〜〜 プロローグ 〜〜  
 
 県内某所。欧風の建物が並ぶ急な坂道を登った観光名所の一角に、その建物は建っている。  
 やはりシックな洋風の館の、アトリエらしき広い部屋で、その人物は印象派の絵の中の静物の  
ように調和した静かな居住まいで座っていた。ひときわ目立つ大きなカンバスの真ん中に、いま  
にも開きそうな大きな扉が描かれている。曇天の石造りの古い街並みに建つ、厳かと言ってよさ  
そうな堅牢な扉のある絵。  
 満足そうな目でその絵を見据えてから、すこし前にバイブレーション機能を存分に発揮してい  
た白い携帯電話を取り出し、その着信の発信元と思われる相手に電話をかけた。  
 
 
「涼宮さん」  
「ふが。ん、なに?古泉くん。席なら見てのとおり空いてるわよ」  
 
 学校の食堂のカニクリームコロッケをパクつく涼宮ハルヒのいたテーブルに、購買で買ったら  
しいカレーパンを手にした古泉一樹が声をかけた。もう一方の手にあるコーヒー牛乳はすでに半  
分程度空けている。  
「では、お言葉に甘えて」  
 ハルヒは気づいていないのかもしれないが、古泉一樹は持ち前のルックスや丁寧な口ぶりまた  
優雅そのものの物腰、さらには文化祭の好演ぶり、もちろん理数系クラスのまぎれもない成績優  
秀な一員であることも加わって、同学年の女子生徒に少なからず注目される存在である。  
 たったいまハルヒの方へ歩を進める間にも、熱量を込めたような視線を送る同級生の女子が数  
人いた。  
 いや、上級生のなかにもいる。  
 いまやハルヒの腐れ縁的相棒として幅広く認知されている、もう一人の男性SOS団員が彼に  
対してなにかとつっけんどんな態度なのも、おそらくそういう同性から見れば憎らしいほど恵ま  
れた外見や頭脳へのやっかみに近いものが含まれているのだろう。本人のモノローグに現れない  
だけで。あいかわらずのよどみない優雅な歩調で、ハルヒのいるテーブルに近づく。  
「では失礼します」  
 さて、席に着いた古泉の向かいでコロッケを食い終える勢いの涼宮ハルヒはというと、さしあ  
たって共同謀議すべき次のたくらみを腹に抱えているわけではなさそうで、したがって古泉の存  
在は教職員室で目にする花の生けてない花瓶程度のものなのかもしれないが、それでもせっかく  
だから何か話題をふる努力を見せて、  
「前から気になってたんだけど、古泉くんそれだけでおなか減らないの?ほんと少食よねー」と  
水を向けた。あまり関係ないが、ハルヒはカニの甲羅がめんどくさいだけでカニの身そのものを  
食べるのは嫌いではないらしい。  
 購買のカレーパンを食べる姿も様になっていると認めざるを得ない古泉は、とりあえず口のも  
のを整理してから答えた。  
「ああ、そう見えますか。いえ、これでも家では普通の男子高校生並みに食べているつもりなん  
ですけどね」  
 軽く片目を閉じる、できれば自分向けにしてもらいたがっている女子が五指では足りないであ  
ろう独特の仕草で答える。まあ、何も事情を知らない人がこの様子を見れば、なつかしいトレン  
ディドラマの典型的な美形カップルの談笑風景に見えることだろう。  
 たまたま隣り合わせになった女子生徒の一人がどうやら緊張した表情を見せている。さきほど  
古泉の声に過敏に反応した幾人かのうちの一人だ。  
 彼女がどんな危惧なり想像をしているかはわからないが、涼宮ハルヒと古泉一樹の二人とも―  
とりわけ涼宮ハルヒのほうは―そのような一般的な付き合いやテンプレート的な行動を目的とも  
手段ともしたがらない、どちらかといえば特殊な感性の持ち主であり、古泉一樹の深い意識に仮  
にそういう願望があるとしてもそれは彼のさしあたっての行動規範には入っていないものと思わ  
れる。すくなくともこれまではそうだった。  
 要するに古泉がハルヒに声をかけたのはおそらく別の目的があったのであり、昼食をほぼ食べ  
終わっているハルヒが席を立つ前にそれを話すつもりでもあるのだろう。いや、別の目的ではな  
い願望が含まれているのかもしれないが。  
 いずれにせよ古泉はその用件をさっそく切り出した。ちなみにカレーパンにはまだ二口しか口  
をつけていない。  
「われわれの団の主要活動である不思議探索ツアーに、ひょっとしたら有益かつ実用的なヒント  
または効用をもたらすのではないかと思われる面白いイベントがあるんです」  
 
「へえ。どんなの?」  
「これがそのチケットなんですが」  
 言いながら、『売り切れ必至!』の文字も華々しい、やたら仰々しい宣伝文句と派手な体  
 裁の入場券を自分の財布から取り出した。  
『謎の古代遺跡を解き明かす体験型期間限定アトラクション入場ペアチケット』と書いてある。  
怪しさを競うテストがどこかにあれば、学力テストの感覚で言えば偏差値70を確実に越すだろう  
とも思えるいかにもな怪しい入場券。  
 たしかにSOS団員その1でありバリバリの懐疑主義信奉者を過去に自任していた彼なら受け  
取りを拒否しそうな代物だ。  
 
「本当は彼に声を直接かけようと思ったのですが、直接言うとあまりよい顔をしてもらえない気  
がしたので、ぜひ涼宮さんのほうから誘っていただきたいのです」 そしていかにも残念そうな  
顔をしつつ  
「実に残念なことに、このチケットは入手が困難なものでして、結局これ一枚しか手に入りませ  
んでした。見てのとおり期間限定のアトラクション、といっても知る人ぞ知るといった類のもの  
で、通常の商業的ルートでは情報さえつかむことの出来ないものですが、その体験的なイベント  
をいわば選ばれた人たちだけに体験してもらおうという趣旨の企画であるようです。見てのとお  
りペアチケットですので当然二人しか入場は出来ません。ですがこの機会を逃すのはSOS団副  
団長として看過できないものを感じまして。当然ながら問題は、われわれSOS団のうち誰が参  
加するのか、ということなんですが……」と、ハルヒの様子を伺うように古泉は言った。  
 古泉の出したペアチケットをひったくるように手にして内容を読みつつ、おそらく関心がある  
のかフンフンうなずきながらハルヒは言った。  
「そうねえ……いかにも通常ルートでは手に入らなさそうな、怪しさが詰まってる感じはいいわ  
ね。……でも、古泉くんとキョンとで行ってき……」  
 なんとなく歯切れの悪い対応である。タイミングを計るように古泉がさえぎっ  
た。  
「それだとまず間違いなく断られてしまうでしょうね。それに」  
 古泉の次の言葉をいぶかってか、整った眉をほんの少しひそめたハルヒの様子に気づいてかど  
うかわからないが、わずかに息をついて古泉は続けた。  
「残念ながら僕の都合がつかない可能性があるんです」表情を伺うようにハルヒを見つめる一樹。  
「……あ、そうなの」 ハルヒはわずかに安堵したように答える。さきほどから緊張した面持ち  
だった隣のテーブルの様子の推移からするに、そう感じたのはハルヒだけではなかったかもしれ  
ないが。原因となっている古泉当人は、口調だけで判断すれば全く変わらず続けた。  
「ええ。もし涼宮さんがそれでいいのでしたら、長門さんか朝比奈さんのほうから彼と一緒に  
行ってもらえるように頼んでもいいのですが。彼には副団長の、長門さんか朝比奈さんには団長  
の代理として、というのはどうでしょう」  
 一見屈託ない、邪心のかけらもないような、それでいて腹に一体何を抱えているのかと一部の  
同性を警戒ないし嫉妬させる笑みで古泉は提案した。すこし慌てた口調でハルヒが応じる。  
「ちょ、ちょっとまって。それだとあのアホがまた変な勘違いおこしてひなたぼっこしてるアザ  
ラシよりもいいかげんなレポートしかできない可能性が高いわ。あれはそういう男よ。睨みを利  
かせてちゃんと観察できるように見張っとかないと時間と資金の無駄遣いそのものになるのは火  
を見るより明らかね」 最後の一口を食べ終えて言うハルヒはまくし立てるような口調だ。それ  
を予想していたかのように、  
「じゃあ、あなたと彼とで行ってくれるのがベストですね。僕もそれが望ましいと思ってたんで  
すよ」  
 と古泉は言い、にこにこしながら三口めのカレーパンに移る。これで決まりですねと目で合図  
しているつもりなのだろう。  
 ハルヒは、これまた外部の人間からすれば憮然としか表現できない表情を作りながら、しかし  
口ごもっていた先程とは対照的なアップテンポな調子と声色で  
「まあ、それが妥当ってことになるかしら。古泉くんが用事あるってんなら仕方ないわね。まか  
せといて。キョンの首根っこ引っ張りあげてでも連れて行くからね」と、おそらく最初から古泉  
が意図していた形でのカップリングの提案を了承した。  
 何一つ聞いていないし聞かれてもいないし了承してもいない己の貴重な休日の予定が、たった  
いま策士古泉の罠によりハルヒとの実質的デートのために埋められてしまったことを、いつもの  
面子と顔を突き合わせて弁当を食っているか談笑でもしているのであろうその時の彼は当然のご  
とく知らなかった。  
 つぶやいてあげたい。やれやれ。  
 
