「あーもう、世の中退屈すぎるのよ! 何か面白いことはないのっ!?」  
 放課後とはいえまだまだ日は高い。SOS団は今日も活動中なのだが。  
 ハルヒの退屈許せない症候群の発作がまた始まった。ネットサーフィンに飽きることは世界の終焉と地続きなんだろうか。  
判らんが。ほのぼの空間が終わりをつげると、古泉は「ふむ困りましたね」と言って、朝比奈さんは部屋の中のあっちこっちで  
おろおろ、長門は変わらず読書を継続、俺は嘆息する。全くこのお嬢さんはのんべんだらりと過ごす日常に楽しみを見出すこ  
とができないのかね。ハルヒ、どうせならもっとゆっくりまったりと生きようじゃないか。人生長いんだぜ。  
「アンタは人生を浪費していることにまだ気付いていないだけよ。そうしてうだつのあがらない中年になった頃にようやく気付くの。  
それで言い張るのね『もっと違った人生を歩むことができたんじゃないか。そうさ、俺の価値はこんなもんじゃない』なんてね。  
はぁ、ヤダヤダ。重要なのは今よ、今なのよ」  
 将来面白いことが約束されていると思っているなんて、何かもう負け犬コース一直線ねぇと、人生の落伍者を見る目つきをする  
ハルヒ。凄い言い草だな。まだ負けてねえよ。っていうかまだ始まってさえいねえよ。2ケツのチャリで校庭をグルグル走りたくは  
ない。  
 だが今重要なことは隠居した老人のような台詞を吐くことではないということは俺にもわかっている。学習しているさ。今、成すべ  
きことはハルヒの不満を解消してやることなんだろ。  
「じゃあゲームするか? オセロでも将棋でもトランプでも、それこそ賭けポーカーでもいいぞ」 違法だけど。  
「嫌よ。もっと血沸き肉踊るようなイベントじゃないと燃えないわ」  
 コイツ。妥協するということを知らんのか。古泉と対戦するようになってから見直したが、面白いんだぞ、ボードゲーム。しかし  
この流れのままではまた朝比奈さんが生贄となってしまう、それだけは避けねば、さてどうするかな、と思案しているとハルヒが  
言った。  
「ねぇ有希、何か面白いことない?」  
 長門に話を振る。長門は読書を中断して顔を上げた、が、ちゃんと話の流れを把握しているかな。  
 悪く言うつもりはないが、長門ほど高校生らしい、そしてハルヒのいうところの血沸き肉踊るようなイベントと無縁の存在もそういな  
いだろうなあ。本当の本当の部分は違うんだけどさ。ファッション、ゲーム、友人と駄弁り、旅行、カラオケ、ナンパ……うぅむ、どれも  
これも俺たちが長門を誘いはするが誘われはしない分野だ。はてさて。ここでハルヒの望むような面白い回答が返ってくるだろうかと  
問われれば、ぶっちゃけて限りなく0に近い気がするんだが……。  
 しかし長門は、わかった、と、本に栞を挟んで立ち上がると、自分の鞄から一枚のメモ用紙とペンケースを取り出してそこに筆を  
走らせて、その用紙をハルヒの元に持っていく。俺と古泉は長机の席を立ってハルヒのいる団長席の後ろに回りこむと、どれどれと  
そいつを確認してみる。綺麗な文字が躍っている。  
 
