「はぁ〜…」  
 日も長くなり、ようやく過ごしやすくなってきたように感じられる春の日。  
 七瀬家の居間に、これでもかとばかりに退屈そうなため息が漏れわたる。  
 ため息の主は、トドのようにうつ伏せに寝転がる「にわ」こと潦景子だった。  
 顎を畳に突き立て、ため息の響きに負けず劣らずの腑抜けた表情を浮かべている。  
 傍らには、青野真紀子が片膝を曲げて座り込み、のんびり文庫本を読みふけっていた。  
「……」  
 ぺらり、と。ページがめくれる音が居間に響く。  
 ややあって、垣根の外を近所の子供たちがバタバタ駆けていく音が通り過ぎた。  
 そしてまた、ぺらり。  
 七瀬家は今、とにかく静かだった。  
 
「…はあぁ〜〜」  
「…にわ」  
「あによ…?」  
 眉一つ動かさず答えるにわ。  
「うっさい」  
「……すぅ、はああぁぁ〜〜〜〜っ……」  
(こいつ…)  
 ちょうど左手で小突ける位置にツインテールの頭があったが、それでまたギャーギャー  
騒がれるのも面倒なので、グッと堪えた。  
 再び、文庫本に目を戻す。  
「ねぇ〜…」  
「…なんや」  
「八重はぁ〜? まだ戻ってこないの〜?」  
 顎をくっつけたまま、非常に喋りにくそうに本日2回目の質問を口にするにわ。  
「マツヒトも行くゆうてたから、あと30分は戻ってこんな」  
「うぇ〜〜〜」  
 八重が、幸子さんと一緒に買い物に出かけたのが15分ほど前。  
 そこに、5分ほどの入れ違いでにわが遊びにやってきた。  
 多汰美は、八重たちが出かける前からジョギングに出掛けている。  
(そっちはもう戻ってきてもいい頃やけど……)  
 
 ともあれ、今七瀬家には真紀子とにわの2人きりであった。  
「む〜〜っ……」  
 にわが唸る。  
 どうせ、八重が帰ってきたらベッタリで、やかましいことこの上なくなるだろう。  
 だから、今は徹底放置。  
 たまには、静寂を尊ぶのも悪くない。  
 小説の中では、主人公の推理が停滞したところでヒロインとの逢瀬が始まっていた。  
 真紀子が今読んでいるシリーズの主人公はなかなかのプレイボーイで、事件の重要  
参考人(たいていとてつもない美人だ)と愛を語らいつつ、事件の糸口を探りだしていく。  
 
 もぞもぞ。  
 
 当然、そのような設定なので、いわゆる「濡れ場」のシーンがあるのもお約束だった。  
 とは言え、ほんの数行で描かれるだけの他愛もないものである。  
 
 もぞもぞ。  
 
 …のはずなのだが、今回はやけにその描写が細かい。  
 単なるキスの表現さえ、横に誰かいる時に読むのは、やや恥ずかしいくらいだ。  
 そういえば、さっきから隣のやつは何やらもぞもぞ動いているような。  
 とはいえ、急に読むのをやめるのも不自然だし。  
 ここは、早く続きを読んでしまおう。うん。しかし一字一句見逃さず。  
 次に、主人公はヒロインの右脚を撫で回し…。  
 
 さわさわ。  
 
「んひぃ!??」  
 いきなり、右脚からえも言われぬこそばゆい感覚が走る。  
 
「な…、なにしてんねんにわーっ!!」  
 見れば、いつの間にかにわは匍匐前進で真紀子の足元ににじり寄り、右脚のすねの辺り  
を撫で回していた。  
「ん、あぁ気にしないで〜」  
「気にするわ!」  
 文庫本も、びっくりした拍子に落としてしまった。  
「…で、なにしてんねん」  
「ん〜、ストッキング」  
 質問の答えになっていないが、ようするに真紀子の履いているストッキングに興味を  
示しているようだ。  
「前は履いてなかったよね。なんで? ファッション? 保温?」  
「…7:3」  
「ふ〜ん。いくら?」  
「…にーきゅっぱ」  
「ふ〜ん…」  
 ようするに、真紀子があまりに構わないので、なにかちょっかいを出してやろうという  
ことなのだろう。気のない返事をしつつ、にわの手つきは止まらない。  
 まるで子供の頭を撫でるようなソフトタッチで、くすぐったいというよりはむずむずするような、妙な気分がじわじわ伝わる。  
 そして、読んでいた小説の最後に見た文字が「快感」とか「快楽」だったせいで…。  
(んっ、くっ、こ、このばかにわ…)  
 ただの戯れでしかないこの行為が、変なものに思えて仕方がない。  
「すべすべ〜」  
 無邪気にストッキングの手触りを楽しむにわ。  
 ふくらはぎの方にまで手を伸ばし、むにむにと指で押してきた。  
(んっ、んんっ)  
「意外と脂肪ついてないわねー。もっとむちむちかと思ったけど」  
「しばくぞ…。…ぅん…っ!」  
 今止めようと声を上げれば、ついでにあられもない声も出てしまいそうだ。  
 