 
〜〜 いつき(一章) 〜〜  
 
「でもさー、出てきたら出てきたでこれがまたかわいっくて!なんか名前付けたげたいくらいだ  
よっ!でもでも、あんたも見たことあったっけか、みち……みくる?」  
 屈託も腹蔵も全くなさそうな、妙齢のペコちゃん人形……もといアナザーストーリー的ライジ  
ングサンな笑顔でニヒッと笑う漆黒の長髪美人は誰あろう鶴屋さんである。これから昼食にして  
は時間が遅いから、たぶん食堂近くにある自動販売機で飲み物を買いにいく途中での会話だ。な  
ぜかちょっと焦った仕草の朝比奈みくるだがこれがまたかわいらしい。男子生徒の過半にとって  
目の保養そのものと言ってよさそうな二人だけに、すれ違いざまは言うに及ばず遠目でも目が  
合った瞬間相手に電気が走るのはよくある光景だが、それは必ずしも男子に限ったことではない  
らしく、離れた場所で二人を見て固まっていたらしいその人物が自分のほうへ近づいてきた二人  
にようやくといった表情を浮かべて声をかけた。  
「あ、あの……」  
 小さくて消え入りそうなその声の主は女子生徒だ。しかも下級生の。おそらく天然パーマと思  
われるカールした髪をぎりぎりミドルレンジまで伸ばし、ショートカットとは言えないくらいで  
整えた栗毛が良い感じにふわふわした、とてもかわいい子だった。  
 雰囲気や髪型などが喜緑江美里に似ている。  
 透き通った深い湖のようなその瞳も伏せがちに、もじもじした仕草はよほど緊張しているから  
だろうか。  
「は、え、わわ、ええっと」  
 先祖か前世がよほど恥ずかしがり屋のフェレットはたまたナキウサギあたりかと思えるほどに、  
朝比奈みくるのほうも負けず劣らずわたわたしている。年齢より幼くみえるのは相変わらずで、  
にもかかわらず体の一部が(調べてはいないが)トップクラスに成長している正真正銘の美少女。  
上級生なんだからもう少しゆったり構えるべきかと思うのだが、このアタフタぶりも彼女の魅力  
の重要ポイントだと感じる者が多い現実もある。現役高校生にしてすでに人生を見切ったかのよ  
うな厭世的独り語りで共感もしくは呆気を呼ぶ彼を筆頭に。  
「ありゃりゃ〜ん? きみ、もしかしてみくるに用なのかい?」 直感的に相手の本質をつかむ  
眼力を所持していると某下級生の評価する天性の才女、兼、底の見えない名家の次期当主が、相  
手の少女を観察するような少し細めた目線を注いで言った。  
「うーーん、かーわいいなー♪ 緊張しちゃってさっ! うんうん大丈夫だよこわがんなくても  
オールライッ」  
 ほれほれと促されてみくるも声をかける。  
「ど、どうしたんですか? えっと、ひょっとして」  
 おずおずと上目遣いなのはなぜだろう。恥ずかしい思い出でもあるのだろうかと詮索されても  
仕方ないがこのたびはどうやらその通りだったらしい。  
 やはり上目遣いに視線を向けてではあるけれど、いかにも思い切りましたという表情で朝比奈  
さんに  
「あ、はい、その……チョコレートありがとうございました!うれしかったです。……失礼しま  
す」  
 それだけ言うと女子生徒は二人にそれぞれ深くお辞儀してみくるたちが歩いてきた方向へ早足  
で去っていった。「ちょいときみ、お名前〜?」と言う鶴屋さんに返事はなかった。  
 なるほど。参加料500円のハルヒプレゼンツ、しかし巫女装束みくる(と制服の長門有希)  
が目玉のチョコレート&ツーショット争奪杯において、あまたの男子生徒の羨望と嫉妬渦巻く中  
ひょっこりその権利を勝ち取った、整理券番号56の彼女だったのだ。諸般の事情によってこの  
当選が仕組まれたものだと知っているのは、実行したらしい長門有希と依頼人の同級生の男だけ  
であろう。といっても、みくるパワーの賜物か女子生徒の愛くるしさのおかげかおそらくその両  
方によって、はじめからスタンディングな観衆のあたたかい拍手でその場は締めくくられたとい  
うお話。  
「やあ、もってもてだねっ、みくるはさ! やけるな〜このこのっ」  
「ふえっ」  
 立ち去る女生徒を見送ってから、みくるを肘でつっついて自分のことのように素直に喜んでい  
る鶴屋さん。まだおどおどと困惑気味の朝比奈嬢を引っ張ってやはり自販機のある方へ歩いてい  
く。  
 
「なんてかさ、おもろい子だなーわたし気に入ったよッ……ってさっき何の話してたんだっけ、  
そうそうめがっさかわいいねずちゃんでさ〜」とかなんとか言いながら。  
 とにかくいい人である。  
 いつも思うのだが作者にはぜひ彼女の名前を公表していただきたい。のちの参考にしたいと考  
える若者たちのためにも。  
 ときに、古泉一樹と涼宮ハルヒの二人が怪しさ最前線のペアチケットに関わる相談をしていた  
のはついさきほどのことだった。  
 だいたいいつもそうなのだが、朝比奈みくるは今回の一件――謎のアトラクション?にハルヒ  
たちが行くこと――についても知らないし、自分がその件になにかしら関わりがあるのか実は関  
わっていたのか、それともこれから関わるのかも当然このときは知りようがなかった。  
 たぶん、さしあたって無関係だろう。  
 
***  
 
「古泉です。ええ。さきほどはどうも」  
 ストレート型のコンパクトな携帯電話をとりだした古泉一樹は、そう告げて着信に応じた。ハ  
ルヒはすでに昼食を食べ終えて今はいずこかに、もしかしたら部室にいるのかもしれない。  
「はい。はい。……首尾よくいったと判断しています。自分で言うのもなんですが、これでも彼  
らの信任を得る努力は惜しみませんでしたし。ええ、もちろん助力あってのことです。はい。あ  
あ、ご無沙汰してますね、そういえば。ふふ。そうでしたか。……かなりな騒動だったと。はい。  
多少なりと。彼らの……彼女らのことも」  
『機関』からの電話なのだろうか。  
「お気遣いなく。はい。いえ、そうではなく。僕……わたしはわたしなりに理解しているつもり  
ですが。我々の目的は現状維持ないし沈静化である、と。はい。はい。ご心配なく。疲労がない  
といえば嘘になりますが。…………それともそれは警告と受け取ればよろしいのですか?」  
 目元が厳しさを増している。目で周りの様子を注意しながら電話の相手とやりとりを続ける。  
「それはどうでしょうか。いえ。どう考えても切り札は我々の、いえ僕の手元にあります。彼女  
らは何の疑いもなくそこに行くでしょうね。なにしろわたしは信用されていますから。……それ  
とも余計な刺激をこちらが与えてよいと?…… わたしは困りませんよ。困るのは誰でしょう  
ね? はい。はい。いいえ、大きく逸脱した行為だとは思いません。大局的に見れば、この接触  
はむしろ必要なものだと考えています。……え? はい、はい…………」  
 相手の返事を聞いていた古泉はやや厳しい表情のまま、こう告げた。  
「僕は……わたしの判断で行動します。これはまたとない機会になるかもしれない、おそらくそ  
うでしょうし……。はい。に《バブ・イル》ついてはもちろん対処しますし、血なまぐさい争い  
よりずっと良いと思います。それに《小楽園》……そうです《見世物小屋》、個人的には楽しみ  
にしてますよ。……」 言葉を切ってから古泉は偽悪的とも思えることを付け加えた。  
「もし、初めから彼女は存在してなどいなかった…ということにでもなれば、我々にとっては最  
善の結果と言えるのではないでしょうか。……ええ。はい。そちらも気をつけてください。道中  
の危険などは誰も……そうですね。どうも、では」  
 電話を切ってポケットに戻すと、彼にしてはやや大きめの溜息をひとつつく。髪をなでる風を  
手ではらうような仕草をしながら、古泉はいつもの微笑顔に戻った。体育館そばのキャットウ  
ォーク(?)付近から見上げると空は春に霞んで薄曇りにも見えるが、薄い水色であるからには  
本来は晴天なのだろう。  
 
 と、そこでまた着信があった。しかし今度はファンタジックな曲の一部のような効果音で、内  
容を確認して少しだけ表情の緩んだような古泉の態度から察するに、今度は気のおけない類の  
メールらしい。そのあとすばやい手つきで返信をしたためたように見える。  
 案外、もう一人のSOS男団員がいらぬ詮索をしていたように、涼宮ハルヒやハルヒを中心と  
するサークルの外で、古泉一樹は誰かとの交際を如才なく育んでいたりするのかもしれない。  
 メールの相手はさしあたり物語に影響はないだろうが、さきほどの電話は気になるところであ  
る。一体相手は誰なのか。おそらく『機関』に関係がありそうだが挑戦的な古泉の態度や電話相  
手との意見の不一致らしき部分が解せない。  
 なんにせよ電話の相手の、そして古泉一樹本人の思惑が今回の『謎の古代遺跡を解き明かす体  
験型期間限定アトラクション入場ペアチケット』に絡んでいることは疑いないのだろう。  
 それよりなにより、“初めから彼女は存在してなどいなかった…ということにでもなれば、  
我々にとっては最善の結果と言えるのではないでしょうか”という、諦念や暴論ともとれる最後  
の部分。  
 彼女とはハルヒのことなのだろうか。だとしたらなぜ。  
 古泉自身が以前に語っていた言葉を挙げれば、個人的な“感情が僕の居場所はここ(SOS  
団)であると訴えて”いたのではなかったか。地域限定超能力者にしてSOS団の一員という立  
場を誰かに譲る気はないと語っていたのは、ほかでもない古泉一樹であったはずだ。  
 終わらない八月下旬・世界の再構成〜帰還のようなハルヒから発したと思われるアサインや、  
目標はやはりハルヒであるにしてもそれ自体はハルヒ以外が発信源の、挑戦的であったりときに  
はほのぼの(?)としたエピソードの数々。それらに対して、すべてが終わってから“そう悪い  
ものでもなかった”と思えるように前のめりに対処するよう努力していたのではなかったか。  
 それでも……  
 やはり、古泉一樹も疲れているということなのだろうか。  
 かつて彼が言った、いつか対等な友人として語らえたら……という言葉。あれはもしかすると、  
耐えつづけるつらい心情の精一杯の吐露だったのかもしれない。そしてハルヒ達が心配するほど  
の食の細さも、彼が自分自身を抑圧して演じ続けていたことの現われだったのではないか。  
 彼もまた、相当の無理をしてきたのではなかったか。重要な成長期に超常の力を突然身につけ  
させられ、ときには命がけの戦いに昼夜を問わず狩り出されてきた三年以上の月日をだれが慰め  
てくれただろうか。  
 そして古泉は若干16歳にしてそのストレスをほのめかそうとさえしなかった。彼自身になん  
ら落ち度はなく、ただ選ばれただけの存在。  
 
