「なあ七瀬、この点数はさすがにまずいぞ?」  
「…すみません」  
「せめて30点ぐらい取っててくれれば、先生もオマケしてやれるんだが」  
「…ええ」  
「いくらなんでも6点じゃなあ」  
「…どうにもなりませんよねえ。なにしろひっくり返しても9点ですもんねえ」  
 
なんでひっくり返したんだ。意味が分からん。  
もしかしたら、この子は勉強ができるできない以前の問題なのかな。  
脳へ行ったブドウ糖とかを全部髪に吸われてるのかもしれない。  
 
だとすると、七瀬の成績を上げてやろうと思ったら  
とりあえず長期的にじっくり見ていってやらないといけないわけで、  
今すぐ追試や補習をしてもあんまり意味はないんだろう。  
だが他の赤点生徒の手前、何のペナルティもなく済ますわけにはいかないしなあ…どうしたもんか。  
 
ああもう、ものすごい怯えた目で俺を見てるんだもんな。  
どんな罰が来るか想像して、恐怖っていうか絶望っていうか、今にも死にそうな顔だよこれは。  
なんだか俺がいじめてるみたいじゃないか。違うぞ。これは教育だ。  
 
…ふうん、潦とのやりとりなんか見る限り、  
どっちかっていえば七瀬はいじめるのが好きな側の人間っぽいのに、  
こういういじめられ顔もなかなかどうして。  
いや、俺にそういう性癖があるわけじゃなくて、一般論でだよ?  
似合ってる、ってのはおかしいだろうけど、  
なんて言うのかな、いじめ甲斐がありそうな顔、って感じだ。  
 
…ああ、そうだ、シンデレラ。演劇部のシンデレラだよ。  
いじめられっ子役が似合うとなれば、シンデレラにぴったりじゃないか。  
七瀬ならあの小さい衣装でも合うだろうしな。  
なんだか弱みに付け込むようで悪いけど、  
ペナルティ代わりに七瀬にやってもらうことにしよう。よしそれがいい。  
 
「七瀬、今回だけは追試を免除してやってもいいぞ」  
「え!? 本当ですか!?」  
「うん。ただし代わりに一つ、頼まれて欲しいんだけど」  
「はい? え、ええ、いいですよ! 私にできることならぜひやらせてください!  
 追試がなくなるならなんでもやります!  
 幻のいちごロールを手に入れて来い、とかなら明日の4限目の授業を抜け出してでも並びます!」  
「いや、いちごロールはいい。ていうか明日の4限は俺の授業だろうがこの野郎。  
 そうじゃなくて、実は、俺が顧問をやってる演劇部のことなんだけどな……」  
 
「ヴァー!? ムリですムリです! 絶対ムリですってば!」  
 
「(…ヴァー?)  
 ムリじゃない。七瀬ならできる。ていうか七瀬にしかできない」  
「お芝居なんて、私ほんとにムリですよ!  
 それもよりによって主役って!  
 素人を使うにしても端役でしょう! 主役は演劇部の方がやるべきでしょう!」  
「だから、このシンデレラの衣装が小さくて、部員じゃ誰も着られないんだってば。  
 ほらこれ、見た感じ、たぶん中学生用の衣装だから、  
 入学以来のびてもないしふくらんでもない七瀬なら大丈夫だろ」  
「なんでのびてもふくらんでもないこと知ってんですかー!」  
 
「いやいやマジメな話、ほんとに頼むよ。  
 俺や演劇部は助かるし、七瀬も追試なくなるし、いいこと尽くめじゃないか」  
「…あううー……追試のことを言われると…。  
 確かに追試よりはお芝居のほうがマシだと思いますけど……」  
「だろ」  
「……うう、わかりました、やれるだけやってみます…」  
 
「そうか! いやあー、助かったよ。  
 じゃあ一応この衣装、ちゃんと合うかどうか、着てみてくれるか?」  
「はい…じゃあ、ちょっと行ってきます」  
 
「おいおい、どこ行く気だよ」  
「え? いや、ですから衣装に着替えるんですよね? 更衣室…」  
「何言ってんだ、役者が着替えるたびにいちいち楽屋引っ込んでちゃ芝居にならないだろう」  
「……はい?」  
「本番だって、ボロ服からこのドレスへ魔法で変身するシーンは  
 舞台上で煙幕焚いて、その間にやるんだ。ビビデバビデブーなんだ」  
「……ええ?」   
「どっちにしても演劇やる以上、人前で着替えるぐらいで動じてちゃダメだぞ?  
 舞台度胸つける目的も兼ねて、ひとつここで、俺の目の前で着替えてみろよ」  
「……ええええ!?」  
 
ウソは言ってない。早着替えは今回の演目においてどうしても必要なスキルだし、  
ムリヤリとはいえ主役を演ってもらうんだから、ある程度の舞台度胸も必要だ。  
その両者をいっぺんに体得させられるであろう人に見られながらの生着替えは  
非常に合理的な練習法だとは思わないかいワトソン君。  
とにかくやましい心はない。まったくない。  
 
あ、七瀬また泣きそうな顔してる。ウルウルしてうつむいてる。  
いかん。いじめるいじめない抜きにしても、この顔は男心に突き刺さる。  
なんというか、オオカミに捕らえられた小動物みたいだ。  
オオカミの気持ちがものすごくよくわかる。人間にも捕食本能ってあるんだな。  
やましい心ちょっと出てきた。まったくないわけではなくなった。  
 
「ほ、ホントにここで着替えるんですか!?」  
「そうだ、着替えて」  
 
「あうう…じゃ、じゃあせめて、後ろ向いて着替えてもいいですか…?」  
「こっち向いたまま着替えて」  
「わうん!?」  
 
早着替えで後ろ向いちゃいけない理由なんてないんだけど、  
度胸をつけるにはやっぱりこっち向いたままのほうが効果高いだろう。  
別に、羞恥に耐える七瀬の顔が見たいってわけじゃない。たぶん。自信ないけど。  
 
覚悟を決めたような顔で、しかし真っ赤な顔で、  
七瀬が上着の裾に手を掛ける。  
ゆっくりやってたんでは逆に恥ずかしい、と気づいたのか、  
上着は一気にまくり上げられ、首から抜かれた。  
どうやって服の首周りが髪の部分を通過したのかは見えなかった。イリュージョンだ。  
 
さらにネクタイを外し、ブラウスのボタンに触ったところで手が止まる。  
俺と目が合った。目で促してやる。  
止まっていた手がぷるぷると震えながら再始動、  
ボタンが上から順番に外されていった。  
ブラウスの合わせ目から七瀬の胸元がちらちら見える。  
 
…ほんとにふくらんでないな。あれじゃブラの意味がないだろう。  
高校入学前の七瀬を知ってるわけじゃないけど、  
もしこれでも当時よりふくらんでるんだとしたら  
昔の七瀬は胸がえぐれていたことになっちゃう。人体の神秘。  
 

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