皆にちょっとした豆知識を披露しよう。  
我が校の放送室は2つのブースに分けられている。  
ひとつは機械操作ブース。ここには校内放送において使用する機材のほぼすべてが収められている。  
当然のごとく放送素材である音楽テープやCD、ビデオテープなどもこちらに保管されており、実際の機械操作をおこなって校内に音声を届ける役割を果たしているのは、この操作ブースだ。  
また、機械に直結したマイクが1本あり、簡単な伝達事項程度であれば、それで事足りるようにもなっている。  
もうひとつは収録ブース。およそ6畳ほどのスペースを防音壁で覆った空間で、おもに録音、録画に使用される。  
昼休みにおこなわれる喜緑さんの校内放送もこちらのブースを使って録音されているわけだ。  
基本的には集音マイク数本とビデオカメラが置かれているだけの収録ブースではあるのだが、校内放送収録時にはテーブルとパイプ椅子が持ち込まれている。  
 
「こんにちは、生徒会書記、喜緑江美里です」  
 
収録がスタートする。  
司会である喜緑さんの前、折りたたみが可能な長机の上には、マイク、今回の収録に必要な資料各種、さらにはのどの調子を整えるためだと思われる飲み物入りの水筒がそれぞれ手の届く位置に置かれている。  
おそらくはこれが毎回の収録風景なのであろう。  
 
「この放送も回数を重ね、そろそろみなさんのお昼を彩るBGMとしてそれなりに定着してきたのではないでしょうか」  
 
さて、何故俺がこんなに放送室内部の様子について詳細な説明が出来るのかというと、それは簡単な話で、俺が今現在放送室内部にいるからに他ならない。  
なんだって俺が収録中の放送室になんているんだ、って思うだろ?  
実は俺もそう思ってる。  
 
「今回もまた、皆さんの耳を10分ほどお借りしまして、わたしの声を届けてまいりたいと思います」  
 
喜緑さんとは机を挟んだ向かい側、彼女の正面に座っている人物こそが、今回のゲストということになる。  
普通に考えて、そのはずである。  
 
「あのー、喜緑さん」  
「あらあら、まだオープニングトークの真っ最中ですのに…  
 ちょっと発言には早いですよ」  
 
コスモスが微強風に煽られたような印象にも似た非難めいた微笑み顔を見せる喜緑さんの姿に、若干の罪悪感が俺の中に芽生える。  
それでも、悪いとは思いつつ、俺はどうしても確かめなければならない事項について確認の声をあげる。  
 
「ああ、いや、それは申し訳ないんですが……なぜ俺はここに座ってるんでしょうか?」  
 
そう。まさにその、ゲストが座るべき椅子の上。  
喜緑さんの校内放送の第5回目が流れる昼休みのひととき、なぜか俺は喜緑さんの対面に腰をおろしていた。  
 
「あら、それはもちろんゲストとしてお呼びしたからですよ」  
「へ?」  
その一言はまさに俺にとって青天の霹靂と呼ぶにふさわしい爆弾発言だった。  
 
俺はここに到るまでの一連の出来事を回想しようと、こめかみに右手親指の関節を押し付け頭に刺激を送る。  
脳の役割分担で言うと記憶の保管庫にあたる側頭連合野を活性化しようという意図によるところの行動なんだが、よく考えたら俺はそれが頭のどこにある部位なのか知らないんだ。  
こめかみを押さえることが効果的なのか不安がないでもないが、まあ少なくとも頭蓋骨の中には納まってるだろうし、たいした問題でもあるまい。  
まさか右心室あたりに引越ししてるはずもないだろうしな。  
 
