〜〜 とうきび(七章) 〜〜  
 
 目指している会場はこの私鉄沿線のとあるベッドタウン駅から比較的近かい場所にあると、ウ  
ェブサイトからプリントアウトした案内図ではなっている。  
 少年の当初の予定からすれば随分遅れてしまったのだが、極私的な非常事態というべき状況か  
ら鑑みて致し方ないことでもあった。  
 長門有希のマンションから直接本線の駅までうららかな陽気のなか川沿いを下ってきた涼宮ハ  
ルヒと通称キョンの二人は、そこから数百円分の切符を買って会場の最寄り駅まで向かう心づも  
りで、間もなく入ってくるだろう電車待ちの列に並んでいた。  
 途中で一度あるいは二度の乗り換えになるはずである。  
 
 整理券番号56番であった巻き毛の少女と疑惑をもたれている古泉一樹がそろそろベンチを立  
つころ、駅のホームで電車を待っていた二人はわずかに動揺していた。  
 数人の若者がまじまじと二人を見ている。  
 つまり、同じホームで遭遇した北高の同級生たちのグループに見つかったのだ。  
 とはいっても不幸か幸かその奇矯な振る舞いについては全校レベルで周知となっている暴風王  
女じゃない竜巻娘である。突然髪の毛が腰の辺りまで伸びるくらいのことは当然やってのけるだ  
ろうと彼らが思ったとしても不思議ではない――ような気がしないわけでもないと言えないとは  
必ずしも断定できないような――  
 まあなんだ、過ぎたことは仕方ないよな。  
 その対応に苦慮したのか、  
「ハルヒ。せっかく取り出してるとこ悪いんだが――」  
 バッグを開けるところだったハルヒに男が言った。  
「あんま効果ないってそれ。知ってる奴には丸わかりだ」  
「……ま。わたしもそうじゃないかと薄々感じてはいたのよね」 薄々ですか。  
 色つきメガネを掛けなおす無意味さを悟ったらしい。  
「もうその髪も切らなくていいんじゃないか? お前なら一晩で髪伸ばすくらい気合いでやりそ  
うとか思われてるだろーし」  
 冗談なのか本気なのかよくわからない程度には真顔で言った。  
「そうそう。って、なわけないでしょ!」 「あいた!」  
 バッグからそのままハリセンか黄色いメガホンでも出しそうなノリだったが、やはり出てはこ  
ないので平手でスパンと一発はたいた。やけに嬉しそうに。  
「お前なあ……」 涙目になって抗議している。  
 将来的にみてこういうダメージの蓄積が少年のナイーブな頭髪に悪影響を及ぼすことがないこ  
とを祈りたい。それ以前に彼女の奇行の後処理に追われる状況を多少なりとも何とかするべきな  
のは言うまでもないが。  
 顔見知りとの遭遇を除けばそれ以降は不測の事態も起きず、そのうちに予定の時刻となる。待  
ちぼうけを食うこともなく時刻表どおりのアナウンスが構内に流れた。  
 回生・電気指令式ブレーキの絶妙な配分を受けて減速しながら列車がホームに滑り込んでくる。  
乗り継ぎを順当にこなせば目指す駅までは一時間ほどで着くはずだ。  
 
 電車の中ではハルヒがなにかと話を振ってきた。  
 それでも彼女なりに気を使ってはいるようで、他人に聞かれても奇異に感じられない程度のも  
の、主に彼の消失事件からこのかた新学期・新学年前後のことをあれこれと聞きたがった。  
 思い出すだけで赤面しそうなトナカイ芸を不本意にも強要された――こちらのハルヒが強要し  
た――クリスマスイベントの話やハルヒ調理の学校内アングラ鍋、朝比奈みくるにこちらのハル  
ヒが用意した最近の着替えレパートリーの話、古泉一樹との数々のゲームストーリー、あの会誌  
を仕上げるまでの(鬼とさえ呼ばれた)涼宮編集長の東奔西走ぶり、長門有希への思いがけない  
交際申し込みの一件と顛末、新団員確保のためのドタバタ劇について、近頃のハルヒが比較的仲  
良くしているクラスメイトらとの会話、最近のみくる嬢お気に入り銘柄のかぶせ茶が旨かった話  
やどくだみ茶のまあ苦かった話などなど、SOS団の日常について聞かれるままに少年は語る。  
 それぞれに相槌やら細に入った質問・ときにツッコみなども交えつつ、相手が感心するくらい  
熱心な聞き手となる長髪のハルヒだった。それほど説明好きとはいえない少年としても、紙芝居  
の続きをせがむ子供のように目を輝かせる彼女には話をしやすかったようである。  
 
 二度目の乗り換え予定の駅でギリギリまで気付かずに危うく乗り過ごすところだったのは、そ  
れだけ二人が会話に没入していたからだろう。  
 
 乗り換え自体は順調で、しゃべっている間にはや目的の駅に着いた。これから繁華街に出かけ  
るのであろう人たちでホームはそれなりに人が多い。  
 地方の大都市への交通の便には事欠かないベッドタウンである。西のほうに迫る山並みのほう  
には比較的閑静な住宅地が広がっているし、反対側もまたスーパーや商業・住宅地であり、とこ  
ろどころにはまだ田んぼも残っていたりもする。  
 高層ビルが建つほどではないけれど、それなりには繁華な駅前だ。  
 
 目的地の最寄り駅を出てすぐのところに腹を満たすにはおあつらえ向きなハンバーガーチェー  
ンが見える。それから立ち食い蕎麦のチェーン店もあった。ただしどちらとも立地のよさと休日  
の昼間という条件に見合った賑わいぶりだ。  
 どうしても気になる時刻はそろそろ昼過ぎだ。  
 はやる気持ちもあるだろうがここは若い男女のこと、食餌を腹に詰め込みたいのも当然ではあ  
る。  
 
