「つたたた……」  
 衝撃で混乱した頭は一瞬で正常に戻り、視界に白い天井が映る。  
 倒れこむ瞬間、空中で力任せに体を反転させ、なんとか俺ととみかの位置関係を逆転さ  
せることが出来た。  
 押し倒しこそしなかったものの、十分問題のある格好だ。結局、ベッドの上で女の子を  
抱きかかえているんだから。  
「ん……、んんぅ?」  
 そして、最悪のタイミングで目を覚ますとみか。いや、無理もないけど。  
「あ、うぇ、ぁぁ、慎太ちゃん……」  
「よ、よう」  
「えっと……、っっ!?? ししししし慎太ちゃん!?」  
 ポンと音が聞こえてきそうなほど、一瞬で顔を真っ赤にするとみか。自然な相槌を装っ  
てみたが、無駄だったようだ。  
「え、な、なんで!? あれ、わたしのベッド、……きゃっ!? 慎太ちゃん、下、ええ  
ええっ!?」  
「わかった、ちょっと落ち着いてくれ……」  
「え、う、うん……。って、無理だよぅ」  
 無理だよなあ。でも頼む、言い訳を考える時間をくれ……。  
 しかし、頭はとみかの身体の感触でいっぱいになってちっとも働かない。  
「あぅ……」  
 無理と言いつつも、困惑した顔を伏せて黙るとみか。  
 部屋に少し静寂が戻ると、ようやく頭の中も落ち着いてきた気がする。  
「し、慎太ちゃん……」  
「とみか、なんでこんなことになっているかって言うとだな、えーと」  
「そ、そうじゃなくて……やや、それもそうなんだけど、腕……」  
「腕?」  
 俺の両腕は、とみかを放り出さないように肩から背中に回され、そのままだった。  
「あ、そっか。悪い」  
「う、ううん……」  
「……」  
「……離さないの?」  
「……」  
 そうだよな。ここは、今気づいた! とばかりにサッと手を離すところなんだよな。  
 
 だけど、だめだ。とみかの体はものすごく柔らかくて、あたたかくて……。ずっと抱き  
しめていたい、なんて考えている自分がいる。  
「……ねぇ、慎太ちゃん」  
「ん?」  
「く、苦しくない?」  
「いや、とみか軽いし」  
「もう……」  
 すこしふてくされた顔を、すぐにふっと綻ばせると、  
「慎太ちゃん、あったかい……」  
「お、おいおい」  
 持ち上げていた頭をゆっくりと胸にうずめてきた。早くなっている心臓の鼓動に気づか  
れまいと緊張する俺をよそに、とみかはほぅ、とため息をついた。  
「懐かしいね」  
「懐かしいって、お前なぁ」  
 そりゃ確かに小さな頃はよく2人で遊んで、遊び疲れては2人一緒の布団で寝かされた  
りもしたけれども。俺たちもう高校生なんだぞ?  
 でもまあ、それもとみからしいか、と漏れ出そうになるため息をなんとか飲み込んだそ  
のとき、  
「っ、お、おい!?」  
 いつのまにか、とみかは遊んでいた両腕を俺の背中に回し、ぎゅっと、力を込めてきた。  
 これ以上近くならないと思っていた距離がさらに詰まる。  
「とみか……!」  
「ごめん、慎太ちゃん、ちょっとだけ」  
 とみかのくぐもった声が、肋骨に響く。  
「ちょっとだけ、こうさせて……」  
 すこし、腕の力が強くなる。密着した体の狭間が熱を帯びる。  
「慎太ちゃん。ドキドキ、してるね」  
 とみかの表情は見えない。けれど、声にはすこしからかうような空気を含んでいた。  
「……それは、お前もだろ」  
 だから、少し枯れた声で、そう言い返してやった。  
 とみかが胸に耳を当てて俺の鼓動を聞いているように、こっちにも伝わってくる。ちょ  
うどお腹の辺りに感じる、とみかのバカみたいに強くて速い心臓の音。  
 とみかは、ふふっと笑うだけで何も言わなかった。  
 