確か昼休み開始直後にトイレに行って用を足し、さて、教室に戻って弁当を食おうと考えながら廊下に出ると、なぜか目の前に、ルソーとマイクがじゃれあってるのを眺めているような微笑顔の上級生、喜緑さんが立っていたんだっけ。  
いやぁ、ビビった、ビビった。トイレから出てくるところを待ち構えられるなんてのは、本当に心臓がゴールデンウィークに突入しそうなほど驚くな。  
しかも相手は知り合いかつ美人の女性ときているから、恥ずかしさのレベルはそれこそ勇者ひとりでゾーマを倒せるほどの最高ランクぶりだ。  
まばたき3回分ほどの時間、硬直してしまったとしても、誰も俺のことを責めることなどできないだろう。  
そんな、銅像のパントマイムでもしているような俺に対して喜緑さんは  
「ちょっとお話があるんですが、お時間よろしいでしょうか?」  
と、あくまでもそのなごやかな表情を崩すことなく告げたんだった。  
ドライアイスの上に乗っけられて停止していた蟻がそこから降ろされた途端に動き出すみたいな感じで活動を再開した俺は、特に断る理由もないので「いいですよ」と、軽い気持ちで答えたんだ。  
そのあとは「どうぞ、こちらへ」と言う喜緑さんのあとに続いて放送室前まで歩き、たいした疑問も抱かず中に入り、「どうぞおかけください」と言って勧められた椅子に腰をかけた。  
そして俺の向かいに腰をおろした喜緑さんが開口一番言ったのが  
 
「こんにちは、生徒会書記、喜緑江美里です」  
 
だったというわけだ。  
以上、回想終わり。  
 
 
「あのー、ひととおり記憶の海をトローリングしてきたんですけど、ゲストのゲの字も引っ掛かりませんでしたよ?」  
強引な手段はこの際置いておくとして、せめて弁解の言葉のひとつも聞きたいところだ。  
「まあ…それはそれは…  
 ………  
 では最初の質問はこちら」  
「いや! 人の話、聞いてくださいよ!」  
あっさりと俺の発言をしようとする喜緑さんに対し、俺は槍の又左もかくやという言葉のチャージを全力で敢行した。  
まったく、この人といい、ハルヒといい、どうして俺の周りにはこうも人の話をスルーする技術に長けた人材が揃ってんだ。  
もし、俺のカルマがこういった人間を招き寄せているのだとしたら、俺の前世はよっぽど人の話を聞かないやつだったに違いない。  
因果応報を来世にまで持ち込まないでもらいたいね。  
「ゲストだからといって特別に構える必要はありませんよ。本当に、ちょっとわたしとお話していただければいいんですから」  
「そうは言ってもあきらかに俺じゃ役者が不足してるでしょう」  
俺は『役不足』という間違った用法で余計なつっこみを受けないよう細心の注意を払って言葉を選びつつ、喜緑さんに反論を試みた。  
「なにか誤解されているようですが、この放送は別に有名な方をお呼びするものではありませんよ。  
 北高関係者であれば、分け隔てなくお話を伺っていきたいと思ってます。  
 もし出来るのであれば、関係者全員をゲストとしてお迎えしたいですね」  
と、このタイミングでニコリとひと笑い。世の男性の80%は陥落できそうなエンジェルスマイルだ。  
俺もこの人に対してある程度の免疫がなければ、ヤバかったね。  
ところで週2回の放送じゃ、どう頑張っても関係者全員を扱うより喜緑さんの卒業の方が先だ。  
 
 
「ところでこの放送も4回目を迎えるにあたり、画期的な新兵器が投入されることになりました」  
俺のゲスト問題は一旦脇に追いやり、喜緑さんはトークを見切り発車させてしまった。  
いいさ…今さら別の人間を捕まえてくるのも手間だろうし、10分程度ここでお茶を濁すぐらい、わけないさ。  
しかし、この喜緑さんの4回目発言、これはつっこんでもいいんだろうか? 無駄かもしれんが一応触れておくか。フリっぽいし…  
「喜緑さん、5回目ですよね、この放送」  
「いえ、4回目ですよ」  
心の底から不思議そうな顔をする喜緑さん。いささかも演技しているように見えないから始末に終えない。  
「あの、本当に今回を4回目として、この先押し切るつもりですか?」  
「押し切るもなにも正真正銘今回が4回目ですよ」  
「ほら、前回の生徒会長の回、あれが4回目だったじゃないですか?」  
「いいえ、前回は第3回でしたよ。涼宮さん、長門さんとお呼びして、3回目が生徒会長です」  
「いやいや、長門と生徒会長の間に1回挟んだじゃないですか。朝倉と国際電話で喋ったやつ」  
「朝倉涼子さんって誰です? 残念ながら、わたしも全校生徒を全員把握しているわけではないものですから」  
「フルネーム、言えてるじゃないですか! 前々回、喜緑さんに振られたことをカミングアウト」  
 