「着いてから探すのもな……コンビニで買ってくか」  
「却下」 にべもなくハルヒは答えた。  
「じゃあ蕎麦は?」  
「あそこがいい」  
「……込んでるって」  
「あそこがいいの」  
 駄々っ子のように彼の服を引っ張って指差したのはバーガーショップだ。  
 
 順番待ちの列に並ぶことにした二人が席を探していると、偶然にも席を立つ客がいた。ハルヒ  
が注文を言づけしてすばやくそこを確保する。  
 あわよくばとトレイを持って近づいていた親子連れには気の毒なことになった。二階に空席が  
あることを店員が告げてくれるよう願いたい。  
 
 ややあって二人分のセットをトレイに載せて彼が運んできた。照り焼きバーガーのセットを二  
つ。  
 
 店内には同年代にみえる若い男女が他にも数人いて、中でもオリエンタルな堀の深い顔立ちが  
印象的でもある男性が牛肉のパテがやたらたくさん入ったハンバーガーをパクついているのが目  
に付く。  
 彼でなくとも非常に食べにくそうな厚みだ。上品そうな仕草でストローに口をつけている連れ  
合いの少女が――綺麗な娘だが気も強そう――半ば咎めるようにその様子を見ていた。自分はこ  
いつよりは常識人だと言いたそうな目をしているが、その聖ヨセフ会の修道服のような衣装(た  
だしフリル付き)が普段着だとしたらおそらくお互いさまだろう。  
 見るからに変なペアだが、ハルヒたちにとっての顔見知りではもちろんない。  
 
「でさ、『神人』……あ、これは新入部員のことじゃなくて古泉くんの言ってるやつね」  
 そう言ってからオレンジジュースを音を立てて飲む。中の氷も噛み砕いて食べきる勢いだ。  
「それ見せてくれってもやっぱり無理かしらねー」  
「……邪悪なものではなさそうとか言ってたな、お前」  
「そうなの? けどそれってどうやって戻ってきたんだっけ。あんときのあんた言いにくそう  
だったけど」  
「……答えるのを拒否――」 「ははーん」 にやけ顔の少女が機先を制した。  
「…………」 コーヒーを飲んで素知らぬ体を装うが、  
「なんかいやらしいことしたんじゃないでしょうね?」  
「うっ」と飲みかけのコーヒーでむせてしまう。勘の鋭いハルヒ嬢はここぞとばかりに突っ込ん  
できた。  
「ねえ、あんたわたしに何したの? まさか――」  
「待て、いやだから違うって断じて」 面白いように手玉に取られている。  
「正直に答えなさい。ええきっと怒らないから。でないと残りのポテト没収」  
 
「――――」 天を仰ぎたい気持ちはわかる気がする。  
「あれだ、その……白雪姫とか……」  
 耳たぶを赤くしながらとうとうゲロしやがった。  
「…………」  
 自分から聞いといていざとなると言葉を失ってしまう。涼宮ハルヒはそういう人でもある。  
 それからしばらくのあいだ相手を正視できないでいた少女だった。  
 
 彼のポテトは結局無言のままハルヒに食い尽くされ、自然界からの誘いをさりげなく受けてか  
ら二人は会場に向かう。  
 結局入らなかった蕎麦屋のすぐそばにタクシー乗り場があった。  
 待機していた中の一台に向かって少年が手を挙げると運転手はすぐに気付いてくれて、スッと  
ドアが開いた。  
「……どこらへんですかね?」  
 行き先を聞いた運転手がもう一度男に聞きなおす。プリントしていた簡易地図を彼から受け  
取ったドライバーは、「ほう、ほう」とうなずいて、  
「あの高校の近くね」  
 と告げる。把握してくれたようだ。  
 少年の通う北高も大概山手に立地しているけれど、それにおさおさ見劣りしないくらいな山腹  
にその公立校はあり、おそらく3年も通えばいやでも足腰が鍛えられるだろうことは想像に難く  
ない。強制ハイキングコースへの種々雑多な愚痴についてなら意気投合してくれる同志がそこに  
は待っているに違いない。  
 かようにマイナーなイベント会場で、周囲にもそれくらいしか目立つ建物がないらしい。  
 
***  
 
「や! これはまた」  
 タクシーが走り去ったあと少女が声を上げた。  
 すぐそこでチケットの確認をしている男性は多丸さんにすこし似ている。すなわち言い換える  
と外見はまったく普通で疑わしさを微塵も漂わせていない風体の人だった。  
 明るい色のパーカーを着てニコニコと接客スマイルを振舞っている  
 入場口自体は大型のダンプカーも入れるように広くなっており、また出入りの警備はあまり厳  
重そうでもない。アラスカの先住民族のトーテムポールのような柱や一風変わったサーカステン  
トのような建物、さらに被災者のための仮設テントを大きくしたような見た目のアトラクション  
入り口など、いかにも急ごしらえしたような施設が見える。  
 それらを取っ払えばそのまま住宅建設予定地として現地見学会を行なえそうな雰囲気だ。  
 小さな説明書きはお馬鹿なものだったが。  
 しかしこの造りというか設営のノリが非常に地元の有志のみなさんで作りました風というかそ  
こいらの盆踊り大会のノリというか、地方の小規模な動物園的というか……まあ、よく言えば昭  
和の香り漂うとでもいうような。  
 