 クイズ キスが悩み 秘密は何処 皆家鴨と行き去る  
 
 用紙にあるのはたったこれだけの文字だった。  
「これを解いて欲しい」  
 
「ふぅん……ま、いいじゃない。見てなさいよ、さくっと解いてあげるから」  
 ハルヒがにんまりする。スーパーウーマン長門からの出題だからだろうか、はてさてめったにお目にかかれないアクティブ長門から  
の挑戦だからだろうか。どうやらこのクイズはハルヒのお眼鏡にかなったようだ。サンキュー、長門恩にきる。古泉も感謝しているよう  
で長門に向かってウィンクして、朝比奈さんは長門におかわりを注いでいた。  
 じゃあ。いざシンキングタイムだ。持てる知恵を振り絞ってこのクイズに望みたい……んだが。待ってくれ長門。俺のスカスカの脳み  
そには少しばかりハードルが高いようだ。ヒントが足りない。だってこの文字が何を指し示しているかさえ解らないんだよ。  
「駄目。制限時間は設けないからゆっくり考えて欲しい」  
 これだけの文字から何を導き出すんだよ。『犯人は誰?』や『犯行の動機は?』の誘導さえないんだぜ。ぬう。  
 ハルヒは何か思うところがあるのかしばらくして「キスなんて別に悩みじゃないわ」と言う。口にチャックしてくれよ。思い出すと恥ずか  
しくなってくるだろうが。頼むから謹んで欲しいよ。  
 長門が用意したクイズは少しばかり難問なのか、ハルヒも古泉も朝比奈さんも頭を捻っている。読書を再開した出題者の横顔を  
見て見ると、うんうん唸っている俺たちが愉快なのか長門は少しだけ自慢げだ。ほぅ。いいね。あのポーカーフェイス長門が自慢げに  
しているんだぜ。喜ばしいじゃないか、願うことならスパッとこのクイズを解いて、驚いた長門の表情をカメラに収めてやりたいもんだ。  
とはいえどうしたものか……どうかヒントをお代官様ーと命乞いをする悪役のようにすがってみた。うるせえ、情けないとか言うな。  
 
「鍵」  
 
 一言ヒントをこぼして今度こそ長門は完全に沈黙する。おいおい、俺にはどうも縁のある言葉なんだが。鍵か。やっぱりわかんねえ。  
「鍵ですか。かぎ……KAGI、KEY、鍵穴、錠、門、扉、暗号、秘密、南京錠、、セキュリティ、オープン」  
 古泉は連想される単語を呟いてノートに書き連ねている。白いノートが雑な字でどんどん埋まってはいくが、なかなか正解には近づ  
いていけないようで苦闘している。このヒントをどこまで頼っていいものか。麗しの朝比奈さんといえば、  
「ええと、『か』と『ぎ』の文字を消して読んでも意味が成り立たないし、一文字前後にずらしても駄目だし……がき。ぎぐ。がぎ。さじ」  
 こちらも苦戦中だった。ミステリ小説などにも用いられる、暗号を解く際に用いられる解凍(解答)法である。初歩的なものしか知らな  
いが俺もいくつの方法を当てはめてみた。結果は玉砕だったが。  
 ハルヒは用紙を睨み付けたまま黙り込んでいる。悔しいのだろう眉間にずいぶんしわが寄っている。おいおいこれが解けないからって  
閉鎖空間発生とかやめてくれよ。本末転倒どころか洒落にならん。  
 意見交換をしてみたりもするが答えは得られず、ただただ時間が経過する。すると、長門がやってきた。どうしたんだと聞くより先に  
「もう一問追加」  
 
 墨名綱も認知口砂国  
 
 何?  
 おいおい、皆ビックリしているだろ。一問済んでいないのに追加かよ。それに今日はずいぶんとアクティブじゃないか。手厳しいね。  
勘弁して欲しいと言いたいところだがこうなりゃ意地でも二問とも解いてやるよ。なぁ、長門、念のため聞いておくがこっちのクイズは  
完全に独立しているんだよな。『鍵』という言葉は一問目のヒントであって二問目とは無関係であり、一問目を解かないと二問目が  
解けないなんてことはないんだよな? さらに言えば一門目の解答は二問目のヒントでもないよな。  
「そう」  
 OK、やってやる。とはいえこっちも難しそうだな……知恵熱出そうだ。  
「あぁ、こっちは簡単ね。ウォーミングアップにこっちを出してくれたらよかったのに」  
「そのようですね。では再び第一問に取り掛かります」  
「はい、私にも解けました」  
 馬鹿じゃないぞ、俺は。多分。  
 
 
 
 
 
