れてしまうものである。不意に目を覚まし、日の光を目にし、「んーもうこんな時間……あれ、まだこんな時間だっけ」と時計を確認してはわずかな
時間のずれを楽しむ……優雅なひと時であり、かつ早起きは三文のなんちゃらを地でいく一瞬。
あくまで自力で目を覚まし、且つ平日だったら、の話であるが。
残念ながら、耳元で非常ベルの如くけたたましくそして人を不愉快にさせてくれる携帯電話のせいで目を覚ました土曜日に適用されることはない。渋々と体を起こしてまだ
6時35分じゃないかもう少しくらい寝かせてくれよ昨日も散々連れまわされては節々が痛むんだからと寝起きの口上をたれつつ、パカリ、ポチッ。
「ただいま寝ております。御用の方はピ」
『あんた遅いわよ! いったいいつまで寝てる気なのよ!! もう太陽だって地平線から顔出してる時間なのよ』
それは太陽さんの勝手だろうが。少なくとも俺の睡眠時間に関係はない。あとボケは最後までやらせてくれ。
「で、太陽さんが起きたからなんだよ。少なくともまだ完全に顔出し切ってる時間じゃないだろうに」
『もったいないじゃない。日が出てあたしも起きてる。こんなにもったいないことはないでしょう?』
俺の睡眠時間がもったいないのはどうすればいいのだろう? とりあえずハルヒ、お前は受け取っちゃくれないだろ。
『というわけで、今から30分後駅前に集合ね。緊急集会やるから!』
プーッ、プーッと、電話から無機質な電子音が鳴りだし、やれやれとため息をひとつこぼし、パカリと閉める。どういうわけだ、いったい。
残念なことに眠気はすっかり消え失せてしまっていた。だからといってハイソウデスネと駅前に行く気にもなれないのだが、何故だか古泉の顔が頭の中で浮かんで離れてく
れない。やめてくれ、行ってやるから休みの日まで人の目の前で胡散臭いスマイルのまま閉鎖空間がとか言うんじゃない。
なんやかんやでしゃきっとシャワー浴びて着替えて10分後に家を出ていた自分には、何もダメ出ししないでおいて欲しい。きっと首をくくりたくなるから。
「おっそーい! 寒い中団長を待たせるなんて、あんた本当に団員としての意識あるわけ?」
んなもん昔から持ち合わせていない。寒いなんてわかりきったことだろうし、そもそも電話が鳴ってから20分でここまで来たのは奇跡に近いぞ。
「何行ってるのよ、あたしを10分も待たせたことに違いはないわ」
……電話かけるときには既に出かける準備終えてやがったな畜生め。
「もう俺の驕りなのは泣く泣く我慢するとして、だ。他のやつらは?」
「何言ってるのよ。こんな休みの日の朝早くから起こしたらさすがにみんなの迷惑でしょう?」
俺は? 何にも期待してないけど一応聞いておいてやろう。万が一、という言葉もあるしな。後は鬼の目にも涙、とか。犬も歩けば棒にあたる、とか。
「あんたはいーの! 雑用係代表取締役なんだから」
「偉いのか偉くないのかはっきりしろ」
「雑用なんだから偉くない。わかった?」
よくわかりました。
「で、こんな朝っぱらから何するんだ?」
「決まってるじゃない。SOS団のやることといえば不思議探索よ!」
この寒い中ごくろーさん、俺は家のコタツに……わかったわかった俺もちゃんと自分の足で歩んでみせるから、手を引っ張るなっての! そして走るな!