『午後五時完全閉鎖』ということがわりと大きく強調されていることからすると、やはり悠長に  
はしていられないらしい。  
 いかにもその手の電波話を好む雑誌が喜びそうな、おおげさな煽り文句のテーマを冠した特別  
講演会は午前中に終わっている。いずれにせよ彼には参加する気がなかったかもしれないけど。  
 
 会場入り口近くには一風変わった外見をしたログハウスもあり、中を見ると軽食をとれる喫茶  
コーナーがあった。時間的に利用する人もそれなりにいてなかなか繁盛しているようだ。近くに  
はコインロッカーも設置してある。ハルヒが弁当を用意してくれていたら、まずここに預けてか  
ら午前の講演会会場に向かう手はずだったことだろう。残念ながら、時間的・状況的にそれどこ  
ろではなくなっている。  
 
 喫茶コーナーのあるログハウスの隣りにはお土産物コーナーもあった。絵はがきやらあまり一  
般的な書店では見かけないような書籍類、文房具(栞もあった)、さらにはペナントなどがある。  
木彫りのクマにどういう言い伝えがあるのだろう。絵はがきの写真の中にはハルヒの描いた七夕  
の模様まであるのだった。  
 ざっとそれらを二人で見回す。どうやら絵はがきには気付かなかったらしい。  
「なんか、普通ね」  
「そうか? 結構マニアックだと思うが。『死体は語る〜アルプスの氷漬けミイラからのメッ  
セージ』なんて本屋で見たことないぞ。長門も読んだことなさそうだ」  
「じゃ、それ買って帰る?」 ようやく彼の顔を見るようになったハルヒが聞いた。  
「…………」  
 何の気もなしに少女は言ったようだのだろう、しかし難しい顔になった彼は答えなかった。  
 入ったはいいけれど入場口からそのまま二人で帰るという状況に果たしてなるのか、仮にそう  
なったとしてそれが何を意味するのか……。  
 そんなことが脳裏をよぎったのかもしれない。  
 
 体験型アトラクションと言うだけあって初っ端からインパクトのあるものをやっているのが見  
える。参加者の年齢層を考えるとちょっとどうだろうと首を傾げたくなるそれは代物だった。  
 すなわち『火の輪くぐり』のいったいどこが謎の古代遺跡に関係あるのかさっぱりわからない  
が、見た目のけっこうな派手さもあり、それにまずここを通るのがこのアトラクションの順路の  
ような配置にもなっている。当然のごとく参加したがるハルヒに連れられる形で二人は参加した。  
 
「うぉりゃ〜♪」 「りゃあぁ〜♪」 「たあっ!」  
 
 いずくかの卓球少女ばりに甲高い奇声あるいは気勢を上げる楽しそうな少女を見ていると、全  
編がイベント用の宣伝フィルムかという思えるほどの火の輪くぐりっぷり・満喫ぶりだ。  
 指導教官みたいのがいてもここまでは無理だろう。  
 参ったなという身振りと表情であとから追従する連れ合いの男子高校生であった。  
「こらーっ、キョン、ちゃっちゃとくぐってきなさーい!」  
「わーったから、もういいって……」  
 かぼそい声を出す。どうも他の客の目線が気になる様子の少年である。当たり前か。  
 
 陸上競技ならそのままインターハイレベルだとか仮入部した運動系の部活のことごとくで即レ  
ギュラーポジション確定などといった評価からも、少女の身体能力の超人的ともいえる高さを窺  
い知れよう。服装のハンデ込みでもね。そのようなわけでトムソンガゼルのようなバネと身のこ  
なしで体験型系のアトラクションなどクリアしていく。  
 とくにこの『海底に沈んだ石の都』というアトラクションでは遺憾なく発揮された。  
 人間工学無視だろこれというやたら一段ごとが高い階段や――そうだと言い張る人にとっては  
そう見えなくもない程度のもの――トラップかと思うような大きな段差を軽々と踏破していく姿  
はもはやパンツ見えるよ、とかツッコむのもバカバカしくなるくらい颯爽として見えた。  
 コツをつかんでイメージどおりに体を動かす能力に彼女はとにかく長けているのだ。  
 
 さすがの涼宮さんに比べれば、他方キョンなるあだ名で呼ばれる少年の身体能力は同年代の平  
均値付近であり、彼女のペースに合わせるだけでも一苦労である。  
「はぁ、はぁ、……よっっっ…と。うぇ。まだあんの……?」  
「はやくきなさーい!」  
 すでにいくつもの段差を登りきった少女が髪を揺らしながらぴょんぴょん跳ねている。  
 …………。 次の石段の上面に手をついているとこだ。楽しそうな少女がこちらに向けて手を  
振ってる様子を見ながら、少年は恨めしそうに息を吐いた。  
 遺跡とかいうより、劇団の大道具さんたちが舞台セットとして用意したアスレチックみたいだ  
な、これって。  
 なんとか後から付いてきたものの明らかに息の上がっている彼を、どうみても元気溌剌なハル  
ヒは否応なく次の場所へと引きずっていった。これは基本的に比喩なのだが、数メートルくらい  
本当に引きずってた。見たところ、どうやら"あっちの"ハルヒも引きずり技術の水準は高いら  
しい。柔道でいうと受身をとらせるのが上手い感じだろう。  
 すごい腕力だが、あんま鍛えると二の腕太るぞ。  
 
「………………」 炎天下で天日干しされたイカのように少年がしなびている。  
 先に述べたような経緯でほぼ強制的に入らされた次のアトラクションからようやく出てきたと  
きの団員その1だ。  
『気の毒な』という言葉をここで使わないでどうすると見る人のほとんどに思わせる感じである。  
つまり気の毒を体現したような彼は物の怪の類に精気を吸い取られたように蒼ざめ、憔悴してい  
た。  
 対照的につやつやな涼宮さん。  
 