「ギブアップだ。お手上げだよ」  
 格好つけて啖呵を切ったまでは良かったものの、本日の活動終了を告げる下校のチャイムが鳴り、寸分違わぬタイミングで  
長門が本を閉じた。タイムオーバーである。結局二問とも解けずじまいとなった俺は、全面降伏、と両手をあげる。制限時間が  
設けられていないクイズとはいえ実質これは落第と同義だろう。本当にしまり悪いな。窓の向こうで沈んでいく夕日がにじんで  
見えるのは、決して俺の瞳が潤んでいるからではない。そう、事実を認めてしまえば負けなんだと自分に強く言い聞かせる。だが  
袖口で顔を拭えばくっきりと色鮮やかなオレンジが否応無しに視界に飛び込んできた。オゥ、ジーザス。  
「ふっふーん、正解を教えて欲しい? 胸のつかえを取り去ってしまいたいでしょ?」  
 ハルヒが教えたくて仕方ないといった表情で近寄ってきて俺の周りをぐるぐる回りはじめた。高慢というより浮かれているのか、  
声の調子がずいぶん高い。ハイテンションなのは結構だが、こんな光景、幼稚園か小学生の時分によく遭遇したな。覚えがある  
から共感はできるがそこまで嬉しいかよ。はいはい、正直解答を教えて欲しくてたまりません。  
「教えを請う態度じゃないわね。真心が足りないんじゃないの」  
 腕組みしてねちっこく言ってのける声さえも楽しそうだ。ああそうかい。  
「ならお前には頼らん。すいません朝比奈さん、どうか教えていただけませんか――」  
「まぁいいわ。この手のクイズは問題文だけで完結しているのよ。アンフェアなクイズはともかく問題自体がフェアなら穿った見  
方をする必要なんてないわ。視点を変えれば答えがそっくりそのまま隠されているんだから」  
 お前は子供か。名探偵の役目を譲る気はないようで、発言を遮ってとうとうと解説を始めるハルヒに俺だけでなく皆呆気にとら  
れそうになる。いや、素直に折れなかった俺もいい勝負なんだろうがお前には負けるよ。  
「張り切って答えあわせしようじゃないの。『墨名綱も認知口砂国』だけどなんて読むか解る? 第一歩目のここが一番肝なんだ  
けど」  
「『ぼくめいつなもにんちくちさこく』か? 他には思いつかんな」  
「ブー」 胸の前で大きくペケマークを作るハルヒ。勝者の余裕か嬉しそうなもんだ。  
「じゃあ前提からして間違っているのかよ。報われねえぞ」  
「墨名(とな)って読むのよ。後半も正しちゃうと『となつなもにんちくちすなくに』が正解。パソコンの文字変換機能に落とし込んで  
実行すればなんてことないわ。アンタもそうすればよかったのに」  
 墨名、ね。お前がそのパソコンを独占さえしていなければ、紙の辞書にいちいち頼らないで済むんだがな。すみとぼく以外の読  
み方知らなかったよ。面倒くさがらずコンピ研から頂いたノートを立ち上げるべきだった。すまんゲイツ。そこで、ふと俺はひらめく。  
「じゃあもしかすると――」  
 ひょっとしたら、と微かな期待を胸にパソコンへ近づこうとすると行く手を阻まれた。言わずもがなハルヒだ。  
「駄目よ。補習コースの生徒は最後の最後まで黙って先生の講義を聴くべきなんだから。変な癖がつく前に、筋道立てて教えて  
あげるからじっとしていなさい」  
 
