『涼宮ハルヒの陵辱 第一章』  
 
 少なくともあと二年ほど経てば思い出の母校となる学舎はごく普通の公立 
高校らしい何の変哲もない鉄筋コンクリートの無骨な建物だったが、爽やか 
な青空が広がっているというのに長い坂の途中からふと見上げたその姿が今 
日に限ってなんとなく重苦しく近寄り難い雰囲気をまとっていたような気が 
する。 
 校門をくぐって昇降口まで来ると、校舎内に漂う澱んだ空気がはっきりと 
感じられた。こんな天気のいい朝の空気はもっとハツラツとしていて気持ち 
いい筈なのになんなんだこの粘つくような雰囲気は。 
 今まで感じたこともない変なプレッシャーに首を傾げながら上履きになっ 
て廊下に上がると、長門がまるで幽鬼のように下駄箱前の壁際に佇んでいた。 
「うお、長門。お、おはよう……あれ?」 
 俺は違和感に気付いた。 
 長門は眼鏡をかけていた。この校舎のように野暮ったいあの眼鏡。久しぶ 
りに見た。 
「……原点回帰か?」 
 長門はゆっくりと顎を上げ俺の顔を見た。 
「おはよう。あなたを待っていた。そしてそれは違う」 
 ここにも朝を感じさせない声があった。幽鬼と話した方がまだ潤いを感じ 
るかもしれない。 
「待っていた?」 
「ええ」 
 てっきりトウゴウなんたらとかいう存在と交信中だとばかり思った。その 
方が納得できる佇まいだったし。俺を待っていただと? 
 長門からのアプローチ。そこはかとなく不吉な予感がした。 
 予感はすぐに実感に変わった。 
 
「ハルヒの情報変動操作が限りなく百パーセントに近い確率で行われたと推 
測される事態が発生した」 
「……」 
 俺は一瞬黙り込んだ。 
「……つーことは、なんだ。ハルヒはお前が眼鏡を掛けろと願ったわけか?」 
「そうかもしれない。でも、問題はそこじゃない」 
「問題……?」 
 暗澹な気分になる俺。また問題が起きたわけだ。ハルヒによって。あああ、 
また朝っぱらからアンニュイにさせやがってあのやろう。 
「涼宮ハルヒはこの学校に限定して世界を修正した可能性がある。この眼鏡 
と校内にまとわりついている昨日までとは違う空気がその証明と言える」 
 あー。俺は周囲を見渡した。見た目は何も変わりはない。だが、目に見え 
るぐらいベタベタして変に粘っこく重たいこの感じはまたまたあいつのせい 
だったわけか。気付いた瞬間から何となく繋げていたけど。 
 俺は溜め息をついた。 
「で、今度はどんな風に変えたんだ?」 
「それは本人に直接聞いてみないと分からない。私より前に登校してるよう 
だけどまだ接触を果たせていない。状況はあまり芳しいとは言えない」 
「あいつがしでかした事で良い方向に転がったものがあるか?」 
「ない」 
 まったく間隙のない即答。長門と会話が成立するだけでなく考えが一致す 
るなんて滅多にないことだ。一生分の中の貴重な一回を使ったような気がし 
て俺は近年稀に見る大いなる共鳴をおぼえ胸がスッとした。 
 
「でも、今回のは重度としてはかなり上の方。世界再構築ほどのエマージェ 
ンシーレベルではないけど」 
 重度ね……。あいつの巻き起こす騒動は、重いにしろ軽いにしろ被る疲労 
度は常にオーバーヘッドなんだよな。 
「そんな目安をつけてるってことは、ある程度はもう判断できてるのか?」 
「ええ」 
 長門は頷いた。 
「私の異変が起こったのは現時刻からおよそ四十六分前。突然、私は眼鏡が 
掛けたくなって情報構成した。その次の瞬間から私の情報操作能力が消失し 
た。情報統合思念体とも交信不可能となった。あらゆる機能が完全消失し、 
現在の私はただの人間と何一つ変わらない単なる有機体となっている。だか 
らこれは推論に過ぎないのだが私が眼鏡を掛けた事変と学校が変容した事象 
の間には涼宮ハルヒが情報を操作した際に結び付けた論理的結合があるはず」 
 俺はしばしポカンとなった。 
 ……と、いうことは…… 
「……要するに、お前はどこにでもいるただの眼鏡少女になったわけ?」 
「そう」 
 無機質な性格は健在らしい。どこにでもいるというのは当てはまらなそう 
だった。 
「そりゃ……また……どういうことなんだろうな?」 
「現状ではまだ情報が少なすぎて推論不可能。情報収集もすぐには出来ない。 
全機能が消失し情報統合思念体とも交信不能になった結果、今の私はフリー 
ズしたコンピュータと実質変わらない」  
 要するに役立たずになったと言いたいわけか。しかしそのおそろしいまで 
に論理的な思考回路がそのままなだけでも充分頼りになると思うけどな。 
「それじゃあどうやって重度の目安を決められたんだ?」 
 
