二十一世紀初頭のゴールデンウィーク明けを端として文芸部を三年間占拠し続けたSOS団
の活動内容が遂に謎のままだったことはいうまでもなく、涼宮ハルヒという半ば伝説と化した
問題児の手先という認識が定着したことにやれやれと肩をすくめる俺がいうのもなんだが、妙
にSFタッチの効いた記憶の何もかもが皆懐かしい。
まさしく広大な宇宙の片隅のそのまた端くれでひっそりと過ごすはずだった俺の未来を動か
したのがそれこそコペルニクスが二、三回その場でひっくり返りそうな非常識の体現者である
とのことだが、運命とやらが何か決定的な間違いを犯したとしか思えないようなオプションが
群れを成して一介の男子高校生を襲ったことに関して、何かしら因縁まがいな妄想が俺の良心
とまともな平衡感覚を蝕んでいるのはやむをえないことだ。カントやベーコンらのものの考え
を否定するほど俺も聞き分けの悪い人間ではないつもりではあるが、他でもない自分の眼前で
重力加速度と質量保存の法則をそれこそ気持ちよく切り刻むような光景が繰り広げられてから
のことだ、火元の見えない原子力潜水艦のクルーさながら脳内のコードはレッドに次いでレッ
ドを執拗に繰り返し、且つ部室で飲む甘いお茶の味を忘れない程度に冷静さを保っていた当時
の俺はわりと賢明な奴だったと今でこそ思う。
さて置き一見して奇妙なカルトムービーに見えなくもない高校生活に幕を閉じて以来、知り
合いの超能力者とはたまに顔を合わせるようになっていた。不本意もいいとこ、そもそも謎の
転校生の名を冠していたがためにあの日部室で鉢合わせたのが運の尽きだった気がしてならな
い以上に、かつての『機関』が解散して以降あいつが俺を招待したのは明らかな意図と若干の
微笑ましい事情によるものだった。
――正直に言おう。内心ぶったまげた。
世にも怪しい知人からの手紙が届いたのは、某日昼休みに次の連休を寝るか喰うかと思案し
ながら弁当をつついている最中だった。今日も母親が愛情こめて電子レンジで六十秒温めた唐
揚げを中国製の屈強なプラスチック製の箸で口に運んでいたときに尻ポケットが振動したのを
契機にどっかの暴走連合がトレンドな環状線の名前を挙げて、何やら面白いものを見せたいと
の趣旨で、見た感じ悪質なチェーンメールに見えなくもないテキストを送ってきやがった。日
付と場所はどちらにしてもそう遠くはない。せいぜい夕飯のカレーの材料を買いに行かされる
要領でK3の相手だってしてやろう。
インター横で待つこと三十秒もしないうちにマフラー越しにでもエンジン音がよく通るかと
思えば、運転席にいたのは古泉だった。いかにも怪しいタイミングだ。おい頼むからさ、もう
ちょっとばかりアコースティックにいこうぜ? ついでに言うと毒々しいまでに赤系統でカラ
ーリングされたランサーは、それはそれは不謹慎な外観でありしかしながら、あのむず痒い微
笑みと変にウザい敬語は未だに健在だった。
「よっ」
ルーフ越しに運転席へ声を掛けると古泉がいかにも陳腐な挨拶を返してきた。
「お久しぶりです、といっても一ヶ月経ってないですが。涼宮さんは相変わらずのようですね」
「特に心配はしてない、だとよ」
いえいえ、と軽く会釈。助手席を指して、
「一応行っておいたとは思いますが見せるものといっても大したものではないです。どちらか
というと拍子抜けの類かと。さて、今なら引き返せますよ?」
とりあえずシートに腰掛けて無愛想にドアを閉めてやった。
早よ廻せ。
ハイの頂点で思いついた新手のジョークで滑ったあとに流れそうな、冷徹に見据える限りは
身も凍るというほどでもない寒気が吹きすさぶ路上で缶コーヒーを湯たんぽに持っていた俺が
先例のごとく古泉の戯言聞き流したのには、大した意味はない。
ふと見上げた空に雲ひとつないのも存分にありきたりといったシーンではあるが、特に魚眼
レンズを持ち合わせてなどいない俺にも解りきっているのもさながら、なにぶん雲ひとつしか
見当たらない光景には僅かばかりの感慨がある。実質はあのゴールデンウィーク明けからこっ
ち側、さながら常軌を逸した自分の立ち位置に納得するはずもなかったが、まあそんじょそこ
らに漂っている星間物質と比べられてもまだ無理がありそうな気配を察している以上、人間原
理に則って気楽にいきたいものだ。そうとも。涼宮ハルヒというあくまで触らぬ限りは祟りも
何も杞憂に終わってくれそうな問題児に余計な提言をした挙句、自他の認識外で見事というべ
きかそのシュワルツシルト半径内に腰を下ろしている俺!? てな具合で、一種のショック療
法に近い……いやいや、谷口曰く涼宮がうつるとは要するにこのことだったな。
『機関』の本部を目の当たりにしている今でこそ俺もいろいろ考えさせられる。
「あー……いいオフィスだな」
「恐れ入ります」
このざまでは指先でプルタブを起こすくらいでしか反抗もしようがない。
勘繰らずとも情けないといえば情けないが、グリーンマネーに怯える経営者じゃあるまいし
このまま思秋期に突っ込みかねない自分を制して、否、そこで押さえ込むと余計に考えが老け
そうな上に先行投資保護でどすを効かせるパドロンが潜んでいないかと不気味なスポットと化
した歩道でなくとも左右の気配に殺されそうだ。
見たのは、ところどころ錆付いたアルミ箱が数台、ナナハン辺りを筆頭に2サイクルが数十
台、古泉を頭打ちに趣味の悪いステッカーで覆われた2シートが十数台。あと残りはキャンピ
ングっぽいのが数えるほど、エトセトラ、エトセトラ……。
……おい。
古泉はというと全てを見透かしているのか手の込んだはったりなのか、実際半々ともいえる
空気を漂わせながら相変わらず無差別に微笑んでいる。
「……説明しろ」
「実を言うと朝比奈さんの同級生に少々の恩がありまして、当時に関しては概して資金面の心
配はなかった、のですが――いわば寄せ集めというよりは寄せ集まっていた。これが僕に出
来る最良の弁明です」
無論、テンキーが腹に張り付いているような腹筋に囲まれてビビってる俺じゃない。
ただ、それが巷で言う珍走団に見えなくもなかっただけの話だ。
「紹介します。僕の同志ですよ」
いっそトロポポーズにまで手が届きそうな秋空の下、ディーゼル音が背骨によく響く。
「なあ、古泉」
「なんでしょう?」
いや別にいいけどさ……。
……スローなブギはやめてくれ。