金属が細かく震えるようなビィンという音とともに、俺の目の前の机にはどこか見覚えのあるナイフが突き立っていた。  
 
「OK、分かりました。今回は第4回です。完全に俺の勘違いでした」  
「ご理解いただけてわたしも嬉しいです」  
と、このタイミングでニコリとひと笑い。世の男性の80%は陥落できそうなエンジェルスマイルだ。  
俺も人間を2回は殺害できそうなゴツいナイフが目の前に突っ立ってなかったら、ヤバかったね。  
脅しで済んでるうちに、そういうことで納得しとこう。  
俺の記憶がいじくられていないのは、長門がブロックしてくれてるからなんだろうが、これ以上長門の負担を重くするようなことはせん方がいいだろう。  
「で、えっと、新兵器でしたっけ? もしかしてこのナイフがそうなんですか?」  
「あらあら、ナイフなんて怖いものがどこにあるんです?」  
目を向けたら既にナイフの影も形もなかった。机に穴も開いてねぇし。  
ああ、そうですとも。今回が第5回なのも、机をナイフが貫通してたのも、みんな俺の勘違いですよ…  
なんだか宇宙人と穏便に付き合っていくコツが理解できてきた気がするぞ。いい加減悟るのが遅すぎるという意見もあるだろうが…  
 
「新兵器とはこちらです」  
と言って喜緑さんが机の上に置いたのは、なにやら小さな機械が3つ。  
形状はコンビニで売ってる一口羊羹みたいなかんじで、表面に液晶画面といくつかのボタン、スピーカーらしき無数の穴が開いている。  
さらにプラグにはピンマイクが刺さっていた。  
「これは一体なんなんです?」  
そのうちのひとつをちょっと手にとってみた。チャチな外見に似合わぬズシリとした手ごたえ。なにやら無数のハイテクメカニックが詰まっていそうで、オトコノコ心を刺激してくれる一品だ。  
「ICレコーダーです。放送部の備品なんですけど、特別にお借りしてきました」  
ICレコーダーね。固有名詞に聞き覚えはなかったが、そういえばニュースで政治家に突撃するレポーターが、こんなのを突きつけながら質問してるのを見たことがあるような気がするな。  
要するに高性能なテープレコーダーみたいなもんか。  
「で、これをどうしようっていうんです?」  
自分の手の中にあったそれを喜緑さんに返却しつつ、俺は素朴な疑問をぶつけてみた。  
この放送の録音自体は隣のブースでおこなわれているわけで、なにもこんな手の平サイズのお手軽機器に頼ることはないんだしな。  
 
そんな俺の疑問に対する喜緑さんの回答がこちら。  
「こちらの3つのICレコーダーには、あらかじめ効果音が録音されています。  
 この放送の節々で適時使用していけば、放送も華やかなものになるのではないでしょうか」  
つまりは演出のための小道具にするということらしい。  
俺は前回の放送を聞いた際、観客の笑い声的サウンドエフェクトがあればいいな、などと考えたりもしたが、どうやら喜緑さんも独自に似たようなことを発想していたらしい。  
うん、普通にいい考えなんじゃないのか。少なくとも団長の暇つぶしのために殺人事件の芝居をしたり、演技の幅を広げるために可憐な上級生に酒を飲ませるより、よっぽど健全なグッドアイディアだ。  
「一通り、聞いてみましょうか」  
そう言いながら喜緑さんは俺から受け取ったICレコーダーの再生ボタンに手をかける。  
 
