「ルナちゃん、お風呂入っていく?」
蛍舞う、夏の夜。
そう、エミさんが切り出したのは、振る舞ったスイカが全て無くなった頃だった。
「お風呂?」
指についたスイカの汁をぺろぺろと舐めながら、ルナと呼ばれた少女は首を傾げながら聞き返す。
その姿は、今日初めてここを訪れたとは思えないほど、この場に馴染んだものだった。
首領と言うだけあって、他の悪の組織の本拠地でも堂々としたもの――と言う訳ではなく、ただ単に居心地が良いだけかもしれない。
「お風呂か……うーむ」
だが、いくら居心地が良いとはいえ、そこまで世話になるのは気が引けるのだろう。
彼女は腕を組んだまま、壁に掛かっている時計に視線を移す。
首領としての体裁を気にしているのか、それとも時間が遅くなるのを気にしているのか、もしくはその両方なのか。
「ルナさま、そろそろ……」
「分かってる」
横目でセバスチャンを見つつ、少女は名残惜しそうに呟く。
首領、かつ夜の眷属とはいえ、まだ小学……じゃなかった、中学二年の女の子。
心配する者の数は多いだろうし、本人もそれは自覚しているようだ。
「他の者に黙って出てきたから、そろそろ帰らないといけない。すまないが今日はこれで……」
彼女がここに来た目的はジローをスカウトするという事だった。
結局、その目的は達成できなかったものの、アイテムを開発して貰うという約束は取り付けていた。
元々、アイテムを開発させるためにジローのスカウトに来たのだから、それはそれで目的は達成できている。
つまり、もう彼女がここにいる理由は――
「あらそう? 残念ねぇ、うちのお風呂場は凄いのに」
「……凄い?」
エミさんが何気なく呟いた言葉に、立ち上がろうとしていた彼女がぴくりと反応する。
「掛け流しの天然温泉で湯量も豊富。美肌効果抜群で、しかも豊胸効果まであるのに」
「なぬ!」「っ!」
「……母上、最後のは無いかと……」
「えー、うちの女連中、全員胸大きいからきっとあるわよ」
「いや、あの温泉出たのつい最近なんですが……」
「そうだっけ?」
アヤ姉さんの冷静なツッコミを、エミさんは舌を出しながら軽く受け流す。
そうか……ないのか……
さすがにそんな話を信じる訳はないけど……って、みんな私から目を逸らしているのはなんでだ、この野郎。
「と、とにかく、そんなうちの自慢の温泉に入っていかない? ドラキュリアには私から連絡しておくから」
「うちの組織を知っているのか?」
「知っているも何も……そこの元首領とは、昔よく一緒に無茶したものよ」
「母さまと!?」
驚きの混じった声を返す少女に、エミさんはニヤリと口元を歪ませる。
「ああ、やっぱりあの子の娘なのね。どことなく面影あるったからそうじゃないかと思ってたんだけど」
お互いそういう歳なのねぇ、と小さく呟きながら、エミさんは携帯電話を手に取る。
「で、どうする? 入っていくなら連絡するけど?」
「んー……」
少女はチラリとセバスチャンの様子を伺うが、そのセバスチャンは無言のままパタパタと浮いているだけ。
それを了承と判断したのか、彼女はぽりぽりと頬を掻きながら言葉を返す。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな……」
「了解、ドラキュリアには私から連絡しとくわ。そんなわけでキョーコちゃん、ルナちゃんを案内してね」
「私ですか!?」
今まで蚊帳の外の会話だと思って聞いていた私だが、まさかここで振られるとは思っておらず、慌てて聞き返す。
「私達は色々と片付けがあるから、この中で手が空いてるのはキョーコちゃんだけなのよ」
「エーコお姉ちゃんもですか?」
「ええ、勿論……さあ働け、ニート」
そう言うと、エミさんはこっそり逃げようとしていたエーコお姉ちゃんの襟首をがっちりと掴む。
「ニートじゃないもん! 自分探しの最中だもん!」
「自分より先に職を探しなさい、職を」
「無いからしょうがないもん! 全部不況が悪いんだもん!」
「いや、絶対お前も悪いから」
エミさんはエーコお姉ちゃんの戯れ言を華麗に聞き流しながら、台所の奥へと引きずっていく。
そんな二人の姿を呆れたように見つめていたアヤ姉さんは、やれやれといった感じで私たちの方へ振り返る。
「そんなわけでキョーコさん、頼めるだろうか?」
「え、ええ、いいですけど……」
歯切れ悪く呟きながら、私はちょっと胡散臭げな目で彼女の方を伺う。
彼女――枕崎ルナはそんな私の視線を身構える様に受け止める。
まあ、先ほどのやりとりからすると、当然の反応だろう。
「それじゃあ、二人で先に風呂場に向かってくれ。タオルは後で持って行くから」
アヤ姉さんはそんな私たちを苦笑で見つめながら、奥に消えた二人を追って台所へと向かう。
後に残されたのは、私と、ルナと、何故か無駄に意気投合しているジローとポチとセバスチャン。
「……」
「……」
「……」
「……な、なんだ、その目は」
「いや、別に……お風呂場はこっちよ」
無言のまま歩き出す私に、無言のまま付いてくるルナ。
悪い子じゃないのは、分かっている、分かってはいるんだけど……分かっていても、納得出来ない事はある訳で。
なんせ、誰にも舐められた事のない場所を遠慮無く舐め回された上に、いい様に身体を弄ばれたのだから。
それに……操られたとはいえジローにも抱きついて、うっかり押し倒しちゃったり……
「……」
……結構いい身体してたな、あいつ……やっぱり、男の子なんだな……
「――っ!」
って、何を考えてるんだ、私は!