『未開部族に今も残る通過儀礼の謎』アトラクションでいったい何があったのだろうか。  
 
 そんな青色吐息な男の動静にさすがに娘としても気がとがめたか、  
「ちょっとそこ座ってなさいよ」と言って、どこの地域のものかわからないがトーテム柱らしい  
柱のそばのベンチに彼を座らせ、付近の自販機から飲み物を二つ買って持ってきた。  
「これ飲んで元気出しなさい」  
 怒った風に優しいことを言うところがハルヒらしい。瞬き二回分くらいで自分の分を飲み干し  
てしまうのもいかにも彼女だ。  
「ああ、悪いね、貰っとくよ」 お前は爺さんか。  
 くぴ、くぴ。  
 高熱を出して倒れた時の長門さんのようにつつましい飲み方だ。凹んでいるのだろうか。  
 まだ時間がかかりそうだと判断したのかもしれない。ハルヒは静かに隣に座った。  
 
 目の前を高校生くらいの若者たちが通り過ぎた。制服姿も混じっていて、近くにあるという高  
校の生徒たちなのかもしれない。  
 奇特にもここをデートコースに選んだと思われる男女らの姿もあった。どうあれ客の年齢層は  
基本的には高めのようだが。還暦を過ぎたくらいの人たちが体力勝負なアトラクションについて  
どう思っているのだろうかがいっそ気がかりではある。  
 
 ちまちまと缶の中身を減らす彼の膝上に、黙ったままのハルヒが手のひらを突き出した。  
「……あん?」  
 よくわかってない男に向かって、  
「あんたわたしに奢らせる気? 割り勘に決まってるでしょ割り勘に。もう、こっちが奢って貰  
いたいくらいなのに」  
 くたってる男子は力なく財布を取り出した。  
 タイムリミットのことをそんな中でも気にするあたり、なかなか涙ぐましい努力を彼も続けて  
いるではないか。  
 徒労感は抜けないだろうけどね、あの様子じゃ。  
 
 そのせいばかりでもないだろうが、途中で手の甲に擦り傷を作ってしまうことになる。  
 
『地下世界のピラミッド』などというテーマの、その実は大昔のお墓らしいというアトラクショ  
ンでの出来事である。まあしょぼいといえばしょぼかったのだが、説明書きなどを読むと薄ら寒  
い古代の儀式について書いてある。辛気臭いだけに思えたのだろう、ほとんど読むつもりも見物  
する気もないかのように、さっさとハルヒは切り上げた。  
 うら若いカモシカのように上っていく彼女を追う際、階段を上る途中でけつまづいてしまった  
のだ。  
 玄室のレプリカをぐるりと見て回っていたので、急かされて焦ったのだろうか。  
 
「ちょっとなにしてんの、そんなんじゃ犬と一緒に埋められるわよ!」  
「…………」  
 視線をすぐに落とす、ばつの悪そうな彼。  
 ひょっとすると、先に上っていく彼女のスカートの中に目が行かないように気をつかってて前  
方不注意でしたってなことかもしれない。言わんこっちゃないのかもしれないがこればっかりは  
彼の責任というわけでもないだろう。  
 ちなみに手の甲の傷はここで付いたのではないらしい。  
 
 
 以下駄文。いままでも十分そうだという意見は聞こえないふりをしているのでごめんなさい。  
 まったくどうでもいいことかもしれないがスカートつながりで。北高指定セーラー服のスカー  
トの丈はイラストにあるほど短くはない。と思う。だってあんな短さで外出るのはかなり恥ずか  
しいし、スパッツかジャージが常態化されそうだ。周りに流されてか女の心意気かは知らないけ  
れどそりゃ豪雪地帯にもミニスカの娘っ子は大勢いるらしいが、それにしたってあれじゃ冬はキ  
ツいだろう。下手すりゃ痔になってしまふ。挿絵はいろいろと誇張が入っており、言ってしまえ  
ばいわゆる読者サービスだと思われるが、そんなことを考慮に入れてもつまらないだけなので今  
のは忘れてください。  
 ていうかいったい何書いてるんだろうね。  
 以上駄文。これからもそうだろうという指摘は(以下略)  
 
 
 ところで『トンカラリン』という名前のついた洞窟探検風のアトラクションに挑戦したい様子  
の目下のハルヒだが、彼女はスパッツも穿いてない。入り口付近には、どうやって撮ったのかわ  
からないが匍匐前進して通る人の苦笑い気味な写真が展示されており、そんなこんなで困惑気味  
の表情になる彼だった。さてどうするか……。  
 
 そんなこんなもなく先に進む少女の後について入ってみたはいいが、彼が乗り気でなかったの  
もなんとなくわかる気がする。  
 せめて後回しにしたほうがいいのかもしれないが、模擬的な平行世界とやらに通じるドアが奥  
で彼らを待っているかもしれない。何があるかを確かめるため、あるいはそこにたどり着くため  
にも、通らないわけには行かない。  
 二人は狭い通路へ歩を進めた。  
 上方は吹き抜けなのだが切通しのように狭いし暗いし、模型ではあろうが両側の壁などは存外  
にしっかり造られていて変に引っ掛かったりするとかえって引っかき傷だって出来るかもしれな  
いし。いや、出来たのだが。  
 途中で一旦通路が終わり、明るく広い外界に出れたのはいいが、まだ続きがあるらしい。  
 