 原因不明の“エラー”と長門有希が自分について表現していたもの、彼女が一度そのために世  
界をまるごと作り変えたように。  
 
 だが、表情からそういったものをうかがい知ることはできなかった。携帯電話をポケットに戻  
し、古泉一樹は教室の方へ向かった。口もとは薄く笑う形に閉じ、いかにも能天気そうで、あく  
まで嫌味なほど様になった足取りで。  
 
 ……いや、すべて無駄な詮索なのかもしれない。なんだかんだといって、結局はどうというこ  
とのない話に落ち着くのかもしれない。  
 むしろ、全く煮え切らないというよりまだ追いガツオで出汁もとってないようなあの二人の関  
係がすこしでも進展するとか、そういう甘いお話なのかもしれない。  
 いまは、意味深そうないくつかの名も、謎は謎のまま。  
 この話もまた次に紡ぐ糸を求めて時間を進んでいくのだ。そのようにしよう。  
 
***  
 
 朝比奈みくると鶴屋さんが下級生に深くお辞儀をされていたころ、涼宮ハルヒは旧校舎の文芸  
部室にある団長席(つまり窓側の、三角錐と大型のLCDの置いてある机)にドカッと腰掛けてい  
た。窓に向かって左、本棚側の椅子をほぼ指定席としている長門有希も、それが当然であるかの  
ように座って読書をしている。  
 ハルヒは鏡を机において、身だしなみのチェックを、とくに前髪や口のあたりを念入りに見て  
いた。小ぶりで高く通った鼻だがその穴から毛でも出て特にすぐ前の席の男子などに見られるの  
はやはりイヤだろう。といってその辺を手抜かるとも思えないが。  
 異常に長い睫毛に整った顔立ちの彼女は、なぜかトレードマークのようになっているカチュー  
シャを外してもっと長髪になどしたらモノトーンや真紅のゴスロリ衣装などがこのうえなく似合  
うかもしれない。  
 その読書姿はもはや部室の先住民としか思えないくらいの板につきっぷりと言える長門有希は、  
さて、いまのハルヒのように鏡のまえで身だしなみを整えたりするのだろうか。  
 ちなみにパソコンを起動させているところをみると、ハルヒはネットサーフィンでもするつも  
りなのかもしれない。  
 華奢で小柄な読書少女が普段身だしなみチェックなどをしているかどうかは不明だが、シャ  
ギーの入った有希の短髪はほとんどいつも変化無しで、仮にかつて使っていた眼鏡を掛けて見せ  
られたら、最初にハルヒ達と出会ったころとの見分けがつく人はほとんどいないだろう。  
 それでもハルヒや朝比奈みくるに言わせればちょっと変だったり自分と成り代わりたそうな感  
じが気になったりと、表現の違いはあれそれなりに彼女が変化していることを観察する点では一  
致している。  
 どこか機械仕掛けの人形のような、よどみないが最小限の動きで顔を窓側に向けた有希の眼差  
しがハルヒに注がれたのはほんの数秒間のことで、二人の目が合うことはなかった。  
 ハルヒは時々視線を落としながら、マウスを右手に持ちつつディスプレーに注目していた。  
 やはり何か調べ物でもしているのだろう。  
 たまに本棚のほうに目を泳がせつつ。  
 短い時間だが、お互いにこの場は無言で通したらしい。  
 
***  
 
 体裁や内容はもちろんのこと、主催者から連絡先、なぜか要ログインの特設ウェブサイトなど、  
怪しくないところを逆に探したくなるような内容で、そのうえなぜか『ペアチケット』というそ  
れ自体がどちらかといえば謎といえそうな特別入場券を古泉から受け取った涼宮ハルヒは、教室  
に戻ったかと思えばただちに意中の人物の確保にのりだした。  
「ちょっといーい? キョーンー」 変な調子をつけてエクスキューズしてはいるが相手の返事  
ましてや不同意など最初から問題にしていないのだ。当の男子生徒は一瞬にしてそれを理解した  
ようで、席を立ちながら  
「わかったから、頼むからネクタイ引っ張るな昨日アイロン当てたんだよこの野郎」などと言っ  
てハルヒの手を寸前で払う。どうでもいいがハルヒは外見的には野郎というより女子高生だ。  
「はん? いいわよあたしはそんなの気にしてないから。なんならアイロンでもなんでもしてあ  
げるから帰りに外しなさいよ」  
「考えとく。って、おいおい今度はなんだよ……」  
 “抵抗しなければいいのよ”とでも言いたいのだろうが、ハルヒはネクタイの代わりに袖を  
引っ張り廊下のほうへ強引に連れ出す勢いだ。それなら手を握ってくれた方がなんぼかいいと男  
が思っていたかどうかはわからない。  
 残り少ない昼休みを友人たちとつつがなく過ごしていた男子生徒の一人をひっつかまえて人気  
のない階段の踊り場に連れて行く様子は、立場が逆ならいくぶん危険な連想も起こさせるだろう  
が、さすがに友人たちも慣れているようで、遠ざかる二人を苦笑と呆れ・いくらかの羨望の入り  
混じったような顔で見送っていた。アディオス、キョン。  
 
 中肉中背というよりは線がやや細め、苦虫を噛み潰したような表情や呆気にとられる表情はな  
かなかの演技派ぶりを感じさせるし、そのほかもまずまずの印象を与えるだろう男子生徒は息を  
整えてからそれが役目だと自覚した面持ちで切り出した。  
「だから今度はなんだよ。お前と鶴屋さんだけだぞこんな無理やり連れ出されて話させられるの  
は」  
「へ? なんで鶴屋さんがあんたと……何の相談よ」  
 いかにもしまったというお得意の渋面ポーズになる彼。  
「いや、別にたいしたことじゃなかったんだがな。あの人そういうとこお前に似てるんだよ、面  
白がりってかなんていうかさ……」  
「ふん。まあいいわ。どうせ鶴屋さんに聞くから」  
 相棒の女性絡みの話題には常に異常に敏感なハルヒである。当の相棒もそれは自覚しているら  
しいがその原因を本気で追求しようとはしないところがなんとも生煮えで初々しい。まあ考えて  
ることをぜんぶ独白しているわけでもないだけだろうが。  
「好きにしろ。でわざわざここでするような話か」 本題に移らせたいという意思を見せる。さ  
も当然のようにハルヒは  
「これなんだけど」と言いつつ、にひぃ〜と笑ってセーラー服の胸元から例の入場券をとりだし  
た。  
 その様子に一瞬だけ瞳が輝いたかと思えば一転して嫌そうな表情になる。実にわかりやすい彼  
である。  
「……なんだこれは」  
「あんたも喜びなさいよ」  
「なにをだ」  
「あたしたちの活動にとって有益な情報をよ! これ古泉くんが探してくれたんだけど、そりゃ  
ペアチケットってのも変だけどね、不本意ながらあんたくらいしか暇なのいないし連れてって…  
…あたしに同行してこれ見に行ってもらうわけ。そんなわけだから変な詮索しそうな連中の前で  
話するのはあたしがイヤ…」 また言葉が詰まる。  
「…というか、話しても別にいいんだけど……けどこういうのは出し惜しみしないとありがたみ  
も希少性もなくなって不思議が不思議じゃなくなるかもしれないじゃない。やっぱ不思議バス  
ターのプロとしては内密にことを進めるべきと思うわけ」  
 この間「連れてって……」のあたり、自分で言っといて少し目をそらす仕草はハルヒらしくな  
い……いやそうでもないのかもしれない。  
 いつかの雨の日に教職員用の傘を彼女が出した時と似ていた。  
“不思議バスター”とか意味不明だしそんなプロの誇りなどなおさらわからないが、とにかく  
付いてこい、ということらしい。そこではっきり「連れてって」とは言えないハルヒであった。  
 言いそうだったけど。  
 
 さて、それを聞き終えた彼は返事した、というより尋ねた。  
「俺にも予定があるとか思わないのか」 しごく当然の疑問である。  
 ふん、と相手の技を見切った拳士のような強気な顔でハルヒは答えた。  
「ないんでしょ? 古泉くんはダメっぽいのよ。あんたに代理でお願いしてくれとか言ってたわ  
よ」  
「…………」  
 内容への不信感や疑念もあっての沈黙かもしれないが、予定がないだろうから決まり、という  
言葉に本格的な反論が出来ないらしく、上機嫌のハルヒにどうやら押し切られる形で落ち着きそ  
うだ。  
「いいのね? ここんとこに特設サイトが紹介してあったからさっき確認したし、まあ行ったら  
それなりのものがあるんでしょ。細かいところはあとでね。それと……」  
「なんだよ」  
 やや間があいたので促す言葉をいれる相方。ボケる才能はともかくツッコみはなかなかのもの  
だと思われる。  
 そういえば、内容といいテーマといい絵に描いたような詳細不明である彼のトナカイ芸とは一  
体どんなものだったのだろうか気になるところだ。とことん不評だったらしい彼のボケの内容を  
ぜひ知りたいものである。  
 やや間をおいたハルヒが思い切ったように彼に告げる。  
「みくるちゃんと有希には 絶・対(ここ強調)、言わないこと。チケットが手に入らなかった  
から仕方ないんだけどね。かわいそうでしょ? この話聞いたら『どうして自分たちは行けない  
のか』って気にするかもしれないじゃない」  
 とってつけた感がありありの理由も理由だが、そういうこと以前にそんなの行けなくてもまっ  
たく気にしないだろうし問題なさそうでもある。  
 気にするのは“誰と行くか”でしょ、しかもあなたが一番気にしてる。  
 そう涼宮さんにとツッコんでおこう。  
「これはあたしが持っとくわ」 そう言ってハルヒはチケットを胸元に戻した。  
 デザイン的にこれまた不明だが、制服の胸襟の裏にでもポケットがあるのだろう、きっと。  
 今回もハルヒの強引さに押し切られつつある遁世志向の男子高校生は、それなら俺が一抜けす  
るから彼女たちのどちらかと一緒にいけばいい……とは言わなかった。ウィンクしつつ人差し指  
をたてて「いいわね、忘れんなよ!?」と言葉だけ恫喝めいた捨て台詞を残し教室に戻る女生徒  
を、数瞬後に彼は追った。  
 この様子だと、あのチケットは古泉が自腹で買ったのだろうかなどという懸念はどちらにもな  
いらしい。少し気の毒である。  
 