 今日何度目かの静寂。唸るストーブは、そろそろ止めたほうがいいんじゃないかと思う。  
 2人が密着して、どれだけ時間がたっているのか、よくわからない。頭の中はぼぅっと  
して、何も考えられない。  
 とみかの抱擁の意味。それはなんとなくわかる。  
 日ごろ向けられる好意には気づいていたけど、それはただ単なる幼なじみとしてのもの  
だと思っていた。  
 こんな積極的に「女の子」としての好意をぶつけてくるとみかを、俺は知らない。今日  
はもう、とみかに驚かされてばっかりだ。  
 そして俺は、その好意に答えそうになってしまっている。  
 あまりに突発的過ぎて、いまいち心の準備とか、踏まれるべき段階とかが無視されてい  
るような気がするけど、この張り詰めた空気に流されてしまいそうだ。  
 それに、もう体の方は限界だ。ただでさえあんなに反応していたのに、こんなに寄り添  
ってしまっては……、って、何か大事なことを忘れているような。  
 
 あ。  
 
「お、起きるね」  
 さすがに恥ずかしさに耐え切れなくなったのか、真っ赤な顔を起こそうとするとみか。  
 ちょっと待て。今動かれるとなにか非常にマズイ気が……。  
 
 ぴくり。  
「えっ……?」  
「……うあ」  
 そう、さっきまで俺は煩悩全開の興奮状態で。  
 とみかの体が密着して、とみかの匂いがすぐそこからして、とみかの顔がすぐそばにあ  
る今の状況で、それが治まっているはずなんてなかったんだ。  
「し、ししししし、慎太ちゃん……っ、これっ……」  
 それは、まだなおギンギンに硬直しており、押さえつけてくるとみかのお腹を押し返し  
ていた。  
 とみかはそのカタマリを確認するかのようにお腹をグリグリと、  
「って、う、動かすな!」  
 我慢も空しく、さらにぴくりぴくりと反応するペニスが、さらにとみかのお腹を叩く。  
「う、うわ、うわわわわわわっ」  
 
 ……もう言い逃れは出来ないな、こりゃ。  
「し、慎太ちゃん、ここここれ、なんで」  
「い、いや、違うぞ、これは」  
 違わない。なにも違わない。  
「違うの……?」  
 って、なんでお前がそこでちょっと残念そうな顔をするんだ。  
 2人して、どういう反応をしていいのかわからずオロオロする。  
 いや、俺としては早くとみかにどいてほしいんだが、なぜかとみかは離れない。  
「ね、ねぇ、慎太ちゃん」  
「な、なんだよ」  
「わたし、わたしを抱きしめたから、こうなったんだよね……?」  
 実はその前からこうなってたりするのだが、そこは伏せよう。  
「……そうだよ。いや、その、わりぃ」  
「そ、そっか……」  
 そこでまたちょっと嬉しそうな顔を返してくるとみか。ちょっと待て、さっきからリア  
クションの一つ一つが全然意味わからんぞ。  
 
「……わたしね」  
 とみかは、俺に乗っかったままさらに言葉を続ける。  
「慎太ちゃんには、部長がお似合いなのかなって、思ってたの」  
 そして、何の脈絡も無く、さらに意味不明なことを言い出した。  
「は、はい……?」  
「だ、だって、部長って、いつもはあんなだけど、すごく女の子らしいところあるし、慎  
太ちゃんも、部長と話してるときはすごく面白そうに笑ってて、ああいうのいいな、慎太  
ちゃんに合ってるな、って思ってて」  
「いや、それは……」  
 部長と話して笑ってるのは、とみかも冴木も一緒だろ。つーか俺、秋山の女の子らしい  
ところなんて1ミリも見たことないぞ。  
「それに、部長ってけっこう美人だし、……冴木さんは別格だけど、スタイルも整ってるし」  
 そ、そうかあ? 顔はあんまり意識したことないけど……、悪くないか。スタイルもま  
あ出るところは出てる……。  
 