ピッ  
ズガーン  
 
ボタンを押してから一拍遅れて、シューティングゲームの自機が撃墜されたようなチープな爆発音が発せられた。  
あと、それとは別に俺の脳内でさっきまで喜緑さんのために構築していた賞賛の言葉が崩れる音も聴こえた気もする。  
これって校内放送で使用する効果音のはずだよな?  
校内放送においてこんな音が鳴らなければならないシチュエーションというのはいかなるものなのか、マジでまったくわからない。  
スピーカーの前のよいこのみんなもわからないだろうし、もしかしたら喜緑さん本人もわかっていないのかもしれん。  
超監督によるハチャメチャ映画撮影のような無軌道ぶりを聴衆に晒さないためにも、ここはひとつ確認しておくべきだろう。  
「えっと…この効果音を一体どんな状況で使うつもりですか?」  
「なにかつっこみを入れられた際に、そのショックを表現する手段として使えそうじゃありませんか?」  
………  
なんで、つっこみ、つっこまれることを前提として効果音を用意してるんだ? この人は…  
効果音っていえば他にもいろいろとあるでしょうが。  
歓声とか拍手とか、あと小鳥のさえずりとかもいいかもしれん。  
とにかく爆発音よりもまともなやつはいくらでもある。だというのに、なんだってよりにもよってこんな原始的破壊衝動充足型効果音を採択しちまったんだ…  
 
「あら、呆れてますね? でも、備えあれば憂いなしと言いますし、いつこの音が必要となるかわかりませんよ」  
「仮に必要になる瞬間が訪れても、ボタンを押してからタイムラグがあるんじゃ、結局使えないんじゃないですか?」  
俺の発言が生徒会書記さんの耳に届いた瞬間、放送室内部から一切の空気の振動が消滅した、ような気がした。  
………  
ピッ  
ズガーン  
「それは盲点でした」  
いや、そんな無理して使わんでも…  
 
 
「じゃあ、こちらなんてどうでしょう?」  
後悔の念など微塵も感じさせないおだやかなスマイルを顔面に貼り付けたままの喜緑さんは、おもむろに2つ目のICレコーダーに手を伸ばし、これまた再生ボタンを人差し指で押し込んだ。  
親指を使えば片手で操作できるだろうに、あえて左手で機械を支えつつ右手で操作をおこなうのは、上品な仕草を徹底している自分へのキャラクター付けゆえのことなんだろうか。  
 
ピッ  
ポコッ  
 
今度のは軽い打撃音っぽいSEだ。これもまた、やっぱり俺には用途がよくわからない。  
「この音さえあれば、動作なしにもかかわらず、つっこみをいれているように聴こえませんか?」  
だから…なんだってそうすべてが漫才仕様になってるんです?  
「お気に召しませんか?」  
「いや、なんて言ったらいいんでしょうね。もうちょっとこう…一般的なものの方が使いやすいと思うんですがね」  
「一般的ですか……」  
そうつぶやいた喜緑さん、なにやらICレコーダーをいろいろと操作。  
両手を使ってICレコーダーと格闘するその様子は、まるで機械に慣れないお婆ちゃんが孫からプレゼントされた携帯電話を四苦八苦しながらも利用しようとしているみたいに見えて、ちょっと可愛らしかった。  
などと、俺がシャミセンとシャミツーが互いのバックをとろうとグルグル回っているのを眺めるような癒され空気を感じているとだ  
「ちょっと『なんでやねん』って仰っていただけます」  
と、喜緑さんは俺にピンマイクをつきつけながら意味不明な要請をしてきたじゃないか。  
「なんでやねん?」  
それは単なる鸚鵡返しにすぎなかったんだが、喜緑さん的にはそれでOKだったらしい。  
ノーマルな微笑みの中にもひとつまみ程度の満足を滲ませながら、こう仰った。  
「はい、ありがとうございます。無事録音できました。  
 これで、このレコーダーには一般的なつっこみである『なんでやねん』という音声が収録されていることになりました」  
「一般的って、そういう意味じゃないですよっ!」  
ピッ  
なんでやねん  
「はい。とってもいい感じの仕上がりです」  
いや、その行動自体が、なんでやねん、ですよ…  
 