***  
 
 どうにもインチキ臭いアトラクションに涼宮ハルヒのお伴として行くことが問答無用で決定し  
たその日の放課後、掃除当番を拝命していたその男は持ち場の階段をほうきで掃いていた。相方  
となっていた男子とたわいない会話などしながら、そろそろ残りの塵をペペッとしちゃいたいな  
どという職務怠慢の意向をにじませていた頃合いのことである。  
「久方ぶりだな」  
 おそろしく大仰な物言いだがそれがまた似合っているとしか言いようのない人物が階段の上方  
から声をかけてきた。  
 切れ者との評判も高い、スマートでいかにも策略家ないし弁護士然とした眼鏡の似合う現生徒  
会長、だが実際にはざっくばらんを通り越して小悪党と言うべき未成年のヤニ野郎である。  
 書記の喜緑江美里も随伴していた。  
 顔には出さない努力をしているらしい彼だが、声までは制御しきれない様子で、  
「なんすか、文芸部室になら涼宮や古泉もいますけど」と声を暗くして言った。  
「やれやれだ。きみとはもう少し良好な関係でいようと思ってるのだが。そのほうがお互いに  
とって得策でもある」  
 そう言った生徒会長の隣で、喜緑江美里はいつもの小さめの笑顔をくずさずSOS団の彼を見  
つめている。  
「俺というよりこの喜緑君からキミに言っておきたいことがあるというのでね。すぐに済む」  
 もう一人の掃除当番には先に帰ってもらうようだ。  
 そのあと会長は目配せをして、彼への用件を話すよう喜緑さんを促した。それから自分自身も  
少し下がって明後日の方向を見ている。われ関せずを決め込んでいるように。  
 静かに階段を下りてきた彼女は、  
「昼休みのことなんですが……」と下級生の彼にしか聞こえない程度の声でつぶやくように言う。  
「涼宮さんがお昼休みに文芸部室で見ていたらしいウェブサイトのことなんですけど、なんだか  
気になったので……」  
「え…」 アトラクションの件が思い当たったのだろうか。  
 表情をすこし曇らせながら上級生の生徒会書記は続けた。  
「その場にいた長門さんは、あなた方に何も言わないことにしているようです」  
 気になる言葉を残して、喜緑江美里はまたもとの位置に下がり――位置エネルギー的には階段  
を上り――それに気づいて「もういいのかね」と確認する会長は  
「用件は済んだようなので失礼する。きみだから言うが、くれぐれも面倒を起こさぬようきみら  
の主宰者に釘を刺しておいてくれ。先週も」  
 なにかあったのだろうか。  
「桃色の看護士衣装でやかんに水を入れる女生徒が目撃されている。扇情的かどうかはさておき  
当人は苦痛の表情だったらしい。あのひねもす高気圧な女の差し金だろうと察しはつくがな。ま  
あ、古泉の話ではキミなりに努力はしてくれているようだが、引き続きお願いしておく」  
 そう言い残して傲然とその場を退いた。  
 喜緑さんはにこやかな表情に戻って会釈していたが。  
 
 ほうきで残りの塵をペペペッと散らしながら、やや気難しい感じに、言い換えると苦瓜を生で  
口にした程度には眉をひそめている。  
 やれやれ、面倒ごとになりそうな予感をビシビシ感じるぜ……とでも懊悩している最中かもし  
れない。  
 ほうきを持って教室に戻るべく踏み出したが早いか、思いついたことがあるのか急に立ち止  
まって携帯電話をとりだす。比較的シンプルで暗い色調の二つ折りカメラ付機種だ。  
 
***  
 
「やあ、どうも」  
 SOS団のアジトと化して久しい文芸部室に今日は遅れてやってきた男子生徒を晴れやかに古  
泉一樹が迎える。  
 長門有希はちょうど本棚を眺めていたところで、  
「……」 かように無言だったもののドアの方にじっと顔を向けて入ってくる彼を見つめ、目が  
合うとコックリと顔を縦に動かす。わずかに口を開きかけていたようにも見えた。「よお」と返  
事が返る。以前のような、まるで有希が居ないかのように視線も素通りするという習慣は、今の  
彼にはないようだ。  
「あ、キョンくん〜」 にこやかに手をふるコスプレ姿の女子生徒。「お茶用意しますねー、え  
えと、玄米茶とどくだみ茶、それかうめこぶ茶でも」  
 そう言ってかいがいしく動くその姿はすでに本職と言えるのかもしれない。  
「あ、すんません、今日は思い切ってどくだみ茶、お願いしまーっす」と返事する。  
「はい。すこしだけ待ってくださいね」  
 前の週は気の毒にも女性看護士姿にさせられていた朝比奈みくるも、この日はメイド服姿で彼  
に笑顔を送る。それを受けて自然に顔がほころんでいるのは、元がかわいいうえにメイド服姿が  
またえもいわれずお似合いだからと思われる。  
 事実、彼女をダシに使ったいくつかの催しは集客面ひいては活動資金面で大きな成果をもたら  
し、すでに次の映画のスポンサー候補まで現われている。  
 そんな彼女に対しては、ふわふわのユキウサギのようだとか部室に降りた天使だなどと、多種  
多彩な美辞を惜しまない彼である。おまえは“多彩のサルマン”か。  
 トールキン教授の描くノルドールエルフをさらに強大にしたような姿と峻厳さと灼熱と静寂を、  
“天使”と書かれると思い浮かべるのだが、とりあえず彼にとっての天使とは朝比奈さんのよう  
なイメージらしい。  
 ドアからみて真正面奥はSOS団団長涼宮ハルヒの指定席となっている。  
 おとなしくさえしていれば息をのむほどの美少女高校生(というお話のはず)はというと、一  
瞬交錯した彼の目線を正面で受けつつ、したり顔で片目を閉じてフフンッとニヤついた。  
 ある意味、実におっさんである。  
 とまあこのように、旧校舎にある部室のドアを開けて席に着くまでのほんの20秒程度の間に  
も種々さまざまな思いと言葉が相互ないし一方通行している様子を感じることができ、  
 吟味してみるとすなわち本人が自覚しているよりSOS団員その1の存在は大きいことが窺え  
る。他の成員にとっておそらく。  
 そう、一つご寛恕いただきたいのは新入部……もとい新規団員がいるのかどうかという点につ  
いてである。知らないものは描けないという唯一の理由でその辺はご想像にお任せしたい。とい  
うかお願いします。  
 その日の部活……いや同好会……でもない非公認団体のアジトでの生態にはこれといった出来  
事は何もなかった。  
 古泉一樹に向かって問い詰めたいことが彼にもあっただろうが、ハルヒの箝口令をかいくぐる  
のはこの場では無理と判断したのだろう。  
 どくだみ茶を口にした彼の微妙に蒼ざめた様子や、その様子を見ていたらしい有希が同じくど  
くだみ茶をわざわざ指定して毒見するような仕草で口をつけ、こわごわその様子を見るみくるを  
湯のみに口をつけたまま上目遣いでしばらく見つめたり、その様子が可笑しかったのかハルヒま  
でがどくだみ茶の試飲を望んだもののよせばいいのに一気飲みして動揺した挙句みくるを矮惑星  
(衛星)カロンにすっ飛ばすと言い出してさらに上級生をへこませたり、チェスと将棋とどっち  
が良いか尋ねてどちらも断られ結局参考書を読みふけることになった古泉が寂しそうな笑顔を浮  
かべたり、「僕は気に入りました」と感想を述べる彼以外からさんざんな不評を買ったどくだみ  
茶の一件を契機に朝比奈さんが所在なげな様子で小さくなっていた矢先、それを不憫に思ったの  
か掃除当番だったらしい男がオセロを出してきて相手したのはよいが落とした一枚を拾おうとし  
て机の下にもぐった際ハルヒに「なにやってんのこのスケベ!」などという言われなき非難を浴  
び、あまつさえゲームではみくるを押しのけたハルヒに壊滅的な敗北を喫し、罰ゲームとしてど  
くだみ茶一気飲みを命ぜられたことに抗議するのもむなしかったのか今はこれまでと腹を決めた  
と思しきところ、なぜかみくるにまで理非曲直もへったくれもなく災禍が及んだのは何の因果で  
あったろうか。  
 そういえば、近所づきあいというよりハルヒに便利屋扱いされている隣室コンピ研の男子生徒  
に援助を求められた有希が一度席を外してもいる。その際の部員の態度は伝説の鷹匠に教えを請  
う部屋住み身分のような丁重さだった。  
 
