「キョンをたずねて300m」
キョンが椅子から立ち上がる。
「やめろ!ハルヒ!」
あたしはみくるちゃんから目線を移動しキョンを睨む。
「何よ!あたしはSOS団の神聖不可侵の団長よ!あたしの命令は絶対なのよ!」
キョンはあたしとみくるちゃんの間に立って
「むちゃくちゃだ!少しは朝比奈さんの身にもなれっ」
両手を広げてみくるちゃんを庇う様にしている。
放課後のSOS団部室であたしは些細なことからキョンと口ゲンガを始めてしまった。あたしが用意した胸元が大きく開いたチャイナ服をみくるちゃんに着せようとしたらキョンに止められた。
確かにみくるちゃんは嫌がっているけど、何でキョンが入ってくるのよ。
「キョン、いいからそこをどきなさい!みくるちゃん、さあこれを着るのよ!」
「嫌ですぅ〜っ!」
なっ、みくるちゃんったら、何どさくさに紛れてキョンの背中にしがみついてるのよ。キョンもキョンでみくるちゃんに笑いかけたりしちゃって。
「みくるちゃん、安心なさい。おっぱいの露出度は高いけど、乳首が見えることはないわ。見えそで見えないのが世の男共の注目を浴びることができるのよ!」
「そんなこといってもそのスリットだって腰まであるじゃないですかぁ〜」
あら?それには気付かなかったわ。でもいいじゃない。見せパンでもはいておけばOKよ。
「嫌ですってばあ〜っ」
みくるちゃんはキョンの制服を雑巾みたいにぎゅっと掴んで体が見えなくなるくらいキョンの後ろに隠れてしまった。
「もういいだろ?勘弁してやれって。」
またキョンが入ってきた。いつになく強い調子であたしに話しかけてくる。何よ、何なのよその非難するような目は。あたしが悪いっての?みくるちゃんのコスプレなんていつもしてることじゃ
ない。みくるちゃんに頼られたらみくるちゃんの味方するの?どうしてみくるちゃんにはそんなに優しいの?みくるちゃんだけじゃなくて有希にだってキョンはいつも気遣うような態度してる。
どうしてあたしにだけこんなに冷たく当たるのよっ!
「どきなさい、キョン!」
キョンの腕を掴んでみくるちゃんから引き剥がそうとした。けれどキョンは
「やめろって!」
大声を出してあたしの手を振り払った。男の子の力であたしはバランスを崩してしまい
「きゃっ!」
そのままどすん、と尻餅をついてしまった。顔を上げると口を両手で押さえたみくるちゃんと少し困ったような顔をしたキョンと目が合った。けど二人に見下ろされているような状況が悔しくて
すぐに俯いてしまった。
「す・・・すまんハルヒ」
キョンが謝ってきたけど、手を差し伸べてくる気配がない。
「うるさい・・・」
ゆっくりと自力で立ち上がったあたしは俯いたままキョンと目を合わせることをせず
「なによっ!もう、あんたの顔なんか見たくない!死んじゃえっ!!」
キョンへの罵声が床にこだまして部室中に響く。キョンは何も言わず黙っていた。
「あたし、帰る!」
その沈黙が無言の抗議のような気がしてなおさら腹が立って、あたしは荷物を持って部室を飛び出した。廊下を走って下駄箱についても誰も追ってこない。ふん、そういうこと。そもそもみくるちゃんのあの嫌がり方だってキョンを篭絡させるための演技に決まってるわ。それに気付かないバカキョンなんて土下座して謝ってくるまで顔も見てやらないし口も利いてやらないから!
あたしはその日、家に帰っても怒りが収まらなかった。その怒りと同時に言いようのない不安のような不思議な感情も湧いてきてなかなか寝付けなかった。
翌日。
あたしは思い切り寝坊した。あたしが教室に着いたのは担任の岡部と同時だった。
席に着くとキョンの背中が目に入った。キョンはあたしが席に着いても振り向かない。HRも始まったししょうがないか。けどちょっと鉛筆で突付いてみようかな。いやここで甘い顔しちゃ駄目よね。キョンから謝ってくるまで。謝ってくるまでよ。
「あれっ??」
気付いたら、お昼になっていた。そう、キョンはあたしに謝ってこなかった。謝ってこないし、一度もあたしに話し掛けてこない。一度もあたしと顔を合わせない。
「キョン?」
キョンがいない。いつもお昼は教室で谷口と国・・・何とかってやつとお弁当を食べているはずなのに。それなら誰か他の人にキョンがどこに行ったか聞いてみよう。
「あ・・・」
そうだ。あたしは普段からキョン以外のクラスメイトとほとんど喋ってない。向こうから話してくる時はキョンが間に入っているんだった。あたしは・・・キョンがいないとこのクラスじゃ浮いた存在なんだ。
そう自覚した途端、怖いくらいの孤独感に襲われた。クラスの中には結構人がいて、それぞれの集まりでお弁当を食べている。でも誰もあたしに近寄ってこない。
何故キョンはあたしに話しかけてきてくれなかったの?