 
さらに3つ目。  
 
ピッ  
パパパ、パパパ、パパパパパパパパァーン  
 
「ファンファーレです。これは結構応用がきくと思うんですが」  
まあ、これぐらいなら、なにか使い道もありそうだが…  
めでたいニュースの発表や、とにかく嬉しいことが発生したときに鳴らせばいいわけだしな。  
例えば……そうだな……  
なんだろう?  
「具体的にはどんなときに使うつもりなんですか?」  
「そうですね…  
 たとえばあなたがここで突然レベルアップした時、この効果音が鳴り響けば気分が盛り上がると思いません?」  
あの、俺はデジタルな存在に生まれ変わるつもりはないので、今後の人生において効果音を伴ったレベルアップをする予定はありませんが…  
多分に呆れを含ませた俺の視線にも怯むことなく、まあ俺ごとき一般人にこの人が怯む理由もないんだが、喜緑さんはにこやかに返答した。  
「でも、人生なにが起きるかわかりませんし、備えておくのにこしたことはないと思うんです」  
「いや、そんな備えは絶対無駄に終わりますよ!」  
ピッ  
なんでやねん  
「うふ、つっこまれてしまいました」  
「自分で押したんでしょう… そんなことして楽しいですか?」  
「そうですね。なかなかオツなものですよ」  
と、このタイミングでニコリとひと笑い。世の男性の80%は陥落できそうな…って、もういいか。  
そうですか…もう、好きにしてください…  
 
 
「なんだか、いつの間にか残り時間が5分を切ってしまいましたね。ちょっと急いでいきましょう」  
そりゃ、こんだけ無駄話してりゃ時間もなくなりますよ。  
いや、あるいはあまりにも俺宛の質問がないことに苦慮した喜緑さんの、必死の時間稼ぎだったのかもな。  
と、思ったりもしたんだが、そんな俺の憶測は喜緑さんが掲げ持つ紙束によって完全に否定された。  
「見てください、この量。この放送が始まって以来、一番の質問量ですよ」  
「多っ!」  
なんだこりゃっ!? 喜緑さんの手の中の紙束は軽く50枚はありそうな雰囲気だ。  
つうか、あきらかに俺みたいななんの変哲もない一般生徒相手に送られるような量じゃない。  
もしかしなくても作為的なものをビンビンに感じるぞ。それこそコンピ研部長氏探索紀行足長節足動物退治の旅みたいにな。  
「これ…やらせですか?」  
「いいえ。すべて真実の声です。この52枚という枚数は各人のあなたへの想いが溢れた結果ですね」  
いや、想いっていうか…重いです。  
「では最初の質問を読み上げますね」  
机の上に置いた紙束の一番上の一枚をめくる喜緑さんを正面に見据えながら、俺はなにやら不穏当な空気を感じとってしまった。  
さまざまな経験を積むことによって鍛えられた、トラブルに対する自衛反応の発露だと言えよう。  
「ちょっと待ってもらえますか?」  
俺はすかさず、喜緑さんにストップをかけた。  
「なんでしょう?」  
出鼻を挫かれた形になってしまったにもかかわらず、気を悪くした風でもない喜緑さん。素直に俺の発言を待ってくれた。  
さて、例のやつを片付けてしまわないとな。  
「ペンネーム【微笑みの貴公子】からの質問はあらかじめ省いておいてください」  
そう、どうせ今回も律儀に出しているに違いない古泉の質問、それを排除しておかんと。  
「あら…どうしてもですか? 特定の人物からの質問だけ不採用にしてまうのは不公平な態度になってしまうのですが」  
「どうしても、です。この要求が受け入れられないんであれば、俺は今すぐ帰ります」  
若干の躊躇を見せる喜緑さんだったが、これに関しては俺も一歩も譲る気はない。  
意中の相手に告白する直前のような真剣な顔をして自分の目を見つめる俺に、とうとう喜緑さんも折れたようだ。  
「そうですか、それでは仕方がありませんね。  
 申し訳ありません。【微笑みの貴公子】さん」  
と、謝辞を述べながら、喜緑さんは質問状の半分ほどを脇へと追いやった。  
「って、多っ! 捏造よりもタチが悪いっ!」  
まさか一通だけじゃなかったとは!? っていうか、どれだけ暇なんだよ、古泉のやつは。  
最近、閉鎖空間が出ないもんだから、平和ボケのあまりにこんな間抜けなことをしてるのか?  
「ではあらためて最初の質問です。ペンネーム【いつもあなたの後ろに】さん」  
はて、誰なんだ、こいつは?  
と、一瞬いぶかしむ俺だったが、質問内容を聞けばそれは一目瞭然だった。  
「あなたは男性同士の交際に興味はありますか? だそうです」  
「それ! 【微笑みの貴公子】と同一人物でしょうっ!」  
なんなんだ、コイツは!  
妙に芸の細かいフェイントをかますんじゃねぇよっ!  
「そうなんですか? まったく気付きませんでした」  
白々しい嘘をついたって無駄だ。ロクなアリバイ工作もしていない犯行は、ただただ真相を暴かれるのを待つのみなんだからな。  
「嘘でしょう! この質問を回収してるのは喜緑さんなんですから!」  
「あら、鋭い」  
ピッ  
パパパ、パパパ、パパパパパパパパァーン  
「的確な合いの手で獲得した経験値の積み重ねで、とうとうレベルがあがりましたよ。おめでとうございます」  
「その効果音、使ってみたかっただけでしょう…」  
 