 って、ちょっと待てよとみか。  
「だからね、嫉妬みたいで嫌なんだけど、……私じゃ、かなわないなぁって」  
 そんなことない。だって俺は。  
「身長も、たまに小学生に間違われるし、胸も、そ、育ってないし、顔だって……」  
 そんなことない。じゃあ、さっきお前の寝顔にあんなに惹かれていた俺はなんなんだよ?  
「だから、だからね……あっ」  
 そんなことない。そんなことないって。  
 俺は、離れかけていたとみかの体を再び抱き寄せた。  
 ちっさくて、あたたかいぬくもりが、胸の中によみがえる。  
 股間の膨らみはまだ全然治まっていなかったけど、むしろそれを押し付けるように力を  
込める。  
「あ……。だ、だからね! 慎太ちゃん、こんな私じゃ、ちっとも魅力感じてくれないん  
じゃないかって! こんな私じゃ、好きに……」  
 
 ……ああ、そうか。とみかは、やっぱり変わってない。  
 いつも朗らかで、でも、肝心な時にすぐに弱気になっちゃって。  
 もうずっと、こいつは俺にとって「放っておけない女の子」だったんだ。  
 
 抱きしめる手に、ぐっと力を込める。  
「あのさ、とみか。正直に言うとさ、俺、今すごく興奮してる」  
「……うん、わかるよ、いやでも」  
 いやでも、か。  
「でもさ、すげー馬鹿だと思うだろうけどさ、男のコレって、わりと簡単に反応するんだ。  
例えば……、あー、もう秋山でもいいや、あいつとこういう状態になっても、たぶん、そ  
の、勃ってると思う」  
 とみかは何も言わない。  
「でもさ、その先まではいかない。いくら興奮したからって、好きじゃない女の子となん  
てしたいとは思わない」  
 胸板にかかっていた重みが離れる。とみかは、のそのそと前進して、顔を真上において  
言葉を待った。  
「俺、とみかのこと好きだ。好きだから、そういうことも……、……セックスもしたいっ  
て思ってる」  
 たぶん、ずっと前から心の奥にあった気持ち。素直に、言うことができた。  
 
 とみかは、一瞬表情を固めて、でもすぐ照れたように笑い出して、そして、両目からポ  
ロポロ涙を流し始めた。  
「本当……? 慎太ちゃん、私のこと好き……?」  
「ああ、本当に好きだよ」  
 涙が一滴、ほっぺたに当たる。  
「で、でもいいの? わたし、こんな小さい体で」  
「いや、それもういいから。……ほら、泣くなって」  
「え、えへへ、ごめんね……。ひぅ」  
 頬を伝う涙を、シャツの袖でちょんちょんと拭ってやる。  
 くすぐったそうに笑うとみかの唇は艶めかしく動いて……、だめだ、もう我慢の限界だ。  
「あっ……」  
 そのまま右手を襟足に回し、ぐいっと引き寄せる。  
 顔が近づくにつれ、お約束に従うようにまぶたを閉じるとみか。  
 その顔を……、ひっつく寸前でピタリと止めてやった。  
「え……?」  
 訝しげに目を開けるとみかの顔が、おあずけをくらった犬みたいですこし面白い。  
 キョトンとした顔の目と鼻の先で言ってやった。  
「俺、とみかからまだ何も言われてないんだけど」  
「え、えぇ? だ、だ、だって、言って」  
「言ってない」  
 きっぱりと否定する。  
「俺は言った。だから、ほら、言って」  
 眼前10センチで潤んだ瞳をきょろきょろさせるとみか。あーもう。  
「ほらほら」  
 ニヤニヤ笑いながら催促する俺に、とみかは、  
「も、もう!」  
「っ!?」  
 照れ隠しのように、勢いをつけて強引に口づけてきたのだった。  
 