何故キョンは振り向いてくれなかったの?
昨日のあたしのあの言葉のせい?キョンが怒って、あたしに愛想尽かしちゃったの?どうしよう、そんなの嫌。
いろんな考えが頭に浮かんで気が狂いそうになったあたしは、次の瞬間教室を飛び出した。
キョンを捜すために。
あたしは最初、廊下の水道に行った。けどキョンはいない。
「おわ、何だ?」
男子トイレに行っても、キョンはいなかった。用を足してる男子に悲鳴を上げられたけど、関係ないわ。そのあと学食に行っても購買に行っても、キョンの姿を発見できなかった。
「部室かしら・・・」
でも、有希とキョンが仲良くお弁当、なんて現場に遭遇したらどうしよう。あたしは渡り廊下の途中で立ち止まってしまった。あたしを避けて生徒が通り過ぎていく。・・・いい。いいわ。それでもいい。とにかく今はキョンに会いたいだけだから。
「あら有希、ひとり?」
部室に有希しかいなくてなんだかホッとした。有希は一人でお弁当を食べていた。この子ったら、クラスメイトとお弁当食べたりしないのかしら?
部室を一巡しているとき、有希が食べているお弁当に目が行った。どこかで見たことのあるお弁当箱。
「有希?!それ、キョンのお弁当じゃないの?」
お弁当を指差すあたしに有希は黙って頷いた。
「いつもパンやコンビニの食べ物ばかり食べていると体に良くないと、さっき彼が持って来た」
そう言って、また有希はキョンのお弁当をゆっくり食べ始めた。よく見たら、箸もキョンのもの。
「そ・・・そう」
なんだかいつもの有希のセリフみたい。あたしの手は震えていた。やっぱりキョンは有希に優しい。あたしには・・・。
「そ、それでさ、キョンどこに行ったか知らない?」
「・・・」
「ね、ねえ、有希?」
「・・・」
有希は答えず、黙々とキョンのお弁当を食べている。表情は変わらないけど、なんだかとても嬉しそうに見えた。・・・何?キョンに貰ったお弁当を食べてるところを邪魔しないでって意味なの?
部室から出たとき、あたしの心にひとつの感情が生まれていた。それはたぶん有希への羨望。特にキョンと言葉を交わさなくても体を心配してもらえていることへの。
あたしは泣きそうになった。
「おやあーっ、そこを歩くはハルにゃんかいっ?」
その後もキョンを捜してあっちこっち歩いていたら、鶴屋さんに呼び止められた。あたしったら、いつの間にか二年生の階まで来ていたのね。
「鶴屋さんっ!」
あたしはそのまま鶴屋さんに抱きついた。
「うわっ?!ちょっとハルにゃん、あたしはまだお乳は出ないよっ?」
鶴屋さんは驚いたような声を発したけど、あたしを拒絶しなかった。
「・・・うっ、ううっ、ぐすっ・・・」
「ちょ、ハルにゃん?」
緊張の糸が切れたのか、鶴屋さんの胸の中であたしは泣き出してしまった。
「ギョンが・・・ギョンが・・・ぐすっ」
「キョンくんがどうしたのっ?」
「ギョンがいなくなっちゃったのっ!」
「ええっ?」
どこに行っちゃったのよ、キョン。
「ほらハルにゃんこれで涙を拭いて。落ち着いて、もう一度詳しく話してごらんっ」
あたしの頭を優しく撫でながら、鶴屋さんはハンカチを出してきた。ハンカチで涙を拭ってもらいながら、今朝からキョンが話しかけてきてくれないこと、お昼になったら急にキョンがいなくなってもう20分も経つことを話した。
「20分??」
そう、20分も経つの。
「えーっと・・・」
どうしたの、鶴屋さん?あたしキョンを捜して何十キロ歩いたか解らないわ。
「何十キロって、校舎の中じゃあ、500mも歩いてないと思うけど・・・」
鶴屋さんは何故かキョトンとした顔をして、頬を人差し指で掻いていた。
「キョン、ギョンぅ・・・」
また涙がポロポロ溢れてきた。このままキョンがいなくなったら、あたし・・・
「ほらほらハルにゃん、泣かない泣かない!キョンくんがいなくなった心当たりとかはないにょろ?」
ズシンと心が重くなった。
「それは・・・」
正直に、昨日キョンと口ゲンカして、ひどいことをキョンに口走ってしまったことを話した。
「うーん・・・」
鶴屋さんは目を瞑って腕を組み、何か考えているようだった。
「ハルにゃんはキョンくんのこと嫌いになったのかいっ?」
片目をぱちりと開けて鶴屋さんが口を開いた。
「嫌いって・・・どうなのかな、解らないわ・・・」