「ちょっとキョン、血が出てるじゃない、手のここから」  
「ああ、痛ッ……」  
 指摘を受けた箇所に気づくと途端にうずいてきたようにみえる。  
「水で洗ってほっときゃ直るわ、と言いたいとこだけど」  
 付近を見回す。  
「ああ、あそこで手洗いできそうね」  
 思い出したように言って、彼の怪我していないほうの手をとる。  
「わかった。行くからそんなに引っぱらなくても」 恥ずかしいのね。  
 構わず手をとったまま彼を連れて行き、手の甲を水で洗い流させる。ポシェットの中からハル  
ヒは絆創膏を取り出した。  
 なかなか用意がいい。  
「バンドエイドはサービスでいいわ、ついでに貼ったげるからじっとしてて」  
「…………」  
 洗ったあとの手をとり、その甲の傷の上に絆創膏を貼る。それだけといえばそれだけなのに、  
周りからみれば見事にほほえましい情景というか羨ましいのはなぜだろう。  
「ありがとうよ」  
「……ほんとドジね、気をつけなさい!」  
 なぜかしら怒ったような顔になる。そんな憎まれ口叩かなくてもいいのにね(笑い)  
 
 少し休もうということになった。ハルヒがそう促したのだ。このまま進むと、入り口付近はま  
だ立って歩けるが非常に狭く、さらに奥へ行くと狭いうえに暗くて背の低い、要するに匍匐前進  
しないと通り抜けできない洞窟に入らないといけなくなる。  
 いったい昔の人は何考えてこんなもん造ったんだろうと考えさせられる。  
 ああ、そういう企画か。表向きは。  
 
 擦過傷の傷口は、洗ってみると小さなもので、傷口を保護するために絆創膏を貼った部分もわ  
ずかに黒っぽく滲んでいるだけだった。血はすぐに止まったのだろう。  
 なじみ具合を確かめているのか、少年は手を握ったり開いたりしている。  
「まだ顔青いわね、キョン。気分悪いの?」  
「どうってことない――たく俺も何してんだろ……」  
 不甲斐ない気持ちなのだろう。  
「肩の力抜いたら? あんたさ、きっと気合が空回りしてんのよ」  
 そう叱咤したハルヒだが、心配そうな色をその目に浮かべているようにも見えた。  
 
 二人のそばを黄蝶が飛んでいる。  
「胡蝶の夢ね――」 「うん?」  
 揚羽ではないが、蝶の姿から連想したのだろう、ハルヒがつぶやいた。  
「世界は蝶の見た夢みたいなもんじゃないかって話よ、知らない?」  
「それは――古泉が言ってたのか? ああいや、そんな話をあいつから聞いたことがあったんで  
な、俺は」  
 ちょうど一年ほど前、古泉一樹らが属しているという『機関』の考えかたについてレクチャー  
を受けた際の話が念頭にあるのだろう。  
 対する涼宮ハルヒのほうは? 文芸部室から消失する前、駅の近くの喫茶店では曖昧にしか説  
明していなかったであろう"ハルヒ神様説"にまつわる話。あちらの古泉一樹は、同じような考  
えを語ったりしたのだろうか。  
「なんかのテレビ番組で見たのを覚えてただけよ……」  
 ということらしい。  
「もしかして、それも夢だったのかしら。フフ」  
 諦観したような口ぶりだ。それに含み笑いまでして。  
「おいハルヒ、お前こそどうしたんだよ」  
「言ってみただけよ。なんでもない……さ、もう続きに戻っていい?」  
 
 立ち上がってお尻をはたいている彼女に、男も倣った。午後3時を過ぎ、もうしばらくで日差  
しに夕日の色が混じりだすころだ。  
 
「うぇ……」  
 
 少年が呻く。二人の行く手がすぐそこで途切れていた。  
 狭いが背の高いトンネルの前に石組みの壁が薄暗がりのなかで見える。だが前を進むハルヒの  
足下、積み重ねられた石組みの下では、縦横ともに膝丈くらいの排水溝のような穴が口を開いて  
いた。とても狭く感じられるがここから出口に向かうことになっているのだ。入り口の写真でも  
推察できたとおり、ここがアトラクション版『トンカラリン』中で一番の難所だろう。  
 "アクセスポイント"らしいものは、どうやらこれまでのところ見いだせなかったらしい。  
 じっと立ち止まっているわけにも行かないが、すぐ前の客もしばしとまどっていたので多少詰  
まるのはお約束みたいなもんだ。  
「閉所恐怖症だったらこりゃ拷問だな、マジで入るのか」 げんなりしている。  
 後ろの客からも似たような会話が漏れ聞こえる。  
 ふん、と鼻を鳴らして  
「怖気づいてどうすんのよ。たいしたことないわこんなの」  
 後ろの彼にそう言ったハルヒに、  
「お前ならそうかもしれんが……」と答えた。  
「ま、あんたカラダ硬そうだし。わたしは大丈夫よ」  
 自信の根拠は次のようなことらしい。  
「小学生のとき溝に落っこったボール拾いに中に入ったりしたけど、それ考えたら楽勝ね」 そ  
んなことしてらしたんですかあなた。 「寝っころがってコンクリのフタの隙間を下から見てた  
り。景色とか友達が違って見えて面白かった」  
 なるほど。でもその格好ではちょっと……。  
 はや屈みこんで頭から入り、少女は切石状の石組みに手をついて入っていく。  
 平然とほぼ四つん這いになって進みだした少女の、短いスカートから伸びるふとももが、薄暗  
い中とはいえやけになまめかしい。  
 
 ピンクのバレーシューズが見えなくなってから、彼も無言で穴の左右の端を手で掴みながら膝  
をつき、おもむろに中へと身を乗り出していった。  
 
 なお、現実にあるこういう遺跡だと、ゲジゲジとかいろんなのがおるわけで、アトラクション  
だからこそ肌の露出の多い彼女のような格好でも中に入れてるだけなのであしからず。  
 