「そう言うな。自分の手で解いて初めて勉学は身につくものだろうが」  
 俺が動いた方向に体をはすにするハルヒ。動きを牽制するようににじり寄ってきた。  
「駄ぁ目。絶対許さないから」  
「意地悪するなよ。第一、出題者の長門にならともかくお前は一解説者だろう。そこまで言われる筋合いはない」  
 一気に横を通り抜けて、文句を言いながら髪の毛やらネクタイやらを引っ張るハルヒの妨害に腐心しながら、メモ帳を開いて  
操作する。終始、真横で「あぁ、もう!」などと喚き声がしていた。  
 となつなもにんちくちすなくに……すずみやはるひ。  
 どうやら正解だったようで、画面には変換を待ちわびるすずみやはるひの文字が点滅している。紙吹雪が舞って、効果音つきで  
派手に高速点滅しないものかね。何てことはない。解読方法自体は特別な知識を要するものでもなく、俺も聞いたことはあったが、  
持ちこもうとした文章がいびつだったため試そうともせず考えただけで止めたものだった。  
 ローマ字入力の陰に隠れて、滅多に出番のないかな入力モードに変更後、キーボードを叩いて件の文章を入力する。そうすると  
見知った人名が上がってくるという寸法だった。キー配置の死角をついた謎か。俺にとっちゃこのクイズは仕掛けがどうこうより隠  
れているのが団長様という点がミソであり粋なんだと思う。  
 おめでとうの言葉とともに古泉と朝比奈さんの拍手に迎えられると、やはり気持ちいいもんだね。ヒントつきとはいえ解いてみた  
後の気分は爽快で、団長の手によるひん曲がったネクタイと不必要なほどの無造作ヘアーも勲章に思えた。だと思い込むことに  
する。  
 その団長はどうも面白くないようでブツブツと小言ばかり言いながら髪をもてあそんでいた。ふてるなよ。よほど俺相手に教鞭を  
執りたかったようだが放課後まで退屈な講義を聴く授業で占められるのは勘弁して欲しい。  
 その仕草は、いつかの、肩の荷が下りたはずなのに酷く空虚でやるせない時の気持ちを思い出させた。  
 ハルヒの姿が、母親に頼まれた用事を頑ななまでに一人でこなそうとするウチの妹、それも俺が手伝おうとするとすれば、ひと  
りでできるもん! と歯を剥きだして追い払おうとする懸命な姿とダブった。危なっかしい手つきに任せておけず、母親の「キョン君  
に助けてもらいなさい」の一言ともに仕方無く共闘――いや、単なる洗濯物の取り込みなんだが――してみれば恨みがましい非難  
の目を向けられた挙句、「キョン君、要らんことしぃ!」の言葉を添えて、次の日まで尾を引くほどに機嫌を損ねる羽目になった。  
 立場は違うがどちらも、私の仕事をとらないで、だろう。妹はともかくハルヒの場合、せっかくのお楽しみを横取りされてしまう……  
なんて、折り合いのつけられない年ではない気がするがね。団員を信じて欲しいものなんだが、うぅむ、兼業兄としちゃあ少しばか  
り大人げない行動だっただろうか。  
「次回、次回があるなら、その時こそはゆっくり教えてもらうことにするよ」  
 無視されたよ。部室を出て校門をくぐって下校の最中もバカキョンと連呼された。隣で不満げにされちゃあ素直に喜べないだろう  
が、はぁ。  
 でもなお前だって結局一問目は解けなかったじゃねえかよ。お仲間だ、馬鹿仲間。五十歩百歩の諺ぐらい知っているだろう。  
 すると、む、と言ってハルヒの表情が暗転する。  
 
 問一であり、本丸でもある『キスが悩み 秘密は何処 皆家鴨と行き去る』はついに誰一人として解けず終いだった。ゲーム  
好きの誰かさんなんざ、退屈しのぎだと捉えていたハルヒよりも虜となったようで、第二第三のヒントを要求していたほどだった。  
平穏そうな顔でいて、その実、未だににあきらめきれないでいるかもしれない。  
 身の毛もよだつ猟奇殺人の動機であれ、用意周到に仕組まれた四重密室のトリックであれ、世界と天秤にかけられた暇つぶし  
であれ、不可解な謎は心をひきつけて止まない。いつか解き明かされ、衆目に晒された真実は時間が経つと忘れ去られ部屋の隅っ  
こで埃をかぶった。そうして愛好家が次の謎を用意すると誰かが飛びつき、繰り返される。最先端のトリックは流行のアクセサリの  
ようで移り変わりが激しい。酷く滑稽なのかもしれない。  
 長い坂を下りきっていくつ目かの交差点が、本当の解散地点だった。ここで、皆、足の向かう方向が違うのだ。  
 誰からでもなく答えを尋ねると、もったいぶることもなく長門は、問一も問二も同じ、と前置きしてから説明に入った。  
 輪になって、用紙を持った長門の手の動きを追ううちに、朝比奈さんが「えっ!?」と声を上げたんだが俺も同感だったよ。なんと  
まあ。  
「この『クイズ』の文字は題字じゃなく、暗号の一つに含まれていたんですか?」  
「ちょっと有希、ズルくない」  
「これは……そうでしたか」  
 三者三様のリアクションに長門がしてやったりと顔をほころばせる。回答者としてはしくじった俺だが、ここはぬかりないぜ。  
用意しておいた携帯のカメラで決定的瞬間をしっかりおさえておく。でもひっかけなんてズルいぞ。  
 用紙の下半分に問題文がひらがなに変えて書き写される。  
 くいず きすがなやみ ひみつはどこ みなあひるとゆきさる  
「この、意味を成さない文字の羅列を組みなおせばいい」 ペンで丸く囲む。あっさりと佳境を迎えるらしい。  
 さらりと次に進むから聞き逃してしまいそうになったがこいつはパズルだったらしい。しかもよくあるパターンと言ってのけられる。  
ハルヒの言ったとおり、答えはクイズに内包されていた。もちろん俺はここにさえたどり着いておらず、それどころか訳されたひらがな  
の文字に「やがも」じゃないと知らされた。あひるね。どうやら俺の鈍くさい頭は基礎の基礎から学びなおさなければいけないほどお  
粗末なようで恥ずかしい限りだ。  
 熱意を買われたんだろう、あなたに任せる、と古泉に用紙とペンが渡された。  
 古泉がメモ用紙と格闘している間、俺の役目といえばそこのコンビニで人数分のジュースを買って待機することだった。行き交う車  
両がライトを灯しだす程陽が暮れた時間になり、我が家では俺抜きで夕食が始まっているんだろうが、一足早くここを抜けようなんて  
幾許も思わない。明日口頭で伝えられるんじゃなくて、今、感動のフィナーレを見届けたかった。  
 頭の中にメッセージはとっくに刷り込まれていたが俺はあえてそれに手をつけず、ただただじっと待った。緩慢だが退屈ではない  
時間だった。500mlのパックジュースを飲み干したハルヒが二本目をせがむ頃になって、古泉の対面で一緒に頭を悩ませていた朝  
比奈さんが沸いた。  
 完成したんだろうか。ずいぶん悪戦苦闘したようで、古泉の掌の中には破りとられた用紙が数枚あった。そこここにぐじぐじと斜線  
が引かれて要らない文字跡が多く見える。朝比奈さんの手には清書された文字が綴られた用紙がある。欠けず余らず、意味を成す  
二十六文字に目が惹きつけられた。  
 