 
あらためて【いつもあなたの後ろに】の質問も除外してみたら、残りはたったの2枚だった。  
そりゃそうだよな。俺に個人的に関心をもってる人間なんてせいぜいこれぐらいの人数だろう。  
妥当な数字だとは思うんだが、赤穂浪士の人数よりも多い枚数が一気に消えてしまうのはやはりもの悲しい。  
くそ、古泉の野郎、ぬか喜びさせやがって…  
「これだけ大量の用紙をただ無駄にしてしまうのは勿体無いですね。よかったらSOS団で裏面をメモ用紙として活用してもらえませんか?」  
「嫌です。そんな不気味なものはさっさと焼却処分してください」  
冗談じゃない。  
部室で腐女子フィルターのかかった文面が記されている紙の裏に嬉々として不穏な計画を書きなぐっているハルヒや、ことあるごとにその紙をピラピラと振りながら嫌なスマイルを見せる古泉の姿が脳裏に浮かび、俺はげんなりとした。  
「大丈夫ですか? 心がすさんでしまうのはなにかと良くないですよ。水でも飲んで、落ち着いてください」  
と言って喜緑さんが差し出すコップを素直に受け取る俺。  
脇にある水筒から注いだものみたいだが、そこに入ってるのって水だったんですか?  
「いえ、冷たい烏龍茶です」  
じゃあ、そう言えばいいのに。変わった物言いをするお方だな…  
烏龍茶は水出し式の紙パックのものなのか、朝比奈さんの名人芸によるお茶を飲みなれている俺にとっては若干物足りない味だった。50点といったところか。  
さして記憶に残らずにさりげなくその場に溶け込むのを得意とする喜緑さんらしい味だな。  
「ついでですから、ちょっと音楽でも聴いて、リラックスしましょうか」  
立て続けに細かい気配りを発揮する上級生の姿に、流石の俺も毒気が抜かれちまった。  
たしかにつまらないことに対して過剰に腹を立ててしまっていたのかもな…  
おそらくは喜緑さんの遠隔操作だろう、隣のブースの機械のあちこちに灯がともり、ある音楽を奏で始める。  
 
『ヘイ、ヘヘイ』『ヨウ、ヨウ』  
『ヘヘヘヘイ、ヘイ』『ヨウヨウヨヨウのヨウ』  
 
うわぁ、素人臭さ全開の、聴くに堪えない歌声だな……っていうか!  
「これ! 俺と古泉の下手っぴなラップもどきじゃないですか!?」  
そうだよ! こいつは文化祭後にハルヒの気まぐれに付き合わされて、泣く泣く歌うハメになっちまった俺と古泉の恥ずかしいデュエット!  
すっかり記憶から抹消しておいたってのに、なんだってこんなもんを持ち出してくんのかな、この人は!  
「そうだったんですか? どうりでどこかで聞き覚えのある仲むつまじげな歌声だと思いました」  
「冗談でもそんなこと言わんでください」  
くそ、確か録音はしてなかったと思うんだが、なんだってこんなものが残ってんだ。  
やっぱアレか? インターフェースパワーで再構成とかなんとかいうアレなのか?  
宇宙人におはようからおやすみまで暮らしを見つめられてるハルヒのそばにいると、俺までプライバシーが無いっていうのか?  
「どうですか? 心が和みましたか?」  
「和むわけないでしょう! さながら親戚のおばさんに俺本人も忘れていた屈辱の過去をバラされたような気分ですよ!」  
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいですのに。学生らしい素朴さに溢れていて、わたしは好きですよ」  
「感想とかはマジでいらないんで! さっさと次にいってください!」  
 
