「地に這った時点で負け。無論、どちらかが勝つまで戦る。いいな?」
「お……応ッ!」
「……」
マーテルは路地裏の端の木箱に座り頬杖を付いて動向を見守っていた。
一体何の動向かといえば、グリードから少しは体を鍛えろと言い渡されたデビルズネストの荒くれ者たちのそれである。
人数五名、いずれも獲物は持たない。対するは彼等の修練相手を引き受けたロア只一人。こちらは彼の最も得意とする槌を手にしている。
尤も、そんなものが無くても彼には関係ないだろう、と思う。そして対峙する者達もそれを知っている。
「来ないのか」
低く響く声。
ゆっくりと一歩、前に出る。足元で塵が薄い煙になって浮き上がるように流れた。
「ならばこちらから行くぞ」
左手に持つ槌をぐるりと一回転させる。ぶん、と風を切る音が重く響いてきた。
ロアの人並み外れた巨体がその体長の半分ほどもある槌を振り回す。それだけで気圧されそうなものだが、果敢にも一人が飛び込んでいく。マーテルの目から見る限り、リーチの長い武器につきものの隙を読もうとしたようだった。目の付け所は悪くない。だが、
(踏み込むタイミングが遅すぎる。あれじゃロアの思うつぼだわ)
何故ロアが左手で槌を持っているか考えなかったのだろうか?
果たしてロアは四分の三回転させたところで急に槌に制動をかけた。槌の部分を右手で受け止めそれを制動とし、柄の方を前へと押し出す。体位を沈め、ぐっと右掌を押し出せば、後は左掌で狙いを付けるだけだ。但しこれは実戦ではないから、ロアには只一点を正確に狙い打ちするだけの技量が必要になってくる。
かくして柄は見事に一人目のシャツの襟足を引っかけた。
「うおっ!?」
悲鳴が尾を引いて遠ざかっていく。一人目は一人目に続いて飛びかかってきた二人目を巻き込み揃って派手に転倒した。
柄を引くと更に半回転。槌は今度は本来の使われかたをした。
ズドン!
勢いの乗った槌は向かってきた三人目の鼻の頭をかすめると、足元すれすれを打ち抜いた。そのまま踏み込んでいれば即死であったろう。男は勿論立ち止まってかわしている。しかしその立ち止まりかたは計算された上のものでなく単に危険だと判断して立ち止まったものでしかなかったから、すぐにロアに隙を突かれることになった。
ロアは決して素早い方ではない。だからこそ計算された戦い方をする。
その瞬間を待っていたかのように槌がロアの手を放れ、あっさりと間を詰めてきたロアによって、三人目は空高く放り投げられた。マーテルは放物線を目で追った。まあ、あいつは身軽な方だし、死にゃしないでしょう。そう思っているうちに目の前がまたばたばたと騒がしくなった。ロアは四人目の右拳を真正面から受け止めている。思い切り殴りかかってきた四人目は大きな掌に拳を掴み取られ身動きが出来なくなった。左手でも攻撃を加えているが、利き腕でない、しかも右手を掴まれている状態でどの程度もダメージを与えられていない。実際ロアの視線はもう四人目を見てはいなかった。
五人目の拳をもう一方の手で捌くが、両手対片手で少々分が悪い。わずかずつ後退しながら捌いていく。四人目がどうにか出来そうなものだが、如何せん体格差が激しい。抵抗できずに引きずられていく。
そうこうしているうちに頼みの綱の五人目も同様に腕を取られてしまった。ぐん、と腕を引っ張り上げられ、二人の男は悲鳴を上げた。そのまま二人とも身体から地面に投げ出される。
汗ひとつかかずに一連の行動を終えた大男は嘆くように頭を振った。
「お前たち……精進が足りんぞ」
「は、はぁ」
「ロアさんが強すぎるっスよ」
のそのそと立ち上がる男たち。先程放り投げられた三人目の男も大した怪我もなかったようで、ひょこっと姿を現す。