うわ、さっきの事思い出したら、なんか恥ずかしくなってきた!
「ん? どうしたキョーコ、顔が赤いぞ?」
「な、何でもない!」
あんたのせいよ! とは言えず、心配そうに聞いてくるジローから顔を背けながら、私は早足で部屋を出て行く。
あーもう! いつもは鈍いくせに、なんでこんな時は鋭いのよ、あんたは!
「お、おい、ちょっと早いぞ」
「う、うるさい! あんたのせいでもあるんだからね!」
「?」
困惑するルナを尻目に、私は急いで風呂場へと向かう。
な、なんでこんなにドキドキしてるんだ、私は!
こういう時は、お風呂に入って気分転換するに限るんだ、うん!
*****
「行った?」
「行ったみたいです」
台所の奥。
エミとアヤは扉の影から部屋の中を伺っていた。
「よし、これで第一段階はクリアね」
うんうんと頷きながら、エミは満足そうに腕を組む。
そんなエミを、アヤは首を傾げながら見つめていた。
「なんであの二人を一緒に行かせるように仕向けたんです?」
歳が近いとはいえ、先ほどのやり取りからするにあまり相性が良いとは思えない。
そんな二人を、忙しいと嘘をついてまで一緒に行動させようとしていた事に、アヤはイマイチ納得出来ていなかった。
「んー、まあ、将来を見越してね」
「将来?」
「そう、キョーコちゃんがお嫁さんに来てくれてからの話なんだけどね」
ちょっと気が早すぎかな、と頬を掻きながら、エミは続ける。
「ジローと結婚したら、キョーコちゃんは悪の首領の嫁になるでしょう? そうなると、他の組織と会う事も多くなるわけで……」
「……ああ、なるほど」
エミの言わんとしている事に気付き、アヤはポンと手を合わせる。
つまり、今の内からキョーコを他の組織の人間と関係を持たせる為に一芝居うったという事らしい。
「それに組織の規模はともかく、ヴァルキュリアの資金力は魅力的だからねー。できれば、良い関係になっておきたいなーって」
可愛い素振りでウインクするエミだが、その瞳の奥にルナの持ってきたお金が映っている事にアヤは見逃さなかった。
「ま、まあ、確かに人間関係は大事ですけど……でも、あの二人、大丈夫ですかね?」
「大丈夫って、何が?」
「相性が良いとは思えないのですが……」
二人っきりにさせて親密度が高まればいいのだが、逆にもっとこじれてしまう可能性もある。
むしろ、そっちの方の可能性が高いような気がする。
「んー、まあ、大丈夫でしょ」
だが、エミは手を振ってアヤの心配を否定する。
「今はちょっとギクシャクしてるけど、結構似たもの同士に感じるのよね、あの二人って」
「似たもの同士、ですか?」
「そう。ぶっきらぼうに見えて、実は優しい所とかね。お風呂で裸のお付き合いすれば、案外簡単に仲良くなるかもしれないわよ」
「ふむ……」
エミの言葉に、アヤは口元に手を当てて頷く。
何も考えてないように見えて、実はちゃんと考えている。
そんな母の性格を、アヤは十分すぎるほど分かっていた。
「母上がそう言うなら……それで、これから私たちはどうするんです?」
「まあ、しばらく二人っきりにさせた後、一緒にお風呂に入ればいいんじゃない? 昨日みたいに」
「……また既成事実を作ろうとするのは無しですからね」
「わ、分かってるわよ。そんな事する訳無いじゃない」
「そういいつつ、視線を逸らすのは何故です?」
「……あのー、盛り上がっているところ悪いんですけど」
そこでやっと、エミとアヤはもう一人この場にいた事を思い出す。
後ろを振り向くと、そこには大量の食器を前にしたエーコが半べそで洗い物をしている最中だった。
「お風呂には、私もご一緒してよろしいのでしょうか?」
「その洗い物終わったらね」
「無理! 絶対無理!」
「じゃあ、一緒にお風呂は無理ね」
「酷い!」
「自業自得でしょ」
無駄に迫力のある笑顔のまま語りかけるエミから視線を外し、エーコは隣に立っている姉に嘆願するような目で語りかける。
「アヤ姉ちゃん、助けて!」
「働かざる者食うべからず、という言葉があってな」
「酷い!」
「自業自得だ」
アヤにまでそう言われてしまったら、もう何も言い返せない。
「よし、じゃあ少し時間つぶしがてら、お菓子でも食べよっか? 水ようかんあったわよね」
「確か、先日買った残りがあったかと」
「私も−、私もー」
「「いいから働け、ニート」」
「うう、世間の風が冷たいとです、お父さん……」
阿久野家の夜は、まだこれから始まったばかり――かもしれない。