 
 そうなれば、「あに感じてんのよ〜」とつけあがることは必至。  
 ここは我慢して、にわがこの行為に飽きるのを待つ。  
「んぅ…、ふぅ…、…っ痛たたたたたた!!?」  
 にわの手の感触が途切れたかと思うと、今度は刺すような痛みに変わった。  
「あ〜、痛かった? ゴメンゴメン。毛でも挟んだ?」  
「は、生えてへんわアホ! 皮膚はさんどんねん皮膚!」  
「ありゃありゃ」  
 なにがありゃありゃだ。  
 にわの奇行は、ストッキングを摘み上げて引っ張るという意図不明な行動にまで発展  
していた。  
「にわ、お前いい加減に…」  
「じゃあこっち〜」  
 真紀子の抗議をナチュラルに無視すると、さらに前ににじり寄るにわ。  
 標的をとらえる猫のように、ガシッと真紀子の右足を掴んだ。  
「んっひぃっ!?」  
 にわの指の腹が、足の裏に食い込む。  
 そこは、すねなんて比べにならないほど敏感な部分。くすぐったさも若干の苦痛に変わる。  
 思わず、体をゆすって身悶える。  
「こ、こっ、こら、にわ…」  
「あー、暴れない暴れない」  
 と言いつつも、にわはちっとも手を緩めない。自分が力強く足の裏を握っているのが  
原因だとわかっていないようだ。  
「ここなら摘みやすいわよねー」  
 そう言って、指の起伏で浮いている部分を摘んで引っ張る。  
 伸びた部分の目が粗くなり、真紀子の白い素足が透き通る。  
「びろーん」  
 なにが楽しいんだこいつは…。  
 心底呆れつつも、にわの猛攻が止み一安心する真紀子。  
 やれやれ…、と首を横に振ると、またドキリとするものが目に飛び込んできた。  
 
 前進したことによって、にわのお尻がちょうど真紀子の真横に位置している。  
 にわのスカートはやや短い。その裾から、真っ白で形のいい太ももがすらりと伸びて  
いる。  
 角度によってはさらにその上のほうまで見れそうである。  
(…ってなにを考えてるんやわたしはああああああっ!)  
 エロガッパどころか、本当にただのエロオヤジの発想だ。  
 でも、一度目に入ったそのきわどい領域からは目が離せなくなっている。  
 いかにも柔らかそうな曲線を描く、太ももと臀部。  
 そうだ、にわもやりたい放題なんだからちょっとくらい触っても…。  
 
「青野ってキレイな足の指してんのねー」  
「ぃぅぅ!!?」  
 今度は、足の親指、人差し指にピンポイントに狙いを絞って指を沿わせてくるにわ。  
「爪の形も整ってるしさー…。なんか手入れとかしてる?」  
「て、てい…れっ? んぅ…っ!」  
 親指と人差し指の間、普段あまり刺激にさらされない部分をにわの指が強引に  
押し割ってくる。  
 ストッキングに包まれざらりとしたにわの指の感触が、ただでさえ敏感な皮膚を撫でる  
と、これまでよりもっと露骨な快感となり、太ももの方まで痺れてきそうだ。  
(んっ、んっ、んんんぁっ…!)  
 さらににわは、マッサージするかのように足の指を曲げたり引っ張ったりしている。  
 指の関節に、にわの指の爪が当たると、かゆいところに爪を立てているような、痛気持  
ちいい感覚が断続的に走る。  
「ねー、青野さー、くすぐったくない?」  
「ふ…、く、くすぐったい? そんなことあらへんよ…ぉ」  
 ものすごく気持ちいいから。  
「ちぇー、つまんないー」  
 一応、真紀子の思惑通り、にわは悪ノリしてこない。  
 けれど、いやに真紀子の足がお気に召したらしく、一向に手を放す気配はない。  
「足の裏の皮膚も変に硬くなったりしてないしさー」  
「くぅ、ぅぅ、ぅん…!」  
 指全体を使って、足の裏を揉むように触るにわ。  
 ストッキングの繊維が凹凸の刺激となる。土踏まずの部分は、さらに感覚が鋭敏だった。  
 
「ていうか、指がすらりと長いのよねぇ。足の指じゃないみたい」  
「……っ」  
 爪の先端に指を立て、スティックのようにくりくり動かす。  
 …もはや、なにもくすぐったくもない動作でさえ、「触られている」という感覚だけで  
気持ちいいような気がした。  
(も、もう…、堪忍して…)  
 息を殺し続けて、もうすっかり顔が真っ赤になっているのがわかる。目も潤みまくって、  
視界がじんわりとしてきた。  
「あ〜〜〜……」  
 そして、にわは思いっきりストッキングを引っ張ると。  
 パン!  
(っっ!!!)  
「暇」  
 パタリと。またうつ伏せに塞ぎこんだ。  
「はぁ、はぁ、はぁ…」  
 
「ただいまー! おぉ、にわちゃん! 来てたんだー…、って、マキちー? …どうした  
ん?」  
「んぇ…?」  
 多汰美が目にしたのは、顔をすっかり上気させて、目は空ろで口元には微かな笑みを浮  
かべた、形容すると「なんかエロい」顔をした真紀子だった。  
「どうしたんてぇ…、なにがぁよ…?」  
「い、いや、なんか、エ…」  
「あー、多汰美。ちょうわたし疲れたから、部屋に行くわ」  
「う、うん」  
 なぜか、2階に向かう真紀子は妙に足早だった。  
「なんなんよ一体…。…ん?」  
 ぴくりとも動かないにわの足元に、1冊の本が開いて伏せられているのを見つけた。  
「なんだろう…。…………ほぅほぅ」  
 
 5分後、帰ってきた八重が見たのは、いつもの2倍はテンションの高いにわと、妙に晴れやかな顔の真紀子と、すこし頬を染めた多汰美だった。  
 
 -END-  
 

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