 さすがに中はそれまでよりさらに暗い。しかも出口に向かって徐々に上っていく傾斜がついて  
いる。通る人はみな、上下左右の肌に伝わる感覚に自然と頼ることになる。左右の壁はざらざら  
というよりむしろ意図的に腸内壁のような襞状になっていた。  
 実際に体験してみて謎を(解き明かすまではできなくても)考える、そういう謳い文句はこの  
アトラクションについては当てはまりそうだ。  
 連なって屈んで進んでいると、当たり前なことだがすぐ前の人物の臀部・後肢を見ながら進む  
ことになる。ここに入ろうという参加者の多くがジーンズやジャージといった露出の少ないもの  
を履いているのは怪我をしないためでもあろう。半パンの人もいるようだが。  
 しかるに彼の前を進む少女はミニスカート姿であり、やや下からの目線――意図せずとも――  
だとおそらく付け根まで見える。本人が問題なくとも後ろの少年には目の毒そのものだったろう。  
事前の予想通りともいえるけど。  
「……ちょっと、」 彼が後に続いてきたのを確認したハルヒがささやくように言った。「こ  
れってなんのために造ったのかしら、水路っても違う感じだし」  
「…………」 洞穴の圧迫感で余裕がないだけかもしれないが、彼は無言。  
「青鬼さんの隠れ家だったのかもね……。なんか、早くシャバの空気が吸いたくなるわ」  
 どうも、娑婆という単語を使ってみたかっただけなのかもしれないが、そんな気持ちに本当に  
なりそうな場所でもあった。  
 這って進むことを余儀なくされる部分は長さとしては30メートル程度なのだが、屈曲してい  
ることもあってぎりぎりまで出口に近づかないと外界からの光は射しこまない。  
 
「……なんもなさそうだな……」  
 外界の光の反射が見えてくるあたりで、嘆息混じりに男はつぶやいた。  
「あのさ、」  
 ちょうど前の客が曲がり角から先に進んで見えなくなったところだ。  
「……なに」  
 今度は少年からの返事があった。  
「背中しか見えてないでしょ? もちろん」  
 半ば後ろに向いて、低い声で釘を刺す。つまり他の部分を見るなという意味だろう。  
 といってもね。  
 前進するだけのために注意力の大半を費やしていたにしても、ぶっちゃけ見えるときは見える  
わけで。  
 いや決してうらやましくはない。誓って。  
 
「ぷはぁ〜!」  
 
 息を思いっきり吐きながら、彼女は大きく伸びをした。  
「生まれ変わった気分ねー、なんか」  
 続いて外界に出てきた彼のほうも、隣りでやはり天を仰いでいる。  
 これを造った時代の人もそういう気分にやはりなったのだろうか。それとも、まったく違う目  
的意識があったのだろうか。この《トンカラリン》には何の伝承も残されていない、入り口の板  
書はそう説明していた。  
 
 
『これらについての記憶を持つ者は、生ける者の世界にはいない』と。  
 
 
 
 そろそろ入場口のほう、あるいは売店に向かう人が目立ってきた。閉門時間が午後五時である  
こともあり、早めに切り上げるのだろう。  
 その人たちのため、ピストン運転のマイクロバスや臨時停車の私鉄系バスもそろそろ用意され  
ている頃だ。  
 
「暗くてよく見えなかったけど、怪しいものはなーんもなかったみたいね」  
 少女の言葉で気付いたように少年は時計を見た。そして眉をひそめる。  
「時間は律儀に過ぎていくし……」  
 少年の声には疲れとともに焦燥感も滲んでいるようだ。  
「アクセスポイントというくらいだから、パソコンが置いてあってそこからパスワード入力する  
とかそんなのを想像してたが、実際のところわからんしな」  
「わたしは……」  
 ハルヒも表情を曇らせている。  
「元に戻ってもらわなけりゃ困る……お前にとって。そうだろ?」  
「…………」 無言。  
「あの時の怖さ――焦りは忘れたくても忘れられない。俺はそれを身をもって知った……いまの  
お前だって、」  
 そこまで言ったものの、自分を見つめる少女に何を感じたのか、言葉に詰まった。  
「……いや、そうじゃない」  
「…………」  
「お前はお前だ、一緒にここまで来た仲だし、それくらいはわかる。だが、」  
 じっと見つめて、告げた。  
「違う時間が流れてたこともわかってるつもりだ」  
 なんかかっこいいぞキョンさん。いや茶化すつもりはない。  
「…………」  
 何も言わず、娘は視線を落とした。  
「俺は次のヤツが怪しいと睨んでるが……ハルヒ、」  
 次のアトラクションに目をやる。  
「ハルヒ?」  
「うん、聞いてるけど……」  
「もし見つからなかったら、他の手段を見つけてでも。俺がなんとかする。いや、させる。だか  
らきっと大丈夫――」 「キョン!」 遮るようなタイミングでハルヒが言った。  
「わたしはわたしよ。そうでしょ?」  
「……ああ」  
「だから、」 続けようとして口を一度つぐむ。ハルヒは迷っているように見えた。  
 じっと聞き手に回る彼との間に十秒ほどの静寂がある。それから静かに口を開いた。  
「自分のことだもん、なんとかしたいとそりゃ思ってるわ。あんたに言われなくてもね。だから  
何とかなるわよ。気持ちは強くってことだけど。……それに、」 フッと息を吐いて微笑する。  
「元気だしてもらわないと困るのよ、あんたが消えて悲しい思いしてるあんたの家族に。だから  
謎は見つけないとダメ」  
「ああ、そうだな」  
「もちろん――眠ってるか、ひょっとしてあっちで途方にくれてる"あたし"のためにもね。そ  
れでもダメなら……」  
「…………」  
 