 開いていたページに彼女専用の栞をはさんで、長門有希が読みかけの本を閉じる。  
 他クラブの喧騒はすでに下火になっていて、そのため本を閉じる音が全員にとっての帰宅の合  
図となるのだ。  
 
「今日はごめんね、キョンくん」 着替えを終えたみくるが声をかけた。  
「そんな、俺のほうこそすんません。あいつには釘刺しておきますよ」 実現が危ぶまれること  
を言いながら頭を掻く。  
 ドアのほうにちらりと目をやったあとクスッと笑い、手を振りながらかわいい上級生は部室を  
後にした。  
「うふ。じゃあまた明日ね」  
 いったん彼は教室に戻り、そのあとまた身を翻して部室前にたどり着けばそこで着替え終わっ  
て帰途につく朝比奈みくると入れ違ったという流れだ。長門と古泉はすでにその場にはいない。  
 
 
 部室のドアをもう一度開けると腕章を外した涼宮ハルヒが一人で残っていた。  
 団長と書かれた三角錐の置かれた机の横に立って、入ってくるクラスメイトを無言で見ている。  
「残ってたのか」  
「残ってちゃ悪いの? あんたが『残れ』ってメール寄越したんでしょ」  
「そうだったな」  
「で、何の話? ……ネクタイなら持って帰ってあげるから外しなさいよ」  
 長テーブルの上に通学鞄を置いてから彼は、無言で自分を見つめるハルヒに言った。  
「何って、あのチケットの話だよ。詳しいことをなにも聞かされてないからな」  
「そ。じゃあ駅前で9時に待ち合わせでいい? 道はあんた調べといてよ。いまサイトに載って  
た地図プリントするから」  
 そう告げて元気に背を向けるハルヒの肩を掴む。  
「それはあとでいい。つうか、プリントアウトならいつだってできたはずだ」  
 ハルヒに面と向かってから男は続けた。  
「だいたい朝比奈さんや長門の前でその話をしたらなんでダメなんだ。別にかまわねぇだろ、そ  
もそも古泉から持ってきたって話じゃねーか、あいつもいるときに聞いといた方が話も早く済む  
だろうに」 いささか投げやりな口調。さらに思い出したように  
「不思議探索のための視察ってんなら、みんなに周知させて然るべきじゃないのか」と正論じみ  
た言葉で締めた。  
 
「はん?」  
 不満気なハルヒは熱線を秘めたような強い目だ。  
「要するに行きたくないってこと?」  
「なんでそうなる。行きたくないとは言ってない。内容と話の進め方に疑問があるってことだ  
よ」  
「内容は昼間言った通りよ。入場券にほら、書いてあるし。ここの特設サイトも見たらいいじゃ  
ない。いまからあたしももう一度確認するわ」  
「だからあいつらが居るときにそうすりゃ良かっただろ。隠す理由もない。これでもお前に気を  
つかって俺からは何も言わなかったんだがな」  
 かっちーん そんな効果音が彼女から聞こえてきそうだ。  
「隠してたのはどっちよ!」  
 ハルヒの抗議が、おそらく本人も思いがけず口をついて出た。  
「……」 あまりに唐突で彼には言葉が見つからないらしい。  
「キョン、この際だから聞かせてくれる?」  
 長机の角のあたりで相対している相手に睫毛の長い横顔を見せてハルヒは声をしぼる。  
「みくるちゃんとは、あれ、不思議探索のボランティア活動だったっての? 団長のあたしに内  
緒で? ……いまさらそんな言い訳通用しないわよ」 彼の視線は避けたまま、抑えてきた憤懣  
を吐き出しているようだ。  
「あんたの言ってることって、『こんな怪しい場所にあたしに同行して行きたくない』としか聞  
こえない。みくるちゃんとだったらあたし達には内緒で喜んで行くわけ? 有希とだったらど  
う? やっぱりこそこそ二人で出かける?」  
 着火した怒りに自分で油を注ぐ。  
「残れっていうから残ってあげたのに、あたしを怒らせたかっただけ!? つくづく最低な奴よ  
ねあんたって。ほんと時間の無駄だったわ! じゃ帰る。……施錠するからさっさと出てって。  
……出てけ!」  
 掴みかかる勢いというか実際に掴んで、さらに襟元を締め上げる。  
「お、ぐぉ、やめ、話を……!」 ドガンッ!!  
 ガラ、ドサッ、ガンッ!――  
 もみ合ってるうちにネクタイのみならずシャツまでクタクタにされて、ハルヒを怒らせただけ  
の彼は文芸部室を閉め出されてしまった。ついでに鞄も廊下に放り出された。  
 
「てて……」  
 “とりつくしまもない”という言い回しの発祥ではないかと思わせるくらいのとりつくしまの  
なさだ。  
 ここは退散するしかないですぜ旦那。心の中で忠告しとく。  
 ぶん回されてグラグラするのか、首を絞められて窒息しそうだったのか、いやそれ以外のこと  
も含めてに違いないが文字どおり頭を抱える彼は、ここはあきらめるしかないと悟ったようで実  
に寂しそうな背中を見せつつその場を去っていった。  
 
 帰り道にも、怒り心頭中の彼女に電話をかけてみたりメールを送ってもみたようだがすべてス  
ルーし去られ、一段と暗い空気に包まれる彼。  
 いまさら後の祭りなわけで。  
 
 
〜〜 ろくはら上(二章上) 〜〜  
 
「やあ。どうも」 「あ……、古泉くん」  
 
 校舎玄関から出てきた朝比奈みくるに呑気そうな笑顔と声を投げかけたのは、先に帰途につい  
ていたはずの古泉一樹であった。長門有希の姿はみえない。  
 
「家路の途中での話し相手程度は務めさせてもらえるかと思い、待たせていただきました。ご迷  
惑でしたらこれで」  
「あ、うふ。いいですよ」  
 答えるみくるの声は、周りが幾分気になりながらも少し嬉しそうに聞こえる。  
 
 日中の陽射しは傾きつつもまだ充分に明るく校舎の白い壁を照らしていた。敷地内の桜は緑葉  
をすでに纏っている。一年のうちでも太陽が長々と名残を惜しむ季節であり、うだるような暑さ  
を――とくに近年の経緯からいって多めに――もたらす準備を太陽が着々と進めている最中だ。  
 五月病やアレルギーさえなければ、一年のうちでも過ごしやすい時期だと感じる人の多い昨今  
だろう。衣替えはまだ先だが、今日くらいならどちらでも構わない。  
 
「さて、と――」 「んん? どうしたの?」  
 校舎を見やる目を眩しそうに細める一樹に、みくるが問うた。  
「……いえ。独り言が口をついて出てしまったようですね」  
「ふふ。なんだかキョンくんみたい」 クスクスとかわいらしく笑っている。  
「どうもその――彼の影響を受けているようで、知らず知らずのうちに僕も。結構長い付き合い  
になりますから」  
「そうそう、このあいだ古泉くんの着てたインバネス風の外套、『さき越された』ってキョンく  
ん言ってました。なんだか口惜しそうに」  
「それは、きっと彼のほうが影響されてるんです」 「そうね。うふふ……」  
 つうかそんなん着るのか。  
 
 住宅地をはるかに見下ろす坂道を並んで降りる二人の姿は、性別を問わず少なからぬ同年代に  
とってうらやましいか鬱陶しいくらいに絵になっていた。  
 彼女らの裏設定を知っている者にとってさえも、おそらくそうに違いない。部室から追い出さ  
れて途方に暮れているだろう平凡な彼にとっては特に。  
 
 
「――また飲ませてもらいます。……ところで、現状でのあなたは――」  
 他愛のない話が一段落してから、ごくまれに超能力者でもある男子生徒が切り出した。  
「フフ。……え?」  
 
「ご存知の通り、現時点でのあなたは我々『機関』にとって守護の対象となっています」  
 
 みくるは急に真顔になった。無理もない。誘拐未遂に至る経緯を含め、自分の至らなさを痛感  
させられるいくつかの事件について彼女は真剣に悩みまた考えてきただろうから。  
「もちろん立場の違いはご存知の通り厳然としてあります。ですが利害が一致しているのもまた  
事実です。我々は涼宮ハルヒのトランキサイザーのような役割を明確に意識しているという意味  
で共通の土台をもっている――それだけでなく」  
「あの、古泉くん?」  
「……なんでしょう」  
「それって、“涼宮さんのことを知ってる者同士”ってこと?」  
「ああ、すいません、そういうことです。……どうも回りくどく言ってしまう癖が出ていけませ  
んね、ご承知の通りですが」  
 
 ほんわりと笑いながらみくるが答える。  
「ううん、いいの。あたしも、その、呑み込みが遅いってよく言われますし。あ、気にせず続き  
を言ってください」  
「わかりました。……あなたや僕、そして長門さんも、“彼女の存在に気付いているそれぞれの  
グループの構成員”というだけでなく――涼宮さんが命名しかつ認識している枠組みとしてのS  
OS団のなかにいる仲間同士でもあります。少なくとも僕はそう思っている」  
 わずかに目を細めてみくるを見た。  
「あたしは……」  
「あなたは『自らが帰属する未来時空を守るためにここに存在している』。そうですね」  
「…………」  
「その役割を決して忘れることはないでしょうし、またそれから外れることなど考えられない。  
当然のことだと思います。僕が朝比奈さんの立場でも間違いなくそうであるに相違ありません」  
「古泉くん……」  
「彼女に関わる既定事項がこの時空で成就されるのを見届けることが、すなわちあなた自身とあ  
なたの未来を守ることなのですから」  
「…………」  
「涼宮さん自身には平穏な生活をまっとうして欲しいとあなた個人も願っておられるはずです。  
いつかおっしゃっていたように、最後までみんな仲良くと……違いますか?」  
「もちろんそう。だけど、どうしてそんな話を……?」  
 当惑して聞き返した。それを受けて一樹もすこし困った顔になる。  
「混乱させてしまったのなら謝ります。ただ、一度しっかりと聞いてみたかったんです。あなた  
自身の口から……」  
 軽やかな表情を浮かべて少年は言を継いだ。  
「SOS団の枠組みのなかで少なからぬ帰属意識――ある種の郷愁――を共有する者同士として、  
また、特別な友人として」  
「友人として……ですか」  
「ええ。気を悪くなさらないでください、僕としては、あなたに聞いてもらえるだけでいいので  
すから」  
「うん……」 みくるは寂しそうに前を見つめる。  
「あなた方が導こうとしている未来はどういうものなのか――もちろん答えを聞けるとは思って  
いません。あなたを困らせたいわけでもない。ただ、ときどき考えるんです」  
「…………」  
「我々SOS団がこの先たどるであろう道には、いったいどんな結末、あるいは別れがあるのだ  
ろうか、とね」  
「それは……」  
「もちろんあなた個人にとってどういう意味があるのか。それに、古泉一樹というこの個体が…  
…」  
「ごめんなさい」  
 少年の膝下のあたりまで視線をやったが、一樹の顔までは届かない。  
「あたしは、何も……」  
「知らない……ですか?」 「…………」  
 