 
「ではご希望通り、次の質問を読みますね」  
おそらくは、ここからがれっきとした俺に対する質問ということになるんだろう。  
我知らず、俺は少しからだを固くし、緊張の面持ちをにじませながら喜緑さんの次の言葉を待つ。  
「廊下で食事をしている行儀の悪い生徒がいるのでなんとかしてください」  
おもいっきり緊張のし損に、思わず机をひっくり返したくなっちまった俺の気持ちは理解してもらえるだろうか。  
「それ、間違いなく俺宛じゃないでしょう!」  
そもそも、どう聞いても質問じゃねぇし。  
「あら、これは生徒会宛の要望書ですね。いつ紛れ込んでしまったんでしょう?」  
「わざとでしょう! わざとですよね!」  
古泉が生産した50枚の資源ゴミと、唯一の質問用紙の間に紛れ込む要望書ってどんなんだよ!  
今こそ、例の2つ目のICレコーダーのボタンを高橋名人のごとく連打すべき時だと思ったが、それは喜緑さんの左手の中にしっかりと握りこまれていた。  
残念だが、後手にまわってしまった感はいなめない。  
「そんなに怒らないでください。誰にだって失敗はあると思いません?  
 失敗を責めるより、おおらかな気持ちで受け止めてあげることが子供の成長にプラスになる場合もありますし」  
育児書から引っ張ってきたようなセリフで俺を丸め込もうとする喜緑さんだが、そうはいかん。  
「もうすぐ高校3年生になろうっていうあなたのどこが子供ですか!?」  
「ほら、わたしはこう見えても4歳ですから」  
「冗談なのか、そうでないのか判断しにくい!」  
「うふふ」  
イニシアチブを握っている者特有の余裕ある笑みを見せる喜緑さん。  
くそぅ…俺のさっきのつっこみを理解できるのが、俺自身以外には古泉ぐらいしかいなさそうなのが心底悔しいぜ…  
「ところであなたは廊下で物を食べるようなみっともない女の子はお嫌いですか?」  
「そうですね…やっぱ、物を食べるべきではない場所ってのはあるんじゃないですかね。俺もよく妹に注意してるし」  
「そうですよね」  
と言いつつ、なにやら含みのありそうな笑顔を喜緑さんは浮かべている。  
なんなんだ?  
 
 
「いよいよ最後の一枚になってしまいましたね」  
まさか52枚もの量が5分足らずで片付いてしまうなど、誰も予想がつかなかったことだろう。  
片付けた、と言うより、うっちゃってきた、と言う方が正しい気もするが…  
「ひとつとして、まともな質疑応答がなかったんですが…」  
「そうですね。今度こそ、ちゃんと答えてくださいね」  
「そんな、俺に責任があるような言い方されても困るんですが」  
これでも俺は可能な限り、誠意をもって対応してるんだ。  
それでもコーナーがまともに機能してないということは、コーナーそのものに問題があるんだ。  
断じて俺の責任ではない。  
「最後の質問です。ペンネーム【にょろにょろめがっさ】さんから。あら、前回に引き続き、今回もこの方から質問をいただいてますね」  
このペンネームは鶴屋さんか。前回は生徒会長を意地悪な質問でとことん苛め抜いたんだっけな…  
一体今回はなんなんだろう? なにも喜緑さん経由でなくとも、直接訊いてくれればいいのに。  
まあ、あの人もハルヒに似てイベント好きだからな、適当にこの放送に絡んでみたくなっただけかもしれん。  
「では、いきますよ。  
あなたは男性同士の交際に興味はありますか?」  
「【微笑みの貴公子】の偽名だ! それ!」  
芸が細かすぎるぞ、古泉! おまえは巧妙にオフサイドトラップを仕込む司令塔か!  
「よくわかりますね。もしかしてあなたは超能力者なんですか?」  
「それはむしろそいつの方ですから! けっきょく全部【微笑みの貴公子】からの質問じゃないですか!」  
「先程も言ったように、これもあなたへの想いが溢れた結果なんですよ」  
「そんな想いは人形と一緒に淡島神社で供養するよう、そいつに伝えてください!」  
 