「仕方ないじゃない。そんときはよろしく」 そう言って笑った。  
 
 逡巡していたけれど、気丈にも"しなければならないこと"について彼女は語ったのだろう。  
 だが、『あなたの選択をわたしは受け入れる。統合思念体にも介入はさせない』――そう言っ  
た長門有希は、この長髪の少女の中にある別の望みを知っていたのではないだろうか。  
 たぶん、"叶うならそうしたいこと"を。  
 
 その選択すらできないまま終わるとして、"仕方ない"結果は彼女にとって本当に悲しむべき  
ことだろうか? 首尾よく元の世界に帰ることは内なる彼女にとって喜ぶべきことなのだろう  
か?  
 
 
「こんどこそ――いかにもなんかありそうな感じがする」  
 見た目はともかく、迷宮についての説明書きが、ということだろう。  
「……同感」  
 意見の一致をみる。  
 
 ここ以外で"ポイント"なるものが隠されていそうなのは、大きなパオのような建物である講  
演会場と、あとは展示コーナーの建物くらいか。そのほかはほとんど見て回った。  
 実体について詳細を知ってはいない二人なので、当然ながら見落としている可能性もあるのだ  
が、それを真剣に考えるとすれば、まずここを見てからだろう。  
 
 入り口付近の造りを見るかぎりでは北高の文化祭レベルを大きく越えてはいないと思われる、  
『ミノタウルス伝説と壮大な迷宮』などと書かれたアトラクションの正面付近。  
 説明書きに目を通したハルヒはそれでも平気な顔で入っていく。実に意気洋々として。彼とし  
ても、ここはなんとなく怪しいというか何かありそうな雰囲気を感じてはいるようだ。  
 だいたい『ウェルカム・インザラヨーク』などと小さく書かれた副題らしい表記にはどんな意  
味があるのだろうか。これは実に怪しい。迷宮の奥にはラビリントスの斧とやらが掛けてある部  
屋があったりするのかもしれない。  
 
 このアトラクションが擬しているのは、先ギリシャ時代の地中海文明として長期の継続的文化  
を保持したと考えられるミノア文明――クレタ島――に今も残る大規模な遺構群であった。クノ  
ッソス宮殿がもっとも著名だ。西暦紀元前20世紀ごろから同14世紀の手前に至る長期間、基  
本は開放的で平和な時代を現出したとされている。  
 宮殿そのものがそのことを如実にしめしており、建物の内外は互いに隔絶されておらず、宮殿  
の中庭を中心として外部の公共広場までがひとまとまりにすら思えるものだった。  
 これはとくにミノア文明の早い時期に特徴的だとされている、非集権的・共同的な社会状況を  
反映したものらしい。  
 このように『迷宮』というよりは公共広場の延長とでも表現したくなるくらい開放的な"王  
宮"は、しかし後代になって外部からやってきた要塞都市出身の武装民兵などにとってはなかな  
か理解できないコンセプトの建物群だったことだろう。  
 古今東西をあまり問わず、人間は自分達の生まれ育った環境がそれを不可避なものとするよう  
な境遇や社会通念を、広範に適用できる(あるいはすべき)普遍的な与件として考えがちなのだ。  
 だからこそ、噂や想像がのちに尾ひれを思う存分生やし、ついには本体を食い尽くしてしまう  
ことも起こり得る。その結果として、滅ぼされたミノア市民の意識、その開放的な空間・建物か  
らは遠く離れた、『ミノタウルス伝説』の迷宮のような恐ろしげな言い伝えが生じたのではなか  
ろうか。事実の痕跡をわずかにはとどめつつ。  
 こうして、滅ぼされた人々の記憶はいわば二度目の陵辱を受けることになる。これもまた、古  
今東西に広く見られた悲しむべき事実であろう。  
 ただ、ギリシャ神話でも主神とされるゼウス神の出身地がまたクレタ島とされていて、バルカ  
ン半島のある階層に属する古代人が抱いていたであろうクレタについての記憶や思いの複雑さを  
物語っているようにも思われる。  
 
 そんな御託はともかく、このアトラクション自体は『迷宮』を謳っていた。歴史的経緯など関  
係なく、そういうコンセプトで造られているのかもしれない。どうやら中庭はあるようだが。  
 
 意を決してアトラクションに足を踏み入れた二人は、部屋を巡りながら彼女らにとっての"出  
口"を探していた。  
 迷宮アトラクションは小部屋のやたら多い、それほど陰気な感じはないが独房と廊下の続く監  
獄のような、よく言えば部屋だらけの宮殿のような、とにかくあまり迷路という感じはしないも  
のだった。ただし上階や文字どおりの地下階は省略されているらしく、見晴らしのいい展望台の  
ような場所があるくらいであった。迷宮といっても"宮"ということだから、そのとおりに受け  
取ればいいのだろうが。とにかく、入り口の状況から推察したより相当大規模であるらしい。  
 他のアトラクションに回す分まで、ここや《トンカラリン》のにつぎ込んだようにも思えてく  
る。  
 