「個人的には」 少年はさわやかに告げた。「朝比奈さんにもずっと笑顔でいてほしいと思って  
ます。勝手な要望だと思いますし、現にこうして困らせている僕が言えた義理ではありませんけ  
どね」  
 
 大型車とすれ違ってから、一樹は寂しそうな表情を隠そうとせずに告げた。  
 
「ただ、正直に告白するならば僕はあなたがうらやましいのですよ」  
 
 未来からやってきた娘は、無言のまま彼の目を見る。  
 
「なにしろ自分を偽る必要がないのですから。あなたが知らないでいること自体、おそらくあな  
たの役割にとって良いことなのでしょう。僕も……」  
 
 忘れ物を取りに帰る途中なのか、何気に悲壮な面持ちの男子生徒とすれ違う。  
 息を切らせた彼が通り過ぎてから、一樹が続けた。  
 
「いっそ何も知らないままでいられたらどんなによかったか、と」  
 
 気楽そうな顔は変わらないが、声のトーンは微妙に沈んでいた。  
「ああ、こんなこと彼の前で言ったらまた怒られますね。『SOS団にいることをいまさら後悔  
してどうする』と。それにしても――」  
 わずかに間をおく。  
「どうも雲行きが怪しいようですが」  
 立ち止まり、後にした学び舎のある方を振り返りながらそう言った。  
「え?」  
 童顔の上級生が不思議そうに空を見上げた。たしかに雨の心配はなさそうだが。  
「いえ。涼宮さんがどうもご機嫌を損ねている様子なので……」  
「あ……、キョンくんとまたなにかあったのかな」  
「そのようですね。こと彼の動静に関わることとなると感情が先に立ってしまうのでしょう」  
 諦観のこもったような息を吐きながらも、みくると顔を見合わせ笑いかける。心配そうな上級  
生の表情もすこしほころんだ。  
 振り回されてきた者同士の友情かもしれない。  
 
 あなたの愛らしさが涼宮さんの焼き餅大盤振る舞いにつながったっぽいですが、朝比奈さん。  
 
 
―― 断章・前 ――  
 
 自分が会ったと思った人物を知っていたのか知らなかったのかはわからない。  
 薄暗がりのなかに自分はいた。  
 そして近づいてくる人の子のような姿を見た。  
 それは背景も姿も印象もどこかぼんやりとしていて、自分が夢を見ていたのだとあとで彼女は  
思うことにしたのだった。  
 ほのかに光っているようにも見えるその人物は、彼女の方へ古流の歩き方の作法に倣うように  
進んで、彼女の真ん前で立ち止まり、口を開いた。  
「こんにちは」 霧にかすんだような声が聞こえてくる。感じる雰囲気を表現すれば、静謐だ。  
「……こんにちは」  
「ようやくお会いできました。わたしは、一つのことを伝えるためにあなたに会いに来たので  
す」  
「え……?」  
 彼女がそう聞き返したのも無理もない。事情がまったくつかめないということだろう、「よう  
やく」とはどういうことか? ぼんやりした輪郭のままなのはなぜ? 相手の意図がかわからな  
い。  
 その人物はかまわず、  
「あなたの望みはなんですか?」と逆に彼女に聞いた。  
 何かを伝えるために来たのではなかったか。  
 黙ったままだった彼女に声の主はさらに言った。  
「いいえ……あなたがずっと望んできたこと、心の中で隠すことはないのです。種を明かせば、  
わたしはすでにそれを知っているのですから。たとえ叶わないとあきらめているとしても……そ  
れを強く願ってください」  
 なお彼女が黙っていると、輪郭がぼんやりしている(ように彼女が思っただけかもしれない)  
その人が自分で答えめいたことを告げる。  
「あなたの望みは……“会い、交わること”ではありませんか。奇蹟に」  
「…………」  
「一つのことを伝えるためにわたしはここにきました。それが可能になったことを。門扉が開い  
たのです――それが閉じられることはありません。わずかのあいだとはいえ」  
「門……」 彼女はつぶやいた。  
「そこであなたの願いを告げることができます。あなたの望むように成されるでしょう。あなた  
が恐れていることもそのまま告げてよいのです」  
 薄い微笑をたたえている……そんなふうに見えた。  
「ただし、それは一度きり。わずかのあいだでしょう――選ぶか……選んでもらうための猶予  
は」  
「それでは」と言って相手は身を翻す。  
「誰?」 用はすんだといわんばかりの声の主に思わず尋ねた。  
 声の主はとどまり、そして彼女をかえりみた。  
「“Chto v imeni tebe moem?”」  
「……誰?」  
「どうしてわたしの名前を尋ねるのですか?」 そういって声の主は薄く笑った。  
 どこかで聞いたような、そして、見たような、かと思えば一度だって会ったことのないような  
……?  
「では、ごきげんよう」 声の主はそれだけ言い残して立ち去った。歩く姿はまるで能の役者の  
ようにそうすることが定まったもののようだった。  
 無駄だと悟ったのだろうか、彼女はそれ以上問いただすことも追う事もせず、その場にただ立  
ち尽くしていた。  
 
 雲の切れ間から光が降りそそぐ。  
 晴れよう時に似つかわしいような鳥の声に思えるものも聞こえてくる。  
 そうして気づいた。  
 自分がいわば夢を見ていたのだと、よく知っているはずの暗がりの中で彼女は思うことにした。  
 
 おそらく。  
 
 
〜〜 ろくはら下(二章下) 〜〜  
 
 窓際の席だったならきっと天気予報士以上のしつこさで変化もない気象状況をにらみつけてい  
ただろうに、あいにく現時点の二人の席は教室の真ん中前方あたりであり、涼宮ハルヒの目線は  
嵐のように書きなぐったノートもしくは年季を感じさせる机の傷に、はたまた誰もいない廊下の  
ほうに向いて、要するにできるだけ目の前の背中を見ないようにしていた。  
 だいたいの時間はあからさまにふさぎこんでたわけだが。  
 たまたまなのか登校時に一緒だったらしいクラスの女子が言葉を選びながら小さく声をかけた  
りもしたものの、最近の彼女なら大方応じるくせに今日はナシのつぶてだ。  
「ふぅ」  
 溜息をついたクラスメイトの女子が前の席の男子を困り顔で見る。何も言わなかった。  
 
 制服というより本体が少しくたびれた感じをみせる男子生徒も、波長を合わせたように悄然と  
して半日を過ごしている。  
 青春ではよくあること。なのかな。  
 クラスメイトの幾人かも同じような感想を抱いているらしい。  
 休み時間に数学の予習分のノートを見せてもらえない(というか切り出せない)彼にノートを  
持った別の女子が声をかけた際には、後ろの女生徒の反応に思わず吹き出しそうになったそのグ  
ループの女子たちだったけれど、カエルを睨んでいるアナコンダもすくみあがるような殺人目線  
がすぐさま飛んで彼女らを凍りつかせていた。  
 ああ、どうしましょうかね。  
 若い彼らの心情を分析するとだいたいこんなもんだろうか。  
 
***  
 
 そんなわけでなんか切ない昼休み。  
 ひょっとして数学のノートをきっかけにでもして昨日の怒り心頭&ケータイシカトをうやむや  
にしたかったのかもしれない涼宮ハルヒは、何かと構ってくるクラスメイトと一緒に昼食を食堂  
で済ませ、一旦教室の近くまで戻って来たもののくるりと踵を返していわゆる旧館に向かった。  
 上級生数人の中にいた朝比奈みくるに途中で出くわした際にはあからさまにうろたえてみせる。  
どうやら目を逸らして早足で通り過ぎることにしたものの、声をかけたみくるを思わず恨めしそ  
うに一瞥したりして上級生を不審がらせた。  
 そうこうしてやってきた文芸部室には昨日と同様に長門有希がいた。  
「よっ……と」  
 挨拶なのか椅子に座りかける掛け声なのかよくわからないが、そう言って部屋に入り、椅子に  
腰掛けた。静かすぎる文芸部員は一瞥したあと構わず読書を続けている。  
「あー、あたしもなんか本読もうっかなっ……どれにしようか」  
 そんなひとり言を言いながら、することがあって来たわけでもないのだろう、本棚の前で並ん  
だ本を見回しつつ物色している。  
 ブックエンドで抑えて並べてある中では比較的薄い、なんとなくつられて蹴りたくなるような  
題名の本を取り出す。  
 薄さが気に入ったのだろう、真剣に選んだわけではなさそうだ。  
 興味なさそうにぺらぺらとめくりながらもそれなりに読んでいる。しかし――  
「はあ……」  
 数分で本を閉じ、溜息をついて窓の外を眺めだした。  
 そして何か思いついたのか隅っこの棚から折り紙を引っ張り出し、なつかしいコンコルド型の  
形に手早く折ったそれを部屋で飛ばした。  
 ハルヒ作の紙飛行機は、まっすぐな、なかなかよい軌跡を描く。  
 有希もその様子を見ていた。  
 望ましい実験結果なのか、それを満足そうに見たハルヒは本番とばかりに折り紙の飛行機を窓  
から飛ばした。風にまくられてバランスを失ったそれは直滑降したかと思えば持ち直し、くるっ  
とジェットコースターの回転のように曇り空の下大きく円を描いて、まあ中庭のすこし捲いた風  
の中ではそんなもんだろうという軌跡を描ききって地面に落下した。  
 もう一枚とりだそうとしたところで手を止めたハルヒは、たぶん紙飛行機を回収しに部室を出  
ていく。  
 もう一度飛ばしてみるつもりかもしれない。  
 