「ん……、んぅ」  
「む、ん……」  
 閉じた唇を、ただ重ね合わせるだけのキス。  
 でも、とみかは目を閉じて、必死に顔を寄せてくる。  
 
 指で触れたときより、何倍も柔らかく、あたたかく感じられて、……めちゃくちゃ気持  
ちいい。  
 でも、なんかもっと……。  
「……ん、んん……あむ」  
「〜っ! ……んっ、…………あむ、んぅ」  
 ちょっと唇でついばむようにしてやると、意図が伝わったのか、同じことを返してきた。  
 柔らかな肉がぶつかりあうだけじゃなく、混ざり合う。すこし漏れた唾液で、互いの唇  
が湿る。  
「ん……んんっ、ぷはっ……!」  
 初めてのキスにしてはずいぶん長い時間(と思われる)をこなし、とみかは息継ぎする  
ように離れた。リボンのついたもみあげがふわりと揺れる。  
 とみかは胸に手を当てて、呼吸を整えている。……俺、とみかとキスしたんだよな。  
なんだか現実感に乏しい。  
「や、やだ、なんか、慎太ちゃん……」  
「な、なんだよ」  
「しつこい……」  
 ショックで頭を抱えそうになった。  
 俺にとってもファーストキスだったのに、まさかその感想が「しつこい」だなんて……。「わ、悪かったな! なんとなく、ああしたかったんだよ!」  
 とみかはなんて言い返したらいいかわからない、という風にモジモジしてみせた。  
 ……でもまあ、嫌そうではないから、よしとしよう。  
「あのさ、とみか」  
「な、なに、慎太ちゃん」  
「お前ずっと俺に乗っかったままなんだけど……、そろそろ起きないか?」  
「あ、ご、ごめんなさいっ!」  
 今度こそ、飛びのくように俺から離れるとみか。  
 そのままベッドにぺたりと座り込み、少し乱れたシャツの裾を直している。  
「悪いんだけどさ、とみか」  
「なに?」  
「俺、まだ満足してない……」  
「えっ、あ、しん、んんっ……」  
 シャツの裾を直すのは、もうちょっと後にしたほうがいい。  
 
「ん、んむ、ぅぅ……」  
 しつこい、と言われたからにはもう開き直るしかない。  
 押しつぶすように唇を引っ付けて、今度は少し吸い付くようにしてみる。  
「あっ、む、んんっ、やぁ……ん」  
 少し顔をしかめつつ、けれど唇は離そうとしないとみか。……やっぱ、俺のやり方って  
しつこいのかな。恋愛映画の真似事っぽくやってるつもりなんだけど。  
「んっ、……っ、はぁ、はぁ……」  
「……悪い、とみか。苦しかった?」  
「う、ううん。そ、そうじゃなくて……」  
 深呼吸で必死に酸素を取り込みながら言われても説得力がないんだが。  
「な、なんだかね。……気持ちよすぎて、唇、いっぱいいっぱいになっちゃって……」  
「いっぱいいっぱいって……。いや、わかるけどさ。俺も、なんか必死だったし」  
「うん、私も……。えへへ」  
 一緒だったことが嬉しいらしく、赤い顔を綻ばせるとみか。  
 その様子がまた可愛らしいので、三度目のキスをしたくなるのだが、それよりも。  
「とみか……」  
「うん? ……あ、そ、そうだね」  
 見つめただけで、言いたいことは伝わったらしい。つーか、さっき言ったもんな。  
「その……、エッチしたいんだよね? 慎太ちゃん」  
 ああ、エッチって言えばよかったのか。さっきセックスって言ったとき、どうも口慣れ  
なくて違和感が残ると思ったら。  
「したいよ。したいけど……とみかがいいって言わなきゃ、やらない」  
「い、いいよ」  
「早いなオイ!」  
 もう俺、こいつを昨日までと同じ目では絶対に見れない。  
「だ、だって、わたし、ずっと慎太ちゃんに求めて欲しかったんだもん! そ、それは、  
エッチとか、怖いけど……。求めてくれたんだから、応えたいもん……!」  
 唇をキュッと一文字に結んで、俺を見据えてくる。求めることを、求めてくる。  
 とみかは真剣だ。迷いなんて、微塵も感じられない。  
 じゃあ俺も、真剣に応えないと。  
「わかった、じゃあ、……しようか?」  
「う、うん」  
 微妙にぎこちないノリで、2人の夜は始まった。  
 
 

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