 大きな甕が並んだ、倉庫のような部屋でのこと。  
 その一つ一つになにかの花をデザインしたような模様が施された、少年の妹さんの現状くらい  
ならかくれんぼができそうなくらい大きな壷だった。「触れないでください」という注意書きを  
読む間もなく、ハルヒがスタスタとそれらに近づいて次々に覗き込んでいる。  
 あわてて彼が近づいていき、彼女の手首をとって耳元で囁く。  
「おい、触るなって書いてあるだろーが」  
「何言ってるの、見るからに怪しいじゃない、中に何か仕込んでるかもしれないでしょ」  
「…………」 反論はしづらいよな。確かに。  
 とりあえず何もないことがハッキリするまで彼女は納得できないらしい。他の客の目を気にし  
ている彼としてもそのディテクティブな態度を無碍にもできず、つかんだ手を逆に握り返されな  
がら彼女の覗きに付き合った。  
 挙句に年配の男性までつられて甕を覗いてるし……。  
 
「――ない、なんもない」  
「もういいだろ。まだこれからって場所だし、俺だったらこんなとこに仕掛けないと思う」  
「あのねキョン」 "これだから素人は困る"みたいな表情と仕草でハルヒが答えた、「自分の  
目で確かめることが大事なの、たとえ徒労に終わってもね。探偵の基本よ」  
 目立つ行動を慎むのも大事だろう、とは言わず、彼はただ  
「次だ、次」  
 そう言って彼女とともに部屋を後にした。次の部屋を見る時になって自分がハルヒと手を握っ  
たままだったことに気付いたようだ。  
 
 そうしているうちに柱廊に出た。原色に近い明るい色調の柱が印象的で、それらを見ていると  
やはり陰気な感じはしない。そういう計算をしたような、建物のデザイン的統一感がそこかしこ  
にみえた。  
 殺風景な中に大きな甕が配置してある部屋や、色黒の人物が壁面に描かれた部屋、牛をかた  
どった何かの道具なのか装飾品なのかよくわからないが立派な頭像の鎮座する広間などを見て回  
る。  
 
 途中いろいろな(主に渦巻き)模様の入った土器をあれこれと見られたり、トイレらしい造作  
の場所なんかがそれらしく並んでいたり、堅牢な排水溝が伸びていたりしていた。  
 とくにうねるような足が見事なタコの絵の塗られた壁などでの会話等も含めてこのあたりは省  
略しておく。  
 といって基本的には少年は無言で、しかも急いでいたが。  
 
 その中で上階につづく場所もあった。  
 階段を上ると、鮮やかな赤い柱が左右に並んでいる、真ん中が吹き抜けの柱廊になっていた。  
明るい空がひときわ眩しく感じられる。牛の角のようなものが柱に沿った屋根の上に並んでいる  
が、どんな意味があったのだろう。吹き抜けというか通路自体は吹きさらしで風雨はそのまま  
入ってくる。そういう意味では開放感に若干あふれ過ぎな印象だ。ちなみに中庭方向には壁が  
あってその先は見えなかった。  
 まあ見るからに何もなさそうではある。  
 階上の柱廊は行き止まりだった。上ってきた階段をまた下りる二人は時間が気になる年頃だ。  
 無言の彼の代わりにツッコんでおきたい。なんだよ今のは。  
 
 カギ型に折れた先を行けば、おそらく中庭に通じているだろう階下の柱廊を二人は渡る。部屋  
を覗いて何もなさそうなときはそのままパスしだしていた。  
 
 それにしてもこれらが四千年前に建ってたとは……。  
 赤く塗られたずんどうな円柱が並ぶ様子は、地中海の明るく鮮やかな気候をそのまま建物に表  
現したようにも思える。目にしているのはレプリカ――材質はよくわからない――だろうが、こ  
れらの元の建物が今をさかのぼること数千年の昔に建てられたというのだから驚かされる。  
 人間のもつ絵心とかデザイン感覚もまた温故知新が大切なのだろう。  
 実物が見せる明るい芸風と伝わる迷宮神話とがあまり繋がらない気もするが、ひとたび埋もれ  
ていった文明に対する後世の人間の想像力とか余計な詮索もまた、古代ギリシャの時代から現代  
人に至るまであまり変わっていないのかもしれない。そんな感じを抱かせるあたり、このアトラ  
クションはなかなかよくできているとも言えそうだ。  
 
 そうしているうちに一つの部屋を見つけた。というか中庭方向の突き当たりがその一室だった。  
 他とは雰囲気が異なっているようで、そのためハルヒの関心を引く。  
「そろそろお出ましかもな」 タコの怪物とかそんなんを想像しているのだろうか。  
「お出ましって、パソコンはなさそうだけど」  
 中に先客はいなかった。  
 確かに照明以外には電化製品の影も形もない。だがひときわ異彩を放っているように見えるの  
はその柱が漆黒だからだろうか。あるいは壁の大きな絵のためだろうか。  
 天井にも絵があった。  
 入り口から突き当たった側には黒い柱が並んでいるが、柱と柱の間は間仕切りがしてあって扉  
があり、扉の外は中庭らしい。  
 その部屋の壁には、世界史の教科書も載っているラスコーの洞窟壁画のような大きな肩の、さ  
らに明るい彩色の施された牡牛と肌を赤褐色に塗られた人々の絵があった。ものすごく強そうな、  
また実に生き生きとしたその構図もあいまって、いまにも動き出しそうという形容できる代物で  
あった。  
 どうでもいいが曲芸師ってこんな数千年の昔からいたのだろうか、それともアレは闘牛士なの  
だろうか?  
 ぐるりと見回し、さらになぜか天井に描かれた大鳥の絵をじっと見つめる少年だったが、  
「気のせいかしらね」  
 ハルヒも言うように"アクセスポイント"になりそうな物を見出してはいない。  
 
 だが、疑いようのない異変を彼らは間もなく感じることになる。中庭に出たときに二人はそれ  
を知覚した。  
 

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