***  
 
 ちょうどそのころ、やはり虚しさ共同体の一員と化したかのような表情の彼が、教室でいつも  
のクラスメイトとノリは悪いながらも会話を交わしていた。  
「ああ」とか「うん」とか「え、なんて」とかばかりで、あまり良い聞き手ではなさそうである。  
 そんな彼にとって助け舟になるのかただの賑やかしかはわからないが、とりあえず何かしてく  
れそうな御仁が彼の前にひょっこりご登場だ。  
「やっぽー、ちょいとおじゃまするよ〜ん」  
 ワンフレーズ書くだけで誰かわかってしまうという、どんな地方で育ったのか不明な一般人  
(かよほんとに)が下級生のいる教室にやってきたのは5時間目のことがそろそろ気になりだす  
頃だった。  
 ハルヒはまだ教室には戻っていない。  
 弁当をなんとか空にしたあとクラスの男子の会話にどこか上の空で返事しながら過ごしていた  
くたびれぶりの著しい後輩男子に、実に効率的かつリズミカルなステップで近づいた手足のすら  
りとした美人の長髪生徒は、  
「ごめん、この子借りてくよっ! そいじゃね〜」  
 昨日の彼の言葉を聞いていたかのように華麗なまでのネクタイ引っ張りを披露しながら後輩を  
連行していった。  
「ちょ、あのなんすか! うぇと、くるしい……」  
「ちょっちね。いいから来ればわかるって!」  
 妹ちゃんオリジナル『必笑・猫まふらー』を食らいそうになった時のシャミセンのように小規  
模にジタバタしながら連れられて行くかわいそうな男子生徒。  
 見送る薄情な仲間たち。  
 なんかそんなんばっかだよな。  
 
 強制連行された先は昨日ハルヒに連れ出された場所とは異なっていた。とはいってもなんとな  
く以前にもこんなことあったなというべき非常階段である。  
「あ、キョンくん、ごめんなさい無理やり呼び出して。あの、鶴屋さんありがとう」 すでにい  
た小柄な上級生が二人に頭を下げる。  
 よれてる彼の襟元をかいがいしく直してあげてる……羨ましくなんかないぜこんちくしょう。  
 案の定と言っていいのだろうか、とにかく朝比奈みくる嬢がすでに待っていた。  
 なぜ本人が教室に来なかったのかは、まあご想像にお任せするしかない。  
「そいじゃね、おじゃま虫は退散するよ〜ごゆっくり〜、うはは!」  
 自分の役割は終わったとばかりに、言わなくとも自分から席まで外してくれる原作者思いの才  
媛だ。  
 
「朝比奈さん、なんかあったんですか?」  
「ううん。あたしじゃないの。さっき涼宮さんに声かけたんだけど……」  
 彼を見るみくるはいかにも心配そうだ  
「ああ。なるほど……」 なにが“なるほど”なのかこの野郎に問い詰めたい。  
「あの後なにかあったのだろうってすぐに思って。どうしたの? その……涼宮さんがあんまり  
しょんぼりしてると、いろいろ良くないことになるかもしれないし、あたしも心配になるから」  
「ですね。その、あいつは何か言ってました?」  
「いえ、なにも。声かけたらその時だけあたしをじっと見て、そのまま早足で歩いてっただけ。  
いつもの涼宮さんだったら先に声かけてくれるんだけど」  
「すんません」 なぜか謝罪の言葉になる。  
「俺がいらないこと言ってしまって。その……どうしたもんか、わからないというか」  
「……くふ」  
 なぜ笑われたのかよくわからないらしい男も愛想笑いを浮かべている。  
「うふ、やっぱりキョンくんらしいですね」  
 どういう意味だろうか。  
 ふうっと息をついて、それからみくるは尋ねた。  
「あの人のPDCに『残ってるように』って連絡入れたの、キョンくん?」  
「え……知ってるんですか」  
「ちょうど涼宮さんにうめこぶ茶用意してたときに、彼女が携帯電話を取り出して見てたから。  
帰りにキョンくんが部室に戻ってきたでしょ? だから『ああこれか』と思ったの」  
 なるほどね。  
「帰りに電話してもあいつシカトだし、メールも返信こないし……」  
 よくあるね。  
「もう一度そうしてみたら?」 にっこり微笑む年下のような可憐なお姉さん。  
「涼宮さんのことだから、自分からはそうしたくてもできないんじゃないかしら。昨日すぐには  
無理だったんだろうけど……」  
「…………」  
 了解したものかどうか、とにかく考慮はしてみるらしい。そんな後輩に  
「用件はこれだけです。よくわからないけど、うん、あたしはそう思うの。どうするかはキョン  
くん考えて」 そういい残し、  
「じゃあね」 手を振って非常階段の扉の方へ戻っていく。  
 
 関係ないけどうめこぶ茶ですか。  
 
 放課後はいつもどおりといえばいつもどおりだった。  
 読みかけの小説が意外に面白かったのか、ハルヒは部屋に入るなりずっとそれを読んでいる。  
机の上には昼間作っていた識別上一号機ともう一つ、なかなか丹精な造型のものが置いてあった。  
 便宜上二号機と呼ぶが、一号機二号機ともに並んて鎮座している。  
 それはさておき、前日の教訓――いやどくだみ茶が悪いとは筆者は全く思わないのですが――  
を踏まえた美しい見習いメイドのような朝比奈みくるは、今日は無難な線でお茶を用意した。  
 オーソドックスに紅茶だ。  
 オレンジペコーだとかで飲みやすいはずのみくるが淹れた紅茶を、しかしいつも通りありがた  
みをほとんど感じていないような飲みっぷりのハルヒである。おかげで危うく舌を火傷しそうに  
なっていたが、これは自業自得というべきであろう。  
 古泉は昨日と同じく参考書を友としてひっそりと自習にいそしんでいる。  
 本人にとっては不本意だろうがわりとよく通った名となっている『キョン』氏はというと、  
 みくるの着替えの際にはたいてい廊下立ちんぼ仲間である古泉一樹との会話はざっとこのよう  
な様子であった――  
 
「またですか?」  
「……そんなしょっちゅうでもないと思うが。いや冗談じゃない勘弁してくれ、というか大体お  
まえが仕掛けたんだろうが今度のは」  
 ここぞとばかりに憮然として苦情というか愚痴をこぼす。  
「はて、なんのことでしょう。下手に触れると火傷しそうな口喧嘩のための仕掛けを用意した覚  
えはありませんが。……まあ仕方ないですね、とりあえず世界に大事が起こっているわけでもな  
さそうですし僕にはどうしようもありません。後の処理はあなたにお願いしましょう。それより  
今日はどうです?」  
「参考書のつづきでも読んでろ」  
「……仕方ありませんね」  
 勧誘に失敗して嘆息まじりの一樹。  
「――ところで、あのDVDは」 「すまん、また今度持ってくる」  
 
 とくにイベントを控えていないのは昨日も同じだったが、今日は赤の他人でもわかるくらいに  
消沈気分の団長と、似たようなもんだなとやはり思われる彼の憂鬱二重奏で会話もはずまない。  
 どうせそんな態なら古泉のゲームの誘いにのってやればいいものを、それもすげなく断ってし  
まったものだからやることがない彼は、ハルヒに影響されたわけでもないだろうが部室にある比  
較的お気に入りらしい小説本をひろげていた。  
 なんだろう、ある意味正常な姿に近いような気がする。  
 朝比奈みくるがときどき数学の問題集のち編み物の手を休めてそれとなく窓側と廊下側を見る  
のは、やはり暗い雰囲気を漂わせる二人が気になってのことだろう。  
 帰宅時間、長門有希が正確な時間を刻むように読みかけのページに栞をはさんで閉じ、それに  
合わせるように男性陣が部屋を後にする。  
 最初に団員にさせられた経歴を持つ男子生徒は、もう一人の団員――去年転校してきた優男に  
「トイレ」とだけ言い残して手を振った。  
 
 
 数分後、着替えを済ませて出てきた朝比奈みくるはまたも部室の前で彼を見かけた。  
 彼女を見て頭を掻く彼に向かってみくるは、  
「うふっ」とやわらかい笑顔をみせる。  
 そんないつもの甘い笑顔のまま両腕でこぶしを作ってみせた彼女は、応援するようにその両こ  
ぶしを自分の胸の上あたりに置くポーズをした。  
 “がんば”ってやつだな。未来にも受け継がれているのだろうか。  
「キョンくん、また」  
 彼女はそう言い残して帰っていった。  
 ちなみに罰ゲームはお互いまぬがれた。なにも罰な事をしていないのだから当り前だが。  
 
 中にはまだ居るらしいが、ハルヒが待っててくれたということなのか、それとも単に戸締りの  
ために残っているのか。  
 
「よお」 実は彼女にかける本日ひと言めである。  
「……」 両手を組んでにらむハルヒ。  
 とりあえず「今すぐ出て行け」とか「あたし帰る。邪魔だからどいて」というパターンは回避  
できたらしい。  
 男は鞄を長机に置いた。昨日とほとんど同じ位置だ。  
 