全員が戻ってきたのを確かめるとロアはすっと掌を上に右手を上げ、揃えた親指以外の四本の指をくい、くいと手前に動かす。即ち、
「よし、お前たち、もう一度だ」
ひー、お許しを、と逃げ出そうとする数人の襟首を捕まえているロアを見て、マーテルは久しぶりに自分の中の血が騒ぎ出すのを感じた。ロアとはあまり手を合わせたことはないが、いい勝負になりそうだと感じる。
「ロア」
「? 何だ」
「あたしも混ぜてよ」
言うが早いかとんと地面を蹴って真正面から飛び掛かっていく。ロアは咄嗟に男たちを解放し身構えたが、マーテルのその動きはフェイントだった。ロアの目前で左足で地面を大きく蹴って方向を変え大きく体を沈めると、全身をバネのようにたわませ、伸び上がりながら手刀を放つ。身構えてしまったロアにとっては左下からの最も避けにくい位置からの攻撃。
「ぬ……!」
ロアの表情に初めて動揺が現れた。手刀は腕でまともに受けるより手で逸らしながら受けた方がずっとダメージが少ない。
しかし位置的に左掌で受けるのは難しい。咄嗟に右手を左脇まで出張させて防ぐ。その為ロアは非常に不自然な体勢になり、即座に次のモーションに移れなくなる。やむなく身を退こうとするが、マーテルはそれを許さなかった。
手刀を受けた右掌に予想された鋭い指と爪の感触は無かった。代わりにその位置からすべるように肌と肌の合わさっていく感触。
「!」
マーテルの左腕がしなやかに曲がってロアの右腕に巻き付いていった。ロアはパワーに任せて右腕を引く。ロア自身、マーテルに力技は通用しないことを知っていたのだが、とにかく体勢を立て直さなければならない。
しかしそうして一旦受け身に回ってしまったことが敗因となった。案の定マーテルは引かれる力に逆らわずロアにぴったりと張り付いてくる。右腕を上に引き上げ左手で彼女を引き剥がそうとした時、その左腕にもまたマーテルのもう一方の腕が絡みついてきた。その次の瞬間には、マーテルは既に目の前から消えていた。ロアの頭上を黒い影がすっと通り過ぎていった。慌てて身体を捻り、倒れ込まないようにする。マーテルはロアの背後を取ろうとしたのだ。
マーテルはやはり力に任せて無理に投げるようなことはしなかった。してやったり、という笑みが彼女の唇を彩った。
完全にロアに絡みついた身体を捻る──勿論、ロアが身体を捻った、更にその方向に。
轟音が響いた。ロアの巨体が倒れる音だった。ロアにこてんぱんにのされた男たちは唖然としてそれを見守った。
腕を絡めたままロアを組み敷いたマーテルは勝利の笑みを浮かべた。
「あたしの勝ちね」
「……わかった。負けを認める」
「よろしい」
敗北宣言に満足そうに頷く。
「あなた力も強いし頭もいいのに、いざとなると隙だらけなのよ」
「むぅ……」
拘束され仰向けに倒れたまま渋い顔で唸るロア。その胸の上にちょこんと乗り掛かったまま、マーテルはふと真顔になった。普段は穏やかで人の良いロアの性質がグリードに目をかけられ信頼されていると同時に、戦闘に於いてはそれがマイナスに働きかねないのではないか。いつかグリードの許、自分達日陰者が陽の光を求めて起った時、その性質は致命傷になりかねないのではないか。
「──ホント、心配だわ」
ぐいと身を前に乗り出すと、そのまま身体を前に倒すように沈める。
「……」
ロアは細い目を精一杯丸くした。後ろでは目撃した男たちがパニックに陥っている。
ロアの唇を奪ったマーテルは、まるで何事もなかったかのように身を起こしロアを解放した。
「あまり心配させないでよ。ね?」
ロアは動かなかった。マーテルが悠々と立ち去った後、自分が薙ぎ倒した男たちに助け起こされるまで、ぽかんとしたまま空を見て呆けているしか出来なかったのだ。