2月末という時期は不思議な色合いを称えている。
冬なのに、春。春なのに、冬。
時計の針が、二つの季節の間を駆け抜けていく感じだ。
ようするに、朝はまだ冬ってことさ。
「……なあ」
「……何よ?」
8時にも届かぬうちは、吐く息も白く曇り、吹き付ける風は冬のそれと変わらない。コートとマフラーで防寒対策をしているとはいえ、素肌がさらされている部分はなすす
べもなく、冬の攻撃に耐え忍ばなければならない。
俺が逃げ出すとでも思っているのか、先ほどからずっと手は引っ張られっぱなし。いや、俺は逃げないから、な? ガキじゃないんだし。
「ウソばっかり。今すぐにでも逃げ出そうとしてるじゃない」
「そりゃ誤解だ」
残念なことに、ハルヒも神様のようなもんとはいえ哺乳類(というか人間)であり、触れ合っている部分からは否応無しに体温が伝わってくる。なんで手袋だけ忘れてくる
かね、俺は。
「しっかしまあ、いくらなんでもこんな朝早くには未来人も宇宙人も超能力者も布団の中で丸まってるんじゃないか?」
「そんな人間くさいのはいらないのよ。あたしが求めてるのは、朝早くからカツ丼3杯食べられるようなびっくり非人類」
居てほしくない、というかそりゃお前のことだろうが。あと長門は当てはまってるぞそれ。むしろ10杯はかたい。
……いつもより若干細目(寝起き)でカツ丼を次から次へと平らげる姿を想像するのは、少しばかり危険だ。谷口あたりにはオススメできないね。
「たまには別のもの探そうとは思わないのか」
「別のって何よ。あたしの目にかなうものなんてそーそーないわよ?」
「そーやってネタ振りのレベルを上げるなよ……」
大体だ、お前のそのみょうちくりんな好奇心を満たすもの探しなんて、そんな簡単じゃないぞ?
あたりをぐるぐる見回してみても、あいにくとそれっぽいものは見つかってくれやしない。どこか新築っぽいマンションにいけば一発解決おめでとう、となるが、そういう
わけにもいくまい。
……やれやれ、握る手にこめられる力は、イライラを表現する具体例か?
再び脳裏に古泉スマイルが飛び交う。みくるビームじゃあ全てを打ち落とせそうにもない。ついに空想古泉が顔面まで迫ってくるかといったそのとき、ふいに古泉スマイル
を消し去り、先ほどから痛みすら覚えるようになってきた右手を解放する手段が思い浮かぶ。
俺の頭はどうやら一足先に春真っ只中に突入していたらしい。首をくくりたい。
「ハルヒ」
仕返しといわんばかりに、手を握り返す。
「何よ?」
「いいもん、思い出した」
「ちょ、ちょっと団長をひっぱるんじゃなーい!」
歩くことしばし。わが高校のすぐ近くに目的地はあった。
「何よ、市営の植物園じゃない」
「ああそうだとも何か?」
「こんなとこに何があるっていうのよ」
まあ待ちなさい。そして期待はするな。
あんまり機嫌のよろしくない顔を引っ張りながら、植物園を奥へと進んでいくと、探しものが目の前に広がる場所へ抜け出る。
「……」
先ほどまでくすぶり気味だった団長様の表情が、少しばかり和らぐと共に、わずかばかりの驚きも入り混じったものに変わる。
「まあたまにはこういうのもいいだろ? ……季節の変わり目を実際に体験するなんて、そうそうあるもんじゃない」
そこには、紅白入り混じる梅の花が、まさに春を謳歌せんとばかりに咲き誇る姿があった。ほとんどの花が開花し香りを漂わせている中、乗り遅れたのか、今ゆっくりと蕾
を開こうとしている様子も見受けられる。ほらがんばれ、春はもうそこまで来てるんだ。
「……桜じゃなくて梅、ね。春って感じは半減」
「いいだろ別に。春が何処かじゃなくて、季節の変わり目自体が重要なんだから」
蕾が、ゆっくりと、開いて――
「……たまにはこういうのもいいわね。やるじゃない、キョンにしては」
不敵な笑みではなく、やわらかい笑顔を俺に向け、ハルヒはいった。
なぜだかそうしてほしいと訴えてるような気がして、そして俺自身もそうしたい気がして、つないでいた手を解き、代わりに肩を寄せる。
閉鎖空間じゃないんだがまあ閉鎖空間を未然に防いだんだからいいだろ? と三度現れた古泉スマイルに言い訳をしてみるが、「やっぱり言い訳ですか」とにたにた顔で言
われるからたまったもんじゃない。
まあ、言い訳だが、そういうことにしといてくれよ。水張ってない道頓堀に飛び込みたくなるからな。
「まあ、桜の時にももう一回見に行こう、な?」
「うん」
――たまにはこういうのもいいだろ? 俺も、ハルヒも。