 
「さて、残念ですがそろそろお時間となりました」  
いやいや、俺的には残念どころか、オリンピック誘致に燃える地方都市市長並に大歓迎ですがね。   
きっと次回以降のゲストも今の俺と同じ気持ちになるに違いない。  
そのうち、快くゲストを引き受けてくれるお人よしもいなくなるかもしれんな。  
俺が心配することでもないんだが、今からゲストなしでも支障のない放送形態を模索しておくべきなんじゃないかね…  
「喜緑さん、余計なお世話かもしれませんけど、もうちょっとゲストが気持ちよく答えられる質問を用意したほうがいいんじゃないですか?  
今回なんて、俺、一問も答えられませんでしたよ」  
「そうですね。じゃあ、こうしましょう」  
 
喜緑さんが次の瞬間、革新的ファランクスを思いついたときのエパメイノンダスのような表情とともに言い放った台詞に、俺は大物助っ人外国人選手ばりのフルスイングでつっこみを入れるハメになっちまった。  
 
「次回も引き続きあなたに出演していただいて、あらためて質問させてもらうということで」  
「俺は金輪際出ません!」  
カシャッ!  
突然の場違いな音に何事かと思えば、一体どういうつもりなのか喜緑さんが俺に向けて携帯のカメラのシャッターをきる音だった。  
なにをやってんですか?  
「番組の最後にシャッター音が入ると、なんとなくオチって気分になるじゃないですか」  
一昔前のドラマのラストカットかよ!  
 
 
「ご協力いただきまして本当にありがとうございました。おかげで今回の放送も滞りなく終えることができました」  
滞り……なかったか?  
「もう、本当にこれっきりですからね」  
さてと、とっとと教室に戻って弁当を食っちまわないとな。谷口あたりがさっきの放送のことでうるさそうだが、気にせんようにしとこう。  
「あ、ちょっと待ってください。これは今回のお礼ですから、ぜひ受け取ってください」  
その言葉と共に俺へと差し出されたのは2枚の紙片。  
それぞれ【カツカレー 399円】【大盛り 50円】と印字されている。  
これはうちの食堂のカツカレーの食券と、それを大盛りにするための大盛り券じゃないか。  
「いや、ありがたいんですが、俺は弁当を持ってきてるんで」  
そう、俺には自宅から持ってきた弁当がある。  
もしもこいつを食わずに持って帰るようなことがあれば、母親の不興をかって平穏な家族関係に暗い影をおとす結果になってしまうだろう。  
「あ、お弁当なら、もうありませんよ。  
 3分ほど前に長門さんが完食したのを確認しましたから」  
「なんで長門が俺の弁当食ってんですか!?」  
「実は長門さん、今回あなたをゲストにお招きすることにいたく難色をしめしまして。  
 それで、放送中あなたのお弁当を食べてもいいと提案しまして、ようやく納得してもらったんですよ」  
勝手に俺の弁当を宇宙人間政治交渉の取引カードにせんでください!  
 
 
その後、いたしかたなく食券を拝領した俺は食堂へと直行した。  
そこではなぜかハルヒと長門が相席でカツカレー大盛りを食っていた。  
妙に機嫌の悪い二人に無言で中間の席を指さされた俺は、まるでアルカトラズ連邦刑務所に冤罪で囚われたような気分で大盛りカレーを咀嚼しなければならなかった。  
フランク・モリスでもなければ脱出できそうもないシチュエーションで、生きた心地がしないとはまさにこの事だ。  
えっと、喜緑さん……これってどこまでが計算?  
 

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