 長門は返答せずに口を閉ざした。 
「……?」 
 怪訝な顔をする俺の後ろを登校してきた二人組の男子生徒が通り過ぎた。 
「うお、可愛い眼鏡っ娘発見!」 
「しかもショートヘアの無表情キャラだぜ。かなりポイント高いな……」 
 ヒソヒソ声だったが俺の耳に確実に届いた。 
 首だけ曲げて見るとそいつらは歩み去りながら長門を眺めていた。男の俺 
から見ても気味が悪いぐらいニヤついた表情で舐め回すように。 
 おいおい、こう言っちゃあ失礼だがこいつのどこにそんな目の色を変える 
ぐらいの色香が漂ってるっていうんだ? だいぶ溜まってんのか? 
 長門はどことなく冷気を覚えるすがめた目で俺を見た。 
「聞こえたか? 随分と無礼な奴らだったな」 
 俺は自分を棚の上に置いて言った。 
「聞こえた。普段ならセクシャルハラスメントと告訴しても妥当な言動。だ 
が今の学校内ではおしなべてあんな言動が横行しつつある。あの程度の卑俗 
な言葉と卑猥な視線だけでは相対的にそれほど無礼には感じないほどにまで 
ランクが下がる。私も気にしない」 
「……なんだって?」 
 さすがに俺もマジな表情になってきた。 
「涼宮ハルヒを探して校内を歩き回ってみた。すると、色んな所で色んな無 
礼行為が行われてたのを目撃した。今の卑俗な言葉と卑猥な視線よりも遙か 
に重度が高い」 
 
 色んな所で色んな無礼行為……重度が高い…… 
「た、例えば?」 
「例。一つ上げると、ほとんどのトイレで単数あるいは複数の男子生徒によ 
る女子生徒への大便小便の排泄を主軸にした羞恥プレイが──」 
「わー! ストップストップ!」 
 思わず長門の口に両手で蓋をしていた。長門は黙り、ひたすらじーっとこ 
ちらを見つめている。 
 幸い、下駄箱を通って教室に向かう奴らには長門の声は目立たなすぎて聞 
こえなかったようだ。 
 俺はホッと胸を撫で下ろした。 
「あー、そのな。もっとこっちに来てこっそりと話そう」 
 俺は直立している長門の両腕を抱えるようにして廊下の隅っこにずらした。 
大人しく従う長門。マネキンを動かしてる気分だ。 
 ここなら普通に喋ってもまず聞こえない。コホンと一つ咳払いをする。情 
報収集は重要だ。物事を理解し解決するための基幹であると言っていいだろ 
う。だから俺はもっと聞き出さねばならない。それがたとえ俺の精神を根底 
から揺さぶるものであっても……! 
「もうちょっと詳しく教えてくれないか。その目撃した無礼行為ってのを」 
 表情一つ変えずにコクンと首を縦に振る長門。 
 そしてよどみなく喋った。 
 
「トイレの様子は先ほど言った通り。屋上はドアが何故か開錠していて、早 
朝から青姦があちこちで行われていた。屋内でも状況は同様。生徒会室では 
生徒会長の女子が会計の男子に生徒会運営費の着服横領の弱みを握られて体 
を要求され泣く泣く捧げていた。美術室では美術教師の女性が彼女の不注意 
で利き腕を怪我させて筆を握れなくなった男子部員に償いとして自分の体を 
キャンバスに男子部員のペニスを筆にザーメンを白い絵の具と見立てなぜか 
彼女が筆を握っていた。音楽室では吹奏楽部顧問の男性教諭が目を付けてい 
たフルート担当女子生徒に早朝強化練習と称してコレで吹く練習をすれば上 
達が早いとペニスをフェラチオさせていた。コンピュータ研究部ではUSB 
バスパワーを利用したバイブレーターで猫耳メイドに扮した女子生徒が責め 
られていた。日本伝統文化部の茶室では着物姿の女性教諭や女子部員があれ 
無体なと叫びながら帯を解かれて回転していた。野球部やテニス部の部室で 
は女子マネージャーがバットやラケットのグリップ部分を女性器に入れられ 
て悶えていた。用務員室では用務員の中年男性が女子生徒を連れ込んで犯し 
ていた。保健室では女性の保険医が童顔の男子生徒をベッドで玩具にして弄 
んでいた。一部抜粋でざっとこんなところ。これら無礼行為には一定の特徴 
がある。全て人目につかない裏側で行われている。表側つまり教室や廊下や 
職員室など人が多くいる場所では一切このような行為は発生していない。そ 
のため表面上は普段通りの学校生活が営まれている。だが歪な部分がないわ 
けでもない。多数の生徒や教師が姿を見せないのに誰もそれを気にしていな 
い。多数の部屋で同時に無礼行為が働いているというのに発覚してパニック 
が広がるといった現象が一箇所たりとも起こっていない。無礼行為の発生源 
に無意識的に人が近付かなくなるという法則が成り立っている可能性も考え 
られる。でなければ不自然なほどに異常な状況」 
 