 すずみやはるひ こいずみいつき あさひなみくる ながとゆき  
 
 おいおい。  
 そう正解は、と一旦言葉を切る。八つの真剣な目が揃って俺に注がれた。長門が、あなた、と俺を指差した。  
 
 長門にしてみれば全員脱落は意外だったらしい。これでも簡単なお題を用意したつもりだろうがお前の尺度で測らないで欲し  
いよ。一方、結束が弱まっている証拠なのかな不味いわ、なんてハルヒはしょうもない危機感を覚えていた。要らん心配だよ、  
捨てておけ、そもそも頭脳と信頼は別物なんじゃないのか。  
 だが隠しだまが残っていた。ハルヒの、その言葉の後に  
「からくりはわかったんだけど、腑に落ちない部分がまだあってさ――」  
 心地よい疲労と共に帰宅しようと我が家のほうに足を向けようとしたところで呼び止められた。俺の意識は既に今晩の夕食予想  
モードだったが、現実に引き戻される。  
「どうしてキョンが鍵なの? キョンって直接言っちゃってもクイズには差し支えないでしょう。そう、鍵に例えた理由がまだ残ってい  
るじゃない」  
 生来のものか、SOS団の活動で培われたものか要らん探究心を発揮してくれた。血の気が引くとはこういうことか。気のおけな  
い仲間との会話がぷつりと途切れ、示し合わせたように誰もが顔を強張らせた。朝比奈さんなど表情のバランスがとれないのか口  
元にはだらしない笑みが浮かんでは消えていた。  
 誰も口にこそ出さなかったが、あのヒントに俺たちは納得していた。だが「誰」の中にハルヒは含まれちゃいない。  
 世界の中心人物でありながら蚊帳の外にいるハルヒにとっちゃ単純な疑問なんだろうが、それを説明すること即ち世界の崩壊に  
繋がりかねない。俺自身は認めちゃいないが世間から認定されてしまったのだから仕方あるまい。一切合切が終わりを迎えるまで  
秘匿すべき事項なのだ。涼宮ハルヒにとっての鍵は即ち俺だという事実。忘却していたもう一つの十二月と世界がすぐそこまで迫っ  
て、背中の向こうで手招きしているようで怖気が走る。  
 最後こそ美しく飾りたいわねと言うハルヒは期待しているのだろう、目が爛々としていやがる。  
 落ち着いて考えてみれば、部室にいた時ハルヒの前で長門は確かに言った。鍵だと。クイズのヒントであり又隠されていた謎その  
もの。  
 もしや長門の失策だろうか。万能選手だと思われているが長門とてごく稀にミスをすることがある。いつぞや眼鏡の再構成を忘れ  
たことなどがそれに当たるだろう。普段ならば可愛らしいミスだと笑い飛ばすのだろうが、今ばかりは命とりでしかない。未来人超能  
力者一般人総動員で隠ぺい工作を行わなければならない。瓦解する日常が脳裏によぎり本日幾度目かの自身への落胆が襲った。  
無駄口を叩けばいいってもんじゃない。矛先をずらさねばいけないが言い訳の一言目からボロを出して自爆するイメージばかりだ。  
どうすればいい。一部を除いて和やかムードはとうに失せている。長門、こうなればいつぞやのように、禁則事項、とでも誤魔化して  
くれ。世界が傾くより閉鎖空間だ。目配せする。やれ、やっちまえ。  
 だが当人は動じる風でもなく説明する。  
「『鍵』とかけまして」  
 長門が一歩ハルヒの前へと踏み出した。  
「う、うん『鍵』とかけまして?」  
「『彼』と解く」 長門がまた俺を指差した。  
「その心は!?」  
 盛り上がっているのはハルヒだけだ。胸の前で腕をねじ込むようにしゃくって、長門は言った。  
 