きっとキョンはあたしなんかより有希やみくるちゃんのほうが好きに決まってる。あたしなんか・・・
「ハルにゃんっ!」
今度は両目を開けてあたしの肩に手を置いてきた。
「ハルにゃんがキョンくんのこと嫌いだったらこんなに捜しまわらないっさ!」
そ・・・そう、かな。
「キョンくんだってハルにゃんの言葉気にしてないと思うよっ!」
そう、かな。
「ああんもうっ、ハルにゃん、もっと素直になりなさい!心の底から『キョンに逢いたい!』『キョンの顔を見たい!』『イチャイチャしたい!』って願うんだっ!」
鶴屋さん、イチャイチャって・・・
「そうすれば、世界は元に戻るよっ!」
世界・・・?そう、そうよね。キョンのいない世界なんてありえないもの。
「解った、鶴屋さん。」
あたしの言葉に、鶴屋さんは白い歯を出して笑顔を見せてくれた。その笑顔で自信が湧いてきた。
鶴屋さんと別れ、一年五組の教室へ向かう。もうすぐ昼休みが終わる。きっとキョンは教室に戻っているはず。いや、絶対戻ってる。あたしは走った。
教室が見えてきた。廊下に見慣れた三人組の男子が歩いていた。谷口と、国・・・なんとかってやつと、あと一人、そうキョン。
「キョン!」
いつものように、あいつのあだ名を呼んだ。でもこっちに気付いてないみたいだった。もっと心の底から呼ばなきゃいけない。そうしないとキョンのいる世界が戻ってこない。
「キョーンッ!!!」
すると、キョンがあたしの方を向いた。あたしは走る速度を落とさず
「キョン、逢いたかったよぉっ!」
「のわっ?!」
そのままキョンに飛びついた。その勢いで二人とも倒れてしまった。あたしはキョンの上に乗っかっている格好になっている。キョンの胸に顔をうずめると、キョンの匂いや、体温や、心臓の鼓動が聞こえてきた。
世界が戻ってきた。
「痛えなハルヒ。どうしたんだよ?」
キョンが上体を起こしながらあたしに話しかけてきた。
「キョン、あたしをほったらかして、どこに行ってたのよ・・・っ」
「どこっておまえ、保健室だけど?」
キョンはあたしに今日の事を話し出した。朝食を食べてからお腹の具合が悪くなって、ずっと教室でじっとしていたこと。でもお昼になってついにごまかしきれなくなって保健室に行ったこと。
保健室に行く途中部室に寄っていつもコンビに弁当ばかりの有希に自分のお弁当をあげたこと。
「でもおかしいな、腹の具合が悪いからって事説明したんだが」
有希ったらキョンからお弁当貰えた事がよっぽど嬉しかったのね。
「それで、お腹の具合は良くなったの?」
「保健室で胃腸薬飲んだらピタリと治ったよ。何だったんだろうな、あの痛み。」
「じゃあ、今日あたしに話しかけてこなかったのは・・・」
「腹の具合と格闘してたからだ」
・・・なんだ。あたしの一人相撲だったってことね。
「あとはまあ、お前に話しかけづらかったってのもあるけどな。」
どうして?
「昨日お前を転ばせちゃっただろ。朝比奈さんに注意されちゃってさ。」
みくるちゃんが?
「古泉にも真顔で怒られたよ。」
古泉くん・・・
「長門は無言だったけどな。・・・ハルヒ、昨日はすまなー」
「謝らないで!」
キョンの制服をぎゅっと握った。
「謝らないでよ・・・。今日は、あたしがあんたに謝るんだから・・・」
「ハルヒ?おまえ・・・」
キョンの胸に顔をうずめているからキョンの表情は解らないけど、きっと東京湾でダイオウイカを釣り上げた漁師のような顔してるでしょうね。
「ごめんなさい、キョン。あたしわがままが過ぎたわ。昨日、ひどいこと言っちゃってごめんなさい。」
だからどこにも行かないで。もっと素直になるから。
「まったくお前の感情の移り変わりに季節は関係ないな。」
「昨日のお前の一言くらいでヘコんでたらSOS団団員その一なんて務まらないぞ。」
キョンの言葉に怒りはなかった。鶴屋さんの言ったとおりだったみたい。キョンはあたしを転ばせてしまったことを気にしていたのね。
「さて、ほんのちょびーっと素直になった団長様に、ひとつ提案があります」
何よ。急に緊張感のない声出しちゃって。しょうがないわね、言ってみなさい。聞くだけ聞いてやるから。
「たまには教室で昼メシ食べてください。」
「・・・」
「ハルヒ?」
あたしは返事ができなかった。キョンのいつものぶっきらぼうな声が子守唄みたいになって、いつのまにかキョンの胸の中で寝てしまったから。
終わり