「……」 
 俺はしばらく言葉が出なかった。 
 長門が語った目撃報告は到底信じられるものではなかった。夢の話をされ 
ているようだった。夢にしても厭すぎるが。谷口だってここまで夢想しない 
だろう。女である長門の口から紡ぎ出されたところが輪を掛けて救えない。 
「残念ながら本当の話」 
「……一体、この学校で何が起きてるんだ?」 
「セックス」 
 いやそれは充分わかったから。そうじゃないだろ。 
「通常発生はあり得ないと容易に推測されるほどの異常事態。涼宮ハルヒが 
そういう世界になるよう情報を操作した可能性が群を抜いて高い」 
 俺は頷いた。つうかそれ以外にあり得ないだろ。 
「なんてこった。あいつは何を考えてやがるんだ!? 性欲に満ち溢れた高校 
男児でもケツまくって逃げ出すような太刀打ちできないヘンタイ・ワールド 
だぞそりゃ。女のあいつが作ったっていうのか!?」 
「涼宮ハルヒ以外にここまで構築できる能力者が地球上に存在しない」 
 信じられなかった。まったくもって信じられなかった。ハルヒは性別を超 
えてぶっとんだ奴だがそれでも女だと思っていた。しかもまだ高校生だ。女 
子高生が普通そんな世界を作るか? あるとしたら変態か異常な奴しか思い 
つかない発想だろう。ただ宇宙陰謀説とか超能力大戦とかを切望する変態と 
強姦や暴行を願望する変態では意味合いが異なるという上で涼宮ハルヒは変 
態ではない。異常というのは諸手を挙げて賛同できるが。非日常を望むあま 
りついに気が狂って異常な暗黒面が発動したのか。変なものでも食って人格 
が変貌したのか。何にしろ涼宮ハルヒ烈伝が作られたとしたらこの項目だけ 
たとえ一文のみで済ませても即発禁処分決定になるようなダークヒストリカ 
を作ってることは間違いなかった。 
 
 問題なんてどころじゃない。大問題だ。重度フルスロットルだ。下手をす 
れば学校が崩壊しかねない緊急事態じゃないか。まあこの際学校なんてどう 
でもいいんだが、それ以上に女子にとって超問題だと言えよう。繁華街をう 
ろついたら悪い男に捕まるレベルどころじゃない事がこれからも起きそうな 
気がする。まるで涼宮ハルヒという暴虐王によって酒の池と肉の林で出来た 
庭園に投げ込まれた哀れな子羊の群れだ。 
 俺はハッとした。 
「長門、お前は何もされてないか?」 
「ええ」 
 俺を見つめながらゆっくりと頷く長門。確かに着衣に乱れはなかった。 
「能力は使用不能になったけど人目につく所を選んで停留し移動するように 
している」 
「そうか……」 
 少しホッとする。しかしまだ安心できなかった。 
 朝比奈さん。いたいけな彼女の姿が瞬時に脳裏に描かれた。 
 何も言わないうちに長門は俺の心を察したようだった。 
「朝比奈みくるは登校してる。でも今のところ見かけていない。私が観察 
できた限りの無礼行為現場には居なかったが教室や部室にも姿は無かった。 
私が見落とした場所に連れ込まれてる可能性がある」 
 俺の返事はなかった。 
 長門の台詞が終わった頃にはもうすでに一階の廊下の半分を走っていたか 
らだ。歩いてる奴にぶつかるのも構わず廊下を猛ダッシュで駆け抜ける。 
 後ろから長門の声が追いかけてきたような気がしたが立ち止まって確認し 
てる暇はなかった。 
 ハルヒ、今度こそ洒落では済まないぞ。絶対に済まない。 
 
                              (続く) 

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