「あのチケットは……持ってるな」 「……これ」  
 素っ気ないハルヒだが、用件を聞くつもりはあるようだ。  
「早速だが、まあ、なんだ。あれは誤解だ」  
「あれって何?」 にべもない。  
 解かっているのだろうが納得してないよ、という意味なのだろう。  
「だから……別に行きたくないとは俺は言ってない」  
「あたしじゃなければ良いってことなのね?」 「ちがう!」  
 なんとか平静を保つべく自分を抑えているのが見て取れる。  
 女のほうは……睫毛がかすかに震えていたが、距離的に彼にはわからないだろう。  
「なんで朝比奈さんと長門に隠す必要があるんだ」  
「二人分しかないからに決まってるじゃないの! かわいそうでしょ? これ昨日も言ったわよ  
ね」  
「全員で行けるようになんとか手配しなおすとか、せめてそれくらいしてみてからでもいいだろ  
うよ」  
「フン! ぜんぜんわからないわ、あんたの言ってることは要するに行きたくないってだけで  
しょ? 違うの?」  
「……口で言ってもわからないってことなら仕方ねえな。こっちにも考えがある」  
 お怒りの様子だ。そして彼女ににじり寄る。  
「ふん! やれるもんならやってみなさいよ。どうせ口だけのくせに!」  
「本当にいいのか?」  
「ふん!」  
 鼻息も荒くにらみ返すものの、今度ばかりはどことなく相手にくらべて迫力を欠いている。  
 というより普段は文字どおり世の男性を実力で凌ぎっぱなしの彼女なのに、今日に限ればその  
身長体格等での相手との差どおりに見え、しかもより女性らしく見えるのはなぜだろう。  
――潤んでいるその瞳のあたりが理由なのかもしれない。  
 別に涙を見せているわけではないが、なんとなく女の涙を思わせるのだ。  
 大きく見えるその黒い瞳に長い睫毛が一段と美しい。……などと緊迫した場面にそぐわない観  
察はよそう。  
 
 とまれ、そうしてにらみ合いに発展したものの、結局彼の方が先に口を開いた。  
 
「いや……。それは置いとこう。とにかく俺の意見だが、こんな急ごしらえでとってつけたよう  
な内容のしみったれたイベントから得るものなんざ中央図書館で一日過ごすよりも少ないと思う  
ぞ。だいたい行ったはいいが変な壺とか買わされたりしたらそれこそ目も当てられん。いや別に  
古泉を疑ってるわけじゃないがな。とにかくこの件は他のみんなとも検討して……」 「ちょっ  
と」  
 最後まで言うのをハルヒが許さない。こちらもお怒りだ。  
 
「あんた、昨日の今日でまだおんなじこと言ってるじゃない! いろいろ理屈こねといて結局あ  
たしじゃ一緒はイヤってことなんでしょ!? もう! ここまで馬鹿にされたことはあたし史上  
一度もなかったわ! カノッサの屈辱を凌駕する辱しめよ! もうこの精神的苦痛を埋め合わせ  
るにはよっぽどじゃないと無理ね! 一生謝罪しても足りないくらい。もちろん法外な金額の賠  
償つきで!」  
 
 どうもよくわからないが、使い方などおかまいなしに歴史上の事件まで出してきたのは、要す  
るに相手の言葉が自分にとってひどい侮辱だと言いたいのだろう。  
 
「ちょっと待ってくれ。なんでそうなるんだ、勝手に一人で話を進めないでくれよ」  
 止めずには居られないといった様子だ。  
「繰り返しになるが『おまえとは行きたくない』なんて言ってない。そう聞こえたんなら謝る。  
すまん。でも」  
「だったらちゃんと答えて!」 強く訴える目でハルヒがさえぎる。  
「なんであたしとだったらみんなで相談なのよ!? こそこそみくるちゃんと二人だけで出かけ  
るくせに!」  
 
「ちゃんと最後まで聞け!」 これは廊下にまで結構な音量で聞こえたに違いない。  
 
 さすがのハルヒも一旦黙る。  
 とはいえいまにも反撃の機会をうかがおうと突き刺すように半目で睨む彼女に向かって、彼は  
続けた。  
「朝比奈さんとは別になんもないんだ」 核心を突くかと思いきや  
「あんとき買った茶葉だってお前一気飲みしてただろ。朝比奈さん自腹で買ってくれた奴、あれ  
高かったんだぞ」  
 …………。何を言ってるんだこのゼニ亀野郎は。そう突っ込みたくなるような話のそらせ方を  
みせる。  
「それに鶴屋さんも言ってたが、朝比奈さんというお人はその辺の通りを歩いてるだけで野郎に  
すぐ声掛けられるんだよ。俺みたいなのでも、知り合いのよしみでいいからほかの男が一緒だっ  
たらまだ安心できるだろ?」  
「そんなのあたしだってあるわ!」  
 聞くだけは聞いていたハルヒが、なぜかしら張り合うように言った。  
 
 それを見て何かに気づいたのだろうか。  
 
「朝比奈さんな」  
 深く溜息をついた彼は穏やかな口調で切り出した。  
「昨日帰り際に廊下ですれ違った時も『ごめんね』って俺に謝ってた」  
「……何それ」  
 ハルヒは憮然たる態度のままだ。  
「おまえはあの人に一度でもそうしたことがあるか。先週おまえの気まぐれでまたぞろナース服  
を着せられた時だってそうだ。朝比奈さんの意見なんて聞きもしなかったよな。あの人はやさし  
いから何も言わないだろうが、あの格好で水をくみに行って他の生徒や教師に見られるのがどん  
なに恥ずかしいだろうとか、想像したことあるか。あの人はお前とも長門とも違う。上級生らし  
く敬まえと言ってるんじゃあないぞ。口だけの敬語なんていまさらいい。ただ」  
 ここまで一気に言い終え、また溜息をついた。  
 
 眉を遺憾そうにひそめて上目遣いのまま、ハルヒは黙っている。  
「あの人はおまえのことをいつだって気に掛けてた。俺のことも……」  
 ここで息継ぎ。そして言った。  
 
「俺とおまえのことも」  
 
 ほんのすこしハルヒの表情がやわらいだ。  
 
「ああ。一番大事なこと……」 言ったはいいが男は口ごもってしまう。  
「なに? はっきり言いなさいよ」  
 焦らされるのがいかにも苦手なハルヒが促す。  
 
「わかった。恥ずいが正直に言う。俺は……おまえと一緒に行きたいと思ってる」  
 
「え……」 表情を忘れたような表情とでもいうか。そんな感じの涼宮さん。  
 
 言い切ってしまった当人はよほど気恥ずかしいらしく、  
「いや……まあそんな感じだ」  
 とあいまいな言葉でお茶を濁そうとしているがあまり意味はなく、そんな形で同級生に説教が  
てら告白されるとは思いもよらなかっただろう涼宮ハルヒのほうもどう表情を作っていいか、反  
発すべきか、それとも何かいい別解があるのか悩んでいるように見える。  
 
「……ああ。とりあえず場所の確認だったな。ハルヒ、そのチケット見せてくれ」  
 どことなく腹を決めたような言い方だ。「あっ」と意表をつかれた表情のハルヒから難なく件  
のペアチケットを掠めとった。事をリードする側に男が回ったらしい。  
「あ、それここよ、ここ」  
 二人してデスクトップのパソコンに向かった。スクリーンセーバーから即座に復帰する画面。  
ハルヒがマウスを動かし、机に手をついて相方が様子を見る。  
 そういえば、机の上には紙飛行機2号機がない。  
「パスワードがいるのか」 キーボードに手をやり、入場券に記載された該当する文字列を入力  
する役は彼のようだ。  
「そうなのよ。ていっても中身はあっさりしたもんだけどね」  
 サイトをくまなく見てはまわらなかったが、割と手軽そうな作りである。見やすい色彩だがフ  
ラッシュ等の凝った演出といえるものはほとんどない。  
 テキスト中心のページがある一方で画像の入ったページはというと古代遺跡というより在野の  
民俗学者が扱いそうなテーマに写真とイラストが羅列してあった。  
『胎内巡りの原型を追う』だとか『火の輪くぐり体験』など、巡ったりくぐったりする話が多い  
ようでもあるが。  
「……午後五時完全閉鎖というのもな」  
「ねえ」 なんとなく上気したような頬になっている。  
 マウス操作を彼に任せるとちょうど背中から覆い被さられるような格好になる。職場のエロ上  
司とかなら死ぬほどイヤな状況だろうが、相手が違うもんね涼宮さん。  
 現地地図のページを表示させて印刷用の画面からプリンタを動かす。シンプルにデフォルメさ  
れていて、見やすいかといえばまずまずちゅるやさんだ。  
「二部刷っとくぞ、とりあえず今日はここまでだ」  
「うん」 素直に応じるハルヒ。彼はプリンタの方を確認しに行く。  
 
「そのうちトナー買ってこないとだめだな」  
「……そうよね。節約しないと」 思いついたように彼女が顔を輝かせる。  
 また何の企みだろうかと思うところだが、  
「キョン! あんたお昼は心配しなくていいわ、あたしが用意していくから」  
 昨日の昼休みに階段の踊り場でみせた、片目を閉じて相手に人差し指を突きつける格好でハル  
ヒは言った。  
「……経費節約よ!」  
 
 
 そして――――  
 
「なあ、ハルヒ」  
 OSをシャットダウンしているとき、思い出したことがあるのか声を掛ける。  
 部屋にいるのは彼と彼女、それに紙飛行機一号だけだ。  
 鞄を持ったままカーテンを閉めていたハルヒが答えた。  
「なによ。あ」  
「……。いいのか」  
「なに言ってんのよ。涼宮ハルヒと武士に二言はないわよ」 鞄を置いてそう告げた。  
「ふ、なんだそりゃ」  
 男は言い、二人の淡い影は重なる……  
 

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