どの世界にもマニアという人種がいるのは言うまでもない。  
 たとえばイシュワルドで例をあげれば、クリック魔導工房がそうだろう。この工房の店主は弱冠15歳にしてあのレミュオールにいる魔女に認められた才能の持ち主である。そんな将来楽しみな少年が、社会のため、自分のために日夜研究に励んでいる。  
 だが少年にとって順風満帆とうわけでない。その15歳という若さゆえに大人に相手にされないことはもちろん、悲しいことに店の信用もそれが邪魔してさしたる上昇が見られない。自分の幼さに何度も煮え湯を飲んだこともある。  
 しかし少年は不幸のどんぞこというわけでもなかった。スポンサーもついて研究費用もどうにかなるだろうし、遠い昔に生き別れた兄とも再開できた。  
 そして同い年の大切な人ができたことが何よりの幸せなのだろう。  
 
 研究が一段落したときにはすでに朝日が昇っていた。クリックは昇る朝日を見ながら、深いため息をついた。  
「あぁ〜、またやってしもたわ・・・」  
 没頭すれば周りが見えなくなる性格は知っている。せめて一日4時間は眠ろうという目標も、いつしか心構えだけになってしまっていた。  
 完成間近のランスの一部と書き記したメモを机に置くと、急に空腹感が彼を襲った。だが冷蔵庫すらないこの工房にはキッチンもなく、加えて外食をするにもまだどこの店も開いていない。  
「とりあえずねよかな」  
 開店まではあと数時間はある。ここで少し眠れば多少は疲れもとれるだろう。そう思いソファー(ベッドは簡易物置となっている)に行こうとしたとき、それは起こった。  
 ドンドンドンドン。  
 乱暴、には少し届かない強めのノック。朝一にしてはさすがに早すぎる客だ。  
 
「すんません、まだ開店やないんですよ〜」  
『クリックくん、ヤヨイッス!』  
 途端にクリックの疲れが吹き飛んだ。大切な人がドア一枚を挟んで向こうにいる。急いでドアを開けた。  
「ヤヨイちゃん! おはよ!」  
「おはようッス!」  
 元気なのか初々しいのか。恋人の間に流れるような空気はない。  
「ささ、入って入って。いつもどうり散らかってるけど〜」  
「ありがとうッス! 今日は野菜を持ってきたッス。あと朝ごはんもッス」  
「おぉ〜、ありがとな〜」  
 今まさに寝ようとしていたソファーの書類一式をばさばさと取り除いて二人分のスペースを空ける。  
「また徹夜で研究ッスか? 体に悪いッス」  
「そんなこと言わんといてーな。もうちょいでオリジナルのランスが完成しそうなんや。そうそう昨日なんて――」  
 クリックは研究の内容や成果をうれしそうに語り始める。偏見かもしれないが、何かに熱意を費やしすぎる人はお構いなしに熱意を周りに撒き散らす姿が多々見られる。クリックもその1人のようだ。  
 けれど錬金術のことに関してはまったく知識のないヤヨイは、困った顔1つせずそんなクリックの姿をうれしそうに眺めては相槌を返す。  
 
 ――クリック君、相変わらずッスね……  
 まあ内心ではこんなものだろう。元来インドア派のクリックはヤヨイと過ごすのは9割がクリック魔導工房内で、ごくまれにふらふら散歩する程度のものである。さらに、室内では今のようにクリックとの会話がほとんどで、たまにイゴやショーギをたしなむぐらいである。  
 ヤヨイは不満ではないが、決して満足ということもなかった。たしかに自分含め相手も(というか知り合いほとんど)奥手ではあるが、付き合い始めてそれなりに経過した。何か進展でも――と思うのも、欲求ではない。  
『あの子もまだまだガキんちょだしねぇ』  
 というのはティコの言葉。世間話ついでに相談したときの第一声であった。  
『ならヤヨイちゃん、こう言ってあげればいいわ。大人への第一歩て感じかしらね』  
「……クリックくん」  
「ん、なに?」  
「えーと……あのッスね……」  
「なんやなんや?」  
「えと、えと……んー」  
 
「抱いてほしいッス!!!」  
 
「!?!?!?」  
「あっ……」  
『なるべく恥じらいながら、小さめの声で言うのがポイントよ』  
 ――思いっきり間違えたッス……  
 
 ヤヨイの選手宣誓のような発言から、しばし沈黙が室内を占拠していた。  
 二人の表情はというと、クリックは何が何やら、ヤヨイは恥じらいなのではなく単にアドバイスを間違えたことによる恥ずかしさから顔を赤らめていた。  
 一方クリックは・・・というと、兎にも角にも、鳩が豆鉄砲を食らったような、とにかく驚愕の表情を浮かべていた。  
(ま、まさか、ヤヨイちゃんからそんな言葉が出るなんて・・・)  
 イシュワルドでも知る人は少ないが、クリックはそっち系の方面にはずいぶんと精通していた。そういった類の本が落ちている河原のポイントを熟知し、  
お子様禁止の店に臆することなく入ることもできるし、表紙を見ただけである程度の内容の予想すらできる(ジャケ買いで痛い目見ることが少ない)。  
 そんなクリックである、ヤヨイの言葉はもちろん理解できていた。据え膳食わぬば男の恥とはよく言うが、ここで食うはいかほどか。欲はあるが理性もあるし自制もある。  
 きっと、ヤヨイは言葉の意味を理解していない。と、クリックは予想する。  
「ヤヨイちゃん……何をするか知ってるんかいな?」  
「さ、さぁ……詳しくは知らないッス。でも『言えば向こうがなんとかしてくれる』て聞いたから……」  
(あの男か)  
 クリックの脳裏にどこぞの便利屋の店主が浮かぶ。嗚呼哀れ冤罪の男。  
 
「あー、ヤヨイちゃん、あと何年かしたらしよな、うん」  
「ど、なぜッスか!?」  
「あー、アレ、児ッポ法。18歳の子の妹が18歳という複雑な設定のヤツ」  
「よくわからないッス……」  
 ヤヨイは見るからにしょんぼりと肩を落とした。意味はわからないが、少なくとも拒まれている。それがショックなようだ。  
 そんなヤヨイに心が痛むのがクリック。さてどうしてものか。  
「んー、ならヤヨイちゃん、目ぇつぶって」  
「え、どうしてッスか?」  
「いいからいいから」  
 言われるままに目を閉じると、クリックはさっとヤヨイの後ろに回り、乗りかかるように後ろから手を回した。  
「!?!?!? くくっくクククッククリックくん!?」  
「今はこんぐらいしかでけへんけど、大人になったらちゃんとしよな〜」  
 なにがなにやら、ぐるぐると混乱するヤヨイを前に、クリックはしばらくきゅーと抱きしめたあと離れた。  
「んー、終わり。朝ごはん食べようやー」  
「……………」  
「ヤヨイちゃん?」  
「ふしゅー」  
 不安定な物が1度立ち、それがばたりと倒れるのと同じようにヤヨイは床に倒れた。  
「ヤ、ヤヨイちゃん!?」  
(まぁ、ムリもないかなぁ〜)  
 内心呆れつつも、クリックは非力な腕に鞭打ってヤヨイをソファー運ぶのだった。  
 

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