「……どちらも突っ込み役」  
 
「もおおおおおお!! 有希超可愛いいいい!! もぅ、もぅ、もおおおおおお!!」   
 牛かよ。そんなオーソドックスな突っ込みさえ許されざる状況だった。出来ることなら一つの細かいボケも見逃さずあますことなく  
大きな声で指摘してやりたい。世間様から奇異の目を集めてもいい、蔑みさえも突っ込みの対象だ。会場の視線を独り占めかよ!  
 しかし今突っ込むことは突っ込みに非ず。それはボケを彩る花飾りではなくフィーバーするハルヒを際立たせるだけなのだ。舞台  
に立った演者へ向けて観客が発する拍手であり、完成されたステージに乱入しようとする見苦しい嫉妬にすぎない。意味を成さない  
突っ込みに存在価値などないと断言させていただこう。  
 道行く人々が皆こちらを見ている気がするが、ぎゃあぎゃあ騒ぐハルヒを注意できない。確実に思われた世界改変を免れた僥倖と、  
この銀河を統括する情報統合思念によって創られた対有機生命亭有希の掛け言葉に、安堵の虚脱――付け加えるなら突っ込み役  
に認定されたショックもか――でへたり込むだけの情けない俺。トリプルパンチの衝撃に、突っ込みをセーブするだけで精一杯だ。  
普段からそうだが、今の俺たちは格別シュールな集団だろう。あぁ、トリプルの次ってクアドラプルらしいぜ。  
 長門にすればハルヒが話を振った時すでに予想のついた展開の一つだったんだろうが、心臓はついていけずまだ高鳴っている。  
好意的に解釈すればちょっとしたお茶目なんだろうが、これをしょっちゅう繰り返されるとなれば俺が不整脈で搬送される日はそう遠  
くない。長門が冗談の魅力にとりつかれないうちに釘をさしておこう。寒風吹きすさぶ季節なのにあごを伝って汗が滴り落ちる、確実に  
寿命が縮まっただろうな。仲間が二人もいるのが救いである。  
 ハルヒは獲物である長門にかじりついて、頭を撫で回し、耳たぶを食み、摩擦熱も何のそのの勢いで頬擦り、とやりたい放題だ。  
おそらく奴の中での長門に対する認識は「万能選手」から「萌えキャラ」へと改められた事だろう。滅多なことでもない限りお目にか  
かれない光景も心労の原因でしかないのは残念だが一件落着か。ギャップ萌えを体現した長門は明日コスプレを要求されるだろう。  
 今回ばかりはミラクルみくるじゃなくて、ミラクル有希だね、全く。  
 心身ともにどうにか復活した俺は、いつまでも長門から離れようとしないハルヒと、へたり込んだままの古泉朝比奈さんに手を振っ  
て、コートの襟元に首をうずめて帰路についた。夕飯食った後に、問題を適当にいじって妹に出してみようか。  
 
 そうそう。携帯をチェックすれば愛想無しの長門の笑顔がデータとなって焼きついていた。一人ほくそえむ。ピューリッツァー賞もの  
だね。忘れないうち保存とロックしておいた。翌日披露してみると、残念ながら誰もが「口元が緩んでいる気はするが普段と変わらな  
いよ」の感想を漏